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2007.12.28

ブット暗殺、雑感

 昨晩ふと海外ニュースを見るとブット殺害で騒ぎ出しているので、国内ニュースを見るとまだ死亡確定ではなかった。日本時間では深夜になったので報道社の担当対応が薄いのだろうか、このまま明日を迎えるかと思い、とりあえずTwitterに一言書いたらら、ばたばたと国内報道が出た。
 ブットの暗殺には驚いた。先日の帰国時の大規模テロで多く支持者を殺害され、彼女自身は奇跡的に生き延びたとはいえ死の覚悟はできていただろう。が、警戒態勢もある程度できていただろうし、殺害予告は報道されていた。そもそもブットのお膳立てをした米国がなんらかのセキュリティ警告をしているのではないかと私は思っていた。なので、ここまで酷い事態になるとは想定していなかった。
 ブットの暗殺で核保有国パキスタンはどうなるか。誰が今回の暗殺の黒幕か。そうした疑問が当然起きる。特に、ブログのように陰謀論が好まれるメディアだと黒幕論が跋扈するのはしかたがない。そうした関心をむげに否定する前に、いつもながら利害の構図を考えてみた。不謹慎な話だが、ブットの殺害で利益を得るのは誰か。話を単純にすると、一般的には今回の殺害の首謀者はイスラム教原理主義のテロ組織であろうと見られるだろう。が、ムシャラフ大統領はどのくらいそのメリットを享受するか。
 ムシャラフ側のメリットを昨晩ぼんやりと考えてみた。自分の結論から言えば、メリットはあるだろう。ただそれは政敵を排除するといった稚拙なものでもないし、彼自身の直接的な関与というものでもないだろう。メリットは以前同様国内の権力と米国や中国の支持のバランスを取るのにそれもまた都合がよいということだ。そしてこのメリットは、不謹慎な話が続くのだが、概ねパキスタンの現状の延長としての安定に貢献してしまうだろう。ムーディーズについてのロイター記事を見ると”パキスタン格付け、ブット元首相暗殺後も変わらない見通し=ムーディーズ”(参照)と表題からもわかるが。


 ムーディーズのソブリンアナリストは「これらの政治的出来事が政策の枠組みや海外からの経済援助に直接的な悪影響を及ぼさない限り、パキスタンの基本的な格付けが現時点で影響されることはない」と指摘。その上で「(経済)政策の枠組みに対するリスクバランスは引き続き不透明となるが、これはネガティブアウトルックに反映されている」と述べた。

 これも単純な話、中国は少し眉をひそめるくらいでむしろブットに好感をもっていないだろうから外交的には微動だにしないし、米国も従来どおりムシャラフ支持になるだろう。ただし米国は大統領選挙でパキスタン北部空爆を主張しているオバマなどが支持されるようになると空気は変わる。
 ではブットの殺害は歴史の一つの挿話に過ぎないことになるのか。パキスタンの民主化をどう考えるか。それはもちろん大きな問題だが、スコープの取り方が別扱いになるだろうし、国際的にはパキスタンの核が先行的な課題になる。
 もう少し短いスコープで見る。つまり、すでに「極東ブログ: パキスタン情勢、微妙なムシャラフ大統領の位置」(参照)、「極東ブログ: パキスタン・モスク籠城事件、雑感」(参照)、「極東ブログ: ブット帰国後のパキスタン情勢メモ」(参照)で見てきた流れで見ることになるが、そもそもブットの帰国は英米を中心とした国家側のお膳立てであり、ブットとムシャラフには密約があった。そのあたり、先週の日本版ニューズウィーク”ブットとムシャラフ独占激白(Two Leaders, On a Collision Course)”(12・26)で、背景には触れていないものの密約を公言している。インタビューは12月初旬である。

――ムシャラフは首相の3選禁止規定を撤廃し、あなたの首相復帰に道を開くとみられているが……
 アラブ首長国連邦での会談で私にそう言った。それを受けて、私たちは秘密協定を結んだ。

 メディアなどからはブットによるムシャラフの批判が聞こえてくるものの、この秘密協定は依然二人の間で生きていたと見ていいだろう。おそらくブットのセキュリティについてもそのあたりから僅かに脇の甘さもあったのかもしれない。

――10月に帰国したとき、暗殺を恐れる気持ちはあったか。
(警告は)あったが、私は単なる脅しだと思っていた。過激派は以前にも私を殺そうとしたことがあるが、まさかカメラの行列の前でやるとは思わなかった。

 問題はムシャラフ側で、彼自身がこの協定を覆すためにブットを葬ったかだが、ムシャラフという人の受け身的な動向とバランス感覚を見ている限り、その筋はないだろう。自分の手は汚さないタイプでもあり、それが逆にやっかいな状況を招いてきた。
 ムシャラフ側とし見れば、ブット暗殺に傾く分子はあっただろう。ブットはかなりディープな状況認識を語っている。もちろん彼女が置かれた状況、つまり父ブット大統領の殺害への怨恨感もあるだろうが。

問題の根は、ジアウル・ハク元大統領にある。ハクはパキスタン国内にムジャヒディン(アフガニスタンのイスラム系武装勢力)の支援体制を作り上げた。与党もその体制の一部だ。
 彼らはイスラム過激派に対する支援の中核となり、過激派の友人になった。30年前から続く絆を今さら断ち切れるだろうか。

 問題の根幹はここにあるとまで言ってよいか私にはわからない。それでもムシャラフ側は過激派勢力とつながっているし、やや放言めくのだが、今回のブット暗殺はムシャラフへの脅しの意味合いもあるだろう。そうでなくても彼は軍服を脱ぐことにためらっていた。
 ブットの暗殺によって1月に予定されていた総選挙の動向が危うくなりつつある。が、この構図もブットが暗殺されたからというより複雑な背景がある。シャリフ側の問題が大きいように思えるからだ。
 つまり、総選挙の点においてはブットとムシャラフは近い立場にいた。選挙ボイコットを推進していたのはシャリフ派の一部であり、今回のブット暗殺によってその勢力も息づくことになる。
 現時点で1月の選挙が実施されるかは不明だ。実施されたとしても形骸的なものだろうし、シャリフ派やその背景にある力がどう現在の権力バランスに影響するのかが気になる。
 これも酷い言い方になるのだが、パキスタン情勢は、民主化という文脈より、ムシャラフの綱渡り的なバランスに対してシャリフの背景となる国際的な動向に注視すべきなのだろう。

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2007.12.27

フィナンシャルタイムズ的には、ごく簡単に言うと、福田首相は小泉流にやれ、と

 来年が間近に迫ってまいりましたぁ。日本はどうなるのか、どうあるべきか、福田首相はどうするべきか。やはりあれか、朝日新聞がご指導するように、中国に行って未来のために歴史を語れってことか。
 クリスマス・ボケはさておき、19日付けフィナンシャルタイムズが日本への期待というか、よりスペシフィックに福田総理への期待の社説を書いていた。”Japan needs to revive consumption”(参照)である。これ、どっかで翻訳するでしょと思っていたけど、その後、なんとなく見かけない。私が見かけないってだけかもしれないけど、スルーってことと私には区別が付かないので、ちとこちらのブログに備忘メモを兼ねて書いておこう。
 フィナンシャルタイムズはイコール英国的というわけでもないし、そもそもメルトダウン状態のブラウン首相を担いでいる英国が何か言う?みたいなわけもない。ので、この社説は欧米のごく普通の見解くらいな意味合いしかないだろうと思う。
 で、福田首相の課題は何か、というと。


It is hard to say which is the greater challenge: maintaining growth in the Japanese economy or maintaining popularity as a Japanese prime minister. New opinion polls and economic forecasts suggest that Yasuo Fukuda, premier for only three months, will struggle to do either. His only hope is to take a bolder, more reformist path.

 福田首相が直面している課題は、経済成長と人気の維持の二つで、どっちもおろそかにはできないだろうが、フィナンシャルタイムズ的には、ドーンと改革路線で行くんだぜというのだ。うへぇ。日本の新聞の社説じゃちょっと書けませんね。
 この段落に続いて、なんで福田さん人気がないのかというと、年金問題だし、つまりは自民党のボケ(the day-to-day blunders and missteps of his Liberal Democratic party)背負いこんでますね、があるけど、来年の日本経済上向き予想からすればもっと強気でいいのではないか、と。ほぉ、強気でもOKか。
 日本のGDPは昨日の朝日記事にあるように”日本の名目GDP、OECD加盟国中18位に転落”(参照)。目出度く「経済協力開発機構(OECD)加盟国(30カ国)中18位となった。前年の15位より下がり、比較可能な1980年以降最低とな」った。何が目出度い? 円安の影響でしょ。円安大歓迎じゃないですか。「円の足枷―日本経済「完全復活」への道筋(安達誠司)」(参照)ですよ、とか凝った冗談を書くと誤解されがちなのでフィナンシャルタイムズの記事に戻す。
 日本の未来は労働力の低下から換算していいとこGDP年率成長は1・5%ナンボ。今年は1・3%だけど、来年は2%は行きそうだから、もっと福田さん強気になれよとフィナンシャルタイムズは見ているっぽい。
 とは言ういうものの、"That said"だよ。

That said, growth might have been higher without a number of policy changes. New building regulations caused a slump in residential construction. New laws on money-lending are restricting access to credit for some poorer consumers and their full effect is yet to be felt.

Rather than reform that restricts the supply side of the economy, no matter how well intentioned, Mr Fukuda needs to follow Mr Koizumi by pushing through reforms that improve microeconomic efficiency. Since Mr Koizumi’s great achievement of postal privatisation little progress has been made.


 日本が成長したいなら多くの政策変更をしなければいけないのに、な、な、なんと(団塊世代的口調を真似てみる)、理由は聞くな大人ならの理由で、建築規制で建築業界は沈没し、山本夏彦翁のいうところの金貸しの業態の規制もうまく行ってない。
 でさぁって感じで、財政再建がどんなにか大切だとしてもだよってな感じで、フィナンシャルタイムズ的には、福田総理は元小泉総理の改革路線をとってミクロ経済学的な状況を変えろ、と。郵政改革以降日本はなんもしてないじゃないないか、と。
 いや私が言っているんじゃないし、私はこういう問題に言及するには懲りて日和っているわけです。そこんところ、フィナンシャルタイムズは、もっとポジティブに考えようぜ、と。
 では日本はどうあるべきか。

Japan’s greatest economic challenge, however, is to rely less on exports and capital investment, and more on domestic consumption as a source of growth.

 輸出依存や海外投資の体質からもっと国内消費による国家経済の成長をしろ、と。
 このあたり、べたにいうと団塊世代カネを使えよと、いやそんなカネないよと云々。というわけで、フィナンシャルタイムズ的にも年金で年寄りが安定するとカネ使うかなと色目とちらちらするが、日本企業にはきつく出ている。

Perhaps the most helpful thing the government could do, however, is discourage the tendency of private companies to hoard cash. Two areas for reform are the tax code, which still encourages corporations to retain their profits, and the scarcity of takeovers, which means inefficient balance sheets are not penalised.

 日本国政府がやるべきことは、二つ。企業がこれ以上現ナマ溜め込むんじゃねぇ規制をすべきだというのと、企業乗っ取り恐怖を緩和させたらどうかね、と。日本企業の貸借対照表このままでよいのか、と。
 このあたり、いやさらっと書かれているけど意味を読み解くとフィナンシャルタイムズもえぐい。で、締めはもっとえぐい。

Such reforms would be hard for Mr Fukuda to push through even without opposition control of the upper house of parliament. LDP politics as usual, however, is not going to revive his government.

 改革は必要だとわかっていても参院の反対で無理でしょうなあ、でもそれって昔ながらの自民党体制と変わらず、つまり、再生はしないでしょう、と。つまり、日本オワタ、と。
 いやはや、フィナンシャルタイムズ、るっせー、余計なことを言うなよのお話なのでした。

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2007.12.24

finalvent's Christmas Story 2

 カナダに暮らしていたティムが死んだという知らせを夏の終わりに聞いたとき、今年もKFFサンタクロース協会の仕事をすることになるだろうと予想した。10月に入りマリーから電話で「今年もお願いします、ボブ」と言われたときも、だから、わかっていましたと答えた。マリーの話では、彼は自分の命が年を越せないかもしれないのに、プレゼントをトゥンと呼ばれる子に渡すつもりでいたらしい。仕事をやり遂げることができなくなる不安はなかったそうだ。「僕が死んだらボブに頼めばいい」ということだ。ティムが私を信頼していたのはわかっていたけど、もう少しなにか思いがあったのかもしれない。
 トゥンという男の子のデータを協会から受け取った。アフリカの孤児として裕福な女性の学者に引き取られて育った子ども。14歳。もうサンタクロースを信じている年ではない。それどころかすでにマスターの学位を取得し、博士研究に着手しているという。でも、子どもは子どもだ。
 ティムと私は昔アフリカで援助の仕事をしていたことがある。科学者の彼は子どもたちの教育もしていた。トゥンが引き取られるまで関わりもあったのだろう。教え子だったのかもしれない。
 ティムが用意していたプレゼントはトゥンの地域のセンターにすでに保管されているという。データを見ると「バランストアクアリウム」という水槽らしい。魚と水草が入った自然の生態系の模倣だ。ポンプや濾過器などなくても生態バランスを維持できるというものらしい。水草は酸素を作り、魚はそれを吸う。魚は水苔を食べ、その糞は水草の肥になる。本当だろうか。なによりこれはトゥンが望んだプレゼントなのだろうか。いずれにしてもそれほどやっかいな仕事にはならないだろう。搬入の心配はない。マリーは補助員を4人付けますと言っていた。それはありがたいけど、何も言わない若い青年たちとじっと一緒に車に乗っていくことになるのは気が沈むことになるだろうと思っていた。
 当日夕刻ロサンゼルス空港に現れたのは気さくな大学生たちだった。女性学生も一人いた。「サンタクロースのお仕事って夢がありますよね」と笑っていた。食事してから行きましょうと彼女は明るく言った。若い女性を見るのは久しぶりかもしれないと私は思った。私にも若い日はあった。
 トゥンの家についたのは9時だった。立派な邸宅だが、新築のつまらない造りだ。そこへ私たちは巨大なピザを届けるデリバリー員のようにやってきた。先頭に立つサンタクロースの私が滑稽なほどお似合いだ。
 玄関口に黒い顔で端正な姿のトゥンが出てくると私はハッピー・ホリデーズと言い、学生たちはキャロルを一曲歌った。その後プレゼントをトゥンの部屋に運び込み、私とトゥンを残した。私はいつもどおり子どもと少し話をすることになっている。
 「サンタクロースさん、ようこそ」ドアを閉めるとトゥンは、椅子を勧めながら言った。
 「トゥン君。プレゼントはあれだよ」
 「ありがとうございます、サンタクロースさん」微笑みに少し陰がかかる。
 「期待していたサンタクロースじゃなかったかな」
 「ティム先生がやって来ると思っていました」
 「ティムは夏に死んだ。肺がんだった」
 「そうだったんですか」トゥンは悲しそうな顔をした。
 「私は代理で、あのプレゼントがなにかもよく知らないんだよ」
 「バランストアクアリウムです。ローレンツアクアリウムとも言います。小学生だったころティム先生から聞いて、いつか欲しいと思っていたんです。少し無理なお願いだったかもしれません」
 「自然の生態がそのまま小さくまとめられていて人の手のかからない水槽ということだが……」私は話を戻した。
 「正確に言うとまったく人の手をかけないわけではありません」
 「つまり、トゥン君はこの水槽をきちんと維持できる知識と能力があるわけだね」
 「はい。そしてそうしたいんです、僕の意志として」
 「それはもしかして、地球を愛したいということかな」私は少しこの子の内面に問い掛けてみた。
 「そうです。私たちは地球をもっと大切にしないといけないんです。そのことを日々忘れないように、そうあるべきだと……」
 私はずいぶんと立派な子どもだなと思いつつ、不自然な印象を受けた。この子は、アフリカの地の悲惨のただなかで偶然、あるいはその才能を認められてこの地に引き取られた。それは幸運には違いないけど、自然ではないように思えたからだ。
 「自然にはそうしたバランスがあります」とトゥンはまるで学校の先生のように語った。私は軽く微笑みながら頷いた。これで仕事は終わったと思った。が、トゥンは別の話を切り出した。
 「差し障りがなかったら、教えてください。ティム先生はなぜあなたに頼んだのですか?」
 「昔一緒に仕事をして友だちだったんだ」
 「それだけですか」
 「それだけだよ」
 「信頼していたんですね」
 「信頼していたよ。当たり前のことさ」
 トゥンは考え込んでいた。それから立ち上がって、水槽の中を覗いた。
 「きれいですね。自然って美しいものです」
 私は黙っていた。トゥンが少し悲しみの感情に堪えているのに気が付いた。
 私はぼんやりとこの子の未来には何があるだろうと思った。この利発な子は私が死んだ後、きっと世界と自然を支える立派な人物になるに違いない。でも……。
 トゥンは振り返って私を見つめ、「でも、僕が失敗したらこの小さな自然は壊れてしまうのでしょうね」
 私にはわからない。地球の自然も今破壊されつつあるようだ。正直に「私にはよくわからない」と答えた。
 ティムはぼんやりとしていた。聞いていないのかもしれない。
 私は言葉を足した。「でも、ティムはきっとトゥン君がそれを大切にすると信頼していたと思うよ」
 トゥンは驚いた顔をした。そして「信頼。私のティム先生」と小さく呟いて涙をこぼした。
 しばらくして帰る時間になった。トゥンは笑顔に戻って戸口まで見送ってくれた。私は一層暗くなった夜空を見上げた。
 ティム、プレゼントはちゃんと渡したよ。

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2007.12.23

教行信証の還相回向について

 宗教めいた話が続くのもなんだがスウェーデンボリなど読み返しつつ、教行信証の還相回向(廻向)というのを別の角度からつらつら考えていたら昨日、「教行信証」に親鸞自筆の書き入れがあったというニュースを聞いて奇妙な感じがした。What a coincidence!  背中の翼の生えていたあたりをずんと突かれたような気がして(冗談)、少し書いてみようかと思った。他愛ないというかくだらない戯言であるが。
 きっかけとなったニュースは毎日新聞が早かったようだ。”親鸞:「教行信証」自筆本に未知の書き入れ”(参照)より。


 浄土真宗の開祖、親鸞(1173~1262年)の主著「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」の自筆本である「坂東本(ばんどうぼん)」(国宝)の修復に伴う調査で、つめ跡のように紙面をへこませて文字や印を記す筆記具、角筆(かくひつ)による書き入れが見つかった。漢字の振り仮名や段落の印など約700カ所に及び、すべて親鸞が解釈などを示すために書き入れたとみられる。
 親鸞の思想の核心に迫る日本仏教史上の画期的な発見で、わが国最大の伝統仏教勢力、真宗教団の僧侶や門信徒の信仰のよりどころである根本聖典「教行信証」の刊本はすべて、角筆書き入れの解読結果を反映するよう再検討を迫られる。

 教学上、というか西洋的に言えば神学的な部分での再検討はないかと思う。神学というのはカノンからは実際には独立している解釈の体系だ。とはいえ、親鸞の持つ、ある種の暗さみたいなものの解明はあるだろう。

 唯一の自筆本である坂東本には、書き直しや墨、朱筆による多数の書き入れがある。一応の完成をみてからも、親鸞が手元に置いて絶えず読み直し推敲(すいこう)を重ねた跡とされ、親鸞の思想が深まっていく過程が投影されている。
 角筆の書き入れの相互関係や、朱筆の書き入れとの関係、本文の漢字との関係など、複雑なパズルを解くような綿密な分析が進めば、成立時期、推敲のプロセスなど「教行信証」が秘めた謎の解明が一気に進み、親鸞の思想の理解が覆る可能性が秘められている。

 親鸞の教えとされるものには、明治時代というか江戸中期あたりから宣長や徂徠のような文献的な研究と同パラダイムにあると思うが、詳細な解明とそれに加えて実質的に近代人に向けて再構成されて来た。必ずしも明治時代になって歎異抄が発見されたわけではないが、日本近代人の親鸞志向は歎異抄をベースとしてきたと言っていいだろう。むしろそこに最後の思想の到達のようなものをつい読もうとしていた。あるいはたまたま歎異抄によって隠された畏るべき親鸞の一端がぽろっと出てしまったのかもしれない。「畏るべき」と言ってもよいのではないか、一応平信徒には隠されていたに等しいし。
 私が親鸞という人に愛憎というまでもないが、奇妙な距離感を感じるのは、青年期歎異抄によって命を救われたような恩義があるのと、親鸞という人に自分のような人間の胡麻臭さを感じるところがあるからだ。この人は、こっそりと密義を持っていたんじゃないかということや、こんなこと言っても通じねえや俺は孤独だな、うーん考えてもなんだからおセックスしてよう、みたいな。貶めるというのではなく自分を反映して見えてしまう部分がある。ただ私は年を取ると道元に心惹かれるようになった。中年の危機、これもまた死ぬかと思ったのを道元に救われたというほどではないが安らぎを得た。個人的なことでどうでもいいのだが。
 もうちょっと開いていうと、教行信証の謎に突き当たる。ウィキペディアを見ていたらなかなか味わいのあることが書いてある(参照)。

親鸞は、法然(浄土宗開祖)を師と仰いでからの生涯に渡り、「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地につつましい念仏道場を設けて教化する形であった。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となって、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『教行信証』(正式には、『顯淨土眞實敎行證文類』)が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。

 簡素に書かれているが親鸞の奇妙なところは、「各地につつましい念仏道場を設けて教化する」というのを晩年事実上捨ててしまったように見えることだ。このあたりは丹羽文雄の「蓮如」に描かれる晩年の親鸞の隠棲の描写がわかりやすい。娘からも孫からも、もうこのテカテカ爺さんは孤独に京都でぼんやり過ごしている無名の人だった。
 ウィキペディアに戻ると、「教行信証」の完成を1247年としている。親鸞74歳、すでに高齢で晩年のようにも思えるが、彼は90歳まで生きているので、その間、どう最後の思想的到達があったのか。それ以前に、鎌倉幕府による念仏者の取締で、ほいじゃという感じで62歳の頃ごろ人生の大半をかけて結果的に布教した関東を捨てて京都に戻って事実上隠棲してしまったのはなぜなのか。
 このあたりは個人的に親鸞に共感しまう部分も大きい。彼は京都に戻ってこっそり「教行信証」を書いているのだが、それは誰に教えるというわけでもない。現代でいえばたいして誰も読まないだろう糞ブログを書いているようなものだ。
 教行信証とはどのような意味合いをもった書籍なのだろうか。後世に教えを伝えたいという意志がないわけでもないが、実際の後世そこからできた本願寺教団とは直接的には結びつかないようにも思える。
 教行信証については当然宗門でも研究されているし、今回の発見はやや予想外ではあるにせよ神学・教学的には変更はないだろう。だから以下は当然与太である。
 教行信証を紐解いてみよう。序に続く「顕浄土真実教文類一」のまさに冒頭はこう始まる。

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。

 ここでいう「浄土真宗」は当然ながら宗派を意味しない。浄土教の真実の要諦というだけのことだ。そしてそれは二種回向であるとしている。つまり、通称「教行信証」は二種回向を論じてる。もっとも、ここでは往相回向から切り出される。

回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。往相とは、おのれが功徳をもつて一切衆生に回施したまひて、作願してともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せしめたまふなり。

 往相回向については「自分の功徳を他人や諸存在に及ぼし、願って一緒に阿弥陀の浄土に往生すること」ということらしい。わからないではないが、ここに功徳の自力の働きがあるようにも思える。そのあたりの教義はどう整理されているのか私にはよくわからない。他力の信が功徳と解するのは無理があるように思う。が、とりあえずそれはさておき。
 還相回向が奇っ怪だ。

還相とは、かの土に生じをはりて、奢摩他毘婆舎那方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向らしめたまふなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜いて生死海を渡せんがためにしたまへり。このゆゑに「回向を首として大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに」とのたまへり」と。

 ウィキペディアの同項目ではこの奇っ怪さをなんとか説明しようとしている。

現代語で

「還相回向というのは、阿弥陀如来の浄土に往生して、止観行を成就し教化する力を獲得し、生死の世界、つまりこの世に還り来たって、すべての衆生を教化して、一緒に仏道に向かわせようとする力を、阿弥陀如来から与えられること。 」

とでも訳すことができるだろう。 しかし、これを単に

「浄土に往生した者が、菩薩の相をとり再び穢土に還り来て、衆生を救済するはたらきを阿弥陀如来から与えられること。 」

と訳すと、浄土から帰ってきた幽霊のようなものを想定してしまうだろう。実際、かなりの学者がそのように理解しているようである。


 「とでも訳す」が教学的なのだろうが、率直なところ教学過ぎて意味がわかりづらい。むしろ、「単に」という訳のほうがわかりやすい。つまり、還相回向とは「浄土から帰ってきた幽霊のようなもの」ではないのか。
 ウィキペディアのこの項の執筆者はこれを「かなりの学者がそのように理解しているようである」としているが、私の知る限り、この説を採っている教学はないと思う。
 だが、親鸞の「教行信証」および親鸞の思想とは、「浄土から帰ってきた幽霊のようなもの」が核心にあるのではないか。
 私は別に宗門を貶めたりオカルトを書きたいのではない。親鸞は中世の人であり夢告を受けて人生を変えた人である。夢告は還相回向の構造ではないのか。私は夢告というのは伝説だと思っていたが、そうでもないようだ。このあたりの真偽はいまひとつわからないが、それでも中世の人親鸞にとって夢と信仰は近代人のそれとはまったく異なっていたのではないか。
 これらに関連して梅原猛が以前朝日新聞の「二種廻向と親鷺」(2005.9.20))という寄稿エッセイで奇妙なことを書いている。

近代真宗学はこの二種廻向の説をほとんど説かない。それは当然ともいえる。なぜなら、科学を信じる近代人にとって、死後、浄土へ行くというのは幻想であり、その浄土からまた帰ってくるというのは幻想の上にまた幻想を重ねるようなものと思われるからである。しかし念仏すれば浄土へ行き、またこの世へ帰り、また念仏すればあの世へ行き、またまたこの世へ帰るというのは、人間は生と死の間を永遠の旅をするという思想である。

 梅原は死後の世界を親鸞が確信していたという前提に立っているし、この点において教学を否定しているようだ。
 では、「幽霊のようなもの」だろうか。梅原はそうではないと続ける。

この思想は、個人としての人間を主体にして考える場合、幻想にすぎないかもしれないが、遺伝子を主体にして考える場合、必ずしも幻想とはいえない。遺伝子が生まれ変わり死に変わりして永遠の旅をしているという思想こそ、現代生物学が明らかにした科学的真理なのである。われわれの現在の生命の中には永遠といってもよい何十億年という地球の歴史が宿っているのである。悪人正機説に甘える近代真宗学には、永遠性の自覚と利他行の実践の思想が欠如しているように思われる。二種廻向の説を中心として近代を超えるの真宗学を樹立することが切に望まれる。

 梅原は突拍子もなく「遺伝子を主体」という考え出している。大丈夫か梅原猛、と当時も思ったし今でもそう思うのだが、ようするに、「幽霊のようなもの」を否定し、死後の世界や輪廻といった教義を生かすとなると、「遺伝子を主体」と言えそうにも思う。が、そうなると還相回向というのはどことなく優生学のような気持ち悪さが出てくる。
 少し引き返そう。
 梅原のいうように「近代真宗学はこの二種廻向の説をほとんど説かない」のだろうか。たぶん、説いてはいるだろうが、ウィキペディアの同項目にもあるように、近代合理性と合致したなんらかの解釈となっているだろう。
 だが、ここで仮にだが、「幽霊のようなもの」を肯定すると一気に親鸞思想と教行信証の全貌が出現してくるのではないか。もちろん、そんなもの近代人には受け入れられないとしても。
 冒頭に戻る。スウェーデンボリもまた死後の世界というか天界というべきか、奇っ怪な世界を描いた。スウェーデンボリにしても親鸞にしてもそれらは文学的表現でもあるかもしれないし、比喩であるかもしれない。あるいは近代人はそれを文学的表現または比喩と受け止めるべきかもしれない。
 もしそうした、ある種の緩やかな解釈論が可能なら、親鸞思想と教行信証は「幽霊のようなもの」から再構成されてくる可能性はあるように思える。という以上に浄土教というものの宗教的な意味合いが再構成できるかもしれない。
 こんなことをつらつら考えながら、しかし、こうした再構成をべたに死後の世界として信じることも可能だとしたらどうなのだろうと仮定して、ふとオウム真理教信者のことを連想した。
 彼らはそのすべてではないだろうが、地獄に堕ちることを恐れていた。地獄とはこれまたばかばかしい話だなと私はその場で論外の箱に投げ入れていたのだが、不死の魂とか死後の世界を求めるというなら、そこから必然的に近代人の死と同質な地獄というものが確信される心的構造はあるように思えた。
 私たちがこの世の死ではないなにかを確信するとき、その死の意味合いは死後の地獄のようなものに転写されるだけだろうが、そのとき、そうした転写された地獄を恐れる人々はこの世の死を恐れぬ行動を取るというのはむしろ当然の帰結かもしれない。
 浄土真宗は親鸞の思いはどうであれ、死を恐れぬ人々を生み出し、日本の歴史を変えていった。

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