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2007.12.22

最近ちょっと考えていたキリスト教のこととか

 キリスト教でも平信徒には現実的にはそれほど問題にはならないのが三位一体論だろう。難しすぎるからだ。が、これは異端排除のための信条とも関係していて、歴史を知る上ではなかなか避けがたい部分もある。まあ、こんなエントリではそれほど突っ込まないのだが、昨日エル・グレコのエントリを書いてから、映画とは別として彼は正教の信仰だっただろうかとつらつらと考えた。というか最近つらつらと考えていた。個人的には青春が残した課題でもあった。
 正教とカトリックの違いは通常フィリオクェ問題(参照)として知られている。エル・グレコなども平信徒だろうし普通平信徒はこうした問題に悩むことはない。が、そういう信仰の話ではないので、ウィキペディアを借りて話を進める。


フィリオクェ問題(フィリオクェもんだい)は、キリスト教の神学上最大の論争のひとつである。ローマ・カトリック教会と正教会の分離、いわゆる大シスマ(東西分裂)の主要なきっかけとなった。

この時期のキリスト教では、東地中海沿岸ではギリシャ語が、西地中海沿岸ではラテン語が主に用いられていた。教義は主に東地中海で理論的発展を見たため、神学理論は主にギリシャ語で著述された。『新約聖書』は原文がギリシャ語で書かれていたし、公会議で採択されたいくつかの信条もギリシャ語を原文とする。ローマ教会をはじめとするラテン語地域では、聖書や信条といった宗教文書をラテン語に訳して用いていた。


 間違いというわけでもないし、ローマ人の言語がギリシア語であったというとそれはそれで違うということになるが、そういう側面はあった。なにより、ローマ教会は司教区の一つに過ぎなかった。
 このあたりから面倒な話になるが、関心のある人もいるかもしれない、というくらいで続ける。

ニカイア・コンスタンティノポリス信条の原文では、「聖霊は父なる神から発する」としていた。ローマ・カトリック側がそのラテン語訳に9世紀になって一方的に「子からも(発する)(Filioque フィリオクェ)」と付け加え、これを正文であると主張したためにコンスタンティノポリス教会側が反発した。さらに当時のコンスタンティノポリス総主教フォティオスと前総主教イグナティオスをめぐるコンスタンティノポリス教会内部の政治的争いにローマ教皇が介入し、イグナティオスを支持した。こうして、東西のキリスト教会を二分する深刻な対立状態がもたらされた(「フォティオスの分離」)。

 キリスト教徒で神学とかに関心を持つ人か歴史に関心を持つ人でないと、これがどんな意味を持つかよくわからないだろうと思うし、もちろん私もわかっているわけではないとか言ってお茶を濁すことにしている。いや今日は特別に濁さないでおくかな。これは私の青春を賭けた問題でもあった。正教が正しいかもしれないと思っていたのだった。ただ、青春は過ぎ去り、宗教とかにも関心を失った。が、なんとなく残した課題のようには心にひっかかっている。
 大シスマ後どうなったか。あるいは現在ではどうなったか。大シスマ自体はウィキペディアを見ると、東西教会の分裂1054年(参照)と教会大分裂1378-1417年(参照)を分けている。確かに歴史的にはそうしたほうがいい。だが問題は狭義というか教会としてはどうなったか。ウィキペディアを借りる。

正教会と聖公会はロシア革命が起こるまで、「教皇首位権に否定的かつ伝統的な教会である」「ロマノフ朝とハノーヴァー朝の姻戚関係」等の要因によって、特に英国国教会とロシア正教会の主導の下で関係深化が進められていた。しかしながらソ連邦成立以降はこの試みは頓挫し、現在、正教会と聖公会の関係は特に深いものではなくなっている。

 アングリカンとの関係は深くはないとも言えるが、現在ロンドンでロシアを巡って怪奇な事件が起きている背景には両国の長い関係の歴史がある。ロシア革命から冷戦も影響を与えていた。
 この間、エキュメニズムも起きる。

1965年、エキュメニズムが大きなテーマとなった第2バチカン公会議においてローマカトリック教会の中で東方正教会との和解への道が再び模索され、正教会への働きかけが行われた。その結果を受けて1965年12月7日、公会議の席上まずローマ教皇パウロ6世によって「カトリック教会と正教会による共同宣言」が発表され、続いて正教会側もイスタンブールでこれを発表した。これによって1054年以降続いていた相互破門状態はようやく解消され、東西教会の対話がはじめられることになった。但し先述の通り、この相互破門はそもそも破門として有効であったのか疑わしい程度のものであり、解消することはそれほど難題ではなかったと解釈することもできる。

 この記述はウィキペディアの原則違反の勇み足をしている印象もあるが、表面的な和解にはなった。が、神学的にはフィリオクェ問題は残されたままだろう。さらにその後のプロテスタントの問題が関係してくる。なお、ウィキペディアはこの先にいろいろ重要な指摘をしているので関心のある人にはよいまとめになっているだろう。
 私の知見が狭いせいもあり、議論されたのを見たことはないのだが、フィリオクェ問題は、構造上ニカイア・コンスタンティノポリス信条の改訂になってしまう。つまり、改訂ニカイア・コンスタンティノポリス信条がカトリックであり、原ニカイア・コンスタンティノポリス信条が正教ということになる。そしてそこで信条が揺らぐということは、キリスト教か異端かという問題が、カトリックと正教がともに正統であるなら、384年の第1コンスタンティノポリス公会議(参照)以前までトラックバックしてしまうことになる。つまり第1ニカイア公会議(参照)のニカイア信条(参照)までがカトリックと正教の合意点から異端が判別できる起点になりそうだ。
 ニカイア信条が難しいのは例のダジャレのようなホモウーシオスとホモイウーシオスの問題がある。この点については神学的には本質的なのだがあえて踏み込まない。
 話が奇妙なものになりつつあるが、先日スウェーデンボリについて考えることがあり、私はごく単純に彼は異端だと思っていたし、そのありかたについてはカントの「視霊者の夢」くらいに考えておけばいいかと思っていたのだが、どうもカントのこれは意外に大問題を含んでいそうだし(後年カントは持論が破綻していると考えたようだ)、またスウェーデンボリが異端だとすると、どこで異端なのかと考え込んでしまった。多分に知的なパズルといったものだが。ウィキペディアではあっさりと書かれている(参照)。

その神概念は伝統的な三位一体を三神論として退け、サベリウス派に近い、父が子なる神イエス・キリストとなり受難したというものである。ただし聖霊を非人格的に解釈する点でサベリウス派と異なる。聖書の範囲に関しても、正統信仰と大幅に異なる独自の解釈で知られる。

またスヴェーデンボリはルーテル教会に対する批判を行い、異端宣告を受けそうになった。国王の庇護によって異端宣告は回避されたが、スヴェーデンボリはイギリスに在住し生涯スウェーデンには戻らなかった。

彼の死後、彼の思想への共鳴者が集まり、新エルサレム教会(新教会 New Church とも)を創設した。


 この記述は正しくないのではないかと思うが具体的にどう書き換えればいいのかよくわからない。また、異端はここではルーテル教会からのもので、カトリックや正教とは関わりがない。そして、私は知らなかったのだが、新エルサレム教会は現在日本にもあるらしい。そしてさらに無知だったのだが、「極東ブログ: [書評]あなたは生きているだけで意味がある(クリストファー・リーヴ )」(参照)で触れたユニヴァーサリズムの教会も日本にあるらしい。
 となると、プロテスタントの日本での合同である日キ(日本基督教団)はこれらをどう扱っているのか気になった。が、わからない。日キはたしか無教会も異端排除していたはずだが、塚本虎二の著作を読むとカトリックへの批判は多いものの正統的な三位一体論を保持しており、無教会は狭義的に異端ではなさそうだ。
 といあたりで、いろいろ昔のことを思い出し、いろいろ考え直してみると自分のなかでこれもいろいろな線がつながりだし、奇妙な感慨があった。
 まず、日キの戦中・戦後の歴史だが。

そのため、戦時中はもっぱら戦時体制に貢献せざるを得ず、戦後、戦時下の合同をよしとしなかった諸教派・諸教会が分離したのち、あらためて、平和と和解のために仕える合同教会としての再形成を図るべく、「日本基督教団信仰告白(1954年)」や教団総会議長名による「第2次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(通称:戦争責任告白)」(1967年)」の制定・発表を通じて、その実現を期そうと試みた。

しかし、1945年の敗戦により本土と切り離された沖縄の教会である沖縄キリスト教団との合同(1969年)、あるいは大阪万博(1970年)における万国キリスト教館の出展問題に端を発する「反万博闘争」などを通じて、教会の社会的役割を重視するグループ(社会派)と、教会の形成や伝道を重視するグループとの対立が深まり、いわゆる「教団紛争」と称する状況が現在にいたるまで継続している。


 ウィキペディアでは触れていないがこの背景には米国からの圧力もあったのではないかと思うし、歴史的には語りづらいのだが原爆を使ってしまったことの米人の罪責感もあったようだ。
 ここで気になるのは、「沖縄の教会である沖縄キリスト教団との合同」なのだが、やはりというべきかスウェーデンボリの教派が関係していたようだ。先の項目より。

一例として、日本キリスト教団の沖縄における前身である沖縄キリスト教団では、スウェーデンボルグ派牧師(戦時中の日本政府のキリスト教諸教会統合政策の影響からこの時期には少数名いた)が、戦後になって教団統一の信仰告白文を作ろうとしたところ、米国派遣のメソジスト派監督牧師から異端として削除を命じられ、実際削除されるような事件も起きている。

 ここでの異端は米国側の問題なのだが、しかし考えてみると日キ側のグリップはなかったかのようにも見える。
 仮に日キ側から見た場合、スウェーデンボリの教派は異端なのだろうか。ということで鈴木大拙への再考もかねてスウェーデンボリの著作を読みかえすと、彼自身はアタナシウス信条から離れていないというふうに述べている。さらに読み込むと、実質フィリオクェ問題に近いようだ。アタナシウス信条はニカイア・コンスタンティノポリス信条のさらに後代にあり、この問題はむしろ正教的な揺り返しとも考えられないことはない。が、正直私はここでギブアップした。あまりに不毛だ。
 日キではウィキペディアにあるように、ニカイア信条よりさらに古い使徒信条が採用されている。

教団の信仰内容を言い表す信仰告白として、1954年に「日本基督教団信仰告白」(以下、教団信仰告白)が制定されている。その形式は、教団の基本的な信仰理解を言い表した部分に続いて使徒信条が告白される簡易信条であり、合同教会の信仰告白として、聖書の権威、三位一体、十字架と復活、信仰義認、聖化、教会の務めなど、各旧教派の伝統を少しずつ継承しつつも、ほぼすべてのプロテスタント教会が共有できるような、ゆるやかな信仰理解を内容としている。


日常の礼拝の中では、教団信仰告白をそのまま告白する教会は必ずしも多くなく、使徒信条のみが告白されることも多い。伝道的配慮などの理由で、教会教育用(口語体)のものを用いる教会もある。また、旧教派や教会の伝統により、ニカイア・コンスタンティノポリス信条や他の歴史的信条を告白する教会や、信条の告白そのものを行なわない教会も存在する。

 書きながら、エントリとしては整理が付かないものの、自分の青春の問題はなんとなく違ったアウトラインで見えてきたような気がしている。戦後の米国側のグリップと近代日本人のキリスト教受容の関係はかなり再考を要するのではないかというあたりだ。
 ただ、こうした問題は日キの歴史がそうであったように、政治的な問題に還元する傾向はあるだろうし、いわゆる個人の信仰の問題とは関係ないだろう。また、率直に言って、この問題をきちんと解くことは私の任でもないだろう。

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2007.12.21

エル・グレコは何人(なにじん)?

 エル・グレコは何人? 答え、一人。違ぁう! なにじん、かと。イタリア人とかスペイン人とかユダヤ人とか日本人とか。で、エル・グレコは何人(なにじん)?

photo
受胎告知
 いや軽い気持ちで他所で問い掛けたものの後悔した。存外に難しいやこれ。というわけで、とても解答ってことにはならないけど、ついでなんで愚考をメモしておこう。
 この問題はウィキペディアを見ろだよなというのはあるだろう(参照)。

エル・グレコ(El Greco, 1541年 - 1614年4月7日)は、現ギリシャ領のクレタ島出身の画家。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、一般に知られるエル・グレコの名はスペイン語で「ギリシャ人」を意味する通称である。

当時ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島で初めイコンを学び、のちにイタリアのヴェネツィア、ローマに渡ってティツィアーノに師事し、ヴェネツィア派絵画を学んだ。1577年、36歳でスペインのトレドに渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍した。


 スペインの画家なのでSpanish painterということになる。なので、スペインの画家だからスペイン人?
 だが、生まれは現ギリシャ領のクレタ島。その時代、クレタ島はどこの国だったかというと、ヴェネツィア共和国の支配下ということだ。で、正解はヴェネツィア人、なのか? この支配下というのが微妙ぉにきびしーいというか何を意味しているか。通常は施政権を意味していると理解していい。すると沖縄など戦後から72年まで施政権は米国だったので、上智大学の当時別棟国際学部だったかに通っていた南沙織は米国人? 父親はフィリピン人? いやそももそも彼女は奄美の生まれ? でも沖縄育ち? いやはや例がよくなかったが、復帰前のB円とかの記憶のある戦後のうちなーんちゅーは米国人?なわけはない。日本人? そりゃ沖縄が復帰したからそうだけど。もし復帰できなかったら? まあ、つまりだ、施政権は領民の国籍というか所属に関係ないかもしれない。
 領民というのは領土と同じで所有権の概念かとすると、まずもってヴェネツィア共和国の支配下のクレタ島はどの領有権になるのか? ビザンツ? うぁそのあたりがわかんねー。
 クレタ島の歴史をウィキペディアで見る(参照)と全然そのあたりの説明がない。英語版のほうはある(参照)、どころかエル・グレコまで出てくる。そりゃなみたいに。

In the partition of the Byzantine empire after the capture of Constantinople by the armies of the Fourth Crusade in 1204, Crete was eventually acquired by Venice, which held it for more than four centuries. During Venice's rule, the Greek population of Crete, most famously El Greco, were exposed to Renaissance culture. During the 17th century, Venice was pushed from Crete by the Ottoman Empire, with most of the island lost after the siege of Candia (1648-1669) ; this made up possibly the longest recorded siege in history.

 これがまた難しい。いや英語はシンプルなんで訳も要らないでしょ。まず、1204年にヴェネツィア共和国下となるのだが、ビザンチン帝国と呼ばれるローマ帝国(あのぉ東ローマ帝国っていうのは歴史学的な名称の一つであって彼らは自身をべたにローマ帝国と自称していたちなみに)の終わりは1453年メにフメト2世によって滅亡ということになっている。なのでビザンツの領有権というのはなさげだが、のだが、このあたり領有権は皇帝に帰属していたのだろうか。いや頓珍漢なことを言い出したのは、私、メテオラの修道院を訪問したおりビザンツチン帝国の旗を見たわけですよ。どうも領有権的にはいまだにビザンチン帝国っぽい。他、アトス山とかの領有もどうもよくわからない。
 話を少し戻して、"During Venice's rule, the Greek population of Crete, most famously El Greco"というのがまた微妙で、During Venice's ruleというのはヴェネツィア共和国の施政権を意味すると思うのだけど、ここで"the Greek population of Crete"というのがでてきて、つまり、クレタ島のギリシア人というのが出てくる。ということはエル・グレコはギリシア人なわけです。ピンポーン!
cover
エル・グレコ
バンゲリス
 違うよな、ギリシアができたのは、これもウィキペディアを借りると(参照)、1829年アドリアノープル条約でギリシャの独立が承認されバイエルン王国の王子オットーをオソン1世として国王に据えギリシャ王国として独立した。というのだが、ウィキペディアだと「東ローマ帝国滅亡以来約380年ぶりにギリシャ人の国家が復活した」というのだが、それはあり? まあいいや。で、このバイエルン王国というのは名前から連想が付くようにドイツのバイエルン地方のヴィッテルスバッハ家ということで、つまりここでもあれ、施政権の問題になる。つまり、クレタの人がヴェネツィア共和国とかになると同じ理屈で近代アドリアノープル条約以後のギリシア人ってドイツ人? いやわざとらもあるけどややこしい。(ちなみに近代トルコ建国の父ケマル・アタチュルクが生まれたのはギリシアのサロニカ。)
 たぶん、これは、ユダヤ人とかと似た範疇で、ギリシア人というのは国民という意味ではなく民族名ということだ。というわけで、エル・グレコはギリシア民族のギリシア人ということで、とりあえず落ち着く。とりあえずだけど。
 ただ、市民権としてはどうよ? と。つまり、「イタリアのヴェネツィア、ローマに渡ってティツィアーノに師事し、……36歳でスペインのトレドに渡り、没する」というとき、彼はどの市民権を持っていたのか、あるいはどういう変遷があったのか? 市民権としてはやはりヴェネツィア共和国だったのだろうか。あれ、アイルランド系米国人みたいな感じでいうと、ギリシア系ヴェネツィアでスペインに居た?
 まあ、ネタということもあっていろいろ愚考しているし、ヴェネツィア共和国よりクレタ島に当時事実上の自治権があったかもしれないしよくわからない。
 が、とりあえず、本人に、「エル・グレコさぁ、おめー、なにじん?」と聞かれると、「ギリシア人」と答えたのではないか、っていうか、「エル・グレコ」ってギリシア人という意味なんだが、これは他称であって自称ではないか。
 自称と言っていいかもしれない。彼は作品の署名をギリシア文字で本名で書いていたらしい。先のウィキペディアより。

He usually signed his paintings in Greek letters with his full name, Domenicos Theotokopoulos (Greek: Δομήνικος Θεοτοκόπουλος), underscoring his Greek origin.

 ドメニコス・テオトコプーロスということだが、気になるのはこれって日本のウィキペディアだと本名とかあるが、そうだろうか。父名がロシア人のように入るのが本当ではないのかというか、ギリシアに入国するとき、日本人の俺でも父名を書かされたような記憶があるのだが、違ったか。
 というわけで、ギリシアのウィキペディア(参照)をみると、おお、そもそもエル・グレコなんて項目じゃないや。
 というあたりで、どうも、エル・グレコについての評価だがギリシア人アイデンティティとして評価が進んでいるっぽい。
 というのが実は全部枕の話で、そもそもエル・グレコのことを思ったのは、テオ・アンゲロプロス監督映画「旅芸人の記録」の助監督だったヤニス・スマラグディス(Yannis Smaragdis)が今年エル・グレコの映画を作ったことだった(参照)。ちなみに彼もクレタ島出身。

2007 - El Greco - An International co-production (Greece, Spain, England, Hungary, Italy) about the life of Greek painter, El Greco (Domenicos Theotokopoulos). It is the most expensive co-production in the history of Greek cinematography. Vangelis will compose the original soundtrack. Starring: new British actor Nick Ashdon, Greek actor Lakis Lazopoulos, Spanish actors Juan Diego Botto and Laia Marull and others.

 まさに、the life of Greek painterというあたりだ。つまり、そういうふうに見られるようになったのだと思う。どうでもいいけど、この手の話題はなんかワクワクしてくるよな、俺。

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2007.12.20

韓国今年の話題ベスト10

 こんなにブログを空けてしまったのは足かけ5年のブログ人生で初めてか。この間精神的には落ち込んでいたけど健康です。今日も泳いできました。そんなことはどうでよろし。国際問題とか国内問題でも考えていることもあるが、特に書くほどのことはない。目下一番の話題はコソボ問題かと思うがこれも特に書くほどの意見はない。じゃ何書きましょうかね。自分が面白いと思うことを書くのがいいな、ブログなんだし。というわけで、ラジオ深夜便ワールドネットワークで坂野慎治さんの話にあったサムソン経済研究所のインターネット調査による韓国今年の話題ベスト10(ヒット商品)が面白かったのでそれを。ネットだと18日付中央日報”今年のヒット商品は?…「UCC」「中国ファンド」”(参照)とか。
 日本でも近々話題になりそうな伊予柑おっと予感もするので、あるいはすでに話題かななので、メモというか備忘を兼ねて書いておこう。カウントダウン形式で。

10位 ワイン
 昨年ワインの輸入量は31%アップ、さらに今年もアップしたとのこと。なぜ韓国でワイン? というと健康によいということらしい。どこが健康かというと度数が低い……ほぉ。それと韓国でのお酒の楽しみ方が変わってきたとのこと。
 この話を聞いて私が思ったのは、そういうえば中国人もそんなふうな視点からワインを飲むようになったな、と。けっこう米国人もそういうところがある。

9位 BBクリーム
 元来は皮膚科手術の保護クリームだったらしい。それがファンデーションにもなるということで多数商品化されたらしい。へぇ。それと韓国でも最近では厚い化粧は流行らないらしい。そういうものか。
 というわけで、ぐぐってみるとすでに各種日本語ソースがある。例えば、「韓国で話題のBBクリーム 特集! BBクリーム(ビビクリーム)の情報をお伝えします!」(参照)。
 なんの略語かというとプラミッシュ・バーム(Blemish Balm)ということだ。そちら検索してみるとドイツ製なども出てくる。

8位 ワンダーガールズ
 10代5人の歌手グループとのこと。ヒット曲は80年代リメークの「Tell me」。ローリング・ストーンズ? 80年代じゃないね、ははは。
 ぐぐってみるによくわからない。はてなのキーワードも外している。がこのあたりらしい。「ワンダー・ガールズ【WONDER GIRLS】1集~THE WONDER YEARS!」(参照)。アマゾンとかにはないっぽい。
 きっとようつべにはあるにちがいないと思ったらあった。「YouTube - Wonder Girls - Tell Me MV」(参照)。で、見る。かわいいとは思うし、なんというか一部私の青春時代っぽい感じの少女というかまあ云々だけど、でと、私はそれほど嫌韓じゃないですが、単に個人的な好みとしてこれはちょっと受け付けないです。ソマソ。

7位 トウモロコシの髭茶
 ラジオでの話では、韓国には日本茶みたいな緑茶の習慣はなくコーン茶とか飲むか、飲むならコーヒーとからしい。なので、トウモロコシの髭茶が流行ったのは、コーン茶の延長ではないかとも。
 でも、これはあれ、南蛮毛でしょ。ウィキペディア”トウモロコシ”(参照


めしべの花柱(ひげ)は、南蛮毛(なんばんもう、なんばんげ)という生薬で利尿作用がある。

 ブログとか見ていると”KIM's voice : 懐かしい。”(参照)にこのお茶のペットボトルの写真があった。ハレルヤ食堂とかにもあるかな。

6位 TV番組無限挑戦
 タレントがいろいろ挑戦するバラエティ番組らしい。
 ぐぐると”イ・ヨンエ登場に『無限挑戦』チーム熱狂!”(参照)があった。写真もある。日本でもありそうな番組だが私はケロロ軍曹とかプリキュアとかおでんくんとかおじゃる丸とかアニメくらいしかTVを見ないのでよくわからん。ああ、NHKの報道とか特殊とかアインシュタインの眼とかは見るか云々。

5位 総合資産管理口座(CMA)
 証券会社の預金口座で普通の銀行口座のようにも使える。利子は5%とのこと。
 ぐぐると4日付け朝鮮日報”韓国の証券各社、資産管理口座の金利引き上げ”(参照)があった。


 証券各社は市中金利の上昇を受け、総合資産管理口座(CMA)の金利を引き上げ、人気を集めている。CMAとは普通預金のように預け入れと引き出しが自由で、証券取引も可能な証券会社の金融商品で、今年上期にも年4%台の高金利が設定されていたが、証券各社間の競争で金利が5%台まで上昇した。

 ラジオの話では安全が売りらしい。朝鮮日報の記事を読むと「5000万ウォン(約590万円)まで、預金者保護法に基づく預金保護の対象」とのこと。

 CMAの預金残高は最近、26兆ウォン(約3兆円)を突破し、1カ月に約1兆ウォン(約1180億円)増えた。設定金利の上昇に加え、金融市場の不安定な動きを反映し、行き場を失った待機資金がCMAに流入している格好だ。

 こりゃちょっといろいろ思うことがあるが、マジな話になりそうなので、通り過ぎる。
 それにしても、日本にこういうのないんでしょうかね。あったら、団塊世代に受けるでしょう、団塊世代に。

4位 テレビドラマ「大祚栄」と「太王四神記」
 だそうです。ラジオでは大統領選の年なので英雄が流行ったみたいな話でした。
 私はけっこう古代史が好きなんで、あまりこの手の話題に触れたくないですな、っていうか。あれです、中国様がお怒りそうなネタかもよ。
 大祚栄はあれね。ウィキペディア(参照)を借りると。


大 祚栄(だい そえい、生年不詳 - 719年)は渤海の初代王(在位 : 698年 - 719年)であり、諡号は高王。唐から与えられた称号は渤海郡王であり、忽汗州都督府都督の官職を受けた。

 ステラ購読者の私は「太王四神記」はNHKでやるのは知っていた。”NHK 太王四神記”(参照


物語の舞台は、紀元前から7世紀まで、中国東北部から朝鮮半島に存在した国「高句麗」。
高句麗の人々は、数千年もの間、自分たちが神の国「チュシン」の末裔(まつえい)であると信じ、約束された王を待っていた。
そしてある晩--
ついにチュシンの王の誕生を告げる星が夜空に輝いた。

3位 キム・ヨナ(金妍兒)、パク・テハン(朴泰桓)
 金妍兒はフィギュア、朴泰桓は競泳の選手。韓国では、国民の妹、弟という感じだそうです、はい。
 ちなみに金妍兒については私も海外のニュースを見ていてもいろいろ話題になっていたのを知っていた。

2位 中国ファンド(株式型)
 ファンド形式で中国株に投資ということ。けっこう儲かった人がいるらしい。
 これも日本にありそうだけど、知らない。

1位 UCC(User Created Contents)
 これは、つまり、ようつべみたいなもののことらしい。
 日本だとCGM(Consumer Generated Media)、米国だとUGC(User Generated Conten)だろうか。このあたりの略語の違いがよくわからないが。
 この話は昨年の韓国でもそうだった。All Aboutの昨年の記事”Web2.0時代 UCCに注目!”(参照)にある。


SBSが今月22日から始めたサービスがNeTV(ネッティービー)(http://netv.sbs.co.kr/)です。サイトで提供されているネットTVスタジオを通して、映像と映像、映像とイメージをつなぐだけでなく、字幕の挿入や画面効果など多様な編集もできるようになっています。

 つまり、あれです、ニコニコのネタ元というやつ。

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