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2007.12.14

ポールソン&ウー、国際熟年男女デュエット、熱唱して引退

 タイトルに懲りすぎたかな。大した話ではないけどなんとなく気になっているんでブログに書いておこう。話のきっかけはブログ「債券・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら」(って書いてみてすごいタイトルだよね)のエントリ”正念場”(参照)。私の関心はというと、ごく余談的に触れられているところ。


一方、あまり報じられていませんがポールソンは北京に行ってます。この一大事に東京では無く北京です。ここでも散々申し上げてきた"JAPAN PASSING" がいよいよ現れてきました。いくら球を投げても反応しない日本を相手にするくらいなら、中国の方がはるかにリライアブル、という判断が出ても仕方ないですよね。

 違和感というほどではないけど、ふーむと思った。読み進めてさらにふーむ、と。ちょっといわく言い難いのでぼそぼそとエントリで展開してみる。
 ポールソンの訪中だが珍しいことではない。けっこうしょっちゅう北京に行って鴨食っているじゃないや向こうの人脈と懇親を深めている、のでそれほど注目されていない、というわけでもない。13日付けFujiSankei Business i.”中国・アジア/為替・貿易で応酬「政治問題化」と中国/米中戦略対話開幕”(参照)に比較的まとまった報道がある。さすが香織丹。有花丹・梯子丹といまやブログ界で注目の萌三丹の一紅。

 【香河(中国河北省)=福島香織】人民元問題や貿易不均衡問題、食の安全など米中間の懸案事項について経済閣僚が話し合う「第3回米中戦略経済対話」が12日、北京郊外の河北省香河で開幕した。米側共同議長のポールソン財務長官が冒頭から人民元政策の弾力化を要求。これに対して中国側共同議長の呉儀副首相が、「貿易を政治問題化する試みに断固反対する」と応酬するなど、激しい攻防となった。13日に米中が、それぞれ声明を発表して閉幕する。

 というわけで、ポールソン&ウーの国際熟年男女デュエット熱唱ということだった。そのあたりはもうちょっと先で触れるとして。金持ちまっしぐらのぐっちーさんのエントリだがこう続く。

中国政府は絶対にアメリカ国債を売らないし、安くなったら膨大な外貨準備を使って更に買い増す、位の声明は出るのではないでしょうかね。もしかしたら救済基金を中国が作るかもしれない。日本は完全に乗り遅れ。つまらんことでもめてる場合じゃねーだろ、君たち、と政治家の先生たちには申し上げたい次第です。

 中国が米国債を売る売らないの話は「極東ブログ: [書評]もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する (カレル・ヴァン ウォルフレン)」(参照)で少し触れたことがある。頂いたコメントやトラバなどからまあ売らないでしょうという常識的な話に落ち着いたようだったが、私は多少ウォルフレンに近い考えがいまだにあり云々。
 話を戻して、米国債を絶対に売らないし買い増しもするというのは日本でしょとか思った。日本はそれだけ米国に信頼されているからPASSINGに見えるだけで、米中間の問題はけっこうやばいんでないと、つまり逆じゃないかな。いや異論とか批判ではないんですよ、とまいどまいど口癖みたいに言うのだけど。

因みに今回の訪中には中国経済最高顧問でおられるマンデル先生も同行されているようですし、表向きは人民元の切り上げとかが話題に出てきますが、裏ではかなりディープな話になっているのは間違いありません。

 私も「人民元の切り上げとか」は表向きの話題に過ぎず、裏があるんじゃないかとなんとなく思っている。ぐっちーさんのディープな話は先のとおりなんだけど、私は、あれ、放言になるし裏が取れてないので言うのもいけないんだけど、サブプライム関連で中国がけっこうババを掴んでいるっていうことはないんだろうか、と疑問。一応ネットとかで識者の意見とか見るとそんなことはないよが出てくるのだが、そもそもサブプライム問題というか米国住宅ローンバブルが潰れるのはわかりきったことだったけど、火の手が欧州から上がったあたりはわからなかった。それってみなさん予測できていたのかいな。欧州がババ掴んだのは米国の田舎みたいに土地勘のないものにカネをツッコンだからで博打みたいなもん。そういう、博打みたいにっていうか、博打っていうと人生変わるタイプの国民性って言えば、みたくつらつらと思っていた。
 まあしかし、問題というのは表面化するから問題なんで隠蔽したり先延ばししておけば安心できる。いいんじゃないかみたいな。話をポールソン&ウーに戻す。そちらが本題。香織丹記事の解説欄に米中戦略経済対話があるが。

【用語解説】米中戦略経済対話
 ブッシュ米大統領と胡錦濤・中国国家主席が2006年に創設を決定した、財政、金融、貿易、環境、厚生、農業などの閣僚級が一堂に会する経済協議の枠組み。半年に1度のペースで米中交互に開催しており、今回が3回目。ポールソン財務長官と呉儀副首相が共同議長を務める。短期的成果を目指す交渉とは異なり、長期的視野に立って中国の貿易黒字の元凶である輸出主導の経済構造を内需主導に転換することを目指す。ただ米議会の関心が高い人民元の柔軟化は遅れており、戦略経済対話(SED)を基軸とするポールソン長官の対話路線は目に見える成果を上げていないとの批判は根強い。(香河 時事)

 ポールソン&ウーが主役です。ポールソン、成果を上げていません。ウーさんはもうすぐ引退しまーす。
 仇役ポールソンはどう考えているのだろうか。日本版ニューズウィーク(12・9)periscope”中国通の米財務長官を阻む壁”より。

アメリカの対中交渉の舵取りを行うという条件で、ゴールドマンサックスのCEO(最高経営責任者)を辞めて財務長官に就任したが、北京ではしかるべき人物に会うことすらままならない状態だ。


 温家宝首相は対米交渉の責任者になることを拒み、代役を押しつけられた呉儀副首相はもなく引退する見通し。さらに彼女の後任と目される張徳江広東省党委員会書記は、北朝鮮の金日成大学で経済学を学んだ人物で自由主義経済主義者には程遠い。

 というわけで、東洋の国にありがちな、いざとなったら要人はバックれ状態になっている。どうするのだろうか。

 米財務省関係者は、最終的に李克強遼寧省党委員会書記が中国側の交渉責任者になるのを期待している。

 という文脈で李克強が出てきた。
 というあたりで、私は少し溜息をつく。このブログでは彼に注目してきた。「極東ブログ: 胡錦涛政権の最大の支援者は小泉元総理だったかもね」(参照)、「極東ブログ: 中国共産党大会人事の不安」(参照)、「極東ブログ: 小沢民主党辞任問題で些細な床屋談義でもしてみるか」(参照)。こうした流れで見ると、米中戦略経済対話が創設されたころは胡錦濤から李克強という流れで米国と協調できる線は見えていたのかもしれない。だが、その線はもう潰れたんじゃないだろうか。
 ニューズウィークの記事はこう締められている。

だが、今回の対話が米中関係の永続的な枠組みになるというポールソンの構想は崩壊した。優位に立つ中国が他国に恩恵を与える気配はない。
 こうした中国への試みは09年にブッシュ政権とともに消え去る運命にあるらしい。

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危ない中国 点撃!
福島香織の「北京趣聞博客」
 ポールソン構想はとりあえず終わったのだろう。だが、それは中国が優位だからという文脈なのだろうか。ポールソン苦戦の米国側背景には米議会の問題がある。保護主義だ。米大統領選挙がどうなるのかよくわからないが、共和党・ブッシュ・ポールソン・ゴールドマンサックスみたいな連携プレーは自滅とまでは言えないけど、もう力尽きたんじゃないか。で、保護主義がしだいに米国でヒステリー化してくるのだろうか。米国のクリスマスの中国輸入品騒ぎを見ていると、そんなことを思う師走なのであった。

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2007.12.11

なんとなく最近iPodで聞いている曲 その2

 以前、「極東ブログ: なんとなく最近iPodで聞いている曲」(参照)を書いたけど、その後のなんとなく最近iPodで聞いている曲という話。前回同様、特にテーマもなければテイストもないし、そんな好きな曲ということでもないのだけど、という感じで。

花篝り 滴草由実

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花篝り
 滴草由実という歌手についてはまるで知らなかった。ウィキペディアをみると1984年鹿児島県生まれとのこと。面立ちを見ると気のせいか以前仕事の同僚だった鹿児島県出身の女性に似ているような気がする。歳は23歳。若いけどすごい歌唱力がある。「花篝り」はテレビ朝日系ドラマ「京都地検の女」主題歌とのこと。サビの部分についてはなんとなく聞いたことがあり、たまたまiTMSで見かけて買った。聞いてみて驚いた。複雑というのではないが曲の途中で不思議な印象の作りになっていて、昔聞いた70年代ロックを連想させる。それがなにか思い出せないが心の奥底から興奮させられる。それとこの曲はもしかして、と思ったらやはり大野愛果だった。「Time after time花舞う街で」(参照)似たテイストがある。ついでに滴草由実の曲をいくつか聴いたが、「I still believe ~ため息~」(参照)もよかった。「名探偵コナン」エンディングテーマとのことだが、お子様向けの歌ではない。

あなたに贈る詩 諫山実生

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あなたに贈る詩
 諫山実生についてもなにも知らなかった。ウィキペディアを見ると「あなたに贈る詩」はKBS京都ドラマ「ランブリングフィッシュ」エンディングテーマとのことだが、女性の心情が詞・メロディ・歌唱に一体的に表現されていて心に響く。調べてみると作詞作曲は彼女自身によるらしい。私のように50歳にもなった男が言うこっちゃないが、この曲を聴きながら自分の内面にまだ20代前半の自分の像が浮かぶ。そして27歳の彼女が自分より年上のように感じられる。なぜそう感じられるのかというのはとてもパーソナルな理由がある。他に、「手紙」(参照)もしんみりくるものがあった。

Heart Flower しおり

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Heart Flower
 しおりの本名は金城しおりさん。うちなーんちゅ。彼女の曲を私が聴いているのも沖縄への思いが曲によく出ているからというのと、まあいろいろな思いがある、うまく言えないが。それとなんとなく知り合いを二人くらい仲介すると案外私は彼女の知り合いになれるかもしれないという予感。あえて手繰らない。Heart Flowerはピアノ伴奏だからというのと歌唱もキロロに近い印象がある。ウィキペディアによると1987年生まれ。先日二十歳になった。親御さんは私より若いかもしれない。

Raining Cocco

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Raining
 Coccoについては知っている。というか、沖縄で暮らしているころから知っている。率直に言うと、彼女についてはなかなか微妙な思いがあってうまく言えない。この曲は古い曲だが、たまたまマルコ青年のブログで見かけて、そういえばと思ってiTMSで買って聞いていた。マルコ青年は歌詞中の「きっと泣けてた」に関心を持っていたみたいだが、私はそれはなんとなくわかるような気がしている。この曲には沖縄の雨のなかに生きる人間のいとおしさみたいなものがある。というか、沖縄の女性の難しさみたいのも考えさせられる。

願い Fayray

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願い
 Fayrayという歌手についても何も知らない。この曲は日本テレビ系ドラマ「乱歩R」主題歌とのこと。もう10年以上もドラマとか見ないのでまるで聞いたこともない。この曲についてはchanmさんの日記でなんとなく見かけて、ちょっと気になってiTMSで買った。声質と歌唱が好きでなんとなく聞いている。この曲や彼女が好きかというと、嫌いではないけど、奇妙な違和感はある。その違和感がなにかよくわからない。

if... mink

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beautiful
 minkという歌手も知らない。たまたまiTMSで見かけて、随分と情の濃い歌唱だな、いつの時代の人だろうと関心を持った。調べてみると1984年生まれ。私より若い。そして韓国人の女性だった。この曲if...はアルバムはbeautifulに含まれているものでシングルはないようだ。beautifulもいい曲なのだが、if...の歌詞に心惹かれるというか、minkの歌唱でこの歌詞を聞いているとくらくらしてくるものがある。作詞はYukiko Mitsuiとあり三井ゆきこという人らしい。調べるとブログがあり、覗くと(参照)、小学校高学年の頃ゴダイゴの「ビューティフルネーム」を聞いたとある。私より8歳くらい歳下のかただろうか。なんとなく同世代的な情感もある。

リンゴ売り 中村中

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リンゴ売り
 中村中は情感が強すぎて少し避けたい感じもしていたが、やはりこれを聞いて、なんというのか内臓をえぐられるような強烈な逃れることのできない情感を感じた。どうしてこんな恐ろしい音楽ができるものか驚く。ウィキペディアを見たら、「19歳の時に出来た曲で、もともとはアマチュア時代に自身のサイトで公開していた楽曲であった」とあった。あらためて人間という存在はなんだろうか、孤独とはなんだろうかと、自分も自殺しかねたティーンエージのころを思い出す。

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2007.12.09

[書評]わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク) その2

 明け方最近少しダイエットしたんだけどという大天使ガブリエルがやってきて、どう、最近?とか聞くので、いやちょっと今年のクリスマスはみんな財布のひもが固いんじゃないかな、とか世間話をしていたが、どうもガブの顔が暗い。ちょっと言いにくそうな話がありそうだ。なんかバッドニュースとかあるんじゃないの、俺の人生今朝で終わりって知らせとかさ、と水を向けてみる。ガブはようやく少し笑っていや些細ことなんだよ、と言う。昨日の極東ブログのエントリはちょっとフェアじゃないなって思ったんだけどさ、天使がそんなことを言ったとかいうのはそれもちょっと変じゃないかと思って。ガブの目線がオカマっぽい。私は、そうか、と頷く。お気遣いありがとう。大丈夫だよ、アルファブロガーとか言われているやつはキチガイFAってことなんだから。

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わたしたちはなぜ
「科学」にだまされるのか
 というわけで、昨日の話、ちょっとフェアじゃなかった。反省エントリを書こう。というか、あれは実際にはネタで書いたものだった。最近あれだ、どなたか反語が通じねえなとか書いていたがが、ギャグとかネタとかユーモアも通じなくなったな。あれかな読解力の低下なんていうのはブログの世界にもあるのか。っていうか、読解力ない人に避けてただくためにわざと長文(これで長文かよ)で読みづらく書いている親切心も通じない←ってなねじくれたギャグは通じない。ネットの世界だとあれだよな、サヨク的に既存権力を上面で腐しているくらいのブログのほうがいいんだろう。わかりやすくて。
 さてと。どこがフェアじゃなかったか。簡単にいうと、「わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク)」参照)は良書ですよ。パークみたいな人は得難い。アライグマ観察のユーモアもだけどというより、ずけずけときちんと妥当な科学の水準を、社会的バッシングなどものともせず述べている点をきちんと評価しなかったことだ。パークをおちょくりたい気持ちになったのは、科学というのは細分化しているので、科学者といえども他分野のことはわからないし、科学という一般性を大衆に対峙させるとき必然的に疑似宗教化してしまう傾向がありそうだということだ。このあたり、いただいたトラバを見ると理解されていないっぽい感じもした。単純な話、これが偽科学のリストですよぉみたいのを信じちゃったら偽科学への対応と同じ盲信だし、そのリストが微妙にイデオロギー的な偽科学を排除していたら、変でないのと思うしかない。
 今朝方「わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク)」をまたつらつらと読み返して、その宇宙ステーション関連の話に、少ししんみりくるものがあった。ディスカバリーのグレン飛行士に関連してこうその章を締めている。

 記者会見でグレンは、前回の旅と比べて変化を感じた点について語った。もちろんスペースシャトルは、狭苦しいマーキュリーの宇宙カプセルとは似ても似つかない。だがこのミッションの本当の象徴的意味は、三十六年が過ぎても、ジョン・グレンは前回より一二〇キロ程度しか遠くに旅ができなかったことである。アメリカの宇宙飛行士は低地球軌道に取り残されており、廃線となった鉄道のレール脇でけっして来ない列車を待つ乗客のように、科学の進歩に迂回されている。

 このあたりの吉田兼好的なわびさびな陰影が実は本書のよいところのひとつだ。
 政治と科学は違う。科学というのは描いた夢のうえにHTMLのdel要素のように打ち消し線を引くものだ(いや打ち消し線かどうかはCSSが決めることとか些細なツッコミすんじゃねえよ)。

 ところが反対に、政治家は未来を約束したがり、そこにわれわれを連れていく政策をたてようとする。宇宙開発において、科学者と政治家が達成しようとする目的は根本的に異なる。双方のあいだに広がる溝は深まるばかりである。政治家に押しつけられ、世界一六カ国が<国際宇宙ステーション>に参加しているが、この一大科学プロジェクトは各国の科学者の嘲笑の的である。

 そういうことだ。
 だが、本書の出た2000年から時代が少し変わったかもしれない。溝は別の方法で埋められているのかもしれない。つまり科学者が政治家になったり、巧妙に科学者の総意とかで政治が語られたり。そして科学者ならかつては嘲笑した対象が嘆息に変わっている。
 私はパークに、MDってどうすっか?と聞いてみたい感じがした。ミサイル防衛システムって偽科学でしょ?
 偽科学を批判するなら日本国家が加担している、こういうふざけたしろものを批判すべきなのだが、だが、なかなかそういかない現状はある。私は自分では他人がそう思っているほど気違いではなく常識人の振るまいをして密かに内面の狂気に戦っている凡庸な近代人と思っているのだが、MDは偽科学だと思っている。でもそれを信じさせようとする政治的な意味が理解でないわけではないし、またそれをそのレベルで反発している勢力も同様に愚かな人々だと僅かに苦笑する。マジで苦笑はしない。自分が苦笑的な存在だから。そしてブロガーなんてお笑いじゃないですか。アルファブロガーとかの選定条件に気違いおkが入った時点でお笑いやるしかないじゃないですか。
 以上はまたしても前振り。
 実は、ガブのフェアネス指摘でずきんときたのは、本書を買うに至る90年代のことを思い出したからだ。本書のクライマックスは「第7章 恐怖の電流」にある。この部分だけ、一学期かけて中学校で勉強したらどれだけ日本はよくなるだろうと思う。
 不思議だなと思うのだが、メディアやネット、いやリアルと言われている世間の空気を感じていても、みんな90年代のことを忘れているんじゃないかと思うことがある。私は95年には東京を離れていて七年後に東京に戻った。最初の二年くらいは東京に馴染めずそしていまでも馴染めないということに馴染めるようになった。別の街だ、と思うようにしている。が、それでもなんか大がかりなトリックにあっているような気がする。それは個人的な印象の比喩なんだが、そんなふうに、なぜみんな90年代の記憶が欠損しているのだろうかと思う。いやもちろん、そんなことはない。ある程度の年代の人なら記憶が抜けているわけではないのだが、徐々にある何かに慣らされているのではないか。
 脇道にそれそうだが、そう思うのも90年代には電磁波がもたらす健康被害がけっこう話題になっていた。話は米国からも流れていた。理性的と思われている大手メディアから偽科学が発信されていた。

そもそも、送電線とガンの関係について国民のあいだに不安が広がったのは、この記者会見の七年前、一九八九年にブローダーが《ニューヨーカー》に連載した衝撃的な記事が原因だった。すべての事の発端は、ブローダーであった。
 ポール・ブローダーがいなければ、科学アカデミーが三年ものの歳月をかけて綿密な調査を実施することもなかっただろう。

 90年年代にはこの問題がまことしやかに語られた。今では忘れ去られている、不思議なほど。まるで記憶の欠損のように。私はこの結末が知りたくて本書を読んだものだった。

 「電磁場が危険ではないという、決定的な結論は書かれているのですか?」と、ひとりの記者が質問した。「否定の命題を証明をするのは、困難なものです。長期にわたり送電線の電磁場にさらされることと、ガンとのあいだに明白な関係が見つからないとしても、ある種の人々が生まれつき電磁場から悪影響をうけやすい可能性はないのでしょうか? ほかの環境要因がからむと、電磁場が危険性をおびる可能性は?」
 だが、そうした可能性をいいたてればきりがない。新しい疑問が生ずるたびに、科学者がひたすら調査を重ね、答えを見つけるしか方法はないのだ。そして調査を終えたとたんに、「もっと感度の高い測定器を使用し、もっと広い範囲を調査すれば、ちがう結果がでるのではないか」と質問の矢が飛んでくる。いったい研究者はどの時点で関係を見極めればよいのか? 関係があっても、立証するにはデータが小さすぎるのか? 危険性があるとしても心配がないほど影響は微々たるものなのか?


 「送電線とガンとの統計関係が説明できないのなら」と、ある記者が食いさがった。「『慎重なる回避』という本心が、あてはまるでしょうか?」
 「慎重なる回避」とは、カーネギーメロン大学のグランジャー・モーガン教授による造語である。モーガンは、電磁場がわが子の健康に悪影響をおよぼすのではないかと心配する親たちに向かって、「慎重に、懸命に避けなさい」と説教しながら国中を回った。おかげですこし名を売ったが、それは解釈の仕方により、どうとでもうけとれる言葉だった。電機製品の使用をやめ、ろうそくを使えということか?


 送電線は人体に害をおよぼすと信じこみ、送電線を糾弾する「送電線活動家」と化した人たちから圧力をうけ、環境保護局(EPA)は人体が電磁波にさらされる「安全の限度」を設定しようと、調査委員会を招集した。たしかに、どんな環境要因――放射線、化学製品、微粒子――を設定しようと、その安全の限度を設定するだけなら、いとも簡単だ。限度を低く設定すれば、害があるとはとうてい思えないからだ。だが、その限度をすこしでも超えれば、その定義は「安全でない」に変わる。


現実に即していない安全限定――やたらに低い安全限度――を設定すれば、社会に経済的な負担がかかる。それどこか、新しい危険が生ずる可能性がある。なぜなら、人間はひとつのリスクをほかのリスクとすり替えようとしているからだ。

 引用しながら、ガブの気持ちがわかってきた。偽科学は信じなくても天使の言うことは信じるものだな。パークの話は電磁波だが、これを日本のBSE騒ぎや、昨今の食の安全に置き換えても同じことが言える。いや正確にいえば、かなり同じことが言える。違う部分もあるにはあるが。
 私は、パークの勇気を借りて、もうちょっと率直に言うべきかもしれない。偽科学をバッシングするなら、なぜこういう問題、BSE騒ぎや食の安全とかの馬鹿騒ぎの偽科学性をバッシングしないのだろうか、と。水の結晶が何かを語るかどうかは、私と大天使ガブのおつきあいのようなもので害のない気違いというだけのことだ。恋人が社会的にブ男でもブスでもどうでもいいみたいに個人の生き方の選択。そんなの関係ない。関係のあるのは、社会の関わりのなかで偽科学がなにをしているかだ。そして、私が危惧するのは、どうでもいいバカネタが偽科学バッシングになることで、偽科学への健全な批判性が覆われてしまうことだ。
 あたかも記憶の欠損のように。

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