« 2007年10月28日 - 2007年11月3日 | トップページ | 2007年11月11日 - 2007年11月17日 »

2007.11.10

[書評]ウェブ時代をゆく(梅田望夫)

 「ウェブ時代をゆく(梅田望夫)」(参照)は当初思っていたより重厚で読み応えがあり、また提示されているいくつかのダイコトミー(二分法)が多少錯綜するかにも見えるので、図解的に整理してみたい気分にもなった。が、そうしていると読後の記録を逸しそうになるので、強引だが取りあえず自分の思いの側からエントリを書いておきたい。

cover
ウェブ時代をゆく
いかに働き、いかに学ぶか
 読者対象はIT系志向の30歳から45歳の働き盛りのビジネスマンだろう。彼らに今後進展するウェブ時代の傾向と、どのように働き生き抜くかという課題を提示し、著者の知識と経験から具体的な対処の手法を各種示唆している。いくつかの部分は昨今流行のライフハック的な箇条書きにもまとめられるだろう。
 本書の目論見は、twitterで対象範囲の読者たちの感想を私が散見した範囲では、正面から受け止めている。だが実践面で本書が説く「けものみち」、つまり大企業から離れて職業人として生きていく進路には、さらにきめの細かいノウハウも必要になるだろう。この年代のビジネスマンは、仕事と並行して、恋愛、結婚、出産、育児といった本書のテーマの範囲外の部分の負荷もかなり高くなり、職業的な側面だけに集中はできない。
 本書は書き手の側から想定された読者にはかなりの説得力を持っているが、その圏外から少し離れた読者層についてはどうだろか。圏外といっても30歳未満は捨象し、45歳以上の知的なビジネスマンとウェブ世界に関連が薄い30代のビジネスマンを想定してみたい。というのは、前著「ウェブ進化論」が強い支持を受けたのはこの層に思えるからだ。彼らが本書に期待するのは、今後の産業界や技術進歩の経済的な概観だろう。大きな改革が起きるとしても、それは金銭にしてなんぼ?ということ。ウェブの未来は、何兆円ビジネスで、どのくらい各種ビジネスに影響があるか。
 この問題は導入的に言及されているものの、当面の結論はあっけない印象も与える。ざっと読む限り、現状の延長から見るなら、グーグルに代表されるウェブの世界のビジネスは、広告収入が基本になるだろうという程度の話に終わる。現状の広告市場の世界全体規模は50兆円。近未来の2015年を想定して60から80兆円。内、ネット広告が10兆円程度だろうとしている。
 直接触れてはいないが、この10兆円のパイの大半はグーグル一人勝ちということになりかねない。グーグルはやはり現行の株価に見合った未来を先取りしている企業ということの確認にもなるが、逆に言えばそこで食える他社は想定されにくい。日本については、ヤフーがグーグルより上位に来るという特徴があるものの、それでも量的に見れば日本のネット広告のシェアはたかだか1兆円で、他産業に比べるとお話にならないほど小規模である。とすれば、本書の周辺的な読者にとって、ウェブへの期待自体少なくなるだろうか。
 この問題は、本書では「経済のゲーム」と「知と情報のゲーム」として切り分けられ、経済面での関心が薄れることもある程度想定されている。

 グーグルが何ものなのかをだいたい理解し、影響する経済についての規模観が「広告産業のサブセット」程度だとわかったとき、旧来型メディアの大半は「経済のゲーム」という観点からは興味を失っていくはずである。すでにその兆候は出始めているように思う。しかし、現実には、これから本格的に「知と情報のゲーム」が始まる。

 経済のゲームとしてのウェブ時代はこの程度の規模なのだろうか。この問題視点に私がこだわるのは、本書が精神論的な啓蒙書に終始するのではなく、若いビジネスマンに「けものみち」を説き、ウェブ時代に食っていく戦略を問うなら、「食うこと」イコール経済がもっと大きな規模で必要になるからだ。
 著者自身、先行したかたちでウェブ時代で食うことに成功した実例であり、本書では彼がいかに食ってきたかという手の内も詳しく語られているが、そうした「けものみち」を可能にするインフラとしての「経済のゲーム」の全体像はどうなるのか。本書はその部分の概括が薄いとはいえ、射程が届いていないわけではない。話題の展開上、グーグルに限定されているものの、広告産業としてのウェブ時代に対して、別の側面も想定している。

 「世界中の情報を整理し尽くす」という「存在意義」と表裏一体となった「広告業界の覇権獲得」という「一つ目の顔」がメディア産業を脅かすの対して、「コンピューター産業を作り直す」という「二つ目の顔」が競争を仕掛けるのはマイクロソフトが制しているIT産業の覇権であり、ひいてはIT産業全体の構造を脅かすのである。

 明白に触れられていない部分を勝手に敷衍するなら、ウェブ時代の「経済のゲーム」は、現行のIT産業構造の変化から生み出されうるものだ。
 それはEUによる独占禁止行政がマイクロソフトを変質させることになるように、やや大げさな言い方だが、超国家への人類の模索という大きな原動力に根を持っており、ウェブ時代もその派生の一つであるかもしれない。
 マイクロソフトのような占有的なITビジネスが解体するということは、どのようにその富が分散されるかということになる。その意味で、このマイクロソフトのビジネスモデルを理解しておきたい。それには生成の三つの段階で整理するとわかりやすい。(1) 4KほどのBASICをOEM販売し大企業からカネを得、(2)西和彦の示唆で買い取ったDOSを同様にOEM的に撒くことで実質パーソナルコンピューターという存在に人頭税をかけるモデルを作り上げ、(3)その上で他社ビジネスアプリケーション市場を食い尽くす(ひろゆきがマイクロソフトはオフィスで食っていると耳学問したように)。この三段階で現在のマイクロソフト帝国はできた。いわばこれは国家を閉じるように市場を閉鎖し人頭税のように収益を得る「国家の税モデル」だった。
 IT産業全体の構造変化というより、税的モデルが変化すれば現在の「経済のゲーム」が変わる。あるいは新しい税のモデルが勝利者となる。そうした大きな経済のゲームの変動が、個々人をどう食わせるようになるのか。現状まだその変動までは見えてこない。だがその変化から、食っていける「けものみち」が多様に見えてくるときになれば、多くの人が自然にその道を歩みだすだろうし、本書はその過程でさらに深い意味を持つようになるだろう。
 読後個人的にだが二人の思索家を思った。一人はおそらく著者が知っていて書くのを控えただろう森有正だ。ウェブの世界では好きなことへの没頭があるという文脈で彼はこう語る。

 同じ「好き」といっても、ただただ受動的にネットと付き合い、だらだらと受身で何かをし続けるだけでは、そういう変化は人生に訪れない。石黒やウェールズやクレイグの生活を見ればわかるように、主役たちはおそろしく勤勉である。しかもそれが誰かに「強いられた勤勉」ではなく「内からの促しに従う勤勉」だから強いのだ。

 「内からの促し」は森有正の思想を受けているだろう。たとえば「思索と経験をめぐって」(参照)でこう語られている。

 私どもはかならず内側の促しを持っている。それに応じて私どもには経験というものが提示されてくる。それに名前をつけるために言葉というものが出て来る。さらにその言葉自体が一つの体系を成してくるとそこには思想というものが生まれてくる。思想になった時に始めて、私どもが内側に促しとして持っていたものが、だれもが参与することができる思想というものになる。これが私は人間の一生というもので、彫刻家であろうと芸術家であろうと、あるいは商人であろうと、なんであろうと究極の人生で生きる意味はそれしかない。

 この先に森はある恐ろしいことを語る。

 そういう一種の内的促しによって、私どもは右にも左にも動く。その一番大事なことは、日本という国は昔から内的促しを殺しに殺し続けてきたのです。

 著者の心のなかにこの森の言葉が響きつづけていたと私は確信しているし、人生の収穫を得る時期になって、彼はその内的な証言を具体的に語ってみたかったのだろう。
 もう一人の思想家はマイケル・ポランニである。著者が直感として語る部分は、ポランニのいう「個人的知識(Personal Knowledge)」に隣接している。以下本書の引用の文脈は「群衆の叡智」についての批判である。

 「群衆の叡智」とは、ネット上の混乱が整理されて「整然とした形」で皆の前に顕れるものではなく(いずれウェブのシステムが進化すれば、そいうことも部分的に実現されるだろうが)、「もうひとつの地球」に飛び込んで考え続けた「個」の脳の中に顕れるものなのだ、私はあるとき強くそう直感した。「新しい脳の使い方」の萌芽を実感した瞬間でもあった。ネット空間と「個の脳」が連結したとき、「個」の脳の中に「群衆の叡智」をいかに立ち顕れさせるか。この部分は確実に人間の創造性として最後まで残ってくるところのように思えた。

 別の箇所ではウェブなどのIT技術に一人の人が人生を賭けるとき、道が開けるという話があるが、それこそポランニの言う「個人的知識」を特徴つける関与(commitment)の強い形態だ。
 ポランニは、知識や科学的知見と呼ばれるものが個々人の人格から独立・可換なものとして提示されることに疑問を持ち、知識というものは、人がその内的な直感と経験から「これが正しいに違いない」という関与の賭けが実現してたものと考えた。別の言い方をすれば、科学とはその創造的な生成において個人的かつ人格的な契機を持つ、と。
 著者の直感がすべてポランニ思想に内包されるわけではない。むしろ「群衆の叡智」が「個」に現れるというとき、ポランニのいう暗黙知(tacit knowing)のより明確な経緯が見えつつある。ポランニは探求者の社会(society of explorers)として個とそれを支援する形というか公正な社会制度に理想を見た。しかし、人類を推し進める力は、それを政治制度的な迂回を取らず、グーグル的な技術の手法によって(つまりゲシュテル的な力)、「群衆の叡智」に個が暗黙的に浸される社会を生み出すことになった。あるいは、ネットという空間がそれを可能にした。
 森有正とポランニとグーグル、飛躍の多い三題噺のような話になったが、本書「ウェブ時代をゆく」は、現在の30代以降の若いビジネスマンが、内的な促しによって生きること、食うこと、そしてそのためにネットの叡智のなかに浸り、自分を賭けてみること、そうしたことに直面したときに、その先駆者から強い援助のメッセージになっている。

| | コメント (0) | トラックバック (6)

2007.11.07

小沢一郎民主党代表辞意撤回の感慨

 一昨日そういえば小沢の辞意撤回ってあるの?と訊かれた。ないよと即答した。「断言できる?」「いや、断言は、できない」。
 なにかは起きると確信していた。今回の件はどうも見えない部分がある。自分の書いたエントリも思い出した(参照参照


小沢ワッチャーの一人として私が思うのは、彼の命を支えているのは政権交代だけだろうから、そのために彼は最後まで忍耐するだろう、というあたり。


 私は今回の件では当初、小沢さんご苦労様でした感があり、小沢もがんばってもここまでかと思っていた。だが、たぶんまた小沢を中心として激震が続くのではないかと思うようになった。それを期待すべきかどうかはわからないにせよ。

 そして昨晩、辞意撤回の報を聞いた。驚いたといえば驚いたが、今の小沢は政策に関しては党議を優先し単独行動はしない(だがやや今回はグレーな部分はある)。今回の「大連立フカシ」にしても、そういう話があるなら党に持ち帰って検討します、というだけのことだ。辞意についても党に預けたのだし、その回答がこうなったのも、党の総意というだけのことだ、とも言える。昔の小沢ならこれを恥に思っただろうし、今の小沢も恥に思っていると言明した。そしてそれはまさに政治家としては恥としか言えないものだ。だが、そこまで党のために私心を捨てたのだと私は思うし、飛躍した言い方だが、渡部恒三さん、ありがとうと思った。
 マスメディアやネットを覗き見るに、小沢への風当たりは右派左派強い。そんな空気のなかでブログにべたな小沢支持を書くのも我ながら阿呆な気がするが、もう少し書いてみよう。今回の問題の本質は小沢ではないと私は思うからだ。
 辞意撤回に関して、特に今回の密談に至る経緯については、本人の言葉をやはり聞くべきだろう。産経新聞”「2カ月ほど前、さる人から呼び出し受けた」小沢氏会見の詳報(1)”(参照)より。

それから、事実関係について申し上げます。今まで私は、内々、政治家同士でも何でも、内々で話したことについてはいっさい外部に漏らしたことはありません。しかし、こと、こういうことでありますので申し上げますと、2カ月、正確な期日、調べればわかりますが、2カ月前後前だったと思います。さる人から呼び出しをいただき、食事を共にしながらお話をうかがいました。その内容は、もちろん、お国のため大連立を、というたぐいの話でありました

 「さる人」はナベツネだろうかわからない。いずれにせよ、その「さる人」は総理を動かしているフィクサーだ。

私も、大連立に対しての会話を別にして、私が申し上げたのは、われわれ民主党は、参院選でみんなで力を合わせて、大きな、国民のみなさんから議席をいただいたと。衆議院もみんなと力を合わせてがんばろう。勝てると。こういう雰囲気のなかで前途がありますと、いうことが1点。それから、そういうたぐいの話(大連立)は、現実に政権を担っている人が判断することであって、私どものほうからとやかく言う話ではありませんと。その2点、申し上げました。それから、しばらくしましてから、先月、半ば以降だったと思いますが、また連絡がありまして、福田総理もぜひそうしたいと、いう考えだと。ついては福田総理の代理の人と会ってくれと。いう話がありました

 「総理の代理の人」というのが出てくる。どんな人なのか。続く言葉では「むげにお断りできる相手の方ではない」というくらいど偉い人らしい。戦後軍服で国会に登場した中曽根康弘海軍主計元少佐さんだろうかわからない。追記 その後の報道で森元首相らしいとのこと。

そこで、私もとにかく、むげにお断りできる相手の方でもありませんでしたので。最初に私を呼んでくれた人ですよ。じゃ、参りますといって指定された場所に行きました。そして私は、ほんとに総理はそんなことを考えておるのかと質問をしました。総理も、ぜひ連立をしたいということだと。だから、あなたも本気ですかと。総理の代理という方に。あんたも本気なのかと、いう質問をしましたら、おれも本気だと、いう話がありました。いずれにしろ、総理がそういうお考えであるならば、どちらにしろ総理のほうから、直接お話を伺わなければ、というのが筋ではないでしょうかと返しました。そして、あの党首会談の申し入れとなったというのが、事実でございまして、それが誰であるとか、どこであったかとか、私の口からここで申し上げませんけれども、それが事実であり、経過であります

 いずれにせよ「さる人」と「総理の代理の人」の二段構えで総理との党首会談を受諾したということだ。
 これが小沢個人の独断判断であれば、党を無視したスタンドプレーとして小沢は責められるべきだろうと私は思う。だが、私は、この受諾には党幹部も合意しているのではないかと推測する。むしろ小沢はそうした党幹部の泥を被って事実上の政治生命の終わりとしたかったのではないかとも思う。
 この密談の経緯のなかに、今回の騒動の本質が潜んでいる。
 安倍元総理が命をかけて小沢との密談を望んでもなんの変化もないのに、福田総理に切り替わるともそっと人間モドキ(マグマ大使)のようにわいてくる「さる人」と「総理の代理の人」とはなんなのか? フィクサーと言う以外ない。こんなものが国策の根幹にぬっと現れるのが日本国なのだ。そこがこの騒動の本質だ。
 小沢自身もそうしたぬっと出てくる人間モドキのような政治に根を持っている。それをいうなら民主党も同じだ。だから、「さる人」と「総理の代理の人」を断れない。
 だから、そんな党は否定しろと小沢をバッシングする勢力がある。また小沢をからめとることに失敗した勢力も小沢を潰しにかかる。右派左派といったところだろうか。
 小沢も安倍ボクちゃんのように、右派左派の罵声のなかで、ぺちゃんと潰れるものだろうか。
 そうして潰れるものは「美しい国」みたいな金メッキだろうか。
 当の小沢は何と言っているか。今回も小沢は判を押したように同じことを言う(参照)。密談の経緯の文脈で。

まずはテロ対策特別措置法の話から入りましたので、その中で、安全保障政策、平和貢献のことについて首相が今までの政府の考えを180度転換する、憲法解釈を180度転換するということをその場で確約を致しました。もちろん、首相にとっては連立が前提ということだと思います

 私は小沢の捨て身で得たこの言質を評価している。大連立はなくても、自民党政権では「安全保障政策、平和貢献のことについて首相が今までの政府の考えを180度転換する、憲法解釈を180度転換する」と言ってのけた。
 極論すれば小沢なんか消えてもいい。その政治理念だけを継いでいけばいい。そこで忘れてはいけないのは、この言質をどう日本国家の中に樹立するか、その道はどうあるべきか、ということだ。

追記
 8日付朝日新聞”渡辺読売会長と森元首相が仲介 小沢氏に「大連立を」”(参照)によれば、「総理の代理の人」は福田所帯の首領森元首相とのこと。福田の立役者なのだから、森元首相と考えるのは妥当のように思える。ただ、私はそのウラで中曽根が動いていたように思う。


 しかし、小沢氏は首相との会談に傾く。しばらくして渡辺氏が「首相の代理と会ってほしい」と提案。小沢氏も「今の段階では首相とは会えない。首相が信頼し、自分も親しく話せる人が良い」と乗った。首相の代理は、渡辺氏と連立構想を語り合ってきた森元首相だった。
 10月下旬、都内で小沢氏と森氏は顔を合わせた。

 追記に併せて、昨日鳩山が出席するテレビ報道番組をなにげなく見ていたら、彼も某氏より大連立を打診されたと話していた。小沢を庇いたい心情かもしれないが鳩山もよく言ったなと思った。

| | コメント (9) | トラックバック (1)

2007.11.05

小沢民主党辞任問題で些細な床屋談義でもしてみるか

 小沢民主党辞任がらみのウラについて少し素人の推測をしてみよう。あくまで一線踏み出した推測に過ぎないのでご関心のあるかたは適当に、つまり床屋談義程度に受け止めてほしい。
 今回のどたばた騒ぎには、福田と小沢に加えて、読売新聞という大きなプレーヤーが介在した。もちろんその背景の勢力も存在する。昨日の小沢の辞任発言では、朝日と日経以外という限定で日本のジャーナリズムに向けた怒りが含まれていた。なぜ朝日と日経なのか。怒りの対象として読売を名指ししなかった点も興味深い。詳しく見ていくと日経なども読売のフカシをフォローしており、報道に慎重だったのは朝日とNHKであったようにも見える。もちろん小沢の勘違いはあるかもしれないし、それほど考慮した名指しではなかったかもしれない。だが昨今の新聞再編成で、読売を基軸として朝日と日経が連合していく流れで見ると、そこに朝日と日経が追従していく姿勢に釘を刺したかったのかもしれない。
 読売のフカシだが、二段階構えになっていた。第一段は大連立を求めたのは小沢だという話。密談内の流れとしてそういう展開がなかったとは断言できないが、「極東ブログ: 自民党・民主党の大連立? はあ?」(参照)で見たように、従来から自民党側にその流れがあったことから考えれば、これはその勢力と読売の合作による誘導だろう。第二弾は今朝の読売新聞に上がっていた小沢副総理密約と民主党の閣僚送り込みがある。が、これは第一弾の変奏に過ぎない。
 当然、今回マスメディアをワッチしてきた人々の疑念は読売の報道姿勢に向かう。そこで、今朝の一面で赤座弘一政治部長署名で”小沢氏は真実を語れ”(参照)で反論が掲載されたが、一読すればわかるが、まるで反論にもなっていない。


 民主党の小沢代表は4日の記者会見で、辞任表明に続けて報道機関への批判を展開した。「私の方から党首会談を呼びかけたとか、私が自民、民主両党の連立を持ちかけた」などの報道は「全くの事実無根だ」というのだ。
 党首会談は小沢氏の方から持ちかけたもので、「大連立」構想も小沢氏の提案だった、といった点は読売新聞も報道した。小沢氏の批判がこれを指すのであれば、「事実無根」などと批判されるいわれは全くない。
 いずれも首相周辺をはじめ多くの関係者が証言しており、確実な裏付けを取ったうえでの報道だ。

 確実な裏付けとは自民党の一派であろう。確実であるためには、当人や他方の勢力からの検証も必要になる。一方が不利になる謀略に加担するのを避けるのはジャーナリズムの基本だ。その後ろめたさからこう続く。

 小沢氏は「どの報道機関からも取材を受けたことはない」とも反論している。しかし、「大連立」について、小沢氏は「考えていない」と記者団に答えていた。党首会談後も、そのやり取りをほとんど明らかにしようとしなかった。

 反論以前に話が噛み合っていない。
 だが、このフカシ話が仮に本当だったと仮定してみよう。するとどうなるか。福田総理がリークしたということになる。つまり、読売は、福田が小沢との密談をリークしていたと報道しているに等しい。であれば、それは福田の策略だったのか? つまり小沢を陥れる罠であったと。
 私はそこで吹き出す。その可能性はないと言っていいだろう。福田は安倍元総理と同じように、新テロ特措法案の問題が課題であり、小沢を陥れることがメリットをもたらすわけはない。福田には安倍元総理と同じように真摯な心情があったと思われる。
 小沢の辞任騒ぎから一夜明け、関心はもっぱら民主党と小沢に向かっているように見えるのも不思議だ。というのは密談には、読売のフカシより強力な福田側の爆弾発言が仕組まれているのに、あたかも看過されているからだ。少なくとも自民党はなぜこれを問題視しないのか。福田による爆弾発言は小沢の昨日の辞任の言葉に含まれている。

 そのポイントは、1、国際平和協力に関する自衛隊の海外派遣は、国連安保理、もしくは国連総会の決議によって設立、あるいは認められた国連の活動に参加することに限る。したがって特定の国の軍事作戦については、わが国は支援活動をしない。2、新テロ特措法案は、できれば通してほしいが、両党が連立し、新しい協力態勢を確立することを最優先と考えているので、連立が成立するならば、あえてこの法案の成立にこだわることはしない。福田総理は、その2点を確約された。

 福田は、ここで自衛隊の海外派遣は国連のグリップに限定し、新テロ特措法案を持ち出さない、と言っている。私には、これが自民党にとって爆弾発言でないことが不思議に思える。小沢が民主党で不信任の扱いを受ける以上に、福田が自民党で不信任扱いされない理由がわからない。自民党というのは、こういう政策をのむ政党だったのか?
 もちろん密談が破談した現在、福田はこの考えを撤回している。今日付のロイター”小沢代表の辞意表明に驚き、今後の民主との協議は白紙=首相”(参照)より。

 小沢代表は4日の会見で、党首会談において福田首相が、国際平和協力に関する自衛隊の海外派遣は、国連安全保障理事会もしくは国連総会の決議によって設立、認められた国連の活動に限ると安全保障政策の転換を確約したと述べた。
 この点について福田首相は「そういう話もあった」と認めながらも、「国連決議が出れば、何でもかんでもやることになるのか、よく詰めなければならない。国会でも議論しなければならず、時間がかかる」とした。
 さらに、党首会談において、連立政権が実現するならば新テロ特措法(給油新法)の成立にはこだわらないと首相が発言したとされる点については「(給油新法を)何とか可決してほしい。インド洋における給油活動は国際協力の一環として是非やりたい」と給油新法の成立に全力をあげる姿勢を示した。

 すでに態度を豹変させているもものの、福田は、自衛隊の海外派遣は国連グリップにすることと新テロ特措法案無効を模索していたことは否定しなかった。
 そもそも福田は、2001年のテロ特措法成立時点で、現行法の「周辺事態」の拡張解釈で派遣を急ぐ防衛庁に対して、外務省の立場から新法案成立によって握りつぶした当の本人である。単純に言えば、テロ特措法を作ったのが福田であり、その心情は「周辺事態」を無定型に拡張していく日本の国防の在り方に懸念を強く抱いていたからだ。では福田は自身が作ったに等しいテロ特措法でよしとしていたかだが、そうではないだろう。その限定的な構造や、対防衛庁としてあの時点ではやむなしとしていただけではないか。
 福田が懸念したのは「周辺事態」の拡大解釈だった。というところで、なぜ誰も疑問に思わないのだろうか。いや誰もが思ってもそれほど強い意見となって出てこないということなのだろうか。端的に言えば、福田のこの心情の背景にあるのは中国への配慮だ。そして、親中政治家という点で、福田と小沢は共通するし、まさに今回の対談の隠れたテーマは親中的な背景における対中国の国家戦略ではなかったか。もちろん、この問題は現存する日米軍事同盟との関係を持つ。
 ここで読売のフカシなど爽快に忘れて密談のコアを思い出してもらいたい。「自衛隊の海外派遣は国連のグリップに限定し、新テロ特措法案を持ち出さない」という国策で誰が一番喜ぶか? どの国がそれを一番望むか? 中国であることは明白だ。
 福田と小沢は対中戦略では共通の認識を持つ同士だとすら言える。とすれば、別の密約が潜んでいたのではないだろうかと疑問が沸く。
 このあたりの臭いは、今朝の産経新聞社説”大連立論 まず国益ありきが前提 民主党は成熟政党に脱皮を”(参照)でも感じ取っているようだ。

 詳細は発表されていないが、党首会談では自衛隊の海外派遣のあり方を普遍的に定める恒久法に関し、首相と小沢氏との間で大きな歩み寄りが生じた可能性がある。
 それ自体はきわめて有意義だが、十分な説明がなされないまま、ストレートに大連立論につなげようとすることにも無理があろう。

 産経の暢気な口調からすれば産経一流の国益的な流れで読んでいるように思われる。私はこれは対中戦略の枠組みではないかと思う。
 ここで今回の小沢辞任について中国はどう見ているのかが気になる。昨日の共同は”「新たなパイプ」期待外れ 中国、政局行方に関心”(参照)として報道している。非常に重要だと思われるのであえて全文引用したい。

 民主党の小沢一郎代表が4日、辞任を表明したことについて、中国は小沢氏に対し、日中関係での新たなパイプとしての期待感もあっただけに、国営通信、新華社が同日、至急電で速報するなど高い関心を示した。今後は日本政局の行方を注視していく方針だ。
 小沢氏は、先月の中国共産党大会で政治局常務委員となり、胡錦濤指導部入りを果たした李克強氏と極めて親交が深い。李氏は小沢氏の岩手県奥州市の自宅にホームステイしたこともあるほどだ。
 先の党大会では、日本政界との太いパイプを誇った曽慶紅国家副主席が常務委員から引退。中国側には、胡国家主席に続く第5世代指導者の有力候補の1人である李氏と小沢氏との関係を、日中関係改善のために活用したい思惑もあった。

 誰がこのように「期待はずれ」というストーリーを流したのか不思議にも思えるが、いずれにせよ、李克強と小沢には太いパイプがある。この意味するところは、”極東ブログ: 中国共産党大会人事の不安”(参照)が参考になるだろう。簡単に言えば、北京の胡錦濤はその権力の後継として李克強を選んでいたが、今回の共産党大会で上海閥の習近平に負け形になった。すると、小沢の失脚で李克強はさらにしょっぱい目に合うということだろうか。
 外務省のチャイナスクールと福田のつながりは深いが、これは中国の権力構造とどう関わっているのだろうか。また、実質北京の東京代理人的にも思えるほど心情シンパ的報道をする朝日新聞の関係はどうだろうか。現状では、朝日側からはどちらかと言えば小沢を支持するがゆえの失望で福田にも期待をつないでいるといった曖昧な印象がある。そのあたりが北京側の心情なのだろうか。
 私の中国人観にすぎないが、中国人はこの程度の失脚で一度信頼した人の信頼を失うことはない。胡錦濤と李克強は小沢の復権をある意味で確信しているし、そのサポートも行うだろう。
 私は今回の件では当初、小沢さんご苦労様でした感があり、小沢もがんばってもここまでかと思っていた。だが、たぶんまた小沢を中心として激震が続くのではないかと思うようになった。それを期待すべきかどうかはわからないにせよ。

| | コメント (8) | トラックバック (3)

2007.11.04

小沢民主党代表辞任、と来ましたか

 時計代わりにtwitterに流れる空気を読んでいると昼過ぎ小沢辞任という話が飛び込んだ。驚いた。ニュースを見ると産経が流し、読売が流しという順序のようで、NHK、朝日、毎日、日経は少し出遅れた感じがした。日経では鳩山幹事長が翻意を促しているという話もあったようなのでそのあたりが発表のズレなのだろうか。記者会見もあるとのことだが、さてと考えてテレビで会見を待つより水泳に行くことにした。
 会見は見ていない。現状では小沢氏が代表辞任の意向表明ということで、民主党執行部としては4日には辞任を認めず保留の扱いとし党内の意見を聞くらしい。しかし、そこでひっくり変えるものでもないだろう。
 なぜ小沢が辞任なのか。毎度ながら本人の言をべたに書き起こした資料がいいのだが見当たらない。朝日新聞記事”小沢代表会見の主な発言1 「不信任受けたに等しい」”(参照)をあえて全文引用する。


 民主党・小沢代表の辞意表明会見での主な発言は以下の通り。
 民主党代表としてけじめをつけるに当たって私の考えを述べたい。総理から要請のあった連立政権を巡り、混乱があったことに対してけじめをつけ、民主党の代表を辞するため、辞職願を提出し、党に私の進退を預けた。
 福田総理は、安全保障に関する重大な政策転換を決断された。自衛隊の海外派遣は国連安保理、総会の決議で認められた活動に参加することに限る。特定の国の軍事作戦は支援しない。新テロ特措法案にはできれば賛成してほしいが、連立が成立するなら法案成立にこだわらないと言われた。これまでの我が国の無原則な安全保障政策を根本から転換することから、私個人は、それだけでも政策協議をするに値すると判断した。
 民主党は、年金改革、子育て支援、農業再生などの法案を参院に提出しているが、衆院では自民が依然、圧倒的多数を占めている。これらの法案をすぐ成立させることはできない。ここで政策協議をすれば、国民との約束を果たすことが可能になる。
 民主党は、次の衆院選を考えた時、様々な面で力量が不足している。自民党もだめだが、民主党も政権担当能力があるのか、国民から疑問を提起されており、次の選挙も情勢はたいへん厳しい。国民のみなさんの疑念を一掃させるためにも、政策協議をし、生活第一の政策が採り入れられるなら、民主党政権を実現させる近道であると判断した。
 以上のような理由から、党の役員会で福田総理の考えを説明し、政策協議を始めるべきではないかと提案したが、残念ながら認められなかった。それは、私が民主党代表として選んだ役員から不信任を受けたに等しい。民主党代表として、また、福田総理に対しても、けじめをつける必要があると判断した。

 辞任理由については、自民党福田代表と連立政権を目指す政策協議を行い、党に持ち帰ったが認められなかったので、これは不信任を受けたことと同じことだから、辞任する、ということだ。
 論理的かというと、これは変だろう。党が認めないならそれは認めないというだけでのことだ。代表がごり押しできるもののでもない。ということで常識的に見て、不信任はスタンドプレー的に密談を行ったことにあると考えたほうが自然だろう。
 今回のどたばたで大連立が話題になるし、結局小沢の辞任も直接的にはその線になる。このままでは国会運営がスムーズには進まないからという構造面が前面に出た。
 しかし、安倍政権沈没からの文脈で見るなら、問題はインド洋沖給油特措法案の延長であり、そのために、安倍元総理は政治生命のすべてを賭けて失った。この経緯については、小沢との線で「極東ブログ: 安倍首相辞任で思い出すこと」(参照)にも書いた。安倍は小沢との密談にすべてを託していた。そして同じことが福田総理でも継続した。
 だがこの間、日本の政治は軍事同盟的には空転し特措法は終了した。問題は、新テロ特措法案の成立に移行したのだが、この成立も困難は予想される。福田が切り出したのは、「新テロ特措法案にはできれば賛成してほしいが、連立が成立するなら法案成立にこだわらない」という点だ。大連立の提示は小沢が先だったかという噂を読売系のソースだけが執拗に流しているが、たとえそうであっても、ナベツネがフカしてた大連立が先にあるのではなく、新テロ特措法案を包括する形としての大連立なので、起点はあくまで新テロ特措法案にある。
 単純な疑問が浮かぶ。インド洋沖で自衛隊が給油活動することが、日本国家の命運を決めるほど重要なことなのだろうか? 
 さらに単純に問うてもいいかもしれない、日本は米国と軍事同盟を維持していかないと、国政が進まないのだろうか?
 私は問題の根幹はそこにあるのであって、大連立や政局のどたばたは二次的なものだろうと思う。
 小沢信奉者の一人として私が思ったことも加えておきたい。今回の事態に驚いたかといえば驚いた。これで民主党はぼろぼろになるだろうとも思う。ただ、その点についていえば、私は小沢という政治家を長年フォローしているのであって、彼がもし民主党を抜ければそれはそれだけのことだなとは思う。ただ、抜けないだろうとも思う。
 一番の疑問点は、「小沢さん、それはどう政権交代の道につながるのですか?」ということだ。福田総理との密談は、日米同盟を背景にした大きなものがあるのだろうと思う。だが、大連立構想は、どう政権交代につながるのだろうか。小沢の答えは「政策協議をし、生活第一の政策が採り入れられるなら、民主党政権を実現させる近道であると判断した」とのことだ。私はそれで納得するかと言えば、納得しない。私もまた今の小沢の政治姿勢がわからない。
 ただ、民主党がこの路線で進めるとは思わない。昨日のエントリ「極東ブログ: 自民党・民主党の大連立? はあ?」(参照)で、「早晩の衆議院解散から総選挙への流れはあるだろうか。率直にいうと私はないと思う。今の情勢では民主党が負けるだろうと書いた。この認識は、小沢の言う「民主党は、次の衆院選を考えた時、様々な面で力量が不足している。自民党もだめだが、民主党も政権担当能力があるのか、国民から疑問を提起されており、次の選挙も情勢はたいへん厳しい」ということと同じだった。そこまでは私は小沢が理解できる。
 その先はわからない。

追記
 「中傷報道に厳重に抗議する」というコメントがあったことを補足。
 ”小沢氏辞任会見詳報(2)「中傷報道に厳重に抗議する」」政治も”(参照)。


 中傷報道に厳重に抗議する意味において、私の考えを申し上げる。福田総理との党首会談に関する新聞、テレビの報道は、明らかに報道機関としての報道、論評、批判の域を大きく逸脱しており、私は強い憤りをもって厳重に抗議したい。特に11月3、4両日の報道は、まったく事実に反するものが目立つ。私のほうから党首会談を呼びかけたとか、私が自民、民主両党の連立を持ちかけたとか、果ては今回の連立構想について、小沢首謀説なるものまでが社会の公器を自称する新聞、テレビで公然と報道されている。いずれもまったくの事実無根だ。
 もちろん党首会談および会談に至るまでの経緯と内容について、私自身も、そして私の秘書等も、どの報道機関からも取材を受けたことはないし、取材の申し入れもまったくない。それにもかかわらず、事実無根の報道が氾濫(はんらん)していることは、朝日新聞、日経新聞等をのぞき、ほとんどの報道機関が政府・自民党の情報を垂れ流し、自らその世論操作の一翼を担っているとしか考えられない。それにより、私を政治的に抹殺し、民主党のイメージを決定的にダウンさせることを意図した明白な誹謗(ひぼう)・中傷報道であり、強い憤りを感ずるものだ。
 このようなマスメディアのあり方は明らかに報道機関の役割を逸脱しており、民主主義の危機であると思う。報道機関が政府・与党の宣伝機関と化したときの恐ろしさは、亡国の戦争へと突き進んだ昭和前半の歴史を見れば明らかだ。また自己の権力維持等のために、報道機関に対し、私や民主党に対する誹謗中傷の情報を流し続けている人たちは、良心に恥ずるべきところがないか、自分自身によくよく問うてみていただきたい。各種報道機関が1日も早く冷静で公正な報道に戻られるよう切望する。以上だ。

 私の印象でも今回の件では読売新聞をメインに「政府・自民党の情報を垂れ流し、自らその世論操作の一翼を担ってい」たと思う。

追記
 会見についても産経ソースがより詳しいようだ。”「小沢氏辞任会見詳報(1)「けじめをつけるに当たり」」政治も”(参照)より。


 その国民みなさんの疑念を払拭(ふつしょく)するためにも政策協議を行い、そこでわれわれの生活第一の政策が取り入れられるならば、あえて民主党が政権の一翼を担い、参院選を通じて国民に約束した政策を実行し、同時に政権運営への実績も示すことが、国民の理解を得て民主党政権を実現する近道であると私は判断した。
 また政権への参加は、私の悲願である政権交代可能な二大政党制の定着と矛盾するどころか、民主党政権実現を早めることによって、その定着を実現することができると考えている。

 政権参加が政権交代可能な二大政党制の定着につながるだろうか。私の印象では、つながらない。私なりに小沢の心情を汲めば、政権参加によって政治家を育てたかったのではないか、くらいだ。

| | コメント (9) | トラックバック (2)

« 2007年10月28日 - 2007年11月3日 | トップページ | 2007年11月11日 - 2007年11月17日 »