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2007.10.13

首都圏改札トラブル

 昨日12日早朝、首都圏のJR、地下鉄、私鉄各線の多数駅で自動改札機の電源が入らないトラブルが発生した。始発からのトラブルだった。JRに限定すると、大宮、川崎、横浜、宇都宮など、東京近郊の約160駅だったらしい。これから都心部へ向かう通勤客が、いわば入り口で故障改札機に遭遇し、システム的には非正規に通過した。社会的な問題はむしろ、首都圏の出口のほうで発生した。一部の通勤客がシステム的に正規通過できないため、混乱をさけるために全面的に改札機を停止することになった。事件は一応、同日の午前中には収束したが、解決したわけではない。
 JRなど鉄道会社には損害が出たし、多数の通勤客も不便だったという意味で社会事件なのだが、怪我人などが出たようでもなく一過性の奇妙な事件として忘れ去れるかもしれない。私は、なぜこんな事件が発生したのか、関心を持った。現時点ではあらかた解明されているので私の愚考など意味がないのかもしれないが、少し自分の発想をなぞり、そしてその後の解明ストーリーから推測される話を備忘にまとめておきたい。
 当初私がこのニュースに接したときは、入り口の改札機の電源が入らないとのことだった。なので、単純に電源系のトラブルだろうか、であればソフトウェアの関与は少ないか、と思った。しかしこの手の情報機器はパソコン同様電源系もまたソフトウェア制御下に置かれるので、つまりはソフトウェアのバグ(あるいは設計ミス)が原因だろうと考えた。
 どのようなバグがこうした広域のエラーをもたらすのだろうか? 私の最初の推測は、すでに多数のエラーがすでに発生していて、それが昨日ある一定の量を超えてしまったのではないか、というものだった。
 その時点でネットをサーチすると昨年末の改札機バグの話”「スイカ」改札通れないトラブル・説明責任を果たすべき”(参照)がすぐに見つかった。


 12月1日午前0時ちょうどに横浜、大宮など首都圏約180駅で、スイカを使って自動改札機を通過できなくなるトラブルが発生した。トラブルが起きたのは全て日本信号製の改札機で、「スイカ定期券」「ビュースイカカード」「モバイルスイカ」をかざした際に、正規のカードを誤って拒否したという。
 対策としてコンピュータープログラムの修正作業をしたところ、同日午前5時すぎに全駅で復旧した。スイカシステムの大規模な事故はサービス開始以来初めてである

 電源断ではないが同種の事故であり、即座に日本信号製が怪しいと目星を付けた。なお、同記事は昨日の事件を予想している。

 その際のトラブル対策として、1日午前0時から終電までと始発から午前5時くらいまで自動改札を開放したらしい。そのため、その時間帯に自動改札を通った人は無料で乗れたことになるが、トラブルのあった時間帯に入ったとしても、復旧後に出た場合は、自動改札の扉が閉まり無料にならなかったはずだという。幸い多数の人が乗降しない時間帯でのトラブル発生であったから良かったものの、ラッシュ時間帯にこのようなことが発生したら、大変な混乱となったであろう。

 その大混乱が昨日発生したわけで、おそらくそのドゥームズ・デーをJRや日本信号もある程度想定したと考えていいだろう。
 実は、このエントリを書くべきだと思ったは、同じく同記事の次の指摘に同意したからだ。

JR東日本のホームページのニュースリリースには、「スイカ電子マネーをご利用できる店舗を順次拡大しており…」などというのんびりした発表はあるが、今回のトラブルについては、障害が発生したことについては報道発表しているが、原因などについては何らのコメントも掲載していない。日本信号のホームページも同様だ。マスコミも、その後口止めされたわけでもなかろうが、何も報道していない。それとももう報道価値がないと思っているのだろうか。

 昨年末時点でこの混乱について、情報が公開され、またマスコミも報道すべきであっただろうと思う。
 だが、実際に大混乱が起きてみると、報道したからといってなんの益もないではないかという考えもあるだろうか。そこが難しいところで、今回の大混乱は、我々の社会の深層のある病理を暗示しているのだろうと私は思う。それゆえに、この問題は、やはり考慮すべきだろう。
 さて、昨日の私の愚考の経緯に戻るのだが、私が解けなかったのは、なぜ電源系なのか?ということだった。ちょうどその前日の午後に関東一円で広域の電圧降下が起きた。”関東一円で瞬時の電圧低下、午後1時半に茨城から波及”(参照)。またその状況はたまたま私がtwitterで各地のパソコンユーザーからの異常のメッセージを受信してたので、気になっていた。電圧降下が改札機に強い影響を与えて暴走した機械もあったのではないか、ととりあえず考えてみた。
 結論から言えば、私の推測は間違いだった。問題はそうした分散した小悪要素が一定の閾値を越えたというのではなく、もっと単純に、一元システムの一元性が関係していた。これらの機器はネットワークで集中管理されており、中心から「故障せよ」に等しいメッセージが送り込まれたようなことになった。もちろん、「故障せよ」といったメッセージをセンターシステムが送ったわけはない。正常メッセージなのに、バグのある端末の改札機が誤解して異常動作を惹起したにすぎない。つまり、端末の改札機のバグが原因なのだが、この事態は一元管理でなければ起こりえないという点も重要だろう。
 具体的に現時点に近い報道から仕組みをみていこう。
 産経新聞”パスモ、スイカ相互利用システムにトラブル?”(参照)より。パスモとスイカの相互利用に関して、

 相互利用にあたっては、それぞれの改札機のデータ許容量には限界があるため、改札機はホストシステムである「相互利用センター」との間でデータ交信を実施している。毎日深夜に、改札機の端末のデータと相互利用センターとのデータを一致させることで、改札機の電源が入る仕組みになっている。
 同社によるとトラブルが発生したのは12日午前3時ごろ。同社によると、「改札機のデータを管理する『相互利用センター』のデータと、改札機の端末のデータが一致しなかっために改札機の電源が入らず、改札機が作動しなかった」という。しかし、「データが一致しなかった理由は分かっていない」と説明している。原因解明には12日いっぱいかかる見通し。

 重要な点をまとめると、まず、電源の制御はネットワークで一元管理されていることがわかる。次に、このバグは昨年末のバグと同種類のものであることは色濃く推測されることだ。
 また毎日新聞”首都圏・自動改札機トラブル:プログラムミス原因、260万人に影響”(参照)より。

 トラブルがあった改札機は、16の鉄道事業者が使うICカード対応の全改札機の約4割に当たる計4378台に上った。
 自動改札機は3社が製造しているが、トラブルが起きたのは日本信号製のみだった。
 同社などによると、改札機には電源投入時、ICカード相互利用センターから▽不正使用▽期限切れ--など定期券やクレジットカードに関するデータが送信される。同社で調べたところ、改札機がクレジットカードに関する特定の長さのデータを受信すると、電源が入らないプログラムミスがあった。

 はっきりとわかりづらいのだが、バグ付き改札機は、センターからの正常メッセージを、「電源断せよ」と理解して動作したということなのだろう。率直に言えば、そんな電源断の機能が遠隔操作で可能なシステムとして設計されていたのかというのが、やや驚きだ。
 あと事件の顛末だが現状正常に動いているとはいえ、バグはまったく修正されていない。読売新聞”自動改札きょうは順調、ソフト未改修のまま”(参照)より。

 日本信号はこの日、始発前に改札機の作動テストを繰り返し、前日に起きたトラブルが再発しないことを確認できたとして、始発から使用開始に踏み切った。
 しかし、新しいソフトウエアができるまでは、問題のある現在のソフトウエアをそのまま使用し続けるため、同社は今後、毎朝、始発前に作動テストをして安全を確認するとしている。

 このままこのシステムが継続される可能性もありそうだ。IT Pro”【続々報】首都圏の自動改札障害は接続認証のエラー、「昨晩は保守をしていない」 ”(参照)より。

 日本信号によると「昨晩は自動改札機に関係するメンテナンス作業をしていない」(広報担当)という。早朝の復旧作業は、ネットワークを切断した状態で自動改札機を再起動することで実施している。

 メンテナンス作業によってバグ付きシステムを補助しつつ稼働させるのが、このシステムの正常稼働ということなのかもしれない。
 以下、そうした仕組みと対応の理解を踏まえての愚考。
 端末・改札機に不正があった場合、遠隔のセンターから電源断にするという設計は何を意味しているのだろうか気になる。そういう設計の指針なり哲学なりが私にはわからない。私の素人考えでは、不正といっても、単発事件としては巨額なカネの問題ではないのだから、異常を各駅に通知するだけで十分ではないか。むしろ、そこから不正をトレース(追求)すべきなのではないか。
 そう考えてみて、気になるのは、各駅のそうしたマネージメント的な対応という負荷をかけないセントラルなシステムであれ、というのがこのシステムの設計思想なのではなかったかということだ。なにか冷やりとした人間不信を感じさせられる。だが、今回の大混乱の顛末を見ると、結局のところ、各駅のマネージメント対応となっている。
cover
ヒトデはクモよりなぜ強い
 今回の大混乱を振り返って、先日読んだ「ヒトデはクモよりなぜ強い 21世紀はリーダーなき組織が勝つ」(参照)が気になっている。同書は組織のマネージメント論として描かれているのだが、もっと単純にシステム論として読むこともできるだろう。
この書籍では、センターを持ち、上位から下位を指令するトップダウンの構造の組織を「クモ型組織」と呼び、これに対して、権限が分散され、各部が知的に独立的に動作する組織を「ヒトデ型組織」と呼んでいる。
 システム論として見た場合、クモ型システムとヒトデ型システムは完全に対立するものではないだろう。クモ型システムの場合はセンターまたはセンターと端末交信にエラーがあれば、システム全体が誤動作してしまう。しかし、ヒトデ型システムであれば、システムの誤動作は局限できる。
 今回のケースに関連していえば、大混乱再発の可能性のシステムは、ヒトデ型システムをもつべきだろう。さらに、そうしたヒトデ型システムの要請は、今回のような改札システムだけには限定されないはずだ。

追記
コメント欄でエンジニア的な視点からいくつか有益なご指摘をいただいた。参照していただきたい。エントリでは「電源の一元管理」としたが、「管理」という表現は拙速だったかと思う。
 ume-yさんから教えていただたい記事は技術的により詳しいので参照していただきたい。
 ”260万人の朝の足を直撃 プログラムに潜んだ“魔物””(参照)より。

 調べたところ、ネガデータに「ある長さ、ある件数」といった条件が重なった時、データが読み込めなくなるプログラム不具合が判定部側にあることが判明。このため、判定部はエラーを返しながらネガデータ読み込みのリトライをひたすら繰り返す状態に陥り、起動処理が止まった。

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2007.10.10

[書評]スタバではグランデを買え! 価格と生活の経済学 (吉本佳生)

 面白い本だと思った。よく売れているようだ。ただ私は珍本に近いかなという印象も持った。たぶん、この本は、れいのベストセラー「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学(山田真哉)」(参照)のノリで企画されたのではないだろうか。あちらが会計学ならこちらは経済学ということで。そうしたノリ、つまり、難しい経済学とかを卑近な事例でわかりやすく説明するという枠組みがこの本の前半まで続く。

cover
スタバではグランデを買え!
価格と生活の経済学
吉本佳生
 ただ、さおだけ本がべたに会計学を指向しているのに対して、このスタバグランデ本のほうは経済学を指向しているのではなく、現実の価格現象にきちんと向き合ってしまっている。その意味で方向性がまるで逆だとも言える。筆者は経済学というものが社会にどうあるべきか、ある意味で実務的な感性がしっかりとある、あるいはありすぎるのだろう。
 ちょっと野暮なことを言うと、経済学は所詮は世間の現象を扱っているので、世間の現象に限定するなら、学の形態をしなければ理解できないというものではない。ある程度、社会とカネに向き合って、それなりの経験があれば、わかるものだろう。比較優位についても学問的に形式的に説明できなくても、具体的な現場の監督とかなら人の使い方で自然にわかっているものだし、実質金利についても、賢くタンス預金している人もいる。しかし、それがマクロ的に正しいかとなるとそうではないが、というあたりで、どこかしらこの学問が国家とマネーの権限に関わってくる胡散臭さの地点があり、そこで身を引いたりもする。そんな意味合いで言うなら、本書の前半は、ごく常識の学問的な確認という色合いを帯びている。
 が、後半、「100円ショップの安さの秘密は何か?」の章から、奇妙なトーンが現れてくる。微妙に経済学で現実をねじ伏せるような知的なチャレンジのシーンが多くなるのだ。さおだけ屋本のように「あんた本当は世間をなんも知らんでしょ、ぼっちゃん」みたいにツッコミしたくなるのとはまさに逆で、「あんたなぜそこまで100円ショップに関心を持つ?」といった、ある種の熱狂感だ。
 そしてこの熱狂感には学問モデルというものへの、モダンアート的な歪みのような感興もある。皮肉ではない。このあたりから、この本の抜群の面白さが始まる。少し長い引用になるが、このあたりにそうしたトーンが濃い。話は、「100円ショップで原価を気にする消費者は、じつは賢くない」というテーマで、具体的には、100円ショップで仕入れ価格が10円前後の商品を買うべきかという問いだ。いや、この問いに笑ってはいけない。

 確かに、仕入れ価格が10円前後の商品は、だから他の店でもっと安く(105円より安い価格で)売っているとすれば、そちらの店で買うべきかもしれません。しかし、100円ショップで買うのが一番安い商品であれば、たとえそれが原価10円の商品だとしても、必要なら100円ショップで買うべきでしょう。
 逆に、あまり必要でない商品が、原価120円なのに100円ショップで売られているのをみつけたとしても、それを大量に買って、確かに120円で売るという裁定取引をおこなって儲けることができないなら、無理に買ってもムダになるだけ(邪魔になるだけ)です。現実に100円ショップで売られている商品の原価が100円を超えていても、取引コストを考えれば、たぶん裁定取引で儲けることはできないと思われます。

 裁定取引の部分に説明が必要だろう。価格差があるときその差分で儲ける取引のことだ。
 さて、この部分を読んでどういう印象をもっただろうか。引用部分ゆえに前後から孤立してなんだかわからないというのは当然あるとしても、実際に、100円ショップに立つ自分を想定して、この状況と思考がフォローできるだろうか。単純な話、100円ショップで原価10円のものを購入する必要はどのくらい問われるか、原価が10円のような商品を買うシーンはなんだろうか、というあたりで、ある種シュールな感覚に襲われてくるのではないか。たぶん、経済学的な抽象化と具体的な生活のシーンの齟齬がある。
 こう続く。

 つまり、100円ショップでの買い物で、原価の高い安いをみて損得を判断する消費者は、一見すると、賢い消費者としての行動をしているようにみえるかもしれませんが、じつは賢くないのです。大切なのは、他の店で買うより安いか高いかであり、しかも取引コストを考慮して判断すべきです。

 もちろん、言わんとしていることはわかる。原価はどうでもよく同一商品が他店より安ければ買えだし、取引コストが低ければ買え、ということだ(このあたりでこの買えが金融商品のニュアンスを帯びていることに気づくだろう)。が、がというのはその「買え」の賢さ、つまり経済学的に合理的な購入の行動(これは裁定を前提とした卸商人の発想だろう)と、必要性(必要性というのは最終の消費者だろう)はどう関わっているのだろうか。実は、ここには複雑な関係が潜んでいるはずだ。
 こう続く。

 くり返しになりますが、原価が安い(原価率が低い)商品ほど、他の店での価格が安い可能性があるという点では、原価(率)はある程度参考になります。しかし、原価が安い商品でも、他の店でもっと高く売っている商品は、いくらでもあるでしょう。100円ショップでの買い物においては、あまり原価を考えないほうがいい、と筆者は考えています。

 悪口を言いたいのでも、無茶な批判をしたいわけでもないが、これはごく単純に論理的に破綻しているのではないだろうか。というのは、「しかし、原価が」というくだりだが、通常は、原価が安ければ他店では安く売っているのであり、マーケットのメカニズムを通して、「他の店でもっと高く売っている商品」は消える。
 くどいが筆者への批判ではない。なぜこういう書籍の展開になったかというと、筆者は、経済学のモデルの純粋性がそれゆえの応用性をもっていると想定しているからなのだろう。このくだりはさらにこう続く。本当にこう続くのだ。

 なお、一般的なモノの取引に比べて、取引コストを非常に低くしうるのが金融取引です。株をインターネットで取引するなら、かなり安い取引コストで売買できます。そのため、銀行・証券会社・保険会社などの金融機関が販売する金融商品(預金・投資信託・保険・個人年金など)を購入する場合には、原価をよく調べることが大切です。
 原価が安い金融商品なのに高い手数料が上乗せされている場合は、そういった金融商品できるだけ避けるといいでしょう。自分で、原価に近い価格の(手数料ができるだけ安い)金融商品を取引したほうが、ずっと得だからです。

 金融商品と100ショップが、原価の原理性で、同じモデルで論じられているのだ。もちろん、そのように論じることは不可能ではない。一連の結語はこうなる。

 つまり、消費者が賢く生活しようとするとき、いろいろなモノやサービスの原価に着目すべきかどうかは、取引コストの高さ(裁定取引の容易さ)によって異なります。100円ショップの商品の場合には、取引コストが高く、現実には裁定取引がむずかしいので、原価を考えないほうがいいと筆者は述べているのであり、どんな買い物にもあてはまる話ではありません。

 100ショップで買ったものを友人とかに高く売りつけるみたいなことをしない限り、裁定取引という場はないだろう。だが、裁定取引の潜在的な可能性は、マーケットの価格メカニズムの内部で働くだろう。そのメカニズムには「え?、これを100円で買わないでしょ、フツー、パス」という消費者の行動を媒介する(フツーの判断の中に他店が前提とされる)。という意味で、実はこの行動の内部に原価の意識が働いている。
 くどいけれど私はこの本をおちょくっているのではない。恐らく、経済学的には正しいことが書かれているのだが、筆者のある種の情熱が、すました経済学のモデルを逸脱してまで社会現象を説明しようとしている地点で、その情熱が奇妙な現れをしている。そこががとても興味深いのだ。
 本書はこの山場を越えて、後半になるといっそう面白い展開になる。手の込んだ冗談が書かれているわけではない。モデルとしてもこれは経済学的には正しいかもしれない。しかし、しかしこれは何か変だ、なにが変なのだろう?という知的チャレンジが多発する。面白い。
 私はこの筆者の情熱が非常に面白いと思うし、そこにぐっと引きつけられて、世の中どうなってんの?という多様な疑問を発するべきだと思う。

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2007.10.08

ブラックウォーター事件メモ

 ブラックウォーター事件は、日本でまったく取り上げられていないわけではないが、米国での扱いに比べると小さい。少なくとも大手紙の社説では取り上げられていない。日本の問題ではないということかもしれない。数日前赤旗でべた記事を見かけたが、日本のいわゆる平和勢力による論評もあまり見かけない。ニュースの引用に一言コメントというタイプのブログでは、ブラックウォーターが悪いのは当たり前で別段今回の問題は取り上げるほどでもないといった印象も受ける。もちろん、そうしたことは私の印象に過ぎず間違っているかもしれない。いずれにせよ、私はこの事件は重要だとも思うので時代のログとしてメモをしておきたい。
 ブラックウォーターは戦闘地域などで米国関連の要人の警護や輸送を行う民間警備会社だが、実態からは傭兵と見てよいだろう。イラクでの活動が目覚ましい。ウィキペディアでは、「民間軍事会社」(参照)とし、粗っぽく記載している。


 民間軍事会社(みんかんぐんじかいしゃ) "Private Military Company, PMC"または、"Private Military Firms PMF"と主に表記される新しい形態の傭兵組織。
 主な業務としては軍隊や特定の武装勢力・組織・国に対して武装した戦闘員を派遣しての直接戦闘業務に加え、兵站・整備・訓練など旧来型の傭兵と異なり提供するサービスは多域に渡る。民間軍事契約業者(Private Military Contractor)ともいう。

 ブラックウォーターが国際的に注目されたのは、ブラックウォーター社員4人がテロリストに殺害され、黒こげの遺体として橋に吊るされた、04年の事件だった。この事件は「ファルージャの戦闘」(参照)の背景となる。なお、この事件も今回の事件の関連で見直しされている部分がある。9月28日付CNN”ブラックウォーター、警備員殺害事件で調査妨害の疑い”(参照)より。

 事件では、損傷した遺体が橋からつり下げられ、その衝撃的な映像が全世界で報じられた。当時、米軍はこれを受けて、ファルージャで大規模な武装勢力掃討作戦を実施した。
 同委員会の報告によると、ブラックウォーターの内部文書から、殺された4人の所属するチームは、人員や装備が不十分なまま、地図さえ与えられずに同市へ送り込まれていたことが分かった。同社は米当局との正式な契約が成立していない時期に、見切り発車の形で業務を開始していたとされる。
 しかし、同社は今年2月の議会公聴会で、こうした文書について「政府が機密扱いとした」と偽ったうえ、国防総省に対し、実際に機密文書として指定するよう繰り返し求めていたという。

 今回の事件は、9月16日に起きた。3日付けCNN”ブラックウォーター事件、目撃者2人が惨劇を語る”(参照)より。

 米警備会社ブラックウォーターUSAの従業員が先月16日、イラクの首都バグダッド市内の銃撃戦で民間人を死亡させた事件で、当時現場で交通整理をしていたイラク人警官が1日、CNNに対して、民間人に発砲したブラックウォーターの警備員らが「テロリストに攻撃されていないにもかかわらず、テロリストと化した」と語った。

 結果、イラク民間人17人が殺害され、24人が負傷を受けた(参照)のが、今回のブラックウォーター事件だ。イラクはこれを受けて、足下にブラックウォーターのイラク国内の活動を禁止するとしたが、米政府から否定された。というより、現実的に不可能だろう。1日付けニューヨークタイムズ”Subcontracting the War ”(参照)より。

There is, conveniently, no official count. But there are an estimated 160,000 private contractors working in Iraq, and some 50,000 of them are “private security” operatives --- that is, fighters.
(わかりやすい公式統計は存在しない。だが、イラクには16万人の民間下請け作業員がいると推定され、うち民間警備員として携わっている5万人は実際は戦闘員である。)

 この機にブラックウォーターへの過去の問題も注目されるようになった。2日付ワシントンポスト”Other Killings By Blackwater Staff Detailed”(参照)より。

Blackwater security contractors in Iraq have been involved in at least 195 "escalation of force" incidents since early 2005, including several previously unreported killings of Iraqi civilians, according to a new congressional account of State Department and company documents.
(議会報告書及び同社文書でによれば、イラクにおける下請け警備員は2005年までに195件の逸脱武力行使に関わっており、これには未報告のイラク民間人殺害が含まれている、とのことだ。)

 同種報道だがフィナンシャルタイムズはもう少し手厳しい。3日付”Blackwater and the outsourcing of war”(参照)より。ちなみに、フィナンシャルタイムズが社説で扱うのだから、今回の事件は米国のドメスティックな問題でもない。

Blackwater, which has earned nearly $1bn from the Department of State for protecting its officials, is notoriously trigger-happy: opening fire first in 163 out of 195 shooting incidents since 2005, according to a report by Congress. A Blackwater employee killed a bodyguard of Adel Abdel Mahdi, an Iraqi vice-president Washington favours as a possible prime minister, in an argument last Christmas.

Neither he nor any other mercenary has ever been charged, under a 2004 US decree making them immune from Iraqi law.
( 要人警護で10億ドルを国務省から得てきたブラックウォーターは、むやみに銃をぶっぱなすことで悪名高く、議会報告によれば2005年以降の発砲事件195件中、163件で先に手を出している。昨年のクリスマスでは口論が元で、ブラックウォーター社員がアブドルマハディ・イラク副大統領の警護員を殺害している。
 だが、彼も他の傭兵も、イラク法に服さないとする2004年の米国法により訴追されていない。)


 ブラックウォーターはイラク国内で何をやっても法に問われないという状態であり、構造的にはここに最大の問題がある。このことがようやく米議会で問題となり、歯止めがかかる見通しとなった。5日の時事”イラクの「傭兵野放し」に歯止め=米国内法による訴追法案採択-下院”(参照)より。

イラクの首都バグダッドで米外交官らの警護を委託されている米民間警備会社武装要員の銃撃の巻き添えで、少なくとも11人のイラク市民が死亡した9月16日の事件を受け、米下院本会議は4日、政府請負業者が海外で犯罪を起こした場合に、国内法で訴追することを定めた法案を389対30の圧倒的賛成多数で採択した。

 ある意味で、これが今回のブラックウォーター事件の意味だろう。
 法案は民主党主導なので、選挙戦の文脈もあるが、それが主文脈と見ることはできない。
 ところで、2004年に出されたとされるブラックウォーターの不逮捕特権の由来だが、ニューズウィーク(10・3)”米兵より横暴なアメリカ人傭兵”ではこう説明されている。

 アメリカ軍法の適用外にある民間警備社が問題を引き起こす事態を、ブッシュ政権は以前から危惧していた。03年には、当時の国防長官ドナルド・ラムズフェルドが、「戦争の民営化」に必要な法規制を考える委員会を招集。だが委員会が出した勧告を実行するところまではいかなかった。
 そして04年6月、当時の連合国暫定当局のポール・ブレマー代表の判断が状況をより面倒なものにした。ブレマーはイラクを離れる2日前、イラクにいるすべてのアメリカ人の訴追を免除するという命令にサインをしたのだ。
 ブレマーの元側近は本誌にこう語った。イラクへの主権委譲後も「アメリカの軍人や民間人、請負業者がイラクの法律に縛られないようにしたかった」

 経緯は一応そうことなのだが、振り返ってみて、諸悪の根源のように言われている懐かしのラムちゃんだが、どうも彼自身いろいろ足をひっぱられてこんなはずじゃなかったがありそうだし、ブレマーはどうもわからない。
 イラク戦争をブレマーの視点から見直すとどうなんだろうか。つまらない陰謀論に落ち着きそうでウンザリ感が先行するが気になる。

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