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2007.09.29

ミャンマー暴動メモ

 ミャンマー情勢は率直なところまるでわからない。なので、この件についてはノイズのようなものをブログで流すのはよくないのではないかとも思っていたが、これだけの騒ぎになるのだから、時代のログとして少しメモを残しておきたい。
 まずミャンマーの政治状況についてなのだが、このブログでは3年前こ「極東ブログ: ミャンマーの政変、複雑な印象とちょっと気になること」(参照)で触れたことがある。この構図が今回の情勢の背景にもつながっているだろう(つまり軍内部の問題があるだろう)と思われるのだが、そうした背景まで含めた報道は、今回の騒ぎを報道するメディアではあまり見当たらないように思える。
 全体構図からこの騒動を見て、誰が利して誰が困惑するかとだけ問えば、英国が利して、中国が困惑するとなるだろう。つまり大筋としてこれは中国潰しということだろうか。困惑の度合いは、毎日新聞記事「ミャンマー:中国、対応に苦慮 資源確保か国際世論か」(参照)あたりが概要を伝えている。


 中国は、ミャンマー西部から中部マンダレー経由で中国雲南省を結ぶ全長1500キロのパイプライン計画をスタートさせた。現在、輸入石油の8割をマラッカ海峡の海運に頼っている中国にとって、パイプラインは有事の封鎖が懸念される海峡を迂回(うかい)する安全弁だ。

 ちなみにこの懸念される有事封鎖が何を意味するかについては、このエントリでは特に言及しないことにする。そりゃもう。
 中国は現在、胡錦濤革命の詰め(中国共産党規約改正)を行う10月15日開幕第17回党大会を前にしているので、いろいろざわつきがあるのは当然だが、こういう内政の状況は日本側のシンパにもいろいろシグナルを送るのが慣例なので、そのあたりの線をちらほら読んでみると、ミャンマー軍政を抑えろという話が出ている。これまでのミャンマーと中国の関係からすれば、中国はミャンマー軍政に武器供与も行っているくらいなのだから、そのシグナルは少し不思議にも思える。ミャンマー軍内部の亀裂に対応しているのだろうか。などと、考えるとどうにも陰謀論臭い。
 ついでなんで、他の国のシフトで見ていくとASEANは総じて困惑しているが、インドは奇妙な沈黙をしている。在インドのダライラマは仏教徒ということでミャンマーの僧侶を明確に支持しているのだが、仏教徒の多いはずの日本の仏教徒は沈黙しているっぽい。英国が利するという線から考えるとインドもなんかありそうな感じはする(スーチーもインドと英国に縁が深い)。しかし、こうした憶測は現時点では、いずれもはっきりと見えてこない。
 報道面から見た今回のミャンマーの騒動だが、日本を含め西側報道でも、軍政対民主化、という構図を描いている。が、その先兵が僧侶というのが、今一つ腑に落ちない。僧侶は保守的であまり政治に関わらないものだからだ。しかし、仏の顔も三度までというか、堪忍袋の尾が切れて、民衆の困窮に怒りを発し、民主化のために立ち上がった、ということなのだろうか。
 そのあたりのミャンマー仏教徒の心情が知りたくネットを眺めていると、ミャンマー関連ニュースというサイトに「全ビルマ僧侶連盟連合声明(4/2007号 2007年9月21日付)」(参照)という文書を見つけた。表題通り「ビルマ語国際放送などを通じて発表された、全ビルマ僧侶連盟連合の9月21日付の声明」ということなのだが、それが本当なら、現地状況を伝える一級資料になるはずだ。

全ビルマ僧侶連盟連合
                     4/2007号声明
                     2007年9月21日
         国民への勧奨

 ミャンマー・パコック市の僧侶らを縄で縛り拘束し虐待したことをきっかけに、ミャンマー国内外の僧侶らは、不受布施の抗議を行ない、非暴力と慈愛の精神から、宗教的自由の問題と国民の生活・健康などあらゆる面で困窮している問題をSPDC軍事政権が平和的に解決することを求め、祈りながら行進している。
 国民が直面し苦しんでいる困窮を早急に解決できる道である、自由で正義を備えた真の民主主義体制を要求するため、学生、市民、労働者、農民、公務員、会社員、国軍兵士、武装組織を含むすべての国民が、参加し行動することが重要な時を迎えており、きたる2007年9月24日(月)午後1時から、僧侶とともに、モラルを持って非暴力的方法で、自身の権利を自ら要求することを勧奨する。

             全ビルマ僧侶連盟連合


 民主化への要望は強く出ているが、それよりミャンマー・パコック市の僧侶ら虐待への抗議が先行していると読める。
 だが、報道から見ていると、石油価格の高騰を受けて8月に始まったとのことだった。そのあたりの関係はわかりづらい。
 アムネスティ「ビルマ(ミャンマー):【緊急行動】拷問または虐待の恐れ/健康への懸念 」(参照)では、このいきさつをこう記している。たぶんこれが正しいのだろう。

背景情報
平和的なデモは、石油価格の高騰を受けて8月に始まった。デモの規模や参加者は急激に拡大した。パコックの町で僧侶が治安部隊により傷つけられたという報道を受けて抗議行動を指導しはじめた僧侶たちは、生活必需品の値下げ、政治囚の解放、深刻な政治的対立を解決するための国民融和のプロセスを求めている。

 最初に石油高騰のデモがあり、続いて僧侶虐待があり、そして僧侶が立ち上がりという連鎖から今回の事態になったようだ。
 その線で報道を見直すと、8日付産経新聞記事「ミャンマー 僧侶も“決起”デモ拡大 物価高騰、市民困窮」(参照)がよく整理されているようだ。

 8月19日に最初のデモ行進がヤンゴン市内で行われたときは、その規模は比較的小さかった。民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさん率いる国民民主連盟(NLD)の主導で行われ、主婦も参加し、数十人が連日市内を練り歩いた。いずれもプラカードを掲げることもなければ、シュプレヒコールもない、時折手をたたく程度の静かなデモ行進だった。
 しかし、中部マグェ管区のパコックで5日に発生したデモは違った。現地からの情報によれば、治安部隊は僧侶300人が参加したデモを阻止しようとして威嚇のため発砲。乱闘騒ぎの末、3人の僧侶を拘束した。しかし、暴行を受けた僧侶側も、治安当局者ら13人を軟禁するなどして反発を強めた。6日に治安当局側が謝罪し、双方とも拘束者を解放したが、緊迫した事態が依然、続いている。


 ミャンマーの外交筋によると、保守的な僧侶がこれだけ大規模デモを組織した例は過去になく、1988年8月、ネ・ウィン体制に反発したゼネスト参加以来のことだという。同外交筋は「僧侶の参加はヤンゴンで数十人程度だった。元来、僧侶は自制心も強く、政府に反発しても行動には出さない。今回は市民が困窮する姿を見て平和理にデモを進めたのに、仲間を拘束され、僧侶側は反発というより“決戦”に近い感情を持った」と指摘する。

 僧侶への虐待がいつもの小競り合いに火を付けたということのようだし、今回の騒動のカギはこの5日のパコック市の状況にありそうだ。
 ついでに気になる関連の話。
 まったく関係がないと言えばそうなのかもしれないのだが、8月14日にミャンマーと北朝鮮は平壌で協力合意書を締結している。8月14日聯合ニュース「北朝鮮とミャンマー、外務省が協力合意書締結」(参照)より。

北朝鮮とミャンマーの外務省が14日に平壌で協力合意書を締結したと、北朝鮮の朝鮮中央通信が伝えた。両国の外務省次官が署名したとだけ伝え、具体的な内容は明らかにしていない。

 北朝鮮とミャンマーの関係は、83年の「ラングーン事件」(参照)による断交に遡る。ネットを見ると4月11日付け中央日報「北朝鮮・ミャンマー、約23年ぶりに国交回復へ」(参照)が詳しい。

外交筋は「地球上で最も閉鎖的な国家とされる両国の国交回復は、兵器・食糧・天然ガスなど資源の貿易を進めるためのもの」と分析。国交回復が実現する場合、ミャンマーは北朝鮮との軍事交流が可能になり、北朝鮮は慢性的な食糧難を解消し、ミャンマーの豊かな海洋資源を利用できる、と期待しているとのこと。

 今回の騒動でミャンマーの民主化が進めば。このあたりの関係も変わってくるのかもしれない。
 もう一点、28日付でこんなニュースが出てきた。国内的には今日付毎日新聞記事「ミャンマー:少数民族の村消される 米衛星写真」(参照)が伝えている。

全米科学振興協会(本部ワシントン)の科学・人権プログラムは28日、ミャンマー軍事政権による少数民族カレン族の迫害の様子を衛星写真で追った報告書を公表した。00年から今年にかけて撮影された商業衛星写真を比較し、同国東部のタイ国境に近いカイン(カレン)州で、一般住民の家々と見られる構造物が完全に破壊されたり、ミャンマー国軍の基地が拡大されている様子などを明らかにした。

 今回の騒動とカレン族の動向もわからないところだ。newsclip.be25日付タイ発ニュース速報「ミャンマー軍政、主要2都市に外出禁止令」(参照)よると、むしろ軍政はそれどころではないといったふうでもある。

ミャンマー軍事政権は25日夜、最大の都市であるヤンゴンと第2の都市マンダレーで午後9時―午前5時の外出禁止令を発令し、両市を軍司令官の管理下に置いた。また、東部国境で少数民族、カレン族の反軍政組織と対じしていた部隊などを撤退させ、ヤンゴンに送り込んだもようだ。タイ字紙クルンテープトゥラキット(電子版)が25日、報じた。

 同サイトには、23日付で「タビクリ 忘れられた戦争」(参照)という興味深い記事があり、こう締められている。

 今回の旅で、終わることのない戦争に、少し変化が見えたという。タイ政府がカレン族など少数民族との接触を頻繁にし始めたというのだ。軍司令官当時にカレン族に同情的だったというスラユット・タイ首相のせいか、それともミャンマー情勢に何かが起きつつあるのか。

 まあ、何か起きつつあるのかもしれない。

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2007.09.27

吉本隆明の自立の思想の今

 吉本隆明のファンなら、あるいはかつてのファンでもそうだが、「自立の思想的拠点」(参照)を読んだことがあるだろう。全著作集の政治思想評論集にも含まれている。ここでの「自立」とは、昭和40年に「展望」に書かれたという時代背景を考えても、以下の冒頭を見ても、従来型の左翼思想からの自立を意味していたかに見える。


 わたしたちはいま、たくさんの思想的な死語にかこまれて生きている。
 〈プロレタリアート〉とか〈階級〉とかいう言葉は、すでにあまりつかわれなくなった。代りに〈社会主義体制と資本主義体制の平和的共存〉とか〈核戦争反対〉とかいう言葉が流布されている。言葉が失われてゆく痛覚もなしにたどってゆくこの推移は、思想の風流化として古くからわが国の思想的伝統につきまとっている。けっして新しい事態などというものではない。当人たちもそれをよく知っていて、階級闘争と平和共存の課題の矛盾と同一性を発見するのだというような論理のつじつまあわせに打ちこんでいる。しかし、思想の言葉は論理のくみたてでは蘇生できるものではない。いま失われてゆくものは、根深い現実的な根拠をもっているのだ。

 実際にその先を読み進めると、根幹にある問題はある種のナショナリズムと見てもよい。ナショナリズムと左翼思想のその双方からの自立というふうに捉えることもできるかもしれない。だが、もっと現実に即していえば、60年代・70年安保として語られた社会理想が、現実のなかで必然的に挫折していくとき、思索者はどのように思想的に立つのかという、差し迫った問題でもあった。別の言い方をすれば、およそ物を考えざるを得ない人間が現実にどのように対峙可能なのかということで、むしろそうした人生論的な部分に問題を還元すれば、吉本の別の言葉である「不可避の一本道」というのが、まさに人生のリアリティとなったものだった。こう生きる以外はなく、かろうじてぎりぎりでしか生きられないよ、と。
 簡単に言えば、こう生きるしか自分の現実はないというときの思惟の立脚点は自立と呼ぶしかないだろうという、ある種の追い詰められた感じを伴っていた。いや、私にはそういうふうに受け止められた。
 だが、「極東ブログ: [書評]よせやぃ。(吉本隆明)」(参照)で触れた対談集では、吉本はもっとくっきりと現在における自立というものを語っている。率直に言って、私は、半分はそのまま頷き、半分は少し驚いた。
 そのまま頷くというのは、人間力についてで、たとえば、こういう部分だ。インタビューをする塾経営者に対して吉本は、塾のありかたはどうするかという文脈で、比喩的にこう答えている。

塾なら塾で一つの連合体だと思って、どこかから資金が出るようなものをちゃんとつくるというやり方をしたら終わり……。少数派になっても、たとえば破れかぶれになってきても、アルバイトでも何でもいいから食いつないで、ちょっと我慢してほしい。

 ひどい言い方をすれば、政治党派を作らず、一人でアルバイトでも食いつなぐのが、今の状況における自立の思想の姿だよとも言える。これは、皮肉でもなんでもない。
 そして、我慢してくれ、という裏付けを彼はこう続ける。

僕の考えでは潰れるまでお宅の塾へ来る人が減ってしまうことは、まずないと思う。つまり、あなたのお人柄から見ても生徒さんがゼロになってしまうことはまずないから。

 さらに「あなたの塾の生徒が一人になってしまったというところまで守ったほうがいいですよ、それを守らなければ何をやっても同じです」とも言う。
 ちょっとすると奇妙な、老人にありがちな道徳訓を語っているかのようだが、これもべたに言えば、人柄さえあれば食いつなぐことができる、それを信じて、そこでその人柄で耐えてくれ、ということだ。人柄にそれほどの意味を持たせるているのは、この対談で吉本が強調する、まさに「人間力」に関係してくるからだ。吉本の言う人間力というのは概ね人柄と言っていいだろう。
 ただ、単純によい人柄という徳目のようなものではない。この点については、教育はどうあるべきかという文脈でこう語られる。

 僕が言いたいのは、原則は、あなたの塾の生徒さんの母親から何か相談を持ち掛けられたときにそれに対応できるということ。たとえば、ご当人が親とけんかして「家出したんだけど、行くところがないからぜひ先生のところへ泊まらせてくれ」と言ったら、「ああいいよ」と言って泊まらせてやるとか……。

 私の昨今の世相の観察からすると、そういう教育者はほとんどいないか、本当はいても見えないことになっているか。でも、見えなくてもまったくいないわけではなく、そこで本当に若い人が蘇っているのだろうと思う。
 いずれにせよ、吉本の自立はここで、一種、人柄・人情に近い人間力という極点を持つ。
 もう一つの極点は、構想力だ。こちらは、私には驚きと違和感があった。こちらも教育という枠組みで比喩的に語られる。吉本は「あなたが文科大臣になったらどうするか」ということを意識しておけとしているのだ。

 昔はデモも有効だったけど、そんなものがいま役に立つわけはないんです。時代の転換期で、そういうものが通用しにくくなってきている時代なんです。だけどあなたのような頑張り方で、ただ追い詰められているだけじゃなくて、追い詰められた分だけ俺が文科大臣になったらどうするかという、大筋だけは相当はっきりと確立しておこうと、積極的にちゃんと考える。そういう構想を持っている人が増えると、ひとりでに社会は変わっていくわけです。


 日常的には臨床的な専門の仕事をやっていればいい。その中間はいらない。追いつめられるだけじゃなくて積極性ですね。塾連合会みたいなものをつくっている連中が勢力を拡大して、補助金が募れるようになったといい気になるけど、そんなのは嘘ですから、そんなものは何の意味ないし、それより、俺が責任者になったらこうするというのを持てる人たちが少しでも多くなってくれば確実に日本は変わる。

 国家のような上からのビジョンを、もっとも下の大衆の側から描くというのが構想力として語られていると言っていいだろう。
 私は、率直に言うと、そういう構想力には違和感を持つし、吉本の思想はそんなものだったのかと訝しく思う点もある。この点については、ちょっと驚くなというのとわからないなというのがある。
 私は、そもそも教育に国家が関わるべきではないと思うし、国家の運営とは、ドブさらいと夜回りをしていればそれでいいと考えている。そうした国家観が、どうやら吉本とは違うようだなとも思う。
 そして、私は吉本より、日本と世界の行く末をとても悲観的に見ている。ネットの未来についても悲観的に見ている。どんどんダメになっていくだろうと思う。
 私ができることは、二つ、どんな悲惨になっても正確に見ていたい。正気でいたい、ということ。もう一つは、希望にかける人がいるならそれをできるだけ否定しないようにしようということ。
 私には悲観的な未来があっても、その暗い未来は私が死んでいく棺のサイズでよいのであって、多くの他者の地球ではない。私が悲観と絶望に浸っているのは私の趣味のようなものであって、私のものではない世界を暗く塗ることはどこかしら傲慢に思える。

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2007.09.26

死は別物ということ

 死についてはいろいろ考え続け、そして率直に言って自分にはほとんど結論も信念もないのだが、死の恐怖が時折無意識からこみ上げてくることがあるせいか、折に触れて考え続けている。
 いくつか問題の下位の構図のようなものはあり、例えば「棺の蓋を閉じて評価が定まる」というのはどうなのだろうか。つまり死という終点が人生の意味を表現するのかということだ。もちろん私のように無名で無意味な人間にとっては、身近な人間以外に私の棺の蓋を閉じる意味もないだろうというのは当然としても。
 死のことを書き出したのは、先日のエントリ「極東ブログ: [書評]よせやぃ。(吉本隆明)」(参照)の関連だ。私はけっこう吉本隆明の本を読んできた部類に入るし、彼のアングル以外からも親鸞についてもいろいろな側面で関心を寄せてきた。吉本の親鸞論はある程度理解したという感じももっていた。が、次の発言に触れたとき、虚を突かれた感じはした。


「人間はいつ、誰が、どんなことで、どういうふうに死ぬかは全然わからない。わからないことを考えるのは無駄なことだ」というのが親鸞のはっきりした考え方ですね。もっと言えば「そんなことは問題にもならない。日本の浄土教でも源信とか法然の言い方はだめなんだ。死だけは別問題で、自分のものではないと考えたほうがいい。老人で病気になったというところまでは自分のものだけど、あとは自分のものではないという考えのほうがいいんだ」というのが親鸞の考え方です。

 言われてみると、ああ、そうだ、そんな簡単なことなんだと目から鱗が落ちる感じがした。むしろどうしてそこがすっきりと自分に理解できなかったのか、逆に反省した。救済へのこだわりのようなものが自分にあるからだろう。
 親鸞の思想に救済があるのか。私の理解では、それはない。だが、それでもどこかに死と救済の構図を読み込んでしまうからすっきりと理解できなかったのだろう。吉本のこの親鸞理解では、むしろその構図自体の無効性がはっきりと言明されている。
 私はときおり自分の死に様を思うのだが、そのなかでもとりわけ嫌なのは、脳をやられて死ぬことだ。知覚や認識に異常を来たしてしまう自分というのは恐怖でしかない。これは、「極東ブログ: [書評]私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界(クリスティーン ボーデン)」(参照)でも少し書いた。
 だが、死が別物なら、狂気に落ちていく私もどうすることもないという結論以外はなさそうだ。
 吉本は対談の別の部分でもこう変奏する。

年を取ったから死ぬというのじゃなくて、事故で死ぬことも、病気で死ぬこともある。だから死というのはいつ、誰が、どう死ぬか、そんなことはわからんのだと。親鸞はそれに気が付いて、そこまで認識を深めたわけです。
 死は別物だ。人間の生涯の中には入らない問題で、生きている限りは生きていて、やがては死に至るんだけど、死は人間の個々の人が関与する事柄では全然ない。どういう病気で、誰が、いつ死ぬかわからない。そんなことは考えてもしようがないから、考える必要もない。臨床的にもそうで、死は別系列だ。他人にあるか、近親の手にあるか、医者の手にあるか知らないけど、自分の手には入らない。

 そうだなと思う。どうも引用して納得してるだけなので、Tumblrにでも書けみたいなことになりそうだが。
 ただ、こうした親鸞=吉本の思想のなかで、自殺や尊厳死みたいなものはどうなのか、そこはやはりわからないといえばわからない。わからないというのは、自分の死については、それは別物だどうしようもないとしてもいいとしても、同じ共同体の中の人々が尊厳死を権利として主張するとしたらどうなのか。その人々と自分の関係はわからないなと思う。
 こうしたことを考えていくと、死刑などの問題にも関連してくることがわかる。私は、大阪教育大学付属小児童殺人事件で死刑になった詫間守が唯一のきっかけとはいうわけではないが、次第に死刑廃止論に傾いていった。理由は簡単で、自己の死を賭することで共同生への悪と交換可能にするようなありかたが疑問に思えてきたからだ。死ぬ気になったら人を殺していいという思想として現れる死刑を受け入れがたく思う。
 話がまとまらないが、そうした殺人のような悪にもまた親鸞の思想の射程にはある。その部分についてはこの対談集では吉本は語っていない。

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2007.09.24

[書評]よせやぃ。(吉本隆明)

 反省した。吉本隆明はもう耄碌してしまってほとんど終了かな、人間身体の限界だからしかたないでしょ、とも思っていたのだが、ぜんぜん違う。まあ読む人にもよるのだろうけど、この対談集に出てくる80歳過ぎた吉本の迫力は、私がむさぼるように吉本を読んでいた二十年前を思い出させた。この対談書はとにかく驚きだった。

cover
よせやぃ。
吉本隆明
 実際には、彼は自筆だと「極東ブログ: [書評]家族のゆくえ(吉本隆明)」(参照)のような優れた部分と限界も見える。これはざっくばらんに言ってもいいかと思うが、吉本隆明の対談書はほとんどがゴミだ。対談者の思い入れや編集者の思い入れが奇妙に自己露出的だったり倒錯的に自己禁欲的だったり、あるいは過剰に解説的だったりする。それでいてフーコーやボードリヤールとかだとまるで対談が成立しない。自筆の書籍になると、文章が彼も下手くそなんだろうと思うけど、普通に読んでいては何を言っているのか皆目わからない。と、悪口みたいだが、吉本のすごさはそうした言語による表出の奇妙なほつれの部分からある時閃光のように見え始めるものがあり、その世界に捕らわれ、もうちょっと言えば、呪縛されてしまうところにある。フォロワーはどこかの時点で吉本を超えようとしたり、吉本加担するには世間が恐くて世間側に日和ったり、そしてみな死屍累々になっていく。自分もそのクチかなとも思うし、自然に吉本から自分なりの卒業あれかしとも思ったものだが、この対談を読んで、ダメかまだまだ先か、とにかくとんでもない思索家というのがいるもんだとあらためて思った。
 対談書なのになぜ本書が優れているのか。悪口みたいだが、私より少し年上、それでいて団塊世代から少しずりおち、さらに大学中退でまともなアカデミズムを覗いたことのない対談者グループが、赤手空拳で吉本にぶつかっているのが良かった。若い人のような感情的なぶつかりではなく、とても真摯に素直に吉本にぶつかってしまい、しかも、それをきちんと受けているがゆえに、この対談書は恐ろしく深く編集されている。表題にもなった「よせやぃ。」の口調は対談のところどころに出現するのだが、そのちょっとした軽口の意味を編集者はきちんと了解している。これが糸井重里なんかだと、彼もその軽さを天才風に受け止めて軽く風流に流してしまって、結果ダメダメになる(吉本の、言葉による思想家が消えてしまう)のだが、この対談書はそうではない。もうちょっと言えば編集者たちは吉本を理解しようとして過剰に理解していない。キーワードの構想力も人間力も、解釈の文脈ではなく、吉本の語り口調のなかにそのまま残されている、がゆえに、それを読者は深く受け止めることができる。
 手間がないので以下、はっとしたあたりをメモ書きみたいにする。
 引用中「そういうことができたら」は、とりあえずどん詰まりの世の中に自立の発言をすると理解していただきたい(実際はもっと微妙)。

 意見を聞かれれば「僕は日本の情況と世界の情況のある部分は基本的にはわからないとは思っていないからなあ」ということがあるから、自分が思っていることはしゃべりますけど、自分としては自分の固有領域でそういうことができたらいいなと思っています。
 それはとても大きな課題で、そういうことが切迫して近づいているんじゃないかと思うんですね。日本の左翼は僕の知っている範囲で言うと、みんな夢をよもう一度と考えるんですが、僕は「そんなのは過ぎたことだよ。そんなことをやってもだめなんだよ」という感じを持ちますね。
 これはどこでもそうです。共産党から社民党みたいな進歩的な政党でもそうですし、公認政党じゃないけどラジカルだと称している政治組織の人たちもそう思っています。昔僕が書いたものを出版してもいいかと言うから、「それはいいですよ。書いたんだから責任は負いますよ」と言うけど、心のなかでは「よせやい。そういうことをやってはだめなんだよ」と思っています。

 ここでさらりと吉本は過去の情況論についてだが全否定をしてしまっている。いや全否定ではないともいえる。過去の言説はその文脈では生きているし、思想の営為としては過去をその文脈で評価するということもあるだろう。だが、吉本がここで言っていることは、過去の文脈での発言を今の文脈にひっぱり出してもアクチュアルな意味はないから、今の問題を解けよ、ということだ。別の言い方をすれば、かつての左翼理念はもう終わったということだ。吉本はまだ今を生きている。
 これを現在に近い情況の文脈で見直すと、私は本書で、吉本が以前読んだものよりはるかに小泉の郵政解散を支持していることを知った。これは私には驚きだった。私が、小泉の郵政解散を支持したとき、自分はもう吉本の圏内にはいないかもしれないな、稚拙かつ夜郎自大な言い方だけどブロガーというものがあるならここで旗幟を鮮明にするところだと思った。結果、ひどい反発を受けた。あのころ、この吉本の発言を知っていたら、私は吉本を傘にしてしまったかもしれない(そうしなくてよかったが)。

 小泉は政府系の官庁を少なくして、郵便局みたいなものは人員も整理して、民営で資本家に経営させるようにする。意図は政府を縮小する、小さくするということです。郵政問題は、ほかの政党の候補は重要ではないと言っているけど、そうじゃないんです。
 国家という言い方でおわかりいただけると思うんだけど、これは「政府が」と言っているのと同じことで、要するに国家が社会の中に、つまり民衆が日常生活を営んでいる場所に張り出してきているものとして最も大きくて、最も重要なのが郵政問題です。郵便局の問題だけじゃなくて、通信、交通機関を含めて、郵政問題は国家が社会の中に張り出してきているいちばん大きな存在なんですよ。
 小泉は正当なことを言っていると僕は思っていますけど、これを民営化するかしないかは、要するに政府を小さくするか大きくするかということで、政府を小さくするのが根本であって、それは誰がどう考えてもいいことだというふうに言っていると思います。
 ほかにも社会福祉事務所とか、国家が社会に張り出してきているものはいろいろありますけど、たとえば郵便局はその中では誰が言っても愛想よく切手を売ってくれるし、金は取るけど郵便を出してくれるし、ときどき記念切手なんか出したりして、ある種の儲けもやっていて、郵政問題の中で郵便局はよくやっているじゃないかという評価も、もちろん成り立つわけです。
 そこで評価するなら、「なんで民営化するんだ。いまのままでいいじゃないか」というのが正論だいうことになる。だけど、政府を小さくするというのは、あらゆることににいいんですね。つまり誰が政権を取ろうと、どこの政党が政権を取ろうと、政府は小さくしておかなければいけないし、だんだん小さくなるのが本来的なもので、共産党だって小さくなるに反対する理由はないんです。原理原則として、理念としては、誰が考えてもいちばん妥当性があって、未来性がある問題なんですよ。だから理念から言えば「何も反対することはないんじゃないか」ということになる。つまり小泉は、そこのところだけで今度の選挙で勝負しようとしているわけです。


 政治的な問題について言えば、小泉が今度の選挙でやったこところが精一杯で、それでいいんじゃないかと思います。

 そんなことをあのとき吉本隆明は思っていたのか。知らなかったなという感慨があるし、よくこんなことを今でも言っているなとも思う。私はむしろ、あの時のバッシングでブログに少し懲りた。自由なブログとか言ってもあまりはっきり言わないほうがいいことは多いし、わかる人にはわかるようにテーマによっては韜晦に書くことにした。
 本書の対談で、発言するということに関連してか、これも意外に思えた。

 会社に行ってもそうだし、地域に行ってもそうだし、僕みたいにただ書いて、しかも文学で役にも立たないような、つまり有効性はちっともないという物書きでも肌で感じて、それを論理づけるというか、理屈づけるものは立てられるわけですね。それは機会があればいつでもおしゃべりすることはできますし、遠慮も何もない。ただ言論というのは憲法で保障されている自由なんだけど、日本のジャーナリズムは自由じゃなくてもう締め付けがすごいですね。僕がまともなことを言っても採用しないで、四国八十八ヵ所巡りの案内人になったみたいなものなら許すわけです。
 だけど大まともに僕に言わせたり、書かせたりするジャーナリズムはみんななくなったというのは、もう自明のことです。そういう状態だということは、すぐにわかってしまうんですね。おやおや、そういうことになったかと。

 この発言を最初読んだとき吉本もボケたなとちょっと思った。が、先の小泉による郵政問題の発言とか、ついぞあの頃吉本からメディアを通してダイレクトな発言を聞けなかったことや、左翼が昔の吉本の作品を復刻したがることなどを思いに入れると、ああ、吉本さん、ここでも正直に語っているんだなと思った。ちょっと泣きたくなった。
 憲法改正の自民党案を批判した文脈で、この問題をまたこうつなげている。

 だいたいそういうところまで行っているということで、僕自身の職業のことで言えば、言論の自由があるから、いくらでも何でも言ってあげるよと言ってもジャーナリズムはもうだめです。勝手に直してしまうし、朝日新聞やほかの大新聞はみんなそうなっています。
 僕は若いときなら「もうやめた」と言って、ただ「もう書いたんだから原稿料だけはくれ」という交渉をするところだけど、やはり年を取って少しだらしなくなったのか(笑)、寛容になったのか、そこまではやらないで、エーイ勝手にしろ、という感じです。あまりひどいときは「ボツにしちゃってくれ」とやりますが、このごろは「仕事はしたんだから金はくれ」とまでは言わないようになっています。

 なるほどね、そうかと思う。自分の周りのちょっとその関連の人の愚痴を聞いてもその実態はわかる。
 引用が長くなった。あと、親鸞と死のこと、自立のこと、私は、吉本隆明をかなり読み込んで理解していたかと思っていたのに、あれま全然わかってなかったということがいくつもあった。また別のエントリで書くかもしれないし、書かないかもしれない。

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2007.09.23

福田康夫自民党新総裁と言われてもな

 自民党新総裁に福田康夫元官房長官(71)が決まった。感想? それほどない。いいんじゃないのという感じはする。3年前のエントリになるが公僕を労うべく「極東ブログ: ご苦労様、福田康夫さん」(参照)を書いたが、嫌いな人ではない。が、別段麻生太郎幹事長(67)でもいいかなと思う。というか、自民党内部のことなんで国民には直接的には関係ない。しいて気になるといえば、大田弘子内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)はこれでアコージングリーお役ご免となるのだろうか。そこは残念だなという感じがする。
 で、話は終わりなんで、エントリにもならないが、なんとなくもうちょっと書いておくべきかなという感じもするので駄文を続ける。
 自民党内投票結果では、福田330票に対して麻生197票だった、とのこと。ざっくり見れば、3対2ということか。意外に麻生が強かったなというのと、それでもつまりは森派(清和政策研究会)の論理が強いわけか。とウィキペディアを見ると、「福田康夫」の項に面白いことが書いてある(参照)。


滞米経験などから英語が堪能で、初入閣までは主として外交関係のポストで地歩を築いた。閣僚経験が皆無であったにも関わらず、森内閣で官房長官に起用されたことに疑問の声も上がったが(当時の森派会長・小泉純一郎の推挙であるとも言われている)、無難に調整役をつとめた。

 小泉による推挙という情報がほんとかねとも思うが、そう考えると今回のドタバタでの小泉の動きがよくわかるし、それ以前に小泉純一郎(65)なんだが、65歳というのだから42年生まれ(プレスリー、イェー)。麻生太郎が40年生まれ。ちなみに誕生日は9月20日だったのか。そして福田康夫、36年生まれ、一番、爺じゃん、と強調するまでもない事実。小泉を見ていると白髪が目立ちに老境に入るみたいだけど、敬老国家路線で考えると、これで自民党、福田がダメでも、麻生、さらに小泉復活という路線も不可能ではないというか、その間、4年くらい時間を稼げば、自民党復活ということも可能かもしれない。いや、別に自民党に肩入れしているわけではなく、なかなか粘り腰のある政党だなと感心しているだけ。
 話はずっこけるが、この機会に福田康夫の過去の業績を追って見ていたら、今の政局関連でほぉというか、そうだったのかというか、ちと忘れていたよな、あれ、特措法成立時のドタバタという話をめっけた。01年の読売新聞記事”検証・テロ特措法案修正 党首会談決裂の舞台裏 公明、民主のはざまに首相沈黙”(2001.10.17)である。
 時は01年9月15日、場所は首相官邸。登場人物は、小泉純一郎自民党代表(当時)との鳩山由紀夫民主党代表(当時)の党首会談、というか、かなり密談に近いようなので記事は記者の推定が入るのだろう。文脈は、テロ特措法を民主党に呑ませるために自民側が「国会の事前承認」という修正を出すという、毎度ながらの阿吽の呼吸のはずだったらしい。が、そういかなかったというお話。

 「清水の舞台から飛び降りるつもりで、民主党ものめる案として与党三党で工夫したものなのでお願いします」「最後にもう一度お願いします」――約一時間十分の会談で小泉が言葉を発したのは、わずかにこの二回だけだった。
 「話が違うじゃないか」。鳩山に同席した民主党幹事長の菅直人は、激しい形相で小泉に食ってかかった。菅は、小泉が焦点の「国会の事前承認」に踏み込みそうだとの事前の情報をもとに、会談途中で小泉と鳩山が席を立って別室で二人きりで話し合い、劇的な決着を図るとのシナリオを描いていた。だが、肝心の小泉は沈黙するばかりで、鳩山と二人きりで話そうというそぶりは全くなかったのだ。

 これだけ読むといかにも小泉がやりそうな強行のようでもあるが、そうでもないらしい。記事によれば、小泉は韓国訪問後で疲労していたふうでもあり、また彼自身のイニシアティブはなかったようだ。

 幹事長会談で、官房副長官の安倍晋三が「一日、二日で審議するという担保があれば大丈夫だ」と事前承認も受け入れ可能との政府の考えを説明すると、公明党幹事長の冬柴鉄三や保守党幹事長の二階俊博は「政府がそんなことで良いとは何をかいわんやだ」と怒り出し、事前承認の線は完全につぶされていた。
 帰国した小泉に対し、安倍は「この案が与党の生命線だ」と報告し、交渉の手足が縛られていることを説明したが、小泉はうなずくしかなかった。

 安倍ちゃんも、どうもこの件では特に持論はなかったっぽい。

 与党内では妥協案として「事後承認」案が浮上したが、党首会談前日の十四日朝、都内で民放テレビ番組出演後、民主党政調会長の岡田と安倍が楽屋にとどまって談笑した際も、岡田は安倍から「首相は最終的には民主党案をのむ」との感触を得ていた。

 冬柴と二階のツッコミがなければ、まあ民主党に折れてもええんでないのだったのだろう。というのと、山崎も暗躍したようだ。なんつうメンツ。で、なぜ冬柴が、なのだが、「与党間の合意が民主党との協議でひっくり返されては、公明党の存在意義が失われる」というメンツだったとのこと。トレビアン。ただ、もともと時限立法にしたのは、公明党でもあるので、そのあたりは別の意味でトレビアンだったかもしれない。っていうか、それが今に尾を引く。ちなみに防衛庁(当時)は新法にしてくれよだった。
 がっくし鳩山だが、こっちのほうの論理も、どうもそれほど確たるものではなく、旧社会党系議員の融和だったようだ。ということで、このあたりの民主党内の構造は今もあまり変わってないのかもしれない。
 ところでこのエントリの主役福田康夫元官房長官はどういう役回りだったかというと、17日の午前の記者会見でいわく、「周辺事態というのはちょっと外れるのかなと思う」とな。ナイス。

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