« 2007年9月2日 - 2007年9月8日 | トップページ | 2007年9月16日 - 2007年9月22日 »

2007.09.14

[書評]人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか(水野和夫)

 「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか(水野和夫)」(参照)をようやく読んだ。先入観といえばそうなのだが、ウォーラーステインとかニューアカ系ゴマ臭さ満載なんじゃないかと引いていたのだが、実際読んでいたら柄谷行人の引用とかも出てきて引いたというか笑った。

cover
人々はなぜ
グローバル経済の本質を
見誤るのか
水野和夫
 読後、なんとも微妙。議論が多岐にわたり、ディテールと概括の遠近感が奇妙なので、ありがちなトンデモ本かなとも思った。日本のデフレの説明とかでも、「でも、それって先進国全体に適用されそうな要素だけど他は概ねインフレなんすけど先生ぇ、どっすか」みたいなツッコミがしたくなる。でもま、概ね職人技というのかわからないけど、現在進行中の米国住宅バブルの結論とかもやばげなところは結局ずばりとは書かれていない。「こ、ここでトンデモの一言をぜひ増田俊男先生!」といった趣向もない。その点は落ち着いた本と言えるのかもしれない。
 それにしてもこの一種の幻惑感はなんなのだろう。例えば、このあたりが顕著かもしれない。

 先進国がすでに「新中世」に入ったとすれば、二一世紀は「帝国の時代」であることを意味する。前節の「なぜそうしないのか」との問いに日本が真っ真っ先に答えを出さなければならないのは、単独で帝国を目指すのか、EUのように共同体を目指すのかである。おそらく、後者であることは間違いないだろう。単独で「帝国」を目指せるのは、米国、中国、ロシアの三カ国くらいしかない。
 日本に「帝国の時代」に備える覚悟はできているのだろうか。この五年間、とりわけ九・一一事件後、「帝国化」に向けて世界の歴史の歯車が大きく動いているにもかかわらず、日本のアジア外交は靖国問題でストップしたままだった。

 私は、素直にいうけど、これ読んで、お茶吹いた。そこで靖国問題ですか、というべたなツッコミではないよ。というか、もういわゆる靖国問題の構図はお疲れさん上海閥というくらいでほぼ見えている(ほぼというのが不気味なんだが)ので、けっこうどうでもいい。おふざけじゃなくて、じゃ、というところで、水野の意見では、アジア共同体を目指せと廣松渉先生御霊言みたいなわけだが、帝国には中国が入るわけだから、当然、すると、中国抜きのアジアの共同体を日本が作れですか? 誰々、面子? インドネシア、マレーシア、フィリピン、ベトナム……ASEANのリーダーたれということ、ほいで共通通貨ですか? というあたりで、ご冗談でしょ、藁、みたいなことになる。いやすまん、おふざけになってしまったが、じゃ、どうせいと?
 同じ文脈なのだが。

 グローバル経済圏での基本原理は「競争」であり、「効率」である。一方、「新中世」経済圏のそれは、「安心」と「公平」である。例えば、道州制の議論においても、首都圏、近畿圏、東海圏はグローバル経済圏に最適な税制や仕組みを導入し、それ以外の圏は定常状態を維持できる仕組みを導入することが望ましい。

 ここで、私は率直に、グローバル経済圏と「新中世」経済圏という理念を理解できないのだが、というのは、それと「帝国化」の関係の構造がわからないからだ。グローバル経済が帝国化だというのはわからないでもない。しかし、「新中世」というのは、先進国の現象であればその延長に出現するのではないか? この例でも、一国のなかに帝国的な圏とそうではない中世的な圏が想定されるが、実際には常に政治的に帝国側から統制されるしかないだろうし、そもそも、そうした国のタガというのをグローバル経済が否定するというのが、水野の議論の原点なのにするっとドメスティックな政治権力の有効性が出てくる。
 重箱の隅つつきをしたいのではない。どうもこれは大枠の構図の問題としか思えないのだ。さらにこう続く。

 グローバル経済化は不可逆的現象だろうから、近代主権国家はそれまで築いてきた均質性を取り戻すことはできないのである。技術革新が推し進めるグローバル化はとどまることはないからである。

 それは私も同意する。であれば、先の、ドメスティックなスコープにおける、グローバル経済圏と「新中世」経済圏の区分けは無理だろう(むしろ文化的保護区のようにするしかない)。また、米帝国と中華帝国の狭間で軍事的な骨抜きで、中国抜きASEAN共同体みたいなのものを作れというのは、夢想でしかないのではないか。
 わざとめちゃくちゃなエントリを書きたいわけではないが、この先にこうも続くのだ。

 グローバル経済圏にとっての課題はドル問題、すなわち通貨制度とエネルギー問題である。

 これは私は同意する。だが、

一方、「新中世」経済圏にとっては、定常状態に到達するために流通革命を起こせるかどうかが課題である。

 となる、このあたりで、また遠近感が狂ってくる。この先、水野は日本の労働生産で著しく低いのは流通業だとしてそこに解決を集結させていくのだが。
 がというのは、それこそがグローバル経済の最大の力ではないのか。まさに水野が強調するようにIT通信技術によって頭脳労働までも他国に流通可能になったと同じことが起きるだろうし、身近に小売りを考えてもむしろ巨大アマゾン店みたいなモデルの勝利になるだろう。
 とま、ちょっと否定面が強すぎたかもしれないが、本書の話題はディテール的には多岐にわたるので、へぇこの資料は探していたのだ手間が省けたみたいなお得感はある。エネルギー問題というのをサウジ、ドルの問題を米国に置き換え、ミッシングピースに「極東ブログ: [書評]石油の隠された貌(エリック・ローラン)」(参照)を当てはめていくと、うひゃ陰謀論却下なインパクトのある世界像も描ける。
 あまりベタにいうと馬鹿みたいだけど、米国はドルへの投資をまだまだ吸い続けてなくてはならないように帝国化を推進するしかないし、その帝国化のある完成時点で、水野のいう新中世宣言のようにじんわりとどかんとドル安が起きて、過去はなかったことにしようとなるのではないか。つまり、どう転んでもドル安を後にするというドライブでなにかと必死になるし、中国様がそれにどう調和するかに、日本は追従するのだろう。明日晴れるといいな、世界が平和でありますように。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2007.09.12

安倍首相辞任で思い出すこと

 安倍首相辞任の印象について、ごく簡単にであれ、書いておくべきだろうと思う、というくらいの話だが。
 なぜ、安倍首相が突然辞任したかについては、一部予想が当たったとかいう話もあるのかもしれないが、大勢にとっては突然の出来事で、殿様の時もそうだったが、お坊ちゃんもやるなという感じだろう。私は、当初健康の問題かなと思ったし、一部では遺産相続のカネがらみのスキャンダルかという噂もある。ようするに、なぜ安倍首相が辞任したのかはミステリーといった趣向になる。
 こういうときは、話をシンプルに考え直すのが私のクセなので、ちょっと別件の忙しさが一息ついたので、緊急会見の全文(参照)を読み直してみた。案外べたに辞任の理由が書いてあるのに、みんな気がつかないということもある。これは全文コピーしてもいいだろうし、後になって、えっと小泉政権の後に1年短命の政権あったよね、ああ、これこれだよね、のために。


 本日、総理の職を辞するべきと決意をいたしました。
 7月の29日、参議院の選挙が、結果が出たわけですが、大変厳しい結果でございました。しかし厳しい結果を受けて、この改革を止めてはならない、また戦後レジームからの脱却、その方向性を変えてはならないとの決意で続投を決意をしたわけであります。今日まで全力で取り組んできたところであります。
 そしてまた先般、シドニーにおきまして、テロとの戦い、国際社会から期待されているこの活動を、そして高い評価をされているこの活動を中断することがあってはならない、なんとしても継続をしていかなければならないと、このように申しあげました。国際社会への貢献、これは私が申し上げている、主張する外交の中核でございます。この政策は何としてもやり遂げていく責任が私にはある、この思いの中で、私は、中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していく、というお話をいたしました。そして、私は、職に決してしがみつくものでもない、と申し上げたわけであります。そしてそのためには、あらゆる努力をしなければいけない。環境づくりについても、努力をしなければいけない、一身を投げ打つ覚悟で、全力で努力すべきだと考えてまいりました。
 本日、小沢党首に党首会談を申し入れ、私の率直な思いと考えを伝えようと。残念ながら、党首会談については実質的に断られてしまったわけであります。先般、小沢代表は民意を受けていないと、このような批判もしたわけでございますが、大変残念でございました。今後、このテロとの戦いを継続させる上において、私はどうすべきか、むしろこれは局面を転換しなければならない。新たな総理のもとで、テロとの戦いを継続をしていく、それを目指すべきではないだろうか。きたる国連総会にも、新しい総理が行くことが、むしろ局面を変えていくためにはいいのではないか。
 また、改革を進めていく、その決意で続投し、そして内閣改造を行ったわけでございますが、今の状況でなかなか、国民の支持、信頼の上において力強く政策を前に進めていくことは困難な状況であると。ここは自らがけじめをつけることによって、局面を打開をしなければいけない。そう判断するに至ったわけでございます。
 先ほど、党の五役に対しまして私の考え、決意をお伝えをいたしました。そしてこのうえは、政治の空白を生まないように、なるべく早く次の総裁を決めてもらいたい、本日からその作業に入ってもらいたいと指示をいたしました。私としましても、私自身の決断が先に伸びることによってですね、今国会において、困難が大きくなると。その判断から、決断はなるべく早く行わなければならないと、そう判断したところでございます。
 私からは以上であります。

 最後の一言につい渡辺久美子の声を想像してしまうが、読み直してみると、今日辞任したのは、ようするに小沢一郎民主党党首との会談が断られたからだ、ということだ。つまり、そういうことだ。
 もちろん、小沢側からは、正式な会談の申し入れなんかないという回答が出ている。これは奇っ怪ということではなくて、安倍元首相側からの会談というのは、そもそも正式な会談ではなく、密談しよーぜということだった。
 もう本土の人間は10年前のあの密談を忘れているかもしれないが、今回の事態は、かつて1997年4月3日、沖縄基地問題の一つ土地収用手続きの問題について、当時の新進党小沢党首と自民党橋本首相がビール片手に密談したことを思い出させる。1997年4月5日沖縄タイムス「冷めゆく“沖縄熱”」(参照)より。

●首相の焦り
 沖縄問題にかかわってきた政府高官は、特措法改正が国会を通過するのを機に、中央の“沖縄熱”が一挙に引くだろうと予測する。法改正により県収用委員会の審理中は「暫定使用」が認められ、政府を悩ませてきた不法占拠の恐れがなくなるからだ。
 橋本首相は「法改正ができなければ訪米できない」と漏らしてきた。米軍用地問題と同様、普天間飛行場の移設・返還の行方が不透明な中、首相は国家間公約の実施能力を問われかねず、24日の日米首脳会談を前に政府側は焦りを募らせていた。
 3日の橋本首相と、新進党の小沢一郎党首との会談で、新進党の同意を得て法改正成立が確実となった。5月14日を乗り越える「その場しのぎ」との批判が新進党などから強く出されていたが、会談で「日米安保条約の履行は国が責任を持つ」ことで合意した。法改正をきっかけに、国の防衛に関しては政府が責任を持って行えるような新たな法整備に「自進連合」で取り組む下地が整ったといえよう。
 「沖縄国会」は、2人の会談を境に関心が法改正論議や振興策から、保保連合、自社さ主導といった政局の枠組みへと一気に動いた。

 あのとき、小沢が現在のように橋本に門前払いを食らわせていたら、もしかすると、今回の安倍元首相のように、橋本の首も飛んでいたかもしれない。当時の問題もまた、特措法に関係し、「日米安保条約の履行は国が責任を持つ」ということだった。今回安倍の首を飛ばしたのも、安保ではないにせよ、同じ構図だ。そして、違った結果になった。何が小沢を変えたかを書く必要もないだろう。
 巷ではすでに麻生総理誕生かワクテカ状態になっている。が、この流れで見れば、本質的な問題は、テロ特措法を小沢がどう捌くかにかかっている。かつての橋本密談の落とし所を思い返せば、今回どんな落とし所があるかも予想が付くとも言えるし、20年来の小沢構想が火を噴くかもしれない。たぶん、後者なのだろう。その意味に、現状の寄り合い所帯の民主党が耐えられるとも思えない。この問題は、難しい。
 あと、ちょっと補足めいた話だが、個人的には平沼赳夫自民党復党の時点で、自民党オワタと私は思った。終わっているのに首相がいるのは変な光景でもあるなとも思ったが、終わったのは小泉自民党であって昔の自民党はこんなものだった。それと、「極東ブログ: 2007年参院選、雑感」(参照)で、「大企業の活動は円安によって好調だ。なので、経済政策面で安倍続投というのは無言に概ね支持されているのではないか」としたが、与謝野が復活したあたりで、これもオワタになったのだろう。

| | コメント (9) | トラックバック (9)

2007.09.10

[書評]本は楽しい 僕の自伝的読書ノート(赤川次郎)

 私は赤川次郎の本をほとんど読まない。時代が時代なので何か数冊は読んだ気もするがすっかり忘れている。角川映画「早春物語」(参照)はかなり好きな作品なので(ところで今この歳で見直すとあらぬシーンでチ○コ勃ったりするかもやばそ)、原作「早春物語」(参照)も読んだのだろうと思うが記憶にない。読んでないのかもしれない。私は短いセリフの多い文芸が苦手だ。たぶん携帯電話小説とやらも読めないと思う。それでも赤川次郎についてはずっと関心を持っていた。その理由は本書に関係するし、私はこのエントリに書いて、その思いにさよならしたい。

cover
本は楽しい
僕の自伝的
読書ノート
 赤川次郎はあまり自身のことを語らない。特に自伝的な話をしない作家だった。この本は唯一例外的に赤川が自分のことを語っている。三部に分かれていて、〔I〕青春ノート、〔II〕50歳の出発、〔III〕鶴見俊介との対談。対談は人によっては面白いかもしれないがとりあえずどうでもいいだろう。
 〔I〕青春ノートは1984年、彼が36歳で書いた文章だ。文章中、自身を「三十代も後半になって」と赤川は書いているが、36歳という歳の特有の重さがある。村上春樹の「プールサイド」(参照)の思いを経た男の立ち位置のようなものだろう。赤川はそこから青春時代と、書かずにはいられなかった作家への道を少し語っている。
 この〔I〕青春ノートは、84年に岩波ブックレット「三毛猫ホームズの青春ノート」として出版された。当時の赤川の唯一の自分語りであり、私は率直に感銘も受けた。彼がどうしても語れないものを背負っていることも感じた。
 〔I〕青春ノートは、現在17歳から19歳の青年、そして36歳に近づく文学好きの人、特に男性は読んでみると、優しい言葉から深い感銘を受けるだろう。彼は今でいう非モテだったのかもしれないし、今でいうラノベな人だったのかもしれない。ハイティーンの時代に西洋を舞台にした恋のロマンの小説を書いていた。

 ところで、僕の自作の方は、といえば、これはもう手放しのロマンチシズムとでもいいましょうか。――パリ社交界に知れ渡った美青年と、その年上の愛人、清純な娘など何人かの女性が織り成す恋愛ドラマ。
 誤解されるといけないので、念のため申し添えますが、このころ、現実の恋愛の経験はゼロ、でした。学校は男子校、クラブ活動にも加わらず、帰り道に寄るのは本屋だけ、という生活で、恋の芽生えるチャンスなど、あろうはずもなかったのです。
 本当の話――信じてもらえないかもしれませんが――中学高校の六年間、僕は女の子と口をきいたことがありません。二回くらい、道を訊かれて教えてやったことがあったぐらいです。
 経験もないのに、恋愛小説が書けるのか? そう首をひねる方は、想像力が乏しいのです。小説を読み、書く中で、いくらでも恋愛を体験していた僕は、後に、本当の恋をしたとき、びっくりしたものです。
 それがあまりに「小説の通りだった」からです! 失恋の苦痛まで、想像で書いた通りでした。

 50歳の私はこの文章を読みごく軽く苦笑する。胸にきゅんとするほど、それはわかるという共感もある。赤川のこの話は、コレットの「青い麦」(参照)などコレットを語る文脈に続くものだ。「青い麦」に胸ときめかない男子ってつまんないだろうなとも思うが、今ならもっといいラノベがあるのかもしれない。
 作家になる話なども引用して感想を書きたいが端折る。50歳になった私が本書を読み返したのは、〔II〕50歳の出発、を今の自分の気持ちで捉えてみたかったからだ。
 この部分は1998年、本書のために書かれたのだが、正確には口述を編集者がまとめたもので、自筆ではない。依然赤川にとって書きづらいものだったのかもしれない。
 赤川にとって50歳の意味はまず子供だったようだ。そして子供を語ることで父を語るようになった。彼はようやく父を語らざるをえないところに立った。
 若い人の心情をどう捉えるかという文脈から。

 ただ僕が書きはじめたころは、娘は一歳だった。僕の作家人生は娘の成長と一緒だったわけですが、僕自身が父親とほとんど暮らしたことがない人間で、家庭の中で父親は何をやっているものだか、イメージがまったく湧かなかったので初期の小説には父親がほとんど出てきません。


 とくに『ふたり』とか、あのへんから子どもの人生に親がどうかかわっていくかということがでてきます。ふつう、青春小説では、親はできあがった人間として出てきて、ものわかりがいいか悪いかぐらいの分類をされてしまうんですけれども、そうじゃなくて、親も成長しているんです。主人公が高校生だと、親は四十代くらいですから、それこそ迷いもあるし、まちがったこともするし、親も悩んでいるということを子どもが知る。


 そういう点でいうと、父親といっても、成長してみるとそんなに立派じゃないということがわかってくる。若いころは四〇歳を過ぎたら人間なんてそんなに変わらないものだと思っていたんです。それこそ不惑という言葉があるくらいで。だけど、不惑どころじゃない。四〇歳になっても五〇歳になっても、なんだ、昔とたいして変わらないじゃないかって思います。そういう感じは自分がなってみないとわからない。

 五〇歳に自分がなってみて私も、つい数年前17歳だったような感じがすることがあるし、目が覚めてしばらく自分の歳は32歳じゃないかと夢の続きで思っていたりすることがある。人によるのかもしれないが。
 赤川は50歳になってようやく父を語り出した。

父親については、話し出すと、それだけで一冊できてしまう。とんでもない人だったというか、まだ生きています。明治生まれなんで、もう九十近い。


 ただ、最近になって、父親の名前をあちこちで見るようになりました。たぶんきっかけは山口淑子さんの自伝『李香蘭』でしょう。中国で、敗戦のときに甘粕正彦(元憲兵で大杉栄たちを殺したとされている)が自殺したときそばにいたのが赤川次郎さんの父親だ、という記述が出てくる。内田吐夢さんの評伝(『私説 内田吐夢伝』鈴木尚之)にもそのときの場面が出ているようです。鎌田慧さんの書かれた『大杉栄 自由への疾走』にもちらっと出てくる。

 そしてあるパーティの話として、伝聞のように、一度きり、その名前が切り出される。

そのパーティの中で六〇歳くらいの方に声をかけられた。「お父さまはもしかしたら赤川孝一さんとおっしゃるんですか」って言う。

 私は赤川次郎に詳しくないし、本書も読み違えているかもしれないが、赤川次郎にとって赤川孝一という名が語られるのは、この一か所だけではないだろうか。
 赤川孝一は甘粕の側近だった。
 もう時効のようなものだろうと思うので書いておきたい。
 私は92年ころだったと思うが、赤川孝一に会って話を聞いたことがある。ひっそりとした喫茶店で紹介してくれた人と三人だった。話を聞くに徹してあまり直接的な質問とかしてなかったつもりだが、最後に「甘粕さんはどんな人だったのですか」と訊いてみた。彼は遠いものを見るように、「甘粕さんはあなたに似てますよ、頭のいい人でした」と言った。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

« 2007年9月2日 - 2007年9月8日 | トップページ | 2007年9月16日 - 2007年9月22日 »