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2007.08.31

米国の兵器産業が対外的に弱体化しているらしい

 世界の兵器産業というのは兵器の高度化もあいまって、米国の独走なんだろうなとなんとなく思っていたし、そう言ってもそれほど間違いでもないのだろうけど、今週の日本版ニューズウィーク(9・5)の記事”兵器市場に響く軍拡狂騒曲”を読んで、意外に思ったことがあった。世界市場で見ていくと米国の優位には陰りがありそうだ。
 まず米国と限らず世界的に全体的に兵器産業は好調ということがあるのだが。


 ヨーロッパ勢の攻勢が最も目立つのは、途上国の兵器市場だ。この分野における米メーカーの市場占有率は、92~05年の間に54%から29%まで低下した。
 とくにアメリカ勢の苦戦が目立つのは中東だ。原油価格の記録的高騰を受けて各国が防衛予算を増大させる中、イギリス、フランス、それに中国の軍需関連企業は米メーカーの支配的地位を徐々に突き崩しつつある。


 さらにサウジはGIATやDCNSといったフランス企業と、総額80億ドル相当の戦闘用航空機、戦車、潜水艦の購入契約を結ぶ見込みだ。「(湾岸諸国は)軍需増強をイランに見せつけようとしている」と、ロンドンの中東専門家ニール・クイリアムは言う。「だが同時に、もう以前のようなアメリカ頼みではないというメッセージを自国民に発するねらいもある」

 アラブ諸国の対イラン意識が伺われて興味深いことはさておき、なんとなくだが、サウジとブッシュ政権の関係をみると、米国からほいほいサウジに軍事支援しているような印象もあるが、実際の米議会ではサウジが過激派と関係が深いことを懸念し、兵器売却に難色を示している。
 ちょっと引用が長くなるが。

 この傾向はアジアでも見受けられる。米政府はしばしば、圧政を理由に潜在的な顧客に経済制裁を科したり、先端技術の提供を拒否して大型契約をみすみす逃している。だが、ロシアや中国といった他の武器輸出国には、そのような足かせはない。

 その一例として記事ではパキスタンがあげられ、パキスタンは中国と新型戦闘機共同開発に向かったという。
 こういう事態をどう捉えていいのかちょっとわからないなという感じがする。基本的にはここで描かれていることが嘘だとは思えない。
 他方、朝鮮日報”世界の防衛産業、売上高の63%は米国企業”(参照)の記事も正しいだろう。

 これら軍需産業に占める米国企業の割合は非常に高い。世界のメーカー上位100社が計上する売り上げの実に63.3%は、40社に上る米国企業が占めている。次いで、36社に上るヨーロッパ企業の売り上げが高く、その割合は29.4%を占めている。ちなみに世界の兵器市場で米国と争っているロシア(4社)は、わずか1.2%を占めているにすぎない。

 ニューズウィークの記事と合わせて考えれば、米国の軍需産業というのは、意外と国内消費向けなのだろうということ、案外それが住宅バブルのように経済の牽引の役割を担っていたのだろう。
 素朴に書いてしまうと、日本のマスメディアは反米基調があるので米国が軍事的に暴虐を振るっているかのようなイメージをイラク戦争後の混乱に乗じて撒いているが、実態はこの間米国の軍事は停滞していたのではないだろうか。そして実際の世界の軍事的な混乱、特にアフリカでの諸問題は米国以外の軍事産業の関わりが大きいような気がする。まあ、気がするというだけで、別に米国に加担する意図はないので、そうではないよというご指摘があればそれは幸い。
 ところで、ニューズウィークの同記事では、このところ話題のF22を日本に売らないという話題にも触れているのだが、日本と特定されているわけではないが、海外受注が進まないとF22の生産ラインは維持でないらしい。ということは、日本がF22を最終的に購入するというシナリオができていそうな気もするが、ネックになっているのは日本の情報管理能力もだが、対中国の問題だろう。今後、米政権が民主党に移るとなるとそのあたりはどうなるということもある。
 そういう線で考えるとシナリオをするっと通すのは難しい。通すには、日本が今より熱狂的にF22売ってくれと何かとヒステリックな日本国民が騒ぎ出す状況が必要になる。というところで、それもちょっとなという感じはするし、別に陰謀論をフカシたいわけでは全然ないが、もしかすると、まあ、なんかあるのかもしれないな。

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2007.08.30

[書評]中学生でもわかるアラブ史教科書(イザヤ・ベンダサン、山本七平)

 かつて一読はしたが、「文藝春秋」とは異なり、74年の「諸君」はあまり図書館で保管されていないので、こうして30年以上も経って復刻されて再読すると感慨深い。この歳になって読み直してみると(つまり当時の筆者らと同年くらいの歳)、書き様がけっこう荒っぽいし不用な修辞も多く見られる。はたしてこれが「中学生でもわかる」本だろうかと少し考えて、しかし生意気だった自分の中学生時代を思えば、小利口な中学生なら十分読めるだろう。さて、ここでためらうのだが、本書は、冷静に評価すれば、トンデモ本であろう。

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中学生でもわかる
アラブ史教科書
日本人のための
中東世界入門
イザヤ・ベンダサン
山本七平
 私は、山本七平の心酔者であり、30年以上もイザヤ・ベンダサンの追っかけ読者でもあった。両者の関係についてはここでは触れない(なのであまりべたなツッコミもやめてくださいね)が、二者が同じテーマでしかもほぼ同時期に書いたものを並べてみると、考え方はさすがに同じだが、究極の部分を見つめる視線に差を感じる。単純に言えば、イザヤ・ベンダサンのおちょくったような物言いには奇妙な悲劇性が感受できる。だが、このこともそこまでとしよう。
 アラブ史については本書でも言及されているが、基本はヒッティの「アラブの歴史」(参照<上><下>)なのだろうが、さすがにこれは中学生向きとは言えないし、一般の読者でも難しいのではないだろうか。その点では、本書はサマリーをさらっと書いているのでお得な本とは言えるだろう。あと、一定の年代以上の日本人ならあのころ、あのオイルショックの馬鹿騒ぎの空気が間接的に感じられるだろう。
 さて、では、なぜ本書をトンデモ本と言うしかないだろうなと思うかなのだが、イスラエル建国時のパレスチナ難民数への過小評価の示唆があるからだ。もちろん、推定して書かれて、主張ではないのだが、本書を普通に読めば1万5千人から22万5千人という理解になる。これは定説の60万人から70万人とあまりに差がありすぎる。しかも、この差について、イザヤ・ベンダサンは執筆の74年時点で10年もすればわかるでしょうと暢気に構えているが、私の知る限りその後の経緯もそういうものでもないようだ(どうですかね、ご専門のかた?)。暢気といえば、パレスチナ問題も早晩収まるような雰囲気も本書には感じられるが、あれから30年経ち、ご覧のありさまである。
 だが私としては、これは貴重なトンデモ本かなという感じはしている。それは、ユダヤ人だったアーサー・ケストラーの「ユダヤ人とは誰か 第十三支族・カザール王国の謎」(参照)にも似ている。こちらの本は、日本での訳者もそうだが、なかなか不幸な出自の本でもあるといえるし、国際的には粗方トンデモ本という評価に落ち着いている。しかしこっそり読むべき部分はあろうなと個人的に思ってはいる。
 余談だが、私は30代にハザールについて関心を持ち、岡田英弘先生に二度ほど直接質問したことがある。岡田先生もハザールには深い関心を持っているのだが、ケストラー説については一笑に付した。そのおり、ドナウ河近郊に残る古代ユダヤ人遺跡などについても伺った。さて私はといえば、岡田先生がおっしゃるならそうかなというくらいだし、ケストラー説は国際的にはトンデモだしなというところで留まっている。ついでにあまり言うのもなんだが、南京虐殺についても秦郁彦「南京事件 増補版「虐殺」の構造」 (参照)のあたりが妥当であろうかなと思うくらいで、こうしたタッチーな問題にはそれ以上の関心はない。むしろ関心というなら上海戦のほうだ。
 どさくさまぎれで言うと、「聖書アラビア起源説(カマール・サリービー)」(参照)もトンデモ本だが、あながちばっさり捨てるものでもないだろうし、以前にも書いたが、このあたりの世界宗教はそろってゾロアスター教の影響があるだろうとか、私は私なりにトンデモな夢想ももっている。もちろん、トンデモだし夢想にすぎない。
 話を戻すと、ケストラーのトンデモ説は、オモテで語られないが実は国際的には賛否を抜きにして常識であり、もしかすると、本書のイザヤ・ベンダサンのパレスチナ難民数の話もその手の常識なのかもしれないという印象も少しある。
 もうちょっと書く。ある説がトンデモ説かどうかを、私はその説明や叙述で判断しない。国際的な合意の水準で受け取るだけなのだ。水の伝言が科学か似非科学か偽科学か、私は国際的な科学者の科学の水準で判断する。それだけ。もしかすると、世界が間違っているのかもしれず、トンデモ本に真実が書かれているのかもしれない。私は、しかし、そういうふうに考えないことにしている。それだけだ。
 本書で、もう一点、若干トンデモ説っぽいのは、イスラエル建国時の入植ユダヤ人の大半はアラブ世界から来たものだというあたりだ。これについては、だが、おりに触れていくつか資料を読んでいると、そういう見解でもよいのではないかと思える。その意味で、パレスチナの土地に欧州や東欧のユダヤ人がやってきて現地の人を追い出した、というのもまた違うでしょうとは思う。
 まあ、そんなところかな。山本七平とイザヤ・ベンダサンの著作に馴染みすぎて、ある部分では、たとえば「諸悪の根源はトルコ」とアラブが見ているといった説明などは、そりゃ普通そうでしょという感じに、ごく普通になっている。その他、いろいろとそれは普通でしょと思っている部分は多い。
cover
イスラムの読み方
なぜ、欧米・日本と
折りあえないのか
山本七平
加瀬英明
 そうそう、同じく復刻された「イスラムの読み方 なぜ、欧米・日本と折りあえないのか(山本七平、加瀬英明)」(参照)だが、これはお勧め。私は79年版「イスラムの発想 アラブ産油国のホンネがわかる本 対話」(参照)が書架にある。30年近く私の書架で生き残った本の一つだ。加瀬英明と山本七平というところで、げっとくる人もいるかもしれないが、あまり気にせず、さらっと読めて面白い本だと思う。

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2007.08.29

[書評]いつまでもデブと思うなよ(岡田斗司夫)

 ちなみに私の身長は171cm。岡田斗司夫と同じ。年齢は私のほうが一学年上。50歳オヤジ。体重は63kg。BMIだと、21・5。つまり、べたに標準。というわけで、本書「いつまでもデブと思うなよ(岡田斗司夫)」(参照)を実践的な意味で読む必要はゼロ。でも、とても面白かった。年間50kg減量なんていうこと自体がミラクル! ということで、河口慧海「チベット旅行記 抄」(参照)みたいな秘境探訪感も……あるかな。

cover
いつまでもデブと
思うなよ
岡田斗司夫
 彼の減量ミラクルについてはすでにネットでも話題らしく、そのレコーディング・ダイエットも各所で実践されているようで、成果もあると聞くが、とか書いたわりに私は実態をよく知らない。書籍としては、1章の「「見た目主義社会」の到来」はいろいろ頷くところがあった。ある意味でいつの時代でも人間の評価なんか見た目だし、作家とか哲学者とかも、見た目ですよ。ただ、岡田の指摘はそういう単純な見た目というより、見た目の最初のラベリングによってその意味ネットワークが先行してその人の評価を決めてしまうというあたりの指摘が、私などにはなるほどなと思った。彼は「キャラ」と言っている。

 たとえば、つい一年前まで一一七キロと思い切り太っていた私は、「デブ」というキャラにまず、あてはめられていた。見た目で、私が他人と圧倒的に違うのは「太っている」という要素だったので、当然だろう。が、今考えると恐ろしいことに、私はその意味を自覚していなかった。
 もちろん、自分が太っているのは知っていた。が、たったそれだけの理由で、私に対する評価が、まず「太っているヤツ」であり、自動的に「大食い」「だらしない」「明るいけどバカ」「人付き合いが下手」……などのイメージをあてはめられてしまう、とは考えてもみなかったのだ。

 つまり、今の日本の世の中、見た目でキャラが決まるとキャラの属性が、対象の属性を覆ってしまうわけですよ。それが現実でしょと彼は言う。
 2章は各種ダイエットの議論があり、このあたりはダイエット・マニアには面白いのではないか。私はこの分野を知らないのでへぇと思った。
 3章からいよいよ奇跡のレコーディング・ダイエットの実践マニュアルということになるのだが、なんというのだろう、私にはそれほどリアリティが感じられなかった。というか、ゲームのシナリオみたいだなと思った。もちろん、それが面白いには面白いし、ある意味で、シーク&ファインドの小説風でもある。
 さて、これを言うのを少しためらうのだが、このレコーディング・ダイエットだが、とても理詰めに書かれているけど、これこそ偽科学というか似非科学の代表で、とかいうと批判みたいだけど批判の意図はなく、まあそういうもんだということ。科学的であるためには、もっとデータがないとダメ。また、識者の評価なども含めないといけない。その意味で、このダイエットをマジで実践する人がいたら、そのあたりは科学的に考えたほうがいい。あるいは科学者がこれをサポートしてあげるといいだろう。
 私の印象だと、このダイエットは170cm100kgの人が80kgまでは減量すると思う。本書の段階でいうと、「離陸」「上昇」まではいけるとだろう。だが、そこまでで限界になる人が多そうだ。といことで、その限界からさらに下げたい世の中年男性のメタボ予備軍に効果的かは疑問に思えた。理由は、本書の文学的なクライマックスに関係する。減量が一定のペースで「巡航」する段階のことだ。

 こんな時期、突然というか発作的に激しい飢餓感に襲われた。毎日一度ぐらい、空腹と落ち込みの感情が同時に、強烈に襲ってくるようになったのだ。
 考えてみれば当たり前で、簡単に減らすことができる内臓脂肪もすっかり底をついてしまい、渋々、皮下脂肪を燃やし始めた体は、(勝手に!)生命の危機を感じ始めているらしい。やせようとする私の意志や行動を、あらゆる方法で妨害してくる。
 まず強烈な飢餓感が襲ってくる。お酒やたばこの禁断症状もこんな感じだろうか、と思うほどだ。

 その飢餓感の問題はまだ医学的に十分説明が付かないだろうと思うが、お酒やたばこの禁断症状については、現状ではメディケーションの対象でないと危ない。

 今までなら、楽しくカロリーチェックをしたコンビニのお菓子棚も、「これも、これも、これも食べられない。もう一生、食べられないんじゃないだろうか。ここに売っているほとんどのものが一生食べられないなんて、こんなんで、生きている意味があるんだろうか」と見ているだけで泣きたくなってくる。
 いや、大げさな話ではない。私は本当に深夜営業のスーパーで、それも菓子パンの棚の前で泣いたことがある。

 この要所を抜けた人がこのダイエットに成功するのだろうし、岡田もそれがよくわかっていていろいろサジェスチョンを投げている。本書で一番の要所かもしれない。もう一つ要所は、レコーディング・ダイエットの「助走」にあり、たぶんそれは自己認識という問題になる。このスーパーで泣き出す中年男の情けなさは私もこのシーンではないが類似の経験があり、自己認識の核に関連する。自己認識の核というのは無意識、つまり身体性に潜んでいてその露出は非常に危機的な力を持つ。
 この最大の難所の説明あたりから、本書のトーンは、多少宗教家の説教ぽくなっている印象を受ける。レコーディング・ダイエットへの批判に対して。

 もちろん本の読み方など自由だ。しかし、効率よく失敗なくやせるためには、段階があり、段階ごとに慎重に進む方がいい。「欲望」と「欲求」の話を聞いてもピンと来なければ、この章の続きを読むよりまずは「助走」「離陸」の段階を実際に経験してほしい。

 たぶん、この語りは本心からであろうが、すでに秘儀の世界に入ってしまっている。
 くどいが、それが批判ということではない。そのように語られるべき自己認識の内実と、身体性という見た目による社会のインタフェースの問題が、本書で、奇妙な形でくっきりと露出していることが面白い。
 噂に聞くところでは岡田はこれから筋トレというかターザン系の世界にも進むらしい。そういえば三島由紀夫もそうだったかなとかちょっと思い出したが、三島ケースとはまったく違った、次のエポックを岡田は切り開いてくれそうだ(中村うさぎのように)。

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2007.08.28

[書評]日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり (カレル・ヴァン・ウォルフレン )

 ウォルフレンの近著「日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり」(参照)を読んだが、どう受け止めていいのか困惑した、というのが正直なところだ。

cover
日本人だけが知らない
アメリカ「世界支配」の終わり
カレル・ヴァン・ウォルフレン
 ウォルフレンに言わせると世界の知識人が総じて間違っているということなので、これはアレかな、彼のお友だちのベンジャミン・フルフォードの思想のほうにずーんと逝ってしまったのか。というと、必ずしもそうでもなさそうだ。個々の話は冷静に書かれているし、いちおう国際的にメジャーなところで今回のウォルフレンに近い立場としては、スティグリッツと、ガルブレイスの息子のガルブレイス(と呼びかたもなんだがガルブレイス息子)との交流も上げられている。そのあたりのメンツで共著でも出るなら、もう少し説得力があるかもしれない。というかそうした複数視点の主張を読んでみたい。
 本書の主要な主張は、小林よしのりでも言いそうだが、グローバリゼーションやネオリベラリズムさらに主要な経済学派は間違っているということだ。主要な経済学派には、新古典主義など、ネットでいうところのリフレ派も含まれそうだ。リカードの比較優位説も間違いのようにウォルフレンは断じる。そんなものなのだろうか。
 本書は"The End of American Hegemony"の翻訳ということなのだが、英米圏で出版されたのか、あるいはその予定があるのか、わからない。というのは、日本向けに書かれているかとも言い難い。読み進めると、EUの愚痴を日本で吐いているという趣もある。それ以前にこの内容が英米圏で受け止められるのだろうか。ウォールストリートジャーナルも、フィナンシャルタイムズも、ヘラルドトリビューンも間違っていて、ウォルフレンが正しいというスタンス。
 確かに、IMFによる南米施策やアジア危機の対処は間違っていた。それはIMF自身も今では現実として認めざるをえないし、ブッシュ政権の対イラク統治も間違い(スンニ派とその地域について特に)だったというのは現状ほぼ固まった評価としていいのだが、そうした背理法から、ではウォルフレンの世界観が正しいということが導出されるわけでもない。些細な話でもあるかもしれないが、ネオコンとしてラムズフェルドとチェイニーが代表者のように語れているのも、これって日本人向けというのもあるのかもしれないが、プロパガンダ臭い印象はある。
 今回の著作で私が一番気になったのは、過去の日本の保護主義への視線だ。「極東ブログ: [書評]もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する (カレル・ヴァン ウォルフレン)」(参照)でもそうだった、中国擁護論については、ああまたか、というふうに読み過ごすのだが、中国の現状は過去の日本の保護主義と同じで正しいのだという主張が出てきたときには驚いた。「え?ウォルフレンさん、あなたはその日本の保護主義を批判していたのではないですか?」と問い掛けたくなる。
 グローバリズムは間違いであるという主張は、WTO反対派などのありきたりの意見の典型としてはどうということでもないのだが、ウォルフレンの今回の主張をなぞっていくと一国の経済では産業形成を国家が統制すべきだという議論になってくる。それって、かつてウォルフレンが批判してきた統制的なナショナリズムなのではないか。そのあたりにウォルフレンの変節を感じる。
 フィリピンの貧困についても、本書ではグローバリズムの悲劇として扱われているのだが、ここで興味深かったのはそのことにウォルフレンが気づいたのは2001年のことだと述べている点だ。彼の処女作からほぼ網羅的な読者である私は、彼がフィリピンのピープルズ・パワーを礼賛し、同種の大衆運動を日本人に期待していたことを知っている。では、そのかつてのウォルフレンのメッセージはどのように改訂されたのか。
 EU統合への弁護の議論も困惑した。たとえばトルコこそが重要だというのは私とまったく同じ見解なのだが、EUの意義として、死刑を廃止するといった倫理的な同意を広める点にあるというくだりで、「では、ウォルフレンさん、ダルフールで行われたジェノサイドについてはどうお考えなのですか。それもまた、アメリカがメディアを支配して作成された幻影だというのですか」と問い返したくも思った。本書では中国のアフリカにおける資源外交の問題を扱っていながらそれがもたらす人道的な問題には触れていない。
 私は頭の硬い人間だ。20年前に小沢一郎という政治家を支持しようと決めたらマスコミが右往左往騒ぐ程度では考えを変えない。ウォルフレンの過去の著作から、私は市民であることはどういうことかということを学んでから、私は彼を自分の師の一人であるとしている。本書を読んでも、未だにそのことに変更はない。本書もできるだけ好意的に読み込もうと思う。
 だが、正直わからないことだらけだ。たとえば、日本のという島国はシーレーンがなくては存続できない。そしてシーレーンの上に自由貿易が成り立つから繁栄も享受されているし、この平和の恩恵を世界に広めなくてならないと日本人は思っている。だが、シーレーン防衛など不要なのだろうか。自由貿易がなくてどうやって日本はエネルギーと食料を得るというのだろうか。それらの懸念は、ウォルフレンの言うように、アメリカが作り出した恐怖による怯えなのだろうか。
 日本は、これからも経済が成長していくなら、実はすでにそうであるように、金融をベースとした投資国家の地位にあるほかはないと私は考えている。率直にいえば、アメリカの世界支配などけっこうどうでもいい。それが崩れていくつかのブロック経済になるほうがいいのかもしれない。だが、そのときの日本の未来像が、現状の日本からは描けないし、その未来の図柄にウォルフレンの思索が寄与していないように思えてならない。

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2007.08.27

[書評]2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?(西村博之)

 書名のパクリ元になっている「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?(山田真哉)」(参照)では、表題の問い掛けが出版社側の企画上のフェイクであり、内容は単なる会計学の初歩のお話だけというのと際立って異なり、「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?(西村博之)」(参照)では、表題の問い掛けに真摯に答える内容になっているのだが、ではその答えはというと、収入モデルとしての広告収入がしっかりしているから潰れないとのことだ。なるほどそうかと納得させられる、ずばりの回答である、ということで、ときおり噂されている、社会的要因及び法的要因によっては潰されないということが縷々主張され、偏見的にも思える意見、例えば、アマゾン読者評にも見られるが、


知りたいのは・・・, 2007/8/21
By 東十条 (東京都赤羽) - レビューをすべて見る

こんな内容じゃなく、もっと2ちゃんねるが実際やっているどす黒い部分を書いて欲しいです。例えば、アクセス数を上げるためにサクラを使っての誹謗中傷の書き込みとか、個人情報晒しとか、掲示板を閲覧している人のPCからの情報抜きとか・・・。
買ってまで読む価値はないような気がします。


 といった感想を読後持つ人は少ないだろう。
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2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?
西村博之
 むしろ「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」という実態を著者山田真哉が知らなかったのかそこは捨象してよいとしたか、「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」についても広告モデルの実態と来歴については踏み込まれていないが、重要なのはやはり収益ということになる。
 本の仕立てとしては語り本として口述されたものを別途編集者が構成したものらしく、私の世代に近い人でないと使わない表現などもあるもののそれによる違和感は気にならず、むしろすっきりと主張がまとまっている印象と、抜群の企画屋さんにある、心地よく催眠術にかかるような語りの印象とに統合され、つい編集上のミスだろうと思われる些細なツッコミも忘れて読み進めることができる。たとえば。

『ウェブ進化論』の梅田さんに対して、カリスマプログラマーである小飼弾さんが、ブログ上で、「それで梅田さんは、『はてな』でどんなコードを書いたの?」という反論をしていましたが。僕もそれだと思うのです。

 だが、元ネタはおそらく404 Blog Not Foundのエントリ「君たちの感動的なお言葉」(参照)ではないかと思われるが、ここでは、

梅田望夫テンプレートは以上。次。

>>  [あとで消す] 梅田望夫さんの感動的なお言葉
>> ところで、お前はてなのコードどんだけ書いたの?

*.hatena.ne.jpのコードなら一行も書いてないだろう。しかお前にとってのコードってそれだけか?ちいせえなあ。

梅田望夫は、株式会社 はてなのコードを書いているんだよ。それがトリビアルな仕事だと思うか?オレは今も両方のコードともチンタラ取り組んでるけど、両方ともガチで取り組むのは2年が限度だったぜ。


 とあるように、「どんなコードを書いたの?」疑問を発したのは、blog.bulkneets.netのブロガーさんで、小飼弾さんはむしろ逆の意見を述べているように普通は読めるので、おそらくこの部分は口述を取り違えた編集上のミスがあったのだろう。もっとも、本書では小飼弾さん本人が対談で登場していることから、こうした編集上の手違いは些細なことになっているだろうし、実際こうした諸点についていちいち気にする必要はない。
 予言的に読める示唆が多いのも本書の特徴かもしれない。たとえば、マイクロソフトについて触れた部分だが。

 しかし、マイクロソフトは、ビスタが売れなくなったとしても問題がないと考えているのだと思われます。
 それは、マイクロソフトはOSではなく、ビジネスソフトのオフィスで儲かっている企業だからです。


 マイクロソフトのオフィスが企業ユーザーに使われなくなる心配は、僕はないと考えています。新しくビジネスソフトが誕生したとしても、オフィスをビジネスツールの中心とするために一太郎を潰したときと同様、マイクロソフトは実力行使に出るでしょう。

 本書では、グーグルドックスについては触れているものの、無料で配布されているオープンオフィスについては言及していないが、それがマイクロソフト・オフィス2007に匹敵する機能を装備したときは、消される運命にあるのかもしれないなという示唆を受けた。
 もっとも、アマゾン評にある、

暇つぶしにはなるけど, 2007/7/8
By ハスキルfan (愛知県) - レビューをすべて見る

今抱えている裁判を考えると、やはりいずれ潰れるような気がします。
なぜ潰れないかなど書いていますが、この著書は最後になるのでは・・・

10年後に読み直してみたい本です。


 という点についての予言的な要素は本書にはない。十分に答えられたからだろう。ただ、GMOについての示唆深い言及などを含めて、ドッグイヤーのIT業界のことだから、10年経たずして読み返す日もあるかもしれない。
 最後にまったくどうでもいいことだが、ジャーナリスト佐々木俊尚さんと著者との対談の写真が一点含まれていて、その和やかな会食の雰囲気のなかに、ジャーナリストとして腹の据わったようすが伺われ微笑ましかった。

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2007.08.26

炭酸水の夏

 夏は終わったわけではないが、日も短くなり、夕風は涼しい。この夏はどんな夏だっただろうか。そういえばよく炭酸水を飲んだ。沖縄で暮らしていたときもそうだったが、暑いとついコーラが飲みたくなる。普段ならコーラなんか気持ち悪くて飲めないんだが。そして、ご存じのとおり、コーラというのは、いやコーラに限らないけど、炭酸水飲料はブドウ糖果糖液である。意外と砂糖は入っていない。ブドウ糖は言うまでもなくグリセミック指数100という強者。果糖はそうじゃないけど中性脂肪を上げる(果実の果糖ならそれほどでもないらしい)。かといってアスパルテームとかいやだしな(味変だし)と悩んでいる内に、そうだ、ペリエ(参照)があるじゃん、と思いだし。ペリエを飲むようになった。ペリエって、他の炭酸水と比べておいしいんだよね。
 そのうちにペリエの飲みやすさに物足りなくなって、もっと硬い水がいいよなと思い、コントレックスとかも飲んだが炭酸がないとなと物色して、ゲロルシュタイナー(参照)に遭遇。これがうまい。炭酸もだけど硬度ががっつくていいな、名前負けしてないな、ゲロルシュタイナー。


「GEROLSTEINER」は、ドイツで最も飲まれている天然発泡性のナチュラルミネラルウォーターです。ドイツ西部、ベルギーとの国境に程近いアイフェル高地の町Gerolstein(ゲロルシュタイン)で採水・ボトリングされています。天然の炭酸ガスを含んでいるため、繊細な泡立ちが特長で、食事のときや、さっぱりと喉の渇きを癒したいときにぴったりです。
 
●ミネラル成分表
ナトリウム  118mg/l
カルシウム  348mg/l
カリウム   11mg/l
マグネシウム 108mg/l
 
硬度1400mg/L

 というわけで、この夏は二日に1リットルはゲロルシュタイナーを飲んだ。
 これに比べてペリエはこう。

主な成分 (ペリエ1リットルあたりの成分)(mg/l)
カルシウム(Ca++) : 149 mg / l
マグネシウム(Mg++) : 7mg / l
ナトリウム(Na+) : 11.5mg / l
カリウム(K+) : 1.4mg / l
炭酸水素イオン(HCO3-) : 420 mg / l
硫酸イオン(サルフェート)(SO4--) : 42mg / l
塩素イオン(Cl-) : 23mg / l
【カロリーO,硬度400.5(硬水)】(Ca x 2.5 +Mg x 4)
 
A long time ago ペリエの誕生
はるか昔、太古の地球奥深く、ピレネー山脈の造山活動による大きな地殻変動が起こりました。その時できた断層や亀裂が、天然ガスを含む地層と地下水の層を偶然に結合させ、天然の発泡水を産みました。ペリエが大地の偉業である「奇跡の水」と呼ばれる由縁です。

 だそうで、ゲロルシュタイナーに比べるとペリエの硬度は低い。なんとなく、ゲロルシュタイナーのほうが健康によさげな雰囲気もするが、一夏飲んだけど、別にどってことないです。というか、ゲロルシュタイナーにも飽きてペリエとかサンペレグリノとかクリスタルガイザーも飲んだりしている。ヌューダとかなぜか国産のはダメ。なぜなんでしょ。
 ところで、話が一部に嫌いなかたの多いアフィリエイトの話になるけど、アマゾンのペリエ(参照)ってなんか安いだよね。評を見ると。

不満足です。, 2007/5/28
By ペリエ愛飲家 (愛知県) - レビューをすべて見る
 
注文しましたが 写真と同様のペリエではありませんでした。
発送しました通知が2通もきましたが 届くにも時間がかかりました。
開封をしてみると瓶の形もラベルも違います。
直輸入の品なんだろうか?と思い 飲んでみましたが いつもスーパーで購入する
(こちらの注文サイトに出ている写真と同様のもの)
ものと味が断然に違いました。
炭酸が少ないものでした。

 とのことで、マレーシアとかから直送しているのだろうか。アマゾンてそんなこともするのか、というか、それができるならワインとかもできそうだなとか、アマゾンの可能性というのはまだまだありそうに思えた。
 もう一つ気になったのだけど、以前米人から聞いたのだけど、日本のペリエって炭酸きつい、とのこと。あれ、自然の炭酸じゃないよとも聞いたのだが、どうなんだろ。ネットを見ても情報がよくわからない。
 そういえば以前シュエップスのトニックウォーターをよく飲んだけど、炭酸水がなんでトニック(強壮)なのかちょっと疑問に思ってウィキペディアを見たら(参照)。

トニックウォーター(Tonic Water)とは、炭酸水に各種の香草類や柑橘類の果皮のエキス、及び糖分を加えて調製した清涼飲料水の一種。
 
イギリスの熱帯地方の植民地で保健飲料として飲まれるようになったのが始まり。この当時のレシピにはキニーネが含まれ、マラリア防止のために飲まれていたようである。

 へぇ。ポイントはキニーネだったのか。

このようにカクテルで重要な位置を示す飲み物であったが、このキニーネは現在の日本では薬物・劇薬として指定されているため、飲料水として普通に飲まれるトニックウオーターに含まれる事は無くなった。

 というわけで日本ではもうキニーネはないのか。ちなみにキニーネとは(参照)。

マラリア原虫に特異的に毒性を示すほか解熱作用も有するため、マラリアの特効薬とされてきた。キニーネの構造を元にクロロキンなどの抗マラリア薬が合成されたが、キニーネのみマラリア原虫が耐性を持っていないために現在でも広く利用されている。化学合成もできるが、コストがかさむため医薬品としては現在でもキナから採集される。

 そういえば私が子供の頃、キニーネというのはけっこう日常的にも聞く言葉だった。復員兵にマラリアが多かったせいものある。そういえば、「極東ブログ: [書評]タンタンのコンゴ探検(エルジェ作)」(参照)にもキニーネが出てくるが、なるほどトニック(強壮)というコンテクストだ。
cover
人民は弱し官吏は強し
星新一
 ウィキペディアには書いてないが、日本で初めて医薬品としてキニーネの製造をしたのは星一(ほしはじめ)である。

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