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2007.01.20

アメリカシロヒトリの思い出

 正月NHKの「日めくりタイムトラベル」(参照)で昭和四二年をテーマにした番組をやっていて面白かった。私が十歳の時代である。出演者は昭和四二年生まれと、その時代青春だった人だった。


昭和42年を知りたい会 (昭和42年生まれ)
会長:伊集院光
会員:生田智子、香田晋、玉ちゃん(浅草キッド)、デーブ大久保、ピエール瀧、松村邦洋、南野陽子、渡辺真理  (50音順)

昭和42年を知ってる会
会長:中尾彬
会員:伊東ゆかり、猪瀬直樹、小林亜星、里中満智子、奈美悦子、ムッシュかまやつ


 昨日のケロロ軍曹でもパロディになっていた少女鉄仮面伝説も今年は四十歳か。昨日だったかNHKで斉藤由貴が出ていたが2ちゃんのAAのリアルの母みたいな雰囲気だった。まあ、歳月というものだ。
 この年の話題はこうまとめられていた。

1月
  明治大学紛争 →学生運動広がる
  第31回 日劇ウエスタン・カーニバル
2月
  ザ・タイガース、デビュー →GSブーム
  羽田空港ビル爆破事件
3月
  日本航空が世界一周航空路開始
  高見山、初の外国人関取に昇進
4月
  美濃部革新都政始まる
  天井桟敷が旗揚げ公演
  藤猛世界タイトル獲得
5月
  東京六大学野球で「法政の怪物」田淵幸一が新記録
6月
  美空ひばり「真っ赤な太陽」発売
7月
  リカちゃん人形発売
8月
  ラジオ深夜放送開始
  新宿に「フーテン族」集まる
9月
  四日市ぜんそく訴訟提訴
10月
  「ウルトラセブン」放送開始
  第1次羽田闘争
ツイッギー来日 → ミニスカートブーム
  吉田茂国葬
11月
  第2次羽田闘争
12月
  帝国ホテルライト館解体 
  銀座線など都電廃止
  「ブルー・シャトウ」がレコード大賞を受賞

 いろいろと覚えていることがある。歴史感覚としては吉田茂国葬が思い出深い。子供ながらにも日本人の大半がつまり庶民が吉田を愛していたことがよくわかった。
 都電廃止前の東京も覚えている。安全地帯の記憶もある。
 「真っ赤な太陽」のリアル記憶もある。番組では扱わなかったが「ウルトラセブン」はこの年だったか。ということは私が好きだったあのめちゃくちゃな「キャプテンウルトラ」(参照)もこの年だった。
 枕話が多くなったがあの時代で何か忘れているなと、解体された駅でも見に国立に散歩に行き、冬枯れの桜並木を見て、アメリカシロヒトリのことを思い出した。連想したのは先日のニューズウィーク日本版(2007-1・24号)の「生態系壊す外来種の脅威」で、現在の中国でアメリカシロヒトリが暗躍しているのを知ったこともある。

中国では、外来種の蛾アメリカシロヒトリが毎年130万ヘクタール以上の森林を食い荒らす。政府が投じた対策は約80万ドル相当にのぼる。

 今でも中国ではアメリカシロヒトリに悩んでいるのだろうと近年のニュースをサーチすると人ごとではない群馬県前橋市では昨年大発生したいたようだ。もっとも自然観察少年だった私は今でもアメリカシロヒトリの成虫をよく見かけるので、あれがいるだろうことは知っていた。写真は群馬大学の「アメリカシロヒトリ」(参照)がわかりやすい。
 とはいえ最近都会では大発生ないようだ。だから、アメリカシロヒトリに都下の桜が全滅しそうだったあの時代を知るのも私の世代から、つまり五十歳以上ということになるのだろう。奇妙な感じだ。記憶では昭和四十二年ごろだったように思うがいつだったか。
 ネットを見ていたら「泉麻人の東京版博物館」に”アメリカシロヒトリの夏”(参照)というエッセイに詳しい話があった。読むと一昨年の記事だが新宿では発生があったらしい。

 ことしはアブラムシが大発生している、と聞くけれど、40年も前の都市型害虫というと、もっぱらこのアメリカシロヒトリであった。昭和38年の6月……僕は記事と同じ新宿区内の小学1年生だった年である。写真の“殺虫剤散布”の様子も見おぼえがある。こういう部隊がやってくると、「アメリカシロヒトリが来たわよ!」母の号令のもと、縁側のガラス戸を手早く閉めるのだ。

 泉麻人は私より一つ年上なのでだいたい同じ世代だ。昭和三十八年といえば私がまだ幼稚園だったことになるが、それ以降も数年あったように思う。私の記憶では桜並木の下にぼたぼたと毛虫が落ちてくるのだった。
 どうでもいいが、ウィキペデイァの泉麻人(参照)の項目を見たらこんな話が。

自分の青春のアイドルは「栗田ひろみ」であると公言していた。

 うぁ、ツボだな。栗田ひろみ(参照)は同い年。つまり今年五十歳か。曽我ひとみさんに似ているかもしれない。

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2007.01.18

夫婦同居しない社会

 一六日ニューヨーク・タイムズに半数を超える女性が配偶者と同居しないという記事があった。”51% of Women Are Now Living Without Spouse”(参照・要登録)である。国内では産経新聞”シングル女性 米国で過半数 日本42%”(参照)がこれをネタとして引いていた。ヒキはこんな感じ。


いまや米国女性の過半数は「シングル」-米国勢調査局がこのほど発表した2005年の国民の生活実態調査で、変わりゆく家族の形が明らかになった。「女性解放」が発展した先進国で進む男と女の“別離”。夫と一緒に暮らす女性は少数派に転落し、家族のイメージや社会政策のあり方も様変わりしそうだ。

 一読へぇ~と思う人もいるかもしれない、というか私もへ?くらい思った。産経の子引き記事の標題は日本指向なのだが、オリジナルでは「51%」と半数を超えたところに意味を持たせていた。つまり既婚同居がマイノリティになったという展開だが、実際には大きな社会変化ではない。00年時点で49%という数字が出ている。

In 2005, 51 percent of women said they were living without a spouse, up from 35 percent in 1950 and 49 percent in 2000.

 むしろこの五年間は微増というかむしろ抑止的な傾向もあったのではないかと推測される。どうでもいいが、そういうことなので以下の産経の書き方はちょっとよろしくない。

60年には35%だったシングル率が、70年に40%に、90年には47%と右肩上がりに増え、2005年、ついに半数を上回った。

 ついでに。産経はこう進めているのだが、それはなぁ。

 平均寿命の短さなどから男性のシングル率は女性より低いが、増加傾向は同じ。夫婦そろって同じ屋根の下という家族の最小単位像もすでに崩壊に向かっている。伝統的な家族の価値を重んじるブッシュ大統領が家族像をどう取り戻すのか、内なる試練になりそうだ。

 そんな話の展開はちょっとお作文が過ぎるわけで、オリジナルにはそんな示唆はない。というか産経のお家の事情が入りまくり。
 とはいえ、「日本でも15歳以上の女性で配偶者がいない割合は42%(2000年)と、半数近くはシングルというのが実態だ」という指摘はそれなりに、消費動向などの点では重要だろう。
 オリジナルのほうに戻って、ふーんと思ったことがいくつかある。

Only about 30 percent of black women are living with a spouse, according to the Census Bureau, compared with about 49 percent of Hispanic women, 55 percent of non-Hispanic white women and more than 60 percent of Asian women.

 黒人の配偶者同居女性は30%。ヒスパニックだと49%。いわゆる白人は55%。アジア人では60%を越える、とのこと。これが民族・文化的な傾向なのか、米国社会のエスニシティの状況との相関なのか、所得階層などの影響なのか、簡単にはわからないが、エスニシティ社会の問題のようにも見える。というのは、アジア人が同衾の傾向を持つとは一アジア人として私は想定しづらい。
 結婚や同棲の制度的な問題もありそうだ。

Ms. Zuzik has lived with a boyfriend twice, once in California where the couple registered as domestic partners to qualify for his health insurance plan.

 健康保険などの待遇において同居者が優遇されることが行動に影響を与えるだろう。このあたりは日本の場合はどうだろうか。いわゆる社会的な要因よりも大きいと言えるのだろうか。
 もう一点、離婚との関係では。

"Men also remarry more quickly than women after a divorce," Ms. Smock added, "and both are increasingly likely to cohabit rather than remarry after a divorce."

 米国では男性のほうが再婚しやすい。そして男女ともに離婚後は再婚より同棲が多い。これらも法制度的なメリット・デメリットの問題かもしれない。
 こうした統計を見て私なりの結論は特にないが、結婚が女性の生き方というのは、日米ともに大筋でどんどん軽減されていくのだろう。むしろ、女性の生き方における結婚・同棲という意味合いが変わるだろう。それと、意外と社会制度側の要因は大きいのかなと思った。フランスでは出生率が2・0を越えたというが、婚外子を扱う社会制度の側の要因は少なくはないだろう。

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2007.01.17

このところの穀物高騰など

 暖冬で石油需要が減り原油価格が下がってきたと言われる。それはそうなんだろうがこれまでの原油高騰は振り返って多分に投機が原因だったと見てよいのではないか。もちろんベースのニーズが増えているので原油価格が九〇年代のようになることはないだろう。ただ、ベースのニーズというなら次は穀物が問題になりそうだ。一六日付けFujiSankei Business i”エタノールブームでトウモロコシ高騰、養豚農家が悲鳴”(参照)では米国の状況について畜産関連で触れていた。


 代替燃料として注目を集めているエタノールの増産ブームに養豚農家が悲鳴を上げている。豚の飼料であるトウモロコシがエタノールの原料として使われるため価格が高騰、採算が合わなくなってきたからだ。

 記事ではエタノール生産について個別的には触れているが国策としてのエネルギー問題とのリンクについては触れていない。
 同じくFujiSankei Business iの九日付の記事”バイオ燃料高騰 進む鶏脂肪油燃料 穀物より低コスト ”(参照)では標題通り鶏脂肪油燃料について触れている。

 バイオディーゼル燃料向けの需要拡大で急騰する穀物に代わり、家畜の脂肪を原料とする低価格燃料が米国で急速に普及しそうだ。食肉大手や中小ベンチャーが相次いで事業化に向け始動。5年後にはバイオ燃料の半分を占めるとの予測も出ている。

 私はディーゼルについては大豆原料バイオ燃料が主流になるだろうと思っていたので、記事はネタかなという印象も持つ。がそうとばかりは言えないかもしれない。

 大豆油燃料の場合、1ポンド(約0・45キロ)のコストは33セントなのに対し、鶏脂肪燃料は19セントと6割以下で製造できるという。
 このため、家畜脂肪燃料は急速な普及が見込まれており、同紙によると、ミネソタ大のバーノン・エイドマン教授は5年後に大豆油燃料がバイオ燃料全体の2割にとどまるのに対し、家畜脂肪燃料は5割を占めると予測している。家畜脂肪燃料の生産が本格化すれば、穀物油燃料の価格低下にもつながりそうだ。

 以前ネタで書いたエントリ”極東ブログ: ベトナムで期待されている新しいバイオ・エネルギー”(参照)がネタとも思えなくなるような時代の変化だ。
 話を穀物ベースのバイオ燃料に戻すと、この傾向はかなり進むらしい。四日付け共同”エタノール拡大で穀物急騰 トウモロコシの半分燃料に”(参照)では、〇八年というから来年トウモロコシの米国生産量のほぼ半分がエタノール向けになるらしい。もっともこの話の出所を見たら”極東ブログ: 中国はもはや食料輸入国”(参照)や”極東ブログ: 世界市場の穀物価格は急騰するか?”(参照)と同じくレスター・ブラウン、またかよ、だった。しかしまた君かというわけにも行かなくなるかもしれない。
 穀物高騰は日本国内の畜産への影響もあるだろうし、それはけっこう社会問題として大きく浮上してくるかもしれないが、世界的に見るとやはり中国経済にどう影響するかということが大きいだろう。すでに中国国内での大豆油は値上がりしているし、さらに全体的にインフレを加速する要因となるだろう。そのあたりがどのくらいの中国経済の動向にインパクトを持ちうるのかわからないが意外と大きくなるかもしれないなという印象はある。
 穀物高騰の理由は以上のような流れからみると米国のエネルギー問題が主軸のようでもあるが直接的な原因は国際的な干魃らしい。オーストラリアが特にひどかったようにも聞く。またインドがかなりの穀物買い付けも行ったらしくそうした情報を元にした投機的な要因は大きいだろう。このあたりの要因を外すと、原油価格高騰のように一時的な問題と言えないこともないだろう。
 だが気になるのは、米国では一二年までに七五億ガロンのエタノールの生産体制を義務づけており、今後は構造的に二〇%がエタノールに回されるらしい。するとうがった見方だが、米国の政策によって穀物を飼料とするかエタノール原料とするかが決定できるとすれば、それを梃子に世界経済に影響を与えることが可能になるとも言える。そのあたりにどのくらい米国の国家意思のようなものがあるのかよくわからないが、陰謀論的に考えなくても、この配分がけっこう強い外交カードになっていくのだろう。

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2007.01.15

歌会始の儀の天皇家の歌

 歌会始の儀のニュースをラジオで聞いた。御製と皇后の御歌は祝詞のようにというのか古式というのか、有り難たそうではあるが聞いてもよくわからないので、ネットを覗くと、朝日新聞サイトの記事”皇居で歌会始の儀 お題は「月」”(参照)に掲載されていた。
 天皇家の方たちの歌は巧まざる秀歌が多い。今年はいかにと読み、私は感動を覚えた。まあ、そんなことを書くとネットの世界では右翼呼ばわりされるか、あるいは逆の方向からお前は歌がわかってないなと言われることであろう。が、写して感想を書いてみたい。

  天皇
  務め終へ歩み速めて帰るみち月の光は白く照らせり

 天皇という存在は戦前戦後を問わず日本国の憲法の下に置かれているが、日本の歴史はその意味を多様に変えてきた。特に近代では古代の天皇家を模して、すでに近江領主の一家系に過ぎない家を王家として持ち出してきてしまった。それを伝統と呼ぶか歴史と呼ぶかわからない。思想と呼ぶべきにも思う。
 いずれにせよ、具体的な天皇個人にとって天皇とはその存在自体が務めであり、その個人の心の思いとしては、個々の務め終える安堵や困難があるだろう。帰る先には天皇ではなく普通の家人としての生活があり、そこに至る道程を祝福するかのように月は白く光る。古代であれば日の皇子であろう存在に月が優しく一人の人間の影を与える。

  皇后
  年ごとに月の在りどを確かむる歳旦祭に君を送りて

 歳旦祭(さいたんさい)は辞書には、「元旦に、宮中・諸神社で行う祭祀。皇祖・天神地祇をまつり、五穀豊穣・国民安寧を祈る」とある。御歌の「君」は天皇を指し、天皇は歳旦祭に向かうのであろうが、この「君」の言葉に万葉の古語のように恋人の響きが感じられ、美智子様の愛情に胸打たれる。送る立場から見る天皇は天皇であっても恋人の君であり、送る前まではまさに恋人たちの空間にいた。そこから「公」の空間に君を天皇として見送らなくてならない。それが美智子様の後半生の役目であったことが「月の在りどを確かむる」に響き美しい。
 歳旦祭と四方拝の違いについて私はよく知らないが、元旦の早朝には月が残るのであろう。明治以前に起源を持つ行事であるから旧暦で行うべきではないかと思うが新暦で行われるのであろう。旧暦ならば「年ごとに月の在りどを確かむる」ことはない。常に新月として見えない。その「在りどを確かむる」ことは近代化の天皇家を結果的に暗示してもいる。
 四方拝はウィキペディアには(参照)「平安時代初期、宮中を始源とし、これに倣って貴族や庶民の間でも行われ、四方を拝して豊作と無病息災を祈っていたが、次第に宮中だけの行事となった」とある。辞書には、「鎌倉以降は堂上家中心の行事となり、江戸時代には内裏だけとなった。明治になって新たに元朝4時,神嘉殿南庭に座を設けて行なうようになった」ともある。歳旦祭との違いについては触れてない。
 ウィキペディアには拝する先について近代の変異について言及がある。


1月1日 (旧暦)の寅の刻(午前4時ごろ)に、みかどが綾綺殿で黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう:みかどの朝服)を着用し、清涼殿東庭に出御して天皇の属星(ぞくしょう:誕生年によって定まるという人間の運命を司る北斗七星のなかの星)、天地四方の神霊や父母の天皇陵などの方向を拝し、その年の国家・国民の安康、豊作などを祈った。


元旦の午前5時半に、黄色の束帯を着用して、皇居の宮中三殿の西側にある神嘉殿の南の庭に設けられた建物の中で、伊勢神宮の二宮に向かって拝礼した後に四方の諸神を拝するように改められた。

 道教の儀礼が近代の擬古的な神道にここでも変更されているようだ。

  皇太子
  降りそそぐ月の光に照らされて雪の原野の木むら浮かびく

 御歌で私が連想したのは実朝の「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄るみゆ」でありその小林秀雄の評であった。小林は実朝の歌を繊細で悲しい歌と見た。それもそうだろう。大海原の小島の波を見つめる視線は若者特有の繊細さであり運命の悲劇の予感をも含むものだ。
 皇太子の御歌にはそうした細い繊細さはなく、荒涼とし毅然とした世界のなかで強く起立するものだけを見つめている峻厳さがある。しかし、その峻厳さにだけ向き合っている孤独も感じられる。

  皇太子妃雅子さま
  月見たしといふ幼な子の手をとりて出でたる庭に月あかくさす

 皇太子妃の御歌でなければただ幼子と母の微笑ましい光景であり、もちろんそうした微笑ましい私的な愛情の空間も意味しているはずだ。月があかくさす庭に将来の女帝の暗示を読むべきではないだろう。しかし、この月の光が御製の月の優しさと同じ位相にあることを感じないわけにもいかない。

cover
昭和天皇のおほみうた
御製に仰ぐご生涯
鈴木正男
 私のいない半世紀後の日本国の帝は誰であろうか。愛子様であればこの歌に籠もる愛情と悲しみをその時も胸に秘めておられるだろう。

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2007.01.14

ドブネズミとクマネズミ

 不二家問題はそんなに騒ぐことかなとあまり関心ももてないでいたのだが、そういえば藤井林太郎って藤井家直系だったっけかと気になって調べてみるついでに、当のニュースを読みながらネズミほうに関心が移った。というわけで、ネズミの話に移る前に、まず不二家創業は藤井林右衛門。「統合VPN」ソリューション「株式会社不二家様」(参照)によると、明治四三年、二五歳の林右衛門が横浜市元町2丁目86番地に洋菓子店を開店。この屋号が不二家だったかよくわからない。青年は明治四五年から翌年にかけて渡米。その後順調に菓子屋を広げていくようだが、関東大震災で大きな被害を受けたようだ。そのあたりの歴史を何かのおりに調べてみたい気がする。というか洋菓子普及の歴史も知りたい。
 ペコちゃんのキャラを考案したのが林右衛門の次男で二代目社長藤井誠司(参照)。現社長の林太郎は誠司の子供になる。ただこの間、林太郎のいとこの藤井俊一が社長をしておりそれ経由で現社長となった。
 さて、ネズミの話だが、不二家問題のニュースを追っていると、工場にネズミがいて不衛生でいかんということのようだ。一二日付け毎日新聞” [不二家]問題隠ぺいの形跡?「雪印の二の舞い」と内部文書”(参照)ではこう。


不二家によると、昨年6月8日に埼玉工場(埼玉県新座市)で製造したシューロールで、基準を超える細菌が検出されたが、そのまま113本を出荷した。消費期限を社内基準より1日長くしたプリンの出荷も判明した。また、同工場では04年に1カ月で50匹のネズミを捕獲、06年夏以降も2匹捕獲しており、衛生上も問題があった。

 一か月で五〇匹というのはすごいなと思うが、昨年は二匹ということなので、それほど問題なのだろうかというのが私の最初の印象で、そういう印象を持ったのはそのくらいは普通にいるんじゃないかと思っていたからだ。
 というのは都市部や住宅街で私はよくネズミを見かける。私は目が良くないのだがネズミはよく見つける。連れがいると、ついほらそこにネズミがいたよとか教えるのだが、どうもわからないらしい。ネズミを見る人と見ない人がいるのではないだろうか。というか、どうも私のような人間はネズミが出てきそうなところをなにげなく見ているようだ。地下鉄とかにもネズミがけっこういるのだが、無意識に出てきそうなところを見張っている。
 そうした印象からなのだが、都会にネズミがけっこう増えている。住宅地にも多い。ニュースをちょっと調べてみたのだが、不二家の工場で大猟だった〇四年ころは多少話題になっていたようだがその後はあまり問題視されていない。ネズミが減ったとはどうも思えないのだが。
 都会で増えているのはクマネズミ(参照)らしい。東京についていえば、十年くらい前までは寒さに強いドブネズミ(参照)のほうが多かった。図体はドブネズミのほうが大きい。というか、あれだけ都会にネズミがいるのにネズミというのは小さくて可愛いと思っている人が多いようなのだが、ドブネズミは体長二十五センチ。クマネズミが二十センチ。見るとわかるが、けっこうでかい。足下なんかに死んでいると、なんじゃこれと思うくらい。英語でいうとどっちもラットであってマウスではない。
 運動神経はクマネズミが優れていて電線とかにちょろちょろ走っているやつがそうらしい。区別は耳の大きさのようだがそんなの観察できるほどじっとしていない。もともとは、ドブネズミが都会のネズミで、クマネズミのほうが田舎のネズミだったようだが、イソップ童話のようにはいかない。
 ネズミはいろいろとトラブルを起こす。衛生問題もだが、電線やガス管などもよく囓るので都心での不審な火事などの背景にはけっこうネズミがいそうに思うが、実態がよくわからない。いずれなにか社会問題になるのでしょうかね。

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