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2007.07.21

河合隼雄先生のこと

 直接学んだことはないが、河合隼雄先生とお呼びしたい。その思いをこのエントリに書いておきたい。19日にお亡くなりになった。脳梗塞であったという。享年七十九。昨年夏にご自宅で脳梗塞の発作で倒れたというニュースを聞いたとき、ご高齢でもあるし不安に思っていた。
 先生は1928年、昭和3年の生まれ。昭和の昭坊よりは若い。私の死んだ父が星新一と同じく大正十五年、1926年の生まれ。昔見た父の同窓会名簿に戦死の文字がずら並んでいたのに驚愕したことがあるが、父は大病を得て命を得た。彼の年代が戦争中派の境目で、河合先生はそこを逸れる。
 ウィキペディアの「河合隼雄」(参照)項目を引く。


 1952年、京都大学理学部を卒業後、数学の高校教諭として働く。その学校現場で生徒達の心の問題に直面することとなり、その後、京都大学大学院で心理学を学び、1959年にフルブライト奨学生としてカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)へ留学し、クロッパー教授やシュピーゲルマン(Spiegelman JH)の指導を受ける。河合は彼にスイスのチューリッヒで心理学を学ぶ事を勧められる。
 その後、1962年から1965年までスイスに渡り、ユング研究所(Jung Institut Zuerich)で日本人として初めてユング派分析家の資格を得る。その際、マイヤー(Meier CA)に師事。帰国後、1972年から1992年まで京都大学教育学部HP・教育学研究科で教鞭を取る。退官後、プリンストン大学客員研究員、国際日本文化研究センター所長を歴任する。

 私が先生を知ったのは、1974年1月である。16歳、高校一年生だった。その年の1月から3月まで教育テレビで月曜日と水曜日の週二回朝の六時半から7時まで、先生の講座「無意識の構造」があり、全24回を欠かさず聞いた。暖房もたいしてない部屋で寒くて振るえながら、でも食い入るように講義を聴いていた。それほど面白かった。大学で学ぶっていうのはこんなに面白いもんだろうかと思った。書き込みのあるそのテキストは私の一生の宝物だ。先生の死に際して実家に行ってもってきた。

 その後、この講座は77年に中公新書「無意識の構造」(参照)として書籍化されている。74年から77年というと3年足らずなのだが、高校生の私はこのテキストは書籍化されないではないかと思っていたことを、今も思い出す。
 それから私はユングに傾倒したかのように、私が読めるユングの書籍や関連書籍を片っ端から読んだ。日本教文社の選集はすべて読んだ。自伝も読んだ。だが、うまく言えないのだが、結局ユングには傾倒はしなかった。先生のあの講座がなにか自分がユングに傾倒することを押し止めていたようにも思う。先生は、直接言ったわけではないが、ユングを日本人は理解でないのではないか、理解できたという思い込みこみは大きな間違いではないか、そんなメッセージ性を私に残していた。私はむしろフロイトに傾倒したが、ユングへの反発ではない。フロイトは、私には当時とても好きだった生物学的な基礎があるように思えた。だから牧康夫の「フロイトの方法」(参照)には親近感を覚えた。77年のことだ。余談だが、ヨガにも傾倒した牧康夫の自殺も、わかるように思えた。
 河合先生の講義に戻る。先生の講義はある意味で奇妙なものだった。二回目だったか三回目だったか、女子学生が数名講義に出演するようになった。京大の生徒だろう。先生は、誰かいないと話しづらいんで、みたいなことを少し照れたように語っていた。いわゆる講義めいたものではなく、もっと人に語るように語りたかったのだろうし、そうしなければ伝わりにくいものが先生の思いにあることはわかった。それと、今思うと、先生は意図的に若い女性を配したのかもしれない。
 先生はためらいながら元型について語った。それをよくある解説書のように図式的に捉えてはいけないのだということをなんとか伝えたかったようだ。影とアニマの関係についての語り口調にはなにか不思議な思いがこもっていた。真面目に見つめる女子学生に、いやこれは男性の中年期、40歳ころの危機の問題になる、というようなことをくぐもりながら言っていた。
 16歳の私は、生きていられるならいつか中年なんていう歳にもなるのだろうかと不思議に思ったことを今でも鮮明に覚えている。そういえば、ヘッセの「荒野のおおかみ」(参照)がその問題を深く掘り下げているのもわかるにはわかった。私はユングに影響を受けたヘッセの書籍も読めるものは片っ端から読んだ。
 あの時の河合先生は、47歳であった。言うまでもなく、先生のなかに明確な形で中年の危機や影やアニマの問題、あるいは課題があったのだろう。47歳はそれが一段落つく歳でもあるだろう。今の私も、その歳を越えた。私は今年50歳になる。あのころの先生を思うと、先生ほどの寿命はあるまいと思うから、人生は残り少ないものだなと思う。
 私は、先生のいう中年の危機に向き合ったか、と心に問うてみて、そのことは語りたくないわけでもないが語りづらいものを感じる。先生のためらいがよくわかるように思う。
 私のユングと河合先生への傾倒のようなものは、高校時代で基本的に終わってしまった。その後、青春の嵐と蹉跌は人並みにあったというか、再起できないくらいのものでもあったが、ユングを顧みることはなかった。河合先生の本は依然読んでいたが、正直に言えば、あまり感銘も受けなかった。
 河合先生はユングと死後の生命、そしてあの空に浮かぶ円盤のことについてもためらいながらに語っていた。その語り口調にはためらいもだが、この問題を否定してはいけないよという含みを感じた。言うまでもなく、死後の生命はない、UFOも存在しない。そんな当たり前のことを言うために偽科学だの似非科学だのと浅薄なこという必要はまるでない。ユングが語りかたかったことはそんなことではないし、河合先生が受容したのもそんなことではなかった。
 この問題は難しい。私は歳を取るにつれて、難問というものは私の任ではないなと放り出すようになったが、率直に言えば、こっそりと考え続けてはいる。
 河合先生のことをその後それほど関心をもたなくなったと言ったが、それも少し違うかもしれない。先生はキューブラー・ロス博士について生涯関心を持っていたようだし、ロス博士の人生観、つまり、死後の生命についても、その後もやはり否定していなかった。なお、関連は「極東ブログ: キューブラー・ロス博士の死と死後の生」(参照)で少し触れた。
 74年の講義のテキストを繰っていくと目頭が熱くなるというのでもない、ある清明な感じがする。書き込みや赤い線がいっぱいしてある。16歳の私は人生を掴もうとし、そして人生に怯えていた。だが、私はもう人生の大半の結論を出した。言うまでもなく私は人生の失敗者となった。


 たとえば、ある一流会社の社員は、中年になって自分の能力に自信がもてなくなり、人生も無意味に感じられ、果ては自殺ということも心の中に浮かぶほどになった。これでは駄目だと思い意を決して、大学時代の旧友を訪ね相談しようと思った。急に思い立って旧友を訪問すると、その友人が自殺し家族が嘆き悲しんでいるところであった。
 われわれ心理療法家のところにおとずれて来る人は、大なり小なり個性化の問題に直面している人達であるので、このような不思議な体験を聞かせてくれる人が多い。この場合、この人の心の中に起こってきた「死」と、友人の「死」という外的事象が、ひとつの布置をつくりあげているのである。そして、この人は必然的に「死」の意味について考えねばならないし、われわれ分析家としては、この人の年齢が、人生の前半の「死」を迎え、後半へと下降する決意をうながしている時期にあることも見てとることができるのである。
 人生において何らかの失敗をした人達が、偶然のいたずらを嘆くことが多い。「あの時に、あの女性に会わなかったら」、「あの時、あんな事故にさえ会わなかったら」、「息子がこんな嫁を貰わなかったら」などなど。しかし、われわれがその間の事情をよく聞くと、そこに、その人の内界にも通じる、元型的な、たとえば、アニマの、あるいは影の布置が存在していたことが認められるのである。元型的な布置は、ある「時」が来れば形成される。そのことが解らない人は、何か外的な先行事項に「原因」を求めようとして、探し出すことができず徒労を重ねたり、何かに原因を押しつけてしまってりする。しかし、それでは問題は片づかず、ただ他人は偶然を恨むだけになってしまう。そのときに布置を形成した元型の意味を知ろうとするとき、われわれは建設的な方向を見出すことができるのである。

 アイロニカルなことを言いたいわけではないが、「建設的な方向」とは「後半へと下降する決意」である。死に意味がないなら、どうして下降できるのだろうか。あるいは、下降のなかで死に意味を求めるのか。
 この問題が難しいのは、やはり、死にはそうした意味はない、ということだろう。死は無であり、人生はその無を意識のなかに取り込む過程なのだろう。

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2007.07.20

ロイターが世界に報道する美しい日本の人形というか

 こんなネタ、格調高い極東ブログで扱うことないんじゃないか、どうせ2ちゃんねるコピペブログで扱うんじゃないかと思っていた。一昨日のネタだし。でも、なんかなさげ。どっかにあるのかもしれないけど、まあいいや。このあたりでべたに「はいここでボケて」と、それと、ネタ元の映像の寿命が短いそうなので、今がチャーンスかも。
 で、ネタはこれ。世界に流れる英文のロイターニュースの18日付”Japan's lonely hearts turn to dolls for sex, company”(参照)。表題を訳すと「日本の孤独な心の向きは、おセックスやお友だちとして人形に方向を転じる」といったところか。こんな感じで始まる。


TOKYO, July 18 (Reuters Life!) - Real love is hard to find for one Japanese man, who has transferred his affection and desires to dozens of plastic sex dolls.
(東京18日ロイター[生活] 真の愛を見いだすことが難しい日本人男性は、愛情と欲望を多数のおセックス人形に向けている。)

When the 45-year-old, who uses a pseudonym of Ta-Bo, returns home, it's not a wife or girlfriend who await him, but a row of dolls lined up neatly on his sofa.
(45歳仮名ター坊が帰宅すると、そこで彼を待っているのは妻でもガールフレンドでなく、ソファーにきちんと並んだ人形たちだ。)


 というわけで、日本語でいうところ和蘭妻(和漢三才図会)といかダッチワイフ(死語)がぞろっと並んでいるというのだが、このあたりでブログのエントリ読むのかったりーというかたは、Photo Slideshow”(参照)に写真がある。GIGZINE有料版ではないのでここに無断コピペするわけにもいかないが見れば、記事の印象がわかると思う。
cover
生物彗星WoO (ウー)
 というかもっとベタに動画があったりする。”'Love dolls' woo Japanese men”(参照)。ところで、こういう日本人男性って、ウーなわけだ。頑張れアイ吉、てか。どうでもいいけど、英語がわかんなくても、こりゃ見ればわかるでしょ。てか、ようつべに上がってんじゃないのか知らんけど。
 エントリ書きながらも一度動画を見るに(うっぷす)、工場シーンで解説するお兄さんがすげえふりゅうえんとな米語をくっちゃべっているのだけど、これってつまりそのあたりの東京のごろつきじゃないや特派員お友だちネタというか、というかというか、ああべたにいうと日本人をお笑いにして実は世界マーケットを狙っているというやつじゃないのかとつい結論が出てしまったのでこれでエントリ終わりかよ。
 もうちょっと。記事に戻る。もしかしたらテコンドー名人ってことはなさげなター坊(45)はこう語る、オリジナルは日本語だろうけど柄谷行人の昔のネタみたいに日本語訳もつけておく。

"A human girl can cheat on you or betray you sometimes, but these dolls never do those thing. They belong to me 100 percent," says the engineer who has spent more than 2 million yen ($16,000) over the past decade on the dolls.
(「人間の女の子だったら騙したり裏切ったりすることがありますよね。でもこのお人形たちはけしてそんなことしないんです。彼女たちは100%私の所属です」と過去二百万円をこの手の人形に投じてきたエンジニアは語る。

 なんかそれって米人に言わされているっぽいんですけど。

"Sometimes it takes too much time before I can have sex with the person I meet. But with these dolls, it's just a matter of a click of the mouse. With one click, they are delivered to you."
(出会った人とおセックスの関係を持つのに時間がかかりすぎるってことがあるじゃないですか。でもお人形だと、ワンクリックってなものですよ。ワンクリックで自分を解放してくれるんですよ。)

The man, who says he has had sex with five women but prefers the dolls, is one of a gradually increasing, though secretive, group of Japanese men who have given up on women.
(過去に5人の女性とおセックスの関係を持ったことがあるがそれでも人形が好きだという、こうした男性が増加している。もっとも女性を断念した日本人男性たちは表向きには出てこないのだが。)


cover
危ないお仕事!
北尾トロ
 というわけでネタのおいしいところも書いたし、結論も書いちゃったんでこのエントリも終わりなんだけど、ついでにやっぱアフィリっておこう、じゃねーよ、マジでお勧めしたい関連本がある。すでに読んだ人も多いだろうし、ちと話が古いんでねーの系だが、北尾トロ「危ないお仕事!」(参照)だ。この「第三章 エロスのお仕事」に「人呼んで、裏人形師 ― ダッチワイフ製造業者」があって、この手の産業の裏話があって面白い。いや産業の裏話というより日本社会の裏話というところだろうか。私はロイターのこのネタをめっけたときアレ、これってアレじゃないのと本書を思った。違った。
 人形製造の内幕話がある。

 中でも心配だったのは、こういうモノを売っているのは、その筋の人たちなんじゃないかということだった。しかし、実際にはそういうことはなかった。
 それからワイセツ物のほう。せっかく開発してもヤリ過ぎでお縄ちょうだいではなんにもならない。人形型ワイフが法律にひっかからないかどうかも調べ、刑法には触れないことを確認した上で前に進んだ。最初のひらめきから開発開始までに要した期間は軽く数ヵ月。
 業界のほうは、特殊な業界だから情報は筒抜け、あるいは横の連絡網があるのかと思っていたが、そんなことはないらしい。みんな勝手に商売をやっているようだ。

 この先、え?みたいな、あるいは、やっぱりそうか!みたいな話がある。嘘っぽい感じがしないのはモデレートな記事に収めているからだろう。トロさんうまいなあ。
 他にもこの本、いろいろ世間の常識というものがちりばめられていて面白い。100倍くらいに薄めても一年分、はてなの「最近の人気エントリー」に載るんジャマイカ。

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2007.07.19

[書評]タンタンのコンゴ探検(エルジェ作)

 日本では報道されているかわからないが、欧米圏のニュースを見ていると、「タンタンのコンゴ探検(エルジェ作)」(参照)問題は今日になってもまだ収まっていないようだ。問題? 
 英国政府機関の人種平等委員会(CRE:Commission for Racial Equality)(参照)がエルジェ作「タンタンのコンゴ探検」が人種差別だと声明を出し、書店は販売方法について見直しを進めている。出版停止という事態ではなく、成人向けということになりそうだ。さらに、この問題は米国にまで波及し、およそ英米圏に広がりを見せている。動物虐待との非難もあるようだ。
 当初の報道にある識者の意見としては大げさではないかということだったが、しばらく収まるようすもない。日本のジャーナリズムはだんまりなのか、それとも期待の新ジャーナリズム、ウイニーが何かを明らかにするのか。
 CREの声明は”CRE statement on the children's book 'Tintin In The Congo'”(参照)にある。12日の日付だ。試訳を添えておこう。


A hundred years ago it was common to see negative stereotypes of black people. Books contained images of 'savages', and some white people considered black people to be intellectually and socially inferior.
(百年前なら黒人について否定的なステレオタイプの見解が一般的だった。書籍には野蛮人の挿絵があり、黒人というのは知的に社会的に劣るものだと考える白人もいた。)

Most people would assume that those days are behind us, and that we now live in a more accepting society. Yet here we are in 2007 with high street book shops selling 'Tintin In The Congo'. This book contains imagery and words of hideous racial prejudice, where the 'savage natives' look like monkeys and talk like imbeciles.
(多くの人はそれは過ぎ去った年月だし、私たちは心開いた社会に暮らしているとも思いたいだろう。しかし、私たちがいるこの2007年に中心街の書店が「タンタンのコンゴ探検」を販売している。この本には胸くそ悪い人種偏見の絵画と文章が含まれており、「野蛮な土人」は猿のように見えるしバカのように語られている。)

Whichever way you look at it, the content of this book is blatantly racist. High street shops, and indeed any shops, ought to think very carefully about whether they ought to be selling and displaying it.
(どう見ても、この本の内容は露骨な人種差別主義者である。中心街の書店であれ、どの書店であれ、この本をどのように販売したり陳列するか注意深く配慮すべきだ。)

Yes, it was written a long time ago, but this certainly does not make it acceptable. This is potentially highly offensive to a great number of people.
(なるほど、この本が書かれたのは昔のことだ。しかし、確実にこれは受け入れることのできないものなのだ。この本は、潜在的に多くの人を侮蔑的に攻撃しうるものだ。)

It beggars belief that in this day and age that any shop would think it acceptable to sell and display 'Tintin In The Congo.'
(今日この時代に「タンタンのコンゴ探検」を販売し陳列してもよいとみなす書店が存在することは信じがたい。)

The only place that it might be acceptable for this to be displayed would be in a museum, with a big sign saying 'old fashioned, racist claptrap'.
(唯一この本が置かれてしかるべき場所があるとすればそれは博物館の中だろう。そしてこう標識されるべきだ、「古くさい、人種差別主義者の戯言」。)


 BBCでの報道例には”Bid to ban 'racist' Tintin book”(参照)などがある。
 ところで、そんな古い絵本というかマンガ本と言ってもいいだろう本が、なぜ今更に話題になるのだろうか。スピルバーグの映画化か。いや、今更に話題になることは他にもなにかと多いものだが、それにしてもなぜという疑問はわくかもしれない。
 しかし、「タンタンのコンゴ探検」の問題はかつてから識者にはよく知られたものだった。2004年漫棚通信”タンタンはコンゴで何をしたのか”(参照)が詳しい。本文が長いので多少長く引用したい。

 アマゾン書店が日本にまだないころ、わたしはアメリカのアマゾン(amazon.co.jpじゃなくてamazon.comの方ですね)に直接洋書を注文していた時期がありました。フランス語版の「TINTIN AU CONGO」を注文するとアメリカのアマゾンには在庫がないので、ヨーロッパから大西洋を渡りアメリカ経由で日本にやってくるのですが、それにしても時間がかかりすぎる。途中でアマゾンからメールがありました。フランス(ベルギーだったかも)に注文をいれたが、この本はアメリカに輸出してはいけないことになっているのだが本当にかまわないのかという問い合わせがあって、手続きが遅れている、という内容でした。結局手にはいりましたが、フランス語ですしねえ、わたし読めませんし。ただ、単純な話なので、絵を見るだけでもだいたいわかるものです。
 フランス語版で「TINTIN AU CONGO」。英語版なら「TINTIN IN THE CONGO」。日本語でタイトルを記すなら「タンタンのコンゴ探検」(小野耕世の訳したタイトルに準じてます)。おそらく日本語に訳されることのないであろう作品です。フランス語版や英語版のタンタン(CASTERMANやLITTLE, BROWN)も、日本の福音館書店版とほぼ同じ版形のものが多いのですが、裏表紙には発売されているタンタンシリーズの一覧が載っています。ところが、フランス語版では全22作ですが、英語版では21作。「TINTIN IN THE CONGO」は存在しません。実はスペイン語版やイタリア語版でも読める「タンタンのコンゴ探検」は、米英では読めない本なのです。(正確にいうとカラー版じゃなくて白黒オリジナル版ならば英語でも読めるのですが。)

 同記事にもあるが白黒の原典については英米共に復刻されたが、子どもが読んでもよい一般向けのカラー版はこの時点でも英米では販売されていない。理由はやはり黒人差別問題である。
 米国および英国アマゾンを調べると、現在では販売されている。二種類あり、Publisher: EGMONT CHILDREN'S (September 5, 2005) とPublisher: Little, Brown Young Readers (September 1, 2007) とのことだ。後者については、予約ということだろう。CREとしては一年ほどの検討があったのかもしれない。
 ついでに英米圏の読者評を読んでいると、この版は改訂されているとある

This is the edited version!!, May 25, 2007
By Sami (Florida) - See all my reviews

The book is not faithful to the first colored edition as it is supposed to be. This is the edited version where the exploding Rhino was replaced with more P.C. drawings.
(この本は想定されている最初のカラー版に忠実ではない。これは改訂が加えられており、サイ狩りについてはよりPC的な描画に置き換えられている。)


 ということなので手元の日本版を見ると、なるほど、日本版のほうも書き換えられているような印象を受ける。そのあたりどうなのだろうか。と、書いたように私もこの機会に「タンタンのコンゴ探検(エルジェ作)」(参照)を読み返してみた。
 日本語版については今年の1月31日に福音館書店から出版されている。いきさつについて無視はしていない。「読者の皆さんへ」として冒頭に説明がある。一部を引用する。

 さて、この本には、皆さんにぜひとも知っておいてほしい二つの問題が含まれています。
 一つは、コンゴの人々の描き方です。つまり、「無知」で「野蛮」で「迷信深い」アフリカの人々を、文明人である自分たちがが指導し救ってやっているのだという西欧中心の考えです。当時はタンタンの作者エルジェですら、そのような風潮から自由ではありませんでした。今、この本を読んで、皆さんにこのような植民地時代の歴史的な背景をも考えていただけたらうれしく思います。
 もう一つは、これも今では考えられないことですが、タンタンが動物たちを次々と銃で撃つシーンがあります。当時は、こんなことが一種のスポーツのように行われていたのです。野生動物の保護が叫ばれる以前のことです。自然界に対する身勝手な行為の一つとして記憶されるべきだと思います。

 出版社としてはそうした反面教師としての側面を強調しているのだが、本文中にはどこがどうなのかという示唆は含まれていない。どう読むかは読者に任されている。
 また「大人になってから読んでほしい訳者あとがき」がある。これも一部引用しよう。

 描かれた主題のせいで『コンゴ探検』は長いこと、良い子には読ませたくない本とみなされてきました。それは表面的すぎる評価です。この本を危険なものと感じるのは、私たち自身の中に、かつての宗主国と同じ「オリエンタリズム」の視線、非西洋的なものを劣ったものと感じる歪んだ眼差しがひそんでいるからにほかなりません。植民地主義も人種差別もしらない子供の目には、この本はまったく違ったものと映るでしょう。

 以上がこの問題に触れた訳者の後書きだが、出版社も近い考えにある見てよいのだろう。
 日本の教育現場ではどう扱われることになるのかわからないが、福音館書店と同じ立場に立つだろうか。
 本文の一部を以下に画像として引用したい。あえてきれいにスキャンしなかった。

 このエントリに書影を載せるべきか迷った。日米アマゾンともに書影の掲載を避けているようにも思える。CREもこの本を販売するなとは言っていないが、販売方法に工夫してほしいということはある。

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2007.07.17

米国がなぜか今時分ヘッジファンド規制に頑張っているのに

 新潟県中越沖地震被災者の皆様に謹んでお見舞いを申し上げます。
 
 今日のFujiSankei Business i.の記事”米議会でヘッジファンド包囲網 税金倍増・監視強化へ法案”(参照)が気になるので、思うところを取りあえず書いておこう。話の行きがかり上、また中国への批判のようになるかもしれないが、タメに中国バッシングをしたいという意図はない。なんとなく日本のメディアにとって中国問題はタブー化しているのかなとも少し思う。ブログでもタブー化してくるのだろうか。
 同記事の話は表題からもわかるが、冒頭を引用しよう。このこと自体はまあそんなものかなくらいの話ではあるが。


 日本企業を標的にM&A(企業の合併・買収)を繰り返す米大手ヘッジファンドが、米議会から激しい突き上げを受けている。上下両院は、ヘッジファンドの活動が金融市場の安定を阻害しかねないなどとして、監視強化や大幅な増税に向けた法案づくりに着手した。実現すればヘッジファンドには大きな痛手となり、日本での活動にも影響しそうだ。この一方、ロンドン証券取引所がヘッジファンド誘致計画を打ち出し、金融監督当局からは「ヘッジファンドが海外に逃げ出しかねない」と懸念の声が上がっている。

 記事としては日本の経済で「ヘッジファンドが海外に逃げ出しかねない」と懸念ということなのだが、ちょっと待て。なんで米国が監視強化や大幅な増税に向けた法案づくりをしているのかということと、日本では規制はどうよ、というのが先に問われるべきではないのか。
 米国議会はなぜヘッジファンドを批判しているのか。

 野党、民主党内では、ヘッジファンドの経営陣らが投資家の利益を搾取しているとの批判が高まっている。現在、ヘッジファンドの利益への課税は株式譲渡益税と同じ15%となっているが、これを一般企業の法人税並みの35%に引き上げる案を軸に検討が進む見通しだ。報道によると、ボーカス財政委員長(民主)は公聴会後「増税には十分な支持が得られると思う」と述べ、実現に自信を示した。

 この記事の説明だと「投資家の利益を搾取している」からいけなのだということなのだが、じゃ、日本はどうなの? というのと、なんで民主党が頑張っているのか。そのあたりがよくわからない。
 ところで冒頭私が気になったのはそこではない。こっちのほうだ。

 米紙ワシントン・ポスト(電子版)などによると、上院財政委員会など3委員会が先週、金融監督当局の代表らを呼び、合同公聴会を開催。ニューヨーク市場で6月下旬に株式を公開したブラックストーン・グループや、同社に続き、株式公開を計画しているコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)、オク・ジフ・キャピタル、カーライル・グループ、アポロ・マネジメントなど大手に対する増税案を話し合った。

 それって、基本的にブラックストーン・グループが筆頭の問題ということなのではないか、というあたりで、黒石って、あれだよな。あれだ、先月21日付けロイター”米上院議員、中国によるブラックストーン出資に懸念表明”(参照)。

米上院のジム・ウェブ議員(民主党、バージニア州)は20日、米プライベートエクイティ大手ブラックストーン・グループ[BG.UL]が40億ドル超規模の新規株式公開(IPO)を控えるなか、中国によるブラックストーンへの出資が「国家安全保障」問題をもたらすとして、これを検討するよう米当局者らに求めた。

 ブラックストーンの中国マネーの背後の動きが気になる米民主党ということなのだろうが、全体の構図としては、中国マネーによるヘッジファンドへの警戒が米国を覆い出しているということではないのか。
 このあたりは先月23日付け産経新聞”潤沢な外資…中露が運営 米「国家ファンド」警戒”(参照)がわかりやすい。

輸出増で潤沢な外貨準備を抱えた中国やロシアが運営する「国家ファンド」に対し米政府が初めて懸念を表明した。22日に上場した米最大投資ファンド、ブラックストーン・グループに中国が30億ドルを出資するなど、外国政府がファンドを通じて米企業を買収することを恐れ、米政府は、国際通貨基金(IMF)や世界銀行による国家ファンドの監視や規制の検討を求めている。

 そういえば先日のヒルトン買収も黒石でした。4日付けCNN”ヒルトン・ホテルズ、投資会社に身売り”(参照)より。

米投資会社ブラックストーン・グループは3日、ホテルチェーンを展開するヒルトン・ホテルズを、現金約260億ドルで買収すると発表した。


ブラックストーンは先月、新規株式公開(IPO)で41億ドルを調達した。今後はヒルトンのブランド力を生かし、海外ホテル事業を強化していく。

 この買収ってなんかメリットがあるとも思えないし、もともとヒルトンなんかただの格調のブランドだけなのに、中国様の思惑があったのでしょうか。って、妄想?
 黒石はかなり目立つし、たぶんヒルトンとかに手を出すのもまずかったのではないかなとちと思うが、目立たない部分でも中国マネーはこれまで動いていたのではないか。そのあたりどうなんでしょうね。どうって、日本がということなんだけど、という疑問が参院選の騒ぎのなかでフェードアウトしていくのであった。

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