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2007.06.23

[書評]催眠誘導の極意(林貞年)

 催眠術にそれほど関心があるわけではないのだが、昨今のマスメディアのヒステリー的な状況やブログの状況などを見ていて、これは一種の集団催眠的な現象ではないのかと思い、つらつらと思い出したようにこのところ催眠術関係の本をいくつか読んだ。

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催眠誘導の極意
 このジャンルの本は、本として読むと奇妙なフカシが多い。しかし、実際には手品・奇術と同じで実技技能的な側面も強く、全体がくだらないと捨てるべき領域ではない。また、なんとなく子どもたちの世界で時折というか周期的に集団催眠現象みたいなことが起きるのも不思議なのだが、最近そういう背景があるのかもしれないニュースにその背景が見えづらくなってきた。
 他、NLPの、と言っていいのかエリクソン関連の翻訳書が増えてきているのもなぜかと訝しく思ったり、フロイトについて物思いにふけったり(フロイトはコカインと催眠術から精神分析を打ち立てた)という関心からも催眠術の本を読んだのだが、たまたま手にした「催眠誘導の極意 成功率アップ!「瞬間催眠術」もかけられる (林貞年)」(参照)とその前著「催眠術のかけ方 初心者からプロまで今日から使える(林貞年)」(参照)が非常に面白かった。長年疑問に思ったことがいくつも氷解した。と同時にこの術師林貞年という人はどういう人なのか関心を持ち、さらに「カリスマが教える本物の技術 スーパー・ベーシック催眠導入(林貞年)」(参照)も読んだのだが、私は催眠術を習得したいわけでもないので、そうした技術には関心が持てなかった。
 普通の読書人対象でも前二書は読んで興味深い書籍だろう。催眠術というものに一般の人が抱いている誤解や偏見などもクリアされる。術師林貞年の理性的な解説に共感する部分も多いだろう。私などからすると、エリクソンについての次の見解は貴重だった。おそらくNLPを含めてよいと思うが催眠術の世界についてこう語られている。

 この世界では話が飛躍していくのは珍しいことではありません。エリクソン博士の催眠にしても、広めているのはエリクソン博士ではなく、多くのお弟子さんたちです。話が飛躍していないとは言えないでしょう。このカリスマ性を帯びた催眠に魅せられた者たちがテクニックをバブル化していることも確かです。
 私はエリクソン博士を尊敬している人間のひとりです。悲しいのは、エリクソン催眠に便乗して、ありもしないテクニックを理論的な説明で、さも受講を受けて練習さえすれば誰でも人を操れるように宣伝することです。
 「現代催眠はどんな人でも催眠に入れてしまい、言葉ひとつで思うがままに操れる」――そんな、ありもしない魔術を追いかけている人が増えているのも事実です。催眠はその人の中にあるものを引き出す技術です。その人の心に沿った催眠だけが成功するのです。

 前著のほうだが禁煙と催眠術の関係で面白いエピソードもあった。話は、この著者ではない別の術師がテレビで禁煙の催眠を実施したことだが。

(前略)この番組の中で、トラウマをもった女性に年齢退行を施した後、スタッフの人が被験者になって「タバコがまずくなる! 吸おうとしても絶対に吸えない!」と暗示されたのです。ここまでならテレビでよくやる催眠なので、私ば漠然と見ていました。
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催眠術のかけ方
 問題はその後です。白衣を着たまま、征服欲に満ちた顔で、デスクの上に足を組み、まずそうな顔をしてタバコを吸っているスタッフに「タバコをやめたいなら、この暗示は解かずに、このままにしておいてやる」と、スタッフの顔を指さしながら言ったのです。
 このような催眠家を人に紹介できるでしょうか? 私はこのとき頭に血が上るのがハッキリ分かりました。医者であり、催眠療法家という肩書きは、精神的な悩みをもつ人たちの心を引きつけて離さないでしょう。それだけの威光を持った人がなぜ、間違った催眠を見せるのでしょうか? 実は、催眠だけで禁煙するのは不可能に近い。

 正しい指摘だと私は思った。
 私はかなりの嫌煙家なのだが、禁煙というのはマクロ的には人口比率的にある一定以上減らすことは不可能ではないかと思うし、たしかそうした研究を見たことがある。ミクロとしては禁煙が実現する率は低いだろうし、指導法も確立していないのではないかとも思う。
 著者が「催眠だけで禁煙するのは不可能に近い」とするのは、喫煙が単に行動的な習慣だけではなく神経に作用するニコチンという実体性にある。別の言い方をすれば、人によってはニコチンパッチなどを含めた総合的なメディケアが必要だろう。
 話は尻切れトンボになるが、この二著について、ドクター・苫米地の一連の著作にほのめかされている部分がクリアになったり、時折考察するある事件の内情への推理の補助にもなったりもした。よく読むと冒頭の問題意識、つまり、マスメディアやネットの催眠術的な仕組みを考える上でのヒントもあった。


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2007.06.21

ガザ状況メモ

 ガザの状況だがひどいことになったなという率直な感想と、事態がよく飲み込めないこともあって、まとまったことが書けそうにもないが、「極東ブログ: パレスチナ自治政府アッバス首相辞任はしかたがない」(参照)、「極東ブログ: スーハ・アラファト(Suha Arafat)」(参照)、「極東ブログ: 国連がハマスに資金供与の疑惑?」(参照)、「極東ブログ: シャロン後メモ」(参照)、「極東ブログ: 軍服もどき」(参照)といったエントリの延長になにかメモを書いておくべきだろう。
 現状について、基礎的な解説は省略したい。本当はそこをきちんと書くべきかもしれないのだが。
 さて、この問題についての私の基本的な視点だが、ハマスをできるだけパレスチナの政治プロセスのなかに取り込んで和平実現に向けていけばいいし、イスラエルもその対応ができないものでもないだろう、ということだった。長期的にはなんとかそれなりの和平の線が見えてくるだろうとも思っていた。そんな自分なりの理想もあってか甘い読みといえばそうだが、可能なら平和であってくれよと思っていた。まあ、現状ではダメでしたね。
 現状では、ガザをハマスが占有したとも言えるし、アッバス側ファタハと決裂を決定的にしたとも言える。流血の惨事が続き悲劇は悲劇だ。これで「パレスチナ国家」という看板の夢が遠のくと言えないこともない。
 が、すでに米ライス国務長官もつぶやいているように、ガザにハマスを押し込んだのだから、残りのファタハ=パレスチナ国家で、いわゆるパレスチナ問題がその線上で解決しないわけでもない、という見方もできないわけでもない(ギャグみたいな文章になったが)。また振り返ると、ここに至る一連の動きはハマスの欧米による追い込めであったと読めないわけでもない。
 ただ、ではガザはどうなるの? というあたりで、シャロンがガザを捨てたとき、実は彼の脳裏には今日の日の予感があったのかもしれないなと私は少し思って背筋が寒くなった。そうだったのだろうか。正直私はそんな想定はしていなかった。
 国内の大手紙の社説を参考までに振り返る。
 朝日新聞社説”パレスチナ―分裂より和解への努力を”(参照)はなにか意図的に焦点がずれた印象がある。というか、船橋洋一的なぼよよんとした話になっている。それでも論点的には欧米批判ということだろうか。欧米のアッバス支持路線は危険だと言いたいようだ。


 今回の危機で、米欧はアッバス議長支持を打ち出し、制裁を解除して支援再開を表明した。ハマス排除を歓迎してのことだ。しかし、それでは分裂が固定化され、危機を深めることにならないか。
 第一に、欧米の支援を受けたファタハが、西岸でハマス排除を強めると予想される。しかし、ハマスは西岸でも支持基盤を持っており、抗争がますます激しくなる危険がある。
 第二に、ハマスが支配するガザが封鎖されて孤立化すれば、飢餓などの人道的な危機が進む。イスラム社会全体に反米欧の機運を生みかねない。
 ハマスは、イスラエルとの和平を目指したオスロ合意を受け入れず、イスラエルの存在も認めようとしない。それが政権を握ってしまったことへの、米欧などのいら立ちは理解できる。

 率直に言って二点ともそれほど説得力はないだろう。そしてたぶん誰もが思うだろうがガザとエジプトはつながっているのに、表向き誰も言及しないのはなぜなんだろうか。
 産経新聞社説”パレスチナ分裂 両派和解以外に道はない ”(参照)は、ちょっと読むと朝日新聞社説みたいだが、わかりやすい。

 ハマスは選挙により評議会の多数を握ったとはいえ、和平交渉の前提となるイスラエル承認を拒否し、今回は武力でガザを制圧したとあっては、国際社会の支持を得られるはずがない。日本政府もアッバス議長支持だ。
 ハマス支配のガザ地区に対してはイスラエルが早くも封鎖の動きに出た。国際社会からの経済支援も得られない状況では、同地区は早晩、経済的に行き詰まることが必至である。

 たぶん、ガザは行き詰まるだろうし、ハマスは壮絶に自滅するというのが見えないわけでもない。そしてそれゆえに、「両派和解以外に道はない」という産経にはリアリズムがあるが、ただ私は受け入れがたいものも感じる。たぶん、そのリアリズムの先にはガザの民衆が事実上ハマスの人質のようになるという絵が待っているだろうから。
 日経新聞社説”パレスチナ分裂、和平外交の再構築急げ”(参照)は論旨が混乱しているように思えた。

パレスチナ自治政府のアッバス議長は危機管理内閣を立ち上げたが、ファタハ主導の自治政府は事実上、ヨルダン川西岸地区の政府にすぎなくなり、ハマスが実効支配するガザとの分裂状態は長期化する可能性が大きい。

 つまり、日経はガザが維持できると想定している。理由はハマスは孤立しないだろうというのだ。

ファタハ側へのテコ入れによって、ハマス支配下のガザを孤立させ、ハマスの弱体化を進める狙いだが、米国やイスラエルの思惑とは逆の展開になる可能性も小さくないだろう。
 昨年1月のパレスチナ評議会(国会に相当)選挙でハマスが勝利し、ハマス主導の内閣が生まれた後、武力闘争放棄やイスラエルとの共存の意思を明確にするようハマスに迫る形で国際的な対パレスチナ援助凍結の動きが広がった。だが、“兵糧攻め”によってハマスの力が弱まったわけではない。むしろ援助凍結によって経済力の弱いガザの状況がさらに悪化して政治的な反発も強まり、ファタハの地盤沈下が進んだ。

 そういう読みなのだが、ちょっと弱い。ガザに追い詰められたと見るべきだし、地理的にはやはりエジプトにかかっているとしか見えない。

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2007.06.20

モラルの低い人を傍観する時

 このところぼんやり考えているが結論も出ないことがある。ただ、考えあぐねてきたので、少しブログにでも書いてみようかな。モラルの低い人を傍観する時のことだ。
 話は私事からが切り出しやすい。私は沖縄で八年暮らしそれから東京に戻って四年になる。東京に戻ったころ、とにかくいやだったのは自転車だった。私は高校を自転車通学したくらいだから、自転車自体がいやということはない。が、その頃思ったのは、自転車に乗っている人のモラルがこんなにも低下していたのかという驚きだった。八年のうちに東京が変わったのか、それとも沖縄には自転車が少ないせいもあって感覚が変わったのか。個人的には前者のようにも思えた。私は、歩道を突っ走る自転車や二人乗り、無灯火、そういうやつらに誰彼かまわずどやしつけた。無法な警官もどやしつけた。ブログにも書いた。どうなったか。罵倒コメントをたくさんいただいた。そりゃそうだろ、世の中にあれだけ自転車運転のモラルの低い人がいるのに、ブログの世界がその分布に合わないわけがない。罵倒も食らわないことには世界の現状のバランスが取れないのだろうと思った。
 だがそのうち、何も言わなくなった。言っても無駄だと思うようになったし、率直に言って自分が安全ならいいやと思うようになった。モラルの低い人を傍観するようになった。それでも、小さな子どもや老人や身体障害者が自転車の危険にさらされそうなときは、私はダッシュして彼らを守るべく行動する。これだけは変わらない。そこだけは譲れない気がする。
 同じように、電車のなかで携帯やっている人に注意しなくなった。だらしなく電車のなかで場所を占有している人にも黙っているようになった。外人がタバコのポイ捨てをするときもまず日本語でそして日本語がわからないなら英語でどやしつける、というのを止めた。その他、社会で見かけるモラルの低い人を、なんというか、許すようになった。というか、傍観するようになった。それでも雨の日、傘をぶんまわす人は危険性ということで許せない。同じように社会的弱者に危害を与えそうなシーンでは私はダッシュして云々。それほど正義とは思わない。正義でもないかなと思えるあたりが心理的に楽だ。無意味な社会的危険性を最小限にする最小限の行動は大人の義務だろう。
 それが私の最後のモラルだ。でも、その最後がやぶれても別の最後のモラルがあるのだろう。人間とは自堕落なものだし、他人のモラルも基本的にどうでもいい。ということなのだが、ちょっと心にひっかかることがある。
 話が少しずれる。先日、列車車内で女性が暴力を受けるのを他の乗客が傍観していたという事件報道があった。私は詳細は知らないし、その個別の事件にはあまり関心がない。が、メディアなどで見かけた意見には、その傍観している人をバッシングするようなトーンがあり、奇妙な感じがした。
 私がその場にいたら、どうしただろうか。絶対にその暴力を阻止したという自信はない。過去の自分の行動パターンから想定されることはいくつかあるが、たとえそう推定されるとしても、こうした問題を倫理なりモラルを問う形で議論するのは間違っている。
 この問題についていえば、社会心理学的に有名な傍観者効果(Bystander effect)というもので、ウィキペディアにも解説があるし(参照)、先日のエントリで扱った書籍「極東ブログ: [書評]脳は意外とおバカである(コーデリア・ファイン )」(参照)でも第3章すべてを充てて「脳にモラルなし」として解説されている。ウィキペディアのほうを借りて、こうした事態についていえば。


つまり今回のような事件を防ぐには、人間の心理そのものを消したり改造することはまず無理であるから、この傍観者効果によって助けなかった人間を非難するのではなく、傍観者効果が発動してしまわないような社会システムを作ることが重要になってくる。

 ということになる。つまり、モラルを問うというのは典型的なダメな議論と言っていいだろう。
 ただ、そこでいくつか奇妙な連想も働く。そうした傍観者効果が抑制される社会システムというのはそれ自体が権力なのではないか、と。ぶっちゃけて言うと、モラルが問われるという状況に遭遇することはその人にとってまさに、その人の人生の場であり意味なのではないか。いや、その、ありえない電車男が偉いとか言いたいわけじゃないんだけどね。
 ちょっと話を戻すと、電車のなかで不埒に席を占有している人がいるというのはよくある。が、最近のJRの電車内みたいに、七人掛けの席の途中に仕切りの棒を二本つっこんで、ブロイラーよろしくここに入れ、座れ、と環境権力的に示唆されているのが、よいシステムということなんだろうか。あるいは、山手線を走る人間貨車に「これは人間の尊厳への挑戦ではなくそういう乗り物なんだよーん」と了解するのはよいことなんだろうか。難癖を付けているようだが、私は、基本的に、あの電車が不快というか不愉快。そしてその不快感は、どこかしら最低線の私のモラルとつながっているようにも感じられる。
 もうちょっと話を戻す。私は世界のアモラルな状態をけっこう傍観するようになった。内心、モラルの低い人がいるのはしかたがないことだ、私だって局面においてはそんなものかもしれない、まあ、レット・イット・ビー、ケセラセラー、ミアモーレ、と思っている。が、どこかしら、何かに耐えている感じもある。
 そのあたり、先の「脳は意外とおバカである」(参照)がうまく言い当てている箇所がある。

世界に蔓延する無数の不正を直視するのは、私たちの繊細な精神には荷が重すぎるのだ。哀れな運命の餌食になった人を見たときでも、世界が残酷で無慈悲な場所であるという事実をなんとか否定しようとする。けれど犠牲者への不当な仕打ちを正したり、苦しみの代償を求めたり、彼らの苦悩を取り除いたりするのが、あまりにも困難である場合、私たちはもっと安易な戦略に走る。彼らの不幸は自業自得の結果であると思い込もうとするのだ。

 そういうことだ。ということなのだが、どうもモラルというのはそういう自己弁護として機能しているような感じがする。あるいは、世界がもたらす不運や不幸に対して、自分がモラルを堅持することで防御や対抗できるような気がするのだ。死期が定まった者の心理過程のように内的な神との取引きのようなものだ。
 しかし、理性的に考えればそんなことができるわけもないか、できたとしてもわずかなことだろう。人生において運命や偶然の力は圧倒的だ。
 モラルとはなんだろうと再考する。モラルというのは高みにおいて存在するのではなく、低さのほうに紛れてしまうのだろうとも思う。モラルの低さも含めてだが、我々の存在とは小さく低く偶然的なものだ。他国人を嫌悪する根拠も偶然的なものだし、親がいて大人になれたというのも偶然に近い。別の偶然は人をこうのとりのゆりかごに運ぶかもしれない。そうする大人にはモラルが問われるかもしれないが、産まれてきた子供には問われるわけもない。そして我々がその子供でなかったというのは偶然でしかない。偶然のもたらす悲劇に対してできるだけ公平であること、あるいはそうした偶然の悲劇をもたらさないように僅かに試みることがモラルかもしれない、とか、ぼんやり思う。

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2007.06.18

年金騒ぎと住基ネット

 昨日iチャネルのニュースで、政府は、年金記録不備について住基ネットの強化で対応したいといった話があって、そうきたかそりゃまた騒ぎになっているかなと、他のニュースを当たってみたがさして話題になっていない。拍子抜けな感じがした。どういうことなのだろうかよくわからないなと、今日になってもう一度ニュースを見渡すとその話がないわけではない。というか正確にいうと、話題といった程度の話ですらない。なんでこんなに世間はこの問題に静かなんだろう。私の世相への感覚がボケているのかもしれないが。
 一応ホットな感じのニュースとしては17日付け毎日新聞記事”年金問題:加入記録を住基ネットと連携 政府方針”(参照)がある。


 政府は年金保険料の納付記録漏れ問題への対策として、年金の加入記録を住民基本台帳ネットワークと連携させることによって、住所を移転した人たちの年金記録を照合できるようにする方針を固めた。19日に閣議決定する予定の経済財政運営の基本方針「骨太の方針2007」に盛り込む。
 また年金、医療、介護の各制度にまたがって国民1人に一つの番号を割り振る社会保障番号を導入した上で、各制度を総合的に利用できるITカードにして国民に配布する方針。

 というわけで、この話(年金の加入記録を住民基本台帳ネットワークと連携)は明日の閣議決定の骨太とやらに含まれる。
 ぶっちゃけて言うと、年金記録不備が問題だ問題だ問題だと世間に不安を煽っておいてここで一気に国民総背番号制に持ち込んじゃえ、ということだ。
 私のこれまでの世相の観察からすると、この国民総背番号制の問題が提起されるごとに反対祭りのような状態になったものだが、今回は至って寂寥といった風情だ。どういうことなんだろうか。単純にいえば、反対者はどこに行ったのだろうか。某っ子の日記とかで話題になっているのだろうか。
 事態の背景については、今日付の読売新聞記事”社会保障番号導入 首相が意欲”(参照)が詳しい。

 柳沢厚労相は15日の閣議後の記者会見で、こう述べて、社会保障番号導入の検討を加速させる考えを強調した。柳沢氏の言う首相の答弁とは、14日の参院厚労委員会での発言を指している。
 首相は今回の年金記録漏れ問題の対応を問われ、「制度や保険をまたがる情報を統一して社会保障番号のようなものを作れば、処理も容易になり、国民にとっても自分の情報が確かめやすい。利便性があると思う。早急に検討したい」と述べた。参院選を目前に控え、年金記録漏れ問題で守勢に回っている首相としては、民主党が掲げる「保険料納付履歴を記載する『年金通帳』交付」などの公約に対抗する狙いもあったと見られる。
 ただ、首相にとって、社会保障番号は、劣勢に立たされて苦し紛れに口にした政策ではない。
 小泉政権の官房長官時代の06年5月には、私的懇談会「社会保障の在り方に関する懇談会」(宮島洋座長)で「社会保障の負担と給付の公正を実現するため、すべての納税者に番号を付けて所得を捕捉する『納税者番号制度』や、社会保障番号を導入する」などの内容の最終報告をまとめた。同年9月の自民党総裁選の公約にも掲げていた。
 一方で、首相は今年1月の通常国会での施政方針演説では社会保障番号の導入について具体的な言及を見送った。個人情報の扱いなど導入には相当な困難が伴い、政権1年目の課題として提示することは避けたためだ。逆に言えば、それだけ腰を据えて取り掛かろうとしていた政策でもある。

 うがった見方をすると柳沢厚労相バッシングが国民総背番号制反対運動と同期していたのかもしれないし、そもそも一連のとにかく安倍首相を叩いちゃえみたいのもそういうことかもしれない。お得パックというか。ただ、ちょっとそういう読みは無理に思える。
 気になるのは、安倍首相自身この問題を一月の施政方針演説でその困難さゆえに触れてないのに、ここでゴリっと押し通そうする意志のようなものも感じる。これは人気が落ちたからこそ本来の政治意志のために捨て身の動きに出たということなんだろうか。
 もっとも読売の記事としては、社会保障番号イコール住基ネットとはなっていない。

 報告書は、社会保障番号の具体的な導入方法として、〈1〉年金加入者が持つ10けたの「基礎年金番号」を活用する〈2〉住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)で使われる11けたの「住民票コード」を活用する〈3〉新しい番号を創設する――という3パターンが考えられると結論付けている。

 また住基ネットが採択されても単純に国民総背番号にはならないとの指摘もある。

一方で、社会保障番号導入には「国民総背番号制につながる」という懸念も強い。だが、実際には、住所、氏名、生年月日などを管理する住基ネットと、個人の所得と納税状況などを管理する納税者番号が結びつかない限り「総背番号」にはならないとの見方もある。

 こうした流れを見ていると、それでも近未来の問題でしょという気分にもなるのだが、どうもそうでもなさげだ。すでに昨年一一月二〇日時点で年金受給者の皆様の現況確認に住基ネットが利用されるとしている。”社会保険庁:年金を受給されている方の現況確認の方法が変わります”(参照)より。

 社会保険庁では、年金受給者の皆様の手続きの簡素化を図るため、平成18年10月から(※)住民基本台帳ネットワークシステム(以下「住基ネット」といいます。)を活用して年金受給者の皆様の現況確認を行うこととなりました。
 (※)12月生まれの方から順次実施
 これにより、毎年、誕生月に提出が必要であった「年金受給権者現況届」(以下「現況届」といいます。)の提出が、原則不要となります。

 もちろんこれは年金受給者の皆様の現況確認ということで、年金のための支払いをしている人を対象にしているわけではないが、それでも、年金については住基ネットベースのインデクシングという路線は決まっているように見える。
 これについてはちょっと気になることがあるのだが、誰も気にならないのだろうかとネットを見渡すと、たまたま一人発見。”社会保険労務士 李怜香の仕事と意見 - 年金の現況届”(参照)より。

 そう考えると、住基ネットとの連動はいいことのように思えるが、実際のところ、市町村役場に提出する「死亡届」とは別に、社会保険事務所に「年金受給権者死亡届」を出さなければならない現在の方法を改め、死亡届のデータを、市町村役場から社会保険庁に送ればいいだけの話である。データじゃなくて、もっと原始的に、用紙をカーボン複写にして、副本を市役所から社会保険庁に送付してもよい。現在の現況届自体、アナログな方式なのだから、このようにしても、とくに手間はかわらないはずだ。
 住基ネットの大きな問題点は、外国人や、ネットに参加していない自治体の住民が、排除されてしまうところである。ひとつの届出に、いくつもの方式が存在するというのは、間違いも起こりやすい。せっかく住基ネットが稼働しているのだから、あるものを使おう、ということなのかもしれないが、いくらでもそれ以外の方法はあるのに「住基ネットとの連動ありき」ではないか、というように感じてしまう。

 そのあたり専門家の意見はどうなのだろうとも思うがこのはてなダイアリーのsharouさんも専門家なのでその見解は傾聴したい。
 関連して、ライブドア鈴木修司パブリック・ジャーナリストによる”次に来る超管理社会へ国民一人ひとりの自覚を!自分自身は自分でしか守れない。”(参照)の記事に興味深い点があった。結論である「超管理社会では、一人ひとりの自覚した自立が必要である」については率直に言うと私は関心がないのだが、次の事実は知らなかった。

総務省発表の資料によると、2006年度の住基カードの交付枚数は、約50万枚で、前年比34.9%増であり、2007年3月31日現在の全国累計交付枚数は、約141万枚で、前年度比54.6%増と着実に定着しつつあるのだ。特に昨年度の伸びは、大きなものがある。

 総数でいえば大したものではないし、その伸び率からして住基ネットの未来は明るいとも言えるわけもないのだが、伸び率が大きいというのは意外だった。なぜかという話も同記事にあるが、利便性が高くなりつつあるのだろう。
 単純にいえば住基ネットって便利だなという認識が静かに普及しつつあるのだろう。
 さて、このエントリに落ちはない。だが、しいて思うのは、便利であるということは権力のようなものだなと考えつつある。便利だからということで、静かで圧倒的な権力のようながインプルメントされた社会とはなんなのだろうかと思う。私はそれに反対しているわけでも肯定しているわけでもない。ただ、便利さに流されている事実だけはある。

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2007.06.17

朝鮮総連ビル売却、緒方重威元公安調査庁長官問題メモ

 気乗りのしない話題だし私なんかに真相に迫れるはずもないが、朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)中央本部のビルと敷地が、緒方重威元公安調査庁長官(七三)を代表取締役とする投資顧問会社に売却されそうになった件について、自分なりのメモを記しておこう。
 まずシンプルに何が問題なのか。一般向けに書かれた十五日付朝日新聞社説”総連本部売却―取引にも捜査にも驚いた”(参照)を借りる。


 公安調査庁といえば、暴力的な活動をする恐れのある団体の調査が主な仕事だ。朝鮮総連も対象とされる。監視する側の元トップが、監視される側と土地取引をしていたわけだ。
 さらに驚いたことに、東京地検特捜部がすかさず元長官の自宅などを捜索した。所有権移転の登記に偽装の疑いがあるというのだ。

 ここでの朝日新聞的な問題点をまとめると、(一)危険性のある団体を監視する機関の元トップがその団体と金銭取引をしていた、(二)取引に偽装の疑いがある、の二点ということになる。
 一点目の問題については朝日新聞の説明だけ聞いていると違法性があるとも言えないように思える。では二点が問題かというと常識的に考えてもそういう話でもあるまい。この先、朝日新聞社説は、朝鮮総連ビルが競売されることを避けるためだろうという話を説明している。ただ、そこが私などにはわかりづらい。
 この点は朝日新聞より一日早く論じた十四日付け読売新聞社説”元公安庁長官 朝鮮総連との取引は論外だ”(参照)がわかりやすい。

 しかし、今の時点で朝鮮総連が保有資産を売却すること自体、極めて問題のある行為と言わざるを得ない。
 在日朝鮮人系の計16の朝銀信用組合が1990年代後半以降、相次いで破綻(はたん)した。各信組が架空名義などを使って朝鮮総連に融資し、焦げ付いた額は約628億円に上り、整理回収機構が返還を求めて総連を提訴していた。
 その判決が来週18日に東京地裁で言い渡されることになっている。
 同機構は旧経営陣などに対する刑事告訴・告発や損害賠償請求の訴えを起こしてきた。そうした裁判の中で、朝鮮総連が朝銀信組を長年にわたって私物化していた実態がわかっている。朝銀信組の破綻は、朝鮮総連に対する乱脈融資が大きな要因だった。
 しかも、朝銀信組には、預金者保護などの名目で総額1兆円以上の公的資金が投入された。朝鮮総連からの債権の回収に全力を挙げるのは当然である。
 判決を前に、敗訴に備えた取引だったとすれば悪質だ。本部の明け渡しや将来の競売を逃れる意図はなかったのか。同機構の活動を妨害することにもなる。

 つまり、朝鮮総連が保有資産を売却すること自体が問題なのだ、と。
 明日十八日の東京地裁判決で、朝鮮総連から債権が回収される公算は大きい。その時、朝鮮総連ビルの競売を避けるために。話のわかるスジに売却したのではないか。
 そうなのだろう。つまり、緒方重威元公安調査庁長官は、朝鮮総連の拠点を守りたかったというのが、この事件のある意味でマクロ的な意味なのだろうし、同社説では次のように、緒方の言葉を伝えている。

元長官は、「在日朝鮮人が中央本部で活動している現実を踏まえ、在日朝鮮人の権利擁護のために行った。北朝鮮を利するつもりはない」と説明している。

 弁明は十三日付け朝日新聞記事”資金調達難航、断念の可能性も”(参照)が詳しい。

引き受けた理由については「総連は違法行為をし、日本に迷惑をかけている。だが中央本部は実質的に北朝鮮の大使館の機能を持ち、在日朝鮮人の権利保護の機能も果たしている。大使館を分解して追い出せば在日のよりどころはなくなり、棄民になってしまう」「満州(現中国東北部)から必死に引き揚げ、祖国を強く感じたことを思い出し、自分の琴線に触れた」などと語った。

 十五日付け産経新聞産経抄では次の一言を伝えている。

緒方氏は会見で、「いずれ歴史が私のしたことを分かってくれる」と言うばかり。小欄が歴史からくみ取るのは、北朝鮮が繰り出す謀略に、日本の対応が甘すぎたという反省ばかりなのだが。

 緒方重威元公安調査庁長官は今回の行動になぜだか信念をもっていたと見ていいだろうし、率直に言って、私の印象だが老人惚けの一種なのではないか。
 だが、巨額なカネのからむ件でもあり、緒方の信条とか惚けとかで済む話ではない。この点は先の朝日新聞社説の(二)の問題点の補足が詳しい。

 元長官に売ったのは、競売されることを避けようとしたからだ。それ自体に違法性はないが、問題は本当に売買が成立していたか疑わしいことだ。移転登記がされたのに、実際の支払いは済んでいなかった。外から見れば、売買を装ったと言われても仕方があるまい。
 こんな方法を取ったのは、実際に資金を出す人の強い意向だった。判決前に受け取るめどが立っていた。判決前に調達できなければ登記は元に戻す。これが、元長官に取得を頼んだ総連側代理人の土屋公献・元日弁連会長の説明だ。
 しかし、土屋氏も認めるように、金を受け取る前に移転登記をするのは異例のことだ。
 土屋氏は出資者とは面識もないという。出資者とどこまで具体的な合意ができていたのかもはっきりしない。

 ポイントは二つある。(一)緒方重威元公安調査庁長官を表向きたてて実際のカネを出す人が誰なのか現時点で不明。(二)このスキームを実際上実行したのは土屋公献・元日弁連会長(八四)であること。
 言い方が卑近すぎるが、黒幕は誰なのか? 候補は三人。
 一人目。緒方重威元公安調査庁長官か。信条的には関わっているが黒幕ではなさそうだ。というか惚け臭い。なお、このご老体の親族にその後問題が出てはいるが。
 一人目。土屋公献・元日弁連会長か、黒幕の可能性は高いが、オモテに出てくるだけ強い関係者の一人という書き割りかもしれない。というかさらに惚け臭い。
 三人目は謎の出資者だ。単純に考えてこれが黒幕なのだろうし、当然朝鮮総連の関係者であろう。しかし、先の朝日新聞記事にもあったように、資金調達は転けている。大惚けなのか、この黒幕。
 私の印象では、日本国家の中枢が北朝鮮やその日本国内組織的な朝鮮総連に籠絡されているというより、偉すぎるけど惚け老人たちのスラップスティックのように見える。というか、元からそんなカネ出せるはずだったのか? 
 いや、出せると目論んだスキーマだったら、そのカネはどういう絵のなかにあったのだろうか。
 ところで、今回のこの件、どういう経緯で浮上したのだろうか。そのあたりがよくわからない。政権側だろうか。あるいは、北朝鮮やその日本国内組織的な朝鮮総連側の内紛だろうか。一三日付け統一日報”朝鮮総連 中央本部を売却  揺れる在日朝鮮人社会”(参照)を見る限り、「朝鮮総連の内部関係者もほとんど事実を知らされてはいない」ようだ。そうなんじゃないだろうか。すごい組織だなというかすごいリーダーシップ。これが絵の通りだったらもっとすごかったのだけど。
 余談だけど、公安調査庁は、略すと、「公安庁」「公調」「PSIA」。法務省の外局(参照)。調査活動をする組織であって逮捕権はない。これに対して、いわゆる「公安」は公安警察を指すことが多い。こちらはウィキペディアによると。

公安警察(こうあんけいさつ、英:security police)とは、公共の安全と秩序、すなわち「公安」を維持することを目的とする警察の捜査部門の総称。

 両者の違いの詳しい説明もある。

 法務省外局である公安調査庁(公安庁、公調)とは、捜査対象が重複するためにライバル関係にあると言われる。その一方、内閣情報調査室や防衛省情報本部(特に電波部)などの幹部の多くは、警察(キャリア職員)からの出向者である。
 公安警察は、事件解決や対象の継続的な監視を目的としており、収集した情報を首相官邸や関係省庁等に提供することはほとんどない。一方公安調査庁は、政策の判断材料となるように情報を分析・評価し、首相官邸や関係省庁等に提供する点で違いがある。例えば、同じ北朝鮮情報を扱うにしても、公安警察が日本国内の工作員の存在という違法行為の把握を第一目標とするのに対し、公安調査庁は北朝鮮本国の政治・経済情勢の把握を優先する。公安警察には逮捕権等が付与され、公安調査庁に与えられていないのはこのためである。
 一見、同様の活動をしているかに見える両機関であるが、収集した後の情報の扱い方によって、公安警察は捜査機関、公安調査庁は情報機関に分類される。

 今回の件の浮上についてはよくわかんないが、安倍政権側からの公安調査庁へのお灸だったのではないか。お灸とか言っても、現代語じゃないけど。

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