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2007.05.26

ウィキノミクス=ピアプロダクションについてのメモ

 前エントリ「極東ブログ: [書評]Wikinomics:ウィキノミクス(Don Tapscott:ドン・タプスコット)」(参照)で取り上げたウィキノミクスだが、読後の感想と、関連する問題、背景について、メモ書きしておきたい。
 書籍「ウィキノミクス(Wikinomics)」(原書訳書)の読後、正確に言うと読書中にも疑問のように思えたことが二点あった。著者たちもその二点は想定していたのか微妙な配慮を持っているように思えた。


  1. ウィキノミクス=ピアプロダクションの収益モデルはどうなっているのか?
  2. ウィキノミクス=ピアプロダクションにおけるピアグループ形成の原理およびリーダー論はどうなのか?

 一点目の収益モデルだが、いくつかのケースでは提示できないわけではない。たとえば、オープンソースと収益については議論しやすい。また雑駁に言うなら、グーグルがそうであるように、ニッチのように見えたところに新しいプレザンスを置き、圧倒的な力(事実上ウェブ2・0やウィキノミクスなど)によって、他社の既存の安定収益圏を席巻するということだろう。あるいは新しい技術世界のインフラストラクチャーのようなものを提示することによって、既存技術領域におけるプレザンスをシフトさせるような幻想を投げかけ、投資面で優位に立つというのもある。私はこの間の世界経済動向に詳しくはないが、グーグルやウェブ2・0企業というのは所詮カネ余りの状況と無縁ではないだろう。
 だがウィキノミクスによって、世界全体、あるいは産業界が、収益の側面でどうシフトするかはまったく見えてこないと言っていいように思える。
 さらにこの問題は、ある種の議論上の詐術とも言える背景もあるのではないか。簡単に言うと、「ウィキノミクスとはピアプロダクションである」というとき、そのピアプロダクションという概念は、「極東ブログ: [書評]Wikinomics:ウィキノミクス(Don Tapscott:ドン・タプスコット)」(参照)でも強調したように、ウィキノミクスで提示されているそれと、元になったとされるイェール大学ヨハイ・ベンクラー博士によるそれとの間に微妙な齟齬がある。
 ヨハイ・ベンクラー博士によるピアプロダクションにはウィキノミクスのように拡張される含みはなく、むしろ、Commons-based peer production(参照)、つまり「コモンズに基づいたピアプロダクション」である。コモンズという公共性から共有性という概念が自然に結合して導出されている。これに対して、ウィキノミクスの場合はその現象的側面の記述からあたかもその概念を実体的に疎外させ、そこからモデルの特性として共有性とさらにピア性を組み込んでいる。この議論手順は、私にはやや詐術に見える。
 ここでピアプロダクションを、ウィキノミクスではなく、コモンズ・ベースト・ピアプロダクション(コモンズに基づいたピアプロダクション)に引き寄せて再考するなら、同概念を解説した英語ウィキペディアの解説にもあるように、collective invention(集合的発明)やopen innovation(開かれた革新)とも言えるし、いずれにせよ、根幹にあるのは、ピア性よりも共有性を可能にする財産権の問題である。なお、ヨハイ・ベンクラー博士はこの概念をクリエティブ・コモンズのよる書籍「The Wealth of Networks(ネットワークの富)」(参照)で公開している。おそらく、ウィキノミクスをきちんと議論するなら、「The Wealth of Networks(ネットワークの富)」の関連性および差異の考察が重要になるだろう。
 ここで余談。コモンズについて法学的な発想からの議論は多いようだが、私は歴史的に見た場合の、「ローマ帝国」の概念が気になっている。「ローマ帝国」は、ウィキペディアを見ると(参照)次のように書かれている。間違っているわけではないが、その本質的な説明になっていないように思える。

「ローマ帝国」はラテン語の「Imperium Romanum 」の訳語である。「Imperium」は元々ローマの「支配権(統治権)」という意味であり、転じてその支配権の及ぶ範囲のことをも指す。ラテン語の「Imperium」はドイツ語では「Reich 」という言葉が当てられ、英語やフランス語では一般に「帝国」を意味する「Empire 」という訳が当てられるが、ラテン語の「Imperium」とドイツ語の「Reich」という言葉は、本来「帝国」という言葉の意味する皇帝の存在を前提とはしておらず、共和政時代には既に成立していたとされるが、しばしば帝政以降のみを示す言葉として用いられている。

 英語版も参照したが同様に「ローマ帝国」という字面に引きずられている。だが、実際のローマ帝国が「Imperium Romanum 」というように「ローマ人の支配権」などと自称するわけもないことは、単純に常識で考えればわかることだ(ついでにImperium の原義も関連するのだが)。もっとも後代の歴史学・歴史観からの議論が混入しやすいテーマでもあるのだろう。
 実際に「ローマ帝国」とはなんであったかというと、言葉だけ取り上げるならごく常識的なことでもあるのだが、「Res publica」である。ただしその常識の一環としてそれが「ローマ帝国」にアソシエイトされるよりも、「国家」に結びつきやすい("republic"の語源でもある)。
 「Res publica」についてのウィキペディアの項目はやや詳しい(参照)。

"The state" - "The Commonwealth"
Taking everything together that is of public interest leads to the connotation that the res publica in general equals the state. For Romans this equalled of course also the Imperium Romanum, and all its interests, so Res Publica could as well refer to the Roman Empire as a whole (regardless of whether it was governed as a republic or under imperial reign). In this context scholars suggest "commonwealth" as a more accurate and neutral translation of the term, while neither implying republican nor imperial connotations, just a reference to the state as a whole. But even translating res publica as "republic" when it clearly refers to the Roman Empire under Imperial reign occurs (see quotes below).

 また原義はこうである。

Res publica usually refers to a thing that is not considered to be private property, but which is rather held in common by many people. For instance a park or garden in the city of Rome could either be "private property", or managed by the state, in which case it would be (part of the) res publica.

 長い余談でいったい何を議論してたいのだと怒られそうだが、ここに私の関心の文脈がつながる。つまり、「ローマ帝国」とは、「Res publica is held in common by many people.」である。人々よってコモンズとして所有される、ということだ。
 と同時に、これが英語のCommonwealthの原義であり、そこから大英帝国、そしてコモンウェルスが出てくる。
 これらが、帝国=国家として、人々(西洋人)に意識されている、あるいは西洋人にとっては国家の原義が共有性の財産として理解されているということであり、国家を生み出す情熱もまた、この共有志向の流れから考察が可能だ。共有性とは国家の領域なのである。
 ウィキノミクスという概念にすると曖昧になるが、これを「コモンズ・ベースト・ピアプロダクション(コモンズに基づいたピアプロダクション)」として考えると、この運動は、近代におけるネーション・ステーツとしての国家が、資本主義=私有制と富を作り出す動向に、その対立する内在性として包含されていたものかもしれない。
 その意味では、ウィキノミクスないしコモンズ・ベースト・ピアプロダクションというものは、資本主義の内側の収益性といった議論に本源的馴染まないのではないだろうか。
 二点目のピアグループ形成の原理およびリーダー論については、以上のような、コモンズの観点が不可欠になり、ウィキノミクスの枠組みからはいったん離れたほうがよいようにも思える。が、それでもウィキノミクスの枠組みのなかでリーダー論がどうなるのかについては、同書のなかである程度議論はされている。その大半は企業=利益集団、側であり、得られた結論も、せいぜい「ピアグループのローカル・ルールを尊重せよ」というだけに留まる。どのようにピアグループ内にルールと秩序・権力が発生するのかは議論されていない。しかし、ウィキノミクスのメタファであるウィキペディアの編集戦争を見てもわかるように、まさにそこに現在的な問題がある。
 ピアグループ形成の原理およびリーダー論はどのようになるのか。
 この問題も先の「コモンズ・ベースト・ピアプロダクション」のように共有財産=私有財産の抑制から発する面があるが、より深く思索するにはそもそもの「ピア」が何かと問わなくてはならない。あるいはピアリングという言葉の曖昧性を払拭しておく必要もあるだろう。
 ところが、ピアリングはウィキペディア(参照)を見てもわかるように、ネットワーク技術的な側面しか描かれていないことが多い。

 ピアリング(Peering)とは、インターネットサービスプロバイダ(ISP)同士が相互にネットワークを接続し、互いにトラフィックを交換し合うこと。
 一般的にはインターネットエクスチェンジ(IX)を介して行うものを指すが、IXを介さずにISP同士が直接専用線などを用いて接続を行う場合(プライベートピアリング)もある。

 ここからウィキノミクス的なピアリングを考えると、よほど無理のあるメタファとされてしまう可能性がある。英語版ではもう少しメタファーの内実に入っている。

Peering is voluntary interconnection of administratively separate Internet networks for the purpose of exchanging traffic between the customers of each network. The pure definition of peering is settlement-free or "sender keeps all," meaning that neither party pays the other for the exchanged traffic, instead, each derives revenue from its own customers.

 このネットワークがなぜピア(peer)と名付けられたかといえば、"neither party pays the other for the exchanged traffic"に比喩されるように一種の対等性にある。つまり、peer=同等の仲間ということだ。
 ウィキノミクスにおけるピアはすでにこのエントリでも無定義に導入したが「ピアグループ」の含みがあるだろう。「ピアグループ」はすでにピアリングがそうであるように、Open Systems Interconnectionで定義されている概念もあるが、原義としては、一般的な「仲間」を指すとしてよい(参照)。

A peer group is a group of people of approximately the same age, social status, and interests. To work out the relationship with peers, there can be confusion for people to find out how they fit in. Some groups are socialized by peers rather than by their families or conventional institutions. They define themselves as a gang or sometimes as a circle of friends.

 一読してわかるように、「same age, social status, and interests」というあたりから暗に青少年期の集団を指していることがわかる。また、ピアにおける個人の適合に困難が伴う点の指摘も、この概念において重要である。
 議論を端折るが、ウィキノミクス=ピアプロダクションにおけるピアグループ形成の原理およびリーダー論の問題には、二面あり、一面は一般的なピアグループの特性、二面は技術の関与だ。
 技術関与の部分については、「極東ブログ: [書評]ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎)」(参照)で、梅田望夫が「恐るべき子供」として語ったグーグル社員のエートスが関係する。簡単に言えば、「数学とITとプログラミング、そして『スター・ウォーズ』」という側面におけるピアグループ内での評価性が、その内在のリーダシップや権力を規定している。
 当然ながら、ここに潜む大きな問題は、この「スター・ウォーズ」が、その映画のオタク的な知識を指しているのではなく、この映画が示す超越的な正義のエートスを指していることなのだ。

補足
 「Res publica」と共和制ついて補足。現在世界では君主制に対立する概念として共和制が想定され、共有財としての「Res publica」の原義は薄いようにも思われるのだが、「極東ブログ: 領有権=財産権、施政権=信託」(参照)で指摘したように、むしろこの原義が根底にあるのではないだろうか。


 つまり、元来、領民と領土は王のものであったが、市民革命によって、領民と領土は国民の主権に収奪された。しかし、国民=主権というのは、概念的なものなので、実際に国家の経営は、信託としてつまり施政権として、政府に貸与されているのだ。authorityというのは財産権なのだな。

 「領民と領土は王のもの」という王の所有権が、市民の共有財となることが共和制であり、その根底には「Res publica」という共有財の発想があるように思われる。

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2007.05.24

[書評]Wikinomics:ウィキノミクス(Don Tapscott:ドン・タプスコット)

 「Wikinomics: How Mass Collaboration Changes Everything(Don Tapscott, Anthony D. Williams)」(参照)の訳書が5月31日に「ウィキノミクス マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ(ダン・タプスコット、アンソニー・D・ウイリアムズ)」(参照)として出版されることから、「Wikinomics:ウィキノミクス」という概念に、日本のIT産業界やネットの世界が注目し始めたようだ。このエントリでは訳書出版以前ということもあり、原書ベースで簡単なメモを記しておきたい。

cover
Wikinomics:
How Mass Collaboration
Changes Everything
Don Tapscott
Anthony D. Williams
 まず副題を見るとわかるが、原書と訳書とで差がある。原書副題How Mass Collaboration Changes Everythingでは「どのようにマスコラボレーションがすべてを変えるか」として、変化がすべてに及ぶとしている。
 これに対して訳書では「マスコラボレーションによる開発・生産の世紀へ」として、その経済現象的な側面と新時代が強調されている。経済的・市場な側面への関心を喚起していると言える。このため、「Wikinomics:ウィキノミクス」という新語を「Wiki+economics」つまり、レーガノミックスのように、「ウィキ経済学」と理解したい傾向も生じうるし、普通の英語の語感としてもその含みを持つ。韓国語版のウィキペディアを見ると、韓国ではそのような訳語があった。

cover
ウィキノミクス
マスコラボレーション
による開発・生産の世紀へ
ダン・タプスコット
アンソニー・D・ウイリアムズ
井口耕二
 しかし本書では、Wikinomicsの語解釈として明示的に経済(economics)を示唆している文章はなく、この新語が経済面の限定性を強調しているかは判断しづらい。語形成としては単純にErgonomicsのように、Wiki+nomics、つまり、基幹となる語にギリシア語のノモスを追加した造語であろう。ノモスの語感をオモテに出して訳せば「ウィキ秩序」となるかもしれない。とはいえ本書全体からは、やはり経済的な世界の側面を描いていると受け止めてよいので、ウィキ経済学といった解釈もあるだろう。
 Wikinomics(ウィキノミクス)という新語のもう一つのポイントは頭4文字のWikiという言葉にある。誤解しやすいのだが、WikinomicsのWikiとは、Web技術者がWikiとして理解しているCMS(コンテンツ・マネジメント・システム)ではなく、元になるハワイ語の語源的な意味「素早い」もそれほど関連していない。むしろ、このWikiはWikipedeia(ウィキペディア)を連想させるための造語のようだ。ウィキノミクスでは、オンライン百科事典ウィキペディアのように、多数の人が執筆・編集に参加するというイメージが重視されている。

A new art and science of collaboration is emerging --- we call it "wikinomics." We're not just talking about creating online encyclopedias and other documents. A wiki is more than just software for enabling multiple people to edit Web sites. It is a metaphor for a new era of collaboration and participation, one that, as Dylan sings, "will soon shake your windows and rattle your walls." The times are, in fact, a changin'.
(共同作業を進めるための新しい技芸と知識が出現してきている。それを私たちは、ウィキノミクスと呼ぼう。私たちは単にオンライン上の百科事典やその他の文書を作成することについて語るつもりはない。wikiなるものは、単にWebサイトを多数の人が編集可能にするソフトウェア以上のものである。それは、共同作業と参画の新時代の比喩となるものだ。ボブ・ディランが「君の窓は震え、君の壁は崩れる」と歌ったように、本当に「時代は変わる」。)

 具体的に本書において、Wikinomics(ウィキノミクス)はどのように定義されているだろうか?
 明示的な定義の説明はないためわかりづらい。事実上の初出は序にある次の文脈である。

To succeed, it will not be sufficient to simply intensify existing management strategies. Leaders must think differently about how to compete and be profitable, and embrace a new art and science of collaboration we call wikinomics. This is more than open source, social networking, so called crowdsourcing, smart mobs, crowd wisdom, or other ideas that touch upon the subject. Rather, we are talking about deep changes in the structure and modus operandi of the corporation and our economy, based on new competitive principles such as openness, peering, sharing, and acting globally.
(既存の経営戦略を単に強化することは成功のための十分条件ではなくなってくる。指導者は、競争と利益体質の手法について考え方を変え、私たちがウィキノミクスと呼ぶ共同作業を進めるための新しい技芸と知識を採用することが必要になる。これは、オープンソース、ソーシャルネットワーキング、クラウドソーシングなるもの、スマートモブ、集合知、その他、このテーマに寄せられる各種の考え方を越えるものだ。むしろ私たちが語ろうとしているものは、法人や社会経済の構造や活動形態の根底的な変化であり、それは、オープン性、ピアリング性、共有性、グローバル性など新しい競争原理に基づく。)

 先の引用部にも見られたように、Wikinomicsの文脈では、"a new art and science of collaboration"というフレーズが表れている。これをもってウィキノミクスの定義としてよいだろう。
 試訳では「共同作業を進めるための新しい技芸と知識」としたが、artは「極東ブログ: 教養について」(参照)で触れたように、教養と人文学の語感があり、これに対して、scienceは知識と自然科学の語感がある。別の言い方をすれば、artは経験から徒弟的に学ぶものであり、知識はデータベースや体系として整備できるものだ。この語感をウィキノミクスという言葉に反照させると、そこに感性を通して経験的に取得される部分と、知識として整理して学習される部分の二面になる。もっとも、このart and scienceは決まり切った言い回しなのでそれほど分けて考えなくてもよいかもしれない。
 ウィキノミクスでは、この新しい技芸と知識が共同作業(コラボレーション)に向けられていることから、ここでウィキノミクスの文脈における共同作業の理解が重要になる。それは通常の共同作業とは異なる。

Word association test: What's the first thing that comes to mind when you hear the word “collaboration”? If you're like most people, you conjure up images of people working together happily and productively. In everyday life, we collaborate with fellow parents at a PTA meeting, with other students on a class project, or with neighbors to protect and enhance our communities. In business we collaborate with coworkers at the office, with partners in the supply chain, and within teams that traverse departmental and organizational silos. We collaborate on research projects, work together to make a big sale, or plan a new marketing campaign.
(言葉の連想をしてみよう。あなたが「共同作業」という言葉を聞いたとき最初に思い浮かぶことは何だろうか? 多数の人は、人々が楽しく生産的に共同で作業をしている状況が思い浮かぶだろう。日常生活では、PTA会合で子どもの親たちと共同作業をしたり、学生なら学級活動で共同作業をしたり、地域活動なら隣人どうしで地域の安全や改善に共同作業をするものだ。ビジネスにおいては、仕事場で同僚と共同作業をするし、流通上の関係者とも共同作業をする。部門や組織の枠組みを超えたチームの一員となることもある。私たちは、研究や、大売り出し、新商品の販促活動などで共同作業をするものだ。)

Google CEO Eric Schmidt, says, "When you say ‘collaboration,' the average forty-five-year-old thinks they know what you're talking about --- teams sitting down, having a nice conversation with nice objectives and a nice attitude. That's what collaboration means to most people." We're talking about something dramatically different.
(グーグルの最高責任者エリック・シュミットは、「共同作業という言葉で45歳以上の人が考えるのは、チームが会席して、お上品な態度でお上品な目的についてお上品に語り合うといったものでしょう。それが多くの人にとって共同作業の意味でしょう」と語る。しかし、私たち語るのは、それとはまったく異なる。)


 ウィキノミクスにおける「共同作業」は、通常の意味のそれではないという。では、それはなんだろうか? 先の文脈はこう続く。

We're talking about something dramatically different. The new promise of collaboration is that with peer production we will harness human skill, ingenuity, and intelligence more efficiently and effectively than anything we have witnessed previously.
(しかし、私たち語るのは、それとはまったく異なったものだ。共同作業に新しく期待されていることは、ピアプロダクションによって、人間の技術や創意の能力や知性について、従来当たり前とされた状態を越えて、より効率的かつ効果的にその可能性を活用することなのだ。)

 この説明と用語が難解に思えるが、二つ要点があるだろう。一つは、ピア(peer)ということだ。この点については後で触れる。もう一つは、ハーネス(harness)という言葉とその語感だ。私の誤解かもしれないが、この用語の独自な含みはマイケル・ポランニの哲学に由来よるものだろう。ポランニはこの言葉を創発の哲学の主要な原理とした。ハーネス(harness)とは、馬に比喩される本源的な過剰な力を馬具(harness)によってより有用な動力源に変えることだ。
 ピア(peer)は本書ではより重要な概念になっている。ウィキノミクスにおける共同作業、あるいは多数を巻き込むマスコラボレーションは、ピアプロダクション(peer production)とも言い換えられるからだ。本書では次の注釈が最初の注釈となっている。

The term "peer production" was coined by Yele professor Yochai Benkler. See Yochai Benkler, "Coase's Penguin, or Linux and the Nature of the Firm", Yele Law Journal, vol.112,(2002-2003). Throughout the book we use peer production and mass collaboration interchangeably.
(ピアプロダクションという用語を造語したのは、イェール大学ヨハイ・ベンクラー博士である。Yochai Benkler, "Coase's Penguin, or Linux and the Nature of the Firm", Yele Law Journal, vol.112,(2002-2003).を参照のこと。本書では一貫して私たちはピアプロダクションという言葉をマスコラボレーションと同じ意味で使っている。)

 ウィキノミクスという共同作業が他の共同作業と異なる側面を持つことを明示するのが、ピアプロダクションだと言える。では、ピアプロダクションとは何だろうか。
 ここでピアプロダクションの定義以前に、ウィキノミクス(Wikinomics)という新語の比喩(メタファー)が活きている点に注意を促したい。つまり、ウィキペディアをピア(仲間)がよってたかって共同作業で創作するというイメージがある。
 ピアプロダクション定義に移ろう。

Before we launch into the stories of the peer pioneers, a few words about peer production are in order. First of all, what is it and how does it works?
(ピアプロダクションの諸相を物語り始める前に、この言葉について補足しておくほうがよい。一体全体、この言葉は何で、どのように使われるのだろうか?)

In its purest form, it is a way of producting goods and services that relies entirely on self-organizing, egalitarian communities of individuals who come togather voluntarily to produce a shared outcome.
(理念型として考えるなら、ピアプロダクションとは、共用できる産物を生み出すために自発的に集まった個々人からなる、自己組織的で平等なコミュニティに全面的に依拠することで、商品やサービスを生産する手法である。)


 訳がこなれていないせいもあるが、イメージとしては、やはりウィキペディアを作り上げる個々人とその集団を想定するといいだろう。ピアプロダクションは、共有できる物を生み出すために、個人個人が平等の立場(ピア=仲間=同等)で集い、共同作業をすることだ。
 ウィキノミクスの理念型は、本書では4つの基本原理としても提示されている。補足を含めてリストしておこう。

  1. Being Open(オープン性:参加に開放されていること)
  2. Peering(ピアリング性:参加者は本質的に対等であること)
  3. Sharing(共有性:古い著作権・知的所有権の考えを抑制すること)
  4. Acting Globally(グローバル性:国境を越えて共同作業すること)

 以上、ウィキノミクスの基本的な部分にこだわったが、こうした文脈から、ウィキノミクスとは、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(参照)に描かれる、プロテスタンティズムの倫理、つまり、プロテスタントのエートスにも似た、新時代のエートスとしても考察できるだろうし、それは資本主義を超えていくといった構図も見えてくるだろう。
 本書はしかし社会学的な考察よりも、より具体的なイメージを結びやすい記述が多く、ある意味でアルビン・トフラーの「未来の衝撃」(参照)や「第三の波」(参照)に近い。特に本書においてトフラーが造語したプロシューマーという概念は、第5章の章題となり一章が充てられている。つまり、ピアプロダクションとしてプロシューマーが位置づけられている。
 他に、ピアプロダクションは本書において7つの典型例が提示され、それぞれに一章が充てられている。全体の章構成との関連で確認しておこう。

  1. Wikinomics(ウィキノミクス)
  2. The Perfect Storm(完全な嵐)
  3. The Peer Pioneers(ピアの開拓者)
  4. Ideagoras(アイデアゴラ)
  5. The Prosumers(プロシューマー)
  6. The New Alexandrians(新アレキサンドリア人)
  7. Platforms for Participation(参加のためのプラットフォーム)
  8. The Global Plant Floor(グローバル工場)
  9. The Wiki Workplace(ウィキ的作業場)
  10. Collaborative Minds(共同志向の考え方)
  11. The Wikinomics Playbook(ウィキノミクス脚本)

 ピアプロダクションの7つの典型例が、第3章 The Peer Pioneers(ピアの開拓者)から第9章 The Wiki Workplace(ウィキ的作業場)に割り当てられており、それらは、具体的にピアプロダクションの具体的な事例の連載として読める。ある程度ウィキノミクスの基本概念が理解できたなら、これらの章は折に触れて関心の向く部分からランダムに読んでも問題ないだろう。それぞれのテーマはウィキノミクスとしてくくらずそれぞれの範囲のなかで読んだとしても十分に興味深い。
 逆に、ウィキノミクスという概念は、序章、第1章 Wikinomics(ウィキノミクス)、第2章 The Perfect Storm(完全な嵐)、および第9章の Collaborative Minds(共同志向の考え方)の4つの章にまとまっているので、ウィキノミクスを理解するにはこの部分を丹念に読む必要があるだろう。補足すると、第1章 Wikinomics(ウィキノミクス)は読みやすいが、第2章 The Perfect Storm(完全な嵐)は重要な記述が多いわりに構成的にはやや錯綜した印象もあるかもしれない。だが、この章にリストされる次の3点は留意しておきたい。

  1. the rise of the second-generation Internet(第二世代インターネットの興隆)
  2. the comming of age of a new generation of collabollation(コラボレーション新世代の到来)
  3. the collaboration economy(コラボレーションの経済)

 1点目のthe rise of the second-generation Internet(第二世代インターネットの興隆)は事実上、Web2.0と呼ばれる動向に等しい。2点目のthe comming of age of a new generation of collabollation(コラボレーション新世代の到来)は本書の著者の一人タプスコットの前著「デジタルチルドレン」(参照)とも重なる。日本では「75世代」と呼ばれる世代に近いだろう。三点目のthe collaboration economy(コラボレーションの経済)が本書全体から見ても、一つの山場を形成しており、企業人はこの部分だけでも一読しておくべだろう。
 具体的にウィキノミクスによる大きな変化にどう対応するかに触れてエントリを終わりにしたい。
 企業は、大きな潮流となるウィキノミクスに逆らうことは事実上できないので、逆に積極的にウィキノミクスを志向していくほうがよい。そのための指針が第9章の Collaborative Minds(共同志向の考え方)にまとめられている。大著のウィキノミクスだが、この部分が結論だとも言える。

  • Taking cues from your lead users(先導的なユーザーたちから解決の糸口を得る)
  • Building critical mass(一定規模の集団を作り上げる)
  • Supplying an infrastructure for collaboration(共同作業のための基本ツールを提供する)
  • Take your time to get the structures and governance right(コミュニティ機構と運営の権限を獲得したいなら十分時間をかけること)
  • Make sure all participants can harvest some value(参加者すべてにそれなりの見返りを約束すること)
  • Abide by community norms(コミュニティのローカルルールに従うこと)
  • Let the progress evolve(コミュニティ自身の発展に口出ししないこと)
  • Hone your collaborative mind(共同志向の考え方を洗練させること)

 指針の詳細は本書を読めばわかるが、もし企業人、特に企業経営者なら、オープンソースに関わる社内エンジニアを一人呼び出し簡単な関連の質問をすれば、そのエンジニアがウィキノミクスという大著を読まずに、これらの指針の詳細を明確に伝えることができることを理解するだろう。ウィキノミクスは、多くのITエンジニアにとってすでに常識として飽和した感覚に対して、秩序と実例を含めて詳細に叙述したにすぎないとも言えるはずだ。

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2007.05.23

[書評]嘘だらけのヨーロッパ製世界史(岸田秀)

 この手のトンデモ本を読むのもなんだなあと思いつつ、酔狂の部類でいいかとも思いつつ、それでも「嘘だらけのヨーロッパ製世界史(岸田秀)」(参照)は、購入前にブログでの書評とかもあまりないとかざっくり調べた。っていうか、アルファーブロガーに献本しないと書評の出ない時代になるかもかもかも(なわけないです)。

cover
嘘だらけの
ヨーロッパ製世界史
 この手の本はアマゾンの素人評もハズレが多いし、偶然だと思うが私も書店でなんとなく見かけなかったが、まあいいやと思って別の本の購入に合わせてアマゾンで購入。結論から言うと、ちょっと微妙なところはあるにせよ、良書でした。
 岸田秀という癖のある著者に拘泥せず、普通に歴史に関心ある人は買って読んで損はない。という理由を述べておくと、マーティン・バナール(参照)の、あのめんどくさくかつ膨大な「黒いアテネ」の二巻分、つまり、一巻目の「ブラック・アテナ 1―古代ギリシア文明のアフロ・アジア的ルーツ (1)」(参照)と、二巻目の「黒いアテナ―古典文明のアフロ・アジア的ルーツ」(参照上参照下)はもとより、その批判についての簡易なサマリー本になっているからだ。特に、なにかと目がつく、バナール破れたりみたいな批判の類型についても、岸田は丹念にまとめているので、論争の全体構造がわかりやすい。
 問題点はある。岸田のまとめでいいのかというと、その判定がしづらい。原書や批判論文を原文で読めよというのが正解だが、現実のところそこまでするのは、日本では院生とかその類だろう。また、岸田はバナールとバナール批判の双方にコメントをしているがそのあたりは、あってしかるべきだろうが、その評価も難しいには難しい。ただ、概ね、岸田の読みが存外に自己視点を外して冷ややかに見ている面で良いのと、その冷ややかさを一気にはずして妄想じゃね?の部分のコントラストが激しく困惑する。
 別の言い方をすると、各論点のサマリーとコメントに留めておけばいいのに、彼にとっては関心や関係性があるのだろうが、普通の知識人には関係のない話が諸処にぐちゃぐちゃと脈絡なく書き込まれてこれが辟易とするにはする。特に、黒人の一部がアルビノ(白子)となって白人が発生した説については、事実上本書と関係ないので、そのあたりは笑ってスルーして読むといいだろう。
 とはいえ、岸田の思い入れの側からこの本を読むと、特に、近代日本史の関連で読むと、実に奇妙な味わいのある本ではある。率直にいうと、ある種の狂気のようなどろっとした迫力があってかなり気持ち悪い。ただ、この部分に本書の真価があるという評価もあってもいいのかもしれない。私は率直に言うと、その部分については触れたくない。それとかなり率直に言うと、本書は高校生とかあるいは現代では大学生か、そのレベルのお子様に読ませるにはかなり危険な本だと思う。岸田はある経緯を経てああいう知的怪物になったのだが、その怪物性だけを若い知性に移植しがちな強さが本書にはある。
 話を戻して、バナール説だが、黒いアテネという言葉が示すように、古代ギリシア文明はエジプトの黒人による文化だ、それを近代西洋が無理に近代西洋幻想に結合してしまったという話で、単純にわかるように、それって実証論なのか、イデオロギーないしイデオロギー批判なのか、という奇妙なねじれのようなものがある。困ったことに、このねじれこそが問題の核心だという点だ。
 ぐちゃぐちゃ言ったが、バナール説については、普通の知識人なら知っておくべきなので、それがチートシート的に読めるという程度で本書は読んでおいていいと思う。繰り返すが、岸田の理解でバナールの論争とかに突っ込むのはだめだめ。

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2007.05.22

米国のクレジットカードの話

 米国のクレジットカードの話。私よりもたーんと詳しいかたがいらっしゃるでしょうが、19日付けの、ニューヨークタイムズ”Couple Learn the High Price of Easy Credit(ご夫妻は簡易なクレジットカードが高くつくことを学んだ)”(参照・要登録)という記事が、なんとなく心に引っかかっていたのでその話題を少し。
 記事は、モーラリング夫妻(と読むのか、Moellering)の話。夫39歳、妻40歳。幼い子どもがいる。結婚は04年。そのご夫妻が話が記事のきっかけなっている。


Ms. Moellering, and her husband, Mark, 39, earn average salaries for their age (together about $66,000 a year), live in an average-priced home and have an average cost of living. But like many other households these days, they have found that their day-to-day economic life has come to depend not just on how much they earn or spend, but also on how well they shuffle what they owe among a broad array of credit cards, home equity loans and other lines of credit.
(モーラリング夫人と39歳の夫マークは彼らの年齢では平均的な収入を得ている。二人合わせて年収800万円ほど。暮らしている家も普通の価格だし、生活費も普通。しかし、現代の他の家庭が多くそうであるように、日々の家計は収入と支出に拠っているというより、いかにして多岐にわたるクレジットカードや、住宅担保ローン、そのほかの借金を使い回すかに拠っている。)

 このあたり、たぶん微妙に日本人にはわかりにくいのではないかと思った。というのと、当初この記事の概要をポッドキャスティングで聞いたとき、貧困より問題みたいな含みを感じて、へぇと思ったのだった。もう少し引用を続ける。

Behind closed doors, the decisions families like the Moellerings make about their debt --- when to pay it off, when to shuffle it to lower-interest sources and when to let it revolve and build --- can determine how much their salaries are worth. Like many others, the Moellerings have run up avoidable penalties and occasionally spent themselves into more debt or higher interest rates, even as they have tried to juggle other balances to bring down their monthly payments.
(モーラリング家が負債についてこっそりと下した決断、つまり何時清算期限を延期するか、何時低金利のものに混ぜるか、何時リヴォルヴとビルドにするか、それらが給与の価値を決めている。他の家庭も同様にモーラリング家も、回避可能なペナルティに近づいているし、時にはより多くの借金をしたり、高金利に手を出したりする。まるで各種の月払いのバランスを取るためにジャグリングしてきたような状態だ。)

 というわけで当面の問題は、やりくりということになってはいるのだが、日本語でいう「やりくり」とは違う。こうした状況に普通の家庭が置かれるようになったのは、80年代以降のことといった言及もあるが、結論を先にいうと、日本もこれからこうふうになるのだろう。
 もう一カ所だけ引用する。

“It's a whole change in what we consider normal now,” said Vanessa G. Perry, an assistant professor of marketing at the George Washington University School of Business. “Not only has the total amount people borrow increased, but the number of instruments we borrow on has increased. An average family has a mortgage, home equity loan, various credit cards, a car loan, maybe a student loan.”
(ジョージ・ワシントン大学ビジネス校のペリー準教授によると、「現状は我々が正常だと見なせる全体が変化している」とのこと。さらに、「人々の借金の総額が増えたのではなく、借金の手法が増えたのです。普通の家庭なら、不動産担保貸付、住宅担保ローン、各種のクレジットカード、自動車ローン、学生ローンなどが選べます。」)

 話を自分なりに整理すると、というか普通の日本人からは見えてないだろう部分を自分なり補うと、まず当面の問題は、米国人は借金しまくりの手法がたんとある。特に、持ち家をベースに借金できるし、借金には金利がいろいろあるので借り換えなどのやりくりができる。そして、どうやら普通の家庭だと社会的ステータスの関連でクレジットカードで借金しないといけない雰囲気になっている(追記 そうでもないとのコメントをいただきました)。さらに、これらの借金は大半がリヴォルヴィングなので、月毎の支払いと借金の全体像の関連が取りづらい(これは借金が多岐にわたることにも関係)。さらにさらに、こうした支払いが日本みたいに自動引き落としになってない。
 このあたりの話、これだけブログがあるんだから少し身近に見えないものかと見回すと、いくつか参考になる話があった。
 ブログ「アメリカでがんばりましょう」の「クレジットカードが変わった」(参照)という03年のエントリより。

クレジットカードはアメリカでは借金として考えられています。日本と違って申し込み時に銀行口座を教える必要も無く、支払いも毎月何日に銀行口座引き落としなんてことは普通できません。なので、貸すほうは踏みたおされないように厳しい審査をしてきます。

審査で重要視されることは、日本のように定職についてるかじゃなく、これまでの借金歴。クレジットヒストリと呼ばれるこの借金歴は信用ある会社(例えば Equifax, Experian, Fico (Fair Isaac)といった会社が大手) が国民背番号である Social Security Number (通称 SSN) を使って全米の人の借金情報を管理して、これまでの統計からクレジットスコアというもので数値化します。この数値をもとに発行会社がこの人にクレジットカードを作ってもよい(=お金を貸してもよい)かを判断するわけです。


 これに関連して以前NHKの海外ドキュメンタリーかなにかで見たのだけど、クレジットスコアが金利に関係している。つまり、スコアを落とすと金利が上がる。でも、リヴォルヴィングなので知らぬは当人で、泥沼。
 ブログ「On Off and Beyond」の「クレジットカード支払い怖い」(参照)のエントリも日本人ならではの感想が共感できる。

アメリカで働き、生きていくために最も重要なものは:

1)ビザ
2)クレジットヒストリー

この二つさえあれば何とでもなる。前者はまぁ当たり前だが、後者は、住宅ローンの借り入れでもチェックされるし、賃貸でも大家さんからのチェックが入る。就職するときも勤め先からチェックされる。お金を盛大に借りて、盛大に使うとどんどん点数が上がるのだが、クレジットカードを作るのにもヒストリーがいるので、最初は「にわとりたまご問題」に悩むこととなる。つまり、ヒストリーが無いからカードが作れず、カードが無いからヒストリーができない、という・・・。(これについては、限度額相応の現金を預託しておいてカードを作るという手があるのだが。)

とにかく、クレジットヒストリーは、アメリカで生きていくための人間としての点数みたいなもんで、とにかく、これがないと人生いろいろ大変なのである。


 皮肉な含み無く日本人だなと思うのは、「限度額相応の現金を預託しておいてカードを作る」と考えてしまう点だ(追記 コメントいただきました。移民の場合この手しかとれないとこのこと)。米国だと金利は生き物なので、借金をうまく使いこなせるのがマネー技能になっている。
 先にちょろっと書いたけど、日本もこういうクレジット地獄といった時代になるのだろうと思うし、産業界というか金融界というかジャパン・アドミニストレーターズは望んでいるのだろう。
 格差とか相対的貧困とかの議論が日本では盛んだが、実質はそういうのをスルーしてこういうシステムが日本社会に埋め込まれるようになるのだろう。
 いや、そうでもないかな。税金も引き落としの日本人だしな、もうちょっと違った地獄がプランされるのかも。

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2007.05.20

よくある手作り豆腐なんだけどね

 先日スーパーマーケットを見ていたら棚ににがりがあった。へぇなんか懐かしいと思って、豆乳を合わせて買って、早速手作り豆腐を作った。簡単にできる。普通の電子レンジでチン。それで旨い。やっぱ、自分で作った豆腐が旨いやと思った。もっとも、いくら旨いとはいっても、技術のある豆腐屋さんの豆腐にはまるでかなわない。なにしろ手作り豆腐は、なんというか、茶わん蒸しみたいなとろ~り系なのだ。クリ~ミィっていうか。そんな感じ。沖縄のゆし豆腐みたいなもん。本土では寄せ豆腐というのか汲み出し豆腐というのか。
 作り方はネットを検索するといろいろ出てくる。私がネタにするまでもないなあと思ったのだけど、意外に重要なことが書いてないのというのと、それに関係するのだけど、微妙に作り方が違う。じゃ、ちょっと書いておこうか。
 一番重要なこと。豆腐作りは最初、必ずといってほど、なぜか失敗する。いろいろ理由はあるんだけど。で、失敗のようすを見て、にがりの量とか加熱時間とか調整する。つまり、一発でグッドといかないことが多いよ、めげないように。
 それと、大豆から作るのはやめたほうがいい。経験者が言うのだから、ほんと。っていうか、いろいろ装置はあるのだけどなにかとめんどくさい。続かない。スタート地点は豆乳からね。
 豆乳は固形分10%の無調整のものならたいていなんでも使える。いや高橋陽子先生によると調整豆乳バナナ味でもできちゃうみたいだから、それはそれでちょっと微妙なデザートに仕上がるかもしれないので、科学の心の人は試してみるといいかも。ってか、俺もやってみっかな。
 にがりがけっこう問題。塩化マグネシウムならいいのだけど、濃度の基準っていうのがないのかこの業界。なので、買うときラベルとかよく読む。すると、指示が書いてあることが多い。今回使った赤穂化成のだと、成分無調整の豆乳200mlに10ml~12mlとある。小さじ2杯だ。あー、言うまでもないが、小さじというのは計量サジのこと。持ってない人は買っておいて吉。ラベルの指示がなくてもこの割合でとりあえずやってみるといい。

 さて、作り方。豆乳200mlを計量してこれににがりを10ml(小さじ2)を入れて、泡が立たないようにていねいに混ぜる。豆乳はできたら常温がよい。
 これをお茶碗みたいのに入れる。陶器とか耐熱ガラスとか電子レンジで使えるのならなんでもよい。ラップする。
 電子レンジは500Wで2分。
 それから自然に熱が落ち着くまで3分待つ。計5分といったところか。
 場合によっては加熱時間を一分増やすとか、にがりの量を調整するとか。そのあたり、フォーミュラができるまではちょっと苦戦するかも。

 これにそばつゆとか、卵豆腐のつゆとかかけてスプーンで召し上がれ、と。この季節、作って冷やしておくと、旨いです。
 ゆるくできることが多いので、取り出していわゆる冷や奴みたいにするのは難しい。まあ、やりたければトライ&エラーで挑戦してみるといいけど。
 あと、これをそーっとみそ汁に入れるとうまかったりする。沖縄のゆし豆腐っぽい。

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