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2007.05.12

[書評]フューチャリスト宣言(梅田望夫、茂木健一郎)

 読みやすかったが、キーワードにひっかかりを持ってしまったせいで私には難しい本でもあった。対談本なので、当初は、前著「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる(梅田望夫)」(参照)の解説的な話の展開か、あるいは同じく対談本「ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎)」(参照)のように、対談者のホームグランドを生かすような展開――今回は脳科学――となるか、という二つの予断をもっていた。そのどちらとも言えないように思えた。

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フューチャリスト宣言
梅田望夫
茂木健一郎
 もちろん対談という特性はよく活かされている。両者が互いに相手を理解しつつ配慮しているようすも伺えるし、もともと共通の理解が成立しそうな対話者同士でもあるから、対話の流れがつかえることもなく表面的には読みやすい。個々の挿話も納得しやすい。書名になったフューチャリスト、つまり、マリネッティのそれではなく、インターネットの未来を肯定する人、という点からこの対談を要約するのもそう難しくないだろう。
 難しかったのは、茂木が提出する「偶有性」というキーワードに私が躓いたことだった。茂木は「偶有性」というキーワードをこう定義している。当然ながらその定義に沿って対談が進められている。

茂木 脳科学、神経経済学を研究している立場からいうと、脳とインターネットの関係は大変おもしろいテーマです。インターネットの世界は、私の言葉でいう「偶有性」、つまり、ある事象が半ば偶然的に半ば必然的に起こるという不確実な性質に満ちています。

 「偶有性」とは、「ある事象が半ば偶然的に半ば必然的に起こるという不確実性」であるとされる。しかしこの定義は私には納得できない。必然を偶然が阻むというのはわからないでもない。偶然を後から必然だと了解するということもあるだろう。だが、偶然と必然とを半々に混ぜ合わせたアマルガムの性質は想定できないからだ。事象は本質的に、偶然か、必然か、未知か、そのいずれかである。なにより科学における事象の探求は、偶然に紛れたなかから必然的なモデルを取り出し、軽量化・数式化することにある。未知は探求の途中であることしか意味しない。あるいは偶然性は確率の量として示すことも可能だがプランク定数のような仕組みで限定される。
 「偶有性」の原語は contingency(コンティンジェンシー)である。これは茂木の「「脳」整理法」(参照)にそのままに登場する。
 ここでまた私は躓く。contingency という英語の概念も理解しづらい。英語が堪能な小飼弾氏も、同書の書評エントリ「404 Blog Not Found:「偶有」整理法」(参照)で原義を元に考察している。contingencyという言葉の意味はウィキペディアの項目(参照)にもあるが、茂木の定義とは表面的に相容れない。

Contingency is opposed to necessity:
(偶有性は必然性の反対)

 contingency(偶有性)は、通常、必然性(necessity)の反対の意味を持つ言葉である。様相論理学的にはcontingencyの特性を表すcontingentとは、真でも偽でもない命題を指し、possible(可能)、necessary(必然・必要)と区別される(参照)。


  • possible if it is not necessarily false (regardless of whether it actually is true or false);
  • necessary if it is not possibly false;
  • contingent if it is not necessarily false but not necessarily true either. In formal contexts, therefore, contingency refers to a limited case of possibility.


 contingentは真でも偽でもない命題であり、限定された可能性とも言い得る。いずれにしても、様相論理学的にも、「ある事象が半ば偶然的に半ば必然的に起こるという不確実性」といった意味はない。茂木定義の「偶有性」は、彼独自の定義なのか、彼の無理解なのか、あるいは別の由来があるのか。ずいぶんと考え込んだ。
 梅田は茂木の「「脳」整理法」(参照)などの著作事前に読んでいただろうから、茂木独自の「偶有性」概念に一定の理解があったにせよ、それでも対談的には唐突に聞こえたのではないだろうか。梅田は熟練の手つきで、茂木の「偶有性」を含んだ発言に続けてプローブのような確認を投げ落としている。

梅田 インターネット全体を、脳に似ていると言っていいんですか?
茂木 スモールワールド・ネットワーク性(一見遠く離れているものどうしも、少数のノードを通して結ばれている性質)という観点からみると、そっくりです。ローカルにコントロールできる部分とできない部分があることもとてもよく似ている。脳の神経細胞のネットワークもローカルな回路だったらコントロールできるんだけど、少し離れたところで何をやっているかということはコントロールできない。

 この文脈からは、茂木の言う「偶有性」は、コントロール可能な部分において必然性であり、コントロールできない部分において偶然性の振る舞いをする性質だ、となるかもしれない。だが対談後に加筆されただろう部分、スモールワールド・ネットワーク性についての括弧内の補足(一見遠く離れているものどうしも、少数のノードを通して結ばれている性質)を考慮すると、統制不能領域はただのカオスではなく、なんらかのシステマティックなネットワーク的になっているという示唆がありそうだ。偶然性の理由が暗黙に想定されているのだろう。
 話を不要に難しくしているのかもしれないが、茂木の言う「偶有性」には、ネットワークを統制する機能とは別に恣意的ともいえる機能が隠されているという含みがあるだろう。その恣意性は、おそらく、表向きの統制と、見えない統制の二系に分かれ、その見えない部分は、見える部分からは偶然性となるのだろう。見えない統制が見える統制をどう乗り越えていくのかということに、茂木の「偶有性」の重点があるはずだ。そう理解すると次の発言がより深い意味合いを持つようになる。

茂木 そうです。「偶有性」は脳にとって、とても重要な栄養なんです。人間の脳はつねに偶有的なできごとを探し回っている、と言うこともできます。

 「偶有性」が価値あるものとして捉えられているのだが、この価値性は、関連するキーワード「セレンディピティ」でより明確になる。

だから、ネットはセレンディピティ(偶然の出会い)を促進するエンジンであると思う。もちろん、本屋でたまたま立ち読みしていて思いがけず何かに出会うということもあるけれど、インターネットはセレンディピティのダイナミックスを加速している。

 セレンディピティ(serendipity)をここでは括弧で「偶然の出会い」としているが、もう少し解説すべき概念なので、ウィキペディアにセレンディピティ(参照)の項目が参考になるだろう。

セレンディピティ(英語:serendipity)とは、何かを探している時に、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見したという「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」のことを指す。


「serendipity」という言葉はホレス・ウォルポール(ゴシック小説の「オトラント城奇譚」の作者として知られる人物)が1754年に造語したものであり、彼が子供のときに読んだ『セレンディップの三人の王子』という童話に因んだ造語である(セレンディップは現在のスリランカなので「スリランカの3人の王子」という意味の題名である)。

 セレンディピティという概念は、茂木の主張の文脈ではその「偶有性」(contingency)の機能と言い換えてもよさそうだ。探すという行為の必然性に対して、セレンディピティは良いものをたまたま見いだす偶然性を指している。
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生命潮流
ライアル・ワトソン
 茂木独自の意味合いを考えながら、私は、茂木のいう「偶有性」(contingency)は、ライアル・ワトソンが「生命潮流―来たるべきものの予感」(参照)で、生命の隠された原理として提示した、the contingent system を指しているのではないかと推測した(もっとも、ワトソンの the contingent system はその例解に「百匹目の猿」などが引かれているため現時点ではただのオカルトと言われてもしかたがない)。
 ワトソンが the contingent system という概念で示そうとしたのは、必然の連鎖で描かれる科学的な視点から見える生命現象の背後に、偶発的とも見える別の有意味なシステムが存在する可能性だった。私の推測がある程度妥当なら、茂木のいう contingency とは、通常の contingency ではなく、ワトソン的な systematic contingency だと言えるだろうし、この system とは「生命」を意味するはずだ。
 茂木の contingency がワトソンの the contingent system に近い概念であることは、彼の発言のあちこちに断片としてまたイメージとして出現している。特に以下の言及はワトソンの考えと同一と言っていいだろう。

 生命原理というのは、近代が追求してきた「管理する」などの機械論的な世界観にはなじまない。本当の生命原理は管理できるものではないし。オープンで自由にしておかないと、生命の輝きは生まれない。結局、インターネットが人類にもたらした新しい事態の背後に隠されたメッセージは、一つの生命原理ということだと思います。命を輝かせるためには、インターネットの偶有性の海にエイヤッと飛び込まないと駄目なんです。


 要するに、オープンにして偶有的なプロセスでやっていかなければ、生命体の成長ということはありえない。

 茂木はこうした「偶有性」の場としてインターネットとその未来を提示している。またそこでは、インターネットは人の可能性として、人を縛り付けてきた必然性から解放し、輝かせるものとしてもイメージされている。

 僕は小学生の頃に、どういうことをしたら脳が喜びを感じるか、ということを自覚したんです。偶有性のなかに自分を置いて、自分にある程度の試練を与えて、それを乗り越えたときに、ドーパミンが放出されて、強化学習が成立するということを自覚した。


 偶有性の喜び、自分の人格をより高度なものにしていく喜びは、おそらく人間が体験できる喜びのなかでもっとも強く、深い喜びではないでしょうか。

 強化学習と偶有性のキーワードにはスキナー学説も潜んでいるようにも思われるが、偶有性についての言及が人格の高度化という文脈に出現する背景は、やはり、ワトソン的な the contingent system を考えると理解しやすい。
 それにしても、インターネットはそう楽観的に捉えることができるものだろうか。この偶有性についても、インターネットはそのままにしてセレンディピティを与えるわけはない。グーグルのような検索主体の存在が条件になっている。
 ここで問題が浮かび上がる。インターネットのカオスの中に、グーグルはリアル世界の必然性とは異なった、しかし人にとって価値のある偶有性を本当に提供しているのだろうか? グーグルはただデータをキーワードで機械的に整理しているだけで、その整理の不備やエラーが偶有性に見えるだけなのではないだろうか?
 茂木は前提的に楽観さから、あたかもインターネットそれ自体が生命現象の一環であるかのように見ている。だが、梅田はこの問いに対してより戦略的に考えているようだ。ブログを書いていると知識がグーグルに取り込まれたように思えたという体験から彼はこう発想する。

梅田 (略)なんか、取り込まれた感じがしたんです。茂木さんはブログを書いていて感じませんか? 僕は最初、グーグルにやられている感がありました。
茂木 グーグルに搾取されているということですか?
梅田 要するに、いいことをいっぱい書くと、グーグルが賢くなるんですよ。


梅田 (略)僕がグーグルを賢くしてやるんだよ、と開き直った(笑)。「マトリックス」の電池になってやろうじゃないかと。それが僕の社会貢献の姿なんだとね。

 私もその主張に頷く。グーグルが生命を躍動させる情報の場として「偶有性」を持ち得るかどうかは、私たちの貢献に掛かっている。その意味で、インターネット情報の海にエイヤッと飛び込む人の勇気こそが未来を意味しているはずだ。

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2007.05.11

ゆっくり長く泳ぎたい、でも、それってクロールなのか?

 あれから一ヶ月。あれって恋の痛みも癒えたころ、じゃねーよ、「極東ブログ: [書評]水泳初心者本三冊」(参照)。時間を見つけてはちょこっと泳いでいる。体調がいまいちでない時を除くと、ほぼ毎日かな。がんばって夏までにはターザン腹にしてモテたいものだ、やっぱサブリミナル・アルファーブロガーが中年太りっつうのはまずいでしょとか、そんなこたぁないです。
 泳ぎに嵌っているのは、面白いというのがある。若い頃はがむしゃらに泳げばフォームなんか度外視で水泳部くらいのスピードが出せたがもうそんな歳でもないし、考え方を変えると泳ぎ方も変えることになる。ゆっくり長く泳ぎたい。じゃ、どう泳ぐかということで、「ゼロからの快適スイミング ゆっくり長く泳ぎたい! もっと基本編(趙靖芳)」(参照)を読むと、以前書いたように、目から鱗が落ちまくりんぐだった。そんなのありかのてんこ盛り。
 ただこれ、他の「クロールがきれいに泳げるようになる!(高橋雄介)」(参照)とかと比べると、クロールの本道ではないなとは思ったので、どういうフォームにすべきかいろいろトライアル。それも面白い。そのうち、いや今頃わかったのだけど、長く泳ぐということは水の抵抗を減らすことがポイントだ。つまり、蹴伸び(最初の壁キーック、人間魚雷発進みたいな)の状態が連続すればいい。そのための推進力をどう最小限の人力で得るか? いや、ここですでに二つの極があって、(1)推進力、(2)抵抗最小限、そのバランスだな。あと強いて言うと、(3)水に対する人間の根源的な恐れみたいのがあって、それで自然にフォームが崩れる傾向がありそう。
 先の本だとキックは2ビートがよいというのだけど、本当なんだろうかといろいろやってみる。現状の結論では2ビートでよさそうだ。その他、車輪掻きとかもそれでよい。へぇへぇである。そのうち、これってクロールなのか?という根源的な疑問と、いまいちうまくいかない壁みたいのができてきたところで、今更ながらに今年の三月に出た続編「ゆっくり長く泳ぎたい! 超基本編―ゼロからの快適スイミング」(参照)を発見。読んでみると、うわっ、そこまで言うみたいな話。特に、猫背ふうでいいみたいのところは、えええ!やっぱりそうかだった。人間の肺というのは身体中央部の浮き袋なんで手を前方にできるだけ伸ばし頭を下げてやや猫背ぎみにすると、足とのバランスが取れて浮いてくる。ボク、土左衛門、ポーズだ。
 それにしても、この超基本編までのプロセスを順に追ってみると、基本コンセプトは同じでも微妙に泳ぎ方が変わってきている。だんだんとクロールじゃない、不思議な泳ぎ方の洗練になってきているように思うんですが、その点でネット社会ではどうですか、佐々木さん。
 というわけで、すこしトレース。

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ゼロからの快適スイミング
ゆっくり長く泳ぎたい!
 最初はこれ。「ゼロからの快適スイミング ゆっくり長く泳ぎたい!」(参照)は、競泳クロールじゃなくて、ゆっくり長く泳ぎたい!というコンセプトによるクロールの提言本だった。いちおう初心者向け。競技者へ向けたクロール技術論を避けて、一般向けの健康志向で長時間、長距離泳ぐことが可能なクロールの泳法を勧めている。でも、アマゾン素人評にもあるが、ちょっとわかりづらい点があった。お説教ばっかりに読めないこともない。それでもこのコンセプトは当たったのだろう。


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ゼロからの快適スイミング
ゆっくり長く泳ぎたい!
もっと基本編
 続編、「ゼロからの快適スイミング ゆっくり長く泳ぎたい! もっと基本編(趙靖芳)」(参照)が出た。私としてはここから読み始めたので、え!え!の連続だったし、他の本とかの違いに、どっちにしたらいいのかけっこう悩んだ。でも、やってみてとわかると、何かと説得力があるし、どうもなんかありそうだというのが実感としてつかめてくる。イラストは多いのだけど、映像的にはどうよとも思っていた。




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ゆっくり長く泳ぎたい!
誰もが編
学研スポーツムック
 たぶん、「ゼロからの快適スイミング ゆっくり長く泳ぎたい!」の二著でイメージ的にわからんというのと、これってホントかよ、写真で説明しろよのニーズでできたのではないか。ムック形式ですっきりしている。内容は前二著とほぼ同じなので、これ一冊買ってもいいのかもしれないけど、いきなりこれから読むとどうなんでしょ。写真はわかりやすいといえばそうなんだが、泳いでいる自分というのは身体のセルフイメージなんで、客体映像の身体イメージとの差がよくわからない。やっぱ、昔みたいに指導してもらったほうがいいと思うのだけど、この泳法の指導ってどこにあるのだろうか。


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ゆっくり長く泳ぎたい!
超基本編
ゼロからの快適スイミング
 で、さらに、これが出ていたのだね、超基本編。確かに、超基本編と言えないこともないのだけど、どうなんだろ。前二著、あるいはムック本なしでこれだけで超基本が身に付くのかよくわからない。というかさっきも書いたけど、微妙に泳法が変わっているように思える。もうキックの話なんかほとんどないし。というところで思い出したが、(1)推進力、(2)抵抗最小限のバランスというとき、ゆっくり泳ぐとはいえある一定の推進速度が必要になるように思うのだが、そのあたりの説明はない。私の間違いかもしれない。でも、次に超・超基本編が出ても、私は驚かないぞ、で、また買うぞとか思う。なんか新興宗教みたいもんに嵌っている心境でしょうかね。
 
 話がちとずれるが、自分が今年五十歳。今後継続できそうなスポーツは水泳かな。ヨガなんかもできるにはできるが、水泳って、結局水遊びじゃん、楽しい。で、そういう年寄り向け、楽しいスポーツの、スポーツ科学っていうのがあってもよさげな気はする。そういえば、デューク更家って爺マーケット向けウォーキングの指導になってねー気がするんだけどね。というか、あのウォークしている年寄り、身体壊しませんかね。

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2007.05.10

完全菜食主義者の両親が赤ちゃんを餓死させたというびっくりニュース

 菜食主義の両親が赤ちゃんを餓死させたというびっくりなニュースを朝日新聞サイトで見かけた。記事は”「完全菜食主義者」の両親、赤ちゃんを餓死させ終身刑に”(参照)で、標題を見るとわかるように「完全菜食主義者」と括弧付けすることで含みを持たせているようだ。現状、他のソースで日本語のニュースは読めないようだが、これはもともとAPのネタなのでそのあたりのニュースの伝搬経路が少し気掛かりにはなった。AP版は”Vegans Sentenced for Starving Their Baby ”(参照)などでも読める。AP版以外にたとえばタイムズの記事”Strict vegans guilty of murder after their baby starves to death”(参照)もあり、APと違ったファクト(事実)も含まれてはいる。
 朝日新聞サイトの記事を読むとソースについては「地元紙によると」という表現があり、APからのニュースではなく地元紙から情報を得たように書かれている。APの記事とでファクトについての差分を見ると増えているという点では、記事の締めにある以下のコメントが際立つ。


 ビーガンと呼ばれる完全菜食主義者は、ミルクや卵を含めすべての動物性たんぱく質食品を食べないことで知られる。近年、米国では健康志向や動物愛護のため、菜食主義者が増え続けている。
 自らも完全菜食主義者で、反フライドチキン運動をしている「動物の倫理的扱いを求める会」事務局のリンゼー・ライトさんは「今回のケースは菜食主義ではなく、児童虐待だ。私の友人らは完全な菜食で子育てを完璧(かんぺき)に成し遂げている」と話している。

 前半については記者の知識によるものだろう。ヴィーガン(vegan)の理解が違っているとまではいえないが、菜食主義者が増加しているという話の裏が取れているのはわからない。問題は後半で、反フライドチキン運動のリンゼー・ライトさんのコメントがあるのだが、これはどこから得た情報だろうか。朝日新聞が独自に取材したのだろうか。いくつか英文記事を当たってみたがよくわからなかった。そもそも「反フライドチキン運動」がPETA系のKentucky Fried Cruelty(参照)なのかもわからなかった。ご存じのかたがあればコメントを頂ければ幸い。
 AP記事と朝日の記事を比較すると全体のトーンとしては、締めに上のコメントを置いたことで、ヴィーガンを援護するトーンが出ている。
 逆にAPにあって朝日に抜けているファクトについてだが、これは報道記事の基本である5W1Hに関わるはずなのだが、ニュースの対象者名が抜け落ちていることだ。朝日の記事では『米アトランタの自称「完全菜食主義者」の男女』とのみある。APからこの点を補う。

Superior Court Judge L.A. McConnell imposed the mandatory sentences on Jade Sanders, 27, and Lamont Thomas, 31. Their son, Crown Shakur, weighed just 3 1/2 pounds when he died of starvation on April 25, 2004.

 タイムスの記事にはもう少しディテールに関する興味深い指摘がある。

Sanders, 27, told police that she fed the baby organic apple juice and soy milk, supplemented by breast milk. But containers found in their flat clearly stated that soy milk was not to be used as a substitute for baby formula.
(二七歳の母親センダーは警察に、母乳を補うように有機リンゴ・ジュースと豆乳を与えたと言った。しかし、アパートにある容器を見るかぎり、粉ミルクの代替に豆乳は利用されていない。)

Their lawyer, Brandon Lewis, said he believed that they unintentionally starved their child because the apple juice worked as a diuretic and blocked the absorbtion of nutrients from the soy milk. He said they never took their son to a doctor because they feared hospitals were infested with germs.
(ブランデン・ルイス弁護士によれば、両親が赤ちゃんを餓死させたのは意図的ではなく、リンゴ・ジュースが利尿作用と、豆乳からの栄養吸収を阻害させたためだとのこと。また両親が医師に息子を診せなかったのは、病院が黴菌に感染しているを恐れたからだ、とも述べている。)


 事実はわからないが、朝日の記事から伝わる状況とは異なる可能性も高い。また、米国のブログなどを見ると、この事件は、菜食の問題じゃなくてただの虐待でしょという意見も見られる。

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2007.05.08

エキスポランド・ジェットコースター脱線事故メモ

 最初にお断り。この事故について何か深層があるに違いないといったネタではない。心にひっかかる部分を時代のログとしてメモしておくという意図だけなので、誤解なきよう。
 連休中に起きた、大阪府吹田市万博記念公園エキスポランドのジェットコースター脱線事故についてはあまり痛ましく、それゆえに私はニュースを避けていた。特に映像を伴うものは一切見なかった。弁解がましい言い方をすれば、鉄道脱線事故ほどの社会性はないだろうということと、ジェットコースター事故はそれほどめずらしいものではなく、〇三年にも三重県のナガシマスパーランドでは、ジェットコースターの車輪が外れ十人が重軽傷を負ったことがある。今回の事件についてはいまだ私が詳細を理解してないのだが、死者は鉄製手すりに衝突したということなので、潜在的にはナガシマスパーランドの事故も死者を出すほどであったかもしれないと思った。
 もう一点、関心がそれほど向かなかったのは、個人的なことでもあるが、私はスリルとか求めない人なので、ああいう遊具を面白いと思わない。関心がない。スリラー映画なども特別なものでない限りエンタとしては見ない。スポーツ観戦など人と熱狂するというのも好きではない。そういう人も少なからずではあろうが、全体的に見れば、ジェットコースターは人々に好まれているようだ。今朝の読売新聞社説によると、東京ディズニーランドなど大型テーマパークとの競争から、地方の遊園地では集客の目玉としてこの手のスリルを体験できる遊具に力点が置かれているようだ。つまり、人々はそれを求めている。
 そういう道筋で考えていけば、人々にそれに乗るなとも言えず、運営側の安全対策や国の基準などが社会問題になるだろうし、おそらくジャーナリズムもそのあたりに群がるだろう。耐震偽装事件のように運営の背後などに深淵なる悪を探したい人もいるだろう。それをネタに株の操作でも目論んでなければ、一罰百戒でバッシング騒ぎをするのもしかたないかもしれない。
 話の文脈がねじれるが、人々がその手の絶叫マシンを好むという心性は私には異和感があるので、先日そうした物に乗ったことがある小学生に、好きなのか? 恐くないのか? どんな感じなのか? と訊いてみた。人によっては好きではないようだし、恐くもあるそうだ。どんな感じかというとき、ちょっと意外な答えを貰った。ビルから飛び降りたような感じ、と言うのだ。「え、でも、ビルから飛び降りたことなんてないでしょ。そんなことしちゃだめだよ」とオッサンな私は優しく諭すし、小学生だって高学年になればオッサンの傷つきやすい心に配慮するので、そのあたりで会話は収めるのだが、さて、私はその感じが実はよくわかっていた。うまく言えないのだが、子どもたちは内的にはというか無意識というか夢のような部分に隣接する意識で、ビルから飛び降りたような予見的な想像の体験を持っているのだろう。というあたりで、私は少しハッとしたことがあったのだが、ブログに書くべきか。少しだけ書く。先日のタミフル騒ぎで外国の報道を見ていると、日本人っていうのは自殺したい無意識の願望を持つ国民だからね、というのがあった。ひどいこと言うなと思ったが、たしかに外国からはそんなふうに見えてもしかたがない面がいろいろある。この話はこのくらいに止める。
 事故の詳細とまでいかなくても、メカニズムには私は関心を持つので、ニュースを読み返してみた。まず状況が知りたかった。事故とコースの関係については、ネットのリソースでは産経新聞”「よっちゃんがいない」コースター事故、乗客が証言 瞬の静寂、響く声(5月7日)”(参照)に図がある。全長約970mで、事故地点は終点手前約二五〇m。
 時速75kmの最速点は過ぎ50kmで二重輪を左側に巻き込んで昇っていく。時速はかなり減速するだろうが、左側への遠心力がかなりかかっているだろう。そして、二重輪から下ったところで脱輪。この時、二両目左に四五度に傾き、手すりに衝突。致死はコース脇の手すりに衝突したことによる。
 現在のところ直接の事故原因は車軸の金属疲労だろうと推測されているが、定期検査では見つからなかっとも言われる。このあたりの情報はまだ錯綜している。また、車軸の折れ方だが、直径が約五センチの車軸の断面がほぼ垂直で平らな状態だったとのこと。
 私としては、なぜ、この地点で脱輪が起こったのかについてよくわからない。遠心力のかかっていた時点で脱輪はしてないらしい。
 別のニュース、日経”金属疲労を検査せず――コースター事故、ずさんな管理が遠因か
”(参照)によると。


調べによると、立ち乗りのジェットコースター「風神雷神2」(6両編成)の2両目の車軸はスタートから約440メートル地点で折れ、その約240メートル先で車輪が脱落して車両が左側に約45度傾き、小河原良乃さん(19)がコース脇の手すりに衝突して死亡した。

 とのことなので、車軸が折れたまま走行していたのだろう。二重輪に入る前だろうか。
 事故時の状況だが、ジェットコースター「風神雷神2」は六両編成定員二四人のこと。次のように四人ブロックで六両だったらしい。情報を総合すると被害者は■の位置にいた。全員で二〇人乗っていたとのことなので、空き部分を推測して◇とした。

     ←進行方向
     □□ □□ □□ □□ □□ ◇◇
     □□ ■□ □□ □□ □□ ◇◇

 先の記事ではこう。

 事故を起こした「風神雷神2」(6両編成)は定員24人。1両に4人が直立した状態で乗り込み、両肩付近の安全バーで固定される。当時20人が乗車し、死亡した小河原良乃さん(19)は2両目の左前列にいた。
 福井市の男性会社員(25)はすぐ後ろの3両目だった。コース後半に入ったあたりでガタガタと音が激しくなり、部品の白い破片が横に飛んでいくのが見えた。

 また、事故についての証言。

各車両の左右に5つずつある車輪のうち、2両目の前部左下の車輪の脱落地点から約30メートル先だった。しばらくして、前の方から「よっちゃんがいない。どこ、どこ?」と小河原さんを呼ぶ声。女性が車両と鉄柵に挟まれ倒れていた。初めて事故の重大さを知った。
 大阪府松原市の男性会社員(45)は娘2人と「風神雷神2」の列に並んだ。途中で前の女性2人が後ろの4人組の女性に合流。列を譲られ、男性一家は1両目に乗ることになった。「もしかしたら自分たちが2両目に乗っていたかもしれない。それを思うと複雑だ……」

 些細なことだが、被害者は六人のグループで、最初二人が待ち行列の先頭に並んでいた。そして、その後ろに、大阪府松原市男性会社員(45)とその娘の二人がいた。ここでこの家族が三人。列順通りならこの三人のうち二人が一両目に乗るはずだった。しかし、それでは家族が別車両に分かれることになる。
 列についてだがその後、前二人の女性が後ろの四人と合流して六人固まる。被害者が列のどの位置にいたかは不明。女性グループ六人がどのように席を配分したか不明だが、被害者は二両目の前部にいたのだろう。そして、福井市の男性会社員(25)が三両目だが、ここには女性グループの二人が含まれていた。
 「よっちゃんがいない。どこ、どこ?」と被害者を呼ぶ声が前方からしたと記事があるが、それを聞いたのは三両目の女性か。
 もちろん、こうした状況が事件に関わっていたわけではない。車軸が事故原因であれ、安全対策には事故の状況の検討も必要になるだろうが、そうした検討がブログの役割でもない。

追記
 一〇日付け朝日新聞記事に気になることがあった。
 ⇒「asahi.com:ナットの緩みで車軸破断か コースター事故 - 社会」(参照

大阪府吹田市の遊園地「エキスポランド」でジェットコースター「風神雷神(ふうじんらいじん)2」が脱線し、1人が死亡、19人が負傷した事故で、ナットの緩みが車軸の破断につながった疑いのあることが府警の調べでわかった。構造的には金属疲労を起こしにくい場所が折れていたことから、府警は人的ミスが事故につながった疑いもあるとみて、保守点検の状況を詳しく調べる。

 この観点に説得力があるとすると、直接的に金属疲労による事故ではないということになる。もちろん、この観点でも運営側の責任は重い。
 関連して。
 ⇒「安全軽視が招いた遊園地惨事 : さるさる日記 - 泥酔論説委員の日経の読み方」(参照
 例えば、ジェットエンジンで使用されているタービン・ブレードの如く、高温・高圧・高回転に晒される部品はX線による探傷検査が義務付けられています。
これは大変手間と費用がかかる作業ですが、それでもブレードが破壊する事故は後を断ちません。
 一方、ジェットコースターの車軸がどれぐらいで金属疲労をおこして破断するのか、実際のところよく分かっていないのが実情じゃないでしょうか。
 設計上、これぐらいの距離を走行させれば車軸は交換しなければならない、という確たる値はメーカ側からも示されていないようで、どの遊園地もそれまでの経験から予防的に部品を交換してきたのだと思います。

 この視点も含めて、初期の報道で、やはり技術的な視点を十分に検討すべきだったように思えた。

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