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2007.05.05

[書評]森有正先生のこと(栃折久美子)

 大人にしかわからない上質な苦みのある、美しく同時に醜悪な恋愛小説のように読んだ。五十五歳の知的な男に三十九歳の才能のある女が十年ほど恋をする物語。さりげないフレーズに本当の恋愛にはこの感触があると何度も煩悶のような声が自然に喉を突く。恋愛といっても、肉体的な交わり……少なくとも肉体の哀しみと歓びは表向き描かれていない。その契機が存在してなかったようにも読める。が、この物語の本質はキリスト教のいう肉、サルクスというものの、胸引き裂かれるような絶望感にある、と思う。

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森有正先生のこと
栃折久美子
 小説ではない。森有正という男と栃折久美子という女の現実の物語だ。私もこの物語のある重要人物を知っていたので、この物語のごく一部だが魔法のように織り込まれたような感覚を味わった。しかし森有正という男を知らない今の日本人でも、大人ならこの物語の味わいがわかるのではないか。と、自分がさも大人であるかのように書くのだが、そういう大人とは大人になれない心を持ち続け中年期以降を迎えた人であって、普通はこういう世界に出会うことはないし、出会うことがよいわけでもない。
 森有正に傾倒していた私にとってはこの本が出たと知った数年前、ああ、こういう日も来るのかと思ったし、その思いには吉行淳之介の暗室の女が出てきたような滑稽な恐怖感もあった。自分の、森有正への傾倒には未だうまく整理がつかない。今でもこのブログに森有正のことは十分に書いていない。この物語も読めないままでいた。だが、自分も五十歳という歳に向き合い、いろいろ思うこともあって、というか何かが熟したような気がして読んでみた。
 森有正、一九一一年、明治四四年生まれ。森有礼の孫でもある。一九七六年、昭和五一年に死んだ。十九歳だった私はその死を伝える新聞をくっきりとした映像として思い出せる。お会いすることができなかったなとその後痛烈に思うようになったのは、その後彼を知る人の出会いからいろいろ森有正のことを伺ったせいでもある。本書を読むと、あの時代の空気を思い出す。森有正がどれほどのあの時代の寵児であったかも鮮烈に思い出す。
 あえてひどいことを言えば森有正は一種の女狂いにも見られたし、壮年期には目をつけた女なら誰でもものにできるという男性の充溢感を極めていた(当時の文化人はみなそのようなものでもあったが)。三十代の女の身体を持った栃折久美子もその力とその力の影響をよく知っていたことがこの物語を子細に読めばわかるし、その力に対して覚めた了解もあった。だから描けた映画のような光景もある。
 長くパリに暮らす森有正だからということもあるだろうが、当時の日本にはありえない新鮮な牛乳を大量に飲む。「五本の牛乳」という章には日本でまともな牛乳十分に飲めないと嘆く森有正に、栃折が五本の牛乳を届ける逸話がある。眼前に五本の牛乳が置かれると即座に彼は二本を飲み干す。熟れた恋の精神性に捕らわれた女の視線の残光の中で、ごくごくと牛乳を瓶底を天に傾けて飲む小太りで眼光の深い精力的な五十五歳の男。構図はまったく違うがバタイユの眼球譚に出てくる生卵のようなおぞましい印象もある。栃折はその男に「ハンドバッグと寝間着だけ持ってパリ行きの飛行機に乗ってしまいたい」と手紙を書く。そして森有正もプロポーズを切り出す。もちろん、互いに退路をさりげなく取りながら。
 栃折久美子、一九二八年、昭和三年生まれ。本書に逸話があるが室生犀星がからかい半分で短編を書きたくなるような若い知的な女でもあった。この恋の物語が始まるのは、本書の帯に「1967-1976 ひとつの季節、ひとつの恋」と書かれているように一九六七年。そして一九七六年は森有正が死んだ年だが、恋の物語としては七二年には終わっていると見てもいいだろう。恋は四年で終わると言われるがセオリー通りにその情念は両者に四、五年で終わっているかのようだし、通常の恋愛小説にありがちな恋の終わりの事件はなかった。現実の大人の恋は狡猾に隠蔽された幻滅感と気まぐれな傲慢さのなかでいつか静かに終わるものだ。だがそうして終わった恋には残照があり、森有正という存在は六十歳を越えて精神の老醜を巻き込む、と書いて私は森有正を貶めているのではない。ドラゴンのような精神の怪物が絶命する声をヴァーグナーの歌劇を聴くように味わっているだけだ。私には与えられない強い人生に対して隔絶されたような羨望感もある。

それでも、私は森有正という人を見続けたいと思っていた。書かれたものだけ読んでいたのでは、私には想像もできなかったような非常識、自分勝手、言動の矛盾、金銭感覚、何もかもひっくるめて見て行きたい。老いていくなら、どのように老いてくのかを見て行きたい。正直なところ、この人のために自分が壊れたくはない。壊れずにいられるなら何とか引き換えにしても、見続けて行くだけの価値のある人、私はそう思っていた。

 栃折久美子がこの物語を書いたのは二〇〇三年、七十四歳。かつて十七歳年上の男に恋した三十路の女に半世紀近い年月が流れた。森有正が死んだのは六十五歳だから、今となっては女の脳裏に十歳も年下の男になってしまった。いくら歳を取っても越えられない精神性というものはあるが肉体に付随した思想・情感というものは、それなりに年齢に従って越えていく。老いた彼女の目には森有正が若い人間にも見えるのだろう、そのような両義的な視線が、実は本書のそこここに忍び込んでいる。

 私は先生といっしょに、歩き、食事し、話していた。だから時には、自分が女の身体をもっていることに気付くこともあった。同時に、あの時私が自分からタイミングをはずしたのも、タイミングを計り損なって時を失ったのも、自然のなりゆきだったと思う私がいた。森有正という人を、本気で見はじめた時から、心も身体も合わせて自分を意識していたわけだし、ずっと見続けていたかったのだから、それはどうでもいいことだった。
 ただ「自分が壊れるはいやですから」と言ったことについては、若さが言わせた生意気、と今は思う。先生の健康状態が良く、「フロ台所つき三室のアパート」の計画が実現していたら、私は壊れていたかもしれない。

 森有正の晩年は、皮肉で言うのではないが彼自身が時折自省したように、罪に烙印されたあまりに人間らしい怪物だった。私はこの怪物に屈しているのであって非難しているのではない。怪物は若い女たちを食いたかったし、母として支えて欲しくもあった。だが、その願望がきちんと女に届くことはなかったし、その不可能性こそは怪物の宿命でもあった。女は、だが結局、さらに上回る怪物である。栃折久美子の現在は十歳も年若い森有正に、突き詰めれば死の曳航がもたらすような身体を得ている。そうした果ての女の肉体の中で壮年の性を持った男もまた可愛い人として、身体の感触として僅かに映し出されるのだろう。

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2007.05.04

ザビエルが見た四五〇年前の日本人

 連休が続く。今日は世田谷あたりで二七度にもなるという。ブログに書く話もないような日だがなんとなくエントリを埋めておく。ネタはザビエルが見た四五〇年前の日本人。どんな日本人だったのでしょうかねと、前振りなのですっとぼけてみる。ネタ元は「海から見た戦国日本 列島史から世界史へ」(参照)である。

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海から見た戦国日本
列島史から世界史へ
村井章介
 ザビエルは一五四九年彼の上司がいるのだろうインドのゴア宛に鹿児島から書簡を送った。以下は同書の引用であって、べたな書簡翻訳ではないと思う。それと、引用部での「私」とはザビエルのことである。

 私には、日本人より優れた不信者国民はいないと思われる。日本人は、総じて良い素質をもち、悪意がなく、交わってすこぶる感じがよい。かれらの名誉心は特別強烈で、かれらにとっては名誉がすべてである。

 このあたりは現代日本人にもまだ通じるところだろう。根っから日本嫌いやイデオロギー的な意図のある外国人とかオオニシとかを別とすれば、私が知り合った外国人も日本人について概ねそんな印象を持っていた。というか、悪意がないというあたりで騙されているんじゃないかと疑念に思っている外国人も数人いた(その後、やっぱり騙されていたんだと嘆く外国人もいたが日本人女性の強さに無知過ぎ)。名誉心については現代日本人はどうだろう。あるんじゃないかな。ちなみに、ザビエルが触れた日本人は特定の階級だけではなかった。というのと彼にとってその気風が「名誉心」に見えたということだ。

日本人はたいてい貧乏である。しかし、武士であれ平民であれ、貧乏を恥辱だと思っている者はひとりもいない。……武士がいかに貧困であろうと、平民がいかに富裕であろうと、その貧乏な武士が、富裕な平民から、富豪と同じように尊敬されている。

 「日本人はたいてい貧乏である」「貧乏を恥辱だと思っている者はひとりもいない」この二点において、断言していいが、日本に五〇〇年間進歩も退歩もなかった。それが普通だと思っているのだ。なぜ日本人はそう思っているんだろうと、異国の人にとっては奇っ怪極まることなのだ。ちなみにグローバルに言えば、「世の中には貧乏人に芥子粒ほど関心をもたないすげー富裕者がいる」「貧乏は貧乏人とっても恥辱だし、富裕者にとっては嫌悪」ってなものだろう。

また貧困の武士は、いかなることがあろうと、まだどのような財宝が眼前に積まれようと、平民とけっして結婚しない。

 ここは江戸時代後期から崩れていったようだ。勝海舟もたしかその祖父あたりから武士階級を買ったのではなかった。武士階級は買えたが、富裕な商人は買う気もなかった。勝小吉の父は彼に徹底的に武士と平民の倫理を叩き込んだ。「夢酔独言」(参照)を読むと勝海舟の作り方がわかる。
 で、この婚姻制度における階級制なのだが、明治時代で崩れ、戦後にさらに崩れた。崩れるだけならいいのだが、別種の閨閥となり日本の支配装置になった。私も武家なんでいろいろ思うことがあるが今日は書かない。
 さて、教育はどうだったか。

 住民の大部分は読み書きができる。

 これが実に不思議。未だに日本のスケールの国家で文盲率がゼロなんて国はない。それどころか近代科学知識を欧米語を知らずにそれなりに身につけられる国もない。GHQが漢字をめちゃくちゃにする前は中国人も朝鮮人も日本の翻訳書を読んだ。テニヲハさえ覚えれば日本語の書き言葉なんてアジア人なら普通に読めるんだもの。しかし、その危険性を察した諸外国の権力者は日本語がアジアに普及しないようにしたなーんて陰謀論はいかかが、ダメダメ。

日本人は妻をひとりしかもっていない。窃盗はきわめて稀である。死刑をもって処罰されるからである。かれらは盗みの悪を非常に憎んでいる。たいへん心の善い国民で、交わり学ぶことを好む。神のことを聞くとき、とくにそれがわかるごとに大いに喜ぶ。

 これもまた日本人があいもかわらず不思議なところだ。なぜ「妻がひとり」なんだろ。いやそんなことねーべさという人もいるかもしれないが、概ねそうだし、そのあたりは日本を他国と区別するところではないか。というのと窃盗のなさについても、現代では異論はあるにせよ、やはり概ねそう。
 どうしてなんだろと思うに、私は、先の階級間の婚姻のなさも関連して、実質女が(つまり娘が)私有財産を持つ制度だったことが根幹にあるのではないかと思う。現代日本では、戦前は家父長制度だったとかいうことになっているが、自分の家系をざっくりサーチしても、表向きはそうだけど、実態は女が家を介して事実上の財産権を持っている。そのあたりに諸悪の、もとい、諸現象の根源があるのではないか、とか言ってみるテスト。
 ザビエルはもう一通一五五二年、ヨーロッパに書簡を送っている。その間特に日本人観を変えたふうでもない、というか相変わらずおもろいこと言っている。

私はこれほどまでに武器を尊重する国民に出会ったことがない。日本人は実に弓術に優れている。国には馬がいるけれども、彼らはたいてい徒歩で戦う。……すこぶる戦闘的で闘争ばかりやっている。一番大きな闘争力をもっている者が、もっとも強い支配者になる。かれらは一人の国王をもっているが、もう一五〇年以上もその国王に臣従していない。

 当たり前のようでたらっと書かれているし、戦術が未熟なのだと言えないこともない。が、ようするにそのような戦闘を必要とし、そのような戦闘というプロトコルで国家内の諸権力を均衡させようとする現象、つまり、平和な国民なんじゃないかと思う。武器の筆頭が弓というのも面白い。相手から見えないところで矢を放つ、まるで名無しでブログに嫌がらせコメントを書くように。
 ザビエルは宣教師ということもあって日本の宗教状況にも関心をもち、仏教について言及しているのだが、これがまたまた。

たがいに異なる教義を持つ宗派が九つある。男も女も自分らのもっとも要求する宗派を、その好みに応じて選んでいる。他の宗旨に走ったからといって、これに圧迫を加えるような日本人はひとりもいない。従って一家族のうち、主人はこの宗旨に属し、主婦はあの宗旨を奉じ、子供がそれぞれ他の宗派に帰依しているような家庭がある。日本人にとって、これはきわめて当然のことで、各人は自分の好む宗派を選ぶことがまったく自由だからである。

 このあたり江戸レジームによって日本人の宗教活動は大きく変更させられたかに見える。つまり檀家制度が成立し家に宗教が縛られたかに。ところがドスブイパラダイス。その江戸時代も子細に見ていると、みなさんけっこう御勝手な宗教活動をやっている。というか、かなりめっちゃくちゃ。「歴史探索の手法 岩船地蔵を追って」(参照)とかを読むと、なんつうか苦笑っていうか。いわゆる明治以降のこの手の学問領域って抜本的に疑ってもよさげな空気がありそう。
 日本の近代史では、そうこうしているうちに、ご維新や敗戦があって宗教は再びめちゃくちゃなエネルギーを吹き返して現代に至るわけだ。つまり、五〇〇年前の状況に戻ってしまった。ちなみに、ザビエルの書簡における宗派というのは現代日本では占い師や「霊能力者」とかにするとぴったりかもね。お母さんには細木数子、娘さんは江原啓之、お父さんは……。
 さて、エントリ書くのも飽きた。いい天気だ、ショッピングしておされなカフェにでも行ってくべ。

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2007.05.03

国家と首相の給料

 国家と首相の給料とか言っても大した話ではない。シンガポールのリー・シェンロン首相の給料が、日本の安倍晋三首相の六倍の二億四千四〇〇万円という些細なネタ。そんだけの話。あはは、って笑えるくらい軽い話だ。ちなみに主要国の首相の給料っていうのはこんな感じ。


  • 日本 安倍晋三首相 三千九五六万円
  • ドイツ メルケル首相 四千二〇〇万円
  • 英国 ブレア首相 四千四〇〇万円
  • 米国 ブッシュ大統領 四千七〇〇万円。

 日本の首相なんて質素なものじゃんと思ったら、韓国は二千六〇〇万円くらい。国力の比率でいうとそんなものかというか、そうしてみるとブッシュ大統領が格安か。
 メディアでの話としては産経新聞”シンガポール首相の給与、主要国で突出”(参照)が詳しい。

 発端は4月9日のシンガポール政府発表だった。首相だけではない。閣僚級の年間給与も前年比約33%アップの160万シンガポールドル(約1億2500万円)にするという。メディア管理が行き届いていて、デモも集会も許可制という同国内でもさすがにインターネットに批判が寄せられた。
 パリ発行の国際紙、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン(電子版)は「これは給与ではない、腐敗だ」との激越な見出しを付けて、この件を報道。米ホワイトハウスは「ブッシュ大統領の給与は40万ドル(約4700万円)だ」と大統領の給与額を改めて確認し、ブッシュ政権高官が「私もシンガポールに移住する」と匿名で皮肉った。

 産経新聞もまた暢気に皮肉な記事を書いているのだが、この問題に対する国際社会の視線というか温度差というのがなんとも微妙。呆れているというか、強権国家への皮肉なのか。私としてはなんとなく華僑資本や中国への脅威論も隠れているような印象も持つ。べたな話、米国匿名高官の皮肉なコメントだが、皮肉じゃなくてマジでシンガポールには今ぞくぞくと世界のインテリジェンスがおカネにつられてやってきているようだ。その意味で、ちゃんとした政策で機能しているじゃんか、とも言えそうだ。
 同記事にもあるが、シンガポール首相の給与が高いのは突然ではなく「建国の父のリー・クアンユー氏が1994年に、弁護士や銀行家など6つの職業の収入に閣僚の給与を連動させる制度を導入した」ということによる。問題はむしろ首相というより閣僚の問題であって、そのくらいのカネださないと人材を政治に向けさせるに忍びないというご事情がある。
 というご事情ってなんだ? なのだが、このあたりがなんとも微妙。実際のところ、リー・シェンロンはそんなにカネが欲しいわけでもなし、これだけ貰っていても、首相というのをビジネスで見るなら割に合わないし、「極東ブログ: 李下に龍を顕す」(参照)でも少し触れたが、病気もしたから人生の終わりも見据えている人だろう。ということで、この大金というのは、リー・クアンユー爺さんの思惑ということでもあるのだが、その思惑っていうのはなんなのだろう。
 日本ではというか日本のブログの世界ではブッシュはアホとか言わないとコメント欄にネガコメ旅団の通りすがりさんがデデデ大王のように必ずやってくるみたいだが、ブッシュ大統領とかも国力に比してみれば質素なものではないのか。もっとも彼の場合は、ユナイデッド・ステーツ・オブ・テキサスの諸事情もあるにはあるのだろう。それでも、主要国からは突出しているわけでもない。

米紙ボストン・グローブ(電子版)によると、米トップ350企業の最高経営責任者(CEO)の平均年収は、1160万ドルにまで上昇しており、ブッシュ大統領の給与のざっと30倍である。

 米国の場合、大統領ということの名誉がそれ自体の価値だろうし、たぶん、日本でもそういう類型の国家なのだろう。という対比で見るなら、シンガポールには政治家そのものが名誉という価値がないということでもあるのだろう。このあたり、それって中国人的な発想なのかわかりかねる部分がある。
 ネタはその程度なのだが、この件で、矢面に立っているのは、このカネ釣り機構を創出したリー・クアンユー爺さんその人であるようだ。日経”シンガポール首相、年収が米大統領の5倍”(参照)によるとこんなことを言っているらしい、っていうか、なぜ爺が前面に出てくる?

リー顧問相は引き上げについて、優秀な人材を集めるのに有効とした上で「(指導者が)くるくる入れ替わるような政府になれば、国民の資産は消え、住宅の価値も数分の1になる」と強調した。

 爺さんご活発なのはカネだけではない。ロイター”Singapore's Lee Kuan Yew questions homosexuality ban”(参照)とかだともっと微妙な緩和も打ち出している、っていうか、それも人材を寄せるためだろうかとか思ってしまうが。

April 22, 2007
SINGAPORE (Reuters) - Singapore's powerful former prime minister Lee Kuan Yew, acknowledging the view that some people are genetically destined to be homosexual, has questioned the city-state's ban on sex between men.

 これもまたグローバル化ってことでしょうかね。
 ただ、たぶん、どんなに賢人が粉骨してがんばってもシンガポールはいつか歴史の彼方に消えるんじゃないかなという感じはする。

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2007.05.02

誰が「赤ちゃんポスト」という名前を付けたのだろう? そしてマスコミはなぜこの名称を続けているのだろう?

 誰が「赤ちゃんポスト」という名前を付けたのだろう? そしてマスコミはなぜこの名称を続けているのだろう? すごく単純な問題かもしれないが、ざっと調べた範囲では名称の由来はわからなかったし、なぜマスコミがこの名称をそのまま使い続けているのかもわからなかった。どうにも変な気分がするので、些細なブログだけど問題提起しておこう。あるいは単純明快な答えがコメントでいただけたら幸い。
 ネットを見ると同様な疑問を持っている人が多数いる。新聞などにも投書があったらしい。三月一〇日付け産経新聞”【風】「赤ちゃんポスト」の名称に反対”(参照キャッシュ参照)ではこう。


 「赤ちゃんポスト」の名称について、大阪府阪南市の70代の男性から意見が寄せられた。
 《貴紙では「ポスト」の表記は中止していただけませんか。命の誕生を経験した親御さんが、赤ちゃんを手放す悲しみを思いますと、「ポスト」の文字を見るたびに「命の尊厳とは何だろう」と思わず涙が出てまいります》
 別の方から届いたはがきにも《「ポスト」と紙上で言われると、軽薄な感じで嫌な気がします》とあった。赤ちゃんを「荷物」のように連想させてしまうのかもしれない。
 設置を計画している熊本市の慈恵病院は「こうのとりのゆりかご」と呼んでいる。子供を運んでくる鳥、という西洋の言い伝えにちなみ、大切な命を守りたいという願いをこめている。
 理事長の蓮田太二さんによると、発祥の地であるドイツでは、ベビー・クラッペ(Baby Klappe)と呼ばれていた。クラッペとは、扉を開閉するときの擬音語なので「赤ちゃんの扉」といった訳語になる。ほかに「赤ちゃんの巣」の意味でベビー・ネスト(Baby Nest)なども使われていたが、「ポスト」という呼び方は聞かなかったという。

 ちなみに産経の結論はこう。

 名称を再考する余地はあるように思える。だが、「ゆりかご」では親がわが子を手放すという本質を隠してしまうだろうし、親が赤ちゃんを引き取ることもできる仕組みなのだから「捨て子箱」でも違う気がする。
 賛成にしても反対にしても、ここまで反響を呼ぶのは「赤ちゃんポスト」という名称があったからだと思う。もう少し、みなさんとこの問題を考えていきたいので、当面は「赤ちゃんポスト」と呼ばせてほしい。(康)

 率直に言いますね、これ、すげー不愉快です、私。何が「本質を隠してしまう」だよ。本質は社会が育児を引き受けるということだよ。「捨て子箱」の発想ってどうよ、と。しかし、それはさておくとして、反響を呼んだからこれで使っていきましょうっていうのが、そもそもまるで納得できないのだが。
 話戻って。
 慈恵病院が当初「赤ちゃんポスト」と呼んでいたのだろうか。そのあたりも少し調べてみたがわからなかった。市保健所申請時の名称だろうか。だとしてそれは申請側の名称だったのだろうか。
 また「こうのとりのゆりかご」という正式名称があるのになぜマスコミは使わないのだろう。記事では固有名詞ではなく一般名詞だからということか。しかし、他に類例はないのだし、そのままでいいのではないか。
 あるいは、ドイツとかすでに実施している国で、「赤ちゃんポスト」と呼ばれていたのか? これも少し調べてみたのだが、上の投書にあるように、類例はなさそうだ。
 ウィキペディアを見ると、「赤ちゃんポスト」(参照)でべたに項目がある。私のウィキペディアへの感覚からいうとこういうとき、項目見出しに使うのであればなんらかの由来の説明があるべきなのだが、読むに、それがない。微妙にずれた話がある。

慈恵病院での名称は「こうのとりのゆりかご」。同病院が参考にしたドイツではBabyklappe と呼ばれている。英語の Baby とドイツ語の Klappe を合わせた単語である。Klappe とは“パッチと音がして閉まる扉蓋”を意味している。もう一つの呼び名として Babywiege がある。Wiege とはゆりかごを指す。共にドイツ語本来の赤ちゃんを意味する Saugling を用いないで、英語であるところに微妙な心理が伺える。

 英語とドイツ語の項目も見たが、ポストに相当する説明はなく、どうも日本独自の表現臭い感じがする。
 わからない。いつから、「赤ちゃんポスト」という言葉があるのだろう。疑問が元に戻るだけだ。
 新聞のアーカイブをサーチしてみると、少しだけ手がかりっぽい情報があった。〇三年七月一五日付け読売新聞”[世界の社会保障]ドイツ 増える「捨て子箱」に賛否”にすでに「赤ちゃんポスト」という言葉がある。

ベルリン南西部の閑静な住宅街。ウァルトフリーデ病院の入り口脇にある「ゆりかご」の矢印に従って、裏庭を抜けると、やがて産婦人科棟の外壁に埋め込まれた郵便ポストのようなものが現れる。
 ふたを開けると、〈困った母親たちへ〉と書かれた紙片が訴える。〈開閉は一度きり。でも、自分で育てようと思い直せば、いいえ、親だと名乗り出たくない場合でも、一度、我々に連絡をください〉
 それは、「赤ちゃんポスト」とか「ゆりかご」と呼ばれる“捨て子箱”。箱に入れられた赤ちゃんは病院で育てられ、八週間以内に親が引き取りに来なければ、養子縁組の手続きがとられる。
 フランスやオーストリアと異なり、ドイツでは、生みの親が子供の出生を届け出ない「匿名出産」は違法だ。捨て子箱には違法行為を支援する側面がある。だが、ハンブルクやベルリンなど大都市で数年前に誕生した捨て子箱は、今やほぼ全ドイツに広がり、確認できるだけで六十を超えた。

 率直に言いますね、この文章、すげー不気味です、私。なぜ、「それは、「赤ちゃんポスト」とか「ゆりかご」と呼ばれる“捨て子箱”」なんて表現ができちゃったのだろう? そして、「ハンブルクやベルリンなど大都市で数年前に誕生した捨て子箱は」と、文脈の次の登場では”捨て子箱”の引用符が消えてしまうのはなぜなんだろう。
 この文章さらに最初に戻って「郵便ポストのようなものが現れる」とあるのだが、これって、そう思ったから「赤ちゃんポスト」という造語にしたのか、あるいは、「赤ちゃんポスト」という言葉があったから、「郵便ポストのようなものが現れる」という文章の切り出しにしたのか。たぶん、後者なんだろうと思うが(それは日本人の感覚からは郵便ポストには見えないはず)。
 もう一か所引用する。

 ウァルトフリーデ病院では、捨て子箱を設置した二〇〇〇年九月以来、こっそり置かれた赤ん坊をはじめ、計三十四人が匿名出産でこの世に生を受けた。
 同病院で匿名出産の相談を受けるガブリエレ・シュタングルさんによると、産んだ赤ちゃんを殺したり捨てたりする動機は、本人の一時的精神錯乱や貧困、未成熟だけではない。そこにはレイプや近親相姦(そうかん)といった社会の病的現象が暗い影を落としている。ベルリン市の推計では、娘の四人に一人、息子の十人に一人が家庭内で何らかの性的虐待を受けているという。
 「乳児殺しは年間四十件以上報告されているが、それは氷山の一角。病んだ社会で何ができるのかを考えた末に、私たちは匿名出産に応じ、『ゆりかご』も設けたのです」と、シュタングルさん。「産んだ赤ちゃんを切り刻んでトイレに流した母親を私は何人も知っている。そのように葬り去られる可能性のある命を助けることが、どうして悪いのですか?」

 シュタングルさんは、「私たちは匿名出産に応じ、『ゆりかご』も設けたのです」と「ゆりかご」と言っているのに、なぜそれを考察できなかったのだろう。
 しかし、そう記者に詰問できる立場に私もないのだろうとは思う。〇三年時点ではこうした文章が新聞に掲載されて、特に問題も起きていないし、その時点では私も異和感を感じなかったかもしれない。
 とはいえ、最初の疑問に戻って、誰が「赤ちゃんポスト」という名前を付けたのだろう? そしてマスコミはなぜこの名称を続けているのだろう? それがまるでわからない。なぜそれが簡単にわからないのかも奇っ怪だし、その経緯が知りたい。それと、私の意見としてはその名称を止めるべきだ。当面「こうのとりのゆりかご」のままでよいと思う。あるいは、「ベイビーハッチ」としてもよいと思う。それは私たちの社会にとって新しい存在なのだから、しばらくは新しい呼び名でもよいだろうという意味だ。

追記
 捨て犬のための「わんわんポスト」の連想かもしれないという指摘があった。
 ⇒幸せの鐘が鳴り響き僕(r - 赤ちゃんポストの恐怖


最近ではこんなのがわんわんポストと称されているのでひょっとしたら最近の人は知らないかもしれないので、一応解説しておくとかつて有ったわんわんポストとは決して上記のような「かわいい犬の形をした郵便受け」ではなく、飼えなくなった、あるいは飼いきれない程産まれた仔犬を捨てる為の「犬捨て箱」の事である。

 さらに連想だが、白ポストがこうした命名センスの起源かもしれない。
 ⇒白ポスト - Wikipedia

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2007.05.01

エチオピアにおける中国系油田襲撃事件

 エチオピアで中国系油田が襲撃される事件があった。このニュースは日本で報道されなかったわけではないけど、ダルフール危機問題と同じで中国様が絡むとなると、なんとなくその問題はできるだけ触れないでおこうオーラが漂ってくるのかなと感じた。まあ、なんとなく感じたくらいの主観にすぎない。が、少し私が知るくらいのことはブログに書いておこうか。
 まず共同の報道の手口はこう。標題がちょっとわかりやすすぎなのに、背景がわかりずらいのが絶妙。四月二五日付け”「非道で残虐」と非難 油田襲撃でエチオピア首相”(参照)。


エチオピアからの報道によると、同国のメレス首相は24日、同国東部の油田施設が武装グループに襲撃され、中国人9人を含む計74人の作業員が殺害された事件について「非道で残虐な行為」と非難、警備を強化するとともに事件の調査に全力を挙げると述べた。

 たしかに「非道で残虐な行為」だが、それにしても「同国東部の油田施設」っていう表現は心配りがナイス。とはいえ、前日の共同”中国人ら74人殺害 エチオピアで油田襲撃”(参照)ではそうでもなく中国資本とあった、というかAPの引き写しだからか。

東アフリカのエチオピア東部で24日、武装グループが中国資本の油田を襲撃し、敷地内の施設を破壊した上、中国人作業員9人とエチオピア人作業員65人の計74人を殺害した。AP通信などが伝えた。

 朝日新聞は仲良しの国営新華社通信を引き、エチオピア政府報道官による「オガデン民族解放戦線(ONLF)と関連のある勢力のテロ攻撃だ」とする見解を載せ、コメントを加えた。四月二四日付け”エチオピアの中国系油田で74人殺害 武装集団襲撃”(参照)より。

 現場周辺は、エチオピアでは少数民族のソマリ人が多い地域。ONLFはソマリの分離独立などを求める反政府勢力。06年4月にはエチオピア東部で石油やガスの探査を行う外国企業に対し「エチオピアの現体制と外国企業の利益のための行動で、許しがたい」と警告する声明を出している。
 経済の急成長で石油需要が増えている中国は、エチオピアやスーダンなど、治安上の懸念や国際政治上の問題で欧米や日本が手を出しにくい国々で、活発に石油開発を進めている。

 これでこの辺りの状況がわかるだろうか。ざっと読めるのは、ソマリアに関係があるらしい、中国を敵視する勢力があるらしい、スーダンもキーワードになっているな、というくらいか。
 事件はその後、中国人七人の拉致事件となる。二五日付けCNN”中国系の油田を襲撃、多数死亡、拉致も エチオピア”(参照)より。

アフリカ東部のエチオピア政府などは24日、分離独立を求める反政府勢力の武装闘争が続く同国東部にある中国の石油関連企業の油田開発施設で24日朝、武装した約200人の襲撃があり、少なくとも9人の中国人とエチオピア人65人の計74人が殺され、中国人7人が拉致されたと述べた。

 その後、反政府勢力は「オガデン民族解放戦線」と特定され、七人は仲介に当たった赤十字国際委員会を介して解放された。昨日、四月三〇日付け読売新聞”エチオピアの石油関連会社襲撃、拉致の中国人7人全員解放”(参照)より。

同戦線は、エチオピア東部オガデン地方の独立を目指しており、「中国を標的にした訳ではない」と人質の解放に応じた。ただ、中国政府に対し、同地方でエチオピア政府と協力して石油開発するのはやめるよう求めている。

 拉致された中国人が無事でよかったし、とりあえずうまくまとまったというか、ちとうますぎねかみたいな印象もわずかにあり、やはり「同地方でエチオピア政府と協力して石油開発するのはやめるよう求めている」というところまでは中国様のご意向でも丸めるわけにはいかなかったのではないか。
 で、この事件ってなんだったの?
 全体像が示されないので、ある種の偶発事件のようにも見えないこともないが、どう見ても石油利権に関連してアフリカに入り込む中国の問題がまず明確にあり、次にソマリアの問題がある。その辺りをざっくり説明できないものかと思案していたが、フィナンシャル・タイムズにずばり「アフリカにおける中国」問題として、”China in Africa”(参照)取り上げられていた。

Much as China's - and indeed America's - ally Meles Zenawi, the Ethiopian prime minister, might like to be on top of security across the Horn, he is not always able to deliver. His army is the region's most powerful conventional force. But under his rule, Ethiopia is fraying again around the edges. Armed separatist groups are now changing tactics. Unable to match the army on the battlefield, the Ogaden National Liberation Front has chosen the spectacular to draw attention to its cause.
(中国と米国の同盟にあるメレス・ゼナウィ首相は角地域の保全の頂点を極めようとしているが、常に対処する能力があるわけではない。彼の軍隊はこの地域の最大の常備軍ではある。しかし、彼の支配下でも、エチオピアにはほころびがある。武装分離グループはそこで戦略を変えつつある。戦場での武力が均衡しないので、オガデン民族解放戦線は衆目を集めるための劇を選択してきている。)

 単純に言えば、中国と米国が現エチオピア政権に肩入れしたため、エチオピア内の対立派が、目立つテロ活動をするしかなくなった、ということだろう。さらに。

Both horrific events can be attributed partly to fallout from Ethiopia's messy intervention in neighbouring Somalia.
(この二つの悲惨な事件は部分的にだが、エチオピアによる乱雑な隣国ソマリア侵攻の副産物でもある。)

 このあとフィナンシャル・タイムズはイラクにおける米国と同様に、エチオピアは中途半端な侵攻活動によって逆に反乱勢力を活気づけてしまったと続けている。
 中国についてはさらに手厳しい。

China itself has played no overt role. As the Beijing government often insists, it prefers not to meddle in the internal affairs of other states. It does, however - for example by blocking international efforts to rein in Sudan. In Ethiopia, China's commercial activities, which are buttressed by soft loans to Mr Meles's government, inevitably have political implications too. While foreign governments might want to be apolitical, in practice in Africa they never can be.
(中国自身は明確な関与をしてない。中国政府がしばしば主張するように他国の内政干渉を好みはしない。が、実際には国際社会によるスーダン制裁の努力を阻害している実例もあり、実際には内政干渉をしている。エチオピアでも、中国の商業活動はメレス・ゼナウィ首相への長期低利貸付で支援することで、必然的に政治的な意味合いが生じる。アフリカにあっては、対外国がいかに非政治的であろうとしても、現実には実現しない。)

 アフリカにおいて非政治的な経済活動の関与はありえないとする、フィナンシャル・タイムズの割り切り方はやや極端かもしれないが、現実的な認識だろう。
 フィナンシャル・タイムズはこの文章で締めにして、その先をあえて語らない。が、もう一度今回の事件を眺めて見ると、その含みもわかるだろう。

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2007.04.30

シュニッツェル(schnitzel)っていうか牛カツっていうか

 たまにシュニッツェル(schnitzel)っていうか牛カツが食べたくなる。安くて固そうなステーキ肉を見ると、こりゃいいとか思う。子牛の肉ではない、私の場合、たいてい。
 脂身のところを切り落とし、肉叩きでたんたんと叩いて平べったくする。小麦粉をつけ溶き卵を潜らせてパン粉をつける。普通のカツと同じ要領。これをフライパンのオリーブ油で揚げる。カツの色になったら取り出して、黒こしょうと塩をぱらぱらとかける。これでお終い。食べるときにレモンを搾ってかけてもいい。
 簡単料理とも言えないこともないが、揚げ物っていうかフライは慣れないと難しいかも。もちろん、トンカツを揚げることができるなら簡単な料理の部類になる。

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 添え物は……そりゃ、ポテト? ライス? ノンノン、そりゃもうヌードルに決まっているでしょ。


Cream coloured ponies and crisp apple strudel,
Door bells and sleigh bells and schnitzel with noodles
Wild geese that fly with the moon on their wings,
These are a few of my favorite things.

 というわけで、ヌードルは手打ち。パスタマシンがあれば簡単にできる。バターで味付け。

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 ところで私って関西人? いや、シュニッツェルっていうか牛カツを食べるようになったのは、もう二十年以上も前になるのかと歎息するけど、村上春樹のエッセイで知ってから。実際に関西風の牛カツというか肉厚の牛カツは、率直に言うとあんまり好きでもない。好きなのは、ウィンナー・シュニッツェル的なやつ。
 たまに行くスイス料理屋のメニューにあるので、作るのがめんどくさいときは行って食べる。さっきの歌ではないが、オーストリアの料理なんだろうか。
 逸話としては、ラデツキー元帥(Johann Joseph Wenzel Graf Radetzky von Radetz)がオーストリアにもたらしたものという話がある(参照)。


According to another theory, it was introduced by Field Marshal Radetzky in 1857. The term "Wiener schnitzel" itself dates to at least 1862.

cover
サウンド・オブ・
ミュージック
DVD
ジュリー・アンドリュース
 その説だと日本でいうと明治維新の少し前の頃になるが、そんな時代を映すほどの料理でもないような気もする。

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2007.04.29

「自然」という言葉を愚考する

 世の中は連休である。私も泳ぎ終えた午後のけだるさに新緑の木陰でぼうっとしながら「自然」という言葉を考え、そして奇妙に考え込んでしまった。というわけで、その愚考をネタに。
 「自然」という字面の言葉は恐らく仏教用語として日本語に定着したのだろう。親鸞の教えにも自然法爾(じねんほうに)があり「じねん」と呉音で読ませる。してみると平安時代には定着していたのかと字引を見ると、源氏物語の用例もあるが、「自然にそのけはひこよなかるべし」のように副詞で用いるらしい、というところでうかつにも今頃気がついたのだが、自然法爾とは自然に法爾ということかもしれず、「自然(じねん)」自体が平安初期までに客体的な概念であったかはわからない。
 が、後期の親鸞にとっては、阿弥陀は自然(じねん)を知らしむる料なりというように、阿弥陀と自然は同義であるか、むしろその思想においては自然が本体であり、阿弥陀はその表象でしかなかったことだろう。親鸞思想においては「自然(じねん)」は客体化している。
 「自然(じねん)」に対して、現代日本人が使う「自然(しぜん)」だが、これは恐らく明治時代にnature(ネイチャー)の訳語として創造されたものではないかと推測するが、私の手元の字引などからはわからない。
 ただ、「しぜん」という読みまでもが訳語としてできたかわからないなというところで、そういえば、脳裏に「自然の事候はば」という句が浮かぶ。ご先祖様のDNAが語るものであろうか、これは「しぜんのこと」と読むべきではないのだろうが、なんとなくそう読んできたな。そして、うかつにもこれも今頃気がつくのだが、言うまでもなく「自然の事」とは「相果て候はば」である。単純に言えば、死ということなのだが、どうも、ご先祖様たちの声の陰影の「自然の事」や「相果て候はば」の言はただ死というものとは違う。私の個人的な感覚の問題かもしれないが、死という言葉と、自然の事や相果つ事には何か語感が違い、生き方に問い掛けてくる独自の心情がある。
 訳語としての自然(しぜん)に話を戻し、これはnature(ネイチャー)が原義だろうがと字引を逍遙するに、φυσις の訳語でもあるらしい。なるほど、考えるまでもなく、natureはラテン語のnaturaによるものだし、ラテン語は事実上ギリシア語をベースにした古代の人造語なので、naturaの語感はそのままφυσις の訳語であったことだろう。
 このあたりで、「極東ブログ: ハイデガー「技術論」から考える新しいゲシュテル」(参照)を連想するが、ハイデガーにとっては、すでにnatureとφμειζは異なるものであったに違いない。もっともハイデガーは自身が言うように古代ギリシア的なものかはちとわかりかねるが。
 なにやら衒学的な話になりつつあるが、natureの訳語としての「自然」について、ウィキペディアでやや奇妙にお節介な解説(参照)を見かけた。


(注)ヨーロッパ諸語では、自然は本性(ほんせい)と同じ単語を用い「その存在に固有の性質」をあらわす。(例えば、英語・フランス語の「nature」がそれである)。外国語文献の翻訳を読む際には「本性」の含みがないか常に留意すべきである。例えば「自然と人為」などという対比にぶつかった時、そこでの人為には単に「自然物に対して手が加えられた」という意味だけでなく「人為によって本性が捻じ曲げられた」というニュアンスが含まれているかもしれない。西洋では自然と人間を完全に分離した考えを持つが、日本では人間は自然の一部と考える。また、日本には江戸時代まで「自然」という言葉はなく、開国後に「nature」等の外国語を訳する際にできた言葉だと思われる。

 「西洋では」以下の下りが眉唾ものだが、前半の指摘は失当とも言えない。というあたりで、実は、私の愛読書でもある Nature and Human Nature という書題はどう訳すべきかと悩んだ。べたに訳すなら「自然と人間性」ということになるが、まさにそれこそこのウィキペディアさんの忠告に反しているようでもある。
 悩みが深まったのは、Human Natureが人間の本性であるのはよいとして、ではそれに対句となるNature自体はいったい何の本性なのだろうか? 「その存在に固有の性質」というメタクラスって何なのだろう?
 なんとなくだが、これはスピノザ風味ウルトラ・グローバル・オブジェクトみたいな存在というものそれ自体の、その存在の固有の性質ということで、被造物の対立概念なのではないか、というあたりで、社会学の古典であるホッブズ、ロック、ルソーだのの自然状態(State of nature)を連想した。ちなみにマルクスの思想というのはヘーゲルとこの自然状態の思想のアマルガムかもしれないなともちらと思った。
 ウィキペディアのState of natureを見ると意外にも日本語の解説がある(参照)と驚くようではいけない。この古風っぽい自然概念は依然、自然法や自然権など法学のべたな基礎概念になっているはずだし。

 「自然状態」は、17~18世紀のヨーロッパにおいて、社会契約説を成り立たせるための理論的架空として政治哲学者達が案出した。代表的な論者にトマス・ホッブズ、ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソー等がある。社会契約説は今ある政治体が人民を支配する根拠付けとして、人民自らが契約して政治体を作ったからとするもので、必ずしも政治体の発生史を正確に跡付けている保証はないが、政治体の存在を当たり前のこととせず、人民が省察して良いのだと転換したことに大きな意義がある。この社会契約説が当代または後代、ヨーロッパの市民革命の理論的基礎となったのである。
 自然状態をどう見るかによって次節のように以後の議論が分かれるが、いずれも自然状態を、それだけで完全に自足的かつ持続可能な状態とは考え得ないことで共通している。であればこそ、わざわざ無限の自由を捨てて、人間は社会契約を結び、政治に縛られる社会状態へと入るという選択を余儀なくされるのである。
 政治体の存在根拠を求めて自然状態論に行き着いた彼らは、思想史的に考えれば、当時猛威を振るっていた「王権神授説」に対抗するために、極めて慎重な議論の歩みを進めたと評価できる。王権神授説が聖書を根拠にする以上、それを凌駕する緻密さが必要とされたのである。

 これも前半はよいのだが、後半になるにつれ、あれまという展開になってくる。いや間違いとも言えないのだろうが、「王権神授説」に対抗するというより、時代精神に関連したものだろう。というあたりで、それって啓蒙主義だよなと、ウィキペディアを見るとこれも解説があり(参照)、この解説にはなかなか味わいがある。

啓蒙主義は科学者の理神論的あるいは無神論的傾向を深めさせた。イギリスにおいては自然神学が流行したが、これは自然科学的な方法において聖書に基づくキリスト教神学を再評価しようという考え方である。この神学は神の計画は合理的であるという意味で既存の聖書的神学とは異なり、啓蒙主義的なものである。自然神学の具体例としてはイギリスのバーネットをあげることができる。バーネットは聖書にある(ノアの方舟物語における)「大洪水」を自然科学的な法則によって起こったものであると考え、デカルトの地質学説に基づいて熱心に研究した。また啓蒙主義の時代には聖書を聖典としてではなく歴史的資料としての文献として研究することもおこなわれた。キリスト教的な歴史的地球観とは異なった定常的地球観が主張され、自然神学などでも支持された。

 ポイントは、自然神学である。というか、「自然科学的な方法において聖書に基づくキリスト教神学を再評価しようという考え方」は逆なのではないかと少し思った。
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ケプラーの憂鬱
 少し推測を入れて書くと、べたにパスカルのパンセを読んだ人ならこれがアンチ・イスラム神学として企図されたことがわかるように、当時はイスラム神学の理神論が西洋を浸していた。その理神論的な動向からいわゆる自然科学と自然神学が形成され、そこから、逆に自然概念が、いわゆる被造物と対立したのではないだろうか。このあたりは、まさにトーマス・バーネット(Thomas Burnet、1635年? - 1715年)あたりを研究しないとあまり踏み込んで言ってはいけないのだろうが。が、ケプラーとか読むとその中間的なアレゲ性が絶妙に微笑ましい。
 推測はある程度控えても、自然神学がイギリスにおける自然概念に関わり、そこから自然状態の考え方が出てきたとは言ってもよいだろう。背理的に言うなら、べたなキリスト教であれば自然状態とは楽園の追放そのままであるだろうから。
 かくして自然状態という方法論が科学的に設定されることで、諸学が起源論を、キリスト教から独立して展開するようになる、どころか、学がイコール起源論になってしまった。現在に至る法学の元の社会哲学がそうだし、マルクス主義にも混入している(べたなところで貨幣の起源論とか)。
 ルソーの言語起源論は今も読み継がれるが、言語起源なども言語学としてよく議論された。進化論も人間起源論の亜流なのだろう。
 というあたりで、ふと起源論とはくだらないものだなと歎息し、近代合理主義やそこで形成される国家というものも起源論に呪縛された悪しき一例なのだろうなと呟く。が、さて、このあたりはちと話が勇みすぎたか。

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