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2007.04.28

イラク情勢と米国の関わり現況メモ

 イラク情勢と米国の関わりについてだが、さて、どういうタイトルにしたものか悩む。なので適当に付けておく。とりあえず話のきっかけは、米国でイラク撤退法案が上・下院で可決したことだ。一応ニュースだが、下院については、二六日付け読売新聞”イラク撤退法案、米下院で可決”(参照)より。


米下院は25日夜(日本時間26日午前)、イラク駐留米軍の撤収を10月1日までに開始し、来年3月末までに戦闘部隊の撤収を完了するとの条項を盛り込んだ総額1240億ドルの補正予算案を、218対208の賛成多数で可決した。

 上院については、二七日付け日経新聞”イラク撤退法案、米上院も可決・大統領、拒否権行使へ”(参照)より。

米上院は26日の本会議で、イラク駐留米軍を来年3月末までに撤退させる条項を盛り込んだ補正予算案を51対46の賛成多数で可決した。

 今後はどうなるかだが、民主党はこの法案を五月一日にホワイトハウスへ送付し、四年前の空母エーブラハム・リンカーン艦上「勝利宣言」をくさす、と、しかし。

 大統領が拒否権を行使した後、3分の2以上の多数で法案を再び可決すれば、拒否権は覆る。ただ両院での票差はほぼ民主党、共和党の勢力図と同じ構図となっており、撤退期限付きの法案が廃案となるのは確実とみられる。

 ということで、廃案になるのは確実。
 単純に民主党側の大統領選挙を睨んでのパフォーマンスとも言えるのだろうだが、私は、けっこうこのニュースをふーんという感じで聞いた。というのは、こうした切り口で伝えられると民主党はいかにもイラク撤退を急いでいるようだしそれに間違いはないのだが、今回の米議会のドタバタは実際のところ、ここまでの戦費は是認するということなんだな、と。国家の戦争を正当な手順で静止させることができるのは国会による予算の否認だが、日本も太平洋戦争ではそれができなかったものだった。
 問題の核心は戦費ということなのではないか。先の読売新聞ではこうもある。

大統領が拒否権を行使した場合、民主党などは、イラクとアフガニスタンの戦費が不足し始めるとされる6月か7月までに、新たな予算案の採択をめざすと見られる。民主党が再び撤収時期などの条件を盛り込むかどうかは不明。

 民主党としても戦費については微妙に見ているようだし、その行き先はべたな政局や米国民の意識動向にかかっているので、いろいろとメディアもまた騒がしくなるのだろう。
 でだ。
 日本だと特ににネットというかブログとから見るとブッシュや共和党は戦争がやりたくてしかたのない○○扱いされていることが多いのだが、実際のところ米行政側はどうなのか。つまり、民主党フカシやがって、と、いうことでスルーなのか。ということだが、どうも、実際のところ共和党やブッシュの本音もそれほど民主党の考えと変わってないような印象を受ける。つまり、実際上来年の春には全面ということではないにせよ撤退の道を進み始めるのではないか。
 そういう印象を持ったのは、一九日のゲーツ米国防長官のイラク訪問に関連してだが、この報道について、少し首をひねることがあった。一例として一九日付け時事”米国防長官、イラク訪問”(参照)だが、事実の記述の後、こう締めている。

 イラクでは18日にバグダッドで200人近くが死亡するなど、大規模テロが多発している。こうした状況を踏まえ、2月に開始された武装勢力掃討作戦の進ちょく状況などを検討したとみられる。

 ただのクリシェなのか。比較に二〇日付け朝日新聞”ゲーツ米国防長官、イラク訪問”(参照)はAPをべたに引いている。

 AP通信によると、ゲーツ長官はイラク訪問に先立ち、記者団に対して、米国の軍事介入が無期限ではないことをイラクの指導者に改めて警告する、と言明。政治的和解と石油収入の分配を巡る法整備を加速させれば、指導者が協力し合っている姿を国民に示すことができる、とも述べた。

 時事と比べると報道のトーンが違う。が、朝日新聞が独自の見解を出しているわけではない。この点二十日付けCNN”米国防長官がイラク訪問、自助努力を求める”(参照)がより詳しい。

 ゲーツ長官はイラク指導者らへの警告として、米軍の関与が無期限に続くわけではないことを強調。「時間は押し迫っている」と述べ、イスラム教シーア派、スンニ派とクルド人の間の和解や石油収入の分配を定めた法の整備を「できるだけ速く」進めるべきだと語った。また「法が成立しても状況が即座に変化するわけではないが、やり遂げることによって、協力しようとする姿勢が伝わる。その結果として、暴力を抑える環境が作り出されるはずだ」と述べた。
 ゲーツ長官がこれまでになく強い口調でイラク側の努力を促した背景には、駐留期限設定の是非をめぐる米議会での攻防がある。

 読みようによっては、戦争を引き起こしておきながら米国はもう知らんからなと、さすがのご意見無用、という印象もある。が、好意的に見ると、イラク人に対して、やる気になれば君たちで出来るんでないの、ということでもある。そして、その背景にはやはり米軍のかなりの規模の撤退が含まれているのではないか。
 日本では何かと内戦として報道されるイラク情勢だが、ゲーツがほのめかしているように、イラク内部協調でなんとかなるのだろうか?
 このあたりが微妙な状態になっているようだ。補助線的にはイラク現政権のシーア閣僚辞任をどう見るかということがある。ニュースとしては一六日付け産経新聞”サドル師、6閣僚に辞任指示 米軍撤退日程めぐり反発 ”(参照)があり、ここではサドル・フカシ説をフォローしている。

ただ、これでマリキ政権が崩壊する可能性はなく、サドル師は米軍撤退開始後をにらみ、シーア派世論の主導権を握るためのパフォーマンスに出たとの見方もある。

 ニュースでは触れてないが閣僚は辞任しても議員は辞任していないことからも、サドル側のパフォーマンスだろうし、米軍撤退後を睨んだ計画的行動と見てよさそうだ。加えて、次の指摘は重要だろう。

一方、首相はシーア派少数会派やクルド人勢力を集めれば国会の過半数を維持できるうえ、サドル師派の政権離脱という“揺さぶり”を、米国からいっそうの支援を引き出すテコにできるとのうがった見方がある。

 これらは各見解に過ぎないのだが、ちょっと強引にまとめれば、いろいろ言われているほどにはシーア派側の反発は強くなく、であれば、あとはマリキ政権としてはクルド人とスンニ派をどうまとめるかにかかっている。クルド人の問題にも根深いものがあるが、当面の問題は「内戦」とされるスンニ派とシーア派であるとすると、大筋で妥協の線がどう見えるかということになる。
 サドルのフカシからシーア派についてはある限界があるとすれば、後はスンニ派の問題になるのだろう、となんとなく想定していたのだが、ゲーツのイラク訪問先ファルージャについて、安定しているという話を先日ラジオで聞いて、え?と思った。
 日本語のウィキペディアにはファルージャの項目があるが、〇四年までの話しかない。英語版を見るとその後の推移の記述もあり、特にCurrent situation(現状)について興味深い指摘があった(参照)。

By Summer 2006, it was reported that Fallujah had become relatively peaceful, by contrast to the rapidly deteriorating situation in the rest of the volatile Al-Anbar province.[8] The security measures that had been introduced to prevent mass re-infiltration by Sunni rebels or Al-Qaeda elements had proven effective[citation needed], though a significant fraction of the population of the city was lost as refugees fled from the activities of Operation Vigilant Resolve and Operation Phantom Fury.[citation needed]

 [citation needed]が多いので不確か情報ともいえるのだが、これによるとファルージャは relatively peaceful とある。もちろん、異論が多いのだろうし、異論を煽りたいわけではないのだが、全体の流れを見ても、意外と単純に受け止めてよいようにも思える。であれば、スンニ側でも妥協のラインが見え始めているのではないか。

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2007.04.27

北朝鮮核施設封印合意を頓挫させた「送金」問題って何?

 北朝鮮の核施設封印合意が現状いったいどこに進んでいるのか私はさっぱりわからない。もともとこんな合意そんなに意味がないということかもしれないが、わからないのは私ばかりってこともあるかもしれないし、誰か教えてくれるかもしれないので、何がわかんないのか、少し書いてみよう。ただ、たらっと書くのでご関心のあるかたはお読みください的な話になる。
 話の切り出しは一五日付け朝日新聞社説”北朝鮮の核 早く合意の実行に戻れ”がよいだろう、というか、この時点までは私もふーん、そうなるのかねと思っていたからだ。


 本来なら昨日までに、北朝鮮の核施設は封印されているはずだった。2月の6者協議でそう合意されていたのに、第一歩からつまずいたのは残念である。
 ただ、幸いにも基本的な合意は崩れていないようだ。北朝鮮は核施設を停止・封印するという約束を実行すべきだし、日本や米国など関係国は忍耐強く働きかけを続けなければならない。

 それが一五日のことであった。それから何か?
 朝日新聞社説が「つまづき」としているのは次のことである。

 このつまずきの原因となったのは、北朝鮮がマカオの銀行に持つ口座の凍結解除問題だ。米国と北朝鮮の間で話がつき、口座にある2500万ドルは北朝鮮に戻されることになったが、技術的な問題から凍結解除の作業が滞った。

 「技術的な問題」って何だ?というのは後で触れるかもだが、要するに中国のことか。

 そうではありながらも、米国は凍結の全面解除を認めた。ここは金融面で北朝鮮に譲ってでも、核問題で何とか前に踏み出したい。そういう政治判断があってのことに違いない。私たちもそれが現実的な選択だと思う。

 このように中国様、違った、朝日新聞社説も米国の態度に賛同している。なにせ朝日新聞にしてみると何かと悪いのは米国だし。

 05年9月の口座凍結以来、反発した北朝鮮はミサイル発射や核実験にまで突き進んでしまった。偽ドル札などを取り締まるための「法執行の問題」という米国の立場は理解できるにせよ、あまりに大きな代償だった。

 あれです、犬が噛みついたら噛みつかれたほうに非があるものなのである。
 いずれにせよ、マカオの銀行バンンコ・デルタ・アジアにある北朝鮮口座の凍結というのは、北朝鮮にとってミサイル発射や核実験をさせてしまうほどの逆鱗だったわけである。
 というのだが、さて、そのカネの合計はというと、2500万ドルだよ。日本円にして三〇億円。ホリエモンのポケットマネーくらいじゃないの。なんでそんな額に大騒ぎするというかそんな額だったらまたまた中略で手に入るはず。
 そのあたりがよくわからんだった。
 のだが、今日付産経新聞黒田御大御署名記事”BDA 金総書記直結 権力中枢名義32口座判明”(参照)によると。

 北朝鮮問題で関心を集めているマカオの金融機関バンコ・デルタ・アジア(BDA)をめぐって、北朝鮮が同行に開設している口座52のうち32の名義が初めて明らかになった。銀行9行と貿易会社23社で、ほとんどが金正日総書記の資金管理をしている「39号室」や人民武力省、国家保衛省、党軍需工業部、党統一戦線部など権力中枢につながっている。
 これは韓国の有力ジャーナリスト、趙甲済・前「月刊朝鮮」編集長が亡命者情報から判明したとして26日、自らのホームページで伝えている。
 BDAは北朝鮮関係の取引額が全体の22%を占めていたとされるが、今回明らかになった北朝鮮の口座名からして、「BDAは実質的に北朝鮮の体制維持のための対外金融窓口だったことを示している」というのが趙氏の分析だ。

 その分析が正しいのかなんとも言いようがないのだが、仮にそうだとすると、北朝鮮の口座というより、金さんとその仲間たちのポケットマネーのプライベートな口座ということではないのか。約五〇口座に三〇億円というのもそう驚くほどでもない。
 話を少し戻す。いずれにせよ、バンコ・デルタ・アジアの凍結は朝日新聞が賛同するように解除されたはず。一一日付け朝日新聞”北朝鮮口座の凍結、マカオ当局解除 米が全面譲歩”(参照)のように標題通り、米国が全面譲歩したはずだ。

 マカオ金融当局者は10日、「口座保有者やその代理人が法に沿った署名を持参すれば、いつでも資金の引き出しや送金をすることができる」と述べ、実質的に凍結資金の全面解除に踏み切ったことを明らかにした。
 米政府はBDAを北朝鮮との関連で資金洗浄の疑いが強いとする処分を確定させている。だが、「表向きは資金を合法、非合法に分けない」(マコーマック報道官)として、凍結した北朝鮮関連の52口座計約2500万ドル(約30億円)のすべての解除を受け入れた。

 なのに核施設封印合意はその後もまるで進展がない。なぜか?
 北朝鮮にしてみるとこれでは解除になっていないと言いたいようだ。送金ができないのは困るというのだ。二五日付け時事”資金問題解決には「送金」必要=北朝鮮公使”(参照)より。

25日の韓国の通信社・聯合ニュースによると、北朝鮮の金明吉国連代表部公使は同ニュースとの電話インタビューで、マカオの金融機関での凍結資金問題を解決するためには、凍結解除に加えてほかの金融機関などに資金が送金されることが必要との認識を示した。

 この「送金」というのが私などにはまずよくわからない。たぶん、朝日新聞も先の社説やニュースを見るについ最近までわかってなかったんじゃないか。というのも、この送金話は急に降って湧いたわけではないので想定不可能ではなかったはずだ。一一日付け産経新聞”マカオの北朝鮮口座、凍結解除 名義人に直接返還”(参照)より。

マコーマック米国務省報道官は10日、記者団に対し、マカオの金融機関バンコ・デルタ・アジア(BDA)の北朝鮮関連口座の凍結が全面解除され、口座保有者は資金を引き出せる状態になったと語った。先月19日に米朝で合意した北朝鮮名義の口座への送金ではなく、口座保有者に直接返還する形となった。

 つまり、今回の合意では、当初から送金は想定されていない。
 で、この送金というのはどういうことなのだろう。同記事ではこうある。

 ただ、北京の中国銀行にある北朝鮮の朝鮮貿易銀行名義の口座に一括して送金するのではなく、口座保有者がそれぞれ預金引き出しをできるようにすることになったことで、使途の監視がさらに困難になった。

 いくつかわからないのだが、北朝鮮が送金したい先は中国国内の銀行だったのか、ということ。もう一つは、送金されるカネというのはドルなんでしょ?
 ようするに送金問題というのは、中国がこの問題に絡むのがイヤ、というのと、北の金さんはドルが欲しいということではないのか。
 ラジオで聞いた話では、バンゴ・デルタ・アジアからは実際に北朝鮮は現金は引き出せるが、この現金は事実上香港ドルに限定されているとのこと。このあたりで、ちらと「極東ブログ: 中国様のちょっとした小ネタかな」(参照)を連想する。
 さらにこの背景に、米国は一八日バンゴ・デルタ・アジアと米国の金融機関の取引を禁止したことがある。バンゴ・デルタ・アジアは米ドル決済が一切不能になっている。
 そこでまた疑問が湧く。だったら別の国へ送金するという手はないのか。二七日付け朝鮮日報”BDA:来週中に送金問題解決の可能性も”(参照)では可能なようでもある。

北朝鮮は来週中にも、マカオの銀行バンコ・デルタ・アジア(BDA)にある、凍結措置を解除された北朝鮮口座の資金を2つの口座にまとめ、第3国の銀行に送金する方針であることが26日分かった。韓国政府関係者らによると、北朝鮮の代表団はBDA側と送金問題について協議を行っており、米国は送金手続きを支援するための準備を進めている。

 また、二五日付けのYONHAPNEWS”送金確認後に合意履行、関連国が意見まとめる”(参照)ではこうある。

 現在北朝鮮とBDAは、東南アジアの銀行などと凍結解除された北朝鮮資金2500万ドルの送金方法を協議している。ある銀行と送金合意を目前にしているとみられるが、この銀行は北朝鮮資金を扱っても不利益を受けないという米財政当局の署名覚書を求めているもようだ。米国はこれに対し、北朝鮮資金の送金を受ける外国銀行に対しては問題を提起しないという立場を示している。米銀行とBDAの取引禁止措置は維持するとしている。

 よくわからないが、当初朝日新聞が楽観視したように、送金手続きの問題ということでこのどたばたは終わるのだろうか。
 もう一点、米国は今回の北朝鮮による送金ドタバタ騒ぎを事前に想定したのか?だが、これもよくわからない。ニューズウィーク日本語版(5・2/9)”割れ窓だらけの米朝合意”によると、今回の合意を推進していたのは国務省だが、一八日のバンゴ・デルタ・アジア制裁を発動したのは財務省だった。しかも、その根拠は愛国法によっている。
 国務省と財務省の足並みの悪さについてはその背景を考えるとさして不思議でもないのだが、制裁根拠が愛国法だったのかというのは、ちょっとへぇと思った。米国の愛国法って北朝鮮にとってこういう面でまずい存在だったのか。
 以上、話がもわっとしているのだが、この関連のニュースがどうもわからない。特に日本のニュースからは見えてこないように思える。

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2007.04.26

[書評]脳が冴える15の習慣 記憶・集中・思考力を高める(築山節)

 特に気になる時事話題もないようなので、なんとなく昨日の続きっぽくマインド・ハック系の本の感想など。そうだな、「脳が冴える15の習慣 記憶・集中・思考力を高める(築山節)」(参照)が面白かったか。ところでNHK出版って新書も出していたのか。

cover
脳が冴える15の習慣
記憶・集中・思考力を高める
築山節
 脳が冴えない私としては「脳が冴える15の習慣」を身に付けたいと思うのだが、ざっと小飼弾さん風に目次的にリストするとこんな感じでチョーチョーチューショー的。

  • 習慣1 生活の原点を作る
  • 習慣2 集中力を高める
  • 習慣3 睡眠の意義
  • 習慣4 脳の持続力を高める
  • 習慣5 問題解決能力を高める
  • 習慣6 思考の整理
  • 習慣7 注意力を高める
  • 習慣8 記憶力を高める
  • 習慣9 話す力を高める
  • 習慣10 表現を豊かにする
  • 習慣11 脳を健康に保つ食事
  • 習慣12 脳の健康診断
  • 習慣13 脳の自己管理
  • 習慣14 創造力を高める
  • 習慣15 意欲を高める

 リストからはなんだかさっぱりわからないが、各習慣についてはわかりやすいリードと、章毎に太字にした数行のまとめがあるので、気になる人はそのあたりを立ち読みして、へぇと思ったら買って読んでみてはどうだろうか、という感じかな。
 この手の本は誰か書評をブログに書いているだろうなと思ったら、意外に、と言ったらアカンか、JANJAN”今週の本棚・『脳が冴える15の習慣』を読んで”(参照)があった。いわく。

 私も、毎日パソコンを使って仕事をしています。PCのディスプレイ見つめ続けると、頭がぼうっとしたり思考が堂々巡りに陥ったりすることがあります。脳を元気に働かせるために提案されている「15の良い習慣」は、難しいことではなく、すぐにでも実行できそうな事柄です。自分に足りない部分を強化するためにも、手離せない1冊になりそうです。

 とのこと。そっかぁ?
 いやね、私はこの本を途中で放り投げようかと思ったのですよ。こりゃ、無理だわ、と。習慣6思考の整理、とのところなのだが、リードは、忙しいときほど「机の片付け」を優先させようだ。それができたらいいのになである。これはあれです、奥さんが高橋陽子先生か、近藤典子先生か、というくらいの違いがあります(もちろん解説するまでもなくそれはギャグですし詳細な説明は不要でしょう)。
 しかし新書だし適当に読み進めるとして読んでいくと、なかなかオツなご指摘がある。

 ところが、世の中にはうらやましいほど要領の良い人たちがいて、比較的初歩的な仕事であれば、そんな整理をしなくても、直感力と応用力の高さで何となくできてしまう。学生時代で言えば、計画的に勉強しなくても試験では結果を出せるようなタイプです。そういう人たちは、整理しない分仕事が速いので、若い頃には優秀に見える場合があると思います。
 しかし、そういうやり方が通用するのは、はっきり言えば、若いうちだけです。

 うっ、これは痛いところを突かれたな。
 というわけで、脳が冴える15の習慣というより、これから老いる脳が対処すべき15の習慣ということかと納得。というか納得する年齢になってしまったしなオレ。
 なので、若くて切れる人にはあまり用のない本か、というと、後半、え?と思うエピソードがあった。若い人にも重要かもである。
 著者の外来に一流の大学院を出て有名企業に就職した三〇歳の独身女性が来たというのだ。英語も堪能らしい、というあたりで、私はれれ?と思った。脳神経外科専門医にして臨床医になぜ? そのあたりが読者の私にはよくわからない。脳機能障害があるとして回されたのだろうか。本の話を読む限りでは彼女はビジネスでとても大きなミスをしたことがきっかけだというのだが、それで脳神経外科?
 まあ、それはいいとしても、確かにこの女性はエピソードを読む限り変。

 しかし、私は彼女の話を聞いていて、問題があると感じました。
 あまりにも完璧主義な上、愚痴が多いのです。
 たとえば、仕事のことについて尋ねると、自分がいかに向上心を持って働き、同僚にはできない仕事をしてきてか、それなのに会社はわかってくれない、そもそも上司は英語を話せないから……という話が続きます。脳機能検査で、日本語で思考する能力にやや問題があると感じたので、新聞のコラムの書き写しをお願いしたところ、
「そんなことをしても意味がありません。英語でやっていいですか?」
という答えが返ってきました。

 私はこーゆー人をこれまで数人いやもっとかな、会ったことがある。仕事もしたことがる。ある種の典型的な社会適応の失敗例ではないかなというくらいにしか思わない。
 それはそれとして、臨床医でもある著者は彼女に、写真教室に通うことを勧め、これが功を奏する、という話になる。なぜ写真教室? 写真教室なら目を使う、体を使う、いろいろなタイプの人に接するというメリットがあるらしいのだが。

 そして何より大事なのは、写真教室では、一流大学を出ていてようと、有名企業に勤めていようと、彼女はいちばんの初心者で、周りには先生や先輩ばかりがいるということです。こういう環境に身を置いていれば、できない自分を人に見せることになりますし、彼女の小さな成長を周りの人が積極的に評価してくれることでしょう。その中で良い人間関係の在り方を体得し、人を誉める機会も増えることを私は期待していました。

 なるほどね。というか、これを読んで私はけっこうそういう異分野の学習をやってきたことを思い出した。というか今年も二、三チャレンジしてみるつもり。こういう新しい分野の学習とその人間関係は確かに良い面が多い。悪い面もあるんだけどね。
 自分が得意ではないものを学んでいくと、自分の学習ストラテジーというかメタ学習のパターンが見えてくるので、これはけっこう面白いものだ。
 ところでこの話だが意外なオチがあった。彼女は写真教室がきっかけで結婚したそうである。ああ、そういうのあるかもねというか、そういうのっていうのは……以下略。

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2007.04.25

[書評]脳は意外とおバカである(コーデリア・ファイン )

 「脳は意外とおバカである(コーデリア・ファイン )」(参照)をなんとなく読んだ。翻訳がこなれていないとも思わないのだが、この手の日本語の類書は改行が多く日本人ライターによる甘口で通常読んでいるせいか、多少読みづらい感じがした。英国風のウィットとかもふふと微笑むにディレイがかかったりする。

cover
脳は意外とおバカである
コーデリア・ファイン
 話は日本語の標題がある意味よく表現しているように、脳というのは意外とおバカなものだなということだが、つまり、自分の脳というのはそれほど賢いものではない、というか、人間の脳は人間が想定しているほど賢くないということを、主に心理学的なファクツを元に叙述している。
 訳者後書きがなかなか上手な釣りになっていて、つまり本書を読むとこういうことがわかるのだそうだ。まあ、そうかな。

  • 病気のリスクがこれほど喧伝されているのに、なぜ禁煙できない人が多いのか。
  • なぜ不幸な被害者を責め、批判してしまうのか。
  • 別れたくない相手に「もう私を愛してないの?」と聞いてはいけない理由。
  • ある人が自分に対して敵対的な行動を取る本当の理由。
  • ダイエットが続かないのはなぜか。
  • どうすれば意志の力は鍛えられるか。
  • 性差別的広告は、本当に悪い影響を及ぼすのか。
  • 人種偏見がなくならないのはなぜか。

 うーむ、一読後、きちんと正解ができそうにないので、もう一度読み直してみるかなという感じもするし、これってなんとなく、「ダメな議論 論理思考で見抜く(飯田泰之)」(参照)と似てる感じもするが、論理思考のマシンである脳がこの程度のものだ、よって、ダメな議論は無くならないということを納得するのにもよいかも。
 本書はプレゼンテーターとかマーマーケッターとかマーライオンとかその手の人とっては使えるネタがいろいろあるかと思う。ちょっと補足すると、エピソードとしてのネタもそうだが、ドクター・トマベチ的にもなれそうな絢爛な用語も使えるったらない。レトロアクティブ・ペシミズムとかセルフ・ハンディキャッパーとかテラー・マネージメント・セオリーとかフェイディングアフエクトとかディパーソナリゼーションとかオニオンスープとかプライミングとかポジティブ・テスト・ストラテジーとかカプグラ・シンドームとかビリーフ・ポラリゼーションとかメンタル・バトラーとかアイロニカル・プロセス・セオリーとかハンドメイド・マトリョーシカとかシークレット・ディレクターとかとか。
 ただ、この手のマインド・ハック好きの人にとってはそれほどはっとするような話はない。基本的に実験心理学をベースにしているせいか理論の枠組みにそれほどバラエティもないのだから結論もそれほど新規ではありえず、どちらかというとどのくらい常識とコントラディクトリーでありコントロヴァーシャルであるかという、フツーの日本語話せってばみたいなものである。
 いや、一つだけ、考えさせる実験があった。「第7章 脳は意志薄弱」にあるのだが。ちょっと設定がややこしいのでよく読んでほしい。対照群は二つあり、まず一方には、あなたの性格では将来の孤独(絶望)が待ち受けると思い込ませる。

 ある実験では、人の気分を害する新しいテクニックを用いた。性格検査を学生に受けさせ、嘘の分析結果を本人に伝える。ある被験者には、将来、人から嫌われ、貧しく孤独な生活をおくるタイプの性格であると告げる。「今は友人や恋人がいるかもしれないけど、二〇歳代半ばには、みんな離れていきます。結婚も一回、ないしは何回かするかもしれませんが、短期間で終わります。結婚生活が三〇代まで続く可能性は低いでしょう」被験者からすると、一人寂しく暮らすアパートで、死後一週間たって腐りかけたところを家主に発見される言われたに等しい。

 これって言うまでもなく、現代日本の若い人、というよりいわゆる失われた世代の人々に対して、日本社会やメディアが説いていることに似ている。しかも、結婚一回できたらいいじゃんくらいな言い方が日本ではされる。
 さて、もう一群はこう。同じく、将来不運や事故が来ると信じ込ませる。

他の被験者には、違ったタイプの不幸に見舞われることを匂わせる。将来、非常に事故にあいやすく、手足をよく折ったり、何度も車に轢かれたりするだろうと予測する。言ってみれば、笑えないドタバタ人生が待っているということだ。

 かくして、二群に暗い将来を信じ込ませる。一方は将来孤独、一方はそれ以外の不幸がやってくると科学的を装って信じ込ませるわけだ。このエントリでは、前者を将来孤独群、後者を将来不幸群としておこう。
 実験は次の段階に進む。詳細は省略するが、ヘッドフォンによる聞き取り作業で注意力がどのくらいあるかという単純なテストだ。結果はどうかというと、将来不幸群のほうは注意力が維持されるのに対して、将来孤独群のほうは注意力が失われた。

孤独な人生をおくると予想を聞かされた被験者の出来はさんざんなものだった。

 著者は疑問を投げかける。

 将来、社会的に疎外される可能性があるという予測によって、なぜ注意力をコントロールできなくなるのか(そして違ったタイプの不幸ではそうならないのか)不思議に思った研究者たちは、孤独な将来を予測されて悲しい気分になったことで、意志の力が乱されたのではないかと考えた。ところが気分の評価をするための質問表(すべての被験者が、ヘッドホンをつける前に答えている)への回答では、将来の孤独に脅かされている被験者の気分は、他の被験者とそれほど変わらないことが示された。ということは、人から愛されない人生をおくると告げられたことで聴き取り作業に集中できなかったのは、気分が落ち込んだからだという理論は成立しない。

 気分が落ち込むと注力がなくなるというのではなく、将来孤独になるという意識が注意力を散失させるというのだ。むしろ、ある種の思考の合理的な結論なのだろうし、これが脳の正常な機能なのだろう。
 この本ではこの先、私にしてみると奇妙なチープトリックのような解決策を実験している。フーコー思想などを連想させるものがあり興味深いのだが、ここでは省略。
cover
A Mind of Its Own
Cordelia Fine
 基本的に本書は実験心理学をべースにしているのだが、「どうすれば意志の力は鍛えられるか」については、女性の著者の父親のエピソードが書かれているだけだ。たぶん、そこは洒落なんだろう。哲学者でもある彼女の父親は世俗のことや雑事に関心を持たないからその分意志をセーブして哲学を推進できたというのだ。
 あれ? ファインという有名な哲学者っていたか? その娘さん? というあたりで、コーデリア・ファイン(Cordelia Fine)という名前をあらためて見て、うひゃ、実の娘にCordeliaって付けるのは、さすが英国風の哲学者だなとうなった。

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2007.04.24

マインドフルネスとしての仏教

 先日のエントリ、「極東ブログ: 仏教の考え方の難しいところ」(参照)関連の補足というか余談のような話だが、きっかけはこのエントリにコメントしていただいた、dankogaiさんの404 Blog Not Found”書評 - 仏教は心の科学”(参照)である。私の該当エントリの問い掛けについて、こう答えられていた(余談だが、実は私が想定していたのは輪廻に関連したことであったのだが)。


本書はこういう疑問を抱く人のために書かれたのだから。

本書「仏教は心の科学」は、スマナサーラ長老の法話集。と書くと、最近とみに増えてきた「Yet Another 仏教本」という印象を受けるかも知れないが、「元祖仏教」、いやブッダの言葉は実に

404 Blog Not Found:ブッダ―大人になる道

実に単純で明快で痛快
なのである。


cover
心ひとつで
人生は変えられる
ダニエル・ゴールマン
 として、スマナサーラの著作を「仏教」ないし「元祖仏教」として紹介されている。まあ、その点やこのエントリについて仏教論を展開する必要はないと思うが(参考:極東ブログでの「仏教」関連エントリー検索)、おそらくdankogaiさんは、先のエントリで引いた「心ひとつで人生は変えられる(ダニエル ゴールマン)」(参照)をお読みになっていないだろうと思ったので、この機会に少しマインドフルネスとヴィパッサナー瞑想について触れておいてもいいかもしれない。このところのエントリでなんとなく重なる部分もあったからだ。
 まず、「心ひとつで人生は変えられる(ダニエル ゴールマン)」だが、この第六章「マインドフルネスが生き方を変える」で、マインドフルネスないしマインドフルネス瞑想について触れられている。これは、スマナサーラ長老らが提唱というか指導しているヴィパッサナー瞑想から展開されたものだ。なので、とりあえずこの部分までの補足をすると、「心ひとつで人生は変えられる(ダニエル ゴールマン)」についてはもっと総合的に理解されてもいいし、ヴィパッサナー瞑想についてダライ・ラマがどのような関心を持っているかも興味深いものがある。
 なお、同書第六章「マインドフルネスが生き方を変える」だが、私が知る限りだが、マインドフルネス・ベースト・ストレス・リダクション(MBSR:Mindfulness-Based Stress Reduction)について日本語で読めるもっとも詳しい解説になっている。
cover
ヘルシーエイジング
アンドルー・ワイル
 MBSRについては「極東ブログ: 五十歳かあ」(参照)で触れたワイル「ヘルシーエイジング」(参照)にこのように紹介されている。

 仏教心理学もまた、われわれの注意を選択の可能性にむけてくれる。古い習慣を捨て去り、新しい習慣を身につけるべく訓練することでによって、それは生起するできごとの意味を変え、大いなる自由を経験するための手助けとなるものだ。仏教の伝統に学んだ瞑想法のひとつ、「マインドフルネスベースト・ストレスリダクション」(MBSR)を医療に導入して、慢性疾患の改善、生の質の向上、現代医学では治療できなかった症状の解消などに成功してきた例を、わたしは目撃してきた。
 MBSRは原因はなんであれ、慢性疼痛にたいしてとくに有効である。その瞑想法を学び、実践していくほどに、患者は身体的感覚の解釈における自由度が高まってくるのを実際に経験する。

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ブッダの瞑想法
ヴィパッサナー瞑想の
理論と実践
 ヴィパッサナー瞑想については、ネット上にもリソースが多いが、スマナサーラ長老によるもの以外では「ブッダの瞑想法 ヴィパッサナー瞑想の理論と実践(地橋秀雄)」(参照)が実践的な指針としてはわかりやすい。
 実際上西洋人化している日本人にとっては、元のヴィパッサナー瞑想よりMBSRのほうが有効かもしれないが、なかなかそうした指導を受ける機会はないだろう。

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2007.04.23

nanacoな世界

 朝飯とチョコレートをセブンイレブンに買いに行って、そうだ、今日はnanacoだったなと思い出し、受け取った。nanacoについては、と下手な解説を書く前にウィキペディアを覗いたらあった(参照)。


nanaco(ナナコ)は、株式会社セブン&アイ・ホールディングス(以下「セブン&アイHLDGS.」)が2007年4月23日に導入する予定の非接触型のICチップを搭載したプリペイド方式の電子マネーである。 非接触 ICカードに、前払い(プリペイド)方式と後払い(ポストペイ)方式の 2つの電子マネーを同時搭載するのは世界初となる。

 ちょっとわかりづらい。
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新しいお金
電子マネー・ポイント
仮想通貨の
大混戦が始まる
 ようするに電子マネーだ。ちょっくらセブンイレブンに朝飯買いにいくべというとき、「えっと千円札はあるかな、小銭は?」みたいに心配しなくてもいいということだろう、たぶん、きっと。
 先日のPASMO(参照)なんかと似た感じの昨今の非接触型決済っていうのだろうか、技術的にはFeliCaらしい。ただ、ちょっと実感としてはnanacoとPASMOは感度が違うような印象はもった。PASMOはすでに売れ切れというか在庫ない状態になってしまっているそうで、これもけっこうへぇ~ものだった。消費が低迷しているとかいうけど、それってもしかして電子マネー化の遅れかもという印象すらもった。ちなみに、PASMOってSuicaとコンパチで、PASMOとまったく同様にチャージできんのな。
 で、nanacoなんだが、へぇ、これかと思っているうちに不安になった。チャージしてあるカネがどのくらいか外から見てわからない。「これってここで勝手に残量がチェックできるんすか(タメ口)」とお姉さんに聞いてみると、そうではないみたいだ。このあたりよくわかんないけど、ようするに何か買ったときに残量をある程度覚えておけよかもしれない。ちょっと不便だな、というか、すでに脳裏に「お客さん、このnanaco空っすよ」とか言われそうだ。いや、そんなタメ口はないな。タメ口が似合いそうなお兄さんもけっこう丁寧な言葉でしゃべっているし、セブンイレブン。
 便利なんかコレと再考してボケっとしていると、店員がポイントが貯まってお得ですよとツッコミ。百円で一円分のポイントでしょ、んなものと、へへへとか微笑んで、ロッテ贅沢ストロベリー・チョコレートを買って帰りつつ、いや、このポイントっていうのはあれだな、マイナス消費税的だよなと思った。
 そういえば消費税話題が減った。選挙前だからか。いや読売新聞社説だったか毎日新聞社説だったかその双方だったか数日前ぶちあげていたみたいだが、いずれにせよこの雲行きで消費税アップはないっしょ。あって今の五%から七%と二%。つうことは、こうしたnanacoみたいなので囲い込めば、実質消費税は総体で一%は下がることになるんじゃないか、っていうか、民活が事実上、消費税を下げているような感じがした。そういえば、最近デニーズでよく飯を食うけど、コレ、nanaco使えんのか?と調べると、秋頃にはそうなるらしい。ほいで、その前に、クレジットと連動するらしい。ほぉっていうかほぇというか。
 話がずるずると連想モードになるのだが、沖縄で暮らしているとき、米兵と買い物に出るとなんか財布のようものにクーポン券みたいのをごっそり持っていて、なんだそれ(英語)と聞いてみて、クーポン券だと知り(クーポン券とは言わなかったような)、いろいろ話を聞いてみた。基地内のショップだとクーポン券の威力がかなりあるらしい。そういえば米国のショップで通販すると今のうちにポイントを使えとかうるさい。いや、楽天もそうか。
 つうあたりで、このポイントだのクーポンだのってなんなんだと考えたが、よくわからない。アマゾンでも最近付いていることを知った。これ、あれです、アフィリエイトで買っても付きます。
 アマゾンのポイントっていうのは、商品によって一律かなと見て回るとそうでもない。どういうからくりなっているのかよくわからないが、これって、つまり、アマゾン的には再販制度なんかプチ壊し(petite destruction)か。
 よくわかんないが、なんか自分の生活が比較的少ない系列のショップで囲まれている感じはあって、でもそれがとても快適で、なんかもう自由なんて小銭勘定みたいなことどうでもいいやって感じになってきてとても幸せ、っていうのなんだろうか。

追記
 残金状態については、昨日分までということなら、Webで確認できるみたいだ。

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2007.04.22

仏教の考え方の難しいところ

 「仏教と大量殺人」というタイトルにしようかと思ったが、不用意に刺激的なのでいい加減なタイトルに変えた。たぶん普通の日本人は仏教は不殺生の宗教なので、大量殺人を教義的に許容することなどありえないと考えるのではないか。実際夏安居などはジャイナ教かと思えるほどだ。あるいは多少日本史を知っている人なら僧兵や本願寺戦なども連想するかもしれないが、それでも仏教の教理において殺生を是とする考えがあるとは思わないだろう。しかし、子細に仏教を検討していくとそうとばかりもいえない。
 歴史的に興味深いのは北魏における大乗の乱だろう。なぜかウィキペディアに項目がある(参照)。


大乗の乱(だいじょうのらん)とは、中国北魏の宗教反乱であるが、人を殺せば殺す程、教団内での位が上がるという教説に従った殺人集団であり、その背景には弥勒下生信仰があるとされる。


515年(延昌4年)6月、沙門の法慶が冀州(山東省)で反乱を起こし、渤海郡を破り、阜城県の県令を殺し、官吏を殺害した。法慶は自らを「大乗」と称した。 それより先に、法慶は幻術をよくし、渤海郡の人であった李帰伯の一族を信徒とし、法慶が李帰伯に対して「十住菩薩・平魔軍司・定漢王」という称号を与えた。その教えでは、一人を殺すものは一住菩薩、十人を殺すものは十住菩薩であるという。また狂薬を調合し、肉親も認知できない状態にして、ただ殺害のみに当たるようにさせた。

 殺人者をもって菩薩とするなど日本人の仏教観からすればありえないだろうし、そのような観点からこの宗教はそもそも仏教なのかという疑念すら持つだろう。確かにその疑念の余地はあるのだが、この事件は必ずしも後の仏教徒にとって忘れ去られたわけでもなさそうだ。
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性と呪殺の密教
怪僧ドルジェタクの
闇と光
正木晃
 またチベット密教では、敵対者を呪法によって殺害することで、文殊の仏国土に往生させるという技法が存在した。この問題については「性と呪殺の密教 怪僧ドルジェタクの闇と光(正木晃)」(参照)に詳しい。日本史なども子細に検討すればある種の仏教徒が呪殺の技術集団であったこともわかる。
 呪殺とはいえ、殺人技法を含んだチベット密教、つまり、チベット仏教とは、どういう仏教なのだろうか。
 チベット仏教とは何かというストレートな問いも立てられるだろうが、その前にそれがいくつかの派に分かれていることを確認しておきたい。「チベット密教の神秘 快楽の空・智慧の海 世界初公開!!謎の寺「コンカルドルジェデン」が語る(正木晃、立川 武蔵)」(参照)などを読むとわかるように大きく四大宗派に分かれている。

 現在チベットには四つの大宗派が存在している。ニンマ派、カギュー派、サキャ派、そしてゲルク派である。
 チベット仏教の歴史は、古代チベット(吐蕃)王国による仏教庇護の中断および王国滅亡を境に、前後二期に分かれて考えるのが常識となってきた。九世紀中頃以前を「前伝期」、十世紀後半以降を「後伝期」と呼んでいる。
 前伝期にインドの公式言語であったサンスクリット語からチベット語に翻訳された密教経典を「古訳」、後伝期になって翻訳された密教経典を「新訳」と分ける。「古訳」を奉ずる宗派をニンマ派(古派)、「新訳」を奉ずる宗派をサルマは(新派)と称して区別している。したがって、四大宗派は、まずニンマ派とそれ以外のサルマ派とにわけることができる。

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チベット密教の神秘
快楽の空・智慧の海
世界初公開!!謎の寺
「コンカルドルジェデン」
が語る
正木 晃、立川 武蔵
 同書では、各は次のように特徴付けている。

  1. 庶民支持が強いニンマ派(派としての統一性はあまりなく、一人一派ないし一寺院一派的な傾向が強い。
  2. 密教色の強いカギュー派。(カギュー派の修行法は多岐にわたる。その中心にすえられているのは「大印契(マハームドラ)と呼ばれる観相法。しかし、これもまたその内容については諸説ある。
  3. 戒律の厳しいゲルク派(全チベットの代表者として有名なダライラマは、このゲルク派の法主であり、ゲルク派が現在チベット最大の宗派なのである。
  4. 中世チベットに君臨 サキャ派(現在でもインドの首都ニューデリーの北に位置するデラドゥンに、コン氏本家の末裔がチベットから亡命し、サキャ派を率いている。

 ここで「極東ブログ: [書評]中沢新一批判、あるいは宗教的テロリズムについて(島田裕巳)」(参照)を連想する。同エントリで扱った同書で、著者島田は「虹の階梯―チベット密教の瞑想修行(ケツン・サンポ、中沢新一)」(参照)がオウム真理教からアレフ、さらにその後の継承集団に影響を与えていると見ているが、この中沢の言うチベット密教はそこに描かれる彼のチベットで修行からニンマ派を指しているとしてもよいだろう。中沢がどの程度ニンマ派の教説を習得したかについて、島田は興味深い、中沢からの私信を明かし、こう述べている。

 手紙のなかで中沢は、はじまったばかりのチベット密教の修行について嬉々として語っていた。もちろん、文面からもわかるように、この段階では、師から教えられた説明をそのままくり返しているだけで、中沢自身も括弧のなかに記しているように、自らの体験にもとづいて修行の体験をつづっているわけではなかった。ただそこには、新しい世界を敬虔していることからくる喜びが素直につづられていた。
 ところが、次の第四信が、最後の手紙となってしまった。そこでは、ニンマ派チベット仏教の最高段階である「ゾクチェン」の戸口に立つまでには少なくとも十数年はかかるということが記されていた。

 「ゾクチェン」の戸口に立つまでに十数年かかるというのはただの事実だろうし、そこに中沢が立つことがなかったことも事実だろう。碩学山口瑞鳳が中沢新一について「実践できたのは、内容的にも掛け出しのニンマの坊さんがやる程度のことだったのではないでしょうか」とコメントしているがそのたりのコメントも妥当のように思われる。
 では、「虹の階梯」とはどのように書かれたのだろうか。島田は考察している。

 ケツン・サンポの講義は、すべてチベット語でなされたという。けれども、チベット語を学びはじめてそれほど年月が経っていない中沢に『虹の階梯』に記されたかなり複雑な事柄がそのまま理解できたのだろうか。実際、彼は、本の「まえがき」で、自らのことを「チベット語の初学者」と呼んでいる。しかも彼は、その間、ずっとネパールにいたわけではなく、日本に戻ったりしていた。そう考えると「弟子の日本語に移しかえたものである」という言い方が気になる。チベット語からの翻訳に携わったのは、実は中沢本人ではないのではないか。当然、そうした疑問がわいてくる。

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Tantric Practice
in Nying-Ma
Khetsun Sangpo Rinbochay
 島田はあるいはこれは翻訳ではなく中沢の著作かとも疑問を呈している。が、ケツン・サンポの講義には英訳本「Tantric Practice in Nying-Ma(Khetsun Sangpo Rinbochay)」(参照)もありその対比も目次レベルだが島田は行っている。
 いずれにせよ島田の指摘を追っていくと中沢からオウム真理教への文脈におけるチベット仏教はニンマ派、ゾクチェンを指すようにも思える。「終末と救済の幻想―オウム真理教とは何か(ロバート・J.リフトン)」(参照)を著したリフトンもオウム真理教にニンマ派の影響を見ている。
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終末と救済の幻想
オウム真理教とは何か
ロバート・J.リフトン
 しかし、オウム真理教はニンマ派を模していたのだろうか? 疑念の筆頭にあるキーワードは麻原彰晃の主題が「マハームドラー」であったことであり、これは先にも触れたようにカギュー派に由来する。単純に考えるなら、オウム真理教はカギュー派の教義からもっとも影響を受けていたと推測できるし、一九八八年に開設された富士山総本部道場のセレモニーにカギュー派カール・リンポチェが参加していることからも、麻原やその系統の教義はカギュー派に直接依っていたのではないだろうか。
 以上実は前振りであって、エントリで触れたかったのは、オウム真理教に影響したかもしれないニンマ派やカギュー派と、現在世界でチベット仏教の権威的な代弁者とされるダライ・ラマのゲルク派の分明である。私の理解が至らないかもしれないが、ゲルク派は、カギュー派から活仏思想を継いでいるものの、ニンマ派やカギュー派的なタントリスムを整理し(事実上棄却し)、より呪術性少なくかつ倫理性の高いチベット仏教となっている。このことは、欧米や日本でも有名な「死者の書」(参照)のニンマ派版とゲルク派「ゲルク派版 チベット死者の書」(参照)の差異にも現れていると言えるだろう。
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心ひとつで人生は
変えられる
ダニエル・ゴールマン編
 さて、チベット仏教という仏教の権威者ダライ・ラマは大量殺人についてどのように考えているだろうか。日本人にも関連するのだが、ダライ・ラマを含めた対談集「心ひとつで人生は変えられる」(参照)で、原爆についてこう言及している。

ロバート・リビングストン 日本への原爆投下のケースはどうなんですか。あの行為をした人たちは、それで一〇〇万人の命が救えるからっていわれてやったんですよ。
ダニエル・ゴールマン あれは菩薩の行為と言えるのですか。
ダライ・ラマ むずかしい判断だが、理論的にはありうる。もしそれが大勢の人の命を救うための行為だったとすればだがね。

 ダライ・ラマは仏教の理論からして、原爆投下が菩薩行たり得ることを可能性として認めている。
 では、観音菩薩の化身とされるダライ・ラマは原爆を肯定しているのだろうか。そうではないのだが、その説明が非常に理解しづらい。

ダライ・ラマ(中略)ボブ、あなたの提起した長崎と広島の原爆投下の問題に戻ると、その行為の善し悪しは、歴史上の一時期ではなく、長期的な結果をみて判断すべきでしょうね。今日世界じゅうに核兵器が拡散している事態をみれば、原爆投下は反倫理的な行為だったと断言できるんじゃないかな。そのときにはよい動機があったかもしれないが、それ以来、さまざまな悪い結果が生まれたことはまちがいないし、恐怖も増大しましたから。

 私はここで困惑する。恐らく日本人の大半も、また仏教徒と呼ばれている日本人も困惑するのではないだろうか。原爆の是非は、その投下時にはわからないというのだ。
 ここには微妙な形で大量殺人の肯定が含まれていると理解せざるをえない、あるいは命の尊厳を算数的に比較する考えがある。
 ダライ・ラマは突然の問い掛けでその場しのぎにそう答えたのではない。彼は、原則をこう説く。強調は本文ママ。

ダライ・ラマ 二つのことを天秤にかけて考えるのです。いっぽうには殺人のようなよくない行為、もういっぽうには状況をのせます。つまり、その状況ではどっちが重要なのをつねに考えるということですね。状況によっては、たとえよくない行為でも、その行為をすれば大きな利益が得られ、行為を避ければ害が生じる場合があります。このバランスの原理は、もっとも基本的な仏教の倫理を解いている律蔵にも説かれているし、菩薩の倫理にも貫かれている。一般原理と状況の二つを天秤にかけて、特定の状況を判断するわけです。(後略)

 そして次の教えは私にはある意味で驚きだったし、仏教を深く考えさせる契機になった。強調は本文ママ。

ダライ・ラマ あなたのみつけた悪い性質や悪徳が、さらにもっと大きな害をもたらす恐れがあるときは、それを抹殺してもいいのです。しかし、ここが重要な点なんですが、それには、大きな害を避けたいという慈悲心が動機になっていなければならないということです。悪徳を消すには暴力に訴えるしかないと悟った場合は、その悪徳をもっている人間の命を奪ってもよいのですが、その人間にたいして慈悲心をもって、その任務を受けることが条件になります。

 日本の仏教者はダライ・ラマの教説を否定するだろうか。そしてその否定のしかたは、「それは仏教ではない」という否定になるのだろうか。もしそうなら、では、ダライ・ラマの仏教を否定する日本人の仏教とは何に依拠しているのだろうか。

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