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2007.04.14

手水といえばバケツのようにぶら下がっていたアレ、ぶら下げ手水

 高校三年生を対象とした〇五年一一月の全国一斉学力テスト(教育課程実施状況調査)の結果が公表された。いろいろな見方があるだろうが、率直に言って、見方によっていろいろ言えば言えるというくらいの結果だったように思う。というか、私は関心を持たなかったのだが、国語の問題の話を読んでいて、アレっと思ったことがあった。一三日付け時事通信出版局”4分の3が「拝啓」書けず=学力テスト”(参照)より。


【国語】手紙の書き出しの「拝啓」が漢字で書けたのは全体の4分の1。「手水(てうづ)」を現代仮名遣いで書かせる問題も、正解の「ちょうず」が想定正答率65%の半分に満たなかった。「しつど」の漢字書き取りや「未読」のように「未」で始まる熟語を2つ書かせる問いでは、想定を10ポイント以上上回った。

 「拝啓」の漢字が書けても「敬具」との対応を知らなかったら意味ないし、そんな決まりは社会人になって要があれば何かを真似すればいい。これは社会儀礼の問題であって学力とは関係ないだろう。まあ、それはどうでもいいのだが、「手水(てうづ)」を現代仮名遣いで書かせるというのは、へぇと思った。「ちょうず」が正答だとして、さて、この問題と解答に、高校生に何の意味があるのだろう。
 手水を「ちょうず」と読むという知識は社会人にとってどういう意味があるのだろうか。神社参拝や茶の作法くらいなものか。と思いつつ、歌がクチをつく。

梅が枝の手水鉢
叩いてお金が出るならば
若しも御金が出た時は
その時や身請をそれたのむ

 野暮な解説はしないとして、そういえばこの手水鉢というのはいわゆる手水鉢なのだが、というところで、アレを思い出した。アレアレ。遊女の連想で幇間を思い出し、そういえば悠玄亭玉介「幇間の遺言」(参照)にもあった。

 さっき、ご不浄の話が出たろ。お客様もご不浄に行くよな。その時、あたしたち、たいこもちもついていく。どうしてか、わかる? おしっこしたいからじゃないよ。お客様はご不浄に立つと、不思議とふと我に返るんだ。前を出しながら、小便をジャーッとしてる時に、「ああ、明日はあの仕事をしなけりゃいけないな」とか「いま頃、子供は寝たかな?」とか、必ず仕事のこととか、家庭のこととかの思いがよぎるんだ。
 そうなると、座敷に戻っても、なんだかそれまでのようには騒げない。「じゃ、ぼちぼち引き上げるとするか」ってことになりやすい。
 そうなったらおしまいだから、あたしたちがついていくんだよ。で、外で手拭いなんかを持ちながら、声をかけるんだ。え、手拭い? 昔はね、ご不浄の外に水の入った「手洗い」がぶるさがっててね。それを下から押すと水が垂れてくるんだ。その水で手を洗う。その手を拭くために、手拭いが必要なんだよ。いまでいうおしぼりだね。

 アレというのは、この手洗いの器具なのだが、玉介はその機能でただ「手洗い」と呼んでいるがアレもたしか、私の記憶では手水と呼んでいた。ただ、ちょっと確かではない。
cover
幇間の遺言
悠玄亭玉介
小田豊二
 アレに手水以外の呼び名があったか。アレもまた機能として手水と呼ばれていたのか。さて、どうだったか。
 こういうときネットで「アレ」とか検索できない。手水で検索しても、高校生の学力テストみたいな無粋な答えしか出てこない。でもいろいろ検索したところ、面白かった。
 ”佛大通信Vol.490 鷹陵の栞”(参照)でもアレの正式名が気になっている話があった。

 お風呂のお湯も、沸かしてしまえばそれっきりで、今のようにじゃあじゃあと湯口から出てくることもなかった。沸かしたお湯を大切に水で割って体を洗っていたのである。もちろん、シャワーなんかありはしない。銭湯にだってなかった。便所もぽっちゃん便所であるから、水は大切にされていた。手水(ちょうず)にも、バケツの底に突起をつけたようなものが吊るされているだけだった。(あれは、何という名前なのだろう? ご存知の方、教えてください)その突起を押すと、中のパッキンがずれて水がチョロチョロ出てくる仕掛けになっているのである。多分、バケツいっぱいで家族が一日は手を洗えたことだろう。いったい今は、一日に昔の何倍、ひょっとしたら何十倍水を使っているのだろう?

 ”落語書き帳面”という掲示板(参照)でも、アレが気になっている話があった。

3312 定吉とん **** 2003/03/28(FRI)16:13:14
なっつかし~~ ^o^
そうそう、忘れてましたわ。
ほんで手ぬぐい(タオルとちゃうのんよ)がそばにかかってるねん。
この手洗い用バケツ、よう考えてありますね。自動的に一定の水が出るんですから。

218.42.24.239/Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; MSIE 5.5; Windows ME) Opera 7.03 [ja]

-----------------------------------------
3311 仮隠居 HOME 2003/03/28(FRI)14:50:12
言い換え
お便所に関しては言い換えの言葉ホント多いですね。思いつくまま、雪隠、閑所、ご不浄、厠、高野、はばかり、お手洗い、おちょうず、WC、ウォーター・クロゼット、ダブル・シー、化粧室、洗面所、トイレ、TOTO……

手水鉢のある家ってのはかなり豪邸でしょう、瓢箪山で住んでいた家では便所は庭に面した廊下の突き当たりにあって、用を足したあと縁側のガラス戸を開けて軒下に吊ってある水入れの下のポッチリを押して手を洗ってました。手拭も一緒に吊ったぁったなぁ。あの水入れの正式名称なんて言うんでしょうね? もちろん便所は雪隠(せんち)壷を埋め込んだ汲み取り式でした。

懐かしい水入れの写真↓
http://hasu.ojiji.net/sonota/tanku.jpg
http://hasu.ojiji.net/sonota/tanku2.jpg

220.38.192.26/Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows 98; Win 9x 4.90; Q312461)


 リンク先にすでに写真はない。
 探していくと、え?という情報があった。レトロおじ散歩”第5回 青梅商店街<その2>の巻”(参照)より。

 さて最後は、ちょっと博物館を通り越した反対側にある金物店だ。もともと鍛冶屋さんの販売所だったせいか、時が止まったような店だ。30年前までは鍛冶場もここにあったが、マンションなどが立ち並び始めると、朝早くからトンテンカンと槌打つ音が響くので別のところに移した。売っているものを広い店内から探して挙げてみようか。「豆炒り」「ねずみとり」「花柄の柄のおたま」「荒神ぼーき(小学校の時にげた箱掃除で使ったやつ)」「じょうご」「ひしゃく」「火箸」「桐製の蠅帳(風通しの良い食器保管庫)」「ハエたたき」「兵式飯蓋」「ぎんなん割り」「カルメラ焼き」など懐かしいものがズラリ。昔、物干し竿が竹だったときに、ビニールのカバーをして、お湯で収縮させたが、そのカバーもまだ売っている。一番懐かしいのは「手水」だ。和式便所から出たときに手を洗う道具で、バケツを逆さまにしたような容器の下部に蛇口があり、そこを手で押すと水がチョロチョロでてくるもの。いまはプラスチック製で1800円。

 「いま」とあるが〇七年四月の今でもあるのだろうか。一八〇〇円というのはちと高いような気がするが、考えてみると、水が貴重な生活文化ではアレはけっこう便利なものである。
 いろいろアレのことを考えつつ、自分のなかでは「ぶら下げ手水」ってことに暫定的にしたい気もするが、アレ、案外世界のあちこちで使っているってことはないだろうか。


追記
 エントリを書いてから関連情報がわかってきたので追記。

まるで美術工芸品のような吊り手水(手洗器)参照


 名称は「衛生手洗器」「自動手洗器」「中治(ちゅうじ)式自洗器」「完全衛生生活栓(せん)」などがあります。


 この手洗器なるものが手水鉢(ちょうずばち)の代用品として初めて登場したのは明治の終わりごろで、金属製の桶(おけ)型が主流でした。明治40年3月15日付けの「東京金物新報」に「本器は前に汚れたる手の触れたる処(ところ)へ清めたる手の触るる如(ごと)きことなき実に不潔を清むるの主意に背かざる特色を有せり」とうたい、特許476号というイラスト付きの宣伝が掲載されています。
 さらに面白いことには売り出したのが「旭組電気」という電話機や電鈴ボタンを扱っていた会社で、その仕掛けのノウハウが生かされてのアイデア商品になったようです。

これは、なに? 手水器(ちょうずき)?(参照PDF

手洗器、吊り手洗器ともいう。手水器の言い方は少数派。『日本国語大辞典第二版』には、「てみずき」「てあらいき」ともに掲載していない。林丈二著『型録・ちょっと昔の生活雑貨』(晶文社、1998)に「手洗器」の解説がある。


 さて、この手水鉢の代用品として明治末年頃から普及していくのが、「手洗器」である。明治40 年ごろの新聞広告には、「改良洗器」とか、「自動手洗器」、「中治式自洗器」、「燈火兼用温水手洗器」、「完全衛生生活栓(一名衛生洗浄器)」などがみえる。旭組電気商店が特許を持っている画期的商品として広告が打たれている。ただし、他の新聞にも「寺田商会」や「アサヒ屋」なども同様に特許を持っていると広告しているので事情は定かではない。


 1933 年から3年半日本に滞在し、桂離宮を世界に紹介したことで知られるドイツの建築家ブルノー・タウトはその著書『日本の家屋と生活』(雄鶏社)のスケッチのなかにも吊り手洗器が描かれており、戦前から戦後の昭和30 年代まで一般的に使用されていた。

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2007.04.13

米国次期大統領選挙運動、雑感

 米国ではイースターに子供をホワイトハウスに招く習慣がある。子供のおもてなしはファーストレディのローラ夫人だった。小学校教師だった経験もある彼女には懐かしい仕事だろう。子供に絵本を読んで聞かせた。絵本は Duck for President(参照)。あはは。いろいろ叩かれることの多いご夫妻だが、なかなかのユーモアをお持ちのようだ。ストーリーの結末は、お疲れダックの大統領がおクニに帰るという。

cover
Duck for President
(New York Times
Best Illustrated Books
Doreen Cronin
Betsy Lewin
 ブッシュ大統領の任期もあと二年。何ができるのか、メディアを通して見ているとよくわからない。これまで幸運だったとも言える米国景気もこの先一年くらいはしょぼくなりそうだ。反面、すでに次期の選挙活動は盛んで、趨勢を見ていると民主党がめざましい。
 一番手はクリントンである。ヒラリーと言うべきか。CNN”ヒラリー議員、3600万ドルの選挙資金獲得”(参照)によると、標題通り三六〇〇万ドルをゲットした。さらに、目標値を上げて七五〇〇万ドルとのこと。すごいもんだなと思う。ニューズウィーク日本語版のマンガに、将来大統領候補になりたいという少女にヒラリーが「そろそろ資金集めを始めたほうがいいわよ」と答えているが、洒落になってない。
 金額もすごいのだが私が気になったのはネットを通じた集金だった(ちなみに総額については中間選挙資金からの一〇〇〇万ドル上乗せがある)。

ヒラリー陣営は銀行口座残高を公表していない。民主党予備選への割り当て金額や、ヒラリー議員が同党の指名を獲得した場合の本選挙向け資金額は、今月15日前後に発表される。集めた2600万ドルのうち、420万ドルはインターネットによる献金。

 ネットで五億万円くらい集めるということだろうか。仮に米国というのを日本の規模の二倍強とみると、日本の政治活動でネットを使って二億万円くらい集められるものだろうか。よっしゃよっしゃと言っても無理だな(このネタは若い人には通じない)とか夢想し、そして、忘れた。が、次のオバマの件で思い出した。彼もまた膨大な選挙資金を獲得した。産経新聞”米大統領選資金集め オバマ氏、驚異の30億円 ヒラリー氏に肉薄、脅威”(参照)によると、総額についても驚きだが、ネットによる集金がすごい。

 オバマ氏の選挙事務所によると、これまで10万人以上の個人が献金し、うち5万人以上の計約690万ドル分がインターネットを通じたものだった。ヒラリー氏は5万人から献金を集めたが、ネットを通じた献金は420万ドルにとどまっていた。

 それって八億円か。総額でびっくりするが、十万人というから一人頭だと八千円。ざっくり、選挙に一万円をほいと出す人が十万人いるのか。さっき米国を日本の規模の二倍としたから、日本だとそのくらいの人が五万人いるか。うーむ、いそうな感じもするな。かく言う私もこの人ならという人がいるなら、そのくらい出すだろうな。
 とぼんやり考えながら、米国の選挙と日本の選挙の違いを思った。日本の場合、制度が違うので建前はいろいろあるだろうが、先日の選挙なんかでも事実上の集金があったのだろうか。ま、わからないし、見えない。
 米国の次期大統領選挙だが、流れ的に見ていくとヒラリーが圧倒的な資金力で、どーんと押していくだろうし、女性大統領がようやく出現しました、ということになり、エレン・サーリーフと女性大統領対談なんてことがあるかもしれない(ちょっと願望を込めてみた)。
 他方、黒人大統領というのも不思議でもない。たぶん米国という国はいずれ女性の大統領と黒人の大統領を産まなければならない強迫観念のようなものを持っている。
 しかし実際に未来の米国のイメージすると、それよりラティーノの大統領もあってよさそうだが、というあたりで、そういえばブッシュ・ジュニアはあれで、あれでというのも失礼だが、スペイン語が普通に話せる最初の大統領だったな、とかつい過去にしてしまうのもなんだな。

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2007.04.12

[書評]水泳初心者本三冊

 若い頃からなにかとプールには縁があったものだが、沖縄暮らしで遠ざかっていた。海辺に暮らしていても、泳げないのである。いや、泳げって言われれば泳げるけど、泳ぐところじゃないんだね、沖縄の海。実際、けっこうな数のうちなーんちゅが泳げない。海に囲まれて、海辺でビーチパーリーして、夕べになればTシャツ着て海にじゃぼじゃぼ入って遊んでんのに、泳げない。なぜ? プールがないから。復帰後はそうでもないかもしれないが。その話はさておき。
 東京に帰って四十肩やって、俺もうダメだわと思ったがなんとか戻る。次は五十肩でしょ。っつうわけでもないが、そういえばとぽそぽそ泳ぎ始める。昔と違って息が上がるのでマジな泳ぎはできない。っていうか、マジで泳げるのはきちんとフォームを習った平泳ぎくらい。
 のんびりゆっくり平泳ぎ、ケロッケロッケロッいざ進めーである。それでもいいでしょと思っていたが、飽きるのでクロール。やるとそれなりにできないこともない。でも息上がる。というあたりで、クロールもゆっくりやればいいんじゃないの?と思った。けっこうゆったりクロールで泳いでいる人もいるし、そういえば父も若い頃けっこう優雅にクロールを泳いでいたものだった。
 あれ(ゆったりクロール)ってどうやるんだろう? と思って、水泳初心者本を結局三冊買った。読んでみて、へぇである。何かとうなずきまくりんぐ。若い頃教わったクロールとけっこう違うでやんの。


cover
クロールが速く
きれいに泳げる
ようになる!
 最初に買ったのが、「クロールが速くきれいに泳げるようになる!(高橋雄介)」(参照)。買った理由は、映像解説のDVDが付いているから。泳ぎなんて言葉で説明するもんでもないでしょ、と、本を読む前に、DVD DELUXのようにDVDから見始めた。映像はたしかに見ればわかる。だけど解説がさっぱりわからない。専門用語が多すぎ。そこで本を読む。読むと、しょっぱなからオリンピックレベルの話があって、それはそれで面白いのだけど、うひゃ、これは初心者向けじゃないんじゃないかということで、この本の前著にあたるのを購入。ちなみに、今このDVDを見ると、用語にも慣れたので、よくわかる。これはこれでよく出来ていると今ならわかるようになった。


cover
クロールが
きれいに泳げる
ようになる!
 その前著が「クロールがきれいに泳げるようになる!(高橋雄介)」(参照)。これはわかりやすい。図も写真も見やすいし、解説もわかりやすい。今まで泳いでいてけっこう初歩的なことわかってなかったなと、へぇへぇ言いながら読んだ。普通に最近のスイミング・スクールとかで学ぶ人はこういうのから入るのだろうか。この本はまだまだ読み尽くせない、っていうかいわゆる読書と違うし。というあたりで、なんか初心者水泳本に興味を持ちついでもう一冊買った。



cover
ゼロからの
快適スイミング
ゆっくり長く
泳ぎたい!
もっと基本編
 それが「ゼロからの快適スイミング ゆっくり長く泳ぎたい! もっと基本編(趙靖芳)」(参照)。これが、目から鱗が落ちまくりんぐ。そんなのありかという話がこてこて書いてある。図と写真は多いが単色で上二つに比べると、ちょっと見劣りする感じがするのと、文章というか解説に癖がある。読んでいて、これは初心者にありがちなんだけど、二種類の指導法に戸惑うっていうドツボ。先の「クロールがきれいに泳げるようになる!」と違うところがある。そこでどっちがいいのだろうかと悩んでしまった。どうせ、五〇歳男が競泳するわけでもないし、私にはどっちがよいのか。


 一番まいったのは「ゼロからの快適スイミング」は2ビート。「クロールがきれいに泳げるようになる!」は6ビート。私は普通に6ビート。昔習っていたときは、速く泳ぐために2ビートもやったが、これはもう無理。というか、体が覚えていない。え?2ビートを初心者ができるのかよと思ったが、あれこれやってやってるうちに、そう無理でもない。というか実際に水のなかでいろいろ試してみると、当初は「ゼロからの快適スイミング」と「クロールがきれいに泳げるようになる!」はけっこう違うなと思ったが、そうでもなくなってくる。6ビートでも2ビートが基本だし、どうやら2ビートの練習をしたほうがよさそうだ、というあたりが現状。
 ついでにゴーグルも買った(参照)。のんびり平泳ぎでは必要なかったが、クロールだとそうもいかないし、塩素が目に痛い痛い。さらに耳栓まで買ってみた。最近の耳栓ってこういうものかと使ってみるとこれも便利。ふーんである。
 ケロッケロッケロッいざ進めー、水泳再挑戦!である。キビシーとかなったらなんとなく中断してしまうだろうか。

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2007.04.11

[書評]ヤクザの恋愛術(石原伸司)

 先日ちょっと時間つぶし用の文庫として見知らぬ書店で買い、そのまま読み捨てのつもりだったが、少し心にひっかかることもあるし、この機に石原伸司という人にも関心をもったので少し書いておきたい。

cover
ヤクザは女を
どう口説くのか
石原伸司
 文庫は「ヤクザの恋愛術(石原伸司)」(参照)だが後で調べたら、〇四年刊行「ヤクザは女をどう口説くのか(石原伸司)」(参照)の文庫版らしい。こちらはアマゾンで見たら古書で百円なんぼで売っている。
 文庫を読み出して最初に思ったのは、「あ、古いな」という感じだった。爺さんが書いているから古いなというのではなく、本の編集のスタンスや企画が古い感じがした。なので奥付をみて〇四年の文庫版かと気が付いたのだが、この間、三年。それくらいで時代ずれ感があるものだろうか。もちろん、私の感性がたいしたことないというのもあるだろうが。
 話はまさに、ヤクザがどう女を口説くかということだった。いろいろお前さんたちカタギの人間にはわかるまいみたいな口調で書かれているのだが、普通のカタギさんの想像を絶する話はない。いや、一点ある。石原伸司自身の、たぶん最後でかつ本当の恋愛だがそれはこの本の範囲で触れることではないだろう。
 ヤクザがいい女をつれているのはという理由がいろいろ語られているが、私の理解ではこれはいざというときカネになるからだ。しかし、そのことは書かれていない。えぐいというのもあるが、石原伸司という人はけっこうなロマンチストというか文学志向の人なんじゃないか。つまり、たまたまこんな人生を歩んだけど、境遇によってはインテリな青年から老年を迎えたかもしれない……と想像しながら、逆に私なんぞも境遇ではどんな人生の可能性があったかなと思った。
cover
ヤクザの恋愛術
石原伸司
 女の口説きかたについて、おお、これは学んで得したという点もない。一点くらいあればいいのにと思うのだが、いやいや、一点あったな。すごい一点があった。買って読めとか言わないで私の言葉で書けば、「家事をフォローしろ」である。炊事・洗濯・掃除を豆にやれ、と、ついでに豆の下品な連想だが小一時間くらいは必死になめ続けろ、と。
 いやあ豆でなくちゃというのはわかるし、昔は豆だったんだけど今じゃ豆腐だとか寒い話はさておき、へぇと思ったのだが、ヤクザが豆なのは、つまり、家事がきちんとしているのは、ムショ暮らしの生活行動パターンなのだな。ムショ暮らしていると掃除を徹底的にするというのはわかるというか、奇妙に懐かしい感じがして、なんだろと記憶をたどったら、私の父もそうだった。父にムショ暮らしはないのにと、とすぐにわかった。彼は少年時代満鉄の寄宿舎で暮らしていた。あれはきっとムショ暮らしみたいなものだったのだろう。
 ムショ暮らしについて、先日のホリエモンの、あれはムショじゃないが、いっぱい読書したでもわかったが、つい読書して教養人になっちまうというのは知っていた。知らなかったのは、ヤクザがムショに入って手紙マニアになるということだ。それはあるかもしれないな、いやあるんだろうな。私もムショに入ったらいっぱい手紙を書くだろうな……誰に? ……ああ、それで女が必要か、納得の、な。しかし、考えてみると私も別の意味でムショ暮らしみたいな人生になったからブログなんぞ書いているのだろう。
 カタギな爺さんになった石原伸司という元ヤクザさんだが、一九三八年生まれ。現代だと一九三五年生まれの筑紫哲也と同じで、すごい古い人みたいだが、彼らですらもう戦地の経験はない。子供ころの戦争の印象を戦後の情報で埋め尽くした、どちらかという新しいタイプの日本人だし、ある意味で日本の伝統からは隔絶している。むしろ、自立して女を大切にして手紙を書いて、という近代日本人なのだろう。
 

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2007.04.10

営業力かぁ

 今の若い人に足りないのは営業力という話を先日ネットで見かけ、営業力かぁ……と考えることがあった。SEとかも事実上営業だしなとか。営業の仕事って今どうなっているんだろ。
 私は営業の修羅場にいたことはないが、若造だったころ短期間というか不定期にその端くれにいたことがある。年配のおっさんとペアだったこともあり、これは実地で学ぶ技術だなと思った。
 営業の技術は体系的な知識にまとめられる部分もあるのだろうが、なんともうまく言葉にならない部分もある。人柄が勝負ということも多い。あるいは、そういう人柄のようなインターフェースを作る技術かもしれない。
 ペアだったおっさんはそうした「人柄」を顧客には見せたが、私にはビジネスライクでそれほど見せなかった。私がとっつきにくい若造だったからだろうが、あるとき、ぼそっと「やる気があるなら君には営業の才能があるよ」と呟いた。自分がそのころのおっさんの歳になりなんとなく思い返す。
 営業力とは何か? 私に答える経験も能力もないのだが、それでも一言で言えというなら、「納期に対する責任」と答えるだろう。これは売る対象によっても違うので、まったく無意味な答えにもなるのだろう。私が置かれた場所で痛感したのはそれだったが。
 売ることは難しいと言えば難しい。とてもじゃないが簡単とか言えない。だが、売ったらアフターケアに入るんではなく、商談と納入には時間差が生じるビジネスが多い。納期の問題が起きる。この間、会社の内部と顧客を繋ぐのは、営業ただ一人。その一人に立たされてみて、営業っていうこういう仕事なのかと思った。
 営業が会社の内部と顧客を繋ぐということは、その両面に配慮しないといけないということで、どちらの面が難しいか。顧客の側面は、ひどい言い方だが、言葉で騙すことも出来そうに思える。が、内部の側、つまり生産工程や在庫の問題は、一見すると営業の範囲ではないと思えるので、私の責任じゃないと、つい毒付きたくなる。しかし、そうしたとき最悪の状態。
 営業力がもし「納期に対する責任」なら、それを上手にこなす技術やコツはあるだろうか。正直に言うとこれは今でもわからない。ただ、その問いかけの過程でわかったことがある。物やサービスを売るというとき、価格・品質・納期の三要素でもっとも大切なのは、納期だと得心したことだ。
 価格と品質は営業という仕事がなくても独自の訴求力を持つ。ある意味でそれこそ営業がタッチできない。それに対して、納期は一種の約束であり、約束というのは、どんなに無能であれ人の顔をしていないといけない。それが営業の顔だ。まずい顔でも人の顔をして「お約束しました」と言えることと、納期について配慮できること。前者はけっこう生き方の問題があるし、後者については、サービスや商品の特性、社内の状況についての理解が必要だし、ある意味で、会社を業界や流通のなかで覚めて見ている必要がある。
 この覚めた視点というのは、「納期に対する責任」を支える技術的な部分になるのだろう。「我が社は生産過程のここに大きなロスがある」と見抜いておかなくてはいけない。もっとも、それでどう対処するかは営業の範囲を超えてしまう。
 あと、在庫の問題がある。なんか話がうざったくなったが、セブンイレブンとかアマゾンとか見ていると、情報化が産業に関与した部分というのは、在庫に関わる流通だったのだろうなと思う。そこは今後も改善できるのだろうが、そうなるほど、営業というのは、納期に関連してますます人間的な部分に関わっていくのだろうな。

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2007.04.09

2007年都知事選雑感

 都知事選には関心がなかったが蓋を開けてみて、へぇと思ったことがまったくなかったわけでもないし、その、自分にとっての小さな新規性の感覚は、案外これからの日本を考えていくときの軸になるかもしれないのでメモ書きしておこう。
 まず結果だが、読売新聞東京都知事選 : 開票結果 : 統一地方選2007””(参照)より。


得票数(得票率) 氏名 年齢 党派(推薦等) 新旧 当選回数 代表的肩書
2,811,486(51.1%) 石原 慎太郎 74 無所属 現 3 知事
1,693,323(30.8%) 浅野 史郎 59 無所属 新(元)宮城県知事
629,549(11.4%) 吉田 万三 59 無所属(共) 新 (元)足立区長

 四月一日時点でした私の予想はこんな感じ。

 都民の票が1000万くらいか。投票率は40%。全体は400万。
 前回石原は300万だがそこまではいくまい。てえと、石原200なら浅野にも目。
 石原250はいけるか。前回左系動員でせいぜい150万。これに浅野で50万上乗せするか つまり、浮動票がそっちに動くか。
 あまり動かないんでないの。っていうか、浮動票は黒川紀章とかにブラックホールする。すると、石原200万。浅野150万。のこり50万。かな?
 勘だと、石原200万、浅野100万。残り100万。か?

 大差で浅野が負けるというのは予想通り。比率で見て、石原50%、浅野が30%くらいとすればこの予想も当たりではある。
 が、投票率が54・35%と高い点は大きく外した。日経”知事選投票率2ポイント増の54.85%”(参照)より。

 統一地方選前半戦の平均投票率は、13都道県知事選で54.85%となり、前回(2003年)から2.22ポイント上昇した。知事選のうち投票率が前回を上回ったのは北海道、東京都、福岡県だけだが、東京都知事選が54.35%と、前回より9.41ポイントも高いため、全体を押し上げた。

 前回の石原が300万票で今回は280万票。前回より投票率が高くても票が減ったわけだし、前回の比率は70%だったのが今回は50%と見ると、石原支持もだいぶ減ったと朝日新聞社説のようにくさしたくもなる(参照)。だが、前回はまだまだ世界もかなり右傾化した空気だったし、石原の対立候補がいたなんで誰も覚えてすらいないだろう。なので、特殊な選挙だったと見たほうがいい。
 とすると、石原支持層はほとんど変わってもいないし、きちんと選挙にも行きましたということのなのだろう。都民っていうか、東京という疑似国家の国民の政治意識というか活動はけっこう、こりゃすごいわと私は思った。ネットなどではいわゆる左派的リベラル系の発言が目立ち、右傾な発言は2ちゃんねる的なアングラないしサブカルチャー的な発言と見られがちだが、現実世界とネットの言論の差のディスプレースメントというか補正の感覚を養うにはよい結果となった。でも、たぶん左派的なリベラルな人たちには通じてないんじゃないか(あー、非難ではないの糞コメントしないように)。
 浅野170万票については、左派的なリベラルな人たちの現時点の総勢力か、あるいは、民主党がブレているからもうちょっと潜在的な力があるか、なのだが、たぶん逆でむしろ、今回の浅野票は左派的なリベラルな人たちの現時点の総勢力に下駄を履かせているだろう。石原非難の層はけっこうあったし。ということで、左派的なリベラルな層は、東京疑似国家では20~25%くらいの比率はあり、依然強い勢力を持つのではないかと思う。
 というあたりで、ぼんやりと私は小沢の心中を思った。民主党の今回のブレはかなりひどいもので、ひどさにはいろいろ反省点があるが、一つには菅直人を出さなかったのはというあたりの議論をネグってしまうのはまずいのではないか。私は彼をわけあって全然支持しないのだが、民主党がマジで選挙するなら彼くらいの看板しかないのではないか。ところが菅はきちんと今回の負けを読んで動いているわけで、しかも小沢もその動きを是認しつつこらえていたのだろう。そして、私のような従来からの小沢支持者にしてみると、昨今の社民党や共産党とも共闘しようする政治指針に多少異和感がある。もう後がないので民主党の左派勢力に日和っているともとられるのだが、たぶん、そうではなく、反自民の勢力の礎石をなんとか作りたいという一心なのではないか。彼は自民党がどう変わろうかまったく微動だに自民党を信じていないと思う。むしろ、小泉はノイズにしか見えなかったのではないか。この読みが正しければ小沢のビジョンは小沢の政治生命の続く範囲で実現することはないのかもしれない。
 話を地べたにもってくるとと言うか自分なりの庶民感覚でこの都知事選を見ると、石原が自分が勝つと信じたというか浅野に負けるわけないじゃないかと思えた理由は、彼がオモテ向きよく語っているような都政の実績が認められたではなく、浅野なんてあいつ江戸っ子じゃないよ、そんなもの東京の人が支持するわけないじゃないか、ということだったと思う。
 石原が江戸っ子かというとめんどくさい議論になってしまうかもしれないし、むしろ彼は戦後のハイカラボーイの部類だ。だが、今回ぼんやりメディアで久しぶりに石原の言葉を聞いてみると、アプレゲールも爺さんになったのか、とても懐かしい東京人の言葉遣いがある。とても微妙なんだけど。そして言葉遣いというのはただ言葉の表面だけじゃなくて、東京人らしい心のころころっとした動かしかたがある。このあたりうまく表現できないのだが、江戸弁とか古典落語とかなにか擬古的な江戸や東京というのが語られるのでうまく伝えづらいのだが、むしろ石原の言葉の感性はとても東京っぽい。そのあたりは、けっこうなるほどなと思ったし、東京というのはとてもローカルなカルチャーを持っているとも思った。
 地方選全体ということでの雑感を一つだけ加えておくと、島根県知事選で溝口善兵衛(参照)の当選ってなんなんだよ、しかも大差。

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2007.04.08

消費って楽しいのかっていうか

 日本に必要なのは内需拡大、つまり日本国民がもっと消費しようよ、ということだが抽象的過ぎる。もっと具体的に自分の消費行動を省みて最近何か変わってきているだろうか。少し変わってきているみたいだ。以前の自分ならしなかった浪費の傾向もあるなと思えてきた。
 私はちょっと食いしん坊というくらいで他にはあまり生活にテイストというのはない。失笑を買うかもしれないが、物事にこだわりというのはない。生活は合理的なほうがいい。そういう本筋は変わらないのだが、実際の自分の消費行動を見ていると、このところ以前よりスタンダードなものを避けることがある。単純な話、食材とかお菓子とか、ちょっとよいものを買ってしまう。ワンランク上のものというより、これがスタンダードであるべきだというスタンダード感覚で買っているようだ。
 製造や流通、マーケティングといったところで妥当な商品というのがそれなりに優れているのはわかるのだけど、そういう合理性や意匠を避けてしまっている。なぜなんだろうと思うのだが、魚なら魚の仕入れ手や、お菓子ならパティシエといった個々の人が見えるような、その人たちがこれは薦めたいなと沈黙に出しているメッセージを聞き取りたいという感じがする。もっと具体的に言うと、たとえば春なんだから駄洒落みたいだけど、鰆のいいのが食べたい。マナガツオも食べたい。と思って、魚屋の店先で生きのいいマナガツオを見かけると、ちょっと高くても買ってしまう。
 もう一面、最近変わったかなと自分でも思う消費行動だが、ややお高い家電品とか数点入れ替えた。私は機械や道具は使える内は壊れるまで使うタイプの人なのだが、まだ使える内でも、そろそろいいかと思えるようになり、その機に最新機能の家電などを買ってみた。へぇと思うことがある。いやけっこうあると言ってもいい。このへぇなのだが次第に生活様式を変え始める。便利なると言ってもいいのだが、この便利さがどうにも馴染めない。たぶん私がメイドさんとか雇ったら同じようにその便利さが馴染めないんじゃないかというか、そんな感じだ。

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フィリップス
センセオ(Senseo)
コーヒーポッド式
コーヒーメーカー
 個人的な感覚の問題かもしれない。どうでもいいことだが、私はもてなしということでもなければ、人にお茶を入れてもらうのが好きではない。なんかすごいこと言っちゃうけど、私よりお茶をうまく入れられる人に私は会ったことがない。自分で入れたいのである。ま、それは放言でもいいのだけど、自分でやるべきことを人に任せるとどうも居心地が悪い。魚屋で魚をおろしてもらって買うのも、いかんなぁと内心いつも思っているけど、血を見るのがすごく恐くてさ。
 そういえば、先日日本でもようやく欧米で人気の高い簡易コーヒーメーカー、Senseo(参照アフィリエイト)が発売されるようになって、さてと考えてしまう。当面要らないと言えば要らない。それにコーヒーとかは気晴らしに喫茶店とかで飲むというのもあるし。Senseoがよくてもコーヒー豆まで定型というのはなとか……考えてしまう。でも、これ買えば確実にまた生活感覚が変わってくるに違いない……とか書いていてまた買うか悩み出してしまった。
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凡人が最強営業マンに
変わる魔法の
セールストーク
 買おうか買うまいかとか悩む機会が多くなったということ自体、消費傾向の変化だ。これも連想だが、先日「凡人が最強営業マンに変わる魔法のセールストーク」(参照)というちょっとアレげな本を読んだ。内容はさしてないのでさらっと小一時間で読めるのだが、いやあ、なんか珍本でした。私は珍本好きなんでコレクションにしようかなと思うくらい。この本、標題のように、魔法のセールストークを教えてくれるわけですよ。私みたいに、買おうか買うまいかとしている凡夫の背中をずんと押してくれるわけですが……これがなかなか。
 初っぱなから、セールスの秘訣は「お客が欲しいと思っているものを売ってはいけない」とくる。なぜかというと、お客は欲しいものがわかってないから、だと続く。具体例がわかりやすい。

お客「すみません、電気ドリルが欲しいんですけど」
あなた「はい。いらっしゃいませ。電気ドリルのことですね。ちょっとお伺いしていいですか? 何か困っていることでもおありなんですか?」
お客「困っているわけではないんですが、ベニヤ板に穴を開けて、子供の工作を手伝ってやらないと。それで電気ドリルを――」
あなた「具体的には、どんなベニヤ板なんです? 何枚?」

 ということで、お客が欲しいのは電気ドリルじゃないよということで、うまく穴あきのベニヤ板を売る、と。なるほど、と。
 それはそれでいいのだが、この本、なんというのか一種のカウンセリングになっていて、セールスがセラピーになっている。

 セラピストは、根源的な60の欲求に対して、言葉を駆使してそれを満たしてあげようとします。
 セールスは、根源的な60の欲求に対して、商品・サービスを提供してそれを満たしてあげようとするのかもしれません。

 思わず、ずんと引いてしまいそうだ。だって、セラピストの対象となる欲求というのは、孤独とか喪失の悲しみとか劣等感とか嫉妬とかそういう心理的なものだが、消費行動というのは、豆腐が欲しいとか納豆が食いたいとかテンペを使ったインドネシア料理が食べたいとかそういう具体的な物や具体的なサービスなはずだ。が、この本では、そういう消費の背後に心理的な根源的な欲求があるのだとして、かくしてセラピーと同じになってしまう。
 んなまさかと思いつつも、案外、いやあ、そうかもしれんとかけっこう思い直してしまった。
 少しずつ消費動向が変わるというのは、何か心理的な要求の変化の派生かもしれないと考えると、なんだかそんな感じもしないではない。ついでに言うと、この根源的な60の欲求のリストも本書に掲載されているのだが、なかなか含蓄が深いものがありましたよ。

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