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2007.03.31

[書評]その夜の終りに(三枝和子)

 「その夜の終りに(三枝和子)」(参照)は、平成元年「群像」九月号に発表された後、単行本となった。私の手元にある翌年刊行された初版奥付を見ると一九九〇年二月二三日とある。版を重ねたかどうかは知らない。

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その夜の終りに
三枝和子
 三枝和子(さえぐさ かずこ)は、一九二九年(昭和四年)三月三一日の生まれ。今日が誕生日であり、存命なら七八歳であったことだろう。が、二〇〇三年、亜急性小脳変性症により七四歳で亡くなった。その前年に癌の手術も受けていた。喪主となったのは夫の文芸評論家森川達也。彼は昨年五月五日肺気腫で亡くなった。八三歳。生年は一九二二年(大正十一年)。三枝とは七つ違いということになる。子供は無かったのか喪主は兵庫県加東市花蔵院梅谷快洋住職とのこと。
 彼らの結婚がいつだったか手元の資料ではわからない。三枝和子は、兵庫師範学校本科を経て、関西学院大学文学部哲学科を卒業し、同大学院文学研究科修士課程を中退。神戸と京都で十三年間中学教師をしたの後、作家生活に入る。一九六九年(昭和四四年)「処刑が行われている」で第一〇回田村俊子賞を受賞。四〇歳で作家となったと見てよいだろう。森川達也と知り合ったのは兵庫県西脇市で発行していた同人誌によるらしい。森川は京都大学文学部哲学科卒業後、一九六五年(昭和四〇年)に「島尾敏雄論」を刊行し文芸評論家となる。論壇・文壇へのデビューとして見れば森川が四年ほど早い。推測にすぎないのでご存じのかたがあれば教えていただきたいのだが、彼らが知り知り合ったのが同人誌であれば、すでに名を成した森川に対して三枝からのアプローチではなかったか。それと彼女の京都転居は関係があるのではないか。結婚時、三枝は三五歳を越えていたのでなったか。
 「その夜の終りに」が書かれたのは三枝が六十歳のときで、すでに文壇では大御所の扱いになっていた。この作品は、他の「その日の夏」(参照)、「その冬の死」(参照)に続く、戦争と女性を扱った三部作の最終部にあたる。本書後書きで彼女は述懐している。

 『その日の夏』、『その冬の死』、『その夜の終りに』と書きついで、女と敗戦をテーマにした一連の物語が終った。
 書きつぐ、と言い、一連の物語、と述べることに、ある異和の感じを持たれる方があるかもしれない。これは主人公を同じくする長編小説ではないからである。また、『その日の夏』は敗戦直後十日ばかりの出来ごと、『その冬の死』は敗戦四ヵ月後、『その夜の終りに』は敗戦二十年後、というふうに時の流れとして捉えるにも甚だしく不統一である。
 しかし、同一の主人公、あるいは登場人物にたちによって、編年体ふうに書くことを、私はこの小説を構想した最初から避けた。理由を、ここで短く説明する力は私にはないが、たとえば一人の女性に背負わすにはあまりに過大な問題を抱えていたので、人物を変え、時の流れをずらすことによってリアリティを確保したいと思った。

 「その夜の終りに」は敗戦二十年後と筆者三枝自らが語っているので、この物語は昭和四〇年あたりの設定だととりあえず受け止めてよいだろう。彼女が作家として立つ四年ほど前のことであり、この物語にもし三枝を登場させるとすれば、三五歳としてもよいだろう。登場人物でいえば、まさ子に相当する。
 主人公、染代は昭和十八年に十八歳というから大正十四年(一九二五年)の生まれということになる。私の父と同年だ。物語では四二歳ということだろう。そして、もう一人の主人公、銀座「花散里」のママ、縁子は四十歳である。
 物語の今、昭和四〇年(一九六五年)は、米国がベトナム北爆を開始した年で小田実たちがべ平連を創設した年でもある。私は八歳だった。記憶に残っているのは吉展ちゃん事件(参照)と朝永振一郎がノーベル賞を取ったことだ。
 前年は東京オリンピックがあった。が、本書にはオリンピックで激変した東京のことについては触れられていないようだ。翌年はビートルズが来日した年である。彼らに群がる若い女性たちを想起すれば、その年代として描かれる、本書の令子やカオルがイメージしやすいだろう。令子は大学生で七〇年代安保の学生のイメージで先駆的に捉えられている。カオルは、エリザベス・サンダースホーム(参照)という名前は出てこないもののあきらかにその孤児として描かれている。本書を読み返すとエリザベス・サンダースホームの陰影がより深く感じられる。若いホステスのもう一人、有以子は特攻隊の落種として登場するので二人より五歳ほど歳上の設定だろう。
 物語は、戦時中シンガポールで慰安婦をし、戦後パンパンからオンリーとなり、三十代は銀座「花散里」のホステスとなるもそこを離れ、当時の千住に暮らし、新宿二丁目の街娼となった染代が、ふと「花散里」を再訪するところから始まる。
 染代を銀座のホステスに紹介したのは、六十歳にもなる幇間(ほうかん)の捨だった。彼はこう彼女を説得した。

 それから、「姐さんほどの美人なら、芸者として落籍(ひか)された。切れた旦那のことはいえない。それで立派に通るよ」
 と付け加えた。

 そして染代の過去が物語りの導入でこのように語られる。

 しかし染代は恐かった。芸者をしていたのは本当だが、いい旦那に落籍されたのではない。昭和十八年、十八歳のときに、軍の「特殊看護婦募集」に応募して南方へ行ったのである。特殊看護婦、つまり慰安婦である。軍が借金を肩代わりしてくれる、とすすめられた。
 「お前さんは美人だから、高級将校用になる。高級将校用というのは、何だ彼だと言っては客をとらされる芸者の生活とあまり変りはないよ」
 派遣されたところは昭南島、シンガポールで、海軍省に直属していた。応募させた人が言ったように「士官用」になった。
 敗戦で帰国すると、今度はまっていたように「R・A・A」だった。「リクリィエーション・アンド・アミューズメント・アソシエーション」
 「舌を噛みそうだね」
 染代は笑った。「何なのさ、それ」
 話を持って来た捨さんによれば、アメリカ軍用の慰安施設で、進駐してきた兵隊の暴行から一般婦女子を護るために、売春婦たちを募集してこしらえる「防波堤」だそうだ。
 「防波堤?」
 「ああ、みんなそう言っている。今度も、お上が大変な肝入りなんだって」
 「どうしてお上が肝入りで、敵さん用の売春所をつくるんだよ」
 「だって、そうしなきゃ……」
 「素人さんがやられちゃうと言うのだろう。いいじゃないか、やられたって。日本軍だって勝ってるときは、中国や南方で向こうの素人さんを暴行、したい放題やって来たんだから、あいこじゃないか」
 染代はむかむかして来た。
 「戦争で、お国のために兵隊さんを慰さめて帰って来たと思ったら、今度は、その兵隊さんの奥さんや娘さんを護るために、何だって、防波堤? 自分たちが戦争でせきとめられなかったものを、あたしたちの身体でせきとめろ、って言うのかい」

 昭和二十年代にそうしたことがあったのか、私はわからない。この物語が語られた「今」という時点は昭和の終わりだ。つまり、その二十年後である。そして、私の今はさらにそこから二十年後にいる。
 事実と物語と人の思いが時代に錯綜していくなかで、私はこの小説に鏤められ滲んでいく歴史の言葉が、こう言っては何んだが、愛おしい。これらの言葉の歴史の感触を知ることで、かろうじて四十年前や六十年前の時間とつながり、日本人として生きているのだと思う。
 だが、昭南島をこの小説のようにシンガポールと四十年後に言い換えて済むうちはまだよい。その言葉と人の感覚とのつながりも消えたとき、歴史の感触も失われる。あるいは変質し別の意味を持ち始める。

 染代がシンガポールに派遣されたのは、昭和十八年三月のことだった。到着するとすぐ士官用を言い渡された。染代が属していた海軍省直轄の慰安所の他に、現地では業者の経営する売春宿もあった。業者の経営するところは兵隊用が多く、安くあげるために朝鮮人の女性を徴集したりしていた。
 慰安婦は大変だ。一日に、三十人、いや、五十人はこなさなければならない、とか、粗末なむしろで壁掛の仕切りをこしたらえた部屋の前に、兵隊たちがずらりと並んで順番を待っている、とか。予備知識でかなり覚悟をきめて来たのだが、士官用は様子が違っていた。おまけに染代はそのとき十八だったので、年配者に廻された。若い者を若い者にあてがうと身体に無茶をされるということで、二十歳代前半の若い士官にはベテランの慰安婦が当たった。年配者というのは、佐官から将官クラスになるので、染代は内地にいたときの芸者暮しの延長のような生活を送った。身体を売る、というよりも、お座敷の延長にそれがある、といったふうな感じだった。


 染代にとって、あの戦争の一時期は輝いていた。後方の病院に行って従軍看護婦にでも会わないかぎり、女は慰安婦だけだ。誰にも蔑まれなかった。染代のように将官、佐官相手で得意満面でなくても、水兵を一日に三十人、四十人とこなしている女たちでも、生き生きしていた。一週間に一枚とか、十日に一枚とかの割当切符を握りしめて列をつくって待っている男たちから見れば、慰安婦は天女だったに違いない。
 もちろん、なかには嫌な男もいた。
 「並んでやって来たくせに、内地で女郎買いでもしているような気分になって威張り返る奴、これが一番下等ね」
 「そっくり返りたきゃ、軍票なしで買いにおいでよ、と喚いておやりよ」
 「金を積まれたって、嫌だけどさ」
 「こっちは忙しいんだから」
 「そうよ、配給の飴玉なんか溜めて持って来て、お願いします、と頭を下げられると可愛いくて、ついサービスするけどねえ」

 あの時代に「サービス」という言葉があっただろうか。語感が私にはわからない。だが、先日漱石の「明暗」を読みながら「プログラム」という言葉が二度ほど出てくるのに驚いたので、和風英語の時代的語感には自信がない。
 染代は進駐軍時代については豆太郎という女性で懐古する。

 足下の薄暗い道を国電の駅へ向かって歩きながら、染代は、ふと豆太郎のことを思い出した。――蒲田の産業戦士慰安所と言っていたなあ。先っきのような男の子を相手にしていたのかなあ。
 豆太郎と一緒にいた期間は、実際には合計しても一年半くらいだのに、ひどく懐かしい。「進駐部隊専用慰安施設」の慰安婦たちをお上では「特別挺身隊員」と呼んだんだって。
 そして二人でげらげら笑った。笑いながら、ふと真面目な顔になった。
 「染ちゃんはいつも高級将校用で楽していたからいいけど、私は工員用で数をこなしてたときがあるからなあ。五、六年経つとと梅毒が頭にのぼって、気が変になるんじゃないかなあ」

 「蒲田の産業戦士慰安所」という呼称が歴史的にあったのかも私はわからない。ただ、三枝は戦後復興の産業振興に駆り出された若い男の子の工員たちを産業戦士と見て、そこに慰安所を語り、その慰安婦として豆太郎という女性を描き出している。
 物語は、染代から年僅かしか違いないものの戦後の世界から女であることを自覚させられた縁子に移る。縁子は特攻隊で死ぬ定めの従兄から、出征前に「コイトスしたい」という言葉を聞いてその場では意味もわからず反応したことが二十年経っても強い心のひっかかりとなっている。その思いが、作者三枝の思いの中で慰安婦の視線と不思議な反響をもたらしていく。

 男は、その生命が間もなく終ると思うと、自分の生命を維持するために、女の身体のなかにその生命の種を是が非でも植えつけたい気持ちになるものだろうか。相手の女が結婚もできないで子供も生むことの苦しみや、自分の子供の正当な父親を持たずに生まれて来ることの不幸を考えないのだろうか。しかし、だからと言って、自制した従兄に対して、一種の割り切れなさを覚える縁子でもある。
 「そのとき、男は矛盾しているのよ」
 いつだったか、令子が断罪するように言った。「男は結婚制度をつくって女を縛っておきながら、戦争というアナーキーな状況をしばしばこしらえて、男自身がつくった結婚制度を、自分で潰して、その矛盾に気がついていないのよ」
 縁子は頷くことができなかった。令子の意見はあくまで令子の意見だ。縁子の心に滲み入て来るのは、あのときの従兄の接吻を受けた若い自分の意識と特攻隊の兵隊に身体を開いた有以子の死んだ母親の気持ちとのあいだに共通して流れているにちがいない、奇妙な心の昂まりだ。男が死んで行く運命にあるからこそ受け入れる、受け入れたいと、気持ちが次第にほとびて来る、あの、よくわからないが不思議な力に支配されていた一刻一刻……。
 「ねえ、有以子、あなたのお母さんは、特攻隊の兵隊さんが、明日死ぬから一緒に寝たのよ。ひょっとしたら、女は、明日死ぬ人でなければ欲情しないのかもしれないわよ」
 有以子は黙っている。縁子の言葉が届いたのか、届かないのか。

 有以子の世代は団塊の世代の少し上になるが、まだ老女と言える歳でもない。戦争の時代を生きた縁子の言葉が昭和四十年代に届いたか、そしてそれが今なお届いているのか、私にはわからない。だが、私は悲観的になりたいわけではないのだが、三枝がかろうじて歴史に寄り添おうとして語ったぎりぎりの部分は、たぶん、もう届かない歴史の彼方に消えたのだろう。

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2007.03.30

健全なる精神は健全なる肉体に宿る、ってか

 今週号の日本語版ニューズウィークの記事「運動に励んで脳力アップ」、副題「スポーツで脳も鍛えられる? 運動と知力の意外な関係を解明」を読んでいて、あれ?と思ったことがあった。記事の内容は標題どおり、運動すると脳機能が活性化するという最近の健康情報ではある。まあ、それはそれほど驚くほどの知見ではない。
 あれ?と思ったのは、次の箇所だ。強調部分は私のタグ付けによるもの。


 精力的に運動することで、神経細胞の結びつきが強化され、脳の働きが活発になるという研究結果もある。運動は、アルツハイマー病やADHD(注意欠陥・多動性障害)といった、認知障害を伴う病気の予防などに役立つ可能性もあるという。
 健全なる知力は健全なる体に宿るという考え方は、年齢を問わずあてはまる真実のようだ。

 この強調部分だが、たしか私の英米文化の理解では、彼らは「健全なる知力は健全なる体に宿る」といった発想はしない。キリスト教的に理解してもいいが、肉体というは罪の連想が伴うものだ。
 とはいうものの、最近は欧米でも健康志向だし、そもそも私が何か勘違いしていたかなと原文を読み直すと、こうだった(参照)。

Other scientists have found that vigorous exercise can cause older nerve cells to form dense, interconnected webs that make the brain run faster and more efficiently. And there are clues that physical activity can stave off the beginnings of Alzheimer's disease, ADHD and other cognitive disorders. No matter your age, it seems, a strong, active body is crucial for building a strong, active mind.

 該当部分はこうだ。

  • 健全なる知力は健全なる体に宿る
  • a strong, active body is crucial for building a strong, active mind.

 直訳すると「強く活発な肉体が強く活発な知的能力の形成にとって決定的である」となる。であれば、「健全なる知力は健全なる体に宿る」というのは誤訳とは言いかねるだろうか。
 もっとも、訳文では「健全なる知力は健全なる体に宿るという考え方」としているので、あたかもそういう考え方が既存であるかのような前提で書かれている。
 そういう考え方が英米圏にあるんだろうか。
 当然ながらこの句はれいの「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という諺を連想させるし、この諺は英語の諺「A sound mind in a sound body」の訳だとされている。
 私にとっては常識だと思っていたのだが、この諺は誤訳で、どちらかというと、「健全な精神が健全な肉体に宿ればいいのに、明日晴れればいいな♪」みたいな願望であって、現実はそうじゃないよね、という意味だと理解していた。
 ネットを見渡すと”「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは言わなかったユウェナリス”(参照)というページがあり、詳しく解説されていた。

 先日、といっても大分前(1988年2月2日)になるが、産経新聞に連載されている『戲論』 (全文) で「健全な精神は健全な肉体に宿る」という格言の間違いを指摘した玉木正之氏が「ユウェナリス( Juvenalis 60-136 )は若者が体を鍛えるだけで勉強しないことを嘆き、『健全な肉体には健全な精神も!』(肉体だけ鍛えてもダメ!)といった」のだと書いているのを見て、なるほどそうだったのかと、久しぶりに手もとにある原文をひもといてみたが、どうもそうでもなさそうなのでここで報告したい。

 ただ、この解説も読んでいて、あれ?と思った。確かに元々はユウェナリスの詩でいいのだが、英米圏でのこの成句は、ジョン・ロックに由来する。ネットで確かめてみると(というかその程度で確かめてみる)。

"A sound mind in a sound body is a short but full description of a happy state in this world."
-- John Locke

 ロックの場合は、「健全なる精神が健全な肉体に宿るというのが、手短だが、この世にあって幸福な状態を十分に説明している」というで、つまり、幸せっていうのは、その両方を手に入れることだ、という意味になる。だいたい英米圏でもそうした理解が成り立っているはずだ。なので、先のユウェナリスを考察したページでスタートレックのエピソードが次のように解釈されているのだが、それも若干だが違うように思う。

 ところで、日本の知識人に槍玉に挙げられている健全な精神は健全な肉体に宿るということわざは、どうも日本だけのものではないようだ。最近、スタートレックを見ていたら、バーベルを握って筋肉トレーニングに励んでいる若者(ノーグ!)が、友達のジェイクに筋肉トレーニングの良さを勧めながら「『健全な肉体に健全な心』(多分、Health in body,health in mind)と言うじゃないかと言うシーンに出くわした。
 このことから、格言というものは一人歩きするものであること、欧米においても、もうずっと昔からユウェナリスの詩は読まれなくなっているということが分かる。

 話が重箱の隅を突くようになってしまったが、それにしても日本語版ニューズウィークの翻訳者はこうした英米圏文化の背景を知らなかったか、知っていても日本人の理解に合わせて意訳(超訳)したのだろうか。そう考えづらいのは、訳者も当然この記事の全体を読んでいるはずだということ。この記事は、英米圏ではスポーツマンは知的に見られていないという偏見をベースにしている。つまり、肉体が健全だと知力はたいしたことないと見られがち、というのがこの記事の前提になっている。
 話が逸れていくのだが、「健全なる精神が健全な肉体に宿る」という日本近代の諺だが、「健全なる精神が健全な身体に宿る」というバージョンがけっこうあり、「肉体」と「身体」というのはどういう関係、あるいは理解になっているのか気になった。なんとなくだが、肉体というのは生理活動でありぶっちゃけ日本近代の青年の悩みというかいまでも増田の悩みというのは性欲なので、たぶん、「肉体」バージョンは性欲との関連にあるのだろうと推測する。余談だが、新渡戸稲造の人生論とか読むと性欲の問題は青年男性だけではなかったようだが、この話は今日は突っ込まない。ただ、このあたり研究されないもんだなとは思う。猫猫先生もご存じないかもしれない。(いやいや私のただの勘違いかもしれない。)
 これに対して、「身体」のほうは、運動やスポーツの含みがあるのではないか。つまり、スポ根である。甲子園球児みたいなあれである。スポーツすると精神もよくなるぞぉみたいな。このあたりの「肉体」と「身体」の転換、あるいは棲み分けは、けっこうマジに大衆文化として研究してもいいような気がするというのは、これがけっこうマジで「権力」の問題であることはフーコーとかに関心がある人なら理解するだろう。
 そして、もう一点。「精神」が気になるのだ。単純に言って、spiritではない。mindが英米圏の句のキーワードなのだが、日本バージョンでは巧妙にspirit的な「精神」になっている。
 たぶん、この「精神」という訳語は明治時代のもので、あのころは「精神」がmindの語感を持っていただろう。もともとmindというのは、ニューズウィーク日本語版の訳語のように「知力」に近く、いわば論理能力・計算能力のことだ。ロゴスの能力といってもいい。このあたりのmindという考えはあまり日本人の文化には馴染まないようだ。

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2007.03.28

[書評]海辺の生と死(島尾ミホ)

 島尾ミホさんが亡くなった。八十七歳。とぅしびーは祝ったであろうし、満年齢なら、とーかちも祝ったか、と思い、いや彼女はカトリック教徒だったなと思いおこして自分を少し苦笑した。
 書棚を見ると彼女の「海辺の生と死」(参照)がそこにある。この書物はこの十年以上の年月、私の存在をいつもじっと見つめている。干刈あがたの本と一緒に、私が沖縄に出奔する前からいつも身近にあり、今もある。

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海辺の生と死
島尾ミホ
 「海辺の生と死」と島尾ミホさんについて、私の胸にこみ上げるような思いがいろいろとある。だが言葉にならない。死は悼むべきだが、彼女は天寿に近い。その死を強く悲しむものではないが、なにか泣きたいような思いだけはこみあげてくる。
 本を手に取りなんども読んだページをめくりながら、その感情のコアがどこにあるのかと問い直すまでもなく、それが何であるはわかる。だが、それをどう書いたらいいのだろうかとなるとまるでわからない。そこに記されている言葉を引用するのさえ畏怖感がある。
 アマゾンを見ると復刻されていないせいか古書にプレミアムの価格がついている。そこまでして読むべき本かといえば、そうではないだろうし、ある種の人々には読んで欲しくない聖なる本なのだというふうにも思える。いや、そう言ってしまえばまったく別の意味になってしまう。
 紹介にはこうある。間違いではない。

幼い日、夜ごと、子守歌のように、母がきかせてくれた奄美の昔話。南の離れ島の暮しや風物。慕わしい父と母のこと。―記憶の奥に刻まれた幼時の思い出と特攻隊長として島に駐屯した夫島尾敏雄との出会いなどを、ひたむきな眼差しで、心のままに綴る。第15回田村俊子賞受賞作。

 間違いではない、が、真実でもないと言ってしまいたい思いもある。何がどうなんだということは、この本の内容にも関係するが、田村俊子賞については武田泰淳のこともある。そういえば彼が亡くなったのはいつだったかと調べると七六年であった。本書の初刊は七四年であった。
 文庫版の末には吉本隆明が「海」に掲載した「聖と俗 焼くや藻塩の」が解説の代わりに付いているが、これがまた重たい内容になっている。奄美での出来事に触れてこう彼は語る。

 これが、到来した守護神と村落の人々、わけてもゆかりある少女との<聖>なる劇のクライマックスである。それを演じた島尾敏雄と島尾ミホ夫人の、戦後の<俗>なる日常性に、なにが必然的におこらざるをえなかったか、ここでは触れるべきことに属さない。この本の世界は、そこにはないからだ。

 たしかに本書の世界は、<俗>と峻別される<聖>の世界でもあるのだろうが、吉本がここで「必然」と喝破しているように、切り離されるものではなかった。言うまでもなく、その裏面の世界は「死の棘」(参照)であり、なお続く、「魚は泳ぐ 愛は悪」(参照)の島尾伸三の物語でもあり、「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」(参照)のしまおまほの物語でもある。いや、しまおまほまで続いていると見なくてもいいではないかというなら、それはそうなのだろう。
 ネットを見回すと、読売新聞のサイトに本書の関連で”幽明の間に咲いた恋…加計呂麻島(鹿児島県)”(参照)で興味深いコラムが掲載されていた。

 だが「島尾隊長」と、死の淵(ふち)から奇跡の生還を遂げ、「インテリ作家」となった島尾敏雄は別人だと言う。「隊長さまはあの日を最後に姿を消しました。夢の中で隊長に会ったと話すと、敏雄は『ミホは昔の恋人に会ってきたんだね』と苦笑したものです」。夫の遺影の前で喪服を着て居住まいを正したミホさんは、そう言ってはにかんだ。

 その言葉と、その喪服をどう受け止めていいのか、私にはわからない。言葉はその通りの意味でもあるしその通りの意味でもないかもしれない。喪服は引き裂き得なかった預言者の衣のようでもある。
 言葉によって切り取られることがありえないはずの聖なるもの一端がこの書物にはあるが、すべての読者に開かれているわけでもないし、ある意味で選ばれたような読者の祝福でもない。教訓めいたものも、善なるものないと言っていいのかもしれない。
 たぶん救いのようなものだけはない。

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2007.03.26

昨今ブログ事情など

 ブログを始めてこの夏で四年になるのか。さすがにそろそろ終わり感も漂うし、あるいはすでに終わっている終わっていると言われているように今は終わった後の光景なのかもしれない。この間ブログの世界もいろいろ変わった。内側にいて思うことを少し。
 先日、ブログ界で知る人ぞ知る知らない人は知るわけねーじゃんのうんこさんことハナ毛さんことことことから、ブログ始めるとしたらどこがいいでしょ(参照)と聞かれた。うぉらぁエントリに関係ない糞コメントすんじゃねーとか言うのもなんだしスルーっていうのもと思って、エントリ書いたら、これがさ、長くなってしまって掲載をためらっているうちに紛失してしまった。どうでもいいけど。
 で、どのブログホストサービスが良いか? 一言でいうと、あ、このブログっていいなというブログをサポートしているところがいいですよ。
 「池田信夫 blog」(参照)が良いなと思えたらグー、「ブログ時評」(参照)がよいなと思えたらエキサイト・ブログ、「404 Blog Not Found」(参照)が良いと思えたらライブドア・ブログ、「分裂勘違い君劇場」(参照)が良いなと思えたらはてなダイアリー、「英玲奈日記」(参照)のファンだったらヤプログとか。ただ、「泥酔論説委員の日経の読み方
」が良いと思っても「さるさる日記」(参照)はお勧めできない。理由はなんか言われそうだけど、単純に読みづらいのと変なツールを仕込まれるからだ。
 ブログというのはスタイル指定でいろいろ見栄えが変わるのだけど、そのあたりはレディメードのデザインが多いところを選ぶのでなければ、ある程度勉強して自分でデザインすることになる。この極東ブログは地味の極みだけど例えば上部にマージン空間があるとかちょこっとデザインしたりしている。ただ、デザインはけっこう難しい。
 閲覧者から見えない部分の機能というのもいろいろあって、私がココログを選んでいるのは、ブログシステムはムーバブルタイプを特化させたタイプパッドが最高機能かなと思っている面があるから。ま、そうだと断言はできないけど。ついでなんでココログの使い心地だけど、一時期ホント止めようと思ったけど、最近は安定している。極東ブログのタイプだと月千円くらいかかるので、ロリポップにムーバブルタイプを入れて独自ドメイン入れるより高く付く。それだけのメリットがあるかというと、微妙かな。
 アフィリエイトについても微妙だけど、無料サービスの場合は、サービス側で勝手に広告を付けるのでそのあたりをどう考えるか。エキサイトのようにまるでダメというのもあるけど、現状だとだいたい月額三百円くらいで押し付け広告が除去できる。ということは月額三百円くらいアフィリエイトで稼げるならということになる。週刊誌一冊分くらい。ただ、実感としては、バランス感がでるのは五百円から千円くらいでしょうか。それってやってみるとけっこう難しいだろうと思うというか、チャレンジしがいがある。言うまでもなく最初からアフィリエイト志向のブログは誰も見ないでしょ。アフィリエイトはオタ系でなければある程度そのブロガーへの好意のようなものから成り立っているようだ。というところで、付け足しみたいですがこの機に、みなさまに感謝。
 この関連の基礎知識というか経験知識は、ブロガー献本による壮大なクチコミ実験となっている「クチコミの技術 広告に頼らない共感型マーケティング」(参照)がためになる、つまり、マーケティングの本というより、普通のブログ入門・心得として良書。


 個人でブログを長く運営している人たちには、ある共通する感覚があります。それは、長く続けることで「ブログが育つ」という感覚です。そして、ブログが育ったと感じることがメディア化への第一歩と言えるでしょう。

 メディア化はさてこき、ブログを始めるときも、ある程度育った状態を想定するといいと思う。
 で、その第一歩だが。

  • 半年以上にわたって毎日更新する
  • 蓄積したエントリー数が300を越える
  • 一日のPVが500以上になる


 この数値は、筆者がブロガーとして活動しているうえで得た肌感覚から割り出したものですが、ほかのブロガーに聞いてみても大体納得してくれます。

 私も納得する。というか、よい指標だと思う。
 補足すると、毎日更新というのは、よほどのことがないと無理なので、少なくとも週4日くらいだろうか。大体150日で300エントリというと、一日2エントリ。毎日は無理だから書くときは3エントリくらいまとめ書き。ただ、3つあればいいわけではなく、一つのエントリで200PVを取るくらいの引きが欲しい。(PVというのはとりあえず閲覧回数。)
 これはけっこう大変ですよ、やってみるとわかるけど。
 ただ、大変だからやめときなさいというのではなく、そのくらいの水準を意識してやってみるといいと思う。
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クチコミの技術
広告に頼らない
共感型マーケティング
コグレ マサト
いしたに まさき
 この引用部分の筆者はいしたにまさきさんで、「みたいもん」(参照)を運営。同書によると、月10万PVとのこと。日割りにすると、3000PVあたり。このくらいだと、外側から見てブログの世界にいるという感じだろうか。偉そうな言い方に聞こえてはなんだが。そして、以前、「池田信夫 blog」の池田さんが1万PVに多少驚いていたエントリを書かれていたと記憶しているが、一日1万PVを越えるあたりで、いわゆるアルファーブロガー的な世界になるのではないかと思う。これは多いといえば多いのだけど、それでもマスメディアに比べると大したことはないし、他に有名まとめサイトなどは大体一日10万PVはありそうだ。
 ブログを使っていないまとめサイトのPVが高いというのは、現状ではブログはまだまだメディアになっていないに等しく、大体1万PV代のブログというもRSSよりブックマークで読まれているようだ。
 とま、散漫な話がなんか長くなりそうのでこのあたりで。

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2007.03.25

Chxxch ? Have you guessed what's missing?

 中年のオッサンだからというわけでもないと思うが私は昔から受けない洒落というかあたりがひんやりするような洒落が好き。特にアメリカンなジョークとか、英単語の勉強にもなりそうな英語の駄洒落とかも好きだ。井戸を落下しつつとりあえず状況を是認するようなというか、というわけで、Chxxch ? Have you guessed what's missing?
 答えは、UR 。
 寒い。
 寒いぞ。狗子仏性そもさん、ってな感じ。
 愉快な世界びっくりニュースで筆箱を象が踏みつぶすみたいに”英国の教会、賞金獲得のためにユニークなスローガン”(参照)が翻訳されたとき、いち早くブックマークしたのは私です。で、他にいないでやんの。そりゃな。
 話は、最も優れた宗教的スローガンコンテストが英国で開催されているとのことで。


一部は読んだ瞬間に笑ってしまうものもあるでしょう。これまでにも素晴らしいスローガンがありました」とコメント。

その例としてスレイターさんが話したのは以下のスローガンだ。


 おお、ワクテカ。
 で、なんだったか。

「Chxxch……さて、xxには何が入るか分かりましたか? そうURをいれてchurch(教会)です。ああ神よ、あなたは素晴らしい」

 お、おもしろい。HAHAHAHAHA!!!
 わけねーよな。
 訳している人は笑ったんだろうか。チェックした上司も、オッケー、面白いねぇ、ひひひ、とかだったのだろうか。寒いな。
 このニュースのネタ元は”Congregational's Church Poster of the Year Competition”(参照)だ。他にも凍てつくシベリア級の洒落が……。

Recent examples of UK Church Slogans:

“God, you're great”
“Chxxch ? Have you guessed what’s missing? U R!”
“No God, no peace. Know God, know peace”
“Seven days without prayer makes one weak”
“Fight truth decay”
‘Rooney shoots but Jesus saves’


 もう救いようがないというか。
 ロイターの原文は”Humor in church: the rite stuff?”(参照)だ。標題のthe rite stuff?とか見ていると、これはもうもうもう、地球温暖化を阻止するためにどこが面白いかを解説したほうが正しいのではないかと思えてくる。
 
 “Chxxch ? Have you guessed what's missing? U R!”
 Ch□□ch? □に隠されている二文字はなあに? 答えは、UR。つまり、Church(教会)の中にいるのは、YOU ARE(あなたです)、って教会に通えよ。

 とか言いつつ、"God, you're great"はよくわからない。"God Tussi Great Ho"か?
 ま、いいや。
 ところで英国でChurchというと聖公会なんだが、これがけっこう理解しづらい。先日、実によくわからないなと思ったのがチャーリーの再婚。なんか説明を聞いたのだけどさっぱりわからなかった。
 聖公会ってウィキペディアにはなんて書いてあるんだろうと覗いたら、ごにょごにょの中にこんな話が(参照)。


聖公会系の教会は、大英帝国の植民地の拡張に伴い、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ等で信者を増やしていった。現在ではイギリス国外における信者の人数が、国内の信者の人数を上回っており、その大部分はアフリカとアメリカの黒人で占められる。

 へぇという感じだ。
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アメリカン・ジョークに習え
 カトリックもけっこう黒人に広がっている。というか、今後は中国かアフリカに伸びるしかないのだろう、というあたりで、エマヌエル・ミリンゴ大司教のことを連想した。うーん、このネタは笑ってすませるわけにはいかないなぁ。そういえば、聖公会では修士の妻帯はありだったっけ。違ったっけ。なんかすごい複雑だったような。

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