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2007.01.06

安藤百福、逝く

 安藤百福が五日亡くなった。九六歳。天命とも言うべきかもしれないが、死に際して心筋梗塞で苦しくなかっただろうか。チキンラーメンの開発者であり、カップヌードル開発の事実上の総指揮者でもある。近年の連ドラ「てるてる家族」やプロジェクトX「魔法のラーメン 82億食の奇跡」などで生前から伝説化が進んでいた。確かに日本的な苦労とジャパニーズ・ドリームを実現したような人生である。が、日経新聞に掲載されていた「私の履歴書」の書籍化「魔法のラーメン発明物語」(参照)を読み返すと、そうしたわかりやすいグレートマン伝説とは少し違う、昭和史を体現した興味深い人物が浮かび上がってくる。

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魔法のラーメン発明物語
私の履歴書
安藤百福
 安藤が伝説のチキンラーメンの開発に取り組んだのは私が生まれた年、昭和三二年のようだ。その時、彼は四七歳。翌年開発に成功する。ざっくり見て、安藤百福の今日の栄光のスタートは五〇歳であった。顧みて四九歳の自分には人生をやり直してチャレンジするような気力はない。まるでない。安藤はもの凄い人だと思う。
 安藤にとってこの開発は人生七転び八起きの一つに過ぎなかった。彼は製塩業に失敗し、次に理事長をしていた信用組合が破綻した。「魔法のラーメン発明物語」にあるこのエピソードが面白い。彼の信用組合は都銀を「母店」としていた。

やがて不足金が設定融資限度を超えると、母店の姿勢は一層厳しくなった。「担保もあることだから、もうしばらく猶予がほしい」とお願いしたのだがだめだった。
 ついに不渡りを出し、取り付け騒ぎが起きた。信頼していた母店が、真っ先に担保に入れていた組合の建物と敷地を差し押さえた。その時の銀行の冷たさはひとしお身に染みた。信用組合は破綻し、私は理事長としてその社会的責任を問われた。
 私はまたしても財産を失った。残ったのは大阪府池田市の住まいと、身を焦がすような後悔だけだった。バチが当たるというのはこういうことを言うのだろう。責任を持てない仕事は、いくら頼まれても軽々に引き受けてはいけないのだ。必ずだれかに迷惑をかける。

 さらっと読み過ごしてしまうが、この手の話はある程度類似の経験した人でないと分からない娑婆の本性というものがある。安藤はこのことを忘れなかった。

 ある取引先の頭取から「安藤さんの会社はカネを借りてくれないから面白くない」と言われたことがあるが、日清食品を創業して以来、無借金経営を貫いている。

 そう貫かれてしまうのもどうかと思うが、この気概は昭和史を見る一つの視点にはなる。そして彼はこう考えた。

 私は過ぎたことはいつまでも悔やまない。「失ったのは財産だけではないか。その分だけ経験が血や肉となって身についた」。ある日そう考えると、また新たな勇気がわいてきた。

 この勇気からチキンラーメンが生まれる。
 このエピソードを読み返しつつ、なぜ彼が信用組合の理事長となったのかが気になった。というのは、彼は戦後史においてウォルフレンの言うような信用権を授与された人ではなかったか。
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プロジェクトX挑戦者たち
第4期 Vol.2
魔法のラーメン
82億食の奇跡
カップめん・どん底
からの逆襲劇
 チキンラーメン開発に至る安藤百福の人生をそうしたジャパン・アドミニストレーターズと信用権の関係で見直すと、少し違った風景が現れる。彼はある意味で選ばれた人だったが、同時にその選択と信用権に常に距離を置いていた。国家というものに対して「私」の本義ともいうべき感性を持っており、そのためには死に瀕するのも厭わないようだった。その辺りに彼の本当の成功の意味がありそうだ。
 気になるエピソードが二つある。彼は一つは戦中、憲兵の拷問で殺されかけたことだ。その頃安藤は軍用機エンジン部品の製造会社を共同経営していたのだが、官給品の横流し疑惑で憲兵にしょっぴかれた。

「そんなことはありません。私は被害者なんです」と懸命に主張したが、有無を言わさぬ暴行が加えられた。棍棒で殴られ、腹をけられた。揚げ句は、正座した足の間に竹の棒を入れられた。拷問である。


 いつの間にか、私を犯人にした自白調書が作られ、判を押せと強要された。罪を認めれば、この責め苦からは解放される。しかし、私は抵抗した。死んでも正義は守りたかった。

 まったくひどい話で、しかも真相は憲兵と横流し者が親戚で彼を陥れたことらしい。こうした歴史のエピソードを読むことで時代の感触がわかる。この不正極まる世間が常態でもあった。
 この拷問の後遺症で彼は二度の開腹手術をすることになるのだが、そこまで耐えた悲劇からどのように脱出したか。それは彼の仲人だった陸軍中将によるものだった。この辺り、安藤に対する疑念というのではないのだが、すでに選ばれた人でもあったことが伺われる。
 戦後も安藤は似たような罠に嵌められる。起業し若者に奨学金を出していたのが脱税とみなされGHQにしょっぴかれた。

乗り出してきたのは税務署ではなくGHQだった。大阪の軍政部で裁判が開かれ、たった一週間で「四年の重労働」という判決が出た。裁判では、こちらの言い分は一切聞いてもらえなかった。
 大阪財務局から財産が差し押さえられ、泉大津の家も工場も炭焼きした兵庫県の山林も、私名義の不動産はすべて没収された。身分は巣鴨プリズン(東京拘置所)に移された。


 巣鴨には、戦争犯罪の容疑やパージで逮捕された政治家、言論関係者、財界人らが収監されていた。面識のあった岸信介さんとも偶然、一緒になった。

 安藤はこの罠にも抵抗し、裁判闘争に挑んだ。

 裁判が進むうち、税務当局の役人が「訴えを取り下げてくれないか」と言ってきた。取り下げるなら、即刻自由の身にしてもいいという。もし私が裁判に勝てば、反税運動を勢いづかせることにもなりかねない。旗色が悪くなったので、妥協を迫ってきたのだと思った。

 日本権力のいい加減な挙動が浮かび上がる奇妙なエピソードでもある。その内部抗争や時代の空気の流れで、多くの日本人が事実上抹殺されてきたのだろう。安藤は残った。成功した。その人生は多くの敗者と死者の義を暗示させていると思う。
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食欲礼賛
安藤百福
 

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2007.01.05

ブログと金銭的インセンティブの辺り

 どういうふうに書いたらいい話題なのかよくわからないが、気がかりなので書きながら考えてみたい。発端は、ブログBigBang”オーマイニュースを巡る匿名性の問題について(2)---小倉弁護士に答える/ 心苦しいが鳥越編集長には勇退をお奨めする。”(参照)を読んでいて思ったことだ。最初にお断りだがエントリの批判ではないし、オーマイニュースへの批判でもない。
 エントリの中心的な話題も、それはそれでとても重要なのだが、読後私はちょっと別の方向を考えていた。編集長が勇退する契機にはいろいろあるだろうが、一般的には経営状態である。雑誌なら編集長を変えることで刷新し売り上げを向上させたいものだ。そうした視点からすると、オーマイニュースと鳥越編集長の関係はどうなのだろうか。内容面で批判があるにせよ健全に運営されているのだろうか。つまり、利潤が上がり、投稿者=市民ジャーナリストに十分なキックバックが与えられているのだろうか。というあたりで、この問題がぼけてしまう。
 BigBangさんの該当エントリでもそういう印象を受けるのだが、参加型ジャーナリズムないしネットジャーナリズムが短期的な経営より重視されるようだ。その場合、経営戦略としてはどうなのだろうか。補助線的に言えば、ユーチューブなどは当初から売却のためのビジネスであり、おそらくグーグルを釣るためのビジネスであったのだろう。その観点からユーチューブの過去の経営を見ると最適化されているように見える。オーマイニュースもそうした中長期的な隠し球の経営戦略があるのだろうか。
 オーマイニュースの経営については同じくブログBigBang”「ゴミため」から投げつけられた毒饅頭----オーマイニュースは大丈夫なのか(1)”(参照)が詳しい。


ビジネスモデルとしては、広告モデルであることはもちろんだが、市民記者とその「係累」を中心にしてアクセスを稼ぐ構造であるため、市民記者の登録数が大きな鍵となる。韓国Ohmynewsでは登録数が4万人を超えている。日本法人が、当初から市民記者の登録数に過敏になっているのもこのためである。

その他に韓国では、日本法人ではまだ導入されていない、市民記者原稿料の“投げ銭(カンパ)”制度があって、1000ウォンから30000ウォン(116円~3495円/1ウォン=0.12円)を個人が寄付でき、その50%を手数料としてOhmynewsが取ることになっている。


 引用が長くなって申し訳ないがBigBangさんはこれをうまくまとめている。

要は単純化すればオーマイニュースのインカムは広告費であり、アウトは市民記者への原稿料、システム運用費、広告費等、その他事務所経費などであるが、常勤で抱える記者は既存のメディアに比べて相当少ないため、(韓国で現在40名程度とされている。常勤:非常勤(市民記者)の比率は1:1000にも達していることになる)固定費は相当少ないと予想される。また原稿料も、仮に試算として2,000円の原稿料を支払う記者が毎日50名発生したとしても、月額で300万円程度であるが、実際にはもっと少ないだろう。通常メディアで相当量を占めると思われる取材費は、市民記者の記事に関しては基本的に支払われないため、比重は少ない。かなり身軽な事業形態であることが予想される。

 もともと書き手の側へのキックバックが少ないビジネスモデルなのかもしれない。当然そのことから、カネを得たいと思う書き手にとってはオーマイニュースはインセンティブが少ないとも言えるのだろう。
 オーマイニュースの経営サイドから見れば、ベースは広告でありPV(ページビュー)獲得が運営の基本になるのだろうが、そのPV傾向についてはすでに諸処で指摘されているのでここでは割愛する。
 話を少し戻し、BigBangさんが指摘している「市民記者とその「係累」を中心にしてアクセスを稼ぐ構造」はどうだろうか。現在のオーマイニュースはその点から見ると経営のラインにあるのだろうか。この場合、一見さんのPVを増やさなくても仲間内の輪のようなものを広げていけば経営的に十分なモデルが仮定される。例えば、いわゆる「クチコミ」的なビジネスモデルなど。
 話が少し逸れて、一般的なブログとインセンティブの関係に移るが、この点ではブログ404 Blog Not Found”Amazonアソシエイト決算2006”(参照)が興味深かった。アマゾンによるアフィリエイト(アソシエイト)でかなりの売り上げがあるとのことだ。

まず驚くべきは、売り上げ増が未だに続いているということです。特に12月がすごくて、「クリスマス商戦」のおこぼれがこちらにも来たのではないかというほどで、第四四半期の売り上げの過半が12月単体でした。この一月だけで、2005年一年の倍近い売り上げを達成しました。

 金額ベースはわからないしそのあたりの推測は下品なので控えるとして、ブログとアフィリエイトによってかなりの収益を上げるモデルの先行例に見える。単純に言えば、ブログはよい書き手によって儲かるというインセンティブが確立したかのようだ。
 売るという観点からは、ブログ404 Blog Not Foundのdankogaiさんは次のようにまとめている。

著者blogでは自著はよく売れる
共著もまた然りです。特に私は単著よりも共著、しかも雑誌が多いのでこういう売れ方は嬉しいですね。

やはり好意的な書評の方がよく売れる
それが炸裂したのが、「神は沈黙する」と「はじめまして数学」だと思います。この二冊とも12月紹介なのに、この勢いですから。なお、ベスト40の紹介ではシリーズの各巻がばらけてますが、最初はその中で一番売れたもの(たいていシリーズ最初の巻)だけを順位にのせようと思った位です。集計の手間を考えてそれは断念しましたが。

書評は早いほどいい--が、早ければいいとは限らない
「早ければいいとは限らない」の例が、「渋滞学」です。これらはすでに他に書評も多く出ていて、本blogは完全に出遅れていました。


 自著は売れるという点は一般的なブロガーには当てはまらない。好意的な書評は一般的な営業的なセンスからでも納得的できる。できるだけ早い書評が有利というのは早押し合戦というか謹呈書勝ちみたいな印象も受けるが、dankogaiさんの指摘ではそれほど重要ではないとしている。要するに、良書をきちんと好意的に書評することが購入者のインセンティブとなると言えるのだが、だとすれば結局はブロガーの資質なり読書スタイルなりに還元されてしまい、一般的なビジネスモデルにはまだならない。
 もう一カ所の引用なのだが。

それでもまだ第三四半期に関しては、引用元記事で説明されているようにいくつかの要因も思い当たるのですが、第四四半期、特に12月に関しては「クリスマス商戦」ぐらいしか思い当たるフシがないのです。確かに「はじめまして数学」などのヒットが連発したのも事実ですが、他の本まで売れているのです。blog全体のアクセス数はさほど増減していないことを考えると、嬉しいを通り越して首を傾げてしまいます。

 これは興味深い現象なのだが、アマゾン側の要因はないのだろうか。関連のエントリは”Amazonからのお年玉”(参照)ではないかと思うが、よくわからない。繰り返すが、ブログに対してアフィリエイトが金銭的なインセンティブとなるビジネスモデルをアマゾン側が先行して進めているということはないだろうか。
 もう一点、ブログと書籍化による金銭インセンティブについて某人気日記をケースとして考えてみようかとも思ったが、無用な誤解を招きそうなので控えておこう。もともと書籍化の成功例はネットやブログというカテゴリーとは異なるようにも見える。
 全体の枠組みとしては「ウェブ人間論」(参照)にあるように広告業界のシフトだろう。梅田望夫さんによれば世界の広告市場は五十兆円であり、内ネットの広告は三兆円とのこと。その差から見ればネットの広告はこれからも成長できるし、そのカネはネットに流れこまざるをえないのだろう。
 この問題は広告側以外に流通側もある。少し古いがブログGoodpic”Amazonアフィリエイトの5%は超優良書店? リアルとネット書店の収益構造の分析”(参照)が興味深い。
 話が散漫になるが、年末二九日の日経記事”資生堂、ヘアケア市場のシェアで年間首位に”(参照)も関連して気になっていた。話は、資生堂が〇六年販売の「TSUBAKI(ツバキ)」のヒットより、ヘアケア市場で首位となったということなのだが、気になっていたのは広告とその効果のバランスだ。

資生堂は「ツバキ」の広告宣伝費にヘアケア分野として過去最大の50億円を投資。「ツバキ」の初年度の出荷額目標は100億円だが、大幅に上回り180億円に達する勢い。「ツバキ」としては初の追加商品となる「美髪ヘアマスク」を来年3月に発売し、拡販に取り組む。

 広告に五〇億円。当初売り上げ目標がその倍だったとのこと。一商品でこれだけ大きな市場が当初から想定されているので広告の初期投入費用が大きいのは理解できる。
 全体の商品市場からすると、このような商品の広告についてはネットの出番はないのかもしれない。だがネットの広告費と対価が見合う市場はロングテール的に存在しているなら、現状よりもう少しブログやネットへカネの流れが起きてもよさそうだ。
 すでにアマゾンがなにか進行させているのか、ダークホースのような一極が出てくるのか、全体的なベースアップになるのか、よくわからない。なんにも起きないのかもしれないし。

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2007.01.04

[書評]「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか(リチャード・クー)

 リチャード・クーの最新刊『「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか』(参照)の奥付を見ると〇七年一月四日。今日である。すると謹呈本? そんなことはない。年末書店で平積みだった。
 一言で言うと、面白い本だった。
 正確に言うと私レベルにとって面白い本だった。

cover
「陰」と「陽」の
経済学
我々はどのような
不況と戦ってきたのか
リチャード クー
 面白いってどう面白いんだと突っ込まれると、ちと照れる……いや照れるっていうのではないな。ネタ満載? ある意味ではそう。まあ、面白いですよ。一昨日のエントリ”極東ブログ: 経済談義、五年前を振り返る”(参照)でちらと触れた「エコノミスト・ミシュラン」(参照)の応答としても、落とし前を付けるっていうくらいあったりして、もしかしてリチャード・クーのハンドル(ネット上のニックネーム)を知らないのは俺だけ?とか思った。「バーナンキの背理」の背理も載っているし。
 話のスジは前著「デフレとバランスシート不況の経済学」(参照)と同じ。その前の「日本経済 生か死かの選択―良い改革悪い改革」(参照)とも同じ。という意味で食指が動かんという向きもあるかもしれないが、なんというかいざなぎ超えを背景にリチャード・クーの勝利宣言と取れなくないこともないこともないかもしれないと思う人がいるかもしれない。俺とか。
 バランスシート不況説は、日本の失われた十年(十五年?)の長期の不況は、バブル崩壊がもたらした企業と銀行のバランスシート毀損が原因であるとする考え方である。そしてこれに対処するには財政政策のみが有効とする。
 バランスシートは言うまでもなく企業の資産状況を示した財務諸表のことだ。バブル崩壊以降、日本の大多数の企業の財務内容が悪化した。それが社会にばれて企業が立ち行かなくなるのを企業が恐れ、一斉に利益を借金返済にまわす行動に出た。この一斉行動が経済学でいう合成の誤謬を産んでデフレが生じたとクーは主張する。
 さらに、通常の経済学(マクロ経済学)では企業の基本行動は利潤追求であってそれを借金返済が勝るとは想定していないのだが、そういう事態が数十年に一度起きる。そういう時代は「陰」の時代であり、通常の経済学の「陽」の時代の理論が当てはまらない。かなりの企業が財務諸表改善を最優先課題として行動するため、投資が控えられる(クーは大きく触れてないが雇用調整も大きいだろう)。こうしたダークサイドの時代になると、日本銀行がいくら金融政策をしてもデス・スターの債務返済バリアの前に無効になってしまうとのこと。
 と、スター・ウォーズの世界観みたいな感じだ。信じる?
 経済政策論議的には、米国を中心として流行の、あるいは日本の一部で盛り上がるリフレ派的な金融政策優先論の批判という枠組みになっているのだが、そのために結果がすごい違いになるのだが、理論サイドではクーの立場はリフレ派とそれほど違いはない。単純に言えば、リフレ派は諸悪の根源はデフレだからデフレの解消に有効な金融政策をせよという論法を取るのに対して、クーはデフレの原因はバランスシート毀損だからその根源の問題が時間を回復するまで待つのが基本であり、政府はその補助として財政政策をせよということ。あれです、失恋の対処と同じ。新しい恋人をめっけるのがリフレ派的、痛手が癒えるのを待つのがクー的……いやそれは違うか。
 今回の本では、クーの従来からのというか九七年以降のバランスシート不況の最新状況を解説しているもので、率直に言って私のような経済学あんぽんたんにはとてもわかりやすい。ただし、ワタシ的にはさらに根幹のバブルがなぜ生じたのかについての解説になると、リフレ派のたとえばクルークマンのようにそんなことどうでもいいでしょ論も、クーのように歴史を忘れた人々の愚かさの循環だよ論も、それって全然違うんでねとか思う。っていうか、陰陽の経済学って、長期の景気循環論としてはハメハメ波(Kamehame wave)みたいなコンドラチェフ波(Kondratieff wave)と同じでねーのかと訝しく思う。
 もう一点今回の本の特徴は、実はこれで読んでめっかと思ったのだが、一九三〇年代の世界大恐慌もバランスシート不況であり、それで説明するという点だった。というのは、昨今のマクロ経済学(日本のコンテクストではリフレ派)の考えでは、当時の大恐慌も金融政策で対処可能という考え方が主流になっていて、いわば経済学の定説であるかのように見える。そこに赤手空拳、リチャード・クーの独創的経済学で挑むのである。野次馬が寄ってこないわけがない。野次馬の一人はどう思ったか? 微妙。ただ、経済学的な定説では否定されているんだろうが、戦争っていうのはやっぱ財政政策かなとはちと思った。
 関連で釣りと目次をご紹介。

 1930年代の世界大恐慌も今回の日本と同じバランスシート不況だった。
「大恐慌の教訓」を拠り所にする主流派経済学の分析・理論を日本の経験をもとに論破。
戦後最長の景気拡大に潜むリスクを考察する。

第1章 我々はどのような不況と戦ってきたのか
第2章 景気回復期に留意すべきバランスシート不況の特性
第3章 七〇年前の大恐慌もバランスシート不況だった
第4章 バランスシート不況下の金融・為替・財政政策の論点整理
第5章 「陰」と「陽」の景気循環とマクロ経済学の統合
第6章 日本国内における論調
第7章 世界経済を待ち受けるチャレンジ
補論 新古典派経済学が軽視してきた貨幣の存在理由


 1章は概論。ここだけ読めばクーの考えかたはわかる。2章はそのサポート。3章は先にふれたように経済学のメインストリートへの異論。歴史学的に面白いといえば面白い。4章と5章は経済学的な展望。5章は単的に言えばリフレ派への応答。けっこうきちんと応答しているのはさすが。
 7章は現在の世界経済への見通し。ここだけ読んでも面白い。石油の価格がドルである米国の有利性という問題は、いわゆる陰謀論的な枠組みにも見えてどうなんだろとも思っていたが、それは重要なんだとするクーの説明には説得力があった。また、エントリ”極東ブログ: [書評]もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する (カレル・ヴァン ウォルフレン)”(参照)で触れた中国が米債を売るかも問題にも示唆を受けた。
 補論の貨幣論は個人的にはとても面白かった。私はマルクスやケインズ経済学が教養だった時代の人でそれからポランニ的な考えに移っていった。そうした視点から国家と貨幣について考えてなおしてみたいと思っていた矢先なので示唆を受ける。関連して、以前のエントリ”極東ブログ: グリーンスパンの難問(Greenspan's conundrum)”(参照)についてもクーの議論が説得力を持つかなとは思った。セントラルバンカー論としては小宮隆太郎が言うように技芸としてアートの妙味みたいものも感じた。
 本書とリフレ派の衝突点だが、私なんぞに手に負えるものではない。が、大筋ではクーの見解に説得力を覚える。論戦的な展開があるなら、日本のデフレが九七年から発生したものかという点ではないかということか。個別には、昨年の量的緩和解除の評価についてクーの言うようにあれで良かった論の反論とか読んでみたい気がする。
 本書は現在の日本の好景気とこれまでの金融政策があまり効果を出していないと見えることなどから、クーのバランスシート不況のほうが一般受けするだろうと思うが、私としては三点異論というか疑問点がある。一つは、この間の為替操作による非不胎化介入はリフレ効果をもっており、それはかなり重要だったのではないかということ。もう一つは、リフレ政策が重要になるのは、現在の消費の停滞のスパイラルに対して、家計の保持金の叩き出しに今後使われるのではないかという点だ。三点目の疑問は、デフレの原因はさらに別なんじゃないかなのだが、これは自分の考えがうまくまとまってない。

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2007.01.02

経済談義、五年前を振り返る

 恭賀新年。
 ”年号年齢早見表 極東ブログ・リソース”を 2007年版(参照)に差し替えた。今年百歳のかたは明治四〇年生まれになるのかと感慨深い。
 年末のエントリで”極東ブログ: [書評]エコノミストは信用できるか(東谷暁)”(参照)を書いたが、その後同書のエコノミスト採点をぼんやり見ていて、おやっと思ったことがあった。同書は〇三年一〇月刊行なのでずばり五年前、〇二年時点のエコノミストの採点というわけでもないが、こうした話題が沸騰したのが五年前だったかなということもあり、切りよく五年前としてもそう間違いはないだろう。
 おやっと思ったきっかけは、同書で最高得点のエコノミストって誰だったっけという疑問で得点を並べてみたことだった。

   一位 七七点 野口悠紀夫、池尾和人
   三位 七六点 岩田規矩男、小宮隆太郎
   五位 七五点 クルーグマン

 おやっというのは、一位が野口悠紀夫と池尾和人だったのか。いや、無防備に言うとだな、そりゃないよ、だが、次点が岩田規矩男、小宮隆太郎、そしてクルーグマンとなるのだが、どうも正月ほろ酔いの馬鹿話につきあわされているような珍妙な気分になった。五年も前の話だしな。しらふで考えてみれば「エコノミストは信用できるか」はそうしたエンタテイメント本ではある。
 とはいえどうしてこんな結論が出たのか、しばし考え込んだ。野口悠紀夫と岩田規矩男が上位に並んでいるのはいかなる判定基準からか。どのような立場であれ論旨の一貫性ということか。しかし、となると池尾和人はそうだったのか。そうかもしれないが。
 からくりはすぐにわかった。


この章では、本書で言及したエコノミストを登場順にならべ、評価を「前後の一貫性」「議論の整合性」「説得力」「市場供給力」「市場需要力」の五つについて、それぞれ二〇点満点に採点し、それをレーダーチャートといわれる蜘蛛の巣グラフに表してみた。

 前後の一貫性についてはそれほど主観は入らないだろう。普通に読んでも意見ころころ変えているなこの人というのはわかるものだ。議論の整合性もその類。説得力はべたに主観が入るがそれはそれで、東谷をどこまで信頼するかで、反論があれば別の評点をすればよい。問題は残る二つだ。

念のために申し上げておくが、点数がそこそこだからといって、論者として評価したとは限らない。「市場供給力」とは論文・著作数などから判断した「エコノミストの市場」への能動性、「市場需要力」はマスコミ登場回数などから判断した「エコノミストの市場」からの引き具合を示すに過ぎないからだ。

 つまり「市場供給力」はオレオレ度、「市場需要力」はセンセー度ということか。
 これらをエコノミストの力量評価に含めるのも面白い観点ではあるけど、日本経済の状況というのを客体としたとき、これらの変数を含めると客体としての対象性をより曖昧にしてしまう。別の言い方をすれば、ランキングには論戦に外的な指標が求められるのに、論戦の内部要因が含まれることになる。
 ほいじゃということで、この二要素を外して先の上位をみるとだいたいこんな感じ(チャートから見ての概算)。

   小宮隆太郎 五〇点
   池尾和人 四九点
   岩田規矩男 四六点
   クルーグマン 四四点
   野口悠紀夫 四三点

 他にも高得点になるエコノミストが出てくるが、それでも、小宮隆太郎と池尾和人が頭一つ抜いている感じはするし、このほうが私としてはエコノミストの実力に近い感じがする。

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金融政策論議の争点
 というところで、小宮隆太郎かぁと、〇二年小宮隆太郎+日本経済研究センターとして出された「金融政策論議の争点 ― 日銀批判とその反論」(参照)を読み返してみた。といって、まえがきにあるご忠告、お急ぎの読者はまず「第Ⅱ部」から読みはじめ、よ、とのことで、七面倒臭い経済プロパーの論文は抜いて談義のほうを読んでみた。
 はたと思い出した。というか、そのまえがきで、そうかと思い出したのだが、この本、小宮隆太郎+日本経済研究センターということだが、後者の日本経済研究センターの会長は香西泰なのである。つまり、香西泰の企画といってもいいし、そのバックアップが小宮隆太郎ということか。
 そのエッセンスたる「第Ⅱ部」は討論から成り立っていて、香西泰の発言もある。香西の発言に関心を持ちながら読み直してみると、あれから五年が経ったこともあるのだろうが、いろいろ面白い。推理小説というのはやはり犯人がわかってから読むものである。と言えるほど犯人が分かっているわけではないのだ。

香西 素晴らしい論文がたくさん出て、たいへんありがたい。お礼を申し上げる。
 せっかくだから感想的なことをいえば、いま日本経済で何がいちばん問題かというと、実物セクターの問題がいちばん重要ではないかと思う。マネタリーの問題は短期的には貨幣は非中立的であろうが、これだけ長い不況ということを考えると、実物セクターに大きな問題があったのではないか。

 この物言いに性格が出ているように思えた。総じて、香西は経済学の基本がわかっていて政治調整タイプという感じの御仁なのだな。この調整力がこの間、国民側からは有益だったようにも私には感じられるし、ざっくり言えば今後の税制議論でも同じようにベースとのころで信頼はできそうだ。
 ついでにもう少し引用。

 その意味で、いちばん基本にあるのは実物セクターの問題で、その実物セクターの問題が現実のデフレに結びつくかどうかは、為替レートがどう決まるかによる面が大きい。ただ、円とドルの関係はGDPベースのPPPでみても一四〇円~一五〇円で、それほど問題がない。やはり中国やアジア諸国との為替関係である。
 アジアや中国は、構造的に過剰労働である。つまり、労働力無制限供給をまだ脱していない。それはちょうど日本の高度経済成長と同じで、為替調整をしろといわれても、簡単にはしない。つまり、自分たちの雇用が近代化するまでは、成長したいと考えていると思う。

 へぇとか思ってしまった。もう一点、重要な税制面では。

香西 (略)
 財政が破綻する問題については、増税しか手はない。今のままほうっておけば必ず破綻するわけで、どういうかたちで増税するか。結局、金利を上げて増税するというのが、終局の脱出路になるだろう。
深尾 その場合、デフレが加速するのではないか。
香西 一時的にはそれは仕方がないのではないか。

 このあたりの五年前の香西の考えが、今後の税調になんらかの整合性を持つのか、よくわからない。ちょっと皮肉な言い方になるが、東谷暁が「エコノミストは信用できるか」で「香西氏が多くの仕事をしてきたことは間違いない。しかし、あまりにも辻褄合わせの発言が多くはなかったかだろうか」と聞きようによっては酷評しているのだが、これは逆に、香西の辻褄合わせ力を肯定的にとらえていいのかもしれない。一貫性のなさは政治に関わるエコノミストのメリットなのだ。ああ、そんなネタでいいのか。
 対談を読み返しながら、なんか脳内に悪魔の声でこの対談への反論対談のようなものが聞こえるような気がした。しばらく雑煮(参照)を食っていたら思い出した。「エコノミスト・ミシュラン」(参照)である。
cover
エコノミスト
ミシュラン
 当時はエコミスト百家争鳴の陣地取りとかその手の類にしか思ってなかったし、正直マクロ経済というのはわからんのでふーんと読み過ごしていたのだが、こちらの対談は、小宮・香西ら対談の対抗だったのではないか。
 その対抗路線の文脈で読み返すといろいろ思うことがあった。あまり馬鹿野郎コメントをもらうふうでもなければ別エントリで書くかもしれない。

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2006.12.31

ポーランドのミサイル防衛メモ

 明日〇七年一月一日からEU(欧州連合)にルーマニアとブルガリアが新規加盟する。EUはこれで二七カ国体制となり、人口規模としては約五億人となる。ちなみに、米国が三億人。EUも米国に対抗できるブロック経済となったか。
 のっけから余談にそれてしまうが、中国の人口は十三億人。私のような昭和三十年代生まれの世代からすると戦後の中国は人口爆発のような印象を持ちがちだが実際には人口の増加率は低下しており、おそらく早晩頭打ちになるだろう。富裕層や中間層も生まれつつあるので、アバウト過ぎる言い方だが、そうした層の経済力をEUや米国に換算すると二億人くらいなものだろか。いずれにせよ日本を抜いていく。
 EUと米国はシニョリッジ(通貨発行益)ではないが貨幣コントロールができる。ユーロとドルの貨幣の強さがどうなるか。対立するのか。私はよくわからないが、ざっくりとしたところユーロにはドルに対抗する力はなさそうに思える。
 世界経済のプレーヤーとして日本はEU、米国、中国に比べて相対的に弱体化していくので、そのブロック化のどこにつくかという岐路もあるかのようだが、実際には円はドルと同じなので、選択肢はないのだろう。この点については実質中国もその類なので、米国帝国というのはそうしばらくは揺らがないのではないか。
 それ以外の国といえば一応英国があり、問題を孕みつつも繁栄している。インド、インドネシア、また格段に落ちるがオーストラリア、台湾などがこうした大きな経済ブロックに翻弄されるのだろう。おっと、重要なプレーヤーがいた。ロシアである。ロシアの人口は一億人強。EUとも米国とも対立している。
 大局的に見ると、EUがイスラム圏となるように、ロシアは中国に飲まれることになるのだろうが、そのあたりの大局こそもっとも嫌われるものだ。先日NHK番組でプーチン親衛隊的な組織について見たのだが、ちょっと意外に思えたのは、愛国心の文脈で若い女性は子供を産もうみたいな動きがあることだった。ロシアのナショナリズムは出産の奨励に向かっているのかと思った。
 話が散漫になってきたが、国際的な状況について、特に経済的な利害の問題についてはこのブロック間の関係が軸になるのだろう。それにべたに軍事が付随してくる。ということろで、ルーマニアとブルガリアのEU加盟の話に戻ると、EUは対立するロシアに接近した形で拡大することになる。
 これにべたな軍事問題がどう連動するのかなのだが、このブログを開始した三年くらい前はボナパルトEUみたいな構想からポストNATOの流れでEU軍かとも思えたが、その流れは消えた。意外にもこの流れのなかでけっこうなキープレーヤーだったのがポーランドだった。有志連合ではスペイン、イタリアに続き、米国側についた。
 とはいえ米側べったりではありえないポーランドは〇四年にEUに加盟。この時点の加盟人口の大半はポーランドだった。ポーランドをEUに取り込むというのは、ロシアが猛反対したように、EUと米国によるべたな対ロ戦略でもあり、この動向はれいのオレンジ革命とやらのスラップスティックにも結合していたようだ。が、この動向はすでに大きく挫折したと見ていいだろう。単的に言えばロシアの勝ち。
 一一月二四日ヘルシンキで開催されたEUとロシア首脳会議ではパートナーシップ協定が決裂。理由は、ポーランドの反対で欧州委員会が会議当日までに同協定の交渉権限を得られなかったとされている(参照)。そこでポーランドが反対した理由なのだが、ネットを見たら、日経ビジネス”ロシアとEUの関係がぎくしゃくしている理由 (門倉 貴史の「BRICsの素顔」”(参照)が扱っていて、農業問題だとしている。正しいのだろうが、もう少し離れてみるとポーランドの地政学的な意味が気になる。
 EU憲法がぽしゃり、フランスが親米化し、ドイツが保守化し、という流れで、ポーランドの位置も微妙になってくるのだが、全体構図としてはNATOに戻るような傾向を示した。簡単に言えば、ポーランドは米国のミサイル防衛システムに組み込まれる。
 この話自体はすでに昨年の時点で出ており、ブログの世界ではカワセミの世界情勢ブログ”ミサイル防衛の欧州配備”(参照)でふれている。


 ハワイ沖で米国のイージス艦Lake Erieが初めてミサイルから分離後の弾頭を撃墜することに成功したと報じられている。(参照)重要な進展だが、米国内では多くのステップの一つに過ぎないと考えられているのか扱いは大きくないようだ。むしろ欧州配備に向けたニュースに関心が集まっているようだ。(参照2)今日は軽く触れておきたい。
 欧州に対する攻撃の防衛のため、ポーランドにミサイル防衛のための基地を設け、主として中東やアフリカからの攻撃を防ぐことが検討されているらしい。大陸間弾道弾に近い中距離ミサイルが主なターゲットと見られるが、もう少し短距離のミサイルについてはイタリアやスペインも想定にあるようだ。

 カワセミさんはここの時点では「中東やアフリカからの攻撃を防ぐ」としているが、すでに名目はイランということになってきている。しかし、対イランのはずがないと見て、ロシアは反発している。二二日付けRosBusinessConsulting”Russia opposes US missile base plans in Poland ”(参照)より。

RBC, 22.12.2006, St. Petersburg 16:05:38.
 Moscow objects to US plans to install its third missile defense shield in Poland, Russian Deputy PM and Defense Minister Sergei Ivanov said at the launch of a new radar system in the Leningrad region today.
 In the minister's opinion, there is no political or military sense in the establishment of yet another missile defense center by the US. Commenting on statements that the system was being designed to intercept intercontinental ballistic missiles from countries like Iran and North Korea, Ivanov assured that neither of these states had similar missiles.

 中国も関心をもっているのだろう。二三日付けCRI”米国、欧州でミサイル防衛システム設置の意向を表明”(参照)より。

 アメリカミサイル防衛局のヘンリー・オベリング局長はこのほど、チェコのメディアのインタビューに応え、「ヨーロッパでミサイル防衛システムを配置することによって、アメリカの全般的な防衛システムはその安定性を強化できるだけでなく、ヨーロッパの同盟国の安全をも確保することができる」と述べました。


 報道によりますと、アメリカはいま、NATO・北大西洋条約機構の加盟国であるチェコやポーランドと協商し、この二ヶ国でそれぞれミサイル防衛ライダーシステムとミサイル迎撃システムを設置しようとしているということです。

 確か英国にも配備されるはず。
 ただ、対ロというならこの程度のミサイル防衛システムは機能しない。現状は政治的な象徴性しかないだろう。いずれにせよ、イランはダシである。北朝鮮がそうであるように。

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