エル・グレコは何人(なにじん)?
エル・グレコは何人? 答え、一人。違ぁう! なにじん、かと。イタリア人とかスペイン人とかユダヤ人とか日本人とか。で、エル・グレコは何人(なにじん)?
受胎告知 |
この問題はウィキペディアを見ろだよなというのはあるだろう(参照)。
エル・グレコ(El Greco, 1541年 - 1614年4月7日)は、現ギリシャ領のクレタ島出身の画家。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、一般に知られるエル・グレコの名はスペイン語で「ギリシャ人」を意味する通称である。当時ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島で初めイコンを学び、のちにイタリアのヴェネツィア、ローマに渡ってティツィアーノに師事し、ヴェネツィア派絵画を学んだ。1577年、36歳でスペインのトレドに渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍した。
スペインの画家なのでSpanish painterということになる。なので、スペインの画家だからスペイン人?
だが、生まれは現ギリシャ領のクレタ島。その時代、クレタ島はどこの国だったかというと、ヴェネツィア共和国の支配下ということだ。で、正解はヴェネツィア人、なのか? この支配下というのが微妙ぉにきびしーいというか何を意味しているか。通常は施政権を意味していると理解していい。すると沖縄など戦後から72年まで施政権は米国だったので、上智大学の当時別棟国際学部だったかに通っていた南沙織は米国人? 父親はフィリピン人? いやそももそも彼女は奄美の生まれ? でも沖縄育ち? いやはや例がよくなかったが、復帰前のB円とかの記憶のある戦後のうちなーんちゅーは米国人?なわけはない。日本人? そりゃ沖縄が復帰したからそうだけど。もし復帰できなかったら? まあ、つまりだ、施政権は領民の国籍というか所属に関係ないかもしれない。
領民というのは領土と同じで所有権の概念かとすると、まずもってヴェネツィア共和国の支配下のクレタ島はどの領有権になるのか? ビザンツ? うぁそのあたりがわかんねー。
クレタ島の歴史をウィキペディアで見る(参照)と全然そのあたりの説明がない。英語版のほうはある(参照)、どころかエル・グレコまで出てくる。そりゃなみたいに。
In the partition of the Byzantine empire after the capture of Constantinople by the armies of the Fourth Crusade in 1204, Crete was eventually acquired by Venice, which held it for more than four centuries. During Venice's rule, the Greek population of Crete, most famously El Greco, were exposed to Renaissance culture. During the 17th century, Venice was pushed from Crete by the Ottoman Empire, with most of the island lost after the siege of Candia (1648-1669) ; this made up possibly the longest recorded siege in history.
これがまた難しい。いや英語はシンプルなんで訳も要らないでしょ。まず、1204年にヴェネツィア共和国下となるのだが、ビザンチン帝国と呼ばれるローマ帝国(あのぉ東ローマ帝国っていうのは歴史学的な名称の一つであって彼らは自身をべたにローマ帝国と自称していたちなみに)の終わりは1453年メにフメト2世によって滅亡ということになっている。なのでビザンツの領有権というのはなさげだが、のだが、このあたり領有権は皇帝に帰属していたのだろうか。いや頓珍漢なことを言い出したのは、私、メテオラの修道院を訪問したおりビザンツチン帝国の旗を見たわけですよ。どうも領有権的にはいまだにビザンチン帝国っぽい。他、アトス山とかの領有もどうもよくわからない。
話を少し戻して、"During Venice's rule, the Greek population of Crete, most famously El Greco"というのがまた微妙で、During Venice's ruleというのはヴェネツィア共和国の施政権を意味すると思うのだけど、ここで"the Greek population of Crete"というのがでてきて、つまり、クレタ島のギリシア人というのが出てくる。ということはエル・グレコはギリシア人なわけです。ピンポーン!
エル・グレコ バンゲリス |
たぶん、これは、ユダヤ人とかと似た範疇で、ギリシア人というのは国民という意味ではなく民族名ということだ。というわけで、エル・グレコはギリシア民族のギリシア人ということで、とりあえず落ち着く。とりあえずだけど。
ただ、市民権としてはどうよ? と。つまり、「イタリアのヴェネツィア、ローマに渡ってティツィアーノに師事し、……36歳でスペインのトレドに渡り、没する」というとき、彼はどの市民権を持っていたのか、あるいはどういう変遷があったのか? 市民権としてはやはりヴェネツィア共和国だったのだろうか。あれ、アイルランド系米国人みたいな感じでいうと、ギリシア系ヴェネツィアでスペインに居た?
まあ、ネタということもあっていろいろ愚考しているし、ヴェネツィア共和国よりクレタ島に当時事実上の自治権があったかもしれないしよくわからない。
が、とりあえず、本人に、「エル・グレコさぁ、おめー、なにじん?」と聞かれると、「ギリシア人」と答えたのではないか、っていうか、「エル・グレコ」ってギリシア人という意味なんだが、これは他称であって自称ではないか。
自称と言っていいかもしれない。彼は作品の署名をギリシア文字で本名で書いていたらしい。先のウィキペディアより。
He usually signed his paintings in Greek letters with his full name, Domenicos Theotokopoulos (Greek: Δομήνικος Θεοτοκόπουλος), underscoring his Greek origin.
ドメニコス・テオトコプーロスということだが、気になるのはこれって日本のウィキペディアだと本名とかあるが、そうだろうか。父名がロシア人のように入るのが本当ではないのかというか、ギリシアに入国するとき、日本人の俺でも父名を書かされたような記憶があるのだが、違ったか。
というわけで、ギリシアのウィキペディア(参照)をみると、おお、そもそもエル・グレコなんて項目じゃないや。
というあたりで、どうも、エル・グレコについての評価だがギリシア人アイデンティティとして評価が進んでいるっぽい。
というのが実は全部枕の話で、そもそもエル・グレコのことを思ったのは、テオ・アンゲロプロス監督映画「旅芸人の記録」の助監督だったヤニス・スマラグディス(Yannis Smaragdis)が今年エル・グレコの映画を作ったことだった(参照)。ちなみに彼もクレタ島出身。
2007 - El Greco - An International co-production (Greece, Spain, England, Hungary, Italy) about the life of Greek painter, El Greco (Domenicos Theotokopoulos). It is the most expensive co-production in the history of Greek cinematography. Vangelis will compose the original soundtrack. Starring: new British actor Nick Ashdon, Greek actor Lakis Lazopoulos, Spanish actors Juan Diego Botto and Laia Marull and others.
まさに、the life of Greek painterというあたりだ。つまり、そういうふうに見られるようになったのだと思う。どうでもいいけど、この手の話題はなんかワクワクしてくるよな、俺。
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コメント
エル・グレコと言えば竹本泉を思い出す。
投稿: taraf | 2007.12.21 14:12
ギリシャ語ではなんとかプーロスが父称に当たるのではないでしょうか
あと、スペイン語wikipediaでは国籍がギリシャ系スペイン人になっています
投稿: てきとう | 2007.12.21 20:41
国籍(Wikipedia)
国籍(こくせき)とは、特定の国家の構成員としての資格のことをいい、18世紀以降のヨーロッパにおいて市民革命を経て国民国家という概念が生まれたことに対応して形成された概念である。
投稿: | 2007.12.21 22:01
ギリシアつながりで思い出したのだけれど、小泉八雲も何人といったらいいのかな?
母はギリシア人、父はアイルランド出身のイギリス人。 ギリシア生まれでイギリス育ち、新聞記者として身を立てたのがアメリカで…
投稿: 倫敦橋 | 2007.12.22 01:43
具体的なことはよく分からないので、ぼかして抽象的に書くと、( )人という表現は日本では人種、国籍を区別せず使う。外国でも似たようなものだろう。表向きは言わない事になってるが暗黙裡には遺伝的固有性であることは言うまでもない。ただ遺伝のメカニズムが分かっていないので、解明が進むと劇的に、人種と言う分類が変更される可能性がある。人間は全て混血なので、その度合いの低い物を純血として、もしくは「混血じゃない」と消極的に言う、曖昧に人種としてカテゴライズしている。また制度や権力が決める部分に関しては、ある程度の裁量が権力側に与えられるので、その裁量の幅が権力の性格になり、異人種、異民族、異国人の許容の程度を決定する。また信頼に関して言うと、立憲主義やインフレターゲットを見れば分かるように、権力にかけられる縛りが、信頼の根拠として、持ち出される。これも言うまでもなく科学的根拠は一切ない。その意味でリフレ派と立憲主義者は間違っている。また呼び方であるが、( )人のかっこの中に地名を入れるのは、あまり意味がない。どんな顔の人でも、どんな肌の色の人でもアメリカの都市をぶらぶらしてれば、アメリカ人なのか観光客なのか区別できないだろう。地名は遺伝的固有性を暗黙裡に保証している。飛行機が発明され、海外旅行、国際結婚が当たり前の時代では地名は従来の意味を失いつつあるが、しょうがないだろう。
投稿: | 2007.12.22 12:58
名前書くの忘れた('A`)
昔のギリシャと今のギリシャって、どう違うんだろう・・・
投稿: itf | 2007.12.22 13:02
日記の方のコメント欄で指摘されている方がいらっしゃいましたけど、
確かにエル・グレコの絵って「青白い」。それこそ彼(か)の死の天使でも仰ぐかのように。
「ガクブル」系とでもいいましょうか、
拙い私の脳内ミュージアムをさらってみると、一番似ている色使いって『ウィアード・テールズ』とか『アーカムハウス』系のパルプフィクションかもしれないなぁ、となんとなく思いました。
投稿: 夢 | 2007.12.22 14:44
↑あ、上は自分です。失礼しました。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.12.22 14:46
「その意味でインタゲを支持する一部のリフレ派は間違ってる」に訂正してください。まともなリフレ派の人、すいませんでした。コメント欄編集できるようになりませんか。憂鬱だ('A`)。余計な事書くんじゃなかった(´;ω;`)。
投稿: itf | 2007.12.22 14:51
ギリシャ人の名前には父姓は入りません。それから「プーロス(正しくはプロス)」は父姓ではなく、ペロポネソス半島出身者の姓に特有の接尾辞です。ですからアテネ生まれのアンゲロプロスも、クレタ生まれのセオトコープロス(こちらのほうが実際の発音に近いと思います)も、先祖はペロポネソス半島出身であることがわかります。これはギリシャ人なら誰でも知っていることです。さてエル・グレコは何人かということになりますが、当人は自分のことを「クレタ人だ」と考えていたのではないでしょうか。クレタ島の人々はギリシャ人の中でも特異な気質を持っています。ことのほか武勇を尊び、男尊女卑も激しい。そしてその気質を誇りにしています。日本でいえばかつての薩摩隼人、米国でいえばテキサン(テキサス人)に似通ったところがあります。画風には、やや暗くて冷たいトーンがありますが、当人の体には、スペイン人に勝るとも劣らぬ熱くて濃い血が流れていたのではないかと私は勝手に想像しています。
投稿: ギリシャヲタ | 2008.06.25 23:29