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2007.12.23

教行信証の還相回向について

 宗教めいた話が続くのもなんだがスウェーデンボリなど読み返しつつ、教行信証の還相回向(廻向)というのを別の角度からつらつら考えていたら昨日、「教行信証」に親鸞自筆の書き入れがあったというニュースを聞いて奇妙な感じがした。What a coincidence!  背中の翼の生えていたあたりをずんと突かれたような気がして(冗談)、少し書いてみようかと思った。他愛ないというかくだらない戯言であるが。
 きっかけとなったニュースは毎日新聞が早かったようだ。”親鸞:「教行信証」自筆本に未知の書き入れ”(参照)より。


 浄土真宗の開祖、親鸞(1173~1262年)の主著「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」の自筆本である「坂東本(ばんどうぼん)」(国宝)の修復に伴う調査で、つめ跡のように紙面をへこませて文字や印を記す筆記具、角筆(かくひつ)による書き入れが見つかった。漢字の振り仮名や段落の印など約700カ所に及び、すべて親鸞が解釈などを示すために書き入れたとみられる。
 親鸞の思想の核心に迫る日本仏教史上の画期的な発見で、わが国最大の伝統仏教勢力、真宗教団の僧侶や門信徒の信仰のよりどころである根本聖典「教行信証」の刊本はすべて、角筆書き入れの解読結果を反映するよう再検討を迫られる。

 教学上、というか西洋的に言えば神学的な部分での再検討はないかと思う。神学というのはカノンからは実際には独立している解釈の体系だ。とはいえ、親鸞の持つ、ある種の暗さみたいなものの解明はあるだろう。

 唯一の自筆本である坂東本には、書き直しや墨、朱筆による多数の書き入れがある。一応の完成をみてからも、親鸞が手元に置いて絶えず読み直し推敲(すいこう)を重ねた跡とされ、親鸞の思想が深まっていく過程が投影されている。
 角筆の書き入れの相互関係や、朱筆の書き入れとの関係、本文の漢字との関係など、複雑なパズルを解くような綿密な分析が進めば、成立時期、推敲のプロセスなど「教行信証」が秘めた謎の解明が一気に進み、親鸞の思想の理解が覆る可能性が秘められている。

 親鸞の教えとされるものには、明治時代というか江戸中期あたりから宣長や徂徠のような文献的な研究と同パラダイムにあると思うが、詳細な解明とそれに加えて実質的に近代人に向けて再構成されて来た。必ずしも明治時代になって歎異抄が発見されたわけではないが、日本近代人の親鸞志向は歎異抄をベースとしてきたと言っていいだろう。むしろそこに最後の思想の到達のようなものをつい読もうとしていた。あるいはたまたま歎異抄によって隠された畏るべき親鸞の一端がぽろっと出てしまったのかもしれない。「畏るべき」と言ってもよいのではないか、一応平信徒には隠されていたに等しいし。
 私が親鸞という人に愛憎というまでもないが、奇妙な距離感を感じるのは、青年期歎異抄によって命を救われたような恩義があるのと、親鸞という人に自分のような人間の胡麻臭さを感じるところがあるからだ。この人は、こっそりと密義を持っていたんじゃないかということや、こんなこと言っても通じねえや俺は孤独だな、うーん考えてもなんだからおセックスしてよう、みたいな。貶めるというのではなく自分を反映して見えてしまう部分がある。ただ私は年を取ると道元に心惹かれるようになった。中年の危機、これもまた死ぬかと思ったのを道元に救われたというほどではないが安らぎを得た。個人的なことでどうでもいいのだが。
 もうちょっと開いていうと、教行信証の謎に突き当たる。ウィキペディアを見ていたらなかなか味わいのあることが書いてある(参照)。

親鸞は、法然(浄土宗開祖)を師と仰いでからの生涯に渡り、「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地につつましい念仏道場を設けて教化する形であった。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となって、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『教行信証』(正式には、『顯淨土眞實敎行證文類』)が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。

 簡素に書かれているが親鸞の奇妙なところは、「各地につつましい念仏道場を設けて教化する」というのを晩年事実上捨ててしまったように見えることだ。このあたりは丹羽文雄の「蓮如」に描かれる晩年の親鸞の隠棲の描写がわかりやすい。娘からも孫からも、もうこのテカテカ爺さんは孤独に京都でぼんやり過ごしている無名の人だった。
 ウィキペディアに戻ると、「教行信証」の完成を1247年としている。親鸞74歳、すでに高齢で晩年のようにも思えるが、彼は90歳まで生きているので、その間、どう最後の思想的到達があったのか。それ以前に、鎌倉幕府による念仏者の取締で、ほいじゃという感じで62歳の頃ごろ人生の大半をかけて結果的に布教した関東を捨てて京都に戻って事実上隠棲してしまったのはなぜなのか。
 このあたりは個人的に親鸞に共感しまう部分も大きい。彼は京都に戻ってこっそり「教行信証」を書いているのだが、それは誰に教えるというわけでもない。現代でいえばたいして誰も読まないだろう糞ブログを書いているようなものだ。
 教行信証とはどのような意味合いをもった書籍なのだろうか。後世に教えを伝えたいという意志がないわけでもないが、実際の後世そこからできた本願寺教団とは直接的には結びつかないようにも思える。
 教行信証については当然宗門でも研究されているし、今回の発見はやや予想外ではあるにせよ神学・教学的には変更はないだろう。だから以下は当然与太である。
 教行信証を紐解いてみよう。序に続く「顕浄土真実教文類一」のまさに冒頭はこう始まる。

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。

 ここでいう「浄土真宗」は当然ながら宗派を意味しない。浄土教の真実の要諦というだけのことだ。そしてそれは二種回向であるとしている。つまり、通称「教行信証」は二種回向を論じてる。もっとも、ここでは往相回向から切り出される。

回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。往相とは、おのれが功徳をもつて一切衆生に回施したまひて、作願してともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せしめたまふなり。

 往相回向については「自分の功徳を他人や諸存在に及ぼし、願って一緒に阿弥陀の浄土に往生すること」ということらしい。わからないではないが、ここに功徳の自力の働きがあるようにも思える。そのあたりの教義はどう整理されているのか私にはよくわからない。他力の信が功徳と解するのは無理があるように思う。が、とりあえずそれはさておき。
 還相回向が奇っ怪だ。

還相とは、かの土に生じをはりて、奢摩他毘婆舎那方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向らしめたまふなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜いて生死海を渡せんがためにしたまへり。このゆゑに「回向を首として大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに」とのたまへり」と。

 ウィキペディアの同項目ではこの奇っ怪さをなんとか説明しようとしている。

現代語で

「還相回向というのは、阿弥陀如来の浄土に往生して、止観行を成就し教化する力を獲得し、生死の世界、つまりこの世に還り来たって、すべての衆生を教化して、一緒に仏道に向かわせようとする力を、阿弥陀如来から与えられること。 」

とでも訳すことができるだろう。 しかし、これを単に

「浄土に往生した者が、菩薩の相をとり再び穢土に還り来て、衆生を救済するはたらきを阿弥陀如来から与えられること。 」

と訳すと、浄土から帰ってきた幽霊のようなものを想定してしまうだろう。実際、かなりの学者がそのように理解しているようである。


 「とでも訳す」が教学的なのだろうが、率直なところ教学過ぎて意味がわかりづらい。むしろ、「単に」という訳のほうがわかりやすい。つまり、還相回向とは「浄土から帰ってきた幽霊のようなもの」ではないのか。
 ウィキペディアのこの項の執筆者はこれを「かなりの学者がそのように理解しているようである」としているが、私の知る限り、この説を採っている教学はないと思う。
 だが、親鸞の「教行信証」および親鸞の思想とは、「浄土から帰ってきた幽霊のようなもの」が核心にあるのではないか。
 私は別に宗門を貶めたりオカルトを書きたいのではない。親鸞は中世の人であり夢告を受けて人生を変えた人である。夢告は還相回向の構造ではないのか。私は夢告というのは伝説だと思っていたが、そうでもないようだ。このあたりの真偽はいまひとつわからないが、それでも中世の人親鸞にとって夢と信仰は近代人のそれとはまったく異なっていたのではないか。
 これらに関連して梅原猛が以前朝日新聞の「二種廻向と親鷺」(2005.9.20))という寄稿エッセイで奇妙なことを書いている。

近代真宗学はこの二種廻向の説をほとんど説かない。それは当然ともいえる。なぜなら、科学を信じる近代人にとって、死後、浄土へ行くというのは幻想であり、その浄土からまた帰ってくるというのは幻想の上にまた幻想を重ねるようなものと思われるからである。しかし念仏すれば浄土へ行き、またこの世へ帰り、また念仏すればあの世へ行き、またまたこの世へ帰るというのは、人間は生と死の間を永遠の旅をするという思想である。

 梅原は死後の世界を親鸞が確信していたという前提に立っているし、この点において教学を否定しているようだ。
 では、「幽霊のようなもの」だろうか。梅原はそうではないと続ける。

この思想は、個人としての人間を主体にして考える場合、幻想にすぎないかもしれないが、遺伝子を主体にして考える場合、必ずしも幻想とはいえない。遺伝子が生まれ変わり死に変わりして永遠の旅をしているという思想こそ、現代生物学が明らかにした科学的真理なのである。われわれの現在の生命の中には永遠といってもよい何十億年という地球の歴史が宿っているのである。悪人正機説に甘える近代真宗学には、永遠性の自覚と利他行の実践の思想が欠如しているように思われる。二種廻向の説を中心として近代を超えるの真宗学を樹立することが切に望まれる。

 梅原は突拍子もなく「遺伝子を主体」という考え出している。大丈夫か梅原猛、と当時も思ったし今でもそう思うのだが、ようするに、「幽霊のようなもの」を否定し、死後の世界や輪廻といった教義を生かすとなると、「遺伝子を主体」と言えそうにも思う。が、そうなると還相回向というのはどことなく優生学のような気持ち悪さが出てくる。
 少し引き返そう。
 梅原のいうように「近代真宗学はこの二種廻向の説をほとんど説かない」のだろうか。たぶん、説いてはいるだろうが、ウィキペディアの同項目にもあるように、近代合理性と合致したなんらかの解釈となっているだろう。
 だが、ここで仮にだが、「幽霊のようなもの」を肯定すると一気に親鸞思想と教行信証の全貌が出現してくるのではないか。もちろん、そんなもの近代人には受け入れられないとしても。
 冒頭に戻る。スウェーデンボリもまた死後の世界というか天界というべきか、奇っ怪な世界を描いた。スウェーデンボリにしても親鸞にしてもそれらは文学的表現でもあるかもしれないし、比喩であるかもしれない。あるいは近代人はそれを文学的表現または比喩と受け止めるべきかもしれない。
 もしそうした、ある種の緩やかな解釈論が可能なら、親鸞思想と教行信証は「幽霊のようなもの」から再構成されてくる可能性はあるように思える。という以上に浄土教というものの宗教的な意味合いが再構成できるかもしれない。
 こんなことをつらつら考えながら、しかし、こうした再構成をべたに死後の世界として信じることも可能だとしたらどうなのだろうと仮定して、ふとオウム真理教信者のことを連想した。
 彼らはそのすべてではないだろうが、地獄に堕ちることを恐れていた。地獄とはこれまたばかばかしい話だなと私はその場で論外の箱に投げ入れていたのだが、不死の魂とか死後の世界を求めるというなら、そこから必然的に近代人の死と同質な地獄というものが確信される心的構造はあるように思えた。
 私たちがこの世の死ではないなにかを確信するとき、その死の意味合いは死後の地獄のようなものに転写されるだけだろうが、そのとき、そうした転写された地獄を恐れる人々はこの世の死を恐れぬ行動を取るというのはむしろ当然の帰結かもしれない。
 浄土真宗は親鸞の思いはどうであれ、死を恐れぬ人々を生み出し、日本の歴史を変えていった。

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コメント

吉本 隆明氏の親鸞論には何故言及しないのですか。

投稿: macos9xp | 2007.12.25 00:37

亀レスですが
>だが、親鸞の「教行信証」および親鸞の思想とは、「浄土から
帰ってきた幽霊のようなもの」が核心にあるのではないか。
親鸞というか、大乗仏教の仏菩薩ってそういうもんでは?
往相とは、阿弥陀の本願成就にもとづく方便力、功徳であると。

投稿: | 2007.12.27 00:55

私は、 鈴木大拙の本を読んで理解できたようの思っています。浄土とか阿弥陀如来とかは、真如を示す方便であるとのことです。真如については、 人間が生きているか死んでいるかは問題にならないことです。

おふくろの家の仏壇のなかに掛けてある、阿弥陀如来の絵図の裏には、「法身方便」とありました。

親鸞は、 大乗仏教のひとつのながれの継承者であると自覚していたとおもいます。

毎日、 正信げをカセットテープで聞きながら、 または自分でとなえながら、 通勤しています。 すると、ひとつひとつの句の意味がすこしづつわかてきます。

投稿: 不取正覚 | 2008.01.24 17:21

「浄土」とは、死んでから往く所ではありません。生きる事に「往生」を極めた時に、往って生きる所です。言い換えれば、精神的な観念的なメタフジカルナ死の体験を通して往ける場所です。
其の場所(浄土)から、現世の衆生の救済に向うことを、「還相回向」というのではないでしょうか。
浄土を肉体的に死んでから往く所とすれば、貴方が言われるように幽霊になって現世に戻ってくることになっちゃいますよね。
確かに、幽霊では在りませんが、神の領域に入った、否、「仏」になった人間、超人となった人間が「遊戯」するように現世の衆生に関係する事が、「自然」に衆生を救済する結果になっています。

投稿: 大愚ヒデポン | 2009.01.21 00:29


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煩悩即菩提 悩み多いと たくさん 祈る?

投稿: 村石太ガール&村石太星人 | 2012.04.21 19:58

初めまして。
私は浄土真宗(本派)に所属している門徒でございます。
「還相回向」について。
これは浄土往生した者は「お念仏」(名号)となって有縁の人びとの許へ還ってくること、往相・還相回向は、仏⇒私への「呼び声」(称名)とお聞きしています。それを「信心」と換言されますね。


> 浄土真宗は親鸞の思いはどうであれ、死を恐れぬ人々を生み出し、日本の歴史を変えていった。


「死を恐れぬ人々」とは…?
正しい判断力もなく、生死をマインドコントロールされているようなイメージがおありになるのでしょうか。親鸞聖人はすべてに「現実」でものを言う方であったと聞いています。

40年と聞法した篤信の先輩でも亡くなる前に「死にたくない」と仰っていました。親鸞聖人も「いまだ生まれざる安養浄土は恋ひしからず」(『歎異抄』9)と仰せの通り、何時の時代でも「死にたくない」が正直な有り様でしょう。

  >悪人正機説に甘える近代真宗学には、永遠性の自   覚と利他行の実践の思想が欠如しているように思   われる。二種廻向の説を中心として近代を超える   の真宗学を樹立することが切に望まれる。


日々聴聞されていない方なのでしょう。多くの宗門の方々は自らの凡夫性を恥つつ様ざまなことを実践されていますよ。黙して語らずの方も多いです。それでは「どうしてこの世が良くならないのか??」それは絶対数の《仏》がまだまだ少ないからだそうです。内外問わず善人の社会には争いが多いですね。

投稿: akari | 2012.05.26 20:31

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