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2007.12.08

[書評]わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク)

 「わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク)」(参照)が文庫本になっていた。少し、へぇという感じがして書棚を発掘して単行本(参照)を取り出し、さらりと読み直してみた。

cover
わたしたちはなぜ
「科学」にだまされるのか
 2000年に出た本で欧米ではけっこう話題になったのだが、今読み返してみるともう古いなあという印象と、はたしてこの本はどんなふうに日本人、特にネットで読まれるのだろうかという軽い疑問が浮かんだ。
 ごくありきたりに言えば、本書は昨今ネットで一部流行の偽科学バッシング系の本だ。なので表題はあまり適切とは言えないのではないか。オリジナルはVoodoo Science(呪術的科学)であり、そのまま偽科学と意訳してもいい。サブタイトル、The Road from foolishness to Fraudは「おバカからペテンに至る道」ということ。
 内容はといえば、単行本の帯を見るのが一応わかりやすいといえばわかりやすい。

欧米で話題沸騰!出版差し止めキャンペーンまで展開された話題の本。人々を騒がす「UFO」騒動、政府や大企業が莫大なカネをつぎ込んだ「常温核融合」開発や「宇宙ステーション」計画、本当に効くのか「磁気療法などの健康医療」、正確なデータのない「電磁波の影響」問題―これらあなたをねらう「科学の顔」をしたニセ科学のからくりを、米物理学会ワシントン事務所長ロバート・パーク博士(メリーランド大学)が暴く。

 そういうことなのだが、ふと立ち止まって富士山の見える島に目を凝らすと、「常温核融合」とかはまあ偽科学としていいでしょう、かなりたぶん、99・9%くらい。「宇宙ステーション」になるとさてどういう話か本書を読んでもらうしかないか。「磁気療法などの健康医療」はネットでバッシングできそうな偽科学の分類に落ち着く。「ホメオパシー」も楽勝で偽科学だな(でも漢方はどうだろ?)。
 で、「電磁波の影響」となると、これをきちんと偽科学として批判できるかは少しぶれる人もいるかもしれない。高圧線近くの住宅の健康性・安全性とか、携帯電話で脳腫瘍ができる可能性とか(ほんとにできたらのうしよう? ダジャレです)。
 本書には描かれていないけど、さらに「劣化ウラン弾」の放射能被爆被害とかはどうですか、某アルファブロガーさん、みたいな話(とりあえずエアロゾルの重金属毒性は置いといて)。さらにBSE対策に、「月齢20か月以下の牛」という規制よりすごいご意見を強烈に主張してみるとか、それって科学、それとも偽科学。偽科学をぷかぷか主張してもアルファブロガーですか?とかとかいろいろなわけですよ。鶏肉・鶏卵は抗生物質まみれだとかいうアルファブロガーもいたりする。いやはや。
 (ちなみに、私はこれら全部偽科学だと思っていますよ。ついでに進化論の信者ですよ、なにか? 信じているんですよ、進化論を。)
 というあたりで、ネットなんかでバッシングされている低レベルの偽科学と、どうもそれを言ったらネガコメ100連発系の偽科学のような言説とがある。はたしてどうやって区別が付くのか。本書を読んでわかるのか? 次のような提言はどう?

 科学的な考え方をとりいれる最善の方法は、とにかく「実験を尊重する」という初心に返ることだ。子どものころ、わたしは自然に好奇心を寄せる少年だった。そのころ読んだ本に「アライグマは食べる前に必ず食物を洗う」と書いてあった。おなじことを父親から聞いたことがあったし、わたし自身、小川でアライグマが食物を洗っているところを見たことがあったので、本の記述を疑う理由はまったくなかった。その本には、アライグマが食物を「洗う」のは、実際に「洗浄する」のが目的ではなく「湿らせる」ためである、なぜならアライグマには「唾液腺がないから」と説明してあった。理にかなっている説明に思え、わたしはこのミニ知識を頭の隅にいれたまま大人になった。そして、自分のこどもたちまで、おなじ説明をしていた。
 ところが、ある夏、日照りがつづいたときのことだ。腹をすかせたアライグマの家族が、夕暮れどきになるとわが家にやってきて食べ物をせがむようになった。無視することもできず、わたしたち家族は裏庭の物置小屋でドッグフードのビスケットをアライグマに与えはじめた。あわれなアライグマには唾液腺がないことを考慮し、わたしはナベに水をいれ、横に置いてやることにした。そうすればアライグマは食べる前にビスケットを湿らせることができると思ったのだ。わたしが物置小屋の戸をあけ、ビスケットの袋をとりだすと、アライグマがどっと群がってきた。そして紙袋がガサガサと音をたてたとたん、アライグマたちはよだれをたらしはじめた――よだれが、文字通りぼとぼととアゴのからしたたり落ちたのである。唾液腺がないだって! その後、わたしは水なしでビスケットを与えてみた。アライグマたちは水がなくても気にしないようだった。水があれば水でビスケットを湿らせるが、水がなければすくに食べはじめる。いまだに、どうしてアライグマが水中で食物を洗うのか、わたしにはわからない。思うに、アライグマはほんとうに食物を洗浄しているのかもしれない。
 教訓。ある理論がどれほどもっともらしく聞こえても、最後の断を下すのは「実験」である。

 うーむ。この本ってユーモア本なんだろうか。ちなみに、アライグマがなぜ洗っているのか定説はなさそうだ。っていうか、ネットには唾液腺説並の真偽不明な説明がいろいろある。私もアライグマが好きでよく観察しては考えるのだが、洗ってるんじゃないか? ねえ、ラスカル。
 このヒューモラスな話は、こう続く。

 さて、この教訓は、地球温暖化論争にもあてはまる。

 おいおい。
 ということで、地球温暖化論争が出てくるのだが、さて、温室効果ガスによる地球温暖化説は偽科学だろうか。なわけないよな、そんなことをブログとかネットの世界で堂々と言えるのは、ネットの外でも著名な先生クラスではないと。よくわかんないけど、普通のブローガーとかじゃ、異論を仮に思ってもブログとかで言わないほうがよさげな話題リストの一項目。
 さて地球温暖化だが、本書はどう見ているか。それが微妙。
 まず、地球温暖化への対処が実験で決着が付かないのはアライグマの行動と同じというか。ちなみに、進化論とか大陸移動説とかどうやって実験するのだろうか。いや、冗談はさておき、本書の地球温暖化説について見ていく。

 著名な科学者のなかにも、「人類が化石燃料の使用をはじめる以前にも、地球が温暖化していた時期があった。それに二酸化炭素は、大気中の温室効果気体の構成要素としては割合がすくない」と分析する科学者もいる。「一八五〇年以降の地球の温暖化は、すべて太陽の自然変異による可能性もある」と自説を披露する科学者もいれば、二酸化炭素の増大を「産業革命からの予期せぬすばらしい贈り物」と賞賛する科学者までいる。いわく、大気中の二酸化炭素の増大は植物の生長をうながす。


 すべての科学者が科学的なやり方に信頼をおき、おなじ観測データを入手しているのに、なぜこれほど科学者のあいだで意見のくいちがいがあるのだろう? 気候論争が物理の法則で解決できるなら、意見の相違はないはずだ。では、くいちがう理由はどこにあるのか? どうやら、科学的な事実、科学的な法則、科学的な手法とはあまり関係がないようだ。

 つまり、地球温暖化について各種の異論があるとしても、科学とは関係ないというのだ。そんなの関係ねぇですか。そーなんですかぁ?

 気候は、大昔から科学者が取り組んできたもっとも複雑なシステムである。大気中の二酸化炭素量が増大している事実は、どの科学者も認めている。つまり、地球温暖化に関して科学者の意見をくいちがわせているのは、政治的な考え方、宗教上の世界観のちがいである。政治的な考え方や、信仰する宗教が異なれば、科学者によって世界に求めるものが違ってくるのである。

 ええっ? そんなのあり。クリスチャンの科学者は進化論を認めないとでも。
 なんだかよくわからないのだが、やけくそで雑駁な印象を言うと、偽科学を問題にしている人って、なんか偽科学と同じような臭気を放つという点でそれほど変わらないような気がする。

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コメント

気候論争については科学とは関係ないところに論点がありますよ、当然。
論を作る人は自分に都合のいいように情報を取捨選択し、論を作っているわけですから。

地動説と同じですね。先に理論ありき。

投稿:   | 2007.12.09 01:35

バス停が毎日1ミリずつ動いても誰も気づかないが、いつか誰もが気づく日が来る。科学や常識も。

投稿: popgen | 2007.12.09 09:21

この人達はダブル・スタンダードなんですよ。

「科学的に正しい」(真偽)のレベルと「結果が望ましい」(価値)のレベルの判断がある。
例えば、「商品の説明は科学的か?」という基準と、「商品は有用か?」という基準がある。

批判するときは、片方の基準で批判できなくとももう片方の基準で批判する。あるいは逆に擁護するときにも同じことをする。
あるいは、片方の基準で良ければ、もう片方の基準でも良いことにすると言った手合いです。

投稿: 要するに | 2007.12.09 12:37

菊池誠:『ニセ科学入門』より

オカルト・心霊などはそもそも「科学的」な外観を持たないので、ニセ科学とは呼ばない。オカルト信者自身、オカルトを「科学」とは考えていないだろう。つまり、ここでは「ニセ科学」という言葉を”見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの”に限定して使う

「ニセ科学」と呼ぶのは、文脈によっては「疑似科学」という言葉が褒め言葉になるからである。具体的にはSF小説やファンタジー小説の批評などで”よくできた疑似科学的説明”などという表現が使われる。「疑似」という言葉には価値判断が含まれないということであろう。「ニセ」という言葉は否定的な意味合いを強く含む

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html

投稿: ニセ科学入門 | 2007.12.16 11:43

また、本来、「オカルト」等に分類すべき対象を疑似科学に分類すべきではない。迷信やオカルトは、それが科学であると誤解されるような要因を持ち合わせない。
サイエンス・フィクション(SF)は科学風の表現を多用する非科学的な言説である。その内容がオカルト等と同じく科学的と誤解されることがなければ疑似科学ではないのだが、
少年や青年の一部にSF作品中の理論づけなどをてっきり本物の科学的な説明だと誤解する者がごく稀に存在することもあるため、疑似科学に分類される。

投稿: ぶりぶり | 2008.01.08 20:30

http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-f3e7.html
【茂木・池田、騙しの手口】 大槻義彦教授
茂木健一郎と池田大作(創価学会)に対する私の疑問、批判を読んでいた
だきましたが、念のためお断りしておかねばならないことがあります。
それは、私は茂木健一郎の人格や性格などを問題にしているのではない、
ということです。私が批判しているのは、茂木が自分は脳科学者と自称して
いること、それがただ一つです。
自分は文芸評論家、宗教評論家、オカルト推進者、心理学者などと自称して
おれば、私はこの人にはまったく興味はありません。しかし、彼は自分が科
学者であるかのように錯覚して、某有名大学の非常勤教授などに就任、学生
を騙し、一般の人を騙し、子供たちを騙しているのです。

投稿: | 2010.05.17 15:57

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