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2007.12.31

世界銀行による各国国内総生産比較雑感っていうか、中国なぁ

 2007年が終わる。いろいろあったが振り返れば暢気な年と顧みられるのではないか。そんな思いも込めて、今年最後のエントリを書いておこう。世界経済の今後の動向みたいな話だ。
 枕は18日に発表された世界銀行による05年各国国内総生産比較で、話題としては、中国が購買力平価では世界第2位の経済大国に躍り出たことだった。ニュースとしてはAFP”中国、購買力平価では世界第2位の経済大国 世界銀行が発表”(参照)がある。


世界銀行(World Bank)は17日、2005年の各国の国内総生産(Gross National Product、GDP)を比較した調査結果を発表した。それによると、購買力平価(Purchasing Power Parity、PPP)でみると中国は世界第2位の経済大国となっているという。

 購買力平価ってなんぞや(この言い回しも今年で終わり)という人は、ウィキペディアの関連項目「購買力平価説」(参照)を見ておくとよいだろう。そしてこの話題には、ビッグマック指数がつきまとう。ウィキペディアでは「ビッグマック指数」の項目もあった(参照)。簡単に言えば物が同じだして通貨を見ることでビッグマックがよく引き合いに出される。
 ニュースの表題としては中国が世界第2位の経済大国だということなのだが、今回の発表のインパクトは実はそこではない。中国の経済力の弱さへの疑念だった。

 同報告書の中で世銀は、最新データを用いて各国の経済規模を調査した結果、中国の経済規模は以前に推定された規模を大幅に下回るものであったことを明らかにした。世銀は以前の調査を「信頼に足るものではない」としている。世界銀行はこれまで中国の経済規模は実態よりも40%ほど過大に見積もられていたとしている。

 朝鮮日報”中国の経済規模、実際より4割過大評価=世界銀行”(参照)では数値も記載されている。

 世界銀行は17日、購買力平価を基に算定すると、2005年の中国の国内総生産(GDP)は5兆3000億ドル(約600兆円)で、1986年の物価を基準にして算定した8兆8000億ドル(約997兆5000億円)より40%も小さいとする試算を明らかにした。


 今回の調査で中国のGDPは世界の10%を占め、米国に次ぐ世界2位の経済規模を示した。しかし、農村部の物価動向が統計に算入されておらず、中国の経済規模は実体を反映していないとの指摘もある。

 中国経済の規模は以前の推定を下回るとういことで、つい「中国だからな」みたいにスルーしてしまいがちだが、問題はその以前の推定を元に先進国の経済政策が採られていたことだ。
 この問題の本質を18日付フィナンシャルタイムズ社説が興味深く指摘していた。”From riches to rags”(参照)より。

China and India are poorer than we thought; rich countries produce even more than we realised. Those are the obvious conclusions from an unprecedented exercise, carried out by a World Bank-led coalition.

 冒頭の一文はパンチが効いている。"we thought"の語感が面白い。中国とインドは、「我々が考えていた」より貧しい、というのだ。そして、豊かな国(rich countries)は「我々が考えていた」より豊かだ、というのだ。
 このあたりの話は先のAFPの記事では次の言及に対応するだろう。

 中国などの発展途上国の経済規模は、購買力平価ベースの経済規模は市場為替レート(Market exchange rate、MER)ベースの数値よりも大きく算出される傾向があり、経済専門家の間でも議論が多い。市場為替レートを用いると日本が世界第2位の経済大国になり、中国はドイツに次ぎ、英国やフランスなどとほぼ同規模の経済規模になるという。

 たぶん実態はこちらの見解に近く、日本は依然世界の超大国なのだ。というか、2005年まではというべきだろう。そして来年はといえば、一部想定される大規模グランディングを抜きにすると経済的には今年よりはマシな世の中になるに違いない。そしてそうなるということはドイツなどでもそうだが、現実が若干豊かになると不平が多くなり国家への要望が高まり、世間の空気を醸造する。しかたがない。
 話をフィナンシャルタイムズに戻す。
 なぜ「我々の考え」は間違っていたか。

The obvious questions are: how could the old figures be so wrong? And can we trust the new figures? The simple answer is that calculating purchasing power is hard even in principle.

 購買力平価とはウィキペディアの項目にあるように、購買力平価説であり仮説に過ぎない。あまりあてになる経済学上の概念ではない。というあたりを教科書のようにフィナンシャルタイムズ社説は筆を滑らせている。

The Economist's famous "Big Mac" index captures the theory but not the slog: if a Big Mac costs $4 in the US and 12 yuan in China, then the purchasing power of the yuan is 3 per dollar - but only if you are buying hamburgers. Statisticians cannot stop at the Big Mac but must work out both the contents and the price of a representative basket of goods. With populations of more than a billion, being truly representative is almost impossible.

 10億人を越える人口がありしかも文化的な背景の異なる中国でビックマックを論じてもあまり意味はない。
 フィナンシャルタイムズはこの後、こうした「我々の考え」の帰結は、国際通貨基金の投票権の見直しにつながるとしているのだが、それはさておき、締めが興味深い。

There are deeper implications in these figures. China is getting even less economic value from its vast energy consumption than we had thought. And either China and India have been growing more slowly than we realised, or life there in the 1970s was even more wretched than we imagined.

The reality of life in poor countries has not been changed by the Bank's bean-counters. But our understanding of it must now change dramatically.


 中国やインドの国民の実態はなお貧しい。そうした実態を豆数え人(bean-counters)、つまり統計値を扱う人は捉え違えしていた。「我々」は今や劇的に認識を変えなくてはいけない、というのだ。
 思わず、「劇的に認識を変えるってどういうことですが、なんべん読んでもわかりません」といったコメントをいただきそうなのだが、フィナンシャルタイムズはここまでしか言っていない。私の指摘な補足をすれば、やっぱり中国とインドの国民は総体的には貧しいんだと理解しようということになる。
 たださらにその意味は問うとなると、難しい。あの巨大な、貧しい人々を抱えた国のヘッドクォーターは、何やってんだ?

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2007.12.28

ブット暗殺、雑感

 昨晩ふと海外ニュースを見るとブット殺害で騒ぎ出しているので、国内ニュースを見るとまだ死亡確定ではなかった。日本時間では深夜になったので報道社の担当対応が薄いのだろうか、このまま明日を迎えるかと思い、とりあえずTwitterに一言書いたらら、ばたばたと国内報道が出た。
 ブットの暗殺には驚いた。先日の帰国時の大規模テロで多く支持者を殺害され、彼女自身は奇跡的に生き延びたとはいえ死の覚悟はできていただろう。が、警戒態勢もある程度できていただろうし、殺害予告は報道されていた。そもそもブットのお膳立てをした米国がなんらかのセキュリティ警告をしているのではないかと私は思っていた。なので、ここまで酷い事態になるとは想定していなかった。
 ブットの暗殺で核保有国パキスタンはどうなるか。誰が今回の暗殺の黒幕か。そうした疑問が当然起きる。特に、ブログのように陰謀論が好まれるメディアだと黒幕論が跋扈するのはしかたがない。そうした関心をむげに否定する前に、いつもながら利害の構図を考えてみた。不謹慎な話だが、ブットの殺害で利益を得るのは誰か。話を単純にすると、一般的には今回の殺害の首謀者はイスラム教原理主義のテロ組織であろうと見られるだろう。が、ムシャラフ大統領はどのくらいそのメリットを享受するか。
 ムシャラフ側のメリットを昨晩ぼんやりと考えてみた。自分の結論から言えば、メリットはあるだろう。ただそれは政敵を排除するといった稚拙なものでもないし、彼自身の直接的な関与というものでもないだろう。メリットは以前同様国内の権力と米国や中国の支持のバランスを取るのにそれもまた都合がよいということだ。そしてこのメリットは、不謹慎な話が続くのだが、概ねパキスタンの現状の延長としての安定に貢献してしまうだろう。ムーディーズについてのロイター記事を見ると”パキスタン格付け、ブット元首相暗殺後も変わらない見通し=ムーディーズ”(参照)と表題からもわかるが。


 ムーディーズのソブリンアナリストは「これらの政治的出来事が政策の枠組みや海外からの経済援助に直接的な悪影響を及ぼさない限り、パキスタンの基本的な格付けが現時点で影響されることはない」と指摘。その上で「(経済)政策の枠組みに対するリスクバランスは引き続き不透明となるが、これはネガティブアウトルックに反映されている」と述べた。

 これも単純な話、中国は少し眉をひそめるくらいでむしろブットに好感をもっていないだろうから外交的には微動だにしないし、米国も従来どおりムシャラフ支持になるだろう。ただし米国は大統領選挙でパキスタン北部空爆を主張しているオバマなどが支持されるようになると空気は変わる。
 ではブットの殺害は歴史の一つの挿話に過ぎないことになるのか。パキスタンの民主化をどう考えるか。それはもちろん大きな問題だが、スコープの取り方が別扱いになるだろうし、国際的にはパキスタンの核が先行的な課題になる。
 もう少し短いスコープで見る。つまり、すでに「極東ブログ: パキスタン情勢、微妙なムシャラフ大統領の位置」(参照)、「極東ブログ: パキスタン・モスク籠城事件、雑感」(参照)、「極東ブログ: ブット帰国後のパキスタン情勢メモ」(参照)で見てきた流れで見ることになるが、そもそもブットの帰国は英米を中心とした国家側のお膳立てであり、ブットとムシャラフには密約があった。そのあたり、先週の日本版ニューズウィーク”ブットとムシャラフ独占激白(Two Leaders, On a Collision Course)”(12・26)で、背景には触れていないものの密約を公言している。インタビューは12月初旬である。

――ムシャラフは首相の3選禁止規定を撤廃し、あなたの首相復帰に道を開くとみられているが……
 アラブ首長国連邦での会談で私にそう言った。それを受けて、私たちは秘密協定を結んだ。

 メディアなどからはブットによるムシャラフの批判が聞こえてくるものの、この秘密協定は依然二人の間で生きていたと見ていいだろう。おそらくブットのセキュリティについてもそのあたりから僅かに脇の甘さもあったのかもしれない。

――10月に帰国したとき、暗殺を恐れる気持ちはあったか。
(警告は)あったが、私は単なる脅しだと思っていた。過激派は以前にも私を殺そうとしたことがあるが、まさかカメラの行列の前でやるとは思わなかった。

 問題はムシャラフ側で、彼自身がこの協定を覆すためにブットを葬ったかだが、ムシャラフという人の受け身的な動向とバランス感覚を見ている限り、その筋はないだろう。自分の手は汚さないタイプでもあり、それが逆にやっかいな状況を招いてきた。
 ムシャラフ側とし見れば、ブット暗殺に傾く分子はあっただろう。ブットはかなりディープな状況認識を語っている。もちろん彼女が置かれた状況、つまり父ブット大統領の殺害への怨恨感もあるだろうが。

問題の根は、ジアウル・ハク元大統領にある。ハクはパキスタン国内にムジャヒディン(アフガニスタンのイスラム系武装勢力)の支援体制を作り上げた。与党もその体制の一部だ。
 彼らはイスラム過激派に対する支援の中核となり、過激派の友人になった。30年前から続く絆を今さら断ち切れるだろうか。

 問題の根幹はここにあるとまで言ってよいか私にはわからない。それでもムシャラフ側は過激派勢力とつながっているし、やや放言めくのだが、今回のブット暗殺はムシャラフへの脅しの意味合いもあるだろう。そうでなくても彼は軍服を脱ぐことにためらっていた。
 ブットの暗殺によって1月に予定されていた総選挙の動向が危うくなりつつある。が、この構図もブットが暗殺されたからというより複雑な背景がある。シャリフ側の問題が大きいように思えるからだ。
 つまり、総選挙の点においてはブットとムシャラフは近い立場にいた。選挙ボイコットを推進していたのはシャリフ派の一部であり、今回のブット暗殺によってその勢力も息づくことになる。
 現時点で1月の選挙が実施されるかは不明だ。実施されたとしても形骸的なものだろうし、シャリフ派やその背景にある力がどう現在の権力バランスに影響するのかが気になる。
 これも酷い言い方になるのだが、パキスタン情勢は、民主化という文脈より、ムシャラフの綱渡り的なバランスに対してシャリフの背景となる国際的な動向に注視すべきなのだろう。

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2007.12.27

フィナンシャルタイムズ的には、ごく簡単に言うと、福田首相は小泉流にやれ、と

 来年が間近に迫ってまいりましたぁ。日本はどうなるのか、どうあるべきか、福田首相はどうするべきか。やはりあれか、朝日新聞がご指導するように、中国に行って未来のために歴史を語れってことか。
 クリスマス・ボケはさておき、19日付けフィナンシャルタイムズが日本への期待というか、よりスペシフィックに福田総理への期待の社説を書いていた。”Japan needs to revive consumption”(参照)である。これ、どっかで翻訳するでしょと思っていたけど、その後、なんとなく見かけない。私が見かけないってだけかもしれないけど、スルーってことと私には区別が付かないので、ちとこちらのブログに備忘メモを兼ねて書いておこう。
 フィナンシャルタイムズはイコール英国的というわけでもないし、そもそもメルトダウン状態のブラウン首相を担いでいる英国が何か言う?みたいなわけもない。ので、この社説は欧米のごく普通の見解くらいな意味合いしかないだろうと思う。
 で、福田首相の課題は何か、というと。


It is hard to say which is the greater challenge: maintaining growth in the Japanese economy or maintaining popularity as a Japanese prime minister. New opinion polls and economic forecasts suggest that Yasuo Fukuda, premier for only three months, will struggle to do either. His only hope is to take a bolder, more reformist path.

 福田首相が直面している課題は、経済成長と人気の維持の二つで、どっちもおろそかにはできないだろうが、フィナンシャルタイムズ的には、ドーンと改革路線で行くんだぜというのだ。うへぇ。日本の新聞の社説じゃちょっと書けませんね。
 この段落に続いて、なんで福田さん人気がないのかというと、年金問題だし、つまりは自民党のボケ(the day-to-day blunders and missteps of his Liberal Democratic party)背負いこんでますね、があるけど、来年の日本経済上向き予想からすればもっと強気でいいのではないか、と。ほぉ、強気でもOKか。
 日本のGDPは昨日の朝日記事にあるように”日本の名目GDP、OECD加盟国中18位に転落”(参照)。目出度く「経済協力開発機構(OECD)加盟国(30カ国)中18位となった。前年の15位より下がり、比較可能な1980年以降最低とな」った。何が目出度い? 円安の影響でしょ。円安大歓迎じゃないですか。「円の足枷―日本経済「完全復活」への道筋(安達誠司)」(参照)ですよ、とか凝った冗談を書くと誤解されがちなのでフィナンシャルタイムズの記事に戻す。
 日本の未来は労働力の低下から換算していいとこGDP年率成長は1・5%ナンボ。今年は1・3%だけど、来年は2%は行きそうだから、もっと福田さん強気になれよとフィナンシャルタイムズは見ているっぽい。
 とは言ういうものの、"That said"だよ。

That said, growth might have been higher without a number of policy changes. New building regulations caused a slump in residential construction. New laws on money-lending are restricting access to credit for some poorer consumers and their full effect is yet to be felt.

Rather than reform that restricts the supply side of the economy, no matter how well intentioned, Mr Fukuda needs to follow Mr Koizumi by pushing through reforms that improve microeconomic efficiency. Since Mr Koizumi’s great achievement of postal privatisation little progress has been made.


 日本が成長したいなら多くの政策変更をしなければいけないのに、な、な、なんと(団塊世代的口調を真似てみる)、理由は聞くな大人ならの理由で、建築規制で建築業界は沈没し、山本夏彦翁のいうところの金貸しの業態の規制もうまく行ってない。
 でさぁって感じで、財政再建がどんなにか大切だとしてもだよってな感じで、フィナンシャルタイムズ的には、福田総理は元小泉総理の改革路線をとってミクロ経済学的な状況を変えろ、と。郵政改革以降日本はなんもしてないじゃないないか、と。
 いや私が言っているんじゃないし、私はこういう問題に言及するには懲りて日和っているわけです。そこんところ、フィナンシャルタイムズは、もっとポジティブに考えようぜ、と。
 では日本はどうあるべきか。

Japan’s greatest economic challenge, however, is to rely less on exports and capital investment, and more on domestic consumption as a source of growth.

 輸出依存や海外投資の体質からもっと国内消費による国家経済の成長をしろ、と。
 このあたり、べたにいうと団塊世代カネを使えよと、いやそんなカネないよと云々。というわけで、フィナンシャルタイムズ的にも年金で年寄りが安定するとカネ使うかなと色目とちらちらするが、日本企業にはきつく出ている。

Perhaps the most helpful thing the government could do, however, is discourage the tendency of private companies to hoard cash. Two areas for reform are the tax code, which still encourages corporations to retain their profits, and the scarcity of takeovers, which means inefficient balance sheets are not penalised.

 日本国政府がやるべきことは、二つ。企業がこれ以上現ナマ溜め込むんじゃねぇ規制をすべきだというのと、企業乗っ取り恐怖を緩和させたらどうかね、と。日本企業の貸借対照表このままでよいのか、と。
 このあたり、いやさらっと書かれているけど意味を読み解くとフィナンシャルタイムズもえぐい。で、締めはもっとえぐい。

Such reforms would be hard for Mr Fukuda to push through even without opposition control of the upper house of parliament. LDP politics as usual, however, is not going to revive his government.

 改革は必要だとわかっていても参院の反対で無理でしょうなあ、でもそれって昔ながらの自民党体制と変わらず、つまり、再生はしないでしょう、と。つまり、日本オワタ、と。
 いやはや、フィナンシャルタイムズ、るっせー、余計なことを言うなよのお話なのでした。

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2007.12.24

finalvent's Christmas Story 2

 カナダに暮らしていたティムが死んだという知らせを夏の終わりに聞いたとき、今年もKFFサンタクロース協会の仕事をすることになるだろうと予想した。10月に入りマリーから電話で「今年もお願いします、ボブ」と言われたときも、だから、わかっていましたと答えた。マリーの話では、彼は自分の命が年を越せないかもしれないのに、プレゼントをトゥンと呼ばれる子に渡すつもりでいたらしい。仕事をやり遂げることができなくなる不安はなかったそうだ。「僕が死んだらボブに頼めばいい」ということだ。ティムが私を信頼していたのはわかっていたけど、もう少しなにか思いがあったのかもしれない。
 トゥンという男の子のデータを協会から受け取った。アフリカの孤児として裕福な女性の学者に引き取られて育った子ども。14歳。もうサンタクロースを信じている年ではない。それどころかすでにマスターの学位を取得し、博士研究に着手しているという。でも、子どもは子どもだ。
 ティムと私は昔アフリカで援助の仕事をしていたことがある。科学者の彼は子どもたちの教育もしていた。トゥンが引き取られるまで関わりもあったのだろう。教え子だったのかもしれない。
 ティムが用意していたプレゼントはトゥンの地域のセンターにすでに保管されているという。データを見ると「バランストアクアリウム」という水槽らしい。魚と水草が入った自然の生態系の模倣だ。ポンプや濾過器などなくても生態バランスを維持できるというものらしい。水草は酸素を作り、魚はそれを吸う。魚は水苔を食べ、その糞は水草の肥になる。本当だろうか。なによりこれはトゥンが望んだプレゼントなのだろうか。いずれにしてもそれほどやっかいな仕事にはならないだろう。搬入の心配はない。マリーは補助員を4人付けますと言っていた。それはありがたいけど、何も言わない若い青年たちとじっと一緒に車に乗っていくことになるのは気が沈むことになるだろうと思っていた。
 当日夕刻ロサンゼルス空港に現れたのは気さくな大学生たちだった。女性学生も一人いた。「サンタクロースのお仕事って夢がありますよね」と笑っていた。食事してから行きましょうと彼女は明るく言った。若い女性を見るのは久しぶりかもしれないと私は思った。私にも若い日はあった。
 トゥンの家についたのは9時だった。立派な邸宅だが、新築のつまらない造りだ。そこへ私たちは巨大なピザを届けるデリバリー員のようにやってきた。先頭に立つサンタクロースの私が滑稽なほどお似合いだ。
 玄関口に黒い顔で端正な姿のトゥンが出てくると私はハッピー・ホリデーズと言い、学生たちはキャロルを一曲歌った。その後プレゼントをトゥンの部屋に運び込み、私とトゥンを残した。私はいつもどおり子どもと少し話をすることになっている。
 「サンタクロースさん、ようこそ」ドアを閉めるとトゥンは、椅子を勧めながら言った。
 「トゥン君。プレゼントはあれだよ」
 「ありがとうございます、サンタクロースさん」微笑みに少し陰がかかる。
 「期待していたサンタクロースじゃなかったかな」
 「ティム先生がやって来ると思っていました」
 「ティムは夏に死んだ。肺がんだった」
 「そうだったんですか」トゥンは悲しそうな顔をした。
 「私は代理で、あのプレゼントがなにかもよく知らないんだよ」
 「バランストアクアリウムです。ローレンツアクアリウムとも言います。小学生だったころティム先生から聞いて、いつか欲しいと思っていたんです。少し無理なお願いだったかもしれません」
 「自然の生態がそのまま小さくまとめられていて人の手のかからない水槽ということだが……」私は話を戻した。
 「正確に言うとまったく人の手をかけないわけではありません」
 「つまり、トゥン君はこの水槽をきちんと維持できる知識と能力があるわけだね」
 「はい。そしてそうしたいんです、僕の意志として」
 「それはもしかして、地球を愛したいということかな」私は少しこの子の内面に問い掛けてみた。
 「そうです。私たちは地球をもっと大切にしないといけないんです。そのことを日々忘れないように、そうあるべきだと……」
 私はずいぶんと立派な子どもだなと思いつつ、不自然な印象を受けた。この子は、アフリカの地の悲惨のただなかで偶然、あるいはその才能を認められてこの地に引き取られた。それは幸運には違いないけど、自然ではないように思えたからだ。
 「自然にはそうしたバランスがあります」とトゥンはまるで学校の先生のように語った。私は軽く微笑みながら頷いた。これで仕事は終わったと思った。が、トゥンは別の話を切り出した。
 「差し障りがなかったら、教えてください。ティム先生はなぜあなたに頼んだのですか?」
 「昔一緒に仕事をして友だちだったんだ」
 「それだけですか」
 「それだけだよ」
 「信頼していたんですね」
 「信頼していたよ。当たり前のことさ」
 トゥンは考え込んでいた。それから立ち上がって、水槽の中を覗いた。
 「きれいですね。自然って美しいものです」
 私は黙っていた。トゥンが少し悲しみの感情に堪えているのに気が付いた。
 私はぼんやりとこの子の未来には何があるだろうと思った。この利発な子は私が死んだ後、きっと世界と自然を支える立派な人物になるに違いない。でも……。
 トゥンは振り返って私を見つめ、「でも、僕が失敗したらこの小さな自然は壊れてしまうのでしょうね」
 私にはわからない。地球の自然も今破壊されつつあるようだ。正直に「私にはよくわからない」と答えた。
 ティムはぼんやりとしていた。聞いていないのかもしれない。
 私は言葉を足した。「でも、ティムはきっとトゥン君がそれを大切にすると信頼していたと思うよ」
 トゥンは驚いた顔をした。そして「信頼。私のティム先生」と小さく呟いて涙をこぼした。
 しばらくして帰る時間になった。トゥンは笑顔に戻って戸口まで見送ってくれた。私は一層暗くなった夜空を見上げた。
 ティム、プレゼントはちゃんと渡したよ。

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2007.12.23

教行信証の還相回向について

 宗教めいた話が続くのもなんだがスウェーデンボリなど読み返しつつ、教行信証の還相回向(廻向)というのを別の角度からつらつら考えていたら昨日、「教行信証」に親鸞自筆の書き入れがあったというニュースを聞いて奇妙な感じがした。What a coincidence!  背中の翼の生えていたあたりをずんと突かれたような気がして(冗談)、少し書いてみようかと思った。他愛ないというかくだらない戯言であるが。
 きっかけとなったニュースは毎日新聞が早かったようだ。”親鸞:「教行信証」自筆本に未知の書き入れ”(参照)より。


 浄土真宗の開祖、親鸞(1173~1262年)の主著「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」の自筆本である「坂東本(ばんどうぼん)」(国宝)の修復に伴う調査で、つめ跡のように紙面をへこませて文字や印を記す筆記具、角筆(かくひつ)による書き入れが見つかった。漢字の振り仮名や段落の印など約700カ所に及び、すべて親鸞が解釈などを示すために書き入れたとみられる。
 親鸞の思想の核心に迫る日本仏教史上の画期的な発見で、わが国最大の伝統仏教勢力、真宗教団の僧侶や門信徒の信仰のよりどころである根本聖典「教行信証」の刊本はすべて、角筆書き入れの解読結果を反映するよう再検討を迫られる。

 教学上、というか西洋的に言えば神学的な部分での再検討はないかと思う。神学というのはカノンからは実際には独立している解釈の体系だ。とはいえ、親鸞の持つ、ある種の暗さみたいなものの解明はあるだろう。

 唯一の自筆本である坂東本には、書き直しや墨、朱筆による多数の書き入れがある。一応の完成をみてからも、親鸞が手元に置いて絶えず読み直し推敲(すいこう)を重ねた跡とされ、親鸞の思想が深まっていく過程が投影されている。
 角筆の書き入れの相互関係や、朱筆の書き入れとの関係、本文の漢字との関係など、複雑なパズルを解くような綿密な分析が進めば、成立時期、推敲のプロセスなど「教行信証」が秘めた謎の解明が一気に進み、親鸞の思想の理解が覆る可能性が秘められている。

 親鸞の教えとされるものには、明治時代というか江戸中期あたりから宣長や徂徠のような文献的な研究と同パラダイムにあると思うが、詳細な解明とそれに加えて実質的に近代人に向けて再構成されて来た。必ずしも明治時代になって歎異抄が発見されたわけではないが、日本近代人の親鸞志向は歎異抄をベースとしてきたと言っていいだろう。むしろそこに最後の思想の到達のようなものをつい読もうとしていた。あるいはたまたま歎異抄によって隠された畏るべき親鸞の一端がぽろっと出てしまったのかもしれない。「畏るべき」と言ってもよいのではないか、一応平信徒には隠されていたに等しいし。
 私が親鸞という人に愛憎というまでもないが、奇妙な距離感を感じるのは、青年期歎異抄によって命を救われたような恩義があるのと、親鸞という人に自分のような人間の胡麻臭さを感じるところがあるからだ。この人は、こっそりと密義を持っていたんじゃないかということや、こんなこと言っても通じねえや俺は孤独だな、うーん考えてもなんだからおセックスしてよう、みたいな。貶めるというのではなく自分を反映して見えてしまう部分がある。ただ私は年を取ると道元に心惹かれるようになった。中年の危機、これもまた死ぬかと思ったのを道元に救われたというほどではないが安らぎを得た。個人的なことでどうでもいいのだが。
 もうちょっと開いていうと、教行信証の謎に突き当たる。ウィキペディアを見ていたらなかなか味わいのあることが書いてある(参照)。

親鸞は、法然(浄土宗開祖)を師と仰いでからの生涯に渡り、「真の宗教である浄土宗の教え」を継承し、さらに高めて行く事に力を注いだ。自らが開宗する意志は無かったと考えられる。独自の寺院を持つ事はせず、各地につつましい念仏道場を設けて教化する形であった。親鸞の念仏集団の隆盛が、既成の仏教教団や浄土宗他派からの攻撃を受けるなどする中で、宗派としての教義の相違が明確となって、親鸞の没後に宗旨として確立される事になる。浄土真宗の立教開宗の年は、『教行信証』(正式には、『顯淨土眞實敎行證文類』)が完成した寛元5年(1247年)とされるが、定められたのは親鸞の没後である。

 簡素に書かれているが親鸞の奇妙なところは、「各地につつましい念仏道場を設けて教化する」というのを晩年事実上捨ててしまったように見えることだ。このあたりは丹羽文雄の「蓮如」に描かれる晩年の親鸞の隠棲の描写がわかりやすい。娘からも孫からも、もうこのテカテカ爺さんは孤独に京都でぼんやり過ごしている無名の人だった。
 ウィキペディアに戻ると、「教行信証」の完成を1247年としている。親鸞74歳、すでに高齢で晩年のようにも思えるが、彼は90歳まで生きているので、その間、どう最後の思想的到達があったのか。それ以前に、鎌倉幕府による念仏者の取締で、ほいじゃという感じで62歳の頃ごろ人生の大半をかけて結果的に布教した関東を捨てて京都に戻って事実上隠棲してしまったのはなぜなのか。
 このあたりは個人的に親鸞に共感しまう部分も大きい。彼は京都に戻ってこっそり「教行信証」を書いているのだが、それは誰に教えるというわけでもない。現代でいえばたいして誰も読まないだろう糞ブログを書いているようなものだ。
 教行信証とはどのような意味合いをもった書籍なのだろうか。後世に教えを伝えたいという意志がないわけでもないが、実際の後世そこからできた本願寺教団とは直接的には結びつかないようにも思える。
 教行信証については当然宗門でも研究されているし、今回の発見はやや予想外ではあるにせよ神学・教学的には変更はないだろう。だから以下は当然与太である。
 教行信証を紐解いてみよう。序に続く「顕浄土真実教文類一」のまさに冒頭はこう始まる。

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。

 ここでいう「浄土真宗」は当然ながら宗派を意味しない。浄土教の真実の要諦というだけのことだ。そしてそれは二種回向であるとしている。つまり、通称「教行信証」は二種回向を論じてる。もっとも、ここでは往相回向から切り出される。

回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。往相とは、おのれが功徳をもつて一切衆生に回施したまひて、作願してともにかの阿弥陀如来の安楽浄土に往生せしめたまふなり。

 往相回向については「自分の功徳を他人や諸存在に及ぼし、願って一緒に阿弥陀の浄土に往生すること」ということらしい。わからないではないが、ここに功徳の自力の働きがあるようにも思える。そのあたりの教義はどう整理されているのか私にはよくわからない。他力の信が功徳と解するのは無理があるように思う。が、とりあえずそれはさておき。
 還相回向が奇っ怪だ。

還相とは、かの土に生じをはりて、奢摩他毘婆舎那方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、ともに仏道に向らしめたまふなり。もしは往、もしは還、みな衆生を抜いて生死海を渡せんがためにしたまへり。このゆゑに「回向を首として大悲心を成就することを得たまへるがゆゑに」とのたまへり」と。

 ウィキペディアの同項目ではこの奇っ怪さをなんとか説明しようとしている。

現代語で

「還相回向というのは、阿弥陀如来の浄土に往生して、止観行を成就し教化する力を獲得し、生死の世界、つまりこの世に還り来たって、すべての衆生を教化して、一緒に仏道に向かわせようとする力を、阿弥陀如来から与えられること。 」

とでも訳すことができるだろう。 しかし、これを単に

「浄土に往生した者が、菩薩の相をとり再び穢土に還り来て、衆生を救済するはたらきを阿弥陀如来から与えられること。 」

と訳すと、浄土から帰ってきた幽霊のようなものを想定してしまうだろう。実際、かなりの学者がそのように理解しているようである。


 「とでも訳す」が教学的なのだろうが、率直なところ教学過ぎて意味がわかりづらい。むしろ、「単に」という訳のほうがわかりやすい。つまり、還相回向とは「浄土から帰ってきた幽霊のようなもの」ではないのか。
 ウィキペディアのこの項の執筆者はこれを「かなりの学者がそのように理解しているようである」としているが、私の知る限り、この説を採っている教学はないと思う。
 だが、親鸞の「教行信証」および親鸞の思想とは、「浄土から帰ってきた幽霊のようなもの」が核心にあるのではないか。
 私は別に宗門を貶めたりオカルトを書きたいのではない。親鸞は中世の人であり夢告を受けて人生を変えた人である。夢告は還相回向の構造ではないのか。私は夢告というのは伝説だと思っていたが、そうでもないようだ。このあたりの真偽はいまひとつわからないが、それでも中世の人親鸞にとって夢と信仰は近代人のそれとはまったく異なっていたのではないか。
 これらに関連して梅原猛が以前朝日新聞の「二種廻向と親鷺」(2005.9.20))という寄稿エッセイで奇妙なことを書いている。

近代真宗学はこの二種廻向の説をほとんど説かない。それは当然ともいえる。なぜなら、科学を信じる近代人にとって、死後、浄土へ行くというのは幻想であり、その浄土からまた帰ってくるというのは幻想の上にまた幻想を重ねるようなものと思われるからである。しかし念仏すれば浄土へ行き、またこの世へ帰り、また念仏すればあの世へ行き、またまたこの世へ帰るというのは、人間は生と死の間を永遠の旅をするという思想である。

 梅原は死後の世界を親鸞が確信していたという前提に立っているし、この点において教学を否定しているようだ。
 では、「幽霊のようなもの」だろうか。梅原はそうではないと続ける。

この思想は、個人としての人間を主体にして考える場合、幻想にすぎないかもしれないが、遺伝子を主体にして考える場合、必ずしも幻想とはいえない。遺伝子が生まれ変わり死に変わりして永遠の旅をしているという思想こそ、現代生物学が明らかにした科学的真理なのである。われわれの現在の生命の中には永遠といってもよい何十億年という地球の歴史が宿っているのである。悪人正機説に甘える近代真宗学には、永遠性の自覚と利他行の実践の思想が欠如しているように思われる。二種廻向の説を中心として近代を超えるの真宗学を樹立することが切に望まれる。

 梅原は突拍子もなく「遺伝子を主体」という考え出している。大丈夫か梅原猛、と当時も思ったし今でもそう思うのだが、ようするに、「幽霊のようなもの」を否定し、死後の世界や輪廻といった教義を生かすとなると、「遺伝子を主体」と言えそうにも思う。が、そうなると還相回向というのはどことなく優生学のような気持ち悪さが出てくる。
 少し引き返そう。
 梅原のいうように「近代真宗学はこの二種廻向の説をほとんど説かない」のだろうか。たぶん、説いてはいるだろうが、ウィキペディアの同項目にもあるように、近代合理性と合致したなんらかの解釈となっているだろう。
 だが、ここで仮にだが、「幽霊のようなもの」を肯定すると一気に親鸞思想と教行信証の全貌が出現してくるのではないか。もちろん、そんなもの近代人には受け入れられないとしても。
 冒頭に戻る。スウェーデンボリもまた死後の世界というか天界というべきか、奇っ怪な世界を描いた。スウェーデンボリにしても親鸞にしてもそれらは文学的表現でもあるかもしれないし、比喩であるかもしれない。あるいは近代人はそれを文学的表現または比喩と受け止めるべきかもしれない。
 もしそうした、ある種の緩やかな解釈論が可能なら、親鸞思想と教行信証は「幽霊のようなもの」から再構成されてくる可能性はあるように思える。という以上に浄土教というものの宗教的な意味合いが再構成できるかもしれない。
 こんなことをつらつら考えながら、しかし、こうした再構成をべたに死後の世界として信じることも可能だとしたらどうなのだろうと仮定して、ふとオウム真理教信者のことを連想した。
 彼らはそのすべてではないだろうが、地獄に堕ちることを恐れていた。地獄とはこれまたばかばかしい話だなと私はその場で論外の箱に投げ入れていたのだが、不死の魂とか死後の世界を求めるというなら、そこから必然的に近代人の死と同質な地獄というものが確信される心的構造はあるように思えた。
 私たちがこの世の死ではないなにかを確信するとき、その死の意味合いは死後の地獄のようなものに転写されるだけだろうが、そのとき、そうした転写された地獄を恐れる人々はこの世の死を恐れぬ行動を取るというのはむしろ当然の帰結かもしれない。
 浄土真宗は親鸞の思いはどうであれ、死を恐れぬ人々を生み出し、日本の歴史を変えていった。

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2007.12.22

最近ちょっと考えていたキリスト教のこととか

 キリスト教でも平信徒には現実的にはそれほど問題にはならないのが三位一体論だろう。難しすぎるからだ。が、これは異端排除のための信条とも関係していて、歴史を知る上ではなかなか避けがたい部分もある。まあ、こんなエントリではそれほど突っ込まないのだが、昨日エル・グレコのエントリを書いてから、映画とは別として彼は正教の信仰だっただろうかとつらつらと考えた。というか最近つらつらと考えていた。個人的には青春が残した課題でもあった。
 正教とカトリックの違いは通常フィリオクェ問題(参照)として知られている。エル・グレコなども平信徒だろうし普通平信徒はこうした問題に悩むことはない。が、そういう信仰の話ではないので、ウィキペディアを借りて話を進める。


フィリオクェ問題(フィリオクェもんだい)は、キリスト教の神学上最大の論争のひとつである。ローマ・カトリック教会と正教会の分離、いわゆる大シスマ(東西分裂)の主要なきっかけとなった。

この時期のキリスト教では、東地中海沿岸ではギリシャ語が、西地中海沿岸ではラテン語が主に用いられていた。教義は主に東地中海で理論的発展を見たため、神学理論は主にギリシャ語で著述された。『新約聖書』は原文がギリシャ語で書かれていたし、公会議で採択されたいくつかの信条もギリシャ語を原文とする。ローマ教会をはじめとするラテン語地域では、聖書や信条といった宗教文書をラテン語に訳して用いていた。


 間違いというわけでもないし、ローマ人の言語がギリシア語であったというとそれはそれで違うということになるが、そういう側面はあった。なにより、ローマ教会は司教区の一つに過ぎなかった。
 このあたりから面倒な話になるが、関心のある人もいるかもしれない、というくらいで続ける。

ニカイア・コンスタンティノポリス信条の原文では、「聖霊は父なる神から発する」としていた。ローマ・カトリック側がそのラテン語訳に9世紀になって一方的に「子からも(発する)(Filioque フィリオクェ)」と付け加え、これを正文であると主張したためにコンスタンティノポリス教会側が反発した。さらに当時のコンスタンティノポリス総主教フォティオスと前総主教イグナティオスをめぐるコンスタンティノポリス教会内部の政治的争いにローマ教皇が介入し、イグナティオスを支持した。こうして、東西のキリスト教会を二分する深刻な対立状態がもたらされた(「フォティオスの分離」)。

 キリスト教徒で神学とかに関心を持つ人か歴史に関心を持つ人でないと、これがどんな意味を持つかよくわからないだろうと思うし、もちろん私もわかっているわけではないとか言ってお茶を濁すことにしている。いや今日は特別に濁さないでおくかな。これは私の青春を賭けた問題でもあった。正教が正しいかもしれないと思っていたのだった。ただ、青春は過ぎ去り、宗教とかにも関心を失った。が、なんとなく残した課題のようには心にひっかかっている。
 大シスマ後どうなったか。あるいは現在ではどうなったか。大シスマ自体はウィキペディアを見ると、東西教会の分裂1054年(参照)と教会大分裂1378-1417年(参照)を分けている。確かに歴史的にはそうしたほうがいい。だが問題は狭義というか教会としてはどうなったか。ウィキペディアを借りる。

正教会と聖公会はロシア革命が起こるまで、「教皇首位権に否定的かつ伝統的な教会である」「ロマノフ朝とハノーヴァー朝の姻戚関係」等の要因によって、特に英国国教会とロシア正教会の主導の下で関係深化が進められていた。しかしながらソ連邦成立以降はこの試みは頓挫し、現在、正教会と聖公会の関係は特に深いものではなくなっている。

 アングリカンとの関係は深くはないとも言えるが、現在ロンドンでロシアを巡って怪奇な事件が起きている背景には両国の長い関係の歴史がある。ロシア革命から冷戦も影響を与えていた。
 この間、エキュメニズムも起きる。

1965年、エキュメニズムが大きなテーマとなった第2バチカン公会議においてローマカトリック教会の中で東方正教会との和解への道が再び模索され、正教会への働きかけが行われた。その結果を受けて1965年12月7日、公会議の席上まずローマ教皇パウロ6世によって「カトリック教会と正教会による共同宣言」が発表され、続いて正教会側もイスタンブールでこれを発表した。これによって1054年以降続いていた相互破門状態はようやく解消され、東西教会の対話がはじめられることになった。但し先述の通り、この相互破門はそもそも破門として有効であったのか疑わしい程度のものであり、解消することはそれほど難題ではなかったと解釈することもできる。

 この記述はウィキペディアの原則違反の勇み足をしている印象もあるが、表面的な和解にはなった。が、神学的にはフィリオクェ問題は残されたままだろう。さらにその後のプロテスタントの問題が関係してくる。なお、ウィキペディアはこの先にいろいろ重要な指摘をしているので関心のある人にはよいまとめになっているだろう。
 私の知見が狭いせいもあり、議論されたのを見たことはないのだが、フィリオクェ問題は、構造上ニカイア・コンスタンティノポリス信条の改訂になってしまう。つまり、改訂ニカイア・コンスタンティノポリス信条がカトリックであり、原ニカイア・コンスタンティノポリス信条が正教ということになる。そしてそこで信条が揺らぐということは、キリスト教か異端かという問題が、カトリックと正教がともに正統であるなら、384年の第1コンスタンティノポリス公会議(参照)以前までトラックバックしてしまうことになる。つまり第1ニカイア公会議(参照)のニカイア信条(参照)までがカトリックと正教の合意点から異端が判別できる起点になりそうだ。
 ニカイア信条が難しいのは例のダジャレのようなホモウーシオスとホモイウーシオスの問題がある。この点については神学的には本質的なのだがあえて踏み込まない。
 話が奇妙なものになりつつあるが、先日スウェーデンボリについて考えることがあり、私はごく単純に彼は異端だと思っていたし、そのありかたについてはカントの「視霊者の夢」くらいに考えておけばいいかと思っていたのだが、どうもカントのこれは意外に大問題を含んでいそうだし(後年カントは持論が破綻していると考えたようだ)、またスウェーデンボリが異端だとすると、どこで異端なのかと考え込んでしまった。多分に知的なパズルといったものだが。ウィキペディアではあっさりと書かれている(参照)。

その神概念は伝統的な三位一体を三神論として退け、サベリウス派に近い、父が子なる神イエス・キリストとなり受難したというものである。ただし聖霊を非人格的に解釈する点でサベリウス派と異なる。聖書の範囲に関しても、正統信仰と大幅に異なる独自の解釈で知られる。

またスヴェーデンボリはルーテル教会に対する批判を行い、異端宣告を受けそうになった。国王の庇護によって異端宣告は回避されたが、スヴェーデンボリはイギリスに在住し生涯スウェーデンには戻らなかった。

彼の死後、彼の思想への共鳴者が集まり、新エルサレム教会(新教会 New Church とも)を創設した。


 この記述は正しくないのではないかと思うが具体的にどう書き換えればいいのかよくわからない。また、異端はここではルーテル教会からのもので、カトリックや正教とは関わりがない。そして、私は知らなかったのだが、新エルサレム教会は現在日本にもあるらしい。そしてさらに無知だったのだが、「極東ブログ: [書評]あなたは生きているだけで意味がある(クリストファー・リーヴ )」(参照)で触れたユニヴァーサリズムの教会も日本にあるらしい。
 となると、プロテスタントの日本での合同である日キ(日本基督教団)はこれらをどう扱っているのか気になった。が、わからない。日キはたしか無教会も異端排除していたはずだが、塚本虎二の著作を読むとカトリックへの批判は多いものの正統的な三位一体論を保持しており、無教会は狭義的に異端ではなさそうだ。
 といあたりで、いろいろ昔のことを思い出し、いろいろ考え直してみると自分のなかでこれもいろいろな線がつながりだし、奇妙な感慨があった。
 まず、日キの戦中・戦後の歴史だが。

そのため、戦時中はもっぱら戦時体制に貢献せざるを得ず、戦後、戦時下の合同をよしとしなかった諸教派・諸教会が分離したのち、あらためて、平和と和解のために仕える合同教会としての再形成を図るべく、「日本基督教団信仰告白(1954年)」や教団総会議長名による「第2次大戦下における日本基督教団の責任についての告白(通称:戦争責任告白)」(1967年)」の制定・発表を通じて、その実現を期そうと試みた。

しかし、1945年の敗戦により本土と切り離された沖縄の教会である沖縄キリスト教団との合同(1969年)、あるいは大阪万博(1970年)における万国キリスト教館の出展問題に端を発する「反万博闘争」などを通じて、教会の社会的役割を重視するグループ(社会派)と、教会の形成や伝道を重視するグループとの対立が深まり、いわゆる「教団紛争」と称する状況が現在にいたるまで継続している。


 ウィキペディアでは触れていないがこの背景には米国からの圧力もあったのではないかと思うし、歴史的には語りづらいのだが原爆を使ってしまったことの米人の罪責感もあったようだ。
 ここで気になるのは、「沖縄の教会である沖縄キリスト教団との合同」なのだが、やはりというべきかスウェーデンボリの教派が関係していたようだ。先の項目より。

一例として、日本キリスト教団の沖縄における前身である沖縄キリスト教団では、スウェーデンボルグ派牧師(戦時中の日本政府のキリスト教諸教会統合政策の影響からこの時期には少数名いた)が、戦後になって教団統一の信仰告白文を作ろうとしたところ、米国派遣のメソジスト派監督牧師から異端として削除を命じられ、実際削除されるような事件も起きている。

 ここでの異端は米国側の問題なのだが、しかし考えてみると日キ側のグリップはなかったかのようにも見える。
 仮に日キ側から見た場合、スウェーデンボリの教派は異端なのだろうか。ということで鈴木大拙への再考もかねてスウェーデンボリの著作を読みかえすと、彼自身はアタナシウス信条から離れていないというふうに述べている。さらに読み込むと、実質フィリオクェ問題に近いようだ。アタナシウス信条はニカイア・コンスタンティノポリス信条のさらに後代にあり、この問題はむしろ正教的な揺り返しとも考えられないことはない。が、正直私はここでギブアップした。あまりに不毛だ。
 日キではウィキペディアにあるように、ニカイア信条よりさらに古い使徒信条が採用されている。

教団の信仰内容を言い表す信仰告白として、1954年に「日本基督教団信仰告白」(以下、教団信仰告白)が制定されている。その形式は、教団の基本的な信仰理解を言い表した部分に続いて使徒信条が告白される簡易信条であり、合同教会の信仰告白として、聖書の権威、三位一体、十字架と復活、信仰義認、聖化、教会の務めなど、各旧教派の伝統を少しずつ継承しつつも、ほぼすべてのプロテスタント教会が共有できるような、ゆるやかな信仰理解を内容としている。


日常の礼拝の中では、教団信仰告白をそのまま告白する教会は必ずしも多くなく、使徒信条のみが告白されることも多い。伝道的配慮などの理由で、教会教育用(口語体)のものを用いる教会もある。また、旧教派や教会の伝統により、ニカイア・コンスタンティノポリス信条や他の歴史的信条を告白する教会や、信条の告白そのものを行なわない教会も存在する。

 書きながら、エントリとしては整理が付かないものの、自分の青春の問題はなんとなく違ったアウトラインで見えてきたような気がしている。戦後の米国側のグリップと近代日本人のキリスト教受容の関係はかなり再考を要するのではないかというあたりだ。
 ただ、こうした問題は日キの歴史がそうであったように、政治的な問題に還元する傾向はあるだろうし、いわゆる個人の信仰の問題とは関係ないだろう。また、率直に言って、この問題をきちんと解くことは私の任でもないだろう。

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2007.12.21

エル・グレコは何人(なにじん)?

 エル・グレコは何人? 答え、一人。違ぁう! なにじん、かと。イタリア人とかスペイン人とかユダヤ人とか日本人とか。で、エル・グレコは何人(なにじん)?

photo
受胎告知
 いや軽い気持ちで他所で問い掛けたものの後悔した。存外に難しいやこれ。というわけで、とても解答ってことにはならないけど、ついでなんで愚考をメモしておこう。
 この問題はウィキペディアを見ろだよなというのはあるだろう(参照)。

エル・グレコ(El Greco, 1541年 - 1614年4月7日)は、現ギリシャ領のクレタ島出身の画家。本名はドメニコス・テオトコプーロスで、一般に知られるエル・グレコの名はスペイン語で「ギリシャ人」を意味する通称である。

当時ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島で初めイコンを学び、のちにイタリアのヴェネツィア、ローマに渡ってティツィアーノに師事し、ヴェネツィア派絵画を学んだ。1577年、36歳でスペインのトレドに渡り、没するまでスペインで宮廷画家として活躍した。


 スペインの画家なのでSpanish painterということになる。なので、スペインの画家だからスペイン人?
 だが、生まれは現ギリシャ領のクレタ島。その時代、クレタ島はどこの国だったかというと、ヴェネツィア共和国の支配下ということだ。で、正解はヴェネツィア人、なのか? この支配下というのが微妙ぉにきびしーいというか何を意味しているか。通常は施政権を意味していると理解していい。すると沖縄など戦後から72年まで施政権は米国だったので、上智大学の当時別棟国際学部だったかに通っていた南沙織は米国人? 父親はフィリピン人? いやそももそも彼女は奄美の生まれ? でも沖縄育ち? いやはや例がよくなかったが、復帰前のB円とかの記憶のある戦後のうちなーんちゅーは米国人?なわけはない。日本人? そりゃ沖縄が復帰したからそうだけど。もし復帰できなかったら? まあ、つまりだ、施政権は領民の国籍というか所属に関係ないかもしれない。
 領民というのは領土と同じで所有権の概念かとすると、まずもってヴェネツィア共和国の支配下のクレタ島はどの領有権になるのか? ビザンツ? うぁそのあたりがわかんねー。
 クレタ島の歴史をウィキペディアで見る(参照)と全然そのあたりの説明がない。英語版のほうはある(参照)、どころかエル・グレコまで出てくる。そりゃなみたいに。

In the partition of the Byzantine empire after the capture of Constantinople by the armies of the Fourth Crusade in 1204, Crete was eventually acquired by Venice, which held it for more than four centuries. During Venice's rule, the Greek population of Crete, most famously El Greco, were exposed to Renaissance culture. During the 17th century, Venice was pushed from Crete by the Ottoman Empire, with most of the island lost after the siege of Candia (1648-1669) ; this made up possibly the longest recorded siege in history.

 これがまた難しい。いや英語はシンプルなんで訳も要らないでしょ。まず、1204年にヴェネツィア共和国下となるのだが、ビザンチン帝国と呼ばれるローマ帝国(あのぉ東ローマ帝国っていうのは歴史学的な名称の一つであって彼らは自身をべたにローマ帝国と自称していたちなみに)の終わりは1453年メにフメト2世によって滅亡ということになっている。なのでビザンツの領有権というのはなさげだが、のだが、このあたり領有権は皇帝に帰属していたのだろうか。いや頓珍漢なことを言い出したのは、私、メテオラの修道院を訪問したおりビザンツチン帝国の旗を見たわけですよ。どうも領有権的にはいまだにビザンチン帝国っぽい。他、アトス山とかの領有もどうもよくわからない。
 話を少し戻して、"During Venice's rule, the Greek population of Crete, most famously El Greco"というのがまた微妙で、During Venice's ruleというのはヴェネツィア共和国の施政権を意味すると思うのだけど、ここで"the Greek population of Crete"というのがでてきて、つまり、クレタ島のギリシア人というのが出てくる。ということはエル・グレコはギリシア人なわけです。ピンポーン!
cover
エル・グレコ
バンゲリス
 違うよな、ギリシアができたのは、これもウィキペディアを借りると(参照)、1829年アドリアノープル条約でギリシャの独立が承認されバイエルン王国の王子オットーをオソン1世として国王に据えギリシャ王国として独立した。というのだが、ウィキペディアだと「東ローマ帝国滅亡以来約380年ぶりにギリシャ人の国家が復活した」というのだが、それはあり? まあいいや。で、このバイエルン王国というのは名前から連想が付くようにドイツのバイエルン地方のヴィッテルスバッハ家ということで、つまりここでもあれ、施政権の問題になる。つまり、クレタの人がヴェネツィア共和国とかになると同じ理屈で近代アドリアノープル条約以後のギリシア人ってドイツ人? いやわざとらもあるけどややこしい。(ちなみに近代トルコ建国の父ケマル・アタチュルクが生まれたのはギリシアのサロニカ。)
 たぶん、これは、ユダヤ人とかと似た範疇で、ギリシア人というのは国民という意味ではなく民族名ということだ。というわけで、エル・グレコはギリシア民族のギリシア人ということで、とりあえず落ち着く。とりあえずだけど。
 ただ、市民権としてはどうよ? と。つまり、「イタリアのヴェネツィア、ローマに渡ってティツィアーノに師事し、……36歳でスペインのトレドに渡り、没する」というとき、彼はどの市民権を持っていたのか、あるいはどういう変遷があったのか? 市民権としてはやはりヴェネツィア共和国だったのだろうか。あれ、アイルランド系米国人みたいな感じでいうと、ギリシア系ヴェネツィアでスペインに居た?
 まあ、ネタということもあっていろいろ愚考しているし、ヴェネツィア共和国よりクレタ島に当時事実上の自治権があったかもしれないしよくわからない。
 が、とりあえず、本人に、「エル・グレコさぁ、おめー、なにじん?」と聞かれると、「ギリシア人」と答えたのではないか、っていうか、「エル・グレコ」ってギリシア人という意味なんだが、これは他称であって自称ではないか。
 自称と言っていいかもしれない。彼は作品の署名をギリシア文字で本名で書いていたらしい。先のウィキペディアより。

He usually signed his paintings in Greek letters with his full name, Domenicos Theotokopoulos (Greek: Δομήνικος Θεοτοκόπουλος), underscoring his Greek origin.

 ドメニコス・テオトコプーロスということだが、気になるのはこれって日本のウィキペディアだと本名とかあるが、そうだろうか。父名がロシア人のように入るのが本当ではないのかというか、ギリシアに入国するとき、日本人の俺でも父名を書かされたような記憶があるのだが、違ったか。
 というわけで、ギリシアのウィキペディア(参照)をみると、おお、そもそもエル・グレコなんて項目じゃないや。
 というあたりで、どうも、エル・グレコについての評価だがギリシア人アイデンティティとして評価が進んでいるっぽい。
 というのが実は全部枕の話で、そもそもエル・グレコのことを思ったのは、テオ・アンゲロプロス監督映画「旅芸人の記録」の助監督だったヤニス・スマラグディス(Yannis Smaragdis)が今年エル・グレコの映画を作ったことだった(参照)。ちなみに彼もクレタ島出身。

2007 - El Greco - An International co-production (Greece, Spain, England, Hungary, Italy) about the life of Greek painter, El Greco (Domenicos Theotokopoulos). It is the most expensive co-production in the history of Greek cinematography. Vangelis will compose the original soundtrack. Starring: new British actor Nick Ashdon, Greek actor Lakis Lazopoulos, Spanish actors Juan Diego Botto and Laia Marull and others.

 まさに、the life of Greek painterというあたりだ。つまり、そういうふうに見られるようになったのだと思う。どうでもいいけど、この手の話題はなんかワクワクしてくるよな、俺。

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2007.12.20

韓国今年の話題ベスト10

 こんなにブログを空けてしまったのは足かけ5年のブログ人生で初めてか。この間精神的には落ち込んでいたけど健康です。今日も泳いできました。そんなことはどうでよろし。国際問題とか国内問題でも考えていることもあるが、特に書くほどのことはない。目下一番の話題はコソボ問題かと思うがこれも特に書くほどの意見はない。じゃ何書きましょうかね。自分が面白いと思うことを書くのがいいな、ブログなんだし。というわけで、ラジオ深夜便ワールドネットワークで坂野慎治さんの話にあったサムソン経済研究所のインターネット調査による韓国今年の話題ベスト10(ヒット商品)が面白かったのでそれを。ネットだと18日付中央日報”今年のヒット商品は?…「UCC」「中国ファンド」”(参照)とか。
 日本でも近々話題になりそうな伊予柑おっと予感もするので、あるいはすでに話題かななので、メモというか備忘を兼ねて書いておこう。カウントダウン形式で。

10位 ワイン
 昨年ワインの輸入量は31%アップ、さらに今年もアップしたとのこと。なぜ韓国でワイン? というと健康によいということらしい。どこが健康かというと度数が低い……ほぉ。それと韓国でのお酒の楽しみ方が変わってきたとのこと。
 この話を聞いて私が思ったのは、そういうえば中国人もそんなふうな視点からワインを飲むようになったな、と。けっこう米国人もそういうところがある。

9位 BBクリーム
 元来は皮膚科手術の保護クリームだったらしい。それがファンデーションにもなるということで多数商品化されたらしい。へぇ。それと韓国でも最近では厚い化粧は流行らないらしい。そういうものか。
 というわけで、ぐぐってみるとすでに各種日本語ソースがある。例えば、「韓国で話題のBBクリーム 特集! BBクリーム(ビビクリーム)の情報をお伝えします!」(参照)。
 なんの略語かというとプラミッシュ・バーム(Blemish Balm)ということだ。そちら検索してみるとドイツ製なども出てくる。

8位 ワンダーガールズ
 10代5人の歌手グループとのこと。ヒット曲は80年代リメークの「Tell me」。ローリング・ストーンズ? 80年代じゃないね、ははは。
 ぐぐってみるによくわからない。はてなのキーワードも外している。がこのあたりらしい。「ワンダー・ガールズ【WONDER GIRLS】1集~THE WONDER YEARS!」(参照)。アマゾンとかにはないっぽい。
 きっとようつべにはあるにちがいないと思ったらあった。「YouTube - Wonder Girls - Tell Me MV」(参照)。で、見る。かわいいとは思うし、なんというか一部私の青春時代っぽい感じの少女というかまあ云々だけど、でと、私はそれほど嫌韓じゃないですが、単に個人的な好みとしてこれはちょっと受け付けないです。ソマソ。

7位 トウモロコシの髭茶
 ラジオでの話では、韓国には日本茶みたいな緑茶の習慣はなくコーン茶とか飲むか、飲むならコーヒーとからしい。なので、トウモロコシの髭茶が流行ったのは、コーン茶の延長ではないかとも。
 でも、これはあれ、南蛮毛でしょ。ウィキペディア”トウモロコシ”(参照


めしべの花柱(ひげ)は、南蛮毛(なんばんもう、なんばんげ)という生薬で利尿作用がある。

 ブログとか見ていると”KIM's voice : 懐かしい。”(参照)にこのお茶のペットボトルの写真があった。ハレルヤ食堂とかにもあるかな。

6位 TV番組無限挑戦
 タレントがいろいろ挑戦するバラエティ番組らしい。
 ぐぐると”イ・ヨンエ登場に『無限挑戦』チーム熱狂!”(参照)があった。写真もある。日本でもありそうな番組だが私はケロロ軍曹とかプリキュアとかおでんくんとかおじゃる丸とかアニメくらいしかTVを見ないのでよくわからん。ああ、NHKの報道とか特殊とかアインシュタインの眼とかは見るか云々。

5位 総合資産管理口座(CMA)
 証券会社の預金口座で普通の銀行口座のようにも使える。利子は5%とのこと。
 ぐぐると4日付け朝鮮日報”韓国の証券各社、資産管理口座の金利引き上げ”(参照)があった。


 証券各社は市中金利の上昇を受け、総合資産管理口座(CMA)の金利を引き上げ、人気を集めている。CMAとは普通預金のように預け入れと引き出しが自由で、証券取引も可能な証券会社の金融商品で、今年上期にも年4%台の高金利が設定されていたが、証券各社間の競争で金利が5%台まで上昇した。

 ラジオの話では安全が売りらしい。朝鮮日報の記事を読むと「5000万ウォン(約590万円)まで、預金者保護法に基づく預金保護の対象」とのこと。

 CMAの預金残高は最近、26兆ウォン(約3兆円)を突破し、1カ月に約1兆ウォン(約1180億円)増えた。設定金利の上昇に加え、金融市場の不安定な動きを反映し、行き場を失った待機資金がCMAに流入している格好だ。

 こりゃちょっといろいろ思うことがあるが、マジな話になりそうなので、通り過ぎる。
 それにしても、日本にこういうのないんでしょうかね。あったら、団塊世代に受けるでしょう、団塊世代に。

4位 テレビドラマ「大祚栄」と「太王四神記」
 だそうです。ラジオでは大統領選の年なので英雄が流行ったみたいな話でした。
 私はけっこう古代史が好きなんで、あまりこの手の話題に触れたくないですな、っていうか。あれです、中国様がお怒りそうなネタかもよ。
 大祚栄はあれね。ウィキペディア(参照)を借りると。


大 祚栄(だい そえい、生年不詳 - 719年)は渤海の初代王(在位 : 698年 - 719年)であり、諡号は高王。唐から与えられた称号は渤海郡王であり、忽汗州都督府都督の官職を受けた。

 ステラ購読者の私は「太王四神記」はNHKでやるのは知っていた。”NHK 太王四神記”(参照


物語の舞台は、紀元前から7世紀まで、中国東北部から朝鮮半島に存在した国「高句麗」。
高句麗の人々は、数千年もの間、自分たちが神の国「チュシン」の末裔(まつえい)であると信じ、約束された王を待っていた。
そしてある晩--
ついにチュシンの王の誕生を告げる星が夜空に輝いた。

3位 キム・ヨナ(金妍兒)、パク・テハン(朴泰桓)
 金妍兒はフィギュア、朴泰桓は競泳の選手。韓国では、国民の妹、弟という感じだそうです、はい。
 ちなみに金妍兒については私も海外のニュースを見ていてもいろいろ話題になっていたのを知っていた。

2位 中国ファンド(株式型)
 ファンド形式で中国株に投資ということ。けっこう儲かった人がいるらしい。
 これも日本にありそうだけど、知らない。

1位 UCC(User Created Contents)
 これは、つまり、ようつべみたいなもののことらしい。
 日本だとCGM(Consumer Generated Media)、米国だとUGC(User Generated Conten)だろうか。このあたりの略語の違いがよくわからないが。
 この話は昨年の韓国でもそうだった。All Aboutの昨年の記事”Web2.0時代 UCCに注目!”(参照)にある。


SBSが今月22日から始めたサービスがNeTV(ネッティービー)(http://netv.sbs.co.kr/)です。サイトで提供されているネットTVスタジオを通して、映像と映像、映像とイメージをつなぐだけでなく、字幕の挿入や画面効果など多様な編集もできるようになっています。

 つまり、あれです、ニコニコのネタ元というやつ。

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2007.12.14

ポールソン&ウー、国際熟年男女デュエット、熱唱して引退

 タイトルに懲りすぎたかな。大した話ではないけどなんとなく気になっているんでブログに書いておこう。話のきっかけはブログ「債券・株・為替 中年金融マン ぐっちーさんの金持ちまっしぐら」(って書いてみてすごいタイトルだよね)のエントリ”正念場”(参照)。私の関心はというと、ごく余談的に触れられているところ。


一方、あまり報じられていませんがポールソンは北京に行ってます。この一大事に東京では無く北京です。ここでも散々申し上げてきた"JAPAN PASSING" がいよいよ現れてきました。いくら球を投げても反応しない日本を相手にするくらいなら、中国の方がはるかにリライアブル、という判断が出ても仕方ないですよね。

 違和感というほどではないけど、ふーむと思った。読み進めてさらにふーむ、と。ちょっといわく言い難いのでぼそぼそとエントリで展開してみる。
 ポールソンの訪中だが珍しいことではない。けっこうしょっちゅう北京に行って鴨食っているじゃないや向こうの人脈と懇親を深めている、のでそれほど注目されていない、というわけでもない。13日付けFujiSankei Business i.”中国・アジア/為替・貿易で応酬「政治問題化」と中国/米中戦略対話開幕”(参照)に比較的まとまった報道がある。さすが香織丹。有花丹・梯子丹といまやブログ界で注目の萌三丹の一紅。

 【香河(中国河北省)=福島香織】人民元問題や貿易不均衡問題、食の安全など米中間の懸案事項について経済閣僚が話し合う「第3回米中戦略経済対話」が12日、北京郊外の河北省香河で開幕した。米側共同議長のポールソン財務長官が冒頭から人民元政策の弾力化を要求。これに対して中国側共同議長の呉儀副首相が、「貿易を政治問題化する試みに断固反対する」と応酬するなど、激しい攻防となった。13日に米中が、それぞれ声明を発表して閉幕する。

 というわけで、ポールソン&ウーの国際熟年男女デュエット熱唱ということだった。そのあたりはもうちょっと先で触れるとして。金持ちまっしぐらのぐっちーさんのエントリだがこう続く。

中国政府は絶対にアメリカ国債を売らないし、安くなったら膨大な外貨準備を使って更に買い増す、位の声明は出るのではないでしょうかね。もしかしたら救済基金を中国が作るかもしれない。日本は完全に乗り遅れ。つまらんことでもめてる場合じゃねーだろ、君たち、と政治家の先生たちには申し上げたい次第です。

 中国が米国債を売る売らないの話は「極東ブログ: [書評]もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する (カレル・ヴァン ウォルフレン)」(参照)で少し触れたことがある。頂いたコメントやトラバなどからまあ売らないでしょうという常識的な話に落ち着いたようだったが、私は多少ウォルフレンに近い考えがいまだにあり云々。
 話を戻して、米国債を絶対に売らないし買い増しもするというのは日本でしょとか思った。日本はそれだけ米国に信頼されているからPASSINGに見えるだけで、米中間の問題はけっこうやばいんでないと、つまり逆じゃないかな。いや異論とか批判ではないんですよ、とまいどまいど口癖みたいに言うのだけど。

因みに今回の訪中には中国経済最高顧問でおられるマンデル先生も同行されているようですし、表向きは人民元の切り上げとかが話題に出てきますが、裏ではかなりディープな話になっているのは間違いありません。

 私も「人民元の切り上げとか」は表向きの話題に過ぎず、裏があるんじゃないかとなんとなく思っている。ぐっちーさんのディープな話は先のとおりなんだけど、私は、あれ、放言になるし裏が取れてないので言うのもいけないんだけど、サブプライム関連で中国がけっこうババを掴んでいるっていうことはないんだろうか、と疑問。一応ネットとかで識者の意見とか見るとそんなことはないよが出てくるのだが、そもそもサブプライム問題というか米国住宅ローンバブルが潰れるのはわかりきったことだったけど、火の手が欧州から上がったあたりはわからなかった。それってみなさん予測できていたのかいな。欧州がババ掴んだのは米国の田舎みたいに土地勘のないものにカネをツッコンだからで博打みたいなもん。そういう、博打みたいにっていうか、博打っていうと人生変わるタイプの国民性って言えば、みたくつらつらと思っていた。
 まあしかし、問題というのは表面化するから問題なんで隠蔽したり先延ばししておけば安心できる。いいんじゃないかみたいな。話をポールソン&ウーに戻す。そちらが本題。香織丹記事の解説欄に米中戦略経済対話があるが。

【用語解説】米中戦略経済対話
 ブッシュ米大統領と胡錦濤・中国国家主席が2006年に創設を決定した、財政、金融、貿易、環境、厚生、農業などの閣僚級が一堂に会する経済協議の枠組み。半年に1度のペースで米中交互に開催しており、今回が3回目。ポールソン財務長官と呉儀副首相が共同議長を務める。短期的成果を目指す交渉とは異なり、長期的視野に立って中国の貿易黒字の元凶である輸出主導の経済構造を内需主導に転換することを目指す。ただ米議会の関心が高い人民元の柔軟化は遅れており、戦略経済対話(SED)を基軸とするポールソン長官の対話路線は目に見える成果を上げていないとの批判は根強い。(香河 時事)

 ポールソン&ウーが主役です。ポールソン、成果を上げていません。ウーさんはもうすぐ引退しまーす。
 仇役ポールソンはどう考えているのだろうか。日本版ニューズウィーク(12・9)periscope”中国通の米財務長官を阻む壁”より。

アメリカの対中交渉の舵取りを行うという条件で、ゴールドマンサックスのCEO(最高経営責任者)を辞めて財務長官に就任したが、北京ではしかるべき人物に会うことすらままならない状態だ。


 温家宝首相は対米交渉の責任者になることを拒み、代役を押しつけられた呉儀副首相はもなく引退する見通し。さらに彼女の後任と目される張徳江広東省党委員会書記は、北朝鮮の金日成大学で経済学を学んだ人物で自由主義経済主義者には程遠い。

 というわけで、東洋の国にありがちな、いざとなったら要人はバックれ状態になっている。どうするのだろうか。

 米財務省関係者は、最終的に李克強遼寧省党委員会書記が中国側の交渉責任者になるのを期待している。

 という文脈で李克強が出てきた。
 というあたりで、私は少し溜息をつく。このブログでは彼に注目してきた。「極東ブログ: 胡錦涛政権の最大の支援者は小泉元総理だったかもね」(参照)、「極東ブログ: 中国共産党大会人事の不安」(参照)、「極東ブログ: 小沢民主党辞任問題で些細な床屋談義でもしてみるか」(参照)。こうした流れで見ると、米中戦略経済対話が創設されたころは胡錦濤から李克強という流れで米国と協調できる線は見えていたのかもしれない。だが、その線はもう潰れたんじゃないだろうか。
 ニューズウィークの記事はこう締められている。

だが、今回の対話が米中関係の永続的な枠組みになるというポールソンの構想は崩壊した。優位に立つ中国が他国に恩恵を与える気配はない。
 こうした中国への試みは09年にブッシュ政権とともに消え去る運命にあるらしい。

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危ない中国 点撃!
福島香織の「北京趣聞博客」
 ポールソン構想はとりあえず終わったのだろう。だが、それは中国が優位だからという文脈なのだろうか。ポールソン苦戦の米国側背景には米議会の問題がある。保護主義だ。米大統領選挙がどうなるのかよくわからないが、共和党・ブッシュ・ポールソン・ゴールドマンサックスみたいな連携プレーは自滅とまでは言えないけど、もう力尽きたんじゃないか。で、保護主義がしだいに米国でヒステリー化してくるのだろうか。米国のクリスマスの中国輸入品騒ぎを見ていると、そんなことを思う師走なのであった。

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2007.12.11

なんとなく最近iPodで聞いている曲 その2

 以前、「極東ブログ: なんとなく最近iPodで聞いている曲」(参照)を書いたけど、その後のなんとなく最近iPodで聞いている曲という話。前回同様、特にテーマもなければテイストもないし、そんな好きな曲ということでもないのだけど、という感じで。

花篝り 滴草由実

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花篝り
 滴草由実という歌手についてはまるで知らなかった。ウィキペディアをみると1984年鹿児島県生まれとのこと。面立ちを見ると気のせいか以前仕事の同僚だった鹿児島県出身の女性に似ているような気がする。歳は23歳。若いけどすごい歌唱力がある。「花篝り」はテレビ朝日系ドラマ「京都地検の女」主題歌とのこと。サビの部分についてはなんとなく聞いたことがあり、たまたまiTMSで見かけて買った。聞いてみて驚いた。複雑というのではないが曲の途中で不思議な印象の作りになっていて、昔聞いた70年代ロックを連想させる。それがなにか思い出せないが心の奥底から興奮させられる。それとこの曲はもしかして、と思ったらやはり大野愛果だった。「Time after time花舞う街で」(参照)似たテイストがある。ついでに滴草由実の曲をいくつか聴いたが、「I still believe ~ため息~」(参照)もよかった。「名探偵コナン」エンディングテーマとのことだが、お子様向けの歌ではない。

あなたに贈る詩 諫山実生

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あなたに贈る詩
 諫山実生についてもなにも知らなかった。ウィキペディアを見ると「あなたに贈る詩」はKBS京都ドラマ「ランブリングフィッシュ」エンディングテーマとのことだが、女性の心情が詞・メロディ・歌唱に一体的に表現されていて心に響く。調べてみると作詞作曲は彼女自身によるらしい。私のように50歳にもなった男が言うこっちゃないが、この曲を聴きながら自分の内面にまだ20代前半の自分の像が浮かぶ。そして27歳の彼女が自分より年上のように感じられる。なぜそう感じられるのかというのはとてもパーソナルな理由がある。他に、「手紙」(参照)もしんみりくるものがあった。

Heart Flower しおり

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Heart Flower
 しおりの本名は金城しおりさん。うちなーんちゅ。彼女の曲を私が聴いているのも沖縄への思いが曲によく出ているからというのと、まあいろいろな思いがある、うまく言えないが。それとなんとなく知り合いを二人くらい仲介すると案外私は彼女の知り合いになれるかもしれないという予感。あえて手繰らない。Heart Flowerはピアノ伴奏だからというのと歌唱もキロロに近い印象がある。ウィキペディアによると1987年生まれ。先日二十歳になった。親御さんは私より若いかもしれない。

Raining Cocco

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Raining
 Coccoについては知っている。というか、沖縄で暮らしているころから知っている。率直に言うと、彼女についてはなかなか微妙な思いがあってうまく言えない。この曲は古い曲だが、たまたまマルコ青年のブログで見かけて、そういえばと思ってiTMSで買って聞いていた。マルコ青年は歌詞中の「きっと泣けてた」に関心を持っていたみたいだが、私はそれはなんとなくわかるような気がしている。この曲には沖縄の雨のなかに生きる人間のいとおしさみたいなものがある。というか、沖縄の女性の難しさみたいのも考えさせられる。

願い Fayray

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願い
 Fayrayという歌手についても何も知らない。この曲は日本テレビ系ドラマ「乱歩R」主題歌とのこと。もう10年以上もドラマとか見ないのでまるで聞いたこともない。この曲についてはchanmさんの日記でなんとなく見かけて、ちょっと気になってiTMSで買った。声質と歌唱が好きでなんとなく聞いている。この曲や彼女が好きかというと、嫌いではないけど、奇妙な違和感はある。その違和感がなにかよくわからない。

if... mink

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beautiful
 minkという歌手も知らない。たまたまiTMSで見かけて、随分と情の濃い歌唱だな、いつの時代の人だろうと関心を持った。調べてみると1984年生まれ。私より若い。そして韓国人の女性だった。この曲if...はアルバムはbeautifulに含まれているものでシングルはないようだ。beautifulもいい曲なのだが、if...の歌詞に心惹かれるというか、minkの歌唱でこの歌詞を聞いているとくらくらしてくるものがある。作詞はYukiko Mitsuiとあり三井ゆきこという人らしい。調べるとブログがあり、覗くと(参照)、小学校高学年の頃ゴダイゴの「ビューティフルネーム」を聞いたとある。私より8歳くらい歳下のかただろうか。なんとなく同世代的な情感もある。

リンゴ売り 中村中

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リンゴ売り
 中村中は情感が強すぎて少し避けたい感じもしていたが、やはりこれを聞いて、なんというのか内臓をえぐられるような強烈な逃れることのできない情感を感じた。どうしてこんな恐ろしい音楽ができるものか驚く。ウィキペディアを見たら、「19歳の時に出来た曲で、もともとはアマチュア時代に自身のサイトで公開していた楽曲であった」とあった。あらためて人間という存在はなんだろうか、孤独とはなんだろうかと、自分も自殺しかねたティーンエージのころを思い出す。

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2007.12.09

[書評]わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク) その2

 明け方最近少しダイエットしたんだけどという大天使ガブリエルがやってきて、どう、最近?とか聞くので、いやちょっと今年のクリスマスはみんな財布のひもが固いんじゃないかな、とか世間話をしていたが、どうもガブの顔が暗い。ちょっと言いにくそうな話がありそうだ。なんかバッドニュースとかあるんじゃないの、俺の人生今朝で終わりって知らせとかさ、と水を向けてみる。ガブはようやく少し笑っていや些細ことなんだよ、と言う。昨日の極東ブログのエントリはちょっとフェアじゃないなって思ったんだけどさ、天使がそんなことを言ったとかいうのはそれもちょっと変じゃないかと思って。ガブの目線がオカマっぽい。私は、そうか、と頷く。お気遣いありがとう。大丈夫だよ、アルファブロガーとか言われているやつはキチガイFAってことなんだから。

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わたしたちはなぜ
「科学」にだまされるのか
 というわけで、昨日の話、ちょっとフェアじゃなかった。反省エントリを書こう。というか、あれは実際にはネタで書いたものだった。最近あれだ、どなたか反語が通じねえなとか書いていたがが、ギャグとかネタとかユーモアも通じなくなったな。あれかな読解力の低下なんていうのはブログの世界にもあるのか。っていうか、読解力ない人に避けてただくためにわざと長文(これで長文かよ)で読みづらく書いている親切心も通じない←ってなねじくれたギャグは通じない。ネットの世界だとあれだよな、サヨク的に既存権力を上面で腐しているくらいのブログのほうがいいんだろう。わかりやすくて。
 さてと。どこがフェアじゃなかったか。簡単にいうと、「わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク)」参照)は良書ですよ。パークみたいな人は得難い。アライグマ観察のユーモアもだけどというより、ずけずけときちんと妥当な科学の水準を、社会的バッシングなどものともせず述べている点をきちんと評価しなかったことだ。パークをおちょくりたい気持ちになったのは、科学というのは細分化しているので、科学者といえども他分野のことはわからないし、科学という一般性を大衆に対峙させるとき必然的に疑似宗教化してしまう傾向がありそうだということだ。このあたり、いただいたトラバを見ると理解されていないっぽい感じもした。単純な話、これが偽科学のリストですよぉみたいのを信じちゃったら偽科学への対応と同じ盲信だし、そのリストが微妙にイデオロギー的な偽科学を排除していたら、変でないのと思うしかない。
 今朝方「わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク)」をまたつらつらと読み返して、その宇宙ステーション関連の話に、少ししんみりくるものがあった。ディスカバリーのグレン飛行士に関連してこうその章を締めている。

 記者会見でグレンは、前回の旅と比べて変化を感じた点について語った。もちろんスペースシャトルは、狭苦しいマーキュリーの宇宙カプセルとは似ても似つかない。だがこのミッションの本当の象徴的意味は、三十六年が過ぎても、ジョン・グレンは前回より一二〇キロ程度しか遠くに旅ができなかったことである。アメリカの宇宙飛行士は低地球軌道に取り残されており、廃線となった鉄道のレール脇でけっして来ない列車を待つ乗客のように、科学の進歩に迂回されている。

 このあたりの吉田兼好的なわびさびな陰影が実は本書のよいところのひとつだ。
 政治と科学は違う。科学というのは描いた夢のうえにHTMLのdel要素のように打ち消し線を引くものだ(いや打ち消し線かどうかはCSSが決めることとか些細なツッコミすんじゃねえよ)。

 ところが反対に、政治家は未来を約束したがり、そこにわれわれを連れていく政策をたてようとする。宇宙開発において、科学者と政治家が達成しようとする目的は根本的に異なる。双方のあいだに広がる溝は深まるばかりである。政治家に押しつけられ、世界一六カ国が<国際宇宙ステーション>に参加しているが、この一大科学プロジェクトは各国の科学者の嘲笑の的である。

 そういうことだ。
 だが、本書の出た2000年から時代が少し変わったかもしれない。溝は別の方法で埋められているのかもしれない。つまり科学者が政治家になったり、巧妙に科学者の総意とかで政治が語られたり。そして科学者ならかつては嘲笑した対象が嘆息に変わっている。
 私はパークに、MDってどうすっか?と聞いてみたい感じがした。ミサイル防衛システムって偽科学でしょ?
 偽科学を批判するなら日本国家が加担している、こういうふざけたしろものを批判すべきなのだが、だが、なかなかそういかない現状はある。私は自分では他人がそう思っているほど気違いではなく常識人の振るまいをして密かに内面の狂気に戦っている凡庸な近代人と思っているのだが、MDは偽科学だと思っている。でもそれを信じさせようとする政治的な意味が理解でないわけではないし、またそれをそのレベルで反発している勢力も同様に愚かな人々だと僅かに苦笑する。マジで苦笑はしない。自分が苦笑的な存在だから。そしてブロガーなんてお笑いじゃないですか。アルファブロガーとかの選定条件に気違いおkが入った時点でお笑いやるしかないじゃないですか。
 以上はまたしても前振り。
 実は、ガブのフェアネス指摘でずきんときたのは、本書を買うに至る90年代のことを思い出したからだ。本書のクライマックスは「第7章 恐怖の電流」にある。この部分だけ、一学期かけて中学校で勉強したらどれだけ日本はよくなるだろうと思う。
 不思議だなと思うのだが、メディアやネット、いやリアルと言われている世間の空気を感じていても、みんな90年代のことを忘れているんじゃないかと思うことがある。私は95年には東京を離れていて七年後に東京に戻った。最初の二年くらいは東京に馴染めずそしていまでも馴染めないということに馴染めるようになった。別の街だ、と思うようにしている。が、それでもなんか大がかりなトリックにあっているような気がする。それは個人的な印象の比喩なんだが、そんなふうに、なぜみんな90年代の記憶が欠損しているのだろうかと思う。いやもちろん、そんなことはない。ある程度の年代の人なら記憶が抜けているわけではないのだが、徐々にある何かに慣らされているのではないか。
 脇道にそれそうだが、そう思うのも90年代には電磁波がもたらす健康被害がけっこう話題になっていた。話は米国からも流れていた。理性的と思われている大手メディアから偽科学が発信されていた。

そもそも、送電線とガンの関係について国民のあいだに不安が広がったのは、この記者会見の七年前、一九八九年にブローダーが《ニューヨーカー》に連載した衝撃的な記事が原因だった。すべての事の発端は、ブローダーであった。
 ポール・ブローダーがいなければ、科学アカデミーが三年ものの歳月をかけて綿密な調査を実施することもなかっただろう。

 90年年代にはこの問題がまことしやかに語られた。今では忘れ去られている、不思議なほど。まるで記憶の欠損のように。私はこの結末が知りたくて本書を読んだものだった。

 「電磁場が危険ではないという、決定的な結論は書かれているのですか?」と、ひとりの記者が質問した。「否定の命題を証明をするのは、困難なものです。長期にわたり送電線の電磁場にさらされることと、ガンとのあいだに明白な関係が見つからないとしても、ある種の人々が生まれつき電磁場から悪影響をうけやすい可能性はないのでしょうか? ほかの環境要因がからむと、電磁場が危険性をおびる可能性は?」
 だが、そうした可能性をいいたてればきりがない。新しい疑問が生ずるたびに、科学者がひたすら調査を重ね、答えを見つけるしか方法はないのだ。そして調査を終えたとたんに、「もっと感度の高い測定器を使用し、もっと広い範囲を調査すれば、ちがう結果がでるのではないか」と質問の矢が飛んでくる。いったい研究者はどの時点で関係を見極めればよいのか? 関係があっても、立証するにはデータが小さすぎるのか? 危険性があるとしても心配がないほど影響は微々たるものなのか?


 「送電線とガンとの統計関係が説明できないのなら」と、ある記者が食いさがった。「『慎重なる回避』という本心が、あてはまるでしょうか?」
 「慎重なる回避」とは、カーネギーメロン大学のグランジャー・モーガン教授による造語である。モーガンは、電磁場がわが子の健康に悪影響をおよぼすのではないかと心配する親たちに向かって、「慎重に、懸命に避けなさい」と説教しながら国中を回った。おかげですこし名を売ったが、それは解釈の仕方により、どうとでもうけとれる言葉だった。電機製品の使用をやめ、ろうそくを使えということか?


 送電線は人体に害をおよぼすと信じこみ、送電線を糾弾する「送電線活動家」と化した人たちから圧力をうけ、環境保護局(EPA)は人体が電磁波にさらされる「安全の限度」を設定しようと、調査委員会を招集した。たしかに、どんな環境要因――放射線、化学製品、微粒子――を設定しようと、その安全の限度を設定するだけなら、いとも簡単だ。限度を低く設定すれば、害があるとはとうてい思えないからだ。だが、その限度をすこしでも超えれば、その定義は「安全でない」に変わる。


現実に即していない安全限定――やたらに低い安全限度――を設定すれば、社会に経済的な負担がかかる。それどこか、新しい危険が生ずる可能性がある。なぜなら、人間はひとつのリスクをほかのリスクとすり替えようとしているからだ。

 引用しながら、ガブの気持ちがわかってきた。偽科学は信じなくても天使の言うことは信じるものだな。パークの話は電磁波だが、これを日本のBSE騒ぎや、昨今の食の安全に置き換えても同じことが言える。いや正確にいえば、かなり同じことが言える。違う部分もあるにはあるが。
 私は、パークの勇気を借りて、もうちょっと率直に言うべきかもしれない。偽科学をバッシングするなら、なぜこういう問題、BSE騒ぎや食の安全とかの馬鹿騒ぎの偽科学性をバッシングしないのだろうか、と。水の結晶が何かを語るかどうかは、私と大天使ガブのおつきあいのようなもので害のない気違いというだけのことだ。恋人が社会的にブ男でもブスでもどうでもいいみたいに個人の生き方の選択。そんなの関係ない。関係のあるのは、社会の関わりのなかで偽科学がなにをしているかだ。そして、私が危惧するのは、どうでもいいバカネタが偽科学バッシングになることで、偽科学への健全な批判性が覆われてしまうことだ。
 あたかも記憶の欠損のように。

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2007.12.08

[書評]わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク)

 「わたしたちはなぜ「科学」にだまされるのか(ロバート.L.パーク)」(参照)が文庫本になっていた。少し、へぇという感じがして書棚を発掘して単行本(参照)を取り出し、さらりと読み直してみた。

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わたしたちはなぜ
「科学」にだまされるのか
 2000年に出た本で欧米ではけっこう話題になったのだが、今読み返してみるともう古いなあという印象と、はたしてこの本はどんなふうに日本人、特にネットで読まれるのだろうかという軽い疑問が浮かんだ。
 ごくありきたりに言えば、本書は昨今ネットで一部流行の偽科学バッシング系の本だ。なので表題はあまり適切とは言えないのではないか。オリジナルはVoodoo Science(呪術的科学)であり、そのまま偽科学と意訳してもいい。サブタイトル、The Road from foolishness to Fraudは「おバカからペテンに至る道」ということ。
 内容はといえば、単行本の帯を見るのが一応わかりやすいといえばわかりやすい。

欧米で話題沸騰!出版差し止めキャンペーンまで展開された話題の本。人々を騒がす「UFO」騒動、政府や大企業が莫大なカネをつぎ込んだ「常温核融合」開発や「宇宙ステーション」計画、本当に効くのか「磁気療法などの健康医療」、正確なデータのない「電磁波の影響」問題―これらあなたをねらう「科学の顔」をしたニセ科学のからくりを、米物理学会ワシントン事務所長ロバート・パーク博士(メリーランド大学)が暴く。

 そういうことなのだが、ふと立ち止まって富士山の見える島に目を凝らすと、「常温核融合」とかはまあ偽科学としていいでしょう、かなりたぶん、99・9%くらい。「宇宙ステーション」になるとさてどういう話か本書を読んでもらうしかないか。「磁気療法などの健康医療」はネットでバッシングできそうな偽科学の分類に落ち着く。「ホメオパシー」も楽勝で偽科学だな(でも漢方はどうだろ?)。
 で、「電磁波の影響」となると、これをきちんと偽科学として批判できるかは少しぶれる人もいるかもしれない。高圧線近くの住宅の健康性・安全性とか、携帯電話で脳腫瘍ができる可能性とか(ほんとにできたらのうしよう? ダジャレです)。
 本書には描かれていないけど、さらに「劣化ウラン弾」の放射能被爆被害とかはどうですか、某アルファブロガーさん、みたいな話(とりあえずエアロゾルの重金属毒性は置いといて)。さらにBSE対策に、「月齢20か月以下の牛」という規制よりすごいご意見を強烈に主張してみるとか、それって科学、それとも偽科学。偽科学をぷかぷか主張してもアルファブロガーですか?とかとかいろいろなわけですよ。鶏肉・鶏卵は抗生物質まみれだとかいうアルファブロガーもいたりする。いやはや。
 (ちなみに、私はこれら全部偽科学だと思っていますよ。ついでに進化論の信者ですよ、なにか? 信じているんですよ、進化論を。)
 というあたりで、ネットなんかでバッシングされている低レベルの偽科学と、どうもそれを言ったらネガコメ100連発系の偽科学のような言説とがある。はたしてどうやって区別が付くのか。本書を読んでわかるのか? 次のような提言はどう?

 科学的な考え方をとりいれる最善の方法は、とにかく「実験を尊重する」という初心に返ることだ。子どものころ、わたしは自然に好奇心を寄せる少年だった。そのころ読んだ本に「アライグマは食べる前に必ず食物を洗う」と書いてあった。おなじことを父親から聞いたことがあったし、わたし自身、小川でアライグマが食物を洗っているところを見たことがあったので、本の記述を疑う理由はまったくなかった。その本には、アライグマが食物を「洗う」のは、実際に「洗浄する」のが目的ではなく「湿らせる」ためである、なぜならアライグマには「唾液腺がないから」と説明してあった。理にかなっている説明に思え、わたしはこのミニ知識を頭の隅にいれたまま大人になった。そして、自分のこどもたちまで、おなじ説明をしていた。
 ところが、ある夏、日照りがつづいたときのことだ。腹をすかせたアライグマの家族が、夕暮れどきになるとわが家にやってきて食べ物をせがむようになった。無視することもできず、わたしたち家族は裏庭の物置小屋でドッグフードのビスケットをアライグマに与えはじめた。あわれなアライグマには唾液腺がないことを考慮し、わたしはナベに水をいれ、横に置いてやることにした。そうすればアライグマは食べる前にビスケットを湿らせることができると思ったのだ。わたしが物置小屋の戸をあけ、ビスケットの袋をとりだすと、アライグマがどっと群がってきた。そして紙袋がガサガサと音をたてたとたん、アライグマたちはよだれをたらしはじめた――よだれが、文字通りぼとぼととアゴのからしたたり落ちたのである。唾液腺がないだって! その後、わたしは水なしでビスケットを与えてみた。アライグマたちは水がなくても気にしないようだった。水があれば水でビスケットを湿らせるが、水がなければすくに食べはじめる。いまだに、どうしてアライグマが水中で食物を洗うのか、わたしにはわからない。思うに、アライグマはほんとうに食物を洗浄しているのかもしれない。
 教訓。ある理論がどれほどもっともらしく聞こえても、最後の断を下すのは「実験」である。

 うーむ。この本ってユーモア本なんだろうか。ちなみに、アライグマがなぜ洗っているのか定説はなさそうだ。っていうか、ネットには唾液腺説並の真偽不明な説明がいろいろある。私もアライグマが好きでよく観察しては考えるのだが、洗ってるんじゃないか? ねえ、ラスカル。
 このヒューモラスな話は、こう続く。

 さて、この教訓は、地球温暖化論争にもあてはまる。

 おいおい。
 ということで、地球温暖化論争が出てくるのだが、さて、温室効果ガスによる地球温暖化説は偽科学だろうか。なわけないよな、そんなことをブログとかネットの世界で堂々と言えるのは、ネットの外でも著名な先生クラスではないと。よくわかんないけど、普通のブローガーとかじゃ、異論を仮に思ってもブログとかで言わないほうがよさげな話題リストの一項目。
 さて地球温暖化だが、本書はどう見ているか。それが微妙。
 まず、地球温暖化への対処が実験で決着が付かないのはアライグマの行動と同じというか。ちなみに、進化論とか大陸移動説とかどうやって実験するのだろうか。いや、冗談はさておき、本書の地球温暖化説について見ていく。

 著名な科学者のなかにも、「人類が化石燃料の使用をはじめる以前にも、地球が温暖化していた時期があった。それに二酸化炭素は、大気中の温室効果気体の構成要素としては割合がすくない」と分析する科学者もいる。「一八五〇年以降の地球の温暖化は、すべて太陽の自然変異による可能性もある」と自説を披露する科学者もいれば、二酸化炭素の増大を「産業革命からの予期せぬすばらしい贈り物」と賞賛する科学者までいる。いわく、大気中の二酸化炭素の増大は植物の生長をうながす。


 すべての科学者が科学的なやり方に信頼をおき、おなじ観測データを入手しているのに、なぜこれほど科学者のあいだで意見のくいちがいがあるのだろう? 気候論争が物理の法則で解決できるなら、意見の相違はないはずだ。では、くいちがう理由はどこにあるのか? どうやら、科学的な事実、科学的な法則、科学的な手法とはあまり関係がないようだ。

 つまり、地球温暖化について各種の異論があるとしても、科学とは関係ないというのだ。そんなの関係ねぇですか。そーなんですかぁ?

 気候は、大昔から科学者が取り組んできたもっとも複雑なシステムである。大気中の二酸化炭素量が増大している事実は、どの科学者も認めている。つまり、地球温暖化に関して科学者の意見をくいちがわせているのは、政治的な考え方、宗教上の世界観のちがいである。政治的な考え方や、信仰する宗教が異なれば、科学者によって世界に求めるものが違ってくるのである。

 ええっ? そんなのあり。クリスチャンの科学者は進化論を認めないとでも。
 なんだかよくわからないのだが、やけくそで雑駁な印象を言うと、偽科学を問題にしている人って、なんか偽科学と同じような臭気を放つという点でそれほど変わらないような気がする。

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2007.12.07

韓国大統領選についてけっこうどうでもいい感想

 韓国大統領選だがあまり関心を持っていなかった。関心は当然誰が大統領になるかということに向かうはずだが、これが根本的に読めなかったからだ。
 単純に考えればハンナラ党李明博(イ・ミョンバク)前ソウル市長になるでしょう、盧武鉉大統領のおかげです、となるのだが、金融関係の疑惑問題を引きずっていてそこでずこんと落ちる可能性は大きいのではないかと思っていた。というか、そのずこんの可能性が外国人である私からは読めない。
 加えて、進歩系旧与党、大統合民主新党鄭東泳(チョン・ドンヨン)元統一相よいしょの声が奇妙なほど大きく02年の盧武鉉当時候補のような展開でもあるのだろうかといぶかしい思いがしていた。例えば日本版ニューズウィーク(10・31)記事”モテ系キャスターが狙う大逆転”ではこんな締めになっている。


 経済発展か、それとも平和か。結局のところ、今回の大統領選挙はこの二つのテーマをめぐる争いになるのかもしれない。

 日本人の感覚だとここは笑うところだよねと思うのだが、そんなの関係ねぇなのかよくわからない。日本版ニューズウィークはよくわからないが長年読んでいるとどうも韓国情報については奇妙な歪みがあるので、そのあたりを補正して再考しても、ま、よくわからない。
 で、結局どうよなのだが、李の疑惑が晴れ、鄭がバイスコア近く引き離されていているので、かなり多分逆転はないだろうということだが、あとは実質第三の候補北の金さんがどう出てくるかということになる。常識的に考えればどう出て来ようもないとは思うが。
 ではこれで韓国大統領選挙の話題を終わりますかというと、ここからがむしろエントリ的には本題。まず、些細といえば些細なのだが、韓国の大統領選挙は第二位選にけっこう意味がある。東亜日報”「先に20%台に」 李会昌氏と鄭東泳氏が2位争い”(参照)がわかりやすい。

大統領選の結果は、08年の総選挙とも密接に関わっているため、落選という最悪の場合を想定しても、「順位争い」では負けられないという切迫感が両陣営に漂っている。

 そういうことらしい。このあたりこそ韓国の今後に関連する部分がある。とはいえそれは別の話題でもあるだろう。
 もう一つ、私としてはこっちの問題のほうが大きいと思うのだが、というか大統領選挙よりもサムスンの未来のほうが問題ではないかと思う。当面の問題としてはサムスン裏金疑惑だ。今ココ熊的に言うと、朝鮮日報”サムスン裏金疑惑:国務会議、特別検事法案を可決”(参照)のあたり。

 韓国政府は4日、国務会議(日本の閣議に相当)で、「サムスン・グループの裏金疑惑に関する特別検事の任命等に関する法案」について審議し、可決した。
 今回の特別検事法案は、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の裁可を経て、来週中に官報に告示されれば法的効力が発生する。その後、盧大統領が大韓弁護士協会から推薦された特別検事を任命すれば、最大20日間の準備期間を経て、今月末か来月初めごろには特別検事による捜査が始まる見通しだ。捜査期間はまず60日間とし、2回の延長が認められているが、その期間は1回目が30日、2回目は15日となっている。捜査期間の延長が2回とも認められた場合、来年4月9日に行われる総選挙の直前に捜査結果が発表されることになるとみられ、総選挙に相当な影響を与えることが予想される。

 サムスン裏金問題とはという話については、なぜか赤旗が詳しい。”底無しの疑惑 韓国・サムスン”(参照)より。

底無しの疑惑 韓国・サムスン
裏金工作 230億円超す
元法務担当常務が暴露会見
 韓国最大の財閥、サムスングループによる裏金を使って広範囲なロビー活動を繰り広げてきた疑惑が、底なしの様相を見せています。対象は政治家、官僚、検事、裁判官、報道関係者、市民団体活動家など。サムスンの元法務担当常務だった弁護士が二十六日に四回目の暴露記者会見を開き、その内容を詳細に明らかにしました。裏金の総額は二千億ウォン(二百三十億円)以上だといいます。(面川誠)

 これがどういう展開になるかなのだが、けっこう大きな展開になる可能性が高い。そのあたりをニューズウィークがツンとカンチョのように突いているのだが、その韓国内でのリアクションがちょっと鈍い。そちらを先に紹介しよう。朝鮮日報”サムスン裏金疑惑:米誌「サムスン共和国は解体の危機」”(参照)より。

 米国の時事週刊誌『ニューズウィーク』は今月2日の最新号で、「キム・ヨンチョル弁護士の暴露に端を発するサムスン・グループのスキャンダルが、“サムスン共和国”の解体だけにとどまらず、“大韓民国株式会社”の姿までもを変えようとしている」と報じた。


 そして、「サムスンはキム・ヨンチョル弁護士の主張を全面的に否定しているが、今回の件で、サムスンのオーナー一家が3000億ドル(約33兆2000億円)もの資産を誇る“帝国”の経営権をめぐり生存競争に巻き込まれていることは明らかだ」と指摘した。

 ということ。
 当のニューズウィーク記事が今週日本版にも翻訳されている。”内部告発者が暴くサムスンの闇”(12・12)がそれだ。顛末予想を言えば、サムスンが解体されるかもしれないということだが、それ以前にサムスンの韓国における帝国の偉容に圧倒される。韓国GDPの約15%、1600億ドル、輸出規模では韓国全体の五分の一とのこと。それが解体されると韓国経済に激震が及ぶし、つまるところ、大統領選挙と来年の総選挙はこの問題の派生と言ってもいいくらいだろう。先のニューズウィーク記事の言葉を借りれば「経済発展か平和か」で経済発展とやらが選択されるということなのだから。
 では、李明博大統領が出現してサムスン帝国はどうなるのか? 結論からいうとどうにもならず膠着する可能性が高い。同記事より。

 だが、事態をさらに大きく左右するのは今月19日の大統領選挙の結果かもしれない。最有力候補の李明博は保守派で、現代グループの元幹部でもある。中道左派のライバル候補に比べて、抜本的な企業改革を推し進める可能性は低い。

 同記事別箇所で指摘もあるがそもそもサムスンは十年前のアジア金融危機に韓国が巻き込まれ大半の財閥が解体された際の生き残りだ。その生き残りの延長にこの裏金問題がある。そして、たぶん、大統領選後もこの構図は維持されるだろう。つまり、選択されるはずの経済発展がさらに深い混迷に向かうのだろう。

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2007.12.06

みんなでプーチンを呼び捨てにする昨今

 ロシア下院選挙について大手紙の社説が揃ったが、面白くなかった。もともとロシア下院選挙自体がつまらないから、そんなものとも言えるのかもしれないが、日本のジャーナリズムは反露というか嫌露という印象を受ける。そういえば、先日のクローズアップ現代で解説の大学の先生がプーチンプーチンと呼び捨にしていた。他国の大統領ではそういうこともないのではないか。日本のジャーナリズムは対ロシアとなると拙い感情面が出ているようだ。大手紙社説を順繰りに眺めてみよう。
 まず読売新聞社説”ロシア下院選 退任後の基盤固めたプーチン”(参照)だが、旧ソ連時代のような冷戦的な構図を描いて日本のスタンスを問うといった雰囲気だった。


 選挙結果を受け、プーチン大統領は、従来路線を継続、発展させながら、大国ロシアの真の復活を目指すだろう。その際、対外的に強硬姿勢を取る誘惑にかられる機会も増えるのではないか。
 プーチン大統領は下院選の直前、欧州通常戦力(CFE)条約の履行停止に関するロシア国内法に署名した。プーチン政権は、米国のミサイル防衛システムの東欧配備への対抗措置として、条約停止の発動をちらつかせていた。

 読売社説は識者が書いているのかわからないが、ミサイル防衛についてはプーチン大統領側から別所に基地を作ろうという提案を対米的にしている。プーチン大統領は冷戦的な構図を避けたいという対応もとっている。
 産経新聞社説”ロシア下院選 対露外交を練り直す時だ”(参照)は北方領土問題を持ち出していた。それとこの社説、「プーチン氏」を連発している。

ロシア下院選挙は予想通り、プーチン大統領の翼賛与党である「統一ロシア」が圧勝した。プーチン体制の盤石化は今後さらに進むことが確実で、北方領土問題を抱える日本は、対露戦略の練り直しを迫られよう。

 エネルギー問題のほうが近未来的な問題のようにも思うが、北方領土を持ち出さないと産経っぽくないのだろうか。

 北方領土問題では、「日本は、ロシア(ソ連)を第二次大戦の勝者だと認めよ」という強硬姿勢を強めるロシアを交渉の席に再び座らせるのは至難の業だ。しかし、これまでの歴史が示しているように必ず再びチャンスはやってくる。
 そのために、プーチン氏とのパイプづくりはもちろん、ウクライナやグルジアなど親欧米国となったロシア周辺国との関係強化に努めることも、肝要ではないか。

 この件ついては、ムネオ日記の指摘のほうが参考になる。”2007年12月3日(月) : 鈴木宗男ランド ブログ by宗援会 宗男日記から”(参照)より。

 ロシア下院選挙でプーチン与党が圧倒的勝利で3分の2の議席を獲得すると言われている。プーチン大統領の影響力がこれまで以上に強まるだろう。
 平成12年9月、プーチン大統領が来日し、会談した際「2期目に入れば力が増す。領土問題で今はあまり無理を言わないでほしい」と言われたことを想い出しながら、2期目のプーチン大統領に日本としてのメッセージ、シグナルを送れなかった外交を悔やむものである。
 一息ついて、間をおいてプーチン大統領の再登板もあるのかと思うが、どんな人が次期大統領になろうとも、プーチンを抜きにしてのロシアはない。対ロ外交が外務官僚の不作為、やる気のなさで領土問題が停滞していることは嘆かわしいことである。

 次、日経社説”プーチン後もプーチン体制のロシア”(参照)はとらえどころがない。

 政治的には米欧諸国などから強権的と批判される手法を駆使しながらクレムリン中心主義を続ける。外交ではロシアの独自性を前面に押し出し、米欧との冷たい関係をいとわないだろう。
 下院選が終わりロシアの政治の焦点はプーチン大統領が誰を後継大統領に指名するのか、さらにどのような地位に就くかという問題に移った。大統領候補としてはズプコフ首相、イワノフ、メドベージェフ両第一副首相が有力だ。プーチン大統領が退任した後に就く地位については首相、統一ロシア党首、下院議長など様々な説が流れている。
 下院選には右派勢力同盟、ヤブロコといったリベラル政党も参加したが得票率は低く、前回同様に議席を出せなかった。これら有力リベラル政党は相互に不信感が強く一つにまとまれないできた。このままでは今後も国政に全く影響力を持ち得ないだろう。

 とくに社説といった内容でもない。
 毎日新聞社説”ロシア 独裁と独善へ向かわぬよう”(参照)は拙かった。社内にロシアについて識者がいないのだろうか。

 まさに「プーチン氏のための選挙」だった。ロシア下院選は、プーチン大統領が率いる政党「統一ロシア」が圧倒的な強さを見せ、定数の3分の2を上回る議席を獲得した。これだけの議席があれば、憲法改正も大統領弾劾も思いのままだ。プーチン氏は「院政」への強力なカードを手にしたのである。
 他の与党系政党の獲得議席を合わせると、「プーチン支持派」は全体の9割近くに上る。主要国としては異様ともいえる権力の集中ぶりだ。欧米を中心に選挙の公正さへの疑問もくすぶっている。この際、プーチン政権は、欧米などが指摘する疑問に、率直に答えるべきだろう。

 基本的なことがわかっていないようだ。どこがわかっていないのか。この点については、NHKKおはようコラム”ロシア下院議会選挙”(参照)がわかりやすい。

 ただ私はプーチン一色と言う強引な選挙戦の中でどれだけの人が統一ロシアつまり大統領に投票しなかったかという点に注目してみました。
 まず投票率です。前回より8パーセント増えて63パーセント、逆に言いますと選挙を棄権した人は全有権者の37パーセントに上っています。
 今回政権側は各地の知事を総動員して投票率を上げることに必死になるとともにプーチン大統領自身もテレビ演説で投票を呼びかけました。
 民族共和国では投票率100パーセント近いと言う異常な事態も起きています。
 しかしこんな選挙には付いていけないという声がモスクワなど都市部を中心に多く、棄権は形を変えた批判票との指摘もあります。
 圧勝したとは言っても統一ロシアに投票した人は有権者全体で見ますとおよそ40パーセントです。棄権した人、他の党に入れた人を合わせますと実は有権者の60パーセントほどの人が統一ロシアに投票しなかったわけです。
 圧勝したプーチン大統領もそのことは忘れるべきではないと思います。

 ロシアの全体像がから見れば六割がプーチン大統領支持というわけではない。そのあたりにロシアの実態に接近するヒントがある。
 真打ちはどうか。朝日新聞社説”ロシア下院選 「プーチン王朝」への予感”(参照)が面白い。表題を見ていると先日の中国軍艦歓迎光臨を掲げたお仲間の毎日新聞と同じようなレベルかなと思いつつよく読むと微妙なところを突いている。

 いまのロシアには、プーチン氏がトップにいることで、さまざまな利権や権力を争う勢力の均衡が保たれている面がある。民主主義を多少ねじ曲げてでもプーチン氏の影響力を残し、秩序を温存する。そんな思惑が現体制を支える諸勢力には共通するのかもしれない。
 任期や選挙などに縛られずにプーチン体制の継続を目指すとすれば、それは「王朝」に近くなる。いかにロシア流とはいえ、民主主義とはほど遠い。

 この二段落が実は噛み合っていない。複数執筆者の思惑がねじれているのかもしれない。もちろん文章としては最後は「プーチン皇帝の王朝」だろうという下品な腐しにすぎないだが、前段とは噛み合っていない。単純な話、王朝というのは、「さまざまな利権や権力を争う勢力の均衡」の「思惑」で成り立つのだろうか? もちろん、そういうケースもあるだろうが、基本的に王朝は王権の強さから維持される。そして、日本のジャーナリズムはそうした強大な王権がロシアに誕生するのは民主主義としていかがなものか、みたいに非難しているのだ。妥当なのだろうか。
 その妥当性において重要なのは、朝日新聞社説が指摘する「さまざまな利権や権力を争う勢力の均衡」にある。
 この問題を今週の日本版ニューズウィーク記事”クレムリン 知られざる内部分裂”がすっきりと扱っていた。話を端折るが、プーチン大統領という蓋が外れれば、ロンドンを舞台に展開した奇っ怪な事件がロシア全土に広まるだろう。

 12月2日に投票が行われた下院選は、プーチンの与党・統一ロシアが圧勝する見通しだが、ロシア政治の実権を握るのは議会ではない。クレムリンとその周辺だ。
 来年3月にプーチン大統領の任期切れを控え、クレムリンの各派閥は経済利権の維持と、自分たちの身の安全の確保に必死だ。
 「大統領の庇護を失ったら、命の危険にさらされる高級官僚は大勢いる」と、あるクレムリンの元高官は指摘する。

 そして内部は明確ではないが分裂しているし、プーチン大統領もそれなりの忍耐を強いられる。

 ただし、派閥間の線引きは必ずしも明確ではない。まず外交面では、イリーゴリ・セチン、ウラジスラフ・スルコフ両大統領府副長官、ニコライ・パトルシェフFSB長官など、強いロシアをめざす孤立主義派がいる。
 プーチン大統領の反米的な発言の多くは、このグループが脚本を書いている。

 そして、対するグローバル派が存在する。

 これに対してアレクセイ・クドリン副首相兼財務相、セルゲイ・ラブロフ外相などのグローバル派は、ロシアも国際化が進む世界に適応すべきだと考えている。

 単純に言えば、ロシアの内部にグローバル派を維持させるには当面プーチン大統領を維持するしか道はない。
 日本のジャーナリズムはプーチン大統領が強権だとして批判するが、彼はその権力をもってベネズエラのチャベス大統領のような愚行はしていない。

 しかし前出の元クレムリン高官によれば、プーチンは終身独裁者になるつもりなどないという。「ロシアを軍事政権で統治するのは無理だし、後継大統領を背後から操るわけにもいかないと(プーチン)はわかっている」

 たぶん、そういうことなんだろう。

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2007.12.03

ベネズエラ国民の選択に賛意を表したい

 よかった。ベネズエラでの大統領無期限再選を可能にする憲法改正案が国民投票で否決されたことだ。結果は僅差だった。憲法改正支持者も多数であり、その人たちの考えも単純に否定できるものでもないし、今回の改正が直接、チャベス大統領の独裁制につながるというわけでもない。だが、その傾向への懸念はあった。
 民主主義というのは手順によっては独裁者を生み出しかねない。憲法というのはそうした強い権力への最終的な歯止めとして存在する。今回の事態は、憲法のそういう本質が揺るがされる可能性(公益が個人の利益に優越し公益認定で国家に接収が容易となる、報道の自由が優先されなくなるなど)がある例となって困ると不安な気持ちで見ていた。
 ブログには書かなかったが、私は冷静に見れば、今回のベネズエラ国民投票は改正案可決に向かうのではないかという予想を立てていた。今朝の産経新聞”国民投票締め切り、大接戦に ベネズエラ憲法改正”(参照)は、当初”ベネズエラ国民投票実施、チャベス氏勝利か ”という表題だった。


 ロイター通信によると、現内閣の複数の閣僚が、暫定的な開票の結果、可決の見通しとなったと述べた。首都カラカスではすでに一部のチャベス大統領支持者が勝利を祝う集会を始めている。
 国民投票を前に行われた各種世論調査のなかには、提案の否決を予想する結果もあらわれ、チャベス大統領の敗北の可能性も予想されていた。

 今朝はそうした結果になったかと気を揉んだ。が、逆になった。ロイター”ベネズエラで大統領権限強化めぐる国民投票否決、チャベス大統領は敗北宣言”(参照)より。

 選挙管理当局者によると、反対票が約51%だったのに対し、賛成票は約49%だった。
 チャベス大統領は敗北を認めながらも、「社会主義建設に向けた闘いを継続する」との考えを表明。改革は「とりあえず」失敗したが「依然として生きている」と述べ、再び憲法改正を目指す意欲を示した。

 僅差を理由にごたごたした状況に持ち込まれるかという懸念もなくなった。というか懸念があったのだった。1日付けAFP”ベネズエラ大統領、妨害工作あれば対米原油禁輸を宣言”(参照)より。

ベネズエラのウゴ・チャベス(Hugo Chavez)大統領(53)は、権限集中を目指し2日に行われる改憲を問う国民投票で、米国が画策していると同大統領が主張する混乱が発生した場合、米国への原油輸出を停止すると発表した。

 そうした懸念はなくなった。
 それにしても今回これだけチャベス大統領が支持されるのは、それなりの理由もある。米国への反感もだが、貧困層への所得の配分が大きいだろう。2日付産経”今の生活、チャベス大統領のおかげ 原油収入で貧困改善”(参照)より。

 ベネズエラで2日、大統領の無制限再選を可能にする憲法改正案の是非を問う国民投票が行われる。チャベス大統領は最高値圏で推移する原油の収入を原資に、「ミシオン(任務)」という名の社会開発計画を次々と実行、貧困層の生活水準のかさ上げを図ってきた。「ばらまき」との批判も強いが、首都カラカスの一角では、恩恵を受けた市民が大統領に「忠誠」を誓っていた。

 日本でもこうした政治が望まれているのかもしれない。あるいは望まれていくのかもしれない。清廉潔白で貧困層にカネを撒く政治家こそ日本のあるべきすがたと考えているとしか思えないような意見も見かける。
 日本国内ではあまり報道を見かけなかったようにも思うが、今回の否決はベネズエラの学生たちによる抗議デモも成果を上げていたようだ。元国防相ラウル・バドゥエルも学生側についた。
 あるいはもっと貧困層の支持が得られなかったのはなぜかという問いのほうがいいのかもしれない。新興財閥を潰すことでテレビ局も潰れ、大衆の娯楽も低減させたことも貧困層に反感を買ったようだ。
 インフレ率は17%を越えていた。もっとも、チャベス大統領としては今回の改正で中央銀行の独立性を剥奪することで解決可能だったのかもしれない。

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2007.12.02

国際技能五輪の結果を今頃眺めてみた

 先月14日から21日まで静岡県沼津市で開催された技能五輪国際大会だが、あまり関心を持たなかった。その後日本の金メダリスト3人の追跡報道をNHKのこどもニュースを見て、へぇ日本の若者もすごいじゃんとか好印象を持つようになった。そういえば新聞なんかでもよい結果だったとかいう報道があったなとなんとなく思い出した。古新聞を見ると”技能五輪が閉幕 日本「金」16個 メダル総数は最多タイの24”(読売 2007.11.22)にこうある。


 ◆電子系に高い評価
 静岡県沼津市で開かれていた、世界各国の若者が職業技能を競う「第39回技能五輪国際大会」は21日、閉幕し、日本は16の金賞を獲得した。銀5、銅3を合わせたメダル総数は24で、これまでで最も多かった東京大会(1970年)の記録に並んだ。

 ちなみに、今回の国際技能五輪だが、47職種に46か国および地域から813人が参加、うち、日本からは51人が選手となった。一国平均だと18人くらいだから、地元開催のメリットがあるということだろう。
 ついでに開催前の先月13日読売新聞社説ではこんなふうだった。

 前回大会では、日本の金メダル獲得数は5個で、スイスなどと並んでトップだった。今回は倍増を目指している。
 70年代後半から前々回までは、韓国が圧倒的に強かった。今回も韓国や欧州勢がライバルだ。あまりメダル数にこだわることはないが、日ごろの技を存分に発揮し、日本の技能が世界水準を保っていることを示してほしい。

 このトーンだと韓国に負けてもがっかりすんなよということなのだが、さて、韓国の成績はどうだったのか。調べてみると、韓国が総合一位だったらしい。”(YONHAP NEWS 2007.11.21)”(参照)より。

日本の静岡県で14~21日に開催された第39回技能五輪国際大会で、韓国は金メダル11個、銀メダル10個、銅メダル6個を獲得、総得点88点で総合優勝を果たした。

 総合点で見ると、日本は74点で二位。ちなみに三位はスイスで55点。
 というわけで日本の若者の技術は韓国の若者にいまだ及ばずということでFAといったようだ。
 ただ、金メダルだけ見ると16個なんで韓国より偉そう印象もなきにしもあらずなのだが、とふとそういえばと気になることを思い出したのだった。
 国際技能五輪で、物作り日本とか報道されているのだが、この技能大会、ちゃんと世界の産業動向に合わせてIT分野もある。そのあたりどうだったのだろう。未来分野できちんと日本の若者の技術の優位ってあるのだろうか。
 で調べてみた。情報は公式サイト”財団法人2007年ユニバーサル技能五輪国際大会日本組織委員会”(参照)にある。
 ではまず、はてな村も注目のウェブデザインだが。

KR Korea 韓国 Mr Joo Heon Park ジュ ヒョン パク M 金
MO Macau SAR マカオ Mr Chi Wai Cheang チ ワイ ジョンM 銀
CA Canada カナダ Mr Joel Kitching ジョエル キッチングM 銀
BR Brazil ブラジル Ms Carla Marangoni De Bona カルラ マランゴニ デ ボナF 銀

 さすが韓国堂々の金賞。で、日本はというと、15位でした。ほぉ。
 これも、はてな村も注目するだろうグラフィックデザインではどうか。

IT South Tyrol, Italy 南チロル・イタリア Mrs. Sylvia Hohenegger シルヴィア ホーエンエッガーF 金
KR Korea 韓国 Miss In Hye Son イネ ソン F 銀
UK United Kingdom イギリス Mr Harry Smith ハリー スミスM 銀

 イタリアが1位、韓国が2位(女性)。で、日本はというと、19位でした。ほぉ。
 さらに、はてな村も注目するだろう情報技術(Software Applications)ではどうか。

BR Brazil ブラジル Mr Anderson Carlos Moreira Tavares アンデルソン カルロス モレイラ タヴァレスM 金
TW Chinese Taipei チャイニーズタイペイ Mr Meng Hao Ko メン ハウ クォ M 銀
IR Iran イラン Mr Hamidreza Afsordeh ハミッドレザ アフソルデM 銅
KR Korea 韓国 Ms. Hee Gyung Choi ヘ ギュン チェ F 銅

 ブラジル、台湾、イランそしてまたしても韓国(女性)というランキング。で、日本はというと、ランクにいません。ほぉ。
 がんばれ日本!

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2007.12.01

初体験の早い子のほうが優等生なのか

 あっという間に今年も師走といった感じがする。相変わらず世間のニュースにあまり関心が向かないので、与太話でも書いておこう。ネタはニューズウィーク日本語版12・5”初Hの早い子は優等生?”。タイトルを見て、奥手だった私なんかちょっとぎょっとするなというのと、そおかあ?みたいな疑問も沸く。
 まず普通はこう考えるよなという話がある。


 親や政府、一部の心理学者の間では、たとえば14歳という若さで性行為を経験する子供は、17歳以降に経験する子に比べ、その後の学力に問題が生じたり、犯罪を犯したり、飲食や喫煙をしたり、情緒面での問題を抱えるというのが常識だ(アメリカの初体験の平均年齢は16歳)。

 まあ、そうかな、と。むしろ、初体験年齢が米国で16歳ってほんとかとかちょっと思うし、いやそのあの初体験というのはだね、その日本とは違って、いや日本でも同じかもだが以下略。
 ところがこの「常識」を科学的に調べてみると事実ではなかったらしい。

 これを証明するために、バージニア大学の心理学者らは、同性の双子のうち、一方が平均で二年早く性行為を体験している534組を調査。すると予想外の結果が得られた。「セックスを早く経験した子はそうでない子に比べ、数年後に非行や反社会的な行動を起こす確率が低かった」と、調査に携わったページ・ハーデンは言う。

 逆だというのだ。つまり、性行為初体験年齢が低い子のほうがその後社会的な問題を起こさないらしい。そんなぁ。
 いやそれはそういうものかと考えればそれはそれなりの理屈も付きそうなのだが、それにしても真実はそういうことか? というかなぜ従来からの「常識」があったのか。そのあたりは同記事を読まれるとわかるが、結局、調査方法によるようだ。
 今回の調査からわかることは、ちょっとややこしいがこういうことらしい。

 つまり、低年齢での初体験が非行を引き起こすのではなく、遺伝的な要素を含む第三の要因が、低年齢での初体験と非行の両方を誘発するということだ。

 ある種の遺伝子的な少年少女行動パターンが、非行とおセックスの両方を引き起こすらしい。もちろん、そんな単純な遺伝子決定ではないよという話も記事には含まれているので気になるかたはオリジナルを参照のこと。
 結局どういうこと?
 とりあえず、少年少女に社会的に問題となる行動パターンがあったとしても、それがそのままその未来の行動パターンを決定するとはいえない、ということだろう。
 だがこの記事を読んで、かつ単純な遺伝子決定といった議論は排すとしても、結果的に初体験年齢を下げる遺伝子的な要因というのはありそうな気がするな、とかしばらく考えた。いやつまり与太話がむくむくってことなんだが。
 思い出すと、高校時代にやりまくっていた同級生とか、20代で前半で子持ちという知人のことを思い浮かべると、あれなんだよ、その親もけっこうそうだったりする。つまり、お客さんの回転が速い、じゃないや世代の回転が速い。
 初体験の早い子の親もけっこう若いときに子供産んでいる。だもんで、爺さん・婆さんも若い。へたすると玄孫とかいたりする。あれ、なんなんだろうとかねて疑問に思っていた。遺伝的な傾向なのか、それとも家風っていうか、家柄っていうか、寛容っていうか。
 どうなんだろと考えるに、なんか遺伝的な要素はありそうな気がする。つまり、性行為年齢を下げるような遺伝的な要素が。いやたんに成長が早いとか、あるいは身体的な魅力が大きいとか……なんか与太話が続くみたいだが。
 与太話を広げる。日本人というのは混血でできた民族だが、世代交代速度の速い群と遅い群とがあるんじゃないだろうか。
 ほいで、むしろ現代というか戦後というか、高度成長期以降は、そういう面で、世代間交代に遅い群にとって生存が適者になるような、そんな社会になったのではないか。晩婚や昨今話題の中年童貞増加というのは科学的な進化論による適者生存として説明できるのでは。
 そんな社会的な要因というのがあるとしたらなんだろ? 長寿かな。みんな長生きするんだから、おセックスはお預け。中年童貞でも50歳過ぎて挽回の機会はあるぞとか。
 うーん、すごい間違った考えのような気がしたな。

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