[書評]センスを磨く 心を磨く(ピーコ)
ピーコの本を読んだことがない。名前は知っていても単に関心がなかった。でも先日立ち寄った書店で新刊書のところで「センスを磨く心をみがく(ピーコ)」(参照)を見かけ、なんとなく気になったというだけの気分で買って読んだ。挿絵も懐かしいトーンだった。
話は存外に面白かった。そう大げさなものでもないけど生きる指針みたいのを得られた。自分より一回り年上の人の感覚がよく表現されていて、ああ、もう一回り生きてこんなふうになれたらいいものだな、と思った。こんな言葉が身に染みる。
30代より40代の方が時の流れが速いと思ったものでした。でも40代より50代の方がもっと速く感じました。
過去の自分を振り返ってみても、若い時の苦労や飢餓感が人間を深く大きくしてくると思っています。
苦しかったことや、足りなかったことが60も過ぎると楽しく感じられるのです。
父は、ちり鍋をつまみながら熱燗の辛口を3合ほど飲むと、額のあたりがポッと赤くなって、炬燵の中でよく寝てしまっていました。あのころは、それが幸福だなんて思ったことがなかったのに、そのころの父と同じような年になって、幸福だったんだろうな!と思えます。
ウィキペディアを借りると、ピーコは、日本の男性タレント、「おすぎとピーコ」のうち服飾評論家のピーコとのこと。
ピーコ(本名:杉浦 克昭 すぎうら かつあき、1945年1月18日 - )は、日本のタレント、ファッション評論家。神奈川県横浜市出身。
終戦の年の1月に横浜で生まれたのかというのも感慨深いし、本書に出てくる両親の話も興味深い。こう言ってはいけないのかもしれないが、これもウィキペディアを借りるとピーコは「双子のオカマであることをその当時から売りにしている」という芸人というかタレントである。75年にデビューとあるがそのころの彼を私はテレビとかで見ていて、あの手の人にありがちだな、というくらいに思っていた。ただ、オカマという人たちには独自の痛みや悲しみを持っている人が多いのでその内面は複雑かもしれないというのと、そうなったのは少年期の環境の影響とかもあるだろうとも思っていた。本書を読んではっと気が付いたのだけど、少年期の影響というとき、悪影響というより、両親がリベラルな人でその愛情と素直な自己表現ができてこうなったいう良い影響のようだ。
![]() センスを磨く 心をみがく (ピーコ、宇野亜喜良) |
季節への感覚もいろいろ共感するところが多い。うまく言えないのだが、自然の季節のなかで生きているという深さの感覚というのは人によってかなり違うものだろうか。いわゆる音感のないオンチ、運動の苦手な運動オンチのように、季節感オンチみたいな人は少なくないのかもしれない。が、こうしたことは人それぞれだろう。
ピーコは私よりも一回り古い人らしく、失われていく日本人のマナーにはうるさい。若い女性への手厳しい批判も本書には多い。
どうして日本の女はあのように気持ちの悪い音をたててミュールを履くのでしょうか。
まず歩き方でしょう。前を真っすぐ向いて、背筋を伸ばして歩けば、あんな音はしないのです。足が前にサッと出るからです。
近ごろの若い女は猫背のような前屈みで、ゾンビのように足を引きずっています。それが音の原因です。地下街や駅の構内のように音が反響するところでは騒がしくていたたまれなくなってしまうのです。
そうだなと私も思う。ただ、こうしてブログを書きつつネットなどの空気を読んでいると、若い女性にしても、そう言われても、というか反って反感を持たれるだけなのだろう。苦言は若い女性だけでなく、同じ年代の大人への苦言もある。私も以前ブログに書いたことがあったが、傘のマナーや自転車のマナーなどについてだ。
同じ年代の大人といえば、東京オリンピックの話なども興味深かった。私も先日東京都が配布している東京オリンピック誘致のためのパンフみたいなものをもらい、なんだろこれといぶかしく思ったが、その先がうまく言葉にならない。でも、ピーコのこうした思いには、かろうじて東京オリンピック以前の風景を見た私には共感できる。
あの東京オリンピックの前と後では、東京の景色ががらりと変わってしまったのも、同じようにありありと頭の中に刻み込まれています。
それでも”これで世界の有名都市と肩を並べることができる。敗戦の惨めな思いを抱えた国民の心を高めることに役に立つ”という思いで我慢したのです。
東京オリンピックは大成功で、そのために作った新幹線で長距離の移動は便利になり、高速道路のおかげでモータリゼーションは急速に進歩して、現在の東京の姿、いえ日本の姿の礎になったものでした。でも、その陰で失われたものへの総括は40年以上たってもされていないといっていいでしょう。
こうした指摘はブログのような空間では回顧趣味やあるいはオリンピック誘致の政治マターに還元してしまうに違いない。でも、そういうことではなくて、「その陰で失われたものへの総括は40年以上たってもされていない」という40年以上生きてしまった人の思いの重さのようなものを私は感じる。どう言っていいのかわからないが。
本書が良かったので、ついでに「ピーコ語録(ピーコ)」(参照)も読んだ。というか語録なんでさっと読める。若い人でもこれはけっこう人によってはかなりインパクトがあるだろう。
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コメント
>これをブログのような空間では回顧趣味やあるいはオリンピック誘致の政治マターに還元してしまうに違いない。
でも、そういうことではなくて、「その陰で失われたものへの総括は40年以上たってもされていない」という40年以上生きてしまった人の思いの重さのようなものを私は感じる。どう言っていいのかわからないが。
学校とか、リア充の記憶が甦るようなインフラで繋がっていると、理解が早いんですけどね。
うまくいかないものです。
「蝸牛考」ではありませんが、何か「時代の空気の喪失」も伝播に結構な間隔があるみたいで、
私の世代では3セクとかが当りますが、ランドマークになってたインフラが立ち行かなっていく順番が、“ズレ”に関連しているのかもしれません。
あの頃はよかった、とまでは言わないけど、
シャッター街もそういうもので興隆してきたことを思えば……荒むのを放任するような展開はねぇよ、と、
よく晩酌の肴になる話。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.11.25 16:20
単に、言葉の姿勢が悪いから、指弾されているだけだと思います。
強い尊敬が得られるように、姿勢で見せてください。
ピーコさんの姿勢は一貫しています。
引いたりしないところが立派です。
投稿: 安藤 | 2007.11.25 17:29
卑屈な言葉を吐きながら、無神経な論調を展開していることが、
>私も以前ブログに書いて、嫌なコメントをしこたまもらった。ブログで通じる話ではないな。
のではないのかな?で、
>どうでもいいやと思うようになった。
とかなんて書くから(ry)。
まあ、読者としては面白い(興味深い)エントリがトキタマ出現すれば、それでもいいや、と思います。
投稿: けろやん。 | 2007.11.25 22:21
安藤さん、けろやんさん、ご助言ありがとうございました。本文を書き改めました。
投稿: finalvent | 2007.11.26 00:08