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2007.11.29

[書評]マックス・ヴェーバーの哀しみ(羽入辰郎)

 怪著と表現していいのかわからないがスゲー本である。「マックス・ヴェーバーの哀しみ 一生を母親に貪り喰われた男(羽入辰郎)」(参照)。新書だし文体はのりのり。爆笑すること幾度。面白かった。

cover
マックス・ヴェーバーの
哀しみ
 マックス・ヴェーバーを知らない人にとっても面白いかどうかというと、それなりにすごく偉い社会学者がいたというのをそのまま鵜呑みにすれば、おk、おっと2ちゃん語使うなよ、大丈夫大丈夫。このド偉い学者さん、浮気はできるのに妻との性交渉はできず、その原因はマザコン、というお話だよ、お立ち会い。マックス・ヴェーバーの夫婦関係ってそこまでおセックスレスだったのかというのは知らなかったので驚いたぜ、というレベルの面白さてんこもり。これ、劇画の原作にしてもすごい面白いと思う。弾小飼さんに献本したら説教十倍返しくらいのリアクションはきっとある。

 ここに一人の哀しい男がいる。
 彼はおのれの職業をまっとうし、多数の著作を残した。それらは百年たった今でも各国語に翻訳されて研究されている。人はその人を「知の巨人」と呼び、尊んだ。


 『倫理』論文という一見学術論文の体裁を取った論文の裏に隠されている事情、即ち、現実のヴェーバー家で何があったのかを本書では探っていきたい。知の巨人ヴェーバーではなく、不和の父母の間を揺れ動き、そのあげく見事なまでにマインド・コントロールされ、苦悩の末に破綻し、死の前年まで、精神疾患をわずらい続けるまでに苦しんだ一人の生身の人間として見ていきたい。

 ね、面白そうでしょ。
 この先、え、この本何の本なの? というくらいの人生指針まで出てくる。親から愛されず青年期に達した人に対して、青年期にすべきことは。

(前略)この時代に出来ることと言えば、子供時代の酷かった親を意識化し、親に絶望し、親に見切りをつけ、もう親とは全く関係のない世界で今後自分が生きてゆくことを決意するということでしかない。

 本書を読むことで、もう童貞なんて言わせないぞ、あ、話題違うか。ま、似たようなもんだが、本書の効能は絶大である。

(前略)本書を読むことによって、望んでいなかった意識化が始まってしまう可能性があるからである。ヴェーバーの一生と自分の一生とが読んでいくうちに不意に重なり合ってしまい、そんなつもりは全くなかったのに、自分の親の実像を垣間見てしまう、ということが起こりかねない書物だからである。前もって警告しておくなら、その意味では、本書は危険な書物である。人畜無害な書物では決してない。

 なんかぞくぞくするよね。で、読んで、この手の面白さにはまることができる人なら次は「唯幻論物語(岸田秀)」(参照)や「愛という試練(中島義道)」(参照)もある。いずれも40歳すぎて母親の呪縛に閉ざされたインテリの哀しい物語だよ。それってどうしてこんなに面白いんだろぉぉ、俺にとって。痛いな。
 で、内容はなんだけど、まあ、この路線でディテールがてんこもりですよ、奥さん、いや旦那。私もけっこうマックス・ヴェーバー・ヲタクな人なんでそれなりにいろいろ知ってはいたけど、へぇ、そこまでは知らなかったということが、恥ずかしながらいくつもありましたよ。読んでお得。
 さて、冗談はさておき。
 本書は「マックス・ヴェーバーの犯罪 『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊」(参照)に続く書籍だが、こちらはやや専門的。お値段も一般書の倍。しかも、アマゾンでは「あわせて買いたい」としているが、まさに「ヴェーバー学のすすめ(折原浩)」(参照)が必須なセット。合わせて6300円だよ。ぜひ、俺のアフィリで買っていただきたくらいのお値段。まあ、学生さんなら後者だけ買ってもいいのだけど、学生だとつい前著だけ買いそうな若気の至りはあるでしょう。
 何が話題かというと、羽入本の副題のとおり「『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊」ということ。簡単にいうと、ヴェーバーのプロ倫こと「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(参照)は学術書としてはでたらめ、に加えて、まあこれも言っていいかと思うけど、大塚史学の学統の「知的誠実性」への反論ということ。そのあたりが、そのリングを覗くと面白いといえば面白い。けど、さらに単的に言うと、不毛、かな。
 前者の「プロ倫」って糞じゃね?論について言えば、実証学的にはそのとおりと言っていいだろう。ただ、それを言うなら、フーコーとかレヴィ・ストロースとかこの手は五万といるのであって、つまり、そういう次元の問題じゃない。
 で、本書、「マックス・ヴェーバーの哀しみ」でも「プロ倫」がいかに酷いかという例が載っているのだけど、まあ、これで納得しちゃったら普通はアウト。どうアウトなのか、もう「プロ倫」を百回嫁、おっと2ちゃん語使うなよ、だけど、そんなもの。なんせ大塚大聖人だって数回読んでわからなかったのだし、安藤守護天使も30年の修行で少しわかってきたという秘儀の世界、ってちゃかすのもなんだが、難しい。
 困ったことに、このプロ倫の難しさは、羽入による本書のヴェーバーの精神疾患と大きく関わっているのは否定しがたい点だ。というわけで、それなりに「プロ倫」を読んだ人にとっても本書は意義があったりするというか、意義は大きい。
 本書のあとがきには、先ほどセットで勧めた「ヴェーバー学のすすめ(折原浩)」への反論本が近日出版とある。いわく折原へ「次に出る本で貴兄の論理に対しては逐一反駁してあるので、楽しみに待っていらして頂きたい」と、なんとなく、ネットバトルの不毛さのような醍醐味が期待されてwktk、おっと2ちゃん語使うなよ。

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コメント

既にご覧になってる可能性はあるなと思いつつ、プロパーの方々の見解はこんな感じみたいです、というのを一応。
http://d.hatena.ne.jp/odanakanaoki/20071121

まあ、若者よこれを機会にヴェーバーも嫁、いや読んでください的な親(父)心のエントリかなとは思いつつ、一応。
それにしても、守備範囲の広さには実に感服するわけですが。

投稿: まあ、 | 2007.11.30 02:39

やはり、ご覧になって!!

刊行日に書店で手に取ったとき、タイトルから想像されるのとは違って結構薄かったので、驚きました。
ちょうど八方を新書に囲まれて一段低いところに表紙が見えたものですから、よく分からなかった。
それに、あんまりこの手のが捌けるわけはないよなと高を括って取ったので、てっきり面に対して一段低いのも一冊抜けただけなんだろうと……

……四方に配された新書の方がずっと厚かったw

2・3冊は出てたようですね。
いやぁ、思い込みってヤツは、全く……

投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.11.30 14:36

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