[書評]スタバではグランデを買え! 価格と生活の経済学 (吉本佳生)
面白い本だと思った。よく売れているようだ。ただ私は珍本に近いかなという印象も持った。たぶん、この本は、れいのベストセラー「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学(山田真哉)」(参照)のノリで企画されたのではないだろうか。あちらが会計学ならこちらは経済学ということで。そうしたノリ、つまり、難しい経済学とかを卑近な事例でわかりやすく説明するという枠組みがこの本の前半まで続く。
![]() スタバではグランデを買え! 価格と生活の経済学 吉本佳生 |
ちょっと野暮なことを言うと、経済学は所詮は世間の現象を扱っているので、世間の現象に限定するなら、学の形態をしなければ理解できないというものではない。ある程度、社会とカネに向き合って、それなりの経験があれば、わかるものだろう。比較優位についても学問的に形式的に説明できなくても、具体的な現場の監督とかなら人の使い方で自然にわかっているものだし、実質金利についても、賢くタンス預金している人もいる。しかし、それがマクロ的に正しいかとなるとそうではないが、というあたりで、どこかしらこの学問が国家とマネーの権限に関わってくる胡散臭さの地点があり、そこで身を引いたりもする。そんな意味合いで言うなら、本書の前半は、ごく常識の学問的な確認という色合いを帯びている。
が、後半、「100円ショップの安さの秘密は何か?」の章から、奇妙なトーンが現れてくる。微妙に経済学で現実をねじ伏せるような知的なチャレンジのシーンが多くなるのだ。さおだけ屋本のように「あんた本当は世間をなんも知らんでしょ、ぼっちゃん」みたいにツッコミしたくなるのとはまさに逆で、「あんたなぜそこまで100円ショップに関心を持つ?」といった、ある種の熱狂感だ。
そしてこの熱狂感には学問モデルというものへの、モダンアート的な歪みのような感興もある。皮肉ではない。このあたりから、この本の抜群の面白さが始まる。少し長い引用になるが、このあたりにそうしたトーンが濃い。話は、「100円ショップで原価を気にする消費者は、じつは賢くない」というテーマで、具体的には、100円ショップで仕入れ価格が10円前後の商品を買うべきかという問いだ。いや、この問いに笑ってはいけない。
確かに、仕入れ価格が10円前後の商品は、だから他の店でもっと安く(105円より安い価格で)売っているとすれば、そちらの店で買うべきかもしれません。しかし、100円ショップで買うのが一番安い商品であれば、たとえそれが原価10円の商品だとしても、必要なら100円ショップで買うべきでしょう。
逆に、あまり必要でない商品が、原価120円なのに100円ショップで売られているのをみつけたとしても、それを大量に買って、確かに120円で売るという裁定取引をおこなって儲けることができないなら、無理に買ってもムダになるだけ(邪魔になるだけ)です。現実に100円ショップで売られている商品の原価が100円を超えていても、取引コストを考えれば、たぶん裁定取引で儲けることはできないと思われます。
裁定取引の部分に説明が必要だろう。価格差があるときその差分で儲ける取引のことだ。
さて、この部分を読んでどういう印象をもっただろうか。引用部分ゆえに前後から孤立してなんだかわからないというのは当然あるとしても、実際に、100円ショップに立つ自分を想定して、この状況と思考がフォローできるだろうか。単純な話、100円ショップで原価10円のものを購入する必要はどのくらい問われるか、原価が10円のような商品を買うシーンはなんだろうか、というあたりで、ある種シュールな感覚に襲われてくるのではないか。たぶん、経済学的な抽象化と具体的な生活のシーンの齟齬がある。
こう続く。
つまり、100円ショップでの買い物で、原価の高い安いをみて損得を判断する消費者は、一見すると、賢い消費者としての行動をしているようにみえるかもしれませんが、じつは賢くないのです。大切なのは、他の店で買うより安いか高いかであり、しかも取引コストを考慮して判断すべきです。
もちろん、言わんとしていることはわかる。原価はどうでもよく同一商品が他店より安ければ買えだし、取引コストが低ければ買え、ということだ(このあたりでこの買えが金融商品のニュアンスを帯びていることに気づくだろう)。が、がというのはその「買え」の賢さ、つまり経済学的に合理的な購入の行動(これは裁定を前提とした卸商人の発想だろう)と、必要性(必要性というのは最終の消費者だろう)はどう関わっているのだろうか。実は、ここには複雑な関係が潜んでいるはずだ。
こう続く。
くり返しになりますが、原価が安い(原価率が低い)商品ほど、他の店での価格が安い可能性があるという点では、原価(率)はある程度参考になります。しかし、原価が安い商品でも、他の店でもっと高く売っている商品は、いくらでもあるでしょう。100円ショップでの買い物においては、あまり原価を考えないほうがいい、と筆者は考えています。
悪口を言いたいのでも、無茶な批判をしたいわけでもないが、これはごく単純に論理的に破綻しているのではないだろうか。というのは、「しかし、原価が」というくだりだが、通常は、原価が安ければ他店では安く売っているのであり、マーケットのメカニズムを通して、「他の店でもっと高く売っている商品」は消える。
くどいが筆者への批判ではない。なぜこういう書籍の展開になったかというと、筆者は、経済学のモデルの純粋性がそれゆえの応用性をもっていると想定しているからなのだろう。このくだりはさらにこう続く。本当にこう続くのだ。
なお、一般的なモノの取引に比べて、取引コストを非常に低くしうるのが金融取引です。株をインターネットで取引するなら、かなり安い取引コストで売買できます。そのため、銀行・証券会社・保険会社などの金融機関が販売する金融商品(預金・投資信託・保険・個人年金など)を購入する場合には、原価をよく調べることが大切です。
原価が安い金融商品なのに高い手数料が上乗せされている場合は、そういった金融商品できるだけ避けるといいでしょう。自分で、原価に近い価格の(手数料ができるだけ安い)金融商品を取引したほうが、ずっと得だからです。
金融商品と100ショップが、原価の原理性で、同じモデルで論じられているのだ。もちろん、そのように論じることは不可能ではない。一連の結語はこうなる。
つまり、消費者が賢く生活しようとするとき、いろいろなモノやサービスの原価に着目すべきかどうかは、取引コストの高さ(裁定取引の容易さ)によって異なります。100円ショップの商品の場合には、取引コストが高く、現実には裁定取引がむずかしいので、原価を考えないほうがいいと筆者は述べているのであり、どんな買い物にもあてはまる話ではありません。
100ショップで買ったものを友人とかに高く売りつけるみたいなことをしない限り、裁定取引という場はないだろう。だが、裁定取引の潜在的な可能性は、マーケットの価格メカニズムの内部で働くだろう。そのメカニズムには「え?、これを100円で買わないでしょ、フツー、パス」という消費者の行動を媒介する(フツーの判断の中に他店が前提とされる)。という意味で、実はこの行動の内部に原価の意識が働いている。
くどいけれど私はこの本をおちょくっているのではない。恐らく、経済学的には正しいことが書かれているのだが、筆者のある種の情熱が、すました経済学のモデルを逸脱してまで社会現象を説明しようとしている地点で、その情熱が奇妙な現れをしている。そこががとても興味深いのだ。
本書はこの山場を越えて、後半になるといっそう面白い展開になる。手の込んだ冗談が書かれているわけではない。モデルとしてもこれは経済学的には正しいかもしれない。しかし、しかしこれは何か変だ、なにが変なのだろう?という知的チャレンジが多発する。面白い。
私はこの筆者の情熱が非常に面白いと思うし、そこにぐっと引きつけられて、世の中どうなってんの?という多様な疑問を発するべきだと思う。
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コメント
「会計屋はなぜ儲かるのか?」
こんな駄本がベストセラーになるということは、いかにわが国経理-経済の教育がなっていないか、ということの証左だと思います。書評家のみなさんも俗世間に疎いので、この程度の本で感心してしまうのだな、きっと。
私のような商業高校出身の劣等生ですら、♪そんなのじょーしきー。の世界。
そうか、だから「多重債務者」がこんなに生まれるのかしらん。
そもそも、P113の複式簿記の説明の分かりにくい(誤解しやすい)ことよ!
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%87%E5%BC%8F%E7%B0%BF%E8%A8%98(参照)
要は「タイトルで売れた本」の典型ですね。うーん、コピーライティングは会計より重要であると(笑)
投稿: 挨拶専用85 | 2007.10.10 22:25
100円ショップでは安くても不要なものを買うなというのに、スタバではグランデを買えというのは変だと思いました。飲みきれないほど不要なものをなぜ買えと?ああ、でもグランデを買って、半分を友だちに売ればいいのかな。
ちなみに、スタバでは大き目タンブラーを持っていってショートを頼むとトール相当を入れてくれます。これが最良の策です。
投稿: yuuh32 | 2007.10.12 00:02
要らなきゃ買わなきゃいいだけですよ。そんなの。
経済感覚云々で言えば、例えばコンビニの惣菜や弁当など女の人が買うものは、一口サイズであっさり食べられる(残り・余りが出ない)ことを最重視されるから、従前の価格帯と同じ程度で少量配布になっても、文句言われませんよね。「使ってる材料が少ないんだから、その分5円でも10円でも値下げしろ」という圧力には、ならない。
女性向けに小さくまとめたもののほうが、原材料費が少なく価格帯が量不相応でも(世間の相場観からズレていなければ)容認される。量が少ないんだから値段も下げろってことになると、貧乏臭いと思われて損とか。そういう部分も価格設定に影響しますよね。多分。
価格設定に関しては、皆さんが普通に持ってる「相場観」や「世間的な見栄」に対してズレていなければ、その範疇でぼったくるのは適正だと思います。
投稿: 渡辺裕 | 2007.10.13 17:12
彼の拘りがよく分からないんですが、
「“今ここ”に“今”無いとなぁ」
っていうパッケージングの問題が消費者にとっての一義的なコストではないかと思うんですが。
実際ドケチな人って、結局貧乏だけど暇があるんだろうといったら言い過ぎなのかな?
そんなにフィールドワークするものかな? 人間。
そういう仮定に寄りかかっている(仮定が正しい)から差別化が方針になるのか?
うーん、正直よく分からないです。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.10.29 16:21