« 私が木原光知子をテレビで見ていたころ | トップページ | 中国共産党大会人事の不安 »

2007.10.22

ブット帰国後のパキスタン情勢メモ

 パキスタン情勢について、最高裁の動きが今一つ読み切れないのでためらっていたのだが、今朝の朝日新聞の変てこな社説”パキスタン 「対テロ戦」が招いた混迷”(参照)を読み、現時点でもとりあえずメモ書きしておくべきもしれないと思った。ちなみにこの朝日社説だがどこをどう突っ込んでいいか困惑するほどめちゃくちゃな代物に私は思えるので、個別の批判は省略したい。大手紙の社説としては、20日付け日経新聞”混迷の度増すパキスタン”(参照)が穏当なところだろう。
 当面の話としては、ブット元首相の8年ぶりに帰国に際してのテロがあり、自爆テロと報道されている。過去の経緯としては、このブログでは、”極東ブログ: パキスタン情勢、微妙なムシャラフ大統領の位置”(参照)と”極東ブログ: パキスタン・モスク籠城事件、雑感”(参照)があるが、さらに中国との関連で”極東ブログ: 中国とパキスタンの反テロ合同軍事演習「友情2006」”(参照)もある。パキスタンと中国の関係は微妙で、かつ現在開催中の中国共産党大会でのパワーゲームなどもあり、そうした影響が日本の報道にもあるかもしれない。
 日経社説ではこうさらりと説明しているが、ムシャラフとブットの調停はおそらくライスがお膳立てしたものであろう。


 ムシャラフ大統領は今年に入って最高裁判所長官の更迭を図ったり、モスク襲撃を強行したことなどから多くの国民の支持を失った。
 1999年にクーデターで権力を握って以来最大の政治危機に直面しており、政治基盤を強化する必要に迫られている。
 大統領は有力野党のパキスタン人民党を率いるブット氏とは水面下で長年協力のあり方を模索してきたが、今ほど彼女の協力を必要としている時はない。
 一方ブット氏は88年から96年にかけ2度首相を務めながらも汚職と失政で退陣、事実上国外に追放されていた。パキスタン政治に復帰するにはムシャラフ大統領の協力が不可欠で、両者の思惑が一致した。

 冒頭にも書いたが現在情勢の判断で重要なのは、最高裁の動向になる。というのも6日に実施されたほとんどフェイクともいえる大統領選に対して、最高裁が無効の審判を下す可能性がある。パキスタンの憲法では軍の最高実力者の地位である陸軍参謀長の肩書を持ちながら大統領選挙に立候補することはできないとされているからだ。ただし、この点については議会での承認の経緯もあることや、最高裁が強く反発するなら、選挙自体の実施を認めなかっただろうから、違憲判決がでる可能性は少ないと見られている。また、ムシャラフも表向きは軍を引く形を取る可能性もある。
 とはいえ、法というのは政治とは別の論理で動く可能性もあるし、あるいはその逆に現在のパキスタンの内政の動向を反映するかもしれない。端的に言えば、ムシャラフもブットも広く支持されないという流れになるかもしれない。
 日経社説では次の結語を導いているが、妥当な見解だろう。

 違憲であるとの判断を出すと、どのような事態になるか予測しがたい。ムシャラフ大統領は非常事態を宣言するかもしれない。パキスタン政治の安定の道筋は見えない。

 またそうはいっても日経社説が、ブットとムシャラフに次のように期待せざるを得ないのもしたかたがないところだろう。

 パキスタンは核兵器を保有し、アフガニスタンにおけるテロとの戦いでも重要な役割を果たしている。不安定化は国際社会に大きな影響を及ぼす。ムシャラフ大統領とブット氏は政情安定のため協力すべきだ。

 この流れの背景に、日本ではあまり報道されなかったが、10日、8年前に国外追放されたナワズ・シャリフ元首相がロンドンからパキスタンに帰国したものの、空港を出ずして4時間後に再追放された事件がある。なお、シャリフの帰国を承認したのは、最高裁である。
 シャリフは11月に再度帰国を検討しているらしい。夏以降の流れから見ると、ムシャラフはシャリフの復権を恐れてブットと組んだと見ることもできるだろう。ニューズウィーク日本語版9・19”嫌われ首相の凱旋帰国(The Comeback Artist)”では、現在の情勢の流れからみるとやや滑稽な感もあるが、次のように解説していた。

 確かに、シャリフは勝つかもしれない。大統領の与党、パキスタン・イスラム教徒連盟(PML)の議員の大半は、同連盟シャリフ派からの離脱組だ。専門家の予想通り彼らが寝返れば、シャリフは年内か年明けに行われる総選挙で最有力候補になるだろう。「私の直感では、流れはシャリフにとってかなり有利だ」と、元パキスタン陸軍中将のタルト・マスードは言う。

 シャリフ復権の目というのがどのくらいあるのか私にはまるで勘が働かない。ただ、ムシャラフとブットのラインが親米で、シャリフが反米ということでもないのは、亡命生活の状況や98年クリントンによるアフガニスタン空爆のミサイル通過を認めたことでもわかる。
 また、米国はムシャラフとブットのラインをこのままサポートしないかもしれない。ニューヨークタイムズ”In Pakistan Quandary, U.S. Reviews Stance”(参照)で話題になったように、米国によるパキスタン政策の見直しがほのめかされている。というか、ムシャラフを切るのでもなく、ブットもシャリフも繋げる可能性を米国を探っているところだろう。となれば、中国はどうかという流れがあり、もしかするとそのあたりの中国様のご不快を朝日新聞が察してあの社説が出てきたのかもしえれない、というのはさすがに冗談だが。

|

« 私が木原光知子をテレビで見ていたころ | トップページ | 中国共産党大会人事の不安 »

「時事」カテゴリの記事

コメント

お久しぶりです。
8日のニュースでは
ブットはムシャラフから離れましたね。

今後の動向が気にかかります。

投稿: まか | 2007.11.09 09:32

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ブット帰国後のパキスタン情勢メモ:

« 私が木原光知子をテレビで見ていたころ | トップページ | 中国共産党大会人事の不安 »