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2007.09.22

[書評]『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する(亀山郁夫)

 「極東ブログ: [書評]カラマーゾフの兄弟(亀山郁夫訳)」(参照)で扱った新訳「カラマーゾフの兄弟」の訳者がその訳業に重ねて、満を持して発表した続編説であり、現在水準の研究成果も反映し、穏当とはいえないにせよ、さすがに否定しがたい圧倒的な想像力をもって書かれている。編集者の女性もものすごいお仕事をされたようだ。新訳カラマーゾフの兄弟の魅了された人にとっては必読書になるだろう。

cover
「カラマーゾフの兄弟」
続編を空想する
亀山郁夫
 ただ私は、亀山の想定はもっとも大きな線で間違っていると思った。ブログなので夜郎自大な話になるかと思うし、別の書評のようにあえて韜晦に表現しておくほうがいいのかもしれない、が、率直に書いておきたい。
 私の読みが間違っているということは大いにありうるというか、その留保は当然のこととして、なぜカラマーゾフの兄弟という小説が書かれたのか、この小説のテーマは何かということが、「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する(亀山郁夫)」に、反映していないとは言わないが、弱いように思えた。
 この小説のテーマは悪魔である。
 東洋人や西洋人にはロシア的な悪魔というものがわかりづらいかもしれない。その意味で、悪魔というものを、イワンが対峙したように、リーザが明確に見たように、確実に認識できる者なら、この小説のテーマはあまりに明白でもある。が、もちろん、現実の見える世界には悪魔などは存在しないのもまた明白であり、そのポリフォニックな仕掛けが小説ならではの面白さだ。
 現存するカラマーゾフの兄弟の前編において悪魔は微妙に破れたようにも見えるが、破れてはいない。続編は、いよいよ、悪魔が本来の決戦に取りかかるというのがテーマであり、そこから亀山も否定しきれないように皇帝暗殺という表面的なテーマが現れる。つまり、皇帝暗殺と悪魔の出現とはどのように関わるか、そこに、また亀山が縷説するように子どもたちが関わってくる。
 悪魔は何を望んでいるのか。悪魔の目的は、この世に王国を打ち立て王となることだ。それはキリストの誘惑を思い浮かべてもらえばわかりやすだろうし、残された前編の大審問官を想定しても理解しやすいだろう。悪魔の誘惑とは、救世主イエスをこの世の王とさせるように誘惑することだった。それが誘惑の意図であり、それこそが悪魔の本質なのだ。と、書いていて、どうも私のキチガイモード炸裂のようだが。
 カラマーゾフの兄弟は、幾重にも福音書のモチーフが埋め込まれているので、そのあたりをかなりトラウマになるくらい読み込まないと見えない部分もあるのだろうというか、それでいいか、という疑問もあるが、べたにいえば、アリョーシャ=キリストは十二使徒を引き連れてエルサレムならぬロシアの中心に行くのだが、使徒たちはこの世の王国=社会主義を夢想している(あるいはその社会主義に異端キリスト教が関わる可能性は高い)。そこで、彼らは皇帝を暗殺し、アリョーシャを王とし社会主義のユートピアを打ち立てようとする。が、イエス・キリストにこの世の王を託したのがユダであったように、ユダ=コーリャによって、アリョーシャは裏切られ、そしてイエスのように惨めにみすぼらしく死に至ることになる(その事が悪魔の敗北でもあり神の栄光でもある)、というのが、おそらく続編の最大のプロットだろう、と思う。アリョーシャの死がもたらす神の恩恵、それが一粒の麦であろうし、その落ちる先がロシアの大地である。
 私のこの推定は、亀山の「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」とそれほど外れてはいないだろう。もっとも、かなり違うといえば違うが、ディテールにおいて亀山と対立するのは、アリョーシャの必然的な死くらいだろう。
 大筋はそうなるとして、小説の豊かさはまたそれとは異なる。書かれなかった後編において、今回新訳を読み、そして亀山の考察を参考にしながら、ほぼ確信したのは、後半における悪魔の顕現の一人は疑いもなくリーザであり、もう一人はコーリャであろう。そしてリーザとアリョーシャの性的な問題はほぼ亀山の想像でよいと思う。おそらく、リーザとアリョーシャの性的な葛藤には、サムソンとデリラ的な要素や、雅歌のような官能的な祝祭のシーンが出てくるはずだったのではないか、というか、そのような小説がこの世に存在しえたなら!
 悪魔を打ち倒す神の勢力は、矛盾したアリョーシャの中に胚胎するとして(苦悩されたイエスのように)、あともう一人どうしても欠かせない神の力というか天使の力が必要になるとしか思えない。そのミッシングピースは誰だろうかと本書を読みながら考えた。亀山が暗示するようにニーノチカがそれに近いかもしれない。
 が私は、亀山の想定とは異なり、ドミートリーは後編においても重要な役割を持つのではないかと考えつつある。ゾシマがドミートリーの足下にひれ伏した、その神性の顕現は、前編において神の力によって父殺しを押し止めるという、ドミートリーに現れた恩恵に尽きるとは思えない。何か、もっとも神聖な力が、ドミートリーから現れ、それがアリョーシャの死を本当の神の栄光に導き、悪魔を打ち下すのではないだろうか。とすれば、グルーシェニカとの関わりはあるだろう。そこに前編のような強烈な女の物語が描かれるに違いない。
 書かれなかったカラマーゾフの兄弟の続編については、どう考えたとしても結局は存在しないのだから想定するだけ無意味のようにも思っていたが、亀山が指摘するように、現存するカラマーゾフの兄弟は後半をもって完成するのであり、後編想定なくして前編だけの評価では足りない。

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コメント

まだ亀山訳2巻目までしか読んでないのに、本書を半分立ち読みしてしまった……私の馬鹿……

思い返すと、亀山郁夫先生の著作を読むのは、
『ロシア・アヴァンギャルド』(岩波書店[岩波新書]1996年) 以来のことでした。『~続編を空想する』に(というより、当エントリに)触れた後では、本書には、宛ら、“使徒”達の顛末が描かれていたようにも思われます。

私にはとりわけエイゼンシュタイン史が興味深かった。彼にも未完の大作として『イワン雷帝』がありますが、カラーマゾフの後編同様、第3部が完成されていたならと思うと(アレもパンの悪魔(王国)を描いた作品だった)……

これもまた、結局は存在しないんですが……ね。発掘したらあるのだか、本当に存在しないのか? 草稿(ラッシュ)もなしか? イヤハヤ空想の種の尽きない。


投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.09.23 17:59

finalventさん、レビューありがとうございます。わたくしの兄(finalventさんと同い年)のコメント──わたくしがアリョーシャの純真さを称えたことに対して──(彼は新訳は未読ですが)を転載します。
----- Original Message -----
 カラマーゾフの続編(「偉大なる罪人の生涯」)については、たとえドストエフスキーがあと十年生きていたとして、書けたかどうかは疑問ですし、他の誰かが書けるものでもないだろうと思います。
 イワンは彼の敵視するトルコ兵の嬰児虐殺や家庭内暴力のある世界を認めないと主張しますが、アリョーシャは兄が自分もそういう人間になる
可能性のあることを恐れている……ということを見抜いているように思います。
 アリョーシャほど盲目の純真さから遠い人間はいないと思います。透明さと言ったほうが近いと思います。

投稿: tom-kuri | 2007.09.24 02:04

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投稿: bestmania運営事務局 | 2012.07.03 15:23

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