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2007.09.10

[書評]本は楽しい 僕の自伝的読書ノート(赤川次郎)

 私は赤川次郎の本をほとんど読まない。時代が時代なので何か数冊は読んだ気もするがすっかり忘れている。角川映画「早春物語」(参照)はかなり好きな作品なので(ところで今この歳で見直すとあらぬシーンでチ○コ勃ったりするかもやばそ)、原作「早春物語」(参照)も読んだのだろうと思うが記憶にない。読んでないのかもしれない。私は短いセリフの多い文芸が苦手だ。たぶん携帯電話小説とやらも読めないと思う。それでも赤川次郎についてはずっと関心を持っていた。その理由は本書に関係するし、私はこのエントリに書いて、その思いにさよならしたい。

cover
本は楽しい
僕の自伝的
読書ノート
 赤川次郎はあまり自身のことを語らない。特に自伝的な話をしない作家だった。この本は唯一例外的に赤川が自分のことを語っている。三部に分かれていて、〔I〕青春ノート、〔II〕50歳の出発、〔III〕鶴見俊介との対談。対談は人によっては面白いかもしれないがとりあえずどうでもいいだろう。
 〔I〕青春ノートは1984年、彼が36歳で書いた文章だ。文章中、自身を「三十代も後半になって」と赤川は書いているが、36歳という歳の特有の重さがある。村上春樹の「プールサイド」(参照)の思いを経た男の立ち位置のようなものだろう。赤川はそこから青春時代と、書かずにはいられなかった作家への道を少し語っている。
 この〔I〕青春ノートは、84年に岩波ブックレット「三毛猫ホームズの青春ノート」として出版された。当時の赤川の唯一の自分語りであり、私は率直に感銘も受けた。彼がどうしても語れないものを背負っていることも感じた。
 〔I〕青春ノートは、現在17歳から19歳の青年、そして36歳に近づく文学好きの人、特に男性は読んでみると、優しい言葉から深い感銘を受けるだろう。彼は今でいう非モテだったのかもしれないし、今でいうラノベな人だったのかもしれない。ハイティーンの時代に西洋を舞台にした恋のロマンの小説を書いていた。

 ところで、僕の自作の方は、といえば、これはもう手放しのロマンチシズムとでもいいましょうか。――パリ社交界に知れ渡った美青年と、その年上の愛人、清純な娘など何人かの女性が織り成す恋愛ドラマ。
 誤解されるといけないので、念のため申し添えますが、このころ、現実の恋愛の経験はゼロ、でした。学校は男子校、クラブ活動にも加わらず、帰り道に寄るのは本屋だけ、という生活で、恋の芽生えるチャンスなど、あろうはずもなかったのです。
 本当の話――信じてもらえないかもしれませんが――中学高校の六年間、僕は女の子と口をきいたことがありません。二回くらい、道を訊かれて教えてやったことがあったぐらいです。
 経験もないのに、恋愛小説が書けるのか? そう首をひねる方は、想像力が乏しいのです。小説を読み、書く中で、いくらでも恋愛を体験していた僕は、後に、本当の恋をしたとき、びっくりしたものです。
 それがあまりに「小説の通りだった」からです! 失恋の苦痛まで、想像で書いた通りでした。

 50歳の私はこの文章を読みごく軽く苦笑する。胸にきゅんとするほど、それはわかるという共感もある。赤川のこの話は、コレットの「青い麦」(参照)などコレットを語る文脈に続くものだ。「青い麦」に胸ときめかない男子ってつまんないだろうなとも思うが、今ならもっといいラノベがあるのかもしれない。
 作家になる話なども引用して感想を書きたいが端折る。50歳になった私が本書を読み返したのは、〔II〕50歳の出発、を今の自分の気持ちで捉えてみたかったからだ。
 この部分は1998年、本書のために書かれたのだが、正確には口述を編集者がまとめたもので、自筆ではない。依然赤川にとって書きづらいものだったのかもしれない。
 赤川にとって50歳の意味はまず子供だったようだ。そして子供を語ることで父を語るようになった。彼はようやく父を語らざるをえないところに立った。
 若い人の心情をどう捉えるかという文脈から。

 ただ僕が書きはじめたころは、娘は一歳だった。僕の作家人生は娘の成長と一緒だったわけですが、僕自身が父親とほとんど暮らしたことがない人間で、家庭の中で父親は何をやっているものだか、イメージがまったく湧かなかったので初期の小説には父親がほとんど出てきません。


 とくに『ふたり』とか、あのへんから子どもの人生に親がどうかかわっていくかということがでてきます。ふつう、青春小説では、親はできあがった人間として出てきて、ものわかりがいいか悪いかぐらいの分類をされてしまうんですけれども、そうじゃなくて、親も成長しているんです。主人公が高校生だと、親は四十代くらいですから、それこそ迷いもあるし、まちがったこともするし、親も悩んでいるということを子どもが知る。


 そういう点でいうと、父親といっても、成長してみるとそんなに立派じゃないということがわかってくる。若いころは四〇歳を過ぎたら人間なんてそんなに変わらないものだと思っていたんです。それこそ不惑という言葉があるくらいで。だけど、不惑どころじゃない。四〇歳になっても五〇歳になっても、なんだ、昔とたいして変わらないじゃないかって思います。そういう感じは自分がなってみないとわからない。

 五〇歳に自分がなってみて私も、つい数年前17歳だったような感じがすることがあるし、目が覚めてしばらく自分の歳は32歳じゃないかと夢の続きで思っていたりすることがある。人によるのかもしれないが。
 赤川は50歳になってようやく父を語り出した。

父親については、話し出すと、それだけで一冊できてしまう。とんでもない人だったというか、まだ生きています。明治生まれなんで、もう九十近い。


 ただ、最近になって、父親の名前をあちこちで見るようになりました。たぶんきっかけは山口淑子さんの自伝『李香蘭』でしょう。中国で、敗戦のときに甘粕正彦(元憲兵で大杉栄たちを殺したとされている)が自殺したときそばにいたのが赤川次郎さんの父親だ、という記述が出てくる。内田吐夢さんの評伝(『私説 内田吐夢伝』鈴木尚之)にもそのときの場面が出ているようです。鎌田慧さんの書かれた『大杉栄 自由への疾走』にもちらっと出てくる。

 そしてあるパーティの話として、伝聞のように、一度きり、その名前が切り出される。

そのパーティの中で六〇歳くらいの方に声をかけられた。「お父さまはもしかしたら赤川孝一さんとおっしゃるんですか」って言う。

 私は赤川次郎に詳しくないし、本書も読み違えているかもしれないが、赤川次郎にとって赤川孝一という名が語られるのは、この一か所だけではないだろうか。
 赤川孝一は甘粕の側近だった。
 もう時効のようなものだろうと思うので書いておきたい。
 私は92年ころだったと思うが、赤川孝一に会って話を聞いたことがある。ひっそりとした喫茶店で紹介してくれた人と三人だった。話を聞くに徹してあまり直接的な質問とかしてなかったつもりだが、最後に「甘粕さんはどんな人だったのですか」と訊いてみた。彼は遠いものを見るように、「甘粕さんはあなたに似てますよ、頭のいい人でした」と言った。

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コメント

最後の展開が、へぇ~、という感じです。私の場合健在なのですが、50歳で父を語るか。今までは、あるパターンにはめて語っていた気もします。もう少しきちんと語ることで、自分のこともまた見えて来るのかも知れませんね。

投稿: SeaMount | 2007.09.15 21:34

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