キルクークを併合してクルディスタンが独立するまであと二歩くらい
不安を煽るようなエントリもどうかと思うが、これは刻々とやばい道に進み出していると思えるので今の時点で簡単にエントリを起こしておこう。イラク問題だが、朝日新聞のように大義だけを他人事のように暢気に論じて済ませるわけにはいかない難問、つまり、クルド問題だ。
例によって日本では報道されているのかよくわからないし、事態はそれほど問題でもないという判断なのか、このニュースをブロックする要素でもあるのか。話は、イラク北部キルクーク域内のアラブ人が補償金を得て帰還するということ。なぜそれがやばいのかは順を追って説明するが、まず事実から。27日付AFP”Thousands of Iraqi Arabs paid to leave Kirkuk”(参照)より。
Thousands of Iraqi Arabs have accepted financial compensation to leave the northern city of Kirkuk, which leaders of the autonomous Kurdish region are seeking to control, a minister said Thursday.
(クルド自治区の指導者が統治を求めている北部都市キルクークだが、そこから数千人のイラク・アラブ人が退去するための財政的な補償を受け取った、と大臣が語った。)
またロイターでは”Iraqi Arab families ready to leave Kirkuk-minister”(参照)がある。
すでに述べたように、この補償によるアラブ人の追い出しはすでに決まっていたいことだった。冗談抜きで4月1日読売新聞記事”イラク首相、キルクーク入植アラブ人の退去に補償金 クルド人帰還へ新政策”より。
イラクの旧フセイン政権が北部の産油拠点キルクークからクルド人を強制退去させ、イスラム教シーア派などアラブ人を入植させた「アラブ化政策」をめぐり、マリキ首相(シーア派)は、アラブ人入植者の帰郷とクルド人避難民の帰還を促す新政策を実施することを決めた。
しかし4月の時点では記事の話ははこう続いていたものだった。
ただ、帰郷は入植者の自主判断に任されていることから実効性に乏しいとみられ、クルド人勢力は反発しており、シーア派とクルド人勢力が中枢を占めるマリキ政権の分裂要因にもなりかねない。
だが、その実効性が濃くなってきた。
補足がてらにこの背景だが、アラブ人のキルクーク入植はフセインよってなされたものだった。
キルクークはタミム県の県都で、アルビル、スレイマニヤ、ドホークの北部3県を領域とするクルド自治区の外に位置する。キルクークでは、1960年代に発足した旧バース党政権が石油利権確保とクルド民族運動封殺の狙いから、クルド人約30万人を強制退去。代わりにイラク南部からシーア派信徒を中心にアラブ人約20万人が入植した。現在もアラブ人入植者の多くが居住し、クルド人約10万人が依然、自治区内を中心に避難生活を続けている。
このクルド人への弾圧では、「極東ブログ: イラク・フセイン元大統領死刑判決について大手紙社説への違和感」(参照)で触れたが「アンファル作戦」も特記されるべきだろう。
この4月時点の読売新聞記事では触れていないが、フセインは同時にこの地の国営石油会社の要員をアラブ人に差し替え、事実上石油利権をフセイン下に直轄にしようとした。
キルクーク自体は、現状、「クルド自治区の外に」あるのだが、ここから、アラブ人を追い出し、クルド人を帰還させるということは、この石油利権を含めて、クルド自治区が事実上独立することを意味する。
このクルドの動向への反発が、2007 Kirkuk bombings(参照)つまり、今年7月の大規模テロの背景となる。ウィキペディアの日本版には記載がないので、7月17日読売新聞記事”連続車爆弾86人死亡 クルド人標的/イラク北部”より。
ロイター通信によると、イラク北部の産油都市キルクークで16日、爆発物を仕掛けたトラックが爆発、近くにいた市民ら少なくとも85人が死亡、約180人が負傷した。
爆発は市内のクルド人主要政党「クルド愛国同盟」(PUK)事務所の防護壁付近で起き、周囲の建物や多数の車両が大破。運行中のバスが炎上し、乗客らも犠牲となった。倒壊した建物内に取り残されている市民もいるとみられ、死傷者はさらに増える恐れがある。
話を先の甘い見通しだった4月の記事に戻す。
05年10月承認のイラク憲法で、避難民の帰還権と自治区編入をめぐる住民投票の今年中の実施を盛り込むことに成功した。だが、住民投票実施は、アラブ人入植者退去という「正常化」が前提と憲法に定められている。実際に退去が進まなければ、自治区編入に道を開く住民投票の実現が、一層不透明になるのは確実だ。
つまりこれが「正常化」に動き出したので、いよいよクルドの独立が秒読みとまではいかないせよ、着実に進み始めた。
なにをもたらすのか。7月の内藤正典-中東・西欧マンスリー”トルコ総選挙とイラク情勢~中東情勢激変へのターニングポイントか?”(参照)が示唆深い。話は7月時点のトルコによるPKK(クルド労働者党)掃討だった。幸いこの時点の危機はとりあえず回避されたのだが、危機のシナリオはむしろ、クルド側の問題深化による新しい展開がありえるかもしれない。
(前略)トルコ軍のテロリスト掃討作戦には、北イラク深部への侵攻が視野に入っていることになる。想定しうる一つのターゲットはキルクークである。ここでは、12月にも住民投票で、帰属をクルド地域とするのか、アラブ・スンニー派地域とするのかをめぐる住民投票が実施される予定である。
その結果、多数を占めるクルド人の票によって、キルクークがクルド領側に帰属することになると、同地域のトルクメン系住民(トルコ側はシンパシーを示している)の存在を無視したものとなりトルコ国内に反発が強まる。また、クルド地域が、南のスンニー派・シーア派地域とのあいだに実施的に国境線を引いてしまうことになるので、これは、イラクを統一国家として維持するという周辺国との合意を破ることになる。
クルド自治区が独立色を強め、キルクークまでをクルド領とすれば、イラク再建は悪夢となる。最後まで安定していたクルド地域に対して、スンニー派過激勢力の攻撃が強化され、テロのターゲットはこれまでのシーア派からクルドに向かう。同時に、クルドの独立は、シーア派および隣国イランも容認しない。イランは、国境線変更を断固として拒否する姿勢を崩していない。
そしてトルコ軍は、このタイミングになると、本格的な軍事作戦を展開し、キルクークの制圧を含めた作戦行動にでる可能性が高まる。
当然、米国はこの問題を視野においている。
ソースを見つけるのが手間なので記憶によるが、民主党のオバマ大統領候補が米軍のイラク撤退をぶちあげたとき、同候補ヒラリーは用心深く北部クルドでの駐留が必要になるかもしれないと言及していた。
楽観的に言えば、キルクークのアラブ人が補償金による撤去で合意したということは、アラブ・スンニーの対立を弱める兆候かもしれない。しかし、いずれにせよ、クルドが独立の声を上げるのは来年を待たない可能性がある。
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