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2007.09.30

キルクークを併合してクルディスタンが独立するまであと二歩くらい

 不安を煽るようなエントリもどうかと思うが、これは刻々とやばい道に進み出していると思えるので今の時点で簡単にエントリを起こしておこう。イラク問題だが、朝日新聞のように大義だけを他人事のように暢気に論じて済ませるわけにはいかない難問、つまり、クルド問題だ。
 例によって日本では報道されているのかよくわからないし、事態はそれほど問題でもないという判断なのか、このニュースをブロックする要素でもあるのか。話は、イラク北部キルクーク域内のアラブ人が補償金を得て帰還するということ。なぜそれがやばいのかは順を追って説明するが、まず事実から。27日付AFP”Thousands of Iraqi Arabs paid to leave Kirkuk”(参照)より。


Thousands of Iraqi Arabs have accepted financial compensation to leave the northern city of Kirkuk, which leaders of the autonomous Kurdish region are seeking to control, a minister said Thursday.
(クルド自治区の指導者が統治を求めている北部都市キルクークだが、そこから数千人のイラク・アラブ人が退去するための財政的な補償を受け取った、と大臣が語った。)

 またロイターでは”Iraqi Arab families ready to leave Kirkuk-minister”(参照)がある。
 すでに述べたように、この補償によるアラブ人の追い出しはすでに決まっていたいことだった。冗談抜きで4月1日読売新聞記事”イラク首相、キルクーク入植アラブ人の退去に補償金 クルド人帰還へ新政策”より。

イラクの旧フセイン政権が北部の産油拠点キルクークからクルド人を強制退去させ、イスラム教シーア派などアラブ人を入植させた「アラブ化政策」をめぐり、マリキ首相(シーア派)は、アラブ人入植者の帰郷とクルド人避難民の帰還を促す新政策を実施することを決めた。

 しかし4月の時点では記事の話ははこう続いていたものだった。

ただ、帰郷は入植者の自主判断に任されていることから実効性に乏しいとみられ、クルド人勢力は反発しており、シーア派とクルド人勢力が中枢を占めるマリキ政権の分裂要因にもなりかねない。

 だが、その実効性が濃くなってきた。
 補足がてらにこの背景だが、アラブ人のキルクーク入植はフセインよってなされたものだった。

 キルクークはタミム県の県都で、アルビル、スレイマニヤ、ドホークの北部3県を領域とするクルド自治区の外に位置する。キルクークでは、1960年代に発足した旧バース党政権が石油利権確保とクルド民族運動封殺の狙いから、クルド人約30万人を強制退去。代わりにイラク南部からシーア派信徒を中心にアラブ人約20万人が入植した。現在もアラブ人入植者の多くが居住し、クルド人約10万人が依然、自治区内を中心に避難生活を続けている。

 このクルド人への弾圧では、「極東ブログ: イラク・フセイン元大統領死刑判決について大手紙社説への違和感」(参照)で触れたが「アンファル作戦」も特記されるべきだろう。
 この4月時点の読売新聞記事では触れていないが、フセインは同時にこの地の国営石油会社の要員をアラブ人に差し替え、事実上石油利権をフセイン下に直轄にしようとした。
 キルクーク自体は、現状、「クルド自治区の外に」あるのだが、ここから、アラブ人を追い出し、クルド人を帰還させるということは、この石油利権を含めて、クルド自治区が事実上独立することを意味する。
 このクルドの動向への反発が、2007 Kirkuk bombings(参照)つまり、今年7月の大規模テロの背景となる。ウィキペディアの日本版には記載がないので、7月17日読売新聞記事”連続車爆弾86人死亡 クルド人標的/イラク北部”より。

 ロイター通信によると、イラク北部の産油都市キルクークで16日、爆発物を仕掛けたトラックが爆発、近くにいた市民ら少なくとも85人が死亡、約180人が負傷した。
 爆発は市内のクルド人主要政党「クルド愛国同盟」(PUK)事務所の防護壁付近で起き、周囲の建物や多数の車両が大破。運行中のバスが炎上し、乗客らも犠牲となった。倒壊した建物内に取り残されている市民もいるとみられ、死傷者はさらに増える恐れがある。

 話を先の甘い見通しだった4月の記事に戻す。

 05年10月承認のイラク憲法で、避難民の帰還権と自治区編入をめぐる住民投票の今年中の実施を盛り込むことに成功した。だが、住民投票実施は、アラブ人入植者退去という「正常化」が前提と憲法に定められている。実際に退去が進まなければ、自治区編入に道を開く住民投票の実現が、一層不透明になるのは確実だ。

 つまりこれが「正常化」に動き出したので、いよいよクルドの独立が秒読みとまではいかないせよ、着実に進み始めた。
 なにをもたらすのか。7月の内藤正典-中東・西欧マンスリー”トルコ総選挙とイラク情勢~中東情勢激変へのターニングポイントか?”(参照)が示唆深い。話は7月時点のトルコによるPKK(クルド労働者党)掃討だった。幸いこの時点の危機はとりあえず回避されたのだが、危機のシナリオはむしろ、クルド側の問題深化による新しい展開がありえるかもしれない。

 (前略)トルコ軍のテロリスト掃討作戦には、北イラク深部への侵攻が視野に入っていることになる。想定しうる一つのターゲットはキルクークである。ここでは、12月にも住民投票で、帰属をクルド地域とするのか、アラブ・スンニー派地域とするのかをめぐる住民投票が実施される予定である。
 その結果、多数を占めるクルド人の票によって、キルクークがクルド領側に帰属することになると、同地域のトルクメン系住民(トルコ側はシンパシーを示している)の存在を無視したものとなりトルコ国内に反発が強まる。また、クルド地域が、南のスンニー派・シーア派地域とのあいだに実施的に国境線を引いてしまうことになるので、これは、イラクを統一国家として維持するという周辺国との合意を破ることになる。
 クルド自治区が独立色を強め、キルクークまでをクルド領とすれば、イラク再建は悪夢となる。最後まで安定していたクルド地域に対して、スンニー派過激勢力の攻撃が強化され、テロのターゲットはこれまでのシーア派からクルドに向かう。同時に、クルドの独立は、シーア派および隣国イランも容認しない。イランは、国境線変更を断固として拒否する姿勢を崩していない。
 そしてトルコ軍は、このタイミングになると、本格的な軍事作戦を展開し、キルクークの制圧を含めた作戦行動にでる可能性が高まる。

 当然、米国はこの問題を視野においている。
 ソースを見つけるのが手間なので記憶によるが、民主党のオバマ大統領候補が米軍のイラク撤退をぶちあげたとき、同候補ヒラリーは用心深く北部クルドでの駐留が必要になるかもしれないと言及していた。
 楽観的に言えば、キルクークのアラブ人が補償金による撤去で合意したということは、アラブ・スンニーの対立を弱める兆候かもしれない。しかし、いずれにせよ、クルドが独立の声を上げるのは来年を待たない可能性がある。

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2007.09.29

ミャンマー暴動メモ

 ミャンマー情勢は率直なところまるでわからない。なので、この件についてはノイズのようなものをブログで流すのはよくないのではないかとも思っていたが、これだけの騒ぎになるのだから、時代のログとして少しメモを残しておきたい。
 まずミャンマーの政治状況についてなのだが、このブログでは3年前こ「極東ブログ: ミャンマーの政変、複雑な印象とちょっと気になること」(参照)で触れたことがある。この構図が今回の情勢の背景にもつながっているだろう(つまり軍内部の問題があるだろう)と思われるのだが、そうした背景まで含めた報道は、今回の騒ぎを報道するメディアではあまり見当たらないように思える。
 全体構図からこの騒動を見て、誰が利して誰が困惑するかとだけ問えば、英国が利して、中国が困惑するとなるだろう。つまり大筋としてこれは中国潰しということだろうか。困惑の度合いは、毎日新聞記事「ミャンマー:中国、対応に苦慮 資源確保か国際世論か」(参照)あたりが概要を伝えている。


 中国は、ミャンマー西部から中部マンダレー経由で中国雲南省を結ぶ全長1500キロのパイプライン計画をスタートさせた。現在、輸入石油の8割をマラッカ海峡の海運に頼っている中国にとって、パイプラインは有事の封鎖が懸念される海峡を迂回(うかい)する安全弁だ。

 ちなみにこの懸念される有事封鎖が何を意味するかについては、このエントリでは特に言及しないことにする。そりゃもう。
 中国は現在、胡錦濤革命の詰め(中国共産党規約改正)を行う10月15日開幕第17回党大会を前にしているので、いろいろざわつきがあるのは当然だが、こういう内政の状況は日本側のシンパにもいろいろシグナルを送るのが慣例なので、そのあたりの線をちらほら読んでみると、ミャンマー軍政を抑えろという話が出ている。これまでのミャンマーと中国の関係からすれば、中国はミャンマー軍政に武器供与も行っているくらいなのだから、そのシグナルは少し不思議にも思える。ミャンマー軍内部の亀裂に対応しているのだろうか。などと、考えるとどうにも陰謀論臭い。
 ついでなんで、他の国のシフトで見ていくとASEANは総じて困惑しているが、インドは奇妙な沈黙をしている。在インドのダライラマは仏教徒ということでミャンマーの僧侶を明確に支持しているのだが、仏教徒の多いはずの日本の仏教徒は沈黙しているっぽい。英国が利するという線から考えるとインドもなんかありそうな感じはする(スーチーもインドと英国に縁が深い)。しかし、こうした憶測は現時点では、いずれもはっきりと見えてこない。
 報道面から見た今回のミャンマーの騒動だが、日本を含め西側報道でも、軍政対民主化、という構図を描いている。が、その先兵が僧侶というのが、今一つ腑に落ちない。僧侶は保守的であまり政治に関わらないものだからだ。しかし、仏の顔も三度までというか、堪忍袋の尾が切れて、民衆の困窮に怒りを発し、民主化のために立ち上がった、ということなのだろうか。
 そのあたりのミャンマー仏教徒の心情が知りたくネットを眺めていると、ミャンマー関連ニュースというサイトに「全ビルマ僧侶連盟連合声明(4/2007号 2007年9月21日付)」(参照)という文書を見つけた。表題通り「ビルマ語国際放送などを通じて発表された、全ビルマ僧侶連盟連合の9月21日付の声明」ということなのだが、それが本当なら、現地状況を伝える一級資料になるはずだ。

全ビルマ僧侶連盟連合
                     4/2007号声明
                     2007年9月21日
         国民への勧奨

 ミャンマー・パコック市の僧侶らを縄で縛り拘束し虐待したことをきっかけに、ミャンマー国内外の僧侶らは、不受布施の抗議を行ない、非暴力と慈愛の精神から、宗教的自由の問題と国民の生活・健康などあらゆる面で困窮している問題をSPDC軍事政権が平和的に解決することを求め、祈りながら行進している。
 国民が直面し苦しんでいる困窮を早急に解決できる道である、自由で正義を備えた真の民主主義体制を要求するため、学生、市民、労働者、農民、公務員、会社員、国軍兵士、武装組織を含むすべての国民が、参加し行動することが重要な時を迎えており、きたる2007年9月24日(月)午後1時から、僧侶とともに、モラルを持って非暴力的方法で、自身の権利を自ら要求することを勧奨する。

             全ビルマ僧侶連盟連合


 民主化への要望は強く出ているが、それよりミャンマー・パコック市の僧侶ら虐待への抗議が先行していると読める。
 だが、報道から見ていると、石油価格の高騰を受けて8月に始まったとのことだった。そのあたりの関係はわかりづらい。
 アムネスティ「ビルマ(ミャンマー):【緊急行動】拷問または虐待の恐れ/健康への懸念 」(参照)では、このいきさつをこう記している。たぶんこれが正しいのだろう。

背景情報
平和的なデモは、石油価格の高騰を受けて8月に始まった。デモの規模や参加者は急激に拡大した。パコックの町で僧侶が治安部隊により傷つけられたという報道を受けて抗議行動を指導しはじめた僧侶たちは、生活必需品の値下げ、政治囚の解放、深刻な政治的対立を解決するための国民融和のプロセスを求めている。

 最初に石油高騰のデモがあり、続いて僧侶虐待があり、そして僧侶が立ち上がりという連鎖から今回の事態になったようだ。
 その線で報道を見直すと、8日付産経新聞記事「ミャンマー 僧侶も“決起”デモ拡大 物価高騰、市民困窮」(参照)がよく整理されているようだ。

 8月19日に最初のデモ行進がヤンゴン市内で行われたときは、その規模は比較的小さかった。民主化運動指導者、アウン・サン・スー・チーさん率いる国民民主連盟(NLD)の主導で行われ、主婦も参加し、数十人が連日市内を練り歩いた。いずれもプラカードを掲げることもなければ、シュプレヒコールもない、時折手をたたく程度の静かなデモ行進だった。
 しかし、中部マグェ管区のパコックで5日に発生したデモは違った。現地からの情報によれば、治安部隊は僧侶300人が参加したデモを阻止しようとして威嚇のため発砲。乱闘騒ぎの末、3人の僧侶を拘束した。しかし、暴行を受けた僧侶側も、治安当局者ら13人を軟禁するなどして反発を強めた。6日に治安当局側が謝罪し、双方とも拘束者を解放したが、緊迫した事態が依然、続いている。


 ミャンマーの外交筋によると、保守的な僧侶がこれだけ大規模デモを組織した例は過去になく、1988年8月、ネ・ウィン体制に反発したゼネスト参加以来のことだという。同外交筋は「僧侶の参加はヤンゴンで数十人程度だった。元来、僧侶は自制心も強く、政府に反発しても行動には出さない。今回は市民が困窮する姿を見て平和理にデモを進めたのに、仲間を拘束され、僧侶側は反発というより“決戦”に近い感情を持った」と指摘する。

 僧侶への虐待がいつもの小競り合いに火を付けたということのようだし、今回の騒動のカギはこの5日のパコック市の状況にありそうだ。
 ついでに気になる関連の話。
 まったく関係がないと言えばそうなのかもしれないのだが、8月14日にミャンマーと北朝鮮は平壌で協力合意書を締結している。8月14日聯合ニュース「北朝鮮とミャンマー、外務省が協力合意書締結」(参照)より。

北朝鮮とミャンマーの外務省が14日に平壌で協力合意書を締結したと、北朝鮮の朝鮮中央通信が伝えた。両国の外務省次官が署名したとだけ伝え、具体的な内容は明らかにしていない。

 北朝鮮とミャンマーの関係は、83年の「ラングーン事件」(参照)による断交に遡る。ネットを見ると4月11日付け中央日報「北朝鮮・ミャンマー、約23年ぶりに国交回復へ」(参照)が詳しい。

外交筋は「地球上で最も閉鎖的な国家とされる両国の国交回復は、兵器・食糧・天然ガスなど資源の貿易を進めるためのもの」と分析。国交回復が実現する場合、ミャンマーは北朝鮮との軍事交流が可能になり、北朝鮮は慢性的な食糧難を解消し、ミャンマーの豊かな海洋資源を利用できる、と期待しているとのこと。

 今回の騒動でミャンマーの民主化が進めば。このあたりの関係も変わってくるのかもしれない。
 もう一点、28日付でこんなニュースが出てきた。国内的には今日付毎日新聞記事「ミャンマー:少数民族の村消される 米衛星写真」(参照)が伝えている。

全米科学振興協会(本部ワシントン)の科学・人権プログラムは28日、ミャンマー軍事政権による少数民族カレン族の迫害の様子を衛星写真で追った報告書を公表した。00年から今年にかけて撮影された商業衛星写真を比較し、同国東部のタイ国境に近いカイン(カレン)州で、一般住民の家々と見られる構造物が完全に破壊されたり、ミャンマー国軍の基地が拡大されている様子などを明らかにした。

 今回の騒動とカレン族の動向もわからないところだ。newsclip.be25日付タイ発ニュース速報「ミャンマー軍政、主要2都市に外出禁止令」(参照)よると、むしろ軍政はそれどころではないといったふうでもある。

ミャンマー軍事政権は25日夜、最大の都市であるヤンゴンと第2の都市マンダレーで午後9時―午前5時の外出禁止令を発令し、両市を軍司令官の管理下に置いた。また、東部国境で少数民族、カレン族の反軍政組織と対じしていた部隊などを撤退させ、ヤンゴンに送り込んだもようだ。タイ字紙クルンテープトゥラキット(電子版)が25日、報じた。

 同サイトには、23日付で「タビクリ 忘れられた戦争」(参照)という興味深い記事があり、こう締められている。

 今回の旅で、終わることのない戦争に、少し変化が見えたという。タイ政府がカレン族など少数民族との接触を頻繁にし始めたというのだ。軍司令官当時にカレン族に同情的だったというスラユット・タイ首相のせいか、それともミャンマー情勢に何かが起きつつあるのか。

 まあ、何か起きつつあるのかもしれない。

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2007.09.27

吉本隆明の自立の思想の今

 吉本隆明のファンなら、あるいはかつてのファンでもそうだが、「自立の思想的拠点」(参照)を読んだことがあるだろう。全著作集の政治思想評論集にも含まれている。ここでの「自立」とは、昭和40年に「展望」に書かれたという時代背景を考えても、以下の冒頭を見ても、従来型の左翼思想からの自立を意味していたかに見える。


 わたしたちはいま、たくさんの思想的な死語にかこまれて生きている。
 〈プロレタリアート〉とか〈階級〉とかいう言葉は、すでにあまりつかわれなくなった。代りに〈社会主義体制と資本主義体制の平和的共存〉とか〈核戦争反対〉とかいう言葉が流布されている。言葉が失われてゆく痛覚もなしにたどってゆくこの推移は、思想の風流化として古くからわが国の思想的伝統につきまとっている。けっして新しい事態などというものではない。当人たちもそれをよく知っていて、階級闘争と平和共存の課題の矛盾と同一性を発見するのだというような論理のつじつまあわせに打ちこんでいる。しかし、思想の言葉は論理のくみたてでは蘇生できるものではない。いま失われてゆくものは、根深い現実的な根拠をもっているのだ。

 実際にその先を読み進めると、根幹にある問題はある種のナショナリズムと見てもよい。ナショナリズムと左翼思想のその双方からの自立というふうに捉えることもできるかもしれない。だが、もっと現実に即していえば、60年代・70年安保として語られた社会理想が、現実のなかで必然的に挫折していくとき、思索者はどのように思想的に立つのかという、差し迫った問題でもあった。別の言い方をすれば、およそ物を考えざるを得ない人間が現実にどのように対峙可能なのかということで、むしろそうした人生論的な部分に問題を還元すれば、吉本の別の言葉である「不可避の一本道」というのが、まさに人生のリアリティとなったものだった。こう生きる以外はなく、かろうじてぎりぎりでしか生きられないよ、と。
 簡単に言えば、こう生きるしか自分の現実はないというときの思惟の立脚点は自立と呼ぶしかないだろうという、ある種の追い詰められた感じを伴っていた。いや、私にはそういうふうに受け止められた。
 だが、「極東ブログ: [書評]よせやぃ。(吉本隆明)」(参照)で触れた対談集では、吉本はもっとくっきりと現在における自立というものを語っている。率直に言って、私は、半分はそのまま頷き、半分は少し驚いた。
 そのまま頷くというのは、人間力についてで、たとえば、こういう部分だ。インタビューをする塾経営者に対して吉本は、塾のありかたはどうするかという文脈で、比喩的にこう答えている。

塾なら塾で一つの連合体だと思って、どこかから資金が出るようなものをちゃんとつくるというやり方をしたら終わり……。少数派になっても、たとえば破れかぶれになってきても、アルバイトでも何でもいいから食いつないで、ちょっと我慢してほしい。

 ひどい言い方をすれば、政治党派を作らず、一人でアルバイトでも食いつなぐのが、今の状況における自立の思想の姿だよとも言える。これは、皮肉でもなんでもない。
 そして、我慢してくれ、という裏付けを彼はこう続ける。

僕の考えでは潰れるまでお宅の塾へ来る人が減ってしまうことは、まずないと思う。つまり、あなたのお人柄から見ても生徒さんがゼロになってしまうことはまずないから。

 さらに「あなたの塾の生徒が一人になってしまったというところまで守ったほうがいいですよ、それを守らなければ何をやっても同じです」とも言う。
 ちょっとすると奇妙な、老人にありがちな道徳訓を語っているかのようだが、これもべたに言えば、人柄さえあれば食いつなぐことができる、それを信じて、そこでその人柄で耐えてくれ、ということだ。人柄にそれほどの意味を持たせるているのは、この対談で吉本が強調する、まさに「人間力」に関係してくるからだ。吉本の言う人間力というのは概ね人柄と言っていいだろう。
 ただ、単純によい人柄という徳目のようなものではない。この点については、教育はどうあるべきかという文脈でこう語られる。

 僕が言いたいのは、原則は、あなたの塾の生徒さんの母親から何か相談を持ち掛けられたときにそれに対応できるということ。たとえば、ご当人が親とけんかして「家出したんだけど、行くところがないからぜひ先生のところへ泊まらせてくれ」と言ったら、「ああいいよ」と言って泊まらせてやるとか……。

 私の昨今の世相の観察からすると、そういう教育者はほとんどいないか、本当はいても見えないことになっているか。でも、見えなくてもまったくいないわけではなく、そこで本当に若い人が蘇っているのだろうと思う。
 いずれにせよ、吉本の自立はここで、一種、人柄・人情に近い人間力という極点を持つ。
 もう一つの極点は、構想力だ。こちらは、私には驚きと違和感があった。こちらも教育という枠組みで比喩的に語られる。吉本は「あなたが文科大臣になったらどうするか」ということを意識しておけとしているのだ。

 昔はデモも有効だったけど、そんなものがいま役に立つわけはないんです。時代の転換期で、そういうものが通用しにくくなってきている時代なんです。だけどあなたのような頑張り方で、ただ追い詰められているだけじゃなくて、追い詰められた分だけ俺が文科大臣になったらどうするかという、大筋だけは相当はっきりと確立しておこうと、積極的にちゃんと考える。そういう構想を持っている人が増えると、ひとりでに社会は変わっていくわけです。


 日常的には臨床的な専門の仕事をやっていればいい。その中間はいらない。追いつめられるだけじゃなくて積極性ですね。塾連合会みたいなものをつくっている連中が勢力を拡大して、補助金が募れるようになったといい気になるけど、そんなのは嘘ですから、そんなものは何の意味ないし、それより、俺が責任者になったらこうするというのを持てる人たちが少しでも多くなってくれば確実に日本は変わる。

 国家のような上からのビジョンを、もっとも下の大衆の側から描くというのが構想力として語られていると言っていいだろう。
 私は、率直に言うと、そういう構想力には違和感を持つし、吉本の思想はそんなものだったのかと訝しく思う点もある。この点については、ちょっと驚くなというのとわからないなというのがある。
 私は、そもそも教育に国家が関わるべきではないと思うし、国家の運営とは、ドブさらいと夜回りをしていればそれでいいと考えている。そうした国家観が、どうやら吉本とは違うようだなとも思う。
 そして、私は吉本より、日本と世界の行く末をとても悲観的に見ている。ネットの未来についても悲観的に見ている。どんどんダメになっていくだろうと思う。
 私ができることは、二つ、どんな悲惨になっても正確に見ていたい。正気でいたい、ということ。もう一つは、希望にかける人がいるならそれをできるだけ否定しないようにしようということ。
 私には悲観的な未来があっても、その暗い未来は私が死んでいく棺のサイズでよいのであって、多くの他者の地球ではない。私が悲観と絶望に浸っているのは私の趣味のようなものであって、私のものではない世界を暗く塗ることはどこかしら傲慢に思える。

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2007.09.26

死は別物ということ

 死についてはいろいろ考え続け、そして率直に言って自分にはほとんど結論も信念もないのだが、死の恐怖が時折無意識からこみ上げてくることがあるせいか、折に触れて考え続けている。
 いくつか問題の下位の構図のようなものはあり、例えば「棺の蓋を閉じて評価が定まる」というのはどうなのだろうか。つまり死という終点が人生の意味を表現するのかということだ。もちろん私のように無名で無意味な人間にとっては、身近な人間以外に私の棺の蓋を閉じる意味もないだろうというのは当然としても。
 死のことを書き出したのは、先日のエントリ「極東ブログ: [書評]よせやぃ。(吉本隆明)」(参照)の関連だ。私はけっこう吉本隆明の本を読んできた部類に入るし、彼のアングル以外からも親鸞についてもいろいろな側面で関心を寄せてきた。吉本の親鸞論はある程度理解したという感じももっていた。が、次の発言に触れたとき、虚を突かれた感じはした。


「人間はいつ、誰が、どんなことで、どういうふうに死ぬかは全然わからない。わからないことを考えるのは無駄なことだ」というのが親鸞のはっきりした考え方ですね。もっと言えば「そんなことは問題にもならない。日本の浄土教でも源信とか法然の言い方はだめなんだ。死だけは別問題で、自分のものではないと考えたほうがいい。老人で病気になったというところまでは自分のものだけど、あとは自分のものではないという考えのほうがいいんだ」というのが親鸞の考え方です。

 言われてみると、ああ、そうだ、そんな簡単なことなんだと目から鱗が落ちる感じがした。むしろどうしてそこがすっきりと自分に理解できなかったのか、逆に反省した。救済へのこだわりのようなものが自分にあるからだろう。
 親鸞の思想に救済があるのか。私の理解では、それはない。だが、それでもどこかに死と救済の構図を読み込んでしまうからすっきりと理解できなかったのだろう。吉本のこの親鸞理解では、むしろその構図自体の無効性がはっきりと言明されている。
 私はときおり自分の死に様を思うのだが、そのなかでもとりわけ嫌なのは、脳をやられて死ぬことだ。知覚や認識に異常を来たしてしまう自分というのは恐怖でしかない。これは、「極東ブログ: [書評]私は誰になっていくの?―アルツハイマー病者からみた世界(クリスティーン ボーデン)」(参照)でも少し書いた。
 だが、死が別物なら、狂気に落ちていく私もどうすることもないという結論以外はなさそうだ。
 吉本は対談の別の部分でもこう変奏する。

年を取ったから死ぬというのじゃなくて、事故で死ぬことも、病気で死ぬこともある。だから死というのはいつ、誰が、どう死ぬか、そんなことはわからんのだと。親鸞はそれに気が付いて、そこまで認識を深めたわけです。
 死は別物だ。人間の生涯の中には入らない問題で、生きている限りは生きていて、やがては死に至るんだけど、死は人間の個々の人が関与する事柄では全然ない。どういう病気で、誰が、いつ死ぬかわからない。そんなことは考えてもしようがないから、考える必要もない。臨床的にもそうで、死は別系列だ。他人にあるか、近親の手にあるか、医者の手にあるか知らないけど、自分の手には入らない。

 そうだなと思う。どうも引用して納得してるだけなので、Tumblrにでも書けみたいなことになりそうだが。
 ただ、こうした親鸞=吉本の思想のなかで、自殺や尊厳死みたいなものはどうなのか、そこはやはりわからないといえばわからない。わからないというのは、自分の死については、それは別物だどうしようもないとしてもいいとしても、同じ共同体の中の人々が尊厳死を権利として主張するとしたらどうなのか。その人々と自分の関係はわからないなと思う。
 こうしたことを考えていくと、死刑などの問題にも関連してくることがわかる。私は、大阪教育大学付属小児童殺人事件で死刑になった詫間守が唯一のきっかけとはいうわけではないが、次第に死刑廃止論に傾いていった。理由は簡単で、自己の死を賭することで共同生への悪と交換可能にするようなありかたが疑問に思えてきたからだ。死ぬ気になったら人を殺していいという思想として現れる死刑を受け入れがたく思う。
 話がまとまらないが、そうした殺人のような悪にもまた親鸞の思想の射程にはある。その部分についてはこの対談集では吉本は語っていない。

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2007.09.24

[書評]よせやぃ。(吉本隆明)

 反省した。吉本隆明はもう耄碌してしまってほとんど終了かな、人間身体の限界だからしかたないでしょ、とも思っていたのだが、ぜんぜん違う。まあ読む人にもよるのだろうけど、この対談集に出てくる80歳過ぎた吉本の迫力は、私がむさぼるように吉本を読んでいた二十年前を思い出させた。この対談書はとにかく驚きだった。

cover
よせやぃ。
吉本隆明
 実際には、彼は自筆だと「極東ブログ: [書評]家族のゆくえ(吉本隆明)」(参照)のような優れた部分と限界も見える。これはざっくばらんに言ってもいいかと思うが、吉本隆明の対談書はほとんどがゴミだ。対談者の思い入れや編集者の思い入れが奇妙に自己露出的だったり倒錯的に自己禁欲的だったり、あるいは過剰に解説的だったりする。それでいてフーコーやボードリヤールとかだとまるで対談が成立しない。自筆の書籍になると、文章が彼も下手くそなんだろうと思うけど、普通に読んでいては何を言っているのか皆目わからない。と、悪口みたいだが、吉本のすごさはそうした言語による表出の奇妙なほつれの部分からある時閃光のように見え始めるものがあり、その世界に捕らわれ、もうちょっと言えば、呪縛されてしまうところにある。フォロワーはどこかの時点で吉本を超えようとしたり、吉本加担するには世間が恐くて世間側に日和ったり、そしてみな死屍累々になっていく。自分もそのクチかなとも思うし、自然に吉本から自分なりの卒業あれかしとも思ったものだが、この対談を読んで、ダメかまだまだ先か、とにかくとんでもない思索家というのがいるもんだとあらためて思った。
 対談書なのになぜ本書が優れているのか。悪口みたいだが、私より少し年上、それでいて団塊世代から少しずりおち、さらに大学中退でまともなアカデミズムを覗いたことのない対談者グループが、赤手空拳で吉本にぶつかっているのが良かった。若い人のような感情的なぶつかりではなく、とても真摯に素直に吉本にぶつかってしまい、しかも、それをきちんと受けているがゆえに、この対談書は恐ろしく深く編集されている。表題にもなった「よせやぃ。」の口調は対談のところどころに出現するのだが、そのちょっとした軽口の意味を編集者はきちんと了解している。これが糸井重里なんかだと、彼もその軽さを天才風に受け止めて軽く風流に流してしまって、結果ダメダメになる(吉本の、言葉による思想家が消えてしまう)のだが、この対談書はそうではない。もうちょっと言えば編集者たちは吉本を理解しようとして過剰に理解していない。キーワードの構想力も人間力も、解釈の文脈ではなく、吉本の語り口調のなかにそのまま残されている、がゆえに、それを読者は深く受け止めることができる。
 手間がないので以下、はっとしたあたりをメモ書きみたいにする。
 引用中「そういうことができたら」は、とりあえずどん詰まりの世の中に自立の発言をすると理解していただきたい(実際はもっと微妙)。

 意見を聞かれれば「僕は日本の情況と世界の情況のある部分は基本的にはわからないとは思っていないからなあ」ということがあるから、自分が思っていることはしゃべりますけど、自分としては自分の固有領域でそういうことができたらいいなと思っています。
 それはとても大きな課題で、そういうことが切迫して近づいているんじゃないかと思うんですね。日本の左翼は僕の知っている範囲で言うと、みんな夢をよもう一度と考えるんですが、僕は「そんなのは過ぎたことだよ。そんなことをやってもだめなんだよ」という感じを持ちますね。
 これはどこでもそうです。共産党から社民党みたいな進歩的な政党でもそうですし、公認政党じゃないけどラジカルだと称している政治組織の人たちもそう思っています。昔僕が書いたものを出版してもいいかと言うから、「それはいいですよ。書いたんだから責任は負いますよ」と言うけど、心のなかでは「よせやい。そういうことをやってはだめなんだよ」と思っています。

 ここでさらりと吉本は過去の情況論についてだが全否定をしてしまっている。いや全否定ではないともいえる。過去の言説はその文脈では生きているし、思想の営為としては過去をその文脈で評価するということもあるだろう。だが、吉本がここで言っていることは、過去の文脈での発言を今の文脈にひっぱり出してもアクチュアルな意味はないから、今の問題を解けよ、ということだ。別の言い方をすれば、かつての左翼理念はもう終わったということだ。吉本はまだ今を生きている。
 これを現在に近い情況の文脈で見直すと、私は本書で、吉本が以前読んだものよりはるかに小泉の郵政解散を支持していることを知った。これは私には驚きだった。私が、小泉の郵政解散を支持したとき、自分はもう吉本の圏内にはいないかもしれないな、稚拙かつ夜郎自大な言い方だけどブロガーというものがあるならここで旗幟を鮮明にするところだと思った。結果、ひどい反発を受けた。あのころ、この吉本の発言を知っていたら、私は吉本を傘にしてしまったかもしれない(そうしなくてよかったが)。

 小泉は政府系の官庁を少なくして、郵便局みたいなものは人員も整理して、民営で資本家に経営させるようにする。意図は政府を縮小する、小さくするということです。郵政問題は、ほかの政党の候補は重要ではないと言っているけど、そうじゃないんです。
 国家という言い方でおわかりいただけると思うんだけど、これは「政府が」と言っているのと同じことで、要するに国家が社会の中に、つまり民衆が日常生活を営んでいる場所に張り出してきているものとして最も大きくて、最も重要なのが郵政問題です。郵便局の問題だけじゃなくて、通信、交通機関を含めて、郵政問題は国家が社会の中に張り出してきているいちばん大きな存在なんですよ。
 小泉は正当なことを言っていると僕は思っていますけど、これを民営化するかしないかは、要するに政府を小さくするか大きくするかということで、政府を小さくするのが根本であって、それは誰がどう考えてもいいことだというふうに言っていると思います。
 ほかにも社会福祉事務所とか、国家が社会に張り出してきているものはいろいろありますけど、たとえば郵便局はその中では誰が言っても愛想よく切手を売ってくれるし、金は取るけど郵便を出してくれるし、ときどき記念切手なんか出したりして、ある種の儲けもやっていて、郵政問題の中で郵便局はよくやっているじゃないかという評価も、もちろん成り立つわけです。
 そこで評価するなら、「なんで民営化するんだ。いまのままでいいじゃないか」というのが正論だいうことになる。だけど、政府を小さくするというのは、あらゆることににいいんですね。つまり誰が政権を取ろうと、どこの政党が政権を取ろうと、政府は小さくしておかなければいけないし、だんだん小さくなるのが本来的なもので、共産党だって小さくなるに反対する理由はないんです。原理原則として、理念としては、誰が考えてもいちばん妥当性があって、未来性がある問題なんですよ。だから理念から言えば「何も反対することはないんじゃないか」ということになる。つまり小泉は、そこのところだけで今度の選挙で勝負しようとしているわけです。


 政治的な問題について言えば、小泉が今度の選挙でやったこところが精一杯で、それでいいんじゃないかと思います。

 そんなことをあのとき吉本隆明は思っていたのか。知らなかったなという感慨があるし、よくこんなことを今でも言っているなとも思う。私はむしろ、あの時のバッシングでブログに少し懲りた。自由なブログとか言ってもあまりはっきり言わないほうがいいことは多いし、わかる人にはわかるようにテーマによっては韜晦に書くことにした。
 本書の対談で、発言するということに関連してか、これも意外に思えた。

 会社に行ってもそうだし、地域に行ってもそうだし、僕みたいにただ書いて、しかも文学で役にも立たないような、つまり有効性はちっともないという物書きでも肌で感じて、それを論理づけるというか、理屈づけるものは立てられるわけですね。それは機会があればいつでもおしゃべりすることはできますし、遠慮も何もない。ただ言論というのは憲法で保障されている自由なんだけど、日本のジャーナリズムは自由じゃなくてもう締め付けがすごいですね。僕がまともなことを言っても採用しないで、四国八十八ヵ所巡りの案内人になったみたいなものなら許すわけです。
 だけど大まともに僕に言わせたり、書かせたりするジャーナリズムはみんななくなったというのは、もう自明のことです。そういう状態だということは、すぐにわかってしまうんですね。おやおや、そういうことになったかと。

 この発言を最初読んだとき吉本もボケたなとちょっと思った。が、先の小泉による郵政問題の発言とか、ついぞあの頃吉本からメディアを通してダイレクトな発言を聞けなかったことや、左翼が昔の吉本の作品を復刻したがることなどを思いに入れると、ああ、吉本さん、ここでも正直に語っているんだなと思った。ちょっと泣きたくなった。
 憲法改正の自民党案を批判した文脈で、この問題をまたこうつなげている。

 だいたいそういうところまで行っているということで、僕自身の職業のことで言えば、言論の自由があるから、いくらでも何でも言ってあげるよと言ってもジャーナリズムはもうだめです。勝手に直してしまうし、朝日新聞やほかの大新聞はみんなそうなっています。
 僕は若いときなら「もうやめた」と言って、ただ「もう書いたんだから原稿料だけはくれ」という交渉をするところだけど、やはり年を取って少しだらしなくなったのか(笑)、寛容になったのか、そこまではやらないで、エーイ勝手にしろ、という感じです。あまりひどいときは「ボツにしちゃってくれ」とやりますが、このごろは「仕事はしたんだから金はくれ」とまでは言わないようになっています。

 なるほどね、そうかと思う。自分の周りのちょっとその関連の人の愚痴を聞いてもその実態はわかる。
 引用が長くなった。あと、親鸞と死のこと、自立のこと、私は、吉本隆明をかなり読み込んで理解していたかと思っていたのに、あれま全然わかってなかったということがいくつもあった。また別のエントリで書くかもしれないし、書かないかもしれない。

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2007.09.23

福田康夫自民党新総裁と言われてもな

 自民党新総裁に福田康夫元官房長官(71)が決まった。感想? それほどない。いいんじゃないのという感じはする。3年前のエントリになるが公僕を労うべく「極東ブログ: ご苦労様、福田康夫さん」(参照)を書いたが、嫌いな人ではない。が、別段麻生太郎幹事長(67)でもいいかなと思う。というか、自民党内部のことなんで国民には直接的には関係ない。しいて気になるといえば、大田弘子内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)はこれでアコージングリーお役ご免となるのだろうか。そこは残念だなという感じがする。
 で、話は終わりなんで、エントリにもならないが、なんとなくもうちょっと書いておくべきかなという感じもするので駄文を続ける。
 自民党内投票結果では、福田330票に対して麻生197票だった、とのこと。ざっくり見れば、3対2ということか。意外に麻生が強かったなというのと、それでもつまりは森派(清和政策研究会)の論理が強いわけか。とウィキペディアを見ると、「福田康夫」の項に面白いことが書いてある(参照)。


滞米経験などから英語が堪能で、初入閣までは主として外交関係のポストで地歩を築いた。閣僚経験が皆無であったにも関わらず、森内閣で官房長官に起用されたことに疑問の声も上がったが(当時の森派会長・小泉純一郎の推挙であるとも言われている)、無難に調整役をつとめた。

 小泉による推挙という情報がほんとかねとも思うが、そう考えると今回のドタバタでの小泉の動きがよくわかるし、それ以前に小泉純一郎(65)なんだが、65歳というのだから42年生まれ(プレスリー、イェー)。麻生太郎が40年生まれ。ちなみに誕生日は9月20日だったのか。そして福田康夫、36年生まれ、一番、爺じゃん、と強調するまでもない事実。小泉を見ていると白髪が目立ちに老境に入るみたいだけど、敬老国家路線で考えると、これで自民党、福田がダメでも、麻生、さらに小泉復活という路線も不可能ではないというか、その間、4年くらい時間を稼げば、自民党復活ということも可能かもしれない。いや、別に自民党に肩入れしているわけではなく、なかなか粘り腰のある政党だなと感心しているだけ。
 話はずっこけるが、この機会に福田康夫の過去の業績を追って見ていたら、今の政局関連でほぉというか、そうだったのかというか、ちと忘れていたよな、あれ、特措法成立時のドタバタという話をめっけた。01年の読売新聞記事”検証・テロ特措法案修正 党首会談決裂の舞台裏 公明、民主のはざまに首相沈黙”(2001.10.17)である。
 時は01年9月15日、場所は首相官邸。登場人物は、小泉純一郎自民党代表(当時)との鳩山由紀夫民主党代表(当時)の党首会談、というか、かなり密談に近いようなので記事は記者の推定が入るのだろう。文脈は、テロ特措法を民主党に呑ませるために自民側が「国会の事前承認」という修正を出すという、毎度ながらの阿吽の呼吸のはずだったらしい。が、そういかなかったというお話。

 「清水の舞台から飛び降りるつもりで、民主党ものめる案として与党三党で工夫したものなのでお願いします」「最後にもう一度お願いします」――約一時間十分の会談で小泉が言葉を発したのは、わずかにこの二回だけだった。
 「話が違うじゃないか」。鳩山に同席した民主党幹事長の菅直人は、激しい形相で小泉に食ってかかった。菅は、小泉が焦点の「国会の事前承認」に踏み込みそうだとの事前の情報をもとに、会談途中で小泉と鳩山が席を立って別室で二人きりで話し合い、劇的な決着を図るとのシナリオを描いていた。だが、肝心の小泉は沈黙するばかりで、鳩山と二人きりで話そうというそぶりは全くなかったのだ。

 これだけ読むといかにも小泉がやりそうな強行のようでもあるが、そうでもないらしい。記事によれば、小泉は韓国訪問後で疲労していたふうでもあり、また彼自身のイニシアティブはなかったようだ。

 幹事長会談で、官房副長官の安倍晋三が「一日、二日で審議するという担保があれば大丈夫だ」と事前承認も受け入れ可能との政府の考えを説明すると、公明党幹事長の冬柴鉄三や保守党幹事長の二階俊博は「政府がそんなことで良いとは何をかいわんやだ」と怒り出し、事前承認の線は完全につぶされていた。
 帰国した小泉に対し、安倍は「この案が与党の生命線だ」と報告し、交渉の手足が縛られていることを説明したが、小泉はうなずくしかなかった。

 安倍ちゃんも、どうもこの件では特に持論はなかったっぽい。

 与党内では妥協案として「事後承認」案が浮上したが、党首会談前日の十四日朝、都内で民放テレビ番組出演後、民主党政調会長の岡田と安倍が楽屋にとどまって談笑した際も、岡田は安倍から「首相は最終的には民主党案をのむ」との感触を得ていた。

 冬柴と二階のツッコミがなければ、まあ民主党に折れてもええんでないのだったのだろう。というのと、山崎も暗躍したようだ。なんつうメンツ。で、なぜ冬柴が、なのだが、「与党間の合意が民主党との協議でひっくり返されては、公明党の存在意義が失われる」というメンツだったとのこと。トレビアン。ただ、もともと時限立法にしたのは、公明党でもあるので、そのあたりは別の意味でトレビアンだったかもしれない。っていうか、それが今に尾を引く。ちなみに防衛庁(当時)は新法にしてくれよだった。
 がっくし鳩山だが、こっちのほうの論理も、どうもそれほど確たるものではなく、旧社会党系議員の融和だったようだ。ということで、このあたりの民主党内の構造は今もあまり変わってないのかもしれない。
 ところでこのエントリの主役福田康夫元官房長官はどういう役回りだったかというと、17日の午前の記者会見でいわく、「周辺事態というのはちょっと外れるのかなと思う」とな。ナイス。

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2007.09.22

[書評]『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する(亀山郁夫)

 「極東ブログ: [書評]カラマーゾフの兄弟(亀山郁夫訳)」(参照)で扱った新訳「カラマーゾフの兄弟」の訳者がその訳業に重ねて、満を持して発表した続編説であり、現在水準の研究成果も反映し、穏当とはいえないにせよ、さすがに否定しがたい圧倒的な想像力をもって書かれている。編集者の女性もものすごいお仕事をされたようだ。新訳カラマーゾフの兄弟の魅了された人にとっては必読書になるだろう。

cover
「カラマーゾフの兄弟」
続編を空想する
亀山郁夫
 ただ私は、亀山の想定はもっとも大きな線で間違っていると思った。ブログなので夜郎自大な話になるかと思うし、別の書評のようにあえて韜晦に表現しておくほうがいいのかもしれない、が、率直に書いておきたい。
 私の読みが間違っているということは大いにありうるというか、その留保は当然のこととして、なぜカラマーゾフの兄弟という小説が書かれたのか、この小説のテーマは何かということが、「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する(亀山郁夫)」に、反映していないとは言わないが、弱いように思えた。
 この小説のテーマは悪魔である。
 東洋人や西洋人にはロシア的な悪魔というものがわかりづらいかもしれない。その意味で、悪魔というものを、イワンが対峙したように、リーザが明確に見たように、確実に認識できる者なら、この小説のテーマはあまりに明白でもある。が、もちろん、現実の見える世界には悪魔などは存在しないのもまた明白であり、そのポリフォニックな仕掛けが小説ならではの面白さだ。
 現存するカラマーゾフの兄弟の前編において悪魔は微妙に破れたようにも見えるが、破れてはいない。続編は、いよいよ、悪魔が本来の決戦に取りかかるというのがテーマであり、そこから亀山も否定しきれないように皇帝暗殺という表面的なテーマが現れる。つまり、皇帝暗殺と悪魔の出現とはどのように関わるか、そこに、また亀山が縷説するように子どもたちが関わってくる。
 悪魔は何を望んでいるのか。悪魔の目的は、この世に王国を打ち立て王となることだ。それはキリストの誘惑を思い浮かべてもらえばわかりやすだろうし、残された前編の大審問官を想定しても理解しやすいだろう。悪魔の誘惑とは、救世主イエスをこの世の王とさせるように誘惑することだった。それが誘惑の意図であり、それこそが悪魔の本質なのだ。と、書いていて、どうも私のキチガイモード炸裂のようだが。
 カラマーゾフの兄弟は、幾重にも福音書のモチーフが埋め込まれているので、そのあたりをかなりトラウマになるくらい読み込まないと見えない部分もあるのだろうというか、それでいいか、という疑問もあるが、べたにいえば、アリョーシャ=キリストは十二使徒を引き連れてエルサレムならぬロシアの中心に行くのだが、使徒たちはこの世の王国=社会主義を夢想している(あるいはその社会主義に異端キリスト教が関わる可能性は高い)。そこで、彼らは皇帝を暗殺し、アリョーシャを王とし社会主義のユートピアを打ち立てようとする。が、イエス・キリストにこの世の王を託したのがユダであったように、ユダ=コーリャによって、アリョーシャは裏切られ、そしてイエスのように惨めにみすぼらしく死に至ることになる(その事が悪魔の敗北でもあり神の栄光でもある)、というのが、おそらく続編の最大のプロットだろう、と思う。アリョーシャの死がもたらす神の恩恵、それが一粒の麦であろうし、その落ちる先がロシアの大地である。
 私のこの推定は、亀山の「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」とそれほど外れてはいないだろう。もっとも、かなり違うといえば違うが、ディテールにおいて亀山と対立するのは、アリョーシャの必然的な死くらいだろう。
 大筋はそうなるとして、小説の豊かさはまたそれとは異なる。書かれなかった後編において、今回新訳を読み、そして亀山の考察を参考にしながら、ほぼ確信したのは、後半における悪魔の顕現の一人は疑いもなくリーザであり、もう一人はコーリャであろう。そしてリーザとアリョーシャの性的な問題はほぼ亀山の想像でよいと思う。おそらく、リーザとアリョーシャの性的な葛藤には、サムソンとデリラ的な要素や、雅歌のような官能的な祝祭のシーンが出てくるはずだったのではないか、というか、そのような小説がこの世に存在しえたなら!
 悪魔を打ち倒す神の勢力は、矛盾したアリョーシャの中に胚胎するとして(苦悩されたイエスのように)、あともう一人どうしても欠かせない神の力というか天使の力が必要になるとしか思えない。そのミッシングピースは誰だろうかと本書を読みながら考えた。亀山が暗示するようにニーノチカがそれに近いかもしれない。
 が私は、亀山の想定とは異なり、ドミートリーは後編においても重要な役割を持つのではないかと考えつつある。ゾシマがドミートリーの足下にひれ伏した、その神性の顕現は、前編において神の力によって父殺しを押し止めるという、ドミートリーに現れた恩恵に尽きるとは思えない。何か、もっとも神聖な力が、ドミートリーから現れ、それがアリョーシャの死を本当の神の栄光に導き、悪魔を打ち下すのではないだろうか。とすれば、グルーシェニカとの関わりはあるだろう。そこに前編のような強烈な女の物語が描かれるに違いない。
 書かれなかったカラマーゾフの兄弟の続編については、どう考えたとしても結局は存在しないのだから想定するだけ無意味のようにも思っていたが、亀山が指摘するように、現存するカラマーゾフの兄弟は後半をもって完成するのであり、後編想定なくして前編だけの評価では足りない。

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2007.09.20

シリアを巡る怪事件メモ

 シリアを巡る怪事件が続くのか、そういう報道が続くというだけのことなのか。いずれにせよここでもう一つフォローしていかないと、今後が見通せないことになりそうなので、ざっくりと気になるところをメモしておこう。
 まずファクト。また、レバノンで反シリア政治家が暗殺された。今日付CNN”反シリア派議員らが爆弾で死亡 レバノン”(参照)より。


 レバノンの首都ベイルート東部のキリスト教地区で19日午後5時頃、爆弾による大規模な爆発があり、反シリア派政党「フェランヘ党」でキリスト教マロン派のアントワーヌ・ガネム国会議員と、少なくともその他4人が死亡した。レバノン政府高官が語った。
 ガネム議員を標的とした攻撃とみられている。議会ではマロン派からの大統領選出が予定されているが、その前にこうした事件が起きたことについて、社会党のワリド・ジュンブラッド議員は「血塗られたメッセージ」とコメントした。議会で多数派のキリスト教勢力の議席数は69から68に減少し、「自由な大統領」を選出するうえで足かせとなる恐れが指摘されている。

 レバノンについて基礎知識のある人ならなぜこういう記事になっているかは理解できるだろうが、とりあえずウィキペディアで補足。「レバノン 政治」(参照)より。

憲法により、宗派ごとに政治権力を分散する体制が取られており、国会の議員数も各宗派人口数に応じて定められている。キリスト教マロン派は34人、イスラム教スンナ派は27人、イスラム教シーア派は27人などである。大統領はマロン派、首相はスンナ派、国会議長はシーア派から選出されるのが慣例となっている。

 レバノンでは宗派別の政治家の構成がそのまま国政に反映する仕組みになっている。
 今回の事件は、「極東ブログ: レバノン、ジュマイエル産業相暗殺を巡って」(参照)で触れたジュマイエル産業相暗殺を想起させるし、大枠の構図は変わらないだろう。さらにその背景には、「極東ブログ: レバノン大統領選挙がシリアの内政干渉で消える」(参照)がある。とはいえ、シリアがこれらの暗殺に直接関与しているかについては、依然よくわからない。
 今回の暗殺事件は、一昨日エントリ「極東ブログ: イスラエルによるシリア空爆からシリアと北朝鮮の核コネクション報道のメモ」(参照)の騒ぎの過程で起きたのも気になる。シリアという以外の文脈があるのか、これもわからない。
 イスラエルの空爆についても依然核との関連は明確ではない。が、北朝鮮との関連は19日付けCNN「北朝鮮出港の船舶のシリア到着確認、ミサイル関連材料か」(参照)で色濃くなっている。

米国防総省当局者は18日、北朝鮮を出港、シリアへ向かっていた船舶数隻を過去数週間、追跡し続け、一部は既にシリアへ到着した事実をつかんでいることを明らかにした。米軍、諜報(ちょうほう)機関の情報としている。


 その上で、入手した情報によると、運ばれていたのはミサイルもしくは固形燃料ロケット技術に使われる金属の可能性が高いとしている。また、北朝鮮からの船舶がいったんイランで荷下ろしし、シリアに陸路輸送した可能性もあるとしている。
 ただ、北朝鮮からシリアへ輸出されたのが、ミサイル関連の金属だったとしても、イスラエルの安全保障上、懸念すべき問題としている。

 核関連よりミサイル関連であるとすれば、いっそう「極東ブログ: 北朝鮮竜川駅爆破とシリアの関連」(参照)が問題になると思われるのだが、ジャーナリズムでの言及はまるで見かけない。なぜなのだろうか。
 シリア関連でもう一点気になる報道がある。シリアにおける化学兵器開発の疑惑だ。19日付けの時事”シリア化学兵器開発にイランが協力=7月の爆発事故で判明―英軍事専門誌”(参照)より。

26日付の英軍事専門誌ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー最新号は、化学兵器開発に使われているシリアの秘密軍事施設で2カ月前に爆発事故が起き、死者の中にイラン人技術者がいたと報じた。

 当初火災として報じられたがという文脈で。

 しかし、同ウィークリーはシリア国防関係筋の話として、スカッドCミサイルにマスタードガスを搭載する実験中に爆発が起きたと指摘。ミサイル製造施設内で燃料に引火し、(神経ガスのVX、サリンやびらん性のマスタードガスを含む)化学物質が貯蔵施設内外に撒き散らされたと伝えた。死者の中にはイラン人技術者数十人が含まれ、このほかのイラン人技術者も防護服に守られていなかった身体部分に化学物質によるやけどを負い、重傷という。

 ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリーの記事は、イスラエル空爆から続く一連のシリアの事件を想定して出てきたものではないので、シリアの動向について考察する上で独立した資料になりうる。当然ながら、スカッドCミサイルからは北朝鮮が連想される。ウィキペディアの同項目より(参照)。

朝鮮民主主義人民共和国は1975年から1980年代の間にエジプトから2基のスカッドCを購入し、分解調査して独力で生産する能力を獲得した。このスカッドは後に性能向上が図られ、射程1,000km以上のノドンと呼ばれるミサイルに発展した。朝鮮民主主義人民共和国製のスカッドとノドンは輸出が確認されており、イエメンなどが保有している。またミサイルと技術資料をセットで中東諸国へ売却しており、結果としてイラクのアル・フセイン、パキスタンのガウリ、イランのシャハブ、シリア、リビアの独自改良型等の多くのミサイルを生み出した。

 もしここでシリアと北朝鮮がリンケージし、しかも、サリンが関連しているとなると、事件の構図からは奇妙な想像に及ばざるをえない。
 わからないことが多いのだが、確実性の高い事も多くなっている。私としては、やはり、竜川駅爆破事件が気になるし、この一連について中国が無知であるとも思えない。悲劇的な事件を期待するものではないが、なんらかの次の事件が発生したときミッシングピースがつながる可能性はある。
 もう一点、シリアを取り巻く大枠の問題がある。これは陰謀論として語りたいわけではないのだが、どうも全体構図に関連していると思えるのでメモしておきたい。サウジとシリアの関係だ。今号(9・26)のニューズウィークPeiscape「サウジが望むシリア政権交代」に簡素ながら露骨に書かれている。サウジアラビアはアラブの地にアラブ以外の旗を掲げさせてはいけないというアブドラ国王の言葉に続けて。

 しかし、そのサウジがここにきてひそかにシリアの政権交代を望んでいるとの見方が中東専門家の間で広まっている。


 中東地域は今、アメリカ寄りのスンニ派と、イラン寄りのシーア派に分裂しつつある。親米路線のサウジやヨルダンのスンニ派がイラクやレバノンを支配下に置くことを懸念している。サウジがシリアとぎくしゃくしているのも、シリアがシーア派のイランと同盟を結んでいるからだ。

 この短い言及の背景は日本では報道されていないようだが、このところサウジとシリアの最近の外交上のぎくしゃくしたことがあった。また、「アメリカ寄りのスンニ派」には、イラク内のスンニ派も包括しつつあるのだが、これも日本ではあまり報道されていないようだ。
 気になるのはこの対立が、スンニ派対シーア派という宗教の次元なのか、スンニ派国家対シーア派国家という国家群の次元なのか、あるいはサウジ対イランという露骨な特定国家対立の構図なのか、わかりづらい。もともと明確に区別できないことかもしれないが、どうも宗教的な対立が根深いようにも思われる。
 ここで、某国際ニュース解説みたいなお話を展開する趣味はないが、先月のクリスチャンサイエンスモニターで”Anti-Saudi tide rises in Iraq”(参照)記事が連想される。8月の、シーア派によるカジミヤの聖廟での反スンニ派デモンストレーションに関連して。

The Saudi backlash is being fueled by Iraqi media reports and Shiite leaders' condemnations of apparent fatwas, religious rulings by Saudi muftis calling for the destruction of Shiite shrines in Iraq.
(サウジへの反動は、イラク・メディアのニュースとシーア派指導者によるファトワの形をとった宣言によって強まった。このファトワはサウジのムフティによる、イラク内シーア派寺院の破壊を求める宗教法である。)

But some Saudi Arabian analysts say this is a way for Baghdad's pro-Iranian leaders to steer attention away from Tehran's involvement in Iraq and toward its Sunni neighbors. In spite of questions about their authenticity, the fatwas are stirring up much of the Shiite community and is indeed coloring this year's pilgrimage.
(しかし、この話は、バグダッド内の親イラン指導者が、イラクへのイラン関与から、スンニ派諸国へ関心をそらすためだ、と見るサウジアラビアのアナリストもいる。確実性が疑問視されるにもかかわらず、このファトワはシーア派社会を混乱させ、今回の巡礼を特徴付けることになった。)


 このファトワはデマであろうが、デマによる反応はあったし、それはシーア派によるサウジへの敵意でもあった。記事でも触れているが、米国による誘導という見方も成立つかもしれないが、それによる米国のメリットは想定しづらい。

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2007.09.18

イスラエルによるシリア空爆からシリアと北朝鮮の核コネクション報道のメモ

 シリアと北朝鮮の核コネクションについては、全然報道されていないわけでもないがどうも日本のメディアが口ごもっている感じがする。かといってこの問題について私に見通しがあるわけでもないのだが、米国側のシグナルとしても重要な問題だろうと思うのでメモ書きしておきたい。
 国内報道で見通しのがいいのが、15日付読売新聞記事”北朝鮮→シリアの核技術移転疑惑、6か国協議に影響か”(参照)だが、これも自社報道というより米国報道に尾ひれをつけている程度なので、実はこの手の外信記事はすでにブログのレベルとあまり変わらない。


 米紙ニューヨーク・タイムズは12日、米政府当局者の話として、北朝鮮がシリアに核物質を売却した可能性があると報じた。ワシントン・ポスト紙も13日、イスラエルから衛星写真などを提供された情報筋を引用する形で、シリアが北朝鮮の協力を受けて核施設を保有する可能性があると報道。米当局者は、この施設を使って核兵器に必要な物質が製造できると見ているという。
 センメル米国務次官補代理代行は14日、AP通信に、「シリア政府は、核施設を得るため『謎の売人』と接触してきた可能性がある」と発言。北朝鮮が売人である可能性についても、「北朝鮮の人たちがシリアにいることは間違いない」と話し、注視していることを明らかにした。シリアはこれまでも、北朝鮮とミサイル技術で交流があると指摘されてきた。

 簡素にまとまっているのだが、「シリアはこれまでも、北朝鮮とミサイル技術で交流があると指摘されてきた」という話だが、これがそういうわりにあまり報道されてこなかった。ちなみにグーグルで北朝鮮とシリアで検索すると、「極東ブログ: 北朝鮮竜川駅爆破とシリアの関連」(参照)が上位にヒットする。読みづらいエントリだが関心のあるかたは再読されてもいいだろうと思う(おそらく他のエントリにも関連しているがそこまではここでは触れない。余談だが、このエントリを書いたころはいろいろ工作的とも思えるような短絡的な攻撃を受けたものだった)。
 話を戻して、なぜシリアと北朝鮮の核コネクションが浮かび上がってきたかというと、イスラエル軍によるシリア空爆があったらしいことだ。12日付け朝日新聞記事”イスラエル軍がシリア空爆か 米で報道”(参照)より。

イスラエル軍がシリアを空爆したとの見方が広まっている。米CNNテレビが11日、米国防総省筋の情報として、武器庫を空爆したと報道。12日には米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)が空爆の理由をめぐり「シリアが北朝鮮から核関連物資を購入している可能性もあるため」と指摘した。今のところ両国政府とも認めていないが、事実であれば両国の紛争に発展する可能性もある。

 ではこれは事実だったのかガセだったのかが問われるところだが、その後の報道のながれではほぼガチの路線上にある。もっともにも関わらず、両国は表向き沈黙しているがそれは別の文脈になりそうだ。
 なぜイスラエルはシリアを空爆したのか。
 このニュースを引き合いにするとテンプレ的な非難を受けそうだが、というのはボルトンの見解を紹介することになるからだが、重要なのはボルトンがということではなくこれがイスラエル国内に報道された点だ。記事はデーリー・メール”Israeli air strike 'took out Syria's secret nuclear site'”(参照)より。

John Bolton, the former U.S. ambassador to the United Nations, told Israeli television: "I think it would be unusual for Israel to conduct a military operation inside Syria other than for a very high value target, and certainly a Syrian effort in the nuclear weapons area would qualify."
(元国連大使ジョン・ボルトンはイスラエルのテレビで次のように語った。「シリア内の軍事行動は、重視される標的以外では、異例であり、おそらくシリアによる核兵器領域での活動が値するものだろう。)

 一つには81年のイスラエルによるイラク空爆と同じ文脈があり、彼らには迫った危機でもあったのだろう。と同時にその後のニュースの展開からもわかるように、シリアの核化の暴露の意味もあっただろう。問題はそれが北朝鮮とリンケージされたとき、日本はどうするのかという問いを日本側がしっかり出すべきなのだが、そこはなぜか問われていない。まあ、なぜかとかカマトトぶることもないのだが。
 加えて、ボルトンはこう言及する。

He added: "I think this is a clear message not only to Syria. I think it's a clear message to Iran as well that its continued efforts to acquire nuclear weapons are not going to go unanswered."
(またこうも加えた。「シリアへの明確なメッセージだけではなく、イランへも、核兵器獲得の継続活動に応答しないという明確なメッセージだろう。」)

 ボルトンだからというわけでもなく、これはイランへの威嚇であるとの理解はそれほど難しいものではないし、より正確にいうなら、イランへの直接的な威嚇というより、イラン問題を曖昧にするかに見える対EU・ロシアへの牽制でもあろう。が、これは同時に中国への牽制にもなってしまい、中国がどう動くかなのだが、すでに中国の動きはある。17日付けガーディアン”China postpones North Korea nuclear talks”(参照)がそれだ。

But today a Japanese Foreign Ministry spokesman said China, which was to host the talks, had said they would not go ahead on Wednesday as planned.

The official said China did not give a reason or a new date. A South Korean presidential spokesman, Cheon Ho-seon, said "nothing has been fixed".

Earlier this month, the US announced North Korea had agreed to disable all its nuclear facilities by the end of the year. North Korea shut down its main nuclear reactor at Yongbyon in July.

There have been American suggestions that North Korea has been helping Syria set up a nuclear programme following unconfirmed reports of an Israeli strike on a Syrian weapons plant.

( しかし今日、日本の外務省広報担当官によると、会談の議長国である中国は予定された水曜日以降前進しないと語った。
 担当官は、中国は新期日についての説明もなかったと語った。千皓宣韓国大統領報道官はなにも決まっていないと語った。
 今月初旬、米国は、北朝鮮が年末までに各施設をすべて無能力すると約束したと発表した。北朝鮮は寧辺の主原子炉を7月に閉鎖した。
 米国による示唆だが、イスラエルによるシリア武器プラント爆破についての未確認報告の後、北朝鮮はシリアに核プログラムを打ち立てる援助を続けてきたとしている。)


 ベタ記事に近いが、後半で背景への示唆をしている。
 あと一連の米主導報道への疑惑もあるにはある。たとえば朝鮮日報”核問題:北朝鮮、シリアに核物質を移転か”(参照)は示唆を含んでいる。

 この消息筋によると、米国政府は過去6カ月間に入手した資料や最近イスラエルから送られてきたシリアの衛星写真を根拠として、北朝鮮がシリアに核物質を移転し、これによりシリアが核開発を行っている可能性があると推定しているという。
 その一方で消息筋は、このような関係を示唆する資料はホワイトハウスのハドリー国家安全補佐官など少数の高官にのみ伝えられ、大部分の情報当局職員たちはこの資料の存在とその重要性についてほとんど知らされていないと語った。
 さらにワシントン・ポストは「一部では北朝鮮とシリアが核兵器開発で協力している可能性について疑問を持っている」とし、疑惑がほぼ確かなものであるかのように報道されることを警戒した。

 いくつかの話の整理としては、イスラエル空爆が誰によるものか、それに対する米国の関与があったかというのがまず先行するだろう。
 ただ、この問題、日本にも大きく関係してくるとしか思えないのだが、あまり問題視されているようには思えない。

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2007.09.14

[書評]人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか(水野和夫)

 「人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか(水野和夫)」(参照)をようやく読んだ。先入観といえばそうなのだが、ウォーラーステインとかニューアカ系ゴマ臭さ満載なんじゃないかと引いていたのだが、実際読んでいたら柄谷行人の引用とかも出てきて引いたというか笑った。

cover
人々はなぜ
グローバル経済の本質を
見誤るのか
水野和夫
 読後、なんとも微妙。議論が多岐にわたり、ディテールと概括の遠近感が奇妙なので、ありがちなトンデモ本かなとも思った。日本のデフレの説明とかでも、「でも、それって先進国全体に適用されそうな要素だけど他は概ねインフレなんすけど先生ぇ、どっすか」みたいなツッコミがしたくなる。でもま、概ね職人技というのかわからないけど、現在進行中の米国住宅バブルの結論とかもやばげなところは結局ずばりとは書かれていない。「こ、ここでトンデモの一言をぜひ増田俊男先生!」といった趣向もない。その点は落ち着いた本と言えるのかもしれない。
 それにしてもこの一種の幻惑感はなんなのだろう。例えば、このあたりが顕著かもしれない。

 先進国がすでに「新中世」に入ったとすれば、二一世紀は「帝国の時代」であることを意味する。前節の「なぜそうしないのか」との問いに日本が真っ真っ先に答えを出さなければならないのは、単独で帝国を目指すのか、EUのように共同体を目指すのかである。おそらく、後者であることは間違いないだろう。単独で「帝国」を目指せるのは、米国、中国、ロシアの三カ国くらいしかない。
 日本に「帝国の時代」に備える覚悟はできているのだろうか。この五年間、とりわけ九・一一事件後、「帝国化」に向けて世界の歴史の歯車が大きく動いているにもかかわらず、日本のアジア外交は靖国問題でストップしたままだった。

 私は、素直にいうけど、これ読んで、お茶吹いた。そこで靖国問題ですか、というべたなツッコミではないよ。というか、もういわゆる靖国問題の構図はお疲れさん上海閥というくらいでほぼ見えている(ほぼというのが不気味なんだが)ので、けっこうどうでもいい。おふざけじゃなくて、じゃ、というところで、水野の意見では、アジア共同体を目指せと廣松渉先生御霊言みたいなわけだが、帝国には中国が入るわけだから、当然、すると、中国抜きのアジアの共同体を日本が作れですか? 誰々、面子? インドネシア、マレーシア、フィリピン、ベトナム……ASEANのリーダーたれということ、ほいで共通通貨ですか? というあたりで、ご冗談でしょ、藁、みたいなことになる。いやすまん、おふざけになってしまったが、じゃ、どうせいと?
 同じ文脈なのだが。

 グローバル経済圏での基本原理は「競争」であり、「効率」である。一方、「新中世」経済圏のそれは、「安心」と「公平」である。例えば、道州制の議論においても、首都圏、近畿圏、東海圏はグローバル経済圏に最適な税制や仕組みを導入し、それ以外の圏は定常状態を維持できる仕組みを導入することが望ましい。

 ここで、私は率直に、グローバル経済圏と「新中世」経済圏という理念を理解できないのだが、というのは、それと「帝国化」の関係の構造がわからないからだ。グローバル経済が帝国化だというのはわからないでもない。しかし、「新中世」というのは、先進国の現象であればその延長に出現するのではないか? この例でも、一国のなかに帝国的な圏とそうではない中世的な圏が想定されるが、実際には常に政治的に帝国側から統制されるしかないだろうし、そもそも、そうした国のタガというのをグローバル経済が否定するというのが、水野の議論の原点なのにするっとドメスティックな政治権力の有効性が出てくる。
 重箱の隅つつきをしたいのではない。どうもこれは大枠の構図の問題としか思えないのだ。さらにこう続く。

 グローバル経済化は不可逆的現象だろうから、近代主権国家はそれまで築いてきた均質性を取り戻すことはできないのである。技術革新が推し進めるグローバル化はとどまることはないからである。

 それは私も同意する。であれば、先の、ドメスティックなスコープにおける、グローバル経済圏と「新中世」経済圏の区分けは無理だろう(むしろ文化的保護区のようにするしかない)。また、米帝国と中華帝国の狭間で軍事的な骨抜きで、中国抜きASEAN共同体みたいなのものを作れというのは、夢想でしかないのではないか。
 わざとめちゃくちゃなエントリを書きたいわけではないが、この先にこうも続くのだ。

 グローバル経済圏にとっての課題はドル問題、すなわち通貨制度とエネルギー問題である。

 これは私は同意する。だが、

一方、「新中世」経済圏にとっては、定常状態に到達するために流通革命を起こせるかどうかが課題である。

 となる、このあたりで、また遠近感が狂ってくる。この先、水野は日本の労働生産で著しく低いのは流通業だとしてそこに解決を集結させていくのだが。
 がというのは、それこそがグローバル経済の最大の力ではないのか。まさに水野が強調するようにIT通信技術によって頭脳労働までも他国に流通可能になったと同じことが起きるだろうし、身近に小売りを考えてもむしろ巨大アマゾン店みたいなモデルの勝利になるだろう。
 とま、ちょっと否定面が強すぎたかもしれないが、本書の話題はディテール的には多岐にわたるので、へぇこの資料は探していたのだ手間が省けたみたいなお得感はある。エネルギー問題というのをサウジ、ドルの問題を米国に置き換え、ミッシングピースに「極東ブログ: [書評]石油の隠された貌(エリック・ローラン)」(参照)を当てはめていくと、うひゃ陰謀論却下なインパクトのある世界像も描ける。
 あまりベタにいうと馬鹿みたいだけど、米国はドルへの投資をまだまだ吸い続けてなくてはならないように帝国化を推進するしかないし、その帝国化のある完成時点で、水野のいう新中世宣言のようにじんわりとどかんとドル安が起きて、過去はなかったことにしようとなるのではないか。つまり、どう転んでもドル安を後にするというドライブでなにかと必死になるし、中国様がそれにどう調和するかに、日本は追従するのだろう。明日晴れるといいな、世界が平和でありますように。

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2007.09.12

安倍首相辞任で思い出すこと

 安倍首相辞任の印象について、ごく簡単にであれ、書いておくべきだろうと思う、というくらいの話だが。
 なぜ、安倍首相が突然辞任したかについては、一部予想が当たったとかいう話もあるのかもしれないが、大勢にとっては突然の出来事で、殿様の時もそうだったが、お坊ちゃんもやるなという感じだろう。私は、当初健康の問題かなと思ったし、一部では遺産相続のカネがらみのスキャンダルかという噂もある。ようするに、なぜ安倍首相が辞任したのかはミステリーといった趣向になる。
 こういうときは、話をシンプルに考え直すのが私のクセなので、ちょっと別件の忙しさが一息ついたので、緊急会見の全文(参照)を読み直してみた。案外べたに辞任の理由が書いてあるのに、みんな気がつかないということもある。これは全文コピーしてもいいだろうし、後になって、えっと小泉政権の後に1年短命の政権あったよね、ああ、これこれだよね、のために。


 本日、総理の職を辞するべきと決意をいたしました。
 7月の29日、参議院の選挙が、結果が出たわけですが、大変厳しい結果でございました。しかし厳しい結果を受けて、この改革を止めてはならない、また戦後レジームからの脱却、その方向性を変えてはならないとの決意で続投を決意をしたわけであります。今日まで全力で取り組んできたところであります。
 そしてまた先般、シドニーにおきまして、テロとの戦い、国際社会から期待されているこの活動を、そして高い評価をされているこの活動を中断することがあってはならない、なんとしても継続をしていかなければならないと、このように申しあげました。国際社会への貢献、これは私が申し上げている、主張する外交の中核でございます。この政策は何としてもやり遂げていく責任が私にはある、この思いの中で、私は、中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していく、というお話をいたしました。そして、私は、職に決してしがみつくものでもない、と申し上げたわけであります。そしてそのためには、あらゆる努力をしなければいけない。環境づくりについても、努力をしなければいけない、一身を投げ打つ覚悟で、全力で努力すべきだと考えてまいりました。
 本日、小沢党首に党首会談を申し入れ、私の率直な思いと考えを伝えようと。残念ながら、党首会談については実質的に断られてしまったわけであります。先般、小沢代表は民意を受けていないと、このような批判もしたわけでございますが、大変残念でございました。今後、このテロとの戦いを継続させる上において、私はどうすべきか、むしろこれは局面を転換しなければならない。新たな総理のもとで、テロとの戦いを継続をしていく、それを目指すべきではないだろうか。きたる国連総会にも、新しい総理が行くことが、むしろ局面を変えていくためにはいいのではないか。
 また、改革を進めていく、その決意で続投し、そして内閣改造を行ったわけでございますが、今の状況でなかなか、国民の支持、信頼の上において力強く政策を前に進めていくことは困難な状況であると。ここは自らがけじめをつけることによって、局面を打開をしなければいけない。そう判断するに至ったわけでございます。
 先ほど、党の五役に対しまして私の考え、決意をお伝えをいたしました。そしてこのうえは、政治の空白を生まないように、なるべく早く次の総裁を決めてもらいたい、本日からその作業に入ってもらいたいと指示をいたしました。私としましても、私自身の決断が先に伸びることによってですね、今国会において、困難が大きくなると。その判断から、決断はなるべく早く行わなければならないと、そう判断したところでございます。
 私からは以上であります。

 最後の一言につい渡辺久美子の声を想像してしまうが、読み直してみると、今日辞任したのは、ようするに小沢一郎民主党党首との会談が断られたからだ、ということだ。つまり、そういうことだ。
 もちろん、小沢側からは、正式な会談の申し入れなんかないという回答が出ている。これは奇っ怪ということではなくて、安倍元首相側からの会談というのは、そもそも正式な会談ではなく、密談しよーぜということだった。
 もう本土の人間は10年前のあの密談を忘れているかもしれないが、今回の事態は、かつて1997年4月3日、沖縄基地問題の一つ土地収用手続きの問題について、当時の新進党小沢党首と自民党橋本首相がビール片手に密談したことを思い出させる。1997年4月5日沖縄タイムス「冷めゆく“沖縄熱”」(参照)より。

●首相の焦り
 沖縄問題にかかわってきた政府高官は、特措法改正が国会を通過するのを機に、中央の“沖縄熱”が一挙に引くだろうと予測する。法改正により県収用委員会の審理中は「暫定使用」が認められ、政府を悩ませてきた不法占拠の恐れがなくなるからだ。
 橋本首相は「法改正ができなければ訪米できない」と漏らしてきた。米軍用地問題と同様、普天間飛行場の移設・返還の行方が不透明な中、首相は国家間公約の実施能力を問われかねず、24日の日米首脳会談を前に政府側は焦りを募らせていた。
 3日の橋本首相と、新進党の小沢一郎党首との会談で、新進党の同意を得て法改正成立が確実となった。5月14日を乗り越える「その場しのぎ」との批判が新進党などから強く出されていたが、会談で「日米安保条約の履行は国が責任を持つ」ことで合意した。法改正をきっかけに、国の防衛に関しては政府が責任を持って行えるような新たな法整備に「自進連合」で取り組む下地が整ったといえよう。
 「沖縄国会」は、2人の会談を境に関心が法改正論議や振興策から、保保連合、自社さ主導といった政局の枠組みへと一気に動いた。

 あのとき、小沢が現在のように橋本に門前払いを食らわせていたら、もしかすると、今回の安倍元首相のように、橋本の首も飛んでいたかもしれない。当時の問題もまた、特措法に関係し、「日米安保条約の履行は国が責任を持つ」ということだった。今回安倍の首を飛ばしたのも、安保ではないにせよ、同じ構図だ。そして、違った結果になった。何が小沢を変えたかを書く必要もないだろう。
 巷ではすでに麻生総理誕生かワクテカ状態になっている。が、この流れで見れば、本質的な問題は、テロ特措法を小沢がどう捌くかにかかっている。かつての橋本密談の落とし所を思い返せば、今回どんな落とし所があるかも予想が付くとも言えるし、20年来の小沢構想が火を噴くかもしれない。たぶん、後者なのだろう。その意味に、現状の寄り合い所帯の民主党が耐えられるとも思えない。この問題は、難しい。
 あと、ちょっと補足めいた話だが、個人的には平沼赳夫自民党復党の時点で、自民党オワタと私は思った。終わっているのに首相がいるのは変な光景でもあるなとも思ったが、終わったのは小泉自民党であって昔の自民党はこんなものだった。それと、「極東ブログ: 2007年参院選、雑感」(参照)で、「大企業の活動は円安によって好調だ。なので、経済政策面で安倍続投というのは無言に概ね支持されているのではないか」としたが、与謝野が復活したあたりで、これもオワタになったのだろう。

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2007.09.10

[書評]本は楽しい 僕の自伝的読書ノート(赤川次郎)

 私は赤川次郎の本をほとんど読まない。時代が時代なので何か数冊は読んだ気もするがすっかり忘れている。角川映画「早春物語」(参照)はかなり好きな作品なので(ところで今この歳で見直すとあらぬシーンでチ○コ勃ったりするかもやばそ)、原作「早春物語」(参照)も読んだのだろうと思うが記憶にない。読んでないのかもしれない。私は短いセリフの多い文芸が苦手だ。たぶん携帯電話小説とやらも読めないと思う。それでも赤川次郎についてはずっと関心を持っていた。その理由は本書に関係するし、私はこのエントリに書いて、その思いにさよならしたい。

cover
本は楽しい
僕の自伝的
読書ノート
 赤川次郎はあまり自身のことを語らない。特に自伝的な話をしない作家だった。この本は唯一例外的に赤川が自分のことを語っている。三部に分かれていて、〔I〕青春ノート、〔II〕50歳の出発、〔III〕鶴見俊介との対談。対談は人によっては面白いかもしれないがとりあえずどうでもいいだろう。
 〔I〕青春ノートは1984年、彼が36歳で書いた文章だ。文章中、自身を「三十代も後半になって」と赤川は書いているが、36歳という歳の特有の重さがある。村上春樹の「プールサイド」(参照)の思いを経た男の立ち位置のようなものだろう。赤川はそこから青春時代と、書かずにはいられなかった作家への道を少し語っている。
 この〔I〕青春ノートは、84年に岩波ブックレット「三毛猫ホームズの青春ノート」として出版された。当時の赤川の唯一の自分語りであり、私は率直に感銘も受けた。彼がどうしても語れないものを背負っていることも感じた。
 〔I〕青春ノートは、現在17歳から19歳の青年、そして36歳に近づく文学好きの人、特に男性は読んでみると、優しい言葉から深い感銘を受けるだろう。彼は今でいう非モテだったのかもしれないし、今でいうラノベな人だったのかもしれない。ハイティーンの時代に西洋を舞台にした恋のロマンの小説を書いていた。

 ところで、僕の自作の方は、といえば、これはもう手放しのロマンチシズムとでもいいましょうか。――パリ社交界に知れ渡った美青年と、その年上の愛人、清純な娘など何人かの女性が織り成す恋愛ドラマ。
 誤解されるといけないので、念のため申し添えますが、このころ、現実の恋愛の経験はゼロ、でした。学校は男子校、クラブ活動にも加わらず、帰り道に寄るのは本屋だけ、という生活で、恋の芽生えるチャンスなど、あろうはずもなかったのです。
 本当の話――信じてもらえないかもしれませんが――中学高校の六年間、僕は女の子と口をきいたことがありません。二回くらい、道を訊かれて教えてやったことがあったぐらいです。
 経験もないのに、恋愛小説が書けるのか? そう首をひねる方は、想像力が乏しいのです。小説を読み、書く中で、いくらでも恋愛を体験していた僕は、後に、本当の恋をしたとき、びっくりしたものです。
 それがあまりに「小説の通りだった」からです! 失恋の苦痛まで、想像で書いた通りでした。

 50歳の私はこの文章を読みごく軽く苦笑する。胸にきゅんとするほど、それはわかるという共感もある。赤川のこの話は、コレットの「青い麦」(参照)などコレットを語る文脈に続くものだ。「青い麦」に胸ときめかない男子ってつまんないだろうなとも思うが、今ならもっといいラノベがあるのかもしれない。
 作家になる話なども引用して感想を書きたいが端折る。50歳になった私が本書を読み返したのは、〔II〕50歳の出発、を今の自分の気持ちで捉えてみたかったからだ。
 この部分は1998年、本書のために書かれたのだが、正確には口述を編集者がまとめたもので、自筆ではない。依然赤川にとって書きづらいものだったのかもしれない。
 赤川にとって50歳の意味はまず子供だったようだ。そして子供を語ることで父を語るようになった。彼はようやく父を語らざるをえないところに立った。
 若い人の心情をどう捉えるかという文脈から。

 ただ僕が書きはじめたころは、娘は一歳だった。僕の作家人生は娘の成長と一緒だったわけですが、僕自身が父親とほとんど暮らしたことがない人間で、家庭の中で父親は何をやっているものだか、イメージがまったく湧かなかったので初期の小説には父親がほとんど出てきません。


 とくに『ふたり』とか、あのへんから子どもの人生に親がどうかかわっていくかということがでてきます。ふつう、青春小説では、親はできあがった人間として出てきて、ものわかりがいいか悪いかぐらいの分類をされてしまうんですけれども、そうじゃなくて、親も成長しているんです。主人公が高校生だと、親は四十代くらいですから、それこそ迷いもあるし、まちがったこともするし、親も悩んでいるということを子どもが知る。


 そういう点でいうと、父親といっても、成長してみるとそんなに立派じゃないということがわかってくる。若いころは四〇歳を過ぎたら人間なんてそんなに変わらないものだと思っていたんです。それこそ不惑という言葉があるくらいで。だけど、不惑どころじゃない。四〇歳になっても五〇歳になっても、なんだ、昔とたいして変わらないじゃないかって思います。そういう感じは自分がなってみないとわからない。

 五〇歳に自分がなってみて私も、つい数年前17歳だったような感じがすることがあるし、目が覚めてしばらく自分の歳は32歳じゃないかと夢の続きで思っていたりすることがある。人によるのかもしれないが。
 赤川は50歳になってようやく父を語り出した。

父親については、話し出すと、それだけで一冊できてしまう。とんでもない人だったというか、まだ生きています。明治生まれなんで、もう九十近い。


 ただ、最近になって、父親の名前をあちこちで見るようになりました。たぶんきっかけは山口淑子さんの自伝『李香蘭』でしょう。中国で、敗戦のときに甘粕正彦(元憲兵で大杉栄たちを殺したとされている)が自殺したときそばにいたのが赤川次郎さんの父親だ、という記述が出てくる。内田吐夢さんの評伝(『私説 内田吐夢伝』鈴木尚之)にもそのときの場面が出ているようです。鎌田慧さんの書かれた『大杉栄 自由への疾走』にもちらっと出てくる。

 そしてあるパーティの話として、伝聞のように、一度きり、その名前が切り出される。

そのパーティの中で六〇歳くらいの方に声をかけられた。「お父さまはもしかしたら赤川孝一さんとおっしゃるんですか」って言う。

 私は赤川次郎に詳しくないし、本書も読み違えているかもしれないが、赤川次郎にとって赤川孝一という名が語られるのは、この一か所だけではないだろうか。
 赤川孝一は甘粕の側近だった。
 もう時効のようなものだろうと思うので書いておきたい。
 私は92年ころだったと思うが、赤川孝一に会って話を聞いたことがある。ひっそりとした喫茶店で紹介してくれた人と三人だった。話を聞くに徹してあまり直接的な質問とかしてなかったつもりだが、最後に「甘粕さんはどんな人だったのですか」と訊いてみた。彼は遠いものを見るように、「甘粕さんはあなたに似てますよ、頭のいい人でした」と言った。

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2007.09.07

[書評]石油の隠された貌(エリック・ローラン)

 石油関連の問題をジャーナリスティックにまとめた本で、この分野の専門家による書籍ではない。この分野への関心と多少の基礎知識がないと退屈にも思える歴史の話もたらたらと続く。が、ここは考えようで、歴史好きにはこたえられない面白さがある。例えば、ドイツはなぜロシア侵攻したのか。石油を求めてというあたりは、他の地政学的な背景からそうかもしれないと思わせるものがある。

cover
石油の隠された貌
エリック・ローラン
 本書全体の結論は、単純に言えば石油枯渇論であり、よって、つまり、トンデモ本である。石油枯渇論については、以前、「極東ブログ: 原油高騰の背後にある石油枯渇の与太話」(参照)でも扱った。ただ、では、笑ってポイのトンデモ本かというと、なかなかそう言えないディテールがあり、石油問題に関心のある人、というか、現在の国際政治に関係にある人はさっと読んで「そんなのはすでにご存じ、くだらね」というチェックにすればいいだろうと思う。が存外にそうでもないのではないか。
 例えば、こんなことは常識かと思うのだが。

 私たちは、聞けば正気を失うような脆弱で、はかない世界に住んでいる。例を一つ挙げよう。世界の先進工業国が消費する石油の半分はホルムズ海峡を通過して運ばれている。この海峡は奇しくも「欧米の頸動脈」と異名をとっている。ここは一方がイラン沿岸、他方がオマーン沿岸に挟まれ、数キロメートルの幅しか無い。ここでタンカーが一隻、沈むか攻撃を受ければ海上交通はストップし、石油の供給は攪乱し市場は狂乱するだろう。

 へぇとか言うようならこの本を読んだほうがいいだろう。当然だが、「欧米の頸動脈」は日本の頸動脈でもある。というか世界市場の頸動脈なのだが、逆にこう疑問を持つだろう、なぜこれが安全に守られているのか。イランがちょっとちょっかいするか威嚇すればすごく効果的になるのではないか。しかし、現在のイランはそこは手を出さない。イランがこのことに無知であるわけではないことは歴史を調べればすぐにわかる。では、国際チンピラというかテロ集団がここで何かしかけるかというと、そういう話も聞かない。静かなものでニュースもない、わけはない、今年の1月9日ここで川崎汽船の原油タンカー「最上川」と米軍の原子力潜水艦「ニューポート・ニューズ」が接触事故を起こした。なんでここに米軍がいたのかといえば、いる相応の理由があるわけだ。そして多分特措法がらみの自衛隊の活動もこの一環なのだろうと推測するが。
 ついでに日本の命運は実際には台湾と一心同体なのだが、それは米軍が関わっていることで中国とも一体になってしまっている。

 国防問題が専門のマー・シャオチュアン教授は、中国政府首脳と変わらぬ悪夢に取り憑かれている。中国は十年前の七倍に当たる七百万バレルの石油を毎日消費している。そして間もなく、必要な石油の六割を輸入するようになる。石油を積載したタンカーをホルムズ海峡から上海までの一万二千キロメートルの長い航海が待っている。もし台湾に危機が訪れたとしたら、このすべての海域に配備された米艦隊が即座に輸送ルートを断ち、石油の道が途絶えてしまうだろう。

 日本のようにキンタマどこに落としたっけ国家ではない威厳面子の大国中国がこの状態を看過できるわけがない。しかも、台湾統一は「悲願」だろうし。というわけで、悲願達成を目指して、ついでに日本をグリップするために、パキスタンに港湾整備、ビルマにパイプライン敷設とかいろいろやっている。まあ、そんなこんな。
 本書に話を戻すと、もっとも重要な主張は、世界の石油を握っているは結局サウジだということだが、そのサウジの石油は早晩枯渇するということ。確かにそれはあり得ることかもしれない。余談だが、一昨日クローズアップ現代でオイルマネーの番組があり、現地UAEに資本投下されるようになった、というしょーもないストーリーを展開していた。たぶん、今日も引き続きあるのだろうが、がというのは、オイルマネーの問題は基本的にはサウジのため込んだ膨大なカネであり、その大半がドル化しちゃってどうしようということだ。それでもユーロの比率は上がっているらしい。
 サウジが枯渇しても(枯渇はしないだろうが)、ロシアはどうかというと、本書はロシアの石油は実はサウジの代替にはならない大したことないというのだ。これも、もしかするとそうかもしれないし、百歩譲ってもシベリアにパイプラインを引くだけの採算に見合うのかわからない。
 そういう意味で好意的に見るなら、石油枯渇はないにせよ、石油の恒常的な高値は避けられないというのはあるし、それは避けられないのだからしかたがない。日本にしてみれば高くても買えればいいのだし、その泥沼に持ち込めば省エネ技術によって日本はまた世界に強みを持つことになる。というか、そういう戦略を取ってよいのではないかとも思える。
 陰謀論的な想定が沸くのは、本書にはこんな話もあるからだ。アマゾンにある釣り文句を引用しよう。

「1973年のオイルショックは、産油国と国際石油資本との了解による操作だった」「米国は、ソビエト連邦崩壊を引き起こすためにサウジ石油を武器に使った」 これら世論を巧妙に欺いてきた石油の謎を明らかにする。

 この二点なのだが、私も案外そうなんじゃないかと思いつつある。
 この延長に今回のイラク戦争の話があり、本書での分析は、概ね、チェイニーがサウジを守るためだったとしている、つまり、「極東ブログ: チョムスキーとチェイニーと」(参照)の見解に近い。ただし、本書ではキルクーク油田の問題にはほとんど触れていない。また、国連石油食料交換プログラムの背後にあったフランスとロシアの動きにも触れていない。触れていないといえば、まったく触れてないわけでもないが、スーダンと中国との関わりにもあまり考察はない。意外なことに、米国が実際には中東石油にそれほど依存していない事実についても意図的なのか触れてない。
cover
世界を動かす石油戦略
石井彰、藤和彦
 ところで、本書はいろいろな点で興味深いのだが、本書を読まれる前に、あるいは読後でもいいから、「世界を動かす石油戦略(石井彰、藤和彦)」(参照)は是非一読されたい。

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2007.09.06

ご用命を受けて徐ノーマン再び参上

 あまり気になるニュースでもないけど、なんとなく日本で報道されてないか少ないのかあまり見かけないので、さらっと書いておこうかな。話は徐若瑄(Xu Ruo Xuan)ことビビアン・スー(Vivian Hsu)とはあまり関係なくて、Hsu容疑者の話。というから、漢字で書くと徐容疑者かな。なんかオウム事件を思い出すが、英語圏ではNorman Hsuなので、徐ノーマン容疑者ということになるのだろうか。あるいは容疑者という表現は適切ではないか。で、この徐さんはトラブルメーカー。どんな問題を起こしたかというと、ゼロで割ってしまったというわけではなく、こういう背景がある。3日付読売新聞”疑惑の中国系実業家、民主党へ25万ドル献金”(参照)より。ちなみにここでは「シュー」さんと書かれているが。


 シュー被告は1991年に架空の投資話で投資家から100万ドルをだまし取ったとして重窃盗罪で起訴された。翌年、3年の禁固刑を言い渡される予定だったが、判決を受ける直前に姿を消した。

 三十六計不如豚面逃。中国の伝統的な問題解決法である。そしてあれから15年、徐豚面はなにをしていたのか。近況がわかった。

投資家から資金をだまし取って起訴された後、15年間にわたって逃亡を続けていた中国系実業家が、米大統領選に出馬するヒラリー・クリントン上院議員ら、民主党政治家に献金を行っていたことが発覚した。

 なるほど。ということで。

 米紙の報道で献金が発覚した直後の8月31日にカリフォルニア州サンマテオ郡の裁判所に出頭し、収監されたが、200万ドルの保釈金を支払って、わずか5時間で釈放された。

 その後どうなったか。ロサンゼルス・タイムズ”Warrant issued for Hsu's arrest”(参照)など最新ニュースでは保釈査問会を欠席とのこと。またも三十六計不如豚面逃プウなのか。ということだが、今回はそうもいかないだろう。そうもいかないだろうというのは、これほっておくと米民主党沈没かもねになる。もっとも掘り下げてもそうなる可能性は高い。じゃ、どっち。掘り下げざるを得ないでしょう。それにどうも民主党内部でもけっこう過激な意見が飛び交っており略。
 さて、このニュースなのだが、日本国内では8月29日付け産経新聞”中国系ビジネスマン、ヒラリー議員に迂回献金?”(参照)が最初みたいだ。またかよ産経という向きもあるかもしれないけど、おソースはワシントン・タイムズのしかもビル・ガーツさんのあんたも好きだね話コーナーではなくて、ウォールストリート・ジャーナル。

 同紙がクリントン陣営の資金状況を調査したところ、年収4万9000ドルの郵便局員を筆頭とするカリフォルニア州の中国系の家族6人が、次期大統領選の個人献金の上限に近い4万5000ドルを同陣営に送ったことが判明。同家の息子が、ニューヨークの中国系ビジネスマン、ノーマン・シュー氏の名を挙げ、献金を勧められたことを同紙に認めた。
 シュー氏はこれまで、クリントン陣営の資金集めに積極的に協力したことで知られる。同氏も「知人や仲間に自身の財布から献金を勧めたことはある」と同紙に答えたが、核心である資金提供については、中国系家族の息子が「投資が当たったので自分で献金しただけだ」と否定した。

 カネの元は投資が当たったからだそうだ。読売ではちなみに。

 シュー被告は、これまで興した会社の大半が倒産しており、大口献金の資金源は不明。過去の経歴も謎に包まれている。

 ではいったい誰がカネを出したか、それはちょっとまだまだ書かないお約束。
 さて、この話、英語のソースをつらつら見ていたら、徐豚面のえんがちょ民主党議員は大藁藁、という議員名を見ていると、おやっ、ここで本田さん、こんにちは。8月30日付けAP”Clinton to Give Away Fundraiser's Cash ”(参照)より。

Sens. Edward Kennedy and John Kerry, both of Massachusetts, also planned to turn over Hsu's contributions to charity. Sens. Barbara Boxer and Dianne Feinstein of California; Al Franken, a Senate candidate in Minnesota; Reps. Michael Honda and Doris Matsui of California; and Rep. Joe Sestak of Pennsylvania also said they would divest Hsu's contributions.

 本田議員を含めて、さてこのえんがちょどうしようか納豆。こんなのイラネと返す議員もいるなか。

Honda, however, planned to donate to charity $5,000 received from Hsu as well as members of the Paw family and one other donor whom his staff could not immediately identify.
(本田は、しかしながら、徐から受け取ったカネは慈善事業に献金すると計画している。ポウ家からやその他スタッフがすぐには出所のわからないカネと同じ扱いになる。)

Spokeswoman Gloria Chan said the money would go to local community organizations but that Honda hadn't yet decided which ones.
(グロリア・チャンの女性報道官は地域団体に渡すつもりだとしているが、本田はどっちにするか決めかねている。)


 今日付のニューヨークタイムス”Clinton Donor Appears to Be a Fugitive Again ”(要登録・参照)にはこうある。

Since word of Mr. Hsu’s fugitive status became known, Democratic candidates have been rushing to rid themselves of Mr. Hsu’s money — among them Senator Barack Obama of Illinois; Gov. Eliot Spitzer of New York; Al Franken, the comedian and political commentator who is a Minnesota senatorial candidate; and Representatives Michael M. Honda and Doris Matsui of California.

 結局、もらわないってことにしたのでしょうかね。やばいおカネの問題って、なかったことにすれば解決ってことでFA。

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2007.09.05

この夏の私的ビールランキング

 人生の酒は飲み終えたと5年くらい前に思ったが、昨年あたりから少しずつ飲むようになった。以前とはまったく趣味が違うし、量も違う。飲める酒の種類も非常に限定されてもいる。特にビールがダメ。以前からビールはあまり好きではない。だが、今年は不思議と飲めるビールも出てきたな感があって、そういうのを選んで飲むようになった。というわけで、この夏の私的ビールランキング。というか飲めるのはこれだけかな。

1位 緑ヱビス こと ザ・ホップ
 最初飲んだときは、ちょっと薄いなと思ったのだけど、普通のヱビスよりホップの香りがよくて、これは飲めるビールかなと記憶し、以来なんとなく飲むうちに次第に好きになった。夏の暑さにこの軽さがよい。もう近所のセブンイレブンで買えなくなって困っている。ちなみに、普通のヱビスは以前は好きだったけど、現在ではそれほどなんとも思わない。黒ヱビスも飲めるけど、いまいち。

2位 ザ・プレミアム・モルツ〈黒〉
 以前黒ビールが好きでよくギネスを飲んでいた。そんなわけで、この夏もギネスを数回飲んだのだけど、ピンとこない。味、変わったんじゃないかと思っていたのと、黒ビールはもう自分には合わないのかなと思っていたのだが、これを飲んで、へぇと思った。うまいじゃん。これを外人というか英人とかが飲むとどういう感想を持つのかわからないけど、ワタシ的には好きな味。

3位 KIRINチルドビール グランドエール
 エールでおいしいのっていうのは、いまいち当たったことがないというか、まあエールってこんなものかなと思っていたので、これをKIRINチルドビールということで最初に買ったときはあまり期待してなかったし、最初飲んだときも、ふーんという感じだったが、なんどか飲むうちにけっこうはまった。ただ、暑さが高じてくるとちょっと飲みづらい感が出てきた。

4位 KIRINチルドビール ゴールデンホップ
 これは昨年というかビールを飲んでもいいかなのきっかけになったビールで今年も飲んでいたが、気のせいかもしれないが、どうも当たりはずれがあるように思えた。チルドビールは管理が悪いと味が落ちるのではないだろうか。これも暑くなるにつれ、重たい感じがして、しだいに緑ヱビスに切り替わっていった。

5位 ザ・プレミアム・モルツ
 昔と言ってももう15年以上も前だろうか、モルツの限定品というのを飲んだことがあって、え? こんなうまいビール作れるんじゃんと感動したことがあった。その記憶があって、あれを商品化したのかなと思って飲んでみた。なんというのか、普通にうまい。記憶にある限定品のモルツのほうがもっとおいしかったような気がするけど。いずれにせよ、このビールならけっこうどこでも売っているので、買うことがある。

6位 アンカー・リバティーエール
 イトーヨーカ堂になぜか売っているので見かけると買ってくる。他にポーター、スチームビールもあるのでこれも。おいしいにはおいしいし、以前はこういうタイプのビールが好きだったのだが、これは自分の嗜好が変わったかなと思う、日本のビールのほうが水がうまいような気がする。

 他にも目新しいビールとか見ると、例えばニッポンプレミアムとかも飲んだけど、飲めないわけでもないけど、ダメ。普通のキリンビールとか復刻のキリンビールとか、一番搾りとかも、すみません、一口でべーしちゃいました。全然飲めない(そういえばアサヒは以前から全然飲めない)。なんか、この全然飲めない感はなんだろと思う。沖縄生活時代は、オリオンとか米軍バドワイザー(米軍のは味が違うよ)、ミラーとかも飲めたけど、今ではたぶん全然だめだろうな。

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2007.09.04

遠藤武彦農水相の辞任についてぼんやりと

 安倍内閣にはあまり関心がないのだが、遠藤武彦農水相の辞任については、率直なところ呆れた。国のお金を盗み取るなんて許せないとかで呆れた、わけではなくて、へぇ、こんなことで大臣が辞任させられるのかということで呆れた、というか、大臣を辞任に追い込んだ権力の主体はいったい誰なんだよ、マスコミ様?
 もちろん、理屈はいかようにもマスコミ様が正しいのであって正しいのであって正しいのであって、ブログで擁護論なんか書こうものならとんでもないことになるくらいは、わかる。それに別に何かと天の邪鬼な意見を書きたいわけでもない。
 ただ遠藤武彦元農水相も内心を察するに、ポカーンという感じなのではないか。あまり経緯を知っているわけではないが、彼は農水相をやりたかったわけでもないのでは、というか、やりたくないなとかいうつぶやきをどっかで見たっけ、とネットを探るとスポニチ「遠藤農相“農水だけは本当に嫌だった”」(参照)にあった。


 所属する山崎派の会合に出席した遠藤氏は大臣就任を祝う拍手の中で「農水だけは嫌だった。本当に嫌だった。ここだけは行きたくないと思っていた」とうつむいた。午後5時ごろには引き継ぎの書類を渡されると、「書類以上に重たい気持ちです」と、ひきつった笑みを浮かべた。27日の就任会見でも「一番最後まで残ったポストを振られたわけだから、実は参ったなと思った」と話していた。

 もっとも嫌だった理由は、今回の不正受給がばれそうで、ということではなくて、記事にもあるように、こっちだろう。

 政治評論家・浅川博忠氏は「WTOの結果で農業関係者の票を減らすことを恐れてみんな断ったのだろう。遠藤氏も選挙区は山形なので、本来ならやりたくないポストだったのでは」と指摘した。

 遠藤武彦元農水相は農政の識者でもあるので、好意的に見れば、泥を被る気概もあっただろうが、こういう泥を被ることになろうとは。
 誰が悪い。もちろん、遠藤武彦元農水相である。決まっていることを問うな、朝日新聞の社説でも読んでおけだ。読売新聞社説はというと、3日付”農相辞任 衆参ねじれが迫った早期決着”(参照)は微妙なトーンも出していた。

問題の組合の補助金不正受給については、遠藤農相本人は無論、農水省も、会計検査院も山形県も承知していた。安倍首相は、農相起用に当たって、なぜ把握出来なかったのか。安倍首相の任命責任を問われても仕方あるまい。

 ということで、安倍首相もな、というところに落ち着かせた。私は実を言うとそこが一番ひっかかっていた。この話は後で触れる。
 遠藤武彦元農水相内心ポカーン推測に話を戻すと、2日付けFujiSankei Business i.”農水相は辞任せず 共済組合掛け金不正受給問題で ”(参照)をそのまま受け取ると、遠藤武彦元農水相はこの事態をよくわかってなかったようにも思える。

同相は不正受給を認めた上で、「大変な不祥事で申し訳ない。全体責任は組合長にある」と述べた。ただ、「実務には全然タッチしていない」とし、不正受給に関する自身の関与は否定。

 責任上はそういうことだが、不正受給を采配していたわけでもなく、ざっくばらんに言えば名前貸しのようなものだったのだろう。もちろん、くどいけど、それが責任ということではあるが。そして。

 不正受給について、農水相は「3年以上前に当時の担当課長2人から報告を受け、そんなことまでして実績を伸ばすことはないと叱責(しっせき)した」と述べた。
 ただ、当時は会計検査院から問題を指摘されたが、「(不正受給分の)返還の指示はなかった」と明言した。

 これも事実なのではないか。つまり、要点は不正受給よりも、「実績」にあったのだろうし、そうした「実績」のフライングについてはそれなりの手順があったのではないか。たぶん今回のケース以外にもあると思うが、調べれば。
 また1日付け読売新聞”遠藤農相「組合長だけは辞任」 補助金不正受給で会見”より。

 農相が3年以上前から不正受給の事実を知りながら、未返還である点に質問が集中すると、農相は「返さなくてもいいとは思っていない」と答えたが、「県と相談しなさいと、職員には指示した」などと口調を強める場面もあった。

 通常はこの手のトラブルは、組合と県の実務レベルで決まることなのではないのか、ということで、遠藤武彦元農水相は当初、「辞任というのは、兼業兼職についてで、大臣を含めてと取られては困る」とつっぱねていたのだろう。
 自分を遠藤武彦元農水相の位置に置いてみてと、何かできただろうかと自問して、まあ空しい、あははは、悪いのは、オレとか呟くくらいか。
 この話については、あと、この問題どっから誰がひっぱり出したのか気になってざっくり調べてみたのだが皆目わからん。わからなくてもいいか。なんかその手の、これは使える悪魔の手帳みたいものがどっかにあるのではないか。どっかのブログとかどっかの日記とかによく載るアレとか。
 話を「この話は後で触れる」に戻すと、つまり、大臣の任命は首相一人ということでだから責任も首相一人ということで、要するに悪いのは安倍ちゃん、決まり、と、それはそうなのだが、どうもそのあたり、なんともひっかかりがあった。むしろ、遠藤武彦元農水相より、その仕組みが気掛かりでもあった。
 実はこのしょうもないエントリを書こうかと思ったのは、今朝のNHKラジオで平野次郎学習院女子大学特別専任教授の「誰が石を投げるのか」という、話を聞いたからだ。話はある意味でぶほぶぼのほのめかしみたいなもので、米国の最高裁長官を巡る歴史の話だが、米国政府の要職決定には上院が認可に関わるということがたらたらと続くのだが、あえて意図をとれば、大臣などの任命には上院のような立法府に近いところでの認可の仕組みがあってよいだろう、民主主義というのは手続きなのだから、ということがあり、さらに、そのような仕組みがあれば、マスコミのバッシングで大臣の首がそのまま飛んでしまうということはないだろう、という含みがあった。
 つまりだ、私もそう思う。
 今の世論やマスコミの空気を読めば、遠藤武彦元農水相が悪いに決まっている決まっている決まっている、辞めさせて当然、というものだろうが、大臣の首を飛ばすというのはある種の権力の露出であり、こうした権力にいろいろと歯止めをかけるのが民主主義の手続きの特性であるべきなのではないのか。もし、日本に大臣を上院で認可するみたいな制度があれば大臣は簡単に首は飛ばない。認可の責任というバッファができるし、そこで誰がその権力を持っているかが可視になる。

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2007.09.02

アフガニスタンのケシ生産と貧困の関係は薄い

 先日ラジオで、アフガニスタンとケシ栽培について、貧困が重要な要因ではないという話を聞いて、え、そうなの?と疑問に思った。
 というのは、アフガニスタンでは治安が悪化し、産業が衰退し、それが貧困をもたらし、それゆえに、国際的に問題となるアヘン生産の元になるケシ栽培も生きるためにはしかたなくしていると、なんとなく思っていたのだ。なんとなくではなく、例えば、JVCの「混迷のアフガニスタン 谷山博史報告会  : JVC - アフガニスタンの復興と治安課題を考える (イベント報告:議事録要約)」(参照)では次のように今年付で語られていた。


 「2007年2月12日、文京シビックセンター(文京区)にて「アフガニスタンを知る」と題した報告会を開催しました。

 そこでは、タリバンの攻撃活動に触れこう説明されている。

 そのような攻撃活動には「お金」が必要ですが、資源の乏しいかつ貧困で生活が圧迫されているアフガニスタンでは、お金になるのは「ケシ栽培」、つまり「アヘン」の原料です。国際的には概ね非合法的なケシの栽培とアヘンの密売により得た闇の収入源で、タリバンの攻撃が行なわれているということです。資金源を断つためには「ケシ栽培」を撲滅することが先決ですが、ケシに匹敵する収入源となる代替作物が見当たらないのが現状であり、またケシ栽培が盛んな東・南・北の地域では治安が悪化しているため、支援国(イギリス)による撲滅運動も遅々として進まない難しい状況を強いられています。

 つまり、やっぱり貧困が原因という主張がある。
 しかしそうではないとするラジオの話が気になって、ニュースまわりを調べてみると、AFPのニュース”アフガニスタンのアヘン生産量、前年比34%増”(参照)があった。

【8月28日 AFP】アフガニスタンにおける2007年のアヘン生産量が前年比34%増となり、アヘンの供給を同国がほぼ独占していることが27日、国連(UN)の発表で明らかになった。


 「2007 Annual Opium Survey」では、アフガニスタンが世界のアヘン市場の93%を占め、「実質的にアヘンの供給を独占している」との事実が示されている。

 それはすごいなと読み進めるが、「なぜ」についての言及はなく、唐突にこう締められている。

 UNODCは、タリバンがアヘン取引で得た資金を武器購入費用などにあてており、ケシ栽培はタリバンと「密接な関連」を有すると述べている。

 タリバンがどう関係しているかはなぜかこのニュースではわからない。なんか変な感じがしたので、オリジナルソース、UNODC(国連薬物犯罪事務所)の文書を当たってみた。
 すると、”Afghanistan Opium Survey 2007 Executive Summary”(参照PDF)という公式文書があり、関連事項を読んでいくと、こう記載されている。

Insurgency, greed and corruption

This North-South divide highlights three new circumstances. First, opium cultivation in Afghanistan is no longer associated with poverty . quite the opposite.
(南北の分断は3つの新状況を際立たせた。第一に、アフガニスタンでのアヘン生産はもやは貧困には関連付けられない。事態は、逆である。

Hilmand, Kandahar and three other opium-producing provinces in the south are the
richest and most fertile, in the past the breadbasket of the nation and a main source of earnings. They have now opted for illicit opium on an unprecedented scale (5,744tons), while the much poorer northern region is abandoning the poppy crops.
(ヘルマンド、カンダハルおよび南部のその他の3つのアヘン生産地区はもっとも、裕福であり、かつもっとも肥沃な土地であり、かつては国家の穀倉地帯であり、収入源でもあった。今や、彼らは、前代未聞のスケールで不正なアヘンを選択しているが、他方より貧困である北部地域においてケシ栽培は放棄されている。)


 けっこうはっきり言っている。やはり、貧困問題ではない。
 こうしたUNODCの報告になんらかの偏向があるのかもしれないが、そこまで疑うのも妥当ではないだろう。いずれにせよ、事態はそういうこと、つまり、現在のアフガニスタンのアヘン生産は貧困の問題ではないのだろう。
 なんとなく、この世界の諸悪の原因は悪政による貧困であり、善政があれば貧困なくなりそしてすべてが薔薇色に解決されるみたいな感じをついデフォで持ってしまいがちだが、どうやら、この事例でもそうではない。
 アフガニスタンの現状と貧困とケシ生産についていえば、一義に悪いのは通称タリバンであり、次にそのマーケットの存在なのだろう。

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