[書評]いつまでもデブと思うなよ(岡田斗司夫)
ちなみに私の身長は171cm。岡田斗司夫と同じ。年齢は私のほうが一学年上。50歳オヤジ。体重は63kg。BMIだと、21・5。つまり、べたに標準。というわけで、本書「いつまでもデブと思うなよ(岡田斗司夫)」(参照)を実践的な意味で読む必要はゼロ。でも、とても面白かった。年間50kg減量なんていうこと自体がミラクル! ということで、河口慧海「チベット旅行記 抄」(参照)みたいな秘境探訪感も……あるかな。
いつまでもデブと 思うなよ 岡田斗司夫 |
たとえば、つい一年前まで一一七キロと思い切り太っていた私は、「デブ」というキャラにまず、あてはめられていた。見た目で、私が他人と圧倒的に違うのは「太っている」という要素だったので、当然だろう。が、今考えると恐ろしいことに、私はその意味を自覚していなかった。
もちろん、自分が太っているのは知っていた。が、たったそれだけの理由で、私に対する評価が、まず「太っているヤツ」であり、自動的に「大食い」「だらしない」「明るいけどバカ」「人付き合いが下手」……などのイメージをあてはめられてしまう、とは考えてもみなかったのだ。
つまり、今の日本の世の中、見た目でキャラが決まるとキャラの属性が、対象の属性を覆ってしまうわけですよ。それが現実でしょと彼は言う。
2章は各種ダイエットの議論があり、このあたりはダイエット・マニアには面白いのではないか。私はこの分野を知らないのでへぇと思った。
3章からいよいよ奇跡のレコーディング・ダイエットの実践マニュアルということになるのだが、なんというのだろう、私にはそれほどリアリティが感じられなかった。というか、ゲームのシナリオみたいだなと思った。もちろん、それが面白いには面白いし、ある意味で、シーク&ファインドの小説風でもある。
さて、これを言うのを少しためらうのだが、このレコーディング・ダイエットだが、とても理詰めに書かれているけど、これこそ偽科学というか似非科学の代表で、とかいうと批判みたいだけど批判の意図はなく、まあそういうもんだということ。科学的であるためには、もっとデータがないとダメ。また、識者の評価なども含めないといけない。その意味で、このダイエットをマジで実践する人がいたら、そのあたりは科学的に考えたほうがいい。あるいは科学者がこれをサポートしてあげるといいだろう。
私の印象だと、このダイエットは170cm100kgの人が80kgまでは減量すると思う。本書の段階でいうと、「離陸」「上昇」まではいけるとだろう。だが、そこまでで限界になる人が多そうだ。といことで、その限界からさらに下げたい世の中年男性のメタボ予備軍に効果的かは疑問に思えた。理由は、本書の文学的なクライマックスに関係する。減量が一定のペースで「巡航」する段階のことだ。
こんな時期、突然というか発作的に激しい飢餓感に襲われた。毎日一度ぐらい、空腹と落ち込みの感情が同時に、強烈に襲ってくるようになったのだ。
考えてみれば当たり前で、簡単に減らすことができる内臓脂肪もすっかり底をついてしまい、渋々、皮下脂肪を燃やし始めた体は、(勝手に!)生命の危機を感じ始めているらしい。やせようとする私の意志や行動を、あらゆる方法で妨害してくる。
まず強烈な飢餓感が襲ってくる。お酒やたばこの禁断症状もこんな感じだろうか、と思うほどだ。
その飢餓感の問題はまだ医学的に十分説明が付かないだろうと思うが、お酒やたばこの禁断症状については、現状ではメディケーションの対象でないと危ない。
今までなら、楽しくカロリーチェックをしたコンビニのお菓子棚も、「これも、これも、これも食べられない。もう一生、食べられないんじゃないだろうか。ここに売っているほとんどのものが一生食べられないなんて、こんなんで、生きている意味があるんだろうか」と見ているだけで泣きたくなってくる。
いや、大げさな話ではない。私は本当に深夜営業のスーパーで、それも菓子パンの棚の前で泣いたことがある。
この要所を抜けた人がこのダイエットに成功するのだろうし、岡田もそれがよくわかっていていろいろサジェスチョンを投げている。本書で一番の要所かもしれない。もう一つ要所は、レコーディング・ダイエットの「助走」にあり、たぶんそれは自己認識という問題になる。このスーパーで泣き出す中年男の情けなさは私もこのシーンではないが類似の経験があり、自己認識の核に関連する。自己認識の核というのは無意識、つまり身体性に潜んでいてその露出は非常に危機的な力を持つ。
この最大の難所の説明あたりから、本書のトーンは、多少宗教家の説教ぽくなっている印象を受ける。レコーディング・ダイエットへの批判に対して。
もちろん本の読み方など自由だ。しかし、効率よく失敗なくやせるためには、段階があり、段階ごとに慎重に進む方がいい。「欲望」と「欲求」の話を聞いてもピンと来なければ、この章の続きを読むよりまずは「助走」「離陸」の段階を実際に経験してほしい。
たぶん、この語りは本心からであろうが、すでに秘儀の世界に入ってしまっている。
くどいが、それが批判ということではない。そのように語られるべき自己認識の内実と、身体性という見た目による社会のインタフェースの問題が、本書で、奇妙な形でくっきりと露出していることが面白い。
噂に聞くところでは岡田はこれから筋トレというかターザン系の世界にも進むらしい。そういえば三島由紀夫もそうだったかなとかちょっと思い出したが、三島ケースとはまったく違った、次のエポックを岡田は切り開いてくれそうだ(中村うさぎのように)。
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コメント
精神的停滞は、単にうつ病的症例をあらわしていて、
けっきょく、この精神状態を克服するモチベーションあるいは、オタク度の強さが必要なんだろうね。
ただし、酷ければ、精神的停滞は悪化するだろうし、続編の本が売り出されてから、判断した方が良さげ。
作者のブログでも、うつ病的なことは言及されている。
本人なりの対処方もかかれていたから…、なるほどな。
世代論的に言うのもなんだが、
団塊の世代は鼻つまみ者扱いされるに対して、
作者の世代は、憎悪されやすいのカモメ。
自ら圧迫して自ら落ち込んだりするので、
まるで、一人マリオネットみたいで、
その上、芝居が暗いから、余計、憎悪されるような。
ちなみに、バカはバカにされるだけで、憎悪されたりはしないならしい…
気楽だ。
投稿: なると | 2007.08.29 13:40
極端に痩せることが脅威というより、そこまで「太れる」ことのほうがよっぽど脅威でしょ。私、標準体型~やや痩せ気味ですけど、10kg太っただけで毎日が気持ち悪くなりますけどね。体が重いとか気分が悪いとか頭がボーっとするとか。そういう状況を通り越して100kgだの120kgだの逝けてしまうのも凄いといえば凄いですけど、そこまで逝っちゃった自分を嫌ったり体調不良を理由に痩せようとすること自体、自己管理トコトンなっちゃいねぇ、でしかないんじゃないかと思うんですけど。
デブでも何でも別に困りはしないんだったら、世相に流されて無理に痩せなくてもいいと思うんですけどね。ダイエットしてる馬鹿が傍で騒ぐと鬱陶しいことこの上ないんで。
投稿: | 2007.08.30 19:39
>だが、そこまでで限界になる人が多そうだ。
ぱちぱち!その通り。普通の生活をする普通の人はそもそも117キロ
までは行きません。80キロから10キロ減らしたい、それが多くのダイ
エッターの願いです。
でも、35キロ走ってきて、残りの7.195キロは勢いで走りきれますが、
これから走る7.195キロの道のりは、普通の人にとってあまりに遠い
ってのが実感ですよね。
投稿: こって牛 | 2007.10.17 15:48
>投稿 | 2007.08.30 19:39
自己管理に至る道及び、太っていることで存する社会的背景を客観的に説明している本への批判としては、著しく的外れ。
趣旨が読み取れない人間が、したり顔で他人を馬鹿にするのは見苦しいことこの上ない。
投稿: | 2008.02.15 15:43