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2007.08.18

ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)のこと

 今年の8月はブログに戦争の話題を書きたくなかった。ブログも4年を越え、自分なりの考えはもうあらかた書いたような気がしていたし、しだいに8月15日という日が、自分には日本の独善的な欺瞞にしか思えなくなりつつある。が、ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)の死については書いておくべきなんじゃないかとふと思った。ためらった。私が書いたところでまた誤解されるだけなのだ。でも、書いておこう。
 ジョー・オダネルの死を朝日新聞は少し奇妙な伝え方をしてた。11日付”「焼き場に立つ少年」の写真家ジョー・オダネルさんが死去”(参照)より。


ジョー・オダネルさん(米国の写真家)が米テネシー州の地元インターネットニュースサイトによると、10日、同州ナッシュビルで脳卒中のため死去、85歳。

 奇妙な感じがしたのは、新聞社が「地元インターネットニュースサイトによると」みたいな書き方をしていいのだろうかということ。そしてそのサイトはどこなのだろうか。これじゃブログに劣るのではないかと、ほんの少し、いやごく僅か、なにげに思った。
 共同では一応サイト名を上げていた。11日付”J・オドンネル氏死去 米写真家”(参照)より。

 ジョー・オドンネル氏(米写真家)米紙テネシアン(電子版)によると、10日、脳卒中のため死去、85歳。

 情報の伝搬を考えるに、たぶん、共同のほうが先にあってそれを朝日がアレンジしたのだろう。ただ、ここでまた、少し奇妙な印象を受ける、いや、ほんの少し、いやごく僅か、なにげに程度だが、共同では「オドンネル」になっている。朝日のほうは「オダネル」だ。
 時事の記事はすでにネットからは消えているが、11日付”ジョー・オダネル氏死去=原爆投下後の広島、長崎撮影”(参照)ではこう伝えていた。

 広島、長崎で原爆投下後の被災した様子を撮影した写真で知られる元米従軍カメラマンのジョー・オダネル氏が9日夜(現地時間)、脳出血のため、米国テネシー州ナッシュビルの病院で死去、85歳。親族が明らかにした

 こちらは「オダネル」表記で、また死亡日は「9日夜(現地時間)」となっている。これがただしければ朝日新聞と共同は日本時間を取ったことになる。このあたりの報道の原則はどうなっているのだろう。
 そういえば、時事では、名前として「JOE O’DONNELL」とも記している。つまり、クリス・オドネルと同じなので、現代風には、オドネルのはずだ。だが、日本のジャーナリズムではオダネルが通例だ。理由は後で述べる書籍によるのだろう。
 ところでこのニュースのもう一つのバリエーションだが、長崎新聞ではこう伝えている。12日付”ジョー・オダネルさん死去 被爆直後の長崎撮影”(参照)より。

一九四五年に米海兵隊従軍カメラマンとして被爆直後の長崎を撮影したことで知られるジョー・オダネルさんが九日(日本時間十日)、米テネシー州ナッシュビルの入院先の病院で死去した。八十五歳。妻の坂井貴美子さんによると、死因は脳出血。

 おそらくソースは共同だろうと思うので、日付的にもその後の詳細なのだろうか。同記事ではジョー・オダネルをこう紹介している。

 一九四五年九月、佐世保に上陸。広島、長崎などで戦災状況の撮影に従事した。長崎では全身に大やけどを負った谷口稜曄さん(現長崎原爆被災者協議会会長)も撮影。九三年十一月に来日した際、感激の対面を果たした。九五年には、欧州のハンブルク、ウィーン、ベルリンなど各都市で写真展が開催された。

 時事のほうと比べると興味深い。

 1945年、被爆した広島・長崎や空襲で被災した各地の様子を記録するため、占領軍カメラマンとして来日。46年帰国後、私用カメラで撮影した写真ネガを罪悪感から自宅のかばんにしまい込んだ。49年から68年まで、米国情報局ホワイトハウス付カメラマンとして、トルーマンら歴代の大統領に仕えた。
 89年、米国内の反核運動に触発されてかばんを開け、90年米国で原爆写真展を開催。写真集「トランクの中の日本」(小学館)を出版。

cover
トランクの中の日本
米従軍カメラマンの非公式記録
ジョー・オダネル
 この記者は日本の背景をよく理解している。
 恐らくオダネルが日本人にとって大きな意味を持つようになったのは、「89年、米国内の反核運動に触発されてかばんを開け」以降ではないかと思われるからだ。
 これを機に彼は封印してきた写真を公開し、そして95年に「トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録」(参照)が日本で出版した。だが、米国ではこの時点で出版されなかった。米国での出版は、2005年の”Japan 1945: US Marines Photographs From Ground Zero”(参照)によるようだ。
cover
Japan 1945:
US Marines Photographs
From Ground Zero
Mark Seldon
Joe O'Donnell
 同書の表題、" Ground Zero"が暗示しているように、この写真集はセプテンバー・イレブンが間接的に生み出したとも言えるだろう。95年の日本版について、アマゾンの素人評に興味深い指摘がある。

小学館 1995年6月10日初版第1刷発行 ー品切れー, 2007/8/13
By 人形和美 (東京都水際区) - レビューをすべて見る

写真家オダネル氏は2007年8月10日にテネシー州で亡くなった。享年85歳。

スミソニアンの展示がキャンセルされたことについての和文の あとがきが英文のそれにはない。理由の説明ももちろんない。

96頁の写真「焼き場にて」はあまりにも有名で、オドネル氏の死亡記事にも あわせて小さく掲載されていた。写真とそれにつけた彼の文章(翻訳)を読むと この少年は今どうしているのかなどいろいろ思いが及び、同時に涙を誘う。

ヒロシマナガサキ(オカザキ監督)をはじめとして映画が製作される。 映画を見るのもいい。私はこの写真集が増刷されて、入手できる日をこころまちにしよう。


 人形和美さんがこの評を書いたのはオダネル追悼と品切れの出版界への警笛でもあるだろう。同氏が指摘している「焼き場にて」は英語版の表紙のそれでもあるが、日本では別バージョンが有名で、ネットに多く転載されているが、著作権の扱いはどうなっているのだろうか。もし、転載ができるなら、私もここに転載したい。私は戦争の残虐さだけを表現した写真を好まないがこの写真は人の魂を打ち砕く力がある。そしてその力は、率直言えば、オダネル自身が半世紀も封印したいほどのものだった。私にはその彼をおそった封印の思いに心を寄せる。
 日本農業新聞15日付けの社説がこの写真について的確に触れている(参照)。

 「焼き場に立つ少年」は、亡くなった幼い弟を、おんぶ紐(ひも)で背負い、直立不動で火葬の順番を待っている10歳くらいの少年を撮影したものだ。はだしの少年の、きつくかみしめた唇には、血がにじんでいたと、後にオダネル氏は語っている。足に浮腫がみられた少年は、その後どんな人生を歩んだのか、オダネル氏は再会を望んだが、果たせなかったという。

 オドネルの死は米国ではどう報道されたか。
 14日付けニューヨークタイムス”Joe O’Donnell, 85, Dies; Long a Leading Photographer ”(参照・要登録)が詳しい。

The cause was complications of a stroke, said his wife, Kimiko Sakai. She said that he had had more than 50 operations, among them surgery on his colon and his heart, and that he had attributed his poor health to radiation exposure resulting from his visits to Nagasaki and Hiroshima.
(死因は、妻坂井貴美子によると、卒中が併発したものだった。彼は50回もの手術をしていたし、それには直腸や心臓の外科手術も含まれていた。彼が健康を損なっていたのだは、彼が長崎と広島を訪問したおりの被爆によるものだ。)

 オドネルは米国の公的な写真家でもあり、そうした側面についてニューヨークタイムス記事は触れているのだが、後半はやはりトランクの中の写真に多くを裂いている。

Mr. O'Donnell also ventured to Hiroshima and to cities bombed with conventional weapons. He carried two cameras. With one, he took pictures for the military. With the other, he took pictures for himself. When he returned home after the war, he put the negatives of his own photos in a trunk and locked it, emotionally unable to look at them.
(オドネル氏はまた広島や通常兵器を受けた諸都市も訪問した。彼は二つのカメラを持っていた。その一つで従軍用の写真を撮り、もう一方で彼自身のための写真を撮った。戦後彼は帰国し、その写真のネガをトランクに詰め封印した。それらは感情的に見ることができなかった。)

 彼が自身の封印を解いたのは半世紀近くたってからだ。

When he finally could, nearly a half-century later, he was so repulsed that he threw himself into protesting nuclear arms. In 1995, he published in Japan a book of many of those photos, and, a decade later, another in the United States. He lectured and exhibited in both countries.
(約半世紀して彼は見られるようになったとき、打ちのめされ、自身を核兵器反対運動に投じた。1995年、彼は日本で多くの関連写真を出版し、10年後に米国で出版した。彼は両国で講演と展示会を行った。)

 記事はこのあとスミソニアン航空宇宙博物館展示の問題に触れているが、このエントリでは割愛しよう。ただ、彼は原爆は「しかたがない」とする展示の趣旨を受け入れることができなかった。

The photographs were stricken from curators' plans, as were other features that offended veterans. In an interview that year with National Public Radio, Mr. O’Donnell contended that, given what he had seen immediately after the war, Japan could have been defeated with conventional arms, and without the hundreds of thousands of American casualties that an invasion of the Japanese home islands had been expected to entail.
(退役軍人の怒りを買った他の展示と同様、その写真はキュレーターの企画から削除された。この年の国営ラジオNPRのインタビューでオドネル氏は議論を投げかけた。彼が戦後すぐに見たものからすれば、日本は通常兵器で敗戦に追い込むことができた。しかも、本土上陸による十万人規模の犠牲者を要せずとも可能だった。)

 拙い訳をしながら胸が詰まる。なのでここでこのエントリはここで終わりとしたい。

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コメント

>The photographs were stricken from curators' plans, as were other features that offended veterans.

これは
「退役軍人の怒りを買った他の展示と同様
オダネル氏の写真は、展示中止となった。」
という意味では?

投稿: owu | 2007.08.19 00:09

owuさん、誤訳のご指摘ありがとうございました。そのままではありませんが、本文に反映しました。

投稿: finalvent | 2007.08.19 08:52

08.8.7NHKの放送を観ました、なぜか涙が出てきました、彼がこの原爆が正当性であったかの問であったと理解しましたが、アメリカ政府はよくある人の制にします、トルマン大統領の質問をした答えにもそれが、現れていました、頑張って下さい!

投稿: eye3828m | 2008.08.07 21:14

08.8.6 BS6にて、また今日08.8.7にはNHKでオダネル氏についての放送を観ました。テレビの前で釘付けになり、これは今観なくてはいけないものであるように感じました。今朝の新聞“核超大国 非核の風”(朝日新聞)が、現実味を増していきますように。私は歴史の勉強などまだまだ不足していますが、感じることは、日本の政府がもう少し強気で歴史に冷静な判断を下していく勇気を持って欲しいと切に願います。

投稿: kei | 2008.08.07 23:35

2008年8月7日NHKの番組でオダネルの封印された長崎の写真と彼のコメントを知るにおよび大変感銘を受けました。
45年もトランクに封印しておいたあの写真を公開しようと決心した心の軌跡をもっと詳しく知りたかったです。
彼をつきうごかす何かが働いたのでしょうね。
離婚した後日本人と再婚していらしたことは後で知りました。
その方がクリスチャンだったとの事で、彼も神様を信じるようになっていたのではないのでしょうか。アメリカの軍人から原爆の証人が出てくれたことに感激いたしました。

投稿: 町田のり子 | 2008.08.08 12:20

昨日、偶然にも放送を見ました。番組の中で「謝る必要はない」という書き込みがこの方の息子さんのHPに掲載されたと記憶しています。

謝って欲しいとは、思いません。謝られたところで時間を巻き戻すことなどできない。
ただ、考えて欲しいなと思います。
核を使うことで、どんな結果が自分たちに現れるのか。
先の書き込みは、自分たちが絶対にその脅威にさらされることはない、と思ってのことなのでしょうか?

広島・長崎に落とされた核と今ある核では威力が格段に違うはず。影響は落とされた場所だけとは限らないのに。

投稿: seiya | 2008.08.08 14:39

亡くなった弟を背負う少年の写真は、何年か前にこの写真に出会ったとき、息をのんだのを覚えています。2008.8.7の放送を偶然ですが見ることが出来たことに感謝します。オダネルさんの遺志を息子さんが受け継がれたことに深く感動を覚えました。私もアメリカ国家に謝ってもらうことは望んでいません。ただ彼の国の一人でも多くの人たちが、心の奥底で「やはり誤った選択であった。」と感じてくれることを深く、深く、念じて止みません。

投稿: 藤井敏明 | 2008.08.08 19:46

私はアメリカに住んでますが、こちらの時間で8月8日にNHKの放送を見ました。見るつもりはなかったのですが、私も画面に釘付けになり、最後まで見ました。アメリカ人としてアメリカという国の中で原爆は間違っていたのではないかということはとても勇気の要ることだと思います。これを見て深く感銘を受けました。戦争は誰にとっても良いことなど何一つなく、ましてやそこにすむ子供たちには何も罪のないことを知らせたいという思いだったと思いますが、少なくともこの番組を見た人には届いたのではないでしょうか?息子さんがお父さん意思を受け継いで活動を続けていくということも、すばらしいことだと思いました。

投稿: サチコ | 2008.08.09 12:00

はじめまして♪TBさせてもらいました。

投稿: あずーる | 2008.08.09 18:55

2008.8.7.NHKの放送で故ジョー・オダネル氏のことを知りました。長崎の爆心地に入り、現場を撮影した米兵のカメラ・マンが居たことは知っていましたが、「焼き場に立つ少年」の写真を見たのは初めてで、深い感銘を受けました。同時に、私の脳裡には野坂昭如氏の「火垂の墓」が蘇ったのです。世の中で二度と読みたくない小説があるとすればこの「火垂の墓」です。二度と読めない意気地無さを持っていることを告白しなければなりません。
もう一つの記憶は、カール・マイダンスの写真展で見た中東戦争の一葉の写真です。意気揚揚と凱旋する米兵に向って、戦地で行方知らずの息子の写真を掲げ、何とか消息を掴もうとする母親、帰還する喜びでそれどころではない兵士たち、と言う瞬間を撮影したものです。これ以上は書けません。

投稿: 目黒 俊作 | 2008.08.10 20:36

私も2008年8月7日NHKの番組でオダネルの封印された長崎の写真と彼のコメントに大変感動しました。

 現在「原爆神話」についてブログで連載しています。
http://blog.goo.ne.jp/kan-noki-shitei
お時間ありましたら眺めてみてください。 多分2~3分で読めるかと思います。

 正しい 真実を目指した 歴史研究にもとづいた
歴史教育が全ての国において必要だということを痛感します。

投稿: 歓乃喜 | 2008.08.15 11:49

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» NHKスペシャル「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」 [kayophoto info]
NHKスペシャル「解かれた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI~」 http://www.nhk.or.jp/special/ 2008年8月27日(水)  深夜 【木曜午前】0時45分~1時34分 総合 初回放送 2008年8月7日(木) http://www.nhk.or.jp/special/onair/080807.html 以下、転載 今、1枚の写真が注目を集めている。 63年前、被爆した長崎で撮影されたもので、亡くなった幼い弟の亡きがらを背負い火葬場の前にたつ「焼き場に立つ少... [続きを読む]

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