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2007.08.31

米国の兵器産業が対外的に弱体化しているらしい

 世界の兵器産業というのは兵器の高度化もあいまって、米国の独走なんだろうなとなんとなく思っていたし、そう言ってもそれほど間違いでもないのだろうけど、今週の日本版ニューズウィーク(9・5)の記事”兵器市場に響く軍拡狂騒曲”を読んで、意外に思ったことがあった。世界市場で見ていくと米国の優位には陰りがありそうだ。
 まず米国と限らず世界的に全体的に兵器産業は好調ということがあるのだが。


 ヨーロッパ勢の攻勢が最も目立つのは、途上国の兵器市場だ。この分野における米メーカーの市場占有率は、92~05年の間に54%から29%まで低下した。
 とくにアメリカ勢の苦戦が目立つのは中東だ。原油価格の記録的高騰を受けて各国が防衛予算を増大させる中、イギリス、フランス、それに中国の軍需関連企業は米メーカーの支配的地位を徐々に突き崩しつつある。


 さらにサウジはGIATやDCNSといったフランス企業と、総額80億ドル相当の戦闘用航空機、戦車、潜水艦の購入契約を結ぶ見込みだ。「(湾岸諸国は)軍需増強をイランに見せつけようとしている」と、ロンドンの中東専門家ニール・クイリアムは言う。「だが同時に、もう以前のようなアメリカ頼みではないというメッセージを自国民に発するねらいもある」

 アラブ諸国の対イラン意識が伺われて興味深いことはさておき、なんとなくだが、サウジとブッシュ政権の関係をみると、米国からほいほいサウジに軍事支援しているような印象もあるが、実際の米議会ではサウジが過激派と関係が深いことを懸念し、兵器売却に難色を示している。
 ちょっと引用が長くなるが。

 この傾向はアジアでも見受けられる。米政府はしばしば、圧政を理由に潜在的な顧客に経済制裁を科したり、先端技術の提供を拒否して大型契約をみすみす逃している。だが、ロシアや中国といった他の武器輸出国には、そのような足かせはない。

 その一例として記事ではパキスタンがあげられ、パキスタンは中国と新型戦闘機共同開発に向かったという。
 こういう事態をどう捉えていいのかちょっとわからないなという感じがする。基本的にはここで描かれていることが嘘だとは思えない。
 他方、朝鮮日報”世界の防衛産業、売上高の63%は米国企業”(参照)の記事も正しいだろう。

 これら軍需産業に占める米国企業の割合は非常に高い。世界のメーカー上位100社が計上する売り上げの実に63.3%は、40社に上る米国企業が占めている。次いで、36社に上るヨーロッパ企業の売り上げが高く、その割合は29.4%を占めている。ちなみに世界の兵器市場で米国と争っているロシア(4社)は、わずか1.2%を占めているにすぎない。

 ニューズウィークの記事と合わせて考えれば、米国の軍需産業というのは、意外と国内消費向けなのだろうということ、案外それが住宅バブルのように経済の牽引の役割を担っていたのだろう。
 素朴に書いてしまうと、日本のマスメディアは反米基調があるので米国が軍事的に暴虐を振るっているかのようなイメージをイラク戦争後の混乱に乗じて撒いているが、実態はこの間米国の軍事は停滞していたのではないだろうか。そして実際の世界の軍事的な混乱、特にアフリカでの諸問題は米国以外の軍事産業の関わりが大きいような気がする。まあ、気がするというだけで、別に米国に加担する意図はないので、そうではないよというご指摘があればそれは幸い。
 ところで、ニューズウィークの同記事では、このところ話題のF22を日本に売らないという話題にも触れているのだが、日本と特定されているわけではないが、海外受注が進まないとF22の生産ラインは維持でないらしい。ということは、日本がF22を最終的に購入するというシナリオができていそうな気もするが、ネックになっているのは日本の情報管理能力もだが、対中国の問題だろう。今後、米政権が民主党に移るとなるとそのあたりはどうなるということもある。
 そういう線で考えるとシナリオをするっと通すのは難しい。通すには、日本が今より熱狂的にF22売ってくれと何かとヒステリックな日本国民が騒ぎ出す状況が必要になる。というところで、それもちょっとなという感じはするし、別に陰謀論をフカシたいわけでは全然ないが、もしかすると、まあ、なんかあるのかもしれないな。

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2007.08.30

[書評]中学生でもわかるアラブ史教科書(イザヤ・ベンダサン、山本七平)

 かつて一読はしたが、「文藝春秋」とは異なり、74年の「諸君」はあまり図書館で保管されていないので、こうして30年以上も経って復刻されて再読すると感慨深い。この歳になって読み直してみると(つまり当時の筆者らと同年くらいの歳)、書き様がけっこう荒っぽいし不用な修辞も多く見られる。はたしてこれが「中学生でもわかる」本だろうかと少し考えて、しかし生意気だった自分の中学生時代を思えば、小利口な中学生なら十分読めるだろう。さて、ここでためらうのだが、本書は、冷静に評価すれば、トンデモ本であろう。

cover
中学生でもわかる
アラブ史教科書
日本人のための
中東世界入門
イザヤ・ベンダサン
山本七平
 私は、山本七平の心酔者であり、30年以上もイザヤ・ベンダサンの追っかけ読者でもあった。両者の関係についてはここでは触れない(なのであまりべたなツッコミもやめてくださいね)が、二者が同じテーマでしかもほぼ同時期に書いたものを並べてみると、考え方はさすがに同じだが、究極の部分を見つめる視線に差を感じる。単純に言えば、イザヤ・ベンダサンのおちょくったような物言いには奇妙な悲劇性が感受できる。だが、このこともそこまでとしよう。
 アラブ史については本書でも言及されているが、基本はヒッティの「アラブの歴史」(参照<上><下>)なのだろうが、さすがにこれは中学生向きとは言えないし、一般の読者でも難しいのではないだろうか。その点では、本書はサマリーをさらっと書いているのでお得な本とは言えるだろう。あと、一定の年代以上の日本人ならあのころ、あのオイルショックの馬鹿騒ぎの空気が間接的に感じられるだろう。
 さて、では、なぜ本書をトンデモ本と言うしかないだろうなと思うかなのだが、イスラエル建国時のパレスチナ難民数への過小評価の示唆があるからだ。もちろん、推定して書かれて、主張ではないのだが、本書を普通に読めば1万5千人から22万5千人という理解になる。これは定説の60万人から70万人とあまりに差がありすぎる。しかも、この差について、イザヤ・ベンダサンは執筆の74年時点で10年もすればわかるでしょうと暢気に構えているが、私の知る限りその後の経緯もそういうものでもないようだ(どうですかね、ご専門のかた?)。暢気といえば、パレスチナ問題も早晩収まるような雰囲気も本書には感じられるが、あれから30年経ち、ご覧のありさまである。
 だが私としては、これは貴重なトンデモ本かなという感じはしている。それは、ユダヤ人だったアーサー・ケストラーの「ユダヤ人とは誰か 第十三支族・カザール王国の謎」(参照)にも似ている。こちらの本は、日本での訳者もそうだが、なかなか不幸な出自の本でもあるといえるし、国際的には粗方トンデモ本という評価に落ち着いている。しかしこっそり読むべき部分はあろうなと個人的に思ってはいる。
 余談だが、私は30代にハザールについて関心を持ち、岡田英弘先生に二度ほど直接質問したことがある。岡田先生もハザールには深い関心を持っているのだが、ケストラー説については一笑に付した。そのおり、ドナウ河近郊に残る古代ユダヤ人遺跡などについても伺った。さて私はといえば、岡田先生がおっしゃるならそうかなというくらいだし、ケストラー説は国際的にはトンデモだしなというところで留まっている。ついでにあまり言うのもなんだが、南京虐殺についても秦郁彦「南京事件 増補版「虐殺」の構造」 (参照)のあたりが妥当であろうかなと思うくらいで、こうしたタッチーな問題にはそれ以上の関心はない。むしろ関心というなら上海戦のほうだ。
 どさくさまぎれで言うと、「聖書アラビア起源説(カマール・サリービー)」(参照)もトンデモ本だが、あながちばっさり捨てるものでもないだろうし、以前にも書いたが、このあたりの世界宗教はそろってゾロアスター教の影響があるだろうとか、私は私なりにトンデモな夢想ももっている。もちろん、トンデモだし夢想にすぎない。
 話を戻すと、ケストラーのトンデモ説は、オモテで語られないが実は国際的には賛否を抜きにして常識であり、もしかすると、本書のイザヤ・ベンダサンのパレスチナ難民数の話もその手の常識なのかもしれないという印象も少しある。
 もうちょっと書く。ある説がトンデモ説かどうかを、私はその説明や叙述で判断しない。国際的な合意の水準で受け取るだけなのだ。水の伝言が科学か似非科学か偽科学か、私は国際的な科学者の科学の水準で判断する。それだけ。もしかすると、世界が間違っているのかもしれず、トンデモ本に真実が書かれているのかもしれない。私は、しかし、そういうふうに考えないことにしている。それだけだ。
 本書で、もう一点、若干トンデモ説っぽいのは、イスラエル建国時の入植ユダヤ人の大半はアラブ世界から来たものだというあたりだ。これについては、だが、おりに触れていくつか資料を読んでいると、そういう見解でもよいのではないかと思える。その意味で、パレスチナの土地に欧州や東欧のユダヤ人がやってきて現地の人を追い出した、というのもまた違うでしょうとは思う。
 まあ、そんなところかな。山本七平とイザヤ・ベンダサンの著作に馴染みすぎて、ある部分では、たとえば「諸悪の根源はトルコ」とアラブが見ているといった説明などは、そりゃ普通そうでしょという感じに、ごく普通になっている。その他、いろいろとそれは普通でしょと思っている部分は多い。
cover
イスラムの読み方
なぜ、欧米・日本と
折りあえないのか
山本七平
加瀬英明
 そうそう、同じく復刻された「イスラムの読み方 なぜ、欧米・日本と折りあえないのか(山本七平、加瀬英明)」(参照)だが、これはお勧め。私は79年版「イスラムの発想 アラブ産油国のホンネがわかる本 対話」(参照)が書架にある。30年近く私の書架で生き残った本の一つだ。加瀬英明と山本七平というところで、げっとくる人もいるかもしれないが、あまり気にせず、さらっと読めて面白い本だと思う。

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2007.08.29

[書評]いつまでもデブと思うなよ(岡田斗司夫)

 ちなみに私の身長は171cm。岡田斗司夫と同じ。年齢は私のほうが一学年上。50歳オヤジ。体重は63kg。BMIだと、21・5。つまり、べたに標準。というわけで、本書「いつまでもデブと思うなよ(岡田斗司夫)」(参照)を実践的な意味で読む必要はゼロ。でも、とても面白かった。年間50kg減量なんていうこと自体がミラクル! ということで、河口慧海「チベット旅行記 抄」(参照)みたいな秘境探訪感も……あるかな。

cover
いつまでもデブと
思うなよ
岡田斗司夫
 彼の減量ミラクルについてはすでにネットでも話題らしく、そのレコーディング・ダイエットも各所で実践されているようで、成果もあると聞くが、とか書いたわりに私は実態をよく知らない。書籍としては、1章の「「見た目主義社会」の到来」はいろいろ頷くところがあった。ある意味でいつの時代でも人間の評価なんか見た目だし、作家とか哲学者とかも、見た目ですよ。ただ、岡田の指摘はそういう単純な見た目というより、見た目の最初のラベリングによってその意味ネットワークが先行してその人の評価を決めてしまうというあたりの指摘が、私などにはなるほどなと思った。彼は「キャラ」と言っている。

 たとえば、つい一年前まで一一七キロと思い切り太っていた私は、「デブ」というキャラにまず、あてはめられていた。見た目で、私が他人と圧倒的に違うのは「太っている」という要素だったので、当然だろう。が、今考えると恐ろしいことに、私はその意味を自覚していなかった。
 もちろん、自分が太っているのは知っていた。が、たったそれだけの理由で、私に対する評価が、まず「太っているヤツ」であり、自動的に「大食い」「だらしない」「明るいけどバカ」「人付き合いが下手」……などのイメージをあてはめられてしまう、とは考えてもみなかったのだ。

 つまり、今の日本の世の中、見た目でキャラが決まるとキャラの属性が、対象の属性を覆ってしまうわけですよ。それが現実でしょと彼は言う。
 2章は各種ダイエットの議論があり、このあたりはダイエット・マニアには面白いのではないか。私はこの分野を知らないのでへぇと思った。
 3章からいよいよ奇跡のレコーディング・ダイエットの実践マニュアルということになるのだが、なんというのだろう、私にはそれほどリアリティが感じられなかった。というか、ゲームのシナリオみたいだなと思った。もちろん、それが面白いには面白いし、ある意味で、シーク&ファインドの小説風でもある。
 さて、これを言うのを少しためらうのだが、このレコーディング・ダイエットだが、とても理詰めに書かれているけど、これこそ偽科学というか似非科学の代表で、とかいうと批判みたいだけど批判の意図はなく、まあそういうもんだということ。科学的であるためには、もっとデータがないとダメ。また、識者の評価なども含めないといけない。その意味で、このダイエットをマジで実践する人がいたら、そのあたりは科学的に考えたほうがいい。あるいは科学者がこれをサポートしてあげるといいだろう。
 私の印象だと、このダイエットは170cm100kgの人が80kgまでは減量すると思う。本書の段階でいうと、「離陸」「上昇」まではいけるとだろう。だが、そこまでで限界になる人が多そうだ。といことで、その限界からさらに下げたい世の中年男性のメタボ予備軍に効果的かは疑問に思えた。理由は、本書の文学的なクライマックスに関係する。減量が一定のペースで「巡航」する段階のことだ。

 こんな時期、突然というか発作的に激しい飢餓感に襲われた。毎日一度ぐらい、空腹と落ち込みの感情が同時に、強烈に襲ってくるようになったのだ。
 考えてみれば当たり前で、簡単に減らすことができる内臓脂肪もすっかり底をついてしまい、渋々、皮下脂肪を燃やし始めた体は、(勝手に!)生命の危機を感じ始めているらしい。やせようとする私の意志や行動を、あらゆる方法で妨害してくる。
 まず強烈な飢餓感が襲ってくる。お酒やたばこの禁断症状もこんな感じだろうか、と思うほどだ。

 その飢餓感の問題はまだ医学的に十分説明が付かないだろうと思うが、お酒やたばこの禁断症状については、現状ではメディケーションの対象でないと危ない。

 今までなら、楽しくカロリーチェックをしたコンビニのお菓子棚も、「これも、これも、これも食べられない。もう一生、食べられないんじゃないだろうか。ここに売っているほとんどのものが一生食べられないなんて、こんなんで、生きている意味があるんだろうか」と見ているだけで泣きたくなってくる。
 いや、大げさな話ではない。私は本当に深夜営業のスーパーで、それも菓子パンの棚の前で泣いたことがある。

 この要所を抜けた人がこのダイエットに成功するのだろうし、岡田もそれがよくわかっていていろいろサジェスチョンを投げている。本書で一番の要所かもしれない。もう一つ要所は、レコーディング・ダイエットの「助走」にあり、たぶんそれは自己認識という問題になる。このスーパーで泣き出す中年男の情けなさは私もこのシーンではないが類似の経験があり、自己認識の核に関連する。自己認識の核というのは無意識、つまり身体性に潜んでいてその露出は非常に危機的な力を持つ。
 この最大の難所の説明あたりから、本書のトーンは、多少宗教家の説教ぽくなっている印象を受ける。レコーディング・ダイエットへの批判に対して。

 もちろん本の読み方など自由だ。しかし、効率よく失敗なくやせるためには、段階があり、段階ごとに慎重に進む方がいい。「欲望」と「欲求」の話を聞いてもピンと来なければ、この章の続きを読むよりまずは「助走」「離陸」の段階を実際に経験してほしい。

 たぶん、この語りは本心からであろうが、すでに秘儀の世界に入ってしまっている。
 くどいが、それが批判ということではない。そのように語られるべき自己認識の内実と、身体性という見た目による社会のインタフェースの問題が、本書で、奇妙な形でくっきりと露出していることが面白い。
 噂に聞くところでは岡田はこれから筋トレというかターザン系の世界にも進むらしい。そういえば三島由紀夫もそうだったかなとかちょっと思い出したが、三島ケースとはまったく違った、次のエポックを岡田は切り開いてくれそうだ(中村うさぎのように)。

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2007.08.28

[書評]日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり (カレル・ヴァン・ウォルフレン )

 ウォルフレンの近著「日本人だけが知らないアメリカ「世界支配」の終わり」(参照)を読んだが、どう受け止めていいのか困惑した、というのが正直なところだ。

cover
日本人だけが知らない
アメリカ「世界支配」の終わり
カレル・ヴァン・ウォルフレン
 ウォルフレンに言わせると世界の知識人が総じて間違っているということなので、これはアレかな、彼のお友だちのベンジャミン・フルフォードの思想のほうにずーんと逝ってしまったのか。というと、必ずしもそうでもなさそうだ。個々の話は冷静に書かれているし、いちおう国際的にメジャーなところで今回のウォルフレンに近い立場としては、スティグリッツと、ガルブレイスの息子のガルブレイス(と呼びかたもなんだがガルブレイス息子)との交流も上げられている。そのあたりのメンツで共著でも出るなら、もう少し説得力があるかもしれない。というかそうした複数視点の主張を読んでみたい。
 本書の主要な主張は、小林よしのりでも言いそうだが、グローバリゼーションやネオリベラリズムさらに主要な経済学派は間違っているということだ。主要な経済学派には、新古典主義など、ネットでいうところのリフレ派も含まれそうだ。リカードの比較優位説も間違いのようにウォルフレンは断じる。そんなものなのだろうか。
 本書は"The End of American Hegemony"の翻訳ということなのだが、英米圏で出版されたのか、あるいはその予定があるのか、わからない。というのは、日本向けに書かれているかとも言い難い。読み進めると、EUの愚痴を日本で吐いているという趣もある。それ以前にこの内容が英米圏で受け止められるのだろうか。ウォールストリートジャーナルも、フィナンシャルタイムズも、ヘラルドトリビューンも間違っていて、ウォルフレンが正しいというスタンス。
 確かに、IMFによる南米施策やアジア危機の対処は間違っていた。それはIMF自身も今では現実として認めざるをえないし、ブッシュ政権の対イラク統治も間違い(スンニ派とその地域について特に)だったというのは現状ほぼ固まった評価としていいのだが、そうした背理法から、ではウォルフレンの世界観が正しいということが導出されるわけでもない。些細な話でもあるかもしれないが、ネオコンとしてラムズフェルドとチェイニーが代表者のように語れているのも、これって日本人向けというのもあるのかもしれないが、プロパガンダ臭い印象はある。
 今回の著作で私が一番気になったのは、過去の日本の保護主義への視線だ。「極東ブログ: [書評]もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する (カレル・ヴァン ウォルフレン)」(参照)でもそうだった、中国擁護論については、ああまたか、というふうに読み過ごすのだが、中国の現状は過去の日本の保護主義と同じで正しいのだという主張が出てきたときには驚いた。「え?ウォルフレンさん、あなたはその日本の保護主義を批判していたのではないですか?」と問い掛けたくなる。
 グローバリズムは間違いであるという主張は、WTO反対派などのありきたりの意見の典型としてはどうということでもないのだが、ウォルフレンの今回の主張をなぞっていくと一国の経済では産業形成を国家が統制すべきだという議論になってくる。それって、かつてウォルフレンが批判してきた統制的なナショナリズムなのではないか。そのあたりにウォルフレンの変節を感じる。
 フィリピンの貧困についても、本書ではグローバリズムの悲劇として扱われているのだが、ここで興味深かったのはそのことにウォルフレンが気づいたのは2001年のことだと述べている点だ。彼の処女作からほぼ網羅的な読者である私は、彼がフィリピンのピープルズ・パワーを礼賛し、同種の大衆運動を日本人に期待していたことを知っている。では、そのかつてのウォルフレンのメッセージはどのように改訂されたのか。
 EU統合への弁護の議論も困惑した。たとえばトルコこそが重要だというのは私とまったく同じ見解なのだが、EUの意義として、死刑を廃止するといった倫理的な同意を広める点にあるというくだりで、「では、ウォルフレンさん、ダルフールで行われたジェノサイドについてはどうお考えなのですか。それもまた、アメリカがメディアを支配して作成された幻影だというのですか」と問い返したくも思った。本書では中国のアフリカにおける資源外交の問題を扱っていながらそれがもたらす人道的な問題には触れていない。
 私は頭の硬い人間だ。20年前に小沢一郎という政治家を支持しようと決めたらマスコミが右往左往騒ぐ程度では考えを変えない。ウォルフレンの過去の著作から、私は市民であることはどういうことかということを学んでから、私は彼を自分の師の一人であるとしている。本書を読んでも、未だにそのことに変更はない。本書もできるだけ好意的に読み込もうと思う。
 だが、正直わからないことだらけだ。たとえば、日本のという島国はシーレーンがなくては存続できない。そしてシーレーンの上に自由貿易が成り立つから繁栄も享受されているし、この平和の恩恵を世界に広めなくてならないと日本人は思っている。だが、シーレーン防衛など不要なのだろうか。自由貿易がなくてどうやって日本はエネルギーと食料を得るというのだろうか。それらの懸念は、ウォルフレンの言うように、アメリカが作り出した恐怖による怯えなのだろうか。
 日本は、これからも経済が成長していくなら、実はすでにそうであるように、金融をベースとした投資国家の地位にあるほかはないと私は考えている。率直にいえば、アメリカの世界支配などけっこうどうでもいい。それが崩れていくつかのブロック経済になるほうがいいのかもしれない。だが、そのときの日本の未来像が、現状の日本からは描けないし、その未来の図柄にウォルフレンの思索が寄与していないように思えてならない。

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2007.08.27

[書評]2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?(西村博之)

 書名のパクリ元になっている「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?(山田真哉)」(参照)では、表題の問い掛けが出版社側の企画上のフェイクであり、内容は単なる会計学の初歩のお話だけというのと際立って異なり、「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?(西村博之)」(参照)では、表題の問い掛けに真摯に答える内容になっているのだが、ではその答えはというと、収入モデルとしての広告収入がしっかりしているから潰れないとのことだ。なるほどそうかと納得させられる、ずばりの回答である、ということで、ときおり噂されている、社会的要因及び法的要因によっては潰されないということが縷々主張され、偏見的にも思える意見、例えば、アマゾン読者評にも見られるが、


知りたいのは・・・, 2007/8/21
By 東十条 (東京都赤羽) - レビューをすべて見る

こんな内容じゃなく、もっと2ちゃんねるが実際やっているどす黒い部分を書いて欲しいです。例えば、アクセス数を上げるためにサクラを使っての誹謗中傷の書き込みとか、個人情報晒しとか、掲示板を閲覧している人のPCからの情報抜きとか・・・。
買ってまで読む価値はないような気がします。


 といった感想を読後持つ人は少ないだろう。
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2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?
西村博之
 むしろ「さおだけ屋はなぜ潰れないのか?」という実態を著者山田真哉が知らなかったのかそこは捨象してよいとしたか、「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」についても広告モデルの実態と来歴については踏み込まれていないが、重要なのはやはり収益ということになる。
 本の仕立てとしては語り本として口述されたものを別途編集者が構成したものらしく、私の世代に近い人でないと使わない表現などもあるもののそれによる違和感は気にならず、むしろすっきりと主張がまとまっている印象と、抜群の企画屋さんにある、心地よく催眠術にかかるような語りの印象とに統合され、つい編集上のミスだろうと思われる些細なツッコミも忘れて読み進めることができる。たとえば。

『ウェブ進化論』の梅田さんに対して、カリスマプログラマーである小飼弾さんが、ブログ上で、「それで梅田さんは、『はてな』でどんなコードを書いたの?」という反論をしていましたが。僕もそれだと思うのです。

 だが、元ネタはおそらく404 Blog Not Foundのエントリ「君たちの感動的なお言葉」(参照)ではないかと思われるが、ここでは、

梅田望夫テンプレートは以上。次。

>>  [あとで消す] 梅田望夫さんの感動的なお言葉
>> ところで、お前はてなのコードどんだけ書いたの?

*.hatena.ne.jpのコードなら一行も書いてないだろう。しかお前にとってのコードってそれだけか?ちいせえなあ。

梅田望夫は、株式会社 はてなのコードを書いているんだよ。それがトリビアルな仕事だと思うか?オレは今も両方のコードともチンタラ取り組んでるけど、両方ともガチで取り組むのは2年が限度だったぜ。


 とあるように、「どんなコードを書いたの?」疑問を発したのは、blog.bulkneets.netのブロガーさんで、小飼弾さんはむしろ逆の意見を述べているように普通は読めるので、おそらくこの部分は口述を取り違えた編集上のミスがあったのだろう。もっとも、本書では小飼弾さん本人が対談で登場していることから、こうした編集上の手違いは些細なことになっているだろうし、実際こうした諸点についていちいち気にする必要はない。
 予言的に読める示唆が多いのも本書の特徴かもしれない。たとえば、マイクロソフトについて触れた部分だが。

 しかし、マイクロソフトは、ビスタが売れなくなったとしても問題がないと考えているのだと思われます。
 それは、マイクロソフトはOSではなく、ビジネスソフトのオフィスで儲かっている企業だからです。


 マイクロソフトのオフィスが企業ユーザーに使われなくなる心配は、僕はないと考えています。新しくビジネスソフトが誕生したとしても、オフィスをビジネスツールの中心とするために一太郎を潰したときと同様、マイクロソフトは実力行使に出るでしょう。

 本書では、グーグルドックスについては触れているものの、無料で配布されているオープンオフィスについては言及していないが、それがマイクロソフト・オフィス2007に匹敵する機能を装備したときは、消される運命にあるのかもしれないなという示唆を受けた。
 もっとも、アマゾン評にある、

暇つぶしにはなるけど, 2007/7/8
By ハスキルfan (愛知県) - レビューをすべて見る

今抱えている裁判を考えると、やはりいずれ潰れるような気がします。
なぜ潰れないかなど書いていますが、この著書は最後になるのでは・・・

10年後に読み直してみたい本です。


 という点についての予言的な要素は本書にはない。十分に答えられたからだろう。ただ、GMOについての示唆深い言及などを含めて、ドッグイヤーのIT業界のことだから、10年経たずして読み返す日もあるかもしれない。
 最後にまったくどうでもいいことだが、ジャーナリスト佐々木俊尚さんと著者との対談の写真が一点含まれていて、その和やかな会食の雰囲気のなかに、ジャーナリストとして腹の据わったようすが伺われ微笑ましかった。

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2007.08.26

炭酸水の夏

 夏は終わったわけではないが、日も短くなり、夕風は涼しい。この夏はどんな夏だっただろうか。そういえばよく炭酸水を飲んだ。沖縄で暮らしていたときもそうだったが、暑いとついコーラが飲みたくなる。普段ならコーラなんか気持ち悪くて飲めないんだが。そして、ご存じのとおり、コーラというのは、いやコーラに限らないけど、炭酸水飲料はブドウ糖果糖液である。意外と砂糖は入っていない。ブドウ糖は言うまでもなくグリセミック指数100という強者。果糖はそうじゃないけど中性脂肪を上げる(果実の果糖ならそれほどでもないらしい)。かといってアスパルテームとかいやだしな(味変だし)と悩んでいる内に、そうだ、ペリエ(参照)があるじゃん、と思いだし。ペリエを飲むようになった。ペリエって、他の炭酸水と比べておいしいんだよね。
 そのうちにペリエの飲みやすさに物足りなくなって、もっと硬い水がいいよなと思い、コントレックスとかも飲んだが炭酸がないとなと物色して、ゲロルシュタイナー(参照)に遭遇。これがうまい。炭酸もだけど硬度ががっつくていいな、名前負けしてないな、ゲロルシュタイナー。


「GEROLSTEINER」は、ドイツで最も飲まれている天然発泡性のナチュラルミネラルウォーターです。ドイツ西部、ベルギーとの国境に程近いアイフェル高地の町Gerolstein(ゲロルシュタイン)で採水・ボトリングされています。天然の炭酸ガスを含んでいるため、繊細な泡立ちが特長で、食事のときや、さっぱりと喉の渇きを癒したいときにぴったりです。
 
●ミネラル成分表
ナトリウム  118mg/l
カルシウム  348mg/l
カリウム   11mg/l
マグネシウム 108mg/l
 
硬度1400mg/L

 というわけで、この夏は二日に1リットルはゲロルシュタイナーを飲んだ。
 これに比べてペリエはこう。

主な成分 (ペリエ1リットルあたりの成分)(mg/l)
カルシウム(Ca++) : 149 mg / l
マグネシウム(Mg++) : 7mg / l
ナトリウム(Na+) : 11.5mg / l
カリウム(K+) : 1.4mg / l
炭酸水素イオン(HCO3-) : 420 mg / l
硫酸イオン(サルフェート)(SO4--) : 42mg / l
塩素イオン(Cl-) : 23mg / l
【カロリーO,硬度400.5(硬水)】(Ca x 2.5 +Mg x 4)
 
A long time ago ペリエの誕生
はるか昔、太古の地球奥深く、ピレネー山脈の造山活動による大きな地殻変動が起こりました。その時できた断層や亀裂が、天然ガスを含む地層と地下水の層を偶然に結合させ、天然の発泡水を産みました。ペリエが大地の偉業である「奇跡の水」と呼ばれる由縁です。

 だそうで、ゲロルシュタイナーに比べるとペリエの硬度は低い。なんとなく、ゲロルシュタイナーのほうが健康によさげな雰囲気もするが、一夏飲んだけど、別にどってことないです。というか、ゲロルシュタイナーにも飽きてペリエとかサンペレグリノとかクリスタルガイザーも飲んだりしている。ヌューダとかなぜか国産のはダメ。なぜなんでしょ。
 ところで、話が一部に嫌いなかたの多いアフィリエイトの話になるけど、アマゾンのペリエ(参照)ってなんか安いだよね。評を見ると。

不満足です。, 2007/5/28
By ペリエ愛飲家 (愛知県) - レビューをすべて見る
 
注文しましたが 写真と同様のペリエではありませんでした。
発送しました通知が2通もきましたが 届くにも時間がかかりました。
開封をしてみると瓶の形もラベルも違います。
直輸入の品なんだろうか?と思い 飲んでみましたが いつもスーパーで購入する
(こちらの注文サイトに出ている写真と同様のもの)
ものと味が断然に違いました。
炭酸が少ないものでした。

 とのことで、マレーシアとかから直送しているのだろうか。アマゾンてそんなこともするのか、というか、それができるならワインとかもできそうだなとか、アマゾンの可能性というのはまだまだありそうに思えた。
 もう一つ気になったのだけど、以前米人から聞いたのだけど、日本のペリエって炭酸きつい、とのこと。あれ、自然の炭酸じゃないよとも聞いたのだが、どうなんだろ。ネットを見ても情報がよくわからない。
 そういえば以前シュエップスのトニックウォーターをよく飲んだけど、炭酸水がなんでトニック(強壮)なのかちょっと疑問に思ってウィキペディアを見たら(参照)。

トニックウォーター(Tonic Water)とは、炭酸水に各種の香草類や柑橘類の果皮のエキス、及び糖分を加えて調製した清涼飲料水の一種。
 
イギリスの熱帯地方の植民地で保健飲料として飲まれるようになったのが始まり。この当時のレシピにはキニーネが含まれ、マラリア防止のために飲まれていたようである。

 へぇ。ポイントはキニーネだったのか。

このようにカクテルで重要な位置を示す飲み物であったが、このキニーネは現在の日本では薬物・劇薬として指定されているため、飲料水として普通に飲まれるトニックウオーターに含まれる事は無くなった。

 というわけで日本ではもうキニーネはないのか。ちなみにキニーネとは(参照)。

マラリア原虫に特異的に毒性を示すほか解熱作用も有するため、マラリアの特効薬とされてきた。キニーネの構造を元にクロロキンなどの抗マラリア薬が合成されたが、キニーネのみマラリア原虫が耐性を持っていないために現在でも広く利用されている。化学合成もできるが、コストがかさむため医薬品としては現在でもキナから採集される。

 そういえば私が子供の頃、キニーネというのはけっこう日常的にも聞く言葉だった。復員兵にマラリアが多かったせいものある。そういえば、「極東ブログ: [書評]タンタンのコンゴ探検(エルジェ作)」(参照)にもキニーネが出てくるが、なるほどトニック(強壮)というコンテクストだ。
cover
人民は弱し官吏は強し
星新一
 ウィキペディアには書いてないが、日本で初めて医薬品としてキニーネの製造をしたのは星一(ほしはじめ)である。

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2007.08.25

同級生、小河内ダム君

 意外な同級生というのがいるもので、昭和32年生まれの私には、ああ、誰かな、東国原英夫宮崎県知事? 浅田彰京都大学経済研究所助教授? 彼は学年的には一つ上か、ついでに、漫画家柴門ふみと国谷裕子ニュースキャスターも学年的には一つ上のお姉様。女優だと、大竹しのぶ、名取裕子、かたせ梨乃、泉じゅん……ああ、夏目雅子。で、忘れてはいけないのが、小河内ダム君だな。久しぶりに会いに行った。

 竣工はこの年の11月26日なので、ジャストのハッピーバースデーというわけでもないが、ダムコンクリート打込開始が3月19日、打込終了が7月21日というから、今頃夏の山間に英姿を現していたのだろう。それから、半世紀か。特設サイト「小河内ダムはしゅん工50周年を迎えます」(参照)によると、9月28日に新宿で記念のイベントがあるらしい。しかし、行くなら現地だろうな。
 小学生のとき二度ほど来たことがある。今思うとダムもその頃はまだ私と同じで若いころだったのかなと思い返す。青梅線の終点というかなにかしら東京の果てみたいでもあり、私はときたまダムの光景を見に行く。物心ついてから自分の意志で靖国参拝をしたことはないが、その慰霊碑では殉職した87名に黙祷する。そして湖底に沈んだ旧小河内村945世帯約6千人の移転を思う。ありがとうございました。
 東京市が後の市民の水源ダム建設候補地の調査を開始したのが1926年(大正15年)。私の父が生まれた年だ。同年は、小河内ダムの水源と関連のある多摩地域の歴史を振り返ると、箱根土地株式会社が東京商科大学を中心にした学園都市構想によって放射状の道路を整備して分譲を開始した年でもある。翌年大学ができる。
 小河内村にダム建設の知らせがあったのは1931年(昭和6年)。村民は当初反対を表明する。いろいろ紛糾することはありこの歴史はきちんと顧みられるべきでもあるがここでは触れない。着工は36年、起工式は38年。43年に戦争によって工事は中断し、戦後に再開された。ダムコンクリート打込開始は1953年。
 村民の思いの一端が06年10月8日読売新聞「秋祭り ダムに沈んだ古里思う 湖底に届け、89歳の篠笛」掲載されていた。


 ダム建設が再開されれば移転しなければならない。だが、村にいる間は祭りに参加したいと思った。村の古老に習って笛を覚え、祭りで吹くようになった。
 戦時中に結婚した妻と4人の子どもを伴い、約30キロ離れた八王子市に移転したのが53年。補償金で建てた家の近くで畑を耕すなどして一家の暮らしを支えた。

 その後祭りは復元しているようでもある。
 工事で殉職した87名中6名が朝鮮人とのことで、01年8月1日朝鮮新報「今年もやってきたサマースクールの季節」(参照)によると。

 東京(6~8日)では、奥多摩の小河内ダム工事慰霊碑を参観し、強制連行された同胞の歴史を学ぶ。
 慰霊碑には、工事に動員され強制労働を強いられて犠牲になった6人(実際はもっと多いと推測されている)の朝鮮人の名が刻まれている。

 とのことだが、戦前の死者であろうか。また日本人労働者と区別されていたのだろうかと気になるが、よくわからない。
 小河内ダムには興味深い歴史もある。奥多摩山村工作隊だ。元になるのは「山村工作隊」(参照)である。

山村工作隊(さんそんこうさくたい)は、1950年代、日本共産党の武装闘争を行った非公然組織。毛沢東の中国共産党が農村を拠点としているのに倣ったもの。


 レッドパージ後、中国に亡命した徳田球一らは軍事方針を指示する。1951年10月の第5回全国協議会(五全協)では「農村部でのゲリラ戦」を規定した新たな綱領「日本共産党の当面の要求」を採択し、「山村工作隊」「中核自衛隊」など非公然組織が作られた。
 各地で列車を爆破したり、交番の焼き打ちや、警察官へのテロを敢行するなどの武装闘争が展開された。そして、共産党の武装闘争を取り締まるため破壊活動防止法が1952年7月に制定・施行された。直接的な火炎瓶闘争は1952年夏頃から下火になったが、軍事方針は続き、農村部での活動が継続された。

 もちろんというべきか現在の共産党はこう扱っている。

 この運動方針は世論からも批判を浴び、1952年10月の総選挙では全員が落選し敗退。1955年7月の第6回全国協議会(六全協)で議会主義に転換し、軍事方針は否定された。
 
共産党の“正史”では「五全協の方針は一部の極左冒険主義者(所感派)による誤りで党本体(国際派)とは関係ない」とされている。

 このあたりの蹉跌感は文学としては柴田翔「されどわれらが日々」(参照)が興味深い。冷やりとした気分で読むと、ここで描かれていた若者と、はてなでぶいぶい非モテ・童貞議論をしている半世紀後の若者とそれほど違いがないようにも思えるし、その後大学の先生になった柴田翔は長い沈黙の後「詩に誘われて」(参照)いるようだ。
 この山村工作隊の一部に小河内山村工作隊があった。実態の一部は「“『五一年綱領』と極左冒険主義”のひとこま」(参照)で伺える。

 六月になって、上部からは独立遊撃隊の問題が提起された。中核自衛隊だけでは活動に限界があり、山岳・農村を根拠地にしたパルチザンが必要だというわけだ。日本の革命をロシア型の都市労働者のゼネスト蜂起と中国型の農村から都市への結合とえがいているわけだから当然の帰結である。中核自衛隊は蜂起の中核となるものであるが、独遊は人民軍の萌芽であり、やがては軍隊ということになる。地区内の各隊からひとりずつ、五人で編成し六月中に出発することになった。


 小河内には人家から一・五キロほど山道を登ったところにコジキ岩とか八丈岩と呼ばれる岩があった。山の中腹の岩の下に八畳はどの広さがあり、コジキが住んだこともあったとかで雨露はしのげた。一次の弾圧のあとの工作隊の住いである。工作隊には、その地に骨を埋めろといわれた定着と呼ばれる者と、十日から半年ぐらいまでの一定の期間で思想教育的側面を重視して送られてきた者とがいた。いずれにしてもほとんどは党派性の欠如などを理由にした懲罰的なものがからんでいた。


二人が闇の中でぼそぼそ話していると、いきなり警官隊がふみ込んだ。飯場への不法侵入と暴力行為で逃げた者を追っているといい、るす番だけということで引き上げた。このあと様子を見に行き、用心棒につかまって警察に引きわたされた私をふくめて逮捕者は九人。いったんは逃げたが後日キャップも逮捕された。これが三次の弾圧である。私は二三日の拘留だけだったが、数名が起訴され、岩崎は半年たらずに二度目ということになった。独遊に数日前に配置されたばかりの朝鮮人の同志もやられ、彼はそれ以前の都内の事件と密入国容疑ということで警視庁に移送されたが、すでに南への強制送還を覚悟していた。

 引用が長くなったが、このスラップスティックな状況は40年後に若者が起こした悲惨な事件の内在に潜むスラップスティックにも似ているようにも思えた。
 さて、同級生、小河内ダム君、どうだい、50歳になった感じは? なに? 最近来てくれるのは中国人や韓国人ばかりなのは何故かって? 別に君だけがそうじゃないんだよ。

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2007.08.23

[書評]カラマーゾフの兄弟(亀山郁夫訳)

 爽快に読める亀山郁夫新訳が全巻揃うまで読書開始は待とうと思っていたが、最終巻を期待していた春頃、なかなか出ないので、よもやまたかという懸念があったが、7月に5巻で完結した。訳者の苦労に感謝したい。そして50歳になってこの本が読めたことを深く自分の人生の喜びとしたい。
 大げさな言い方だと自嘲もするし、私など些細な存在だが、この書籍に呪われたような人生だった。私はある意味では早熟でクラソートキンの歳でこの作品に挑んだ。旺文社文庫箕浦達二訳で読み始めたのだった。ロシア語はわからないが(それでも大学で学んだっけと思い出す)良い訳だった。が、二巻までしか出版されなかった。その後旺文社文庫自体が消えた。魯迅もプラトンも鴎外も漱石も私は旺文社文庫で読み、学んだ。
 いつの日か箕浦訳が出ると確信していて3年が過ぎ、5年が過ぎ、10年が過ぎた。アリョーシャの歳にもなった。そしてその歳も過ぎた。しかたなく継ぎ接ぎのように江川訳でも読んだ。米川訳も読んだ。それはそれで良かったのだが、箕浦訳のある現代性というかロシア性というか、そこがうまく馴染めないでいた。いつか解消しよう。それに、小林秀雄がたしか、ドストエフスキーは40歳、50歳になって読み返しなさいと言っていた。30歳を過ぎて、私も自分なりの運命に翻弄されながら、「そうだな50歳になったら、カラマーゾフの兄弟を読み返そう」と思っていた。私のアリョーシャとしての人生もその頃は完全に終わっているだろうし、と。
 私は自分の予言を叶えた。
 「私のアリョーシャとしての人生」というのは言うまでもなくイカレた物言いである。そのくらいはわかっているが、私は自分の人生にアリョーシャを重ねてきた。ゾシマ長老は私の守護神でもあり呪いでもあった。世俗に生きなさい、と。キリスト教に傾倒しつつ、ゾシマの声を聞き死臭を嗅いだ。今にしてみると、それがなんであったのかはうまく言い難い。だが、何かはわかった。人生で三度目にこの本を読み終え、深い感動と狂気に浸った。
 新訳を気が狂ったように読み、率直なところ、過去の思いが去来するところもあるが(些細なところではストロベリー・リキュールとか)、初めて読むように思えるところも多かった。なぜこんなに面白く、魂をゆさぶられるのだろう、この小説は。
 アリョーシャもかつて自分に思い重ねた人とは違うようにも思えた。と同時に、もう引き返せないほど実は自分と同化している部分を確認した。私の魂のなかにはアリョーシャ・エンジンみたいなものがある。
 現実は、私もフョードルに近い歳になり、また、ドミートリーのような女狂いも理解したし(罪深い!)、そして率直に言えば彼らのカラマーゾフ的汚辱の情熱をも普通に携えているようになった。アリョーシャの中にカラマーゾフ的な力もきちんと読み込めたし、そしてそれが自分の生き方の根幹にあったなと確認した。
 理性をもって理性を吹っ飛ばす一冊(大冊)が存在することが無性に嬉しい。読み返して、感動もだが、この歳こいて文学の狂気にどっぷりと漬かれた。悪徳なのかもしれないが、幸せだ。文学というのはここまで恐ろしいものか。
 これをきちんと世界の人は読み継ぐのだ。これが人類の意識を定義している。これを読んだ人たちは私の友であり、この世界には国境を越えてもたくさんいるに違いない。なによりロシアの魂というのはこの書物のように不滅のものだ、そう気が滅入るように思った。現在ロシアはある意味でソ連回帰を始めているが、それでもあの堅固にも思えたソ連をロシアの魂はぶち破ったし、「カラマーゾフの兄弟」を今読み返せばそれが当然のように見えるし、もっと恐い未来も見えないわけでもない。
 私も歳を取り、それなりの愛欲の罪に落ち、ゆえにカテリーナもグルーシェニカのような女性たちも蠱惑的に思えるようになった。女という存在は美しい。その美と魅惑にフョードル的な救いというかフョードル的な理性というか、そういうものを自分の中に覚える。読み返して私はフョードルがとても好きになった。
 リーズには恐怖と汚辱感を覚えた。以前読んだときは、自分を若いアリョーシャに重ねていたせいか、リーズに初恋のときめきや少女らしい心の動きを読み、思慕のようなものを感じていたが、今回はつくづく、こいつは悪魔だ、女というのは悪魔でもあり得ると思った。率直に言えば、アリョーシャも幾ばくかは悪魔だ。たぶん書かれなかった物語はそこに触れていくはずだったのだろう、ちょうどこの物語において兄イワンが幾ばくか悪魔であったように。
 終わり近く、リーズが悪魔を見るあたり、自分はそういうものを幻視したことはないが、ああそうだ、そんなふうに悪魔はいるのだと思ったし、イワンと悪魔の対話は、そうそう悪魔というのはこういうふうに語る存在だと自然に思った。そいつが50歳のこざっぱりとした男して現れるあたり、神様が私の人生を見透かしてこんな冗談を残したのかという狂気にも陥りそうだった。
 もちろん悪魔なんか実体的に存在するわけはない。今回読み返して、しみじみとドストエフスキーが徹頭徹尾奇跡も信じていないこともわかった。アリョーシャもまったく奇跡を信じていない。この小説は、奇跡など信仰にとって邪悪な迷いでしかないことを告げるための、なんというのか、世界と神の感触を解き明かしている。神もまた私たちが思うようには存在していない。
 悪魔といえば、訳者の示唆を受けている部分もあるのだが、スメルジャコフの父がフョードルではないことは、自然にすんなりと確信できた。では誰か? 江川卓の推理(参照)を亀山郁夫も踏まえているし、ここはあまり踏み込んで言ってはいけない領域なのだろうが、ええい、グリゴーリーなのだろう。
 そのことは私にとってこの物語の意味を決定的に変えることにもなる。苦笑されてもいいが、そのことがグリゴーリー証言に関わってるのではないか。もちろん、グリゴーリーが嘘をついたとまでは思えない。イザヤ・ベンダサンが「日本教について」(参照)で日本人には一人のグリゴーリーもいないと言ったように。
 ではなぜグリゴーリーはドアが開いていたのを見たのか(そう証言したのか)。悪魔(スメルジャコフ)もそれを知らない。物語は一見、グリゴーリーの錯誤に帰しているのだが、そうだろうか。ドストエフスキーはそこに何か深い謎――たぶん奇跡に関係する何か――をかけているのだろう。たぶん私はこの後の人生でそこが気掛かりになり続けるだろう。
 そういえば30代のころだったか、ゾシマがドミートリーに跪く謎が忽然とわかったことがあった。もちろん今回読み直してみれば、べたにわかることでもあるが、ドミートリーが無実の罪を負うこともだが(ドミートリーはイエスである)、神の恩寵がドミートリーを父親殺しから救い出していることだ。その意味でこの小説は実は奇跡を真正面から描いてもいる。父親殺しは、イエスに命じられたレギオンのように悪魔たちが実現している。その仕立ては福音書そのままである。
 この気の振れたエントリはもう終わりにするが、文学的な趣味を少し。今回「カラマーゾフの兄弟」を読み直して、漱石が晩年これを読んだのではないかと私は思えてならない。強い確信というほどではないが、「明暗」(参照)のポリフォミックな構成と倫理的な求心力と、どうしようもない馬鹿げた事件の趣味というのは、妙に似ている。それとイワンと悪魔の対話を読みながら、これは村上春樹そのままじゃないかとも思った。「羊を巡る冒険」(参照)から「海辺のカフカ」までべたに「カラマーゾフの兄弟」の影響がある。いや、「海辺のカフカ」(参照)はかなり「カラマーゾフの兄弟」と近い位置にあり、これはむしろ日本国外の読者のほうがわかりやすいことだろう。

亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」


  1. 「カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)」
  2. 「カラマーゾフの兄弟2(光文社古典新訳文庫)」
  3. 「 カラマーゾフの兄弟3(光文社古典新訳文庫)」
  4. 「カラマーゾフの兄弟4(光文社古典新訳文庫)」
  5. 「カラマーゾフの兄弟5 エピローグ別巻(光文社古典新訳文庫)」

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2007.08.22

住居は賃貸か購入かというネタからさらに与太話

 雑ネタ。というか、雑にしか書けないのだが、古典的なアポリア、つまり「住居は賃貸か購入か」という話。先日、はてなダイアリー「不動産屋のラノベ読み - 『賃貸よりも、実は買ったほうがトク!』を批判してみる」のコメント欄(参照)を見かけて読むと面白かった。いろいろなかたがいろいろ損得計算をされていた。たぶん、ネットを見渡せば、いろいろな意見があるのだろう。ということは、この問題は、ディフィニティブな結論はなく、ある状況下でそれなりの理屈が成立し、その理屈を楽しむといった類の議論だろう。おそらく誰もがベットしている点で話題にもなりやすいのだろう。ブログのネタ的じゃん。
 その議論を読んでいて、でも、私はちょっと違ったことを考えていた。実家や親戚の今の住居のことだ。簡単に言うと、子供がいなくなった「マイホーム」。
 昭和30年代から40年代、あるいは50年代もそうだろうか。男は正規雇用で働き、主婦は家と子供を守る。家計をやりくしてマイホームを持つ、そういうライフスタイルがあったのだが、いずれ子供は家を出て、あとは老夫婦がマイホームに残った。子供と暮らすには狭い家だったのだが、老夫婦には手持ち無沙汰な風情となりかつての子供部屋は顧みられることのない倉庫の一室となる。そんな家が多くなったなと、実家の街を訪れると思う。老夫婦だけだろうと思われる家を通り過ぎながら、この人達は子供が巣立ったあとの住居を考えていたのだろうかと思う。わからない。実際に中に入る機会があって見渡すと、かつて家族だった記憶のようなものがべっとりと家の臭いのように染みついて圧倒される。それが老人たちの夢でもあるような。
 子供がいなくなったら、そういうマイホームは要らないではないだろうか。そうすると、マイホームみたいな家が必要なのは長くても25年間くらいか。私の世代(昭和32年生まれ)だとモデル的には25歳で結婚。すると50歳で子供がいなくなる。というところで自分が50歳という歳であるのに気がついて唖然とし、「モデル的には」なんて言えないなと思う。現実的には、子供がいて賃貸というのは公務員宿舎みたいのでないと無理なのではないか。だからマイホームが夢というか。どうなのだろう。
 通称パラサイト(30歳過ぎて親と同居)というのがあるのも、マイホームがあるからなのではないか。父母いてマイホームがあるというお子様の状態が延々とカンファタブルに続いている。というとき、その根にあるのは、やはりマイホームという呪いか。結婚しない30代40代はマイホームに呪われている? まさかね。
 マイホームの呪いといえば、離婚した知人の苦労譚を聞いたことがある。書かない。よくある典型的な悲惨な話にしかならないからだ。が、呪いという感じはした。マイホームというのは一生の買い物というが、離婚というのはその最大の危機になるのか。いや最大は子供か。
 とたわいなく考えていて思ったのは、住居というのはライフサイクルに依存するものなのだろうが、そういうライフサイクル、若くして伴侶を見つけ子供を産んで巣立たせ年老いていく、そういう人生の規範みたいなものがなくなってしまったのだろう。そして、ライフサイクルの消失に随伴的に起きるのが、各種の社会問題なのではないか。住居は賃貸か購入かというのもそうした派生に過ぎず、金銭的な議論はたとえば離婚リスク、あるいは生涯未婚リスクでかなり確実に不確実にしか議論でないものではないか。
 話がだらけてしまうが、このところミルトン・エリクソン関係の本を読んで、特に「アンコモンセラピー―ミルトン・エリクソンのひらいた世界」(参照)に顕著なのだが、各種の心理的な問題は、ライフサイクルの危機として説明できるのかもしれない。もっとも、ミルトンの思想をそう見るべきかは異論は多そうだし、ミルトンを読み直したのはどうもNLP的なバイアスで彼を私は基本的に誤解していたなという反省があった。
 同書でもそうだが、ミルトンは人の生き様のなかに、ちょっとユング的な言い方になるが、ライフサイクルへの元型のようなものをさっと見取っていることある。ミルトンの時代と場所によるのだろうが、あの時代の米国で「結婚できない」という悩みは基本的に女性に表れるもののようで、そうした事例があるのだが、ミルトンは、なんというのか、お節介ばあさんよろしく、彼女たちが結婚するように「介入」していく。事例を読みながらこれって今のはてな世代の非モテ論の人が読んだら、論破しまくるとか、あるいはちょいフェミなお姉さんが「( ゚д゚) 、ペッ!」しまくるんじゃないかと思った。
 が、ミルトンの直感を支える何かは正しいように私には思えた。それは、ライフスタイルにはある種の規範、あるいは、心理的な問題をスタビライズする基底的な構造があるのではないか。いや、そう思う私の感性がミルトンのように古い世代なのか。
 現代の言説では、ライフサイクルというのは経済学的なモデルとしては出てくるが、個人の生き方には問われない。個人には生き方の尊重なり主体があってライフサイクルを選択することになっている。もっとも、その個人といいながら、あるいは恋愛にカモフラージュされているが他者や子供の関係というのが必然的に含まれている。でも、そこは言わないお約束。
 私のような世代はどこかにライフサイクルの規範の意識を薄ら持ちながらも、私より上の世代がマイホームの呪縛に固まったように、きれいな形で倫理的なり道徳的にはなりえないだろう。なにより、言説としてはもはやそんなものはあり得ない。生む生まないも個人の自由ですよはいはいということなり、アプリオリに議論は終わっている。
 そうそう議論は最初から終わっているのだったな。

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2007.08.18

ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)のこと

 今年の8月はブログに戦争の話題を書きたくなかった。ブログも4年を越え、自分なりの考えはもうあらかた書いたような気がしていたし、しだいに8月15日という日が、自分には日本の独善的な欺瞞にしか思えなくなりつつある。が、ジョー・オダネル(Joe O'Donnell)の死については書いておくべきなんじゃないかとふと思った。ためらった。私が書いたところでまた誤解されるだけなのだ。でも、書いておこう。
 ジョー・オダネルの死を朝日新聞は少し奇妙な伝え方をしてた。11日付”「焼き場に立つ少年」の写真家ジョー・オダネルさんが死去”(参照)より。


ジョー・オダネルさん(米国の写真家)が米テネシー州の地元インターネットニュースサイトによると、10日、同州ナッシュビルで脳卒中のため死去、85歳。

 奇妙な感じがしたのは、新聞社が「地元インターネットニュースサイトによると」みたいな書き方をしていいのだろうかということ。そしてそのサイトはどこなのだろうか。これじゃブログに劣るのではないかと、ほんの少し、いやごく僅か、なにげに思った。
 共同では一応サイト名を上げていた。11日付”J・オドンネル氏死去 米写真家”(参照)より。

 ジョー・オドンネル氏(米写真家)米紙テネシアン(電子版)によると、10日、脳卒中のため死去、85歳。

 情報の伝搬を考えるに、たぶん、共同のほうが先にあってそれを朝日がアレンジしたのだろう。ただ、ここでまた、少し奇妙な印象を受ける、いや、ほんの少し、いやごく僅か、なにげに程度だが、共同では「オドンネル」になっている。朝日のほうは「オダネル」だ。
 時事の記事はすでにネットからは消えているが、11日付”ジョー・オダネル氏死去=原爆投下後の広島、長崎撮影”(参照)ではこう伝えていた。

 広島、長崎で原爆投下後の被災した様子を撮影した写真で知られる元米従軍カメラマンのジョー・オダネル氏が9日夜(現地時間)、脳出血のため、米国テネシー州ナッシュビルの病院で死去、85歳。親族が明らかにした

 こちらは「オダネル」表記で、また死亡日は「9日夜(現地時間)」となっている。これがただしければ朝日新聞と共同は日本時間を取ったことになる。このあたりの報道の原則はどうなっているのだろう。
 そういえば、時事では、名前として「JOE O’DONNELL」とも記している。つまり、クリス・オドネルと同じなので、現代風には、オドネルのはずだ。だが、日本のジャーナリズムではオダネルが通例だ。理由は後で述べる書籍によるのだろう。
 ところでこのニュースのもう一つのバリエーションだが、長崎新聞ではこう伝えている。12日付”ジョー・オダネルさん死去 被爆直後の長崎撮影”(参照)より。

一九四五年に米海兵隊従軍カメラマンとして被爆直後の長崎を撮影したことで知られるジョー・オダネルさんが九日(日本時間十日)、米テネシー州ナッシュビルの入院先の病院で死去した。八十五歳。妻の坂井貴美子さんによると、死因は脳出血。

 おそらくソースは共同だろうと思うので、日付的にもその後の詳細なのだろうか。同記事ではジョー・オダネルをこう紹介している。

 一九四五年九月、佐世保に上陸。広島、長崎などで戦災状況の撮影に従事した。長崎では全身に大やけどを負った谷口稜曄さん(現長崎原爆被災者協議会会長)も撮影。九三年十一月に来日した際、感激の対面を果たした。九五年には、欧州のハンブルク、ウィーン、ベルリンなど各都市で写真展が開催された。

 時事のほうと比べると興味深い。

 1945年、被爆した広島・長崎や空襲で被災した各地の様子を記録するため、占領軍カメラマンとして来日。46年帰国後、私用カメラで撮影した写真ネガを罪悪感から自宅のかばんにしまい込んだ。49年から68年まで、米国情報局ホワイトハウス付カメラマンとして、トルーマンら歴代の大統領に仕えた。
 89年、米国内の反核運動に触発されてかばんを開け、90年米国で原爆写真展を開催。写真集「トランクの中の日本」(小学館)を出版。

cover
トランクの中の日本
米従軍カメラマンの非公式記録
ジョー・オダネル
 この記者は日本の背景をよく理解している。
 恐らくオダネルが日本人にとって大きな意味を持つようになったのは、「89年、米国内の反核運動に触発されてかばんを開け」以降ではないかと思われるからだ。
 これを機に彼は封印してきた写真を公開し、そして95年に「トランクの中の日本―米従軍カメラマンの非公式記録」(参照)が日本で出版した。だが、米国ではこの時点で出版されなかった。米国での出版は、2005年の”Japan 1945: US Marines Photographs From Ground Zero”(参照)によるようだ。
cover
Japan 1945:
US Marines Photographs
From Ground Zero
Mark Seldon
Joe O'Donnell
 同書の表題、" Ground Zero"が暗示しているように、この写真集はセプテンバー・イレブンが間接的に生み出したとも言えるだろう。95年の日本版について、アマゾンの素人評に興味深い指摘がある。

小学館 1995年6月10日初版第1刷発行 ー品切れー, 2007/8/13
By 人形和美 (東京都水際区) - レビューをすべて見る

写真家オダネル氏は2007年8月10日にテネシー州で亡くなった。享年85歳。

スミソニアンの展示がキャンセルされたことについての和文の あとがきが英文のそれにはない。理由の説明ももちろんない。

96頁の写真「焼き場にて」はあまりにも有名で、オドネル氏の死亡記事にも あわせて小さく掲載されていた。写真とそれにつけた彼の文章(翻訳)を読むと この少年は今どうしているのかなどいろいろ思いが及び、同時に涙を誘う。

ヒロシマナガサキ(オカザキ監督)をはじめとして映画が製作される。 映画を見るのもいい。私はこの写真集が増刷されて、入手できる日をこころまちにしよう。


 人形和美さんがこの評を書いたのはオダネル追悼と品切れの出版界への警笛でもあるだろう。同氏が指摘している「焼き場にて」は英語版の表紙のそれでもあるが、日本では別バージョンが有名で、ネットに多く転載されているが、著作権の扱いはどうなっているのだろうか。もし、転載ができるなら、私もここに転載したい。私は戦争の残虐さだけを表現した写真を好まないがこの写真は人の魂を打ち砕く力がある。そしてその力は、率直言えば、オダネル自身が半世紀も封印したいほどのものだった。私にはその彼をおそった封印の思いに心を寄せる。
 日本農業新聞15日付けの社説がこの写真について的確に触れている(参照)。

 「焼き場に立つ少年」は、亡くなった幼い弟を、おんぶ紐(ひも)で背負い、直立不動で火葬の順番を待っている10歳くらいの少年を撮影したものだ。はだしの少年の、きつくかみしめた唇には、血がにじんでいたと、後にオダネル氏は語っている。足に浮腫がみられた少年は、その後どんな人生を歩んだのか、オダネル氏は再会を望んだが、果たせなかったという。

 オドネルの死は米国ではどう報道されたか。
 14日付けニューヨークタイムス”Joe O’Donnell, 85, Dies; Long a Leading Photographer ”(参照・要登録)が詳しい。

The cause was complications of a stroke, said his wife, Kimiko Sakai. She said that he had had more than 50 operations, among them surgery on his colon and his heart, and that he had attributed his poor health to radiation exposure resulting from his visits to Nagasaki and Hiroshima.
(死因は、妻坂井貴美子によると、卒中が併発したものだった。彼は50回もの手術をしていたし、それには直腸や心臓の外科手術も含まれていた。彼が健康を損なっていたのだは、彼が長崎と広島を訪問したおりの被爆によるものだ。)

 オドネルは米国の公的な写真家でもあり、そうした側面についてニューヨークタイムス記事は触れているのだが、後半はやはりトランクの中の写真に多くを裂いている。

Mr. O'Donnell also ventured to Hiroshima and to cities bombed with conventional weapons. He carried two cameras. With one, he took pictures for the military. With the other, he took pictures for himself. When he returned home after the war, he put the negatives of his own photos in a trunk and locked it, emotionally unable to look at them.
(オドネル氏はまた広島や通常兵器を受けた諸都市も訪問した。彼は二つのカメラを持っていた。その一つで従軍用の写真を撮り、もう一方で彼自身のための写真を撮った。戦後彼は帰国し、その写真のネガをトランクに詰め封印した。それらは感情的に見ることができなかった。)

 彼が自身の封印を解いたのは半世紀近くたってからだ。

When he finally could, nearly a half-century later, he was so repulsed that he threw himself into protesting nuclear arms. In 1995, he published in Japan a book of many of those photos, and, a decade later, another in the United States. He lectured and exhibited in both countries.
(約半世紀して彼は見られるようになったとき、打ちのめされ、自身を核兵器反対運動に投じた。1995年、彼は日本で多くの関連写真を出版し、10年後に米国で出版した。彼は両国で講演と展示会を行った。)

 記事はこのあとスミソニアン航空宇宙博物館展示の問題に触れているが、このエントリでは割愛しよう。ただ、彼は原爆は「しかたがない」とする展示の趣旨を受け入れることができなかった。

The photographs were stricken from curators' plans, as were other features that offended veterans. In an interview that year with National Public Radio, Mr. O’Donnell contended that, given what he had seen immediately after the war, Japan could have been defeated with conventional arms, and without the hundreds of thousands of American casualties that an invasion of the Japanese home islands had been expected to entail.
(退役軍人の怒りを買った他の展示と同様、その写真はキュレーターの企画から削除された。この年の国営ラジオNPRのインタビューでオドネル氏は議論を投げかけた。彼が戦後すぐに見たものからすれば、日本は通常兵器で敗戦に追い込むことができた。しかも、本土上陸による十万人規模の犠牲者を要せずとも可能だった。)

 拙い訳をしながら胸が詰まる。なのでここでこのエントリはここで終わりとしたい。

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2007.08.17

そろそろ葉酸について一言言っておくか

 「そろそろ葉酸について一言言っておくか」とか、私は別にそんな偉そうなことを言える立場にはないのだが、ブログにありがちなこのタイトル形式を一度使ってみたかっただけなので許してくれ。それだけだ。というわけで、以下の内容について、一応市販書レベルの典拠は付けておくが、みなさんの健康指導ということではないので、そういう情報が必要な人は、しかるべき人にご相談くださいませ。
 と言いつつ、たぶん、しかるべき人は、ヒッジョーに曖昧なお答えをなさると思う。という、あまり語られない理由もなにげ含めておくのでご参考までに。ついでに、アフィリっちゃいますが、是非とかいう意味ではありませんので、念為。
 さて。
 こんなエントリを書こうかと思ったのは、先日14日になるが葉酸と妊娠のこの記事、読売新聞”先天障害リスク下げる「葉酸」、進まぬ摂取”(参照)を見たからだ。


 先天障害の発症リスクを低下させる効果があるとされる、ビタミンB類の一つ「葉酸」について、妊娠前から積極的に摂取していた妊婦はわずか1割台にとどまることが、横浜市立大などの調査で分かった。
 厚生労働省は2000年、妊娠を計画している女性に対し、1日当たり0・4ミリ・グラム以上の摂取を推奨したが、同省の呼びかけが浸透していない実態が浮き彫りになった。

 先天障害がどういうものかとか、葉酸がどう機能するかとか、ちょいと専門的な話についてはすでに平成12年の”神経管閉鎖障害の発症リスク低減のための妊娠可能な年齢の女性等に対する葉酸の摂取に係る適切な情報提供の推進について”(参照)にけっこう詳しく書かれているので、関心のある人は読むといいだろう。
 記事にはすでに日本人が葉酸についてそれなりに知っている旨が書かれている。

 その結果、以前から葉酸について「よく知っていた」と回答したのは11・5%、「少しは知っていた」が61・5%で、合わせて73%の妊婦が葉酸を知っていた。また、同省の呼びかけは、「よく知っていた」「少しは知っていた」を合わせると、半数の48%が知っていた。
 しかし、葉酸が母体内で効果を発揮する妊娠1か月前から妊娠に気づくまでの食生活について尋ねたところ、「葉酸を意識してとっていた」と答えた妊婦は16・9%だけ。サプリメント(栄養補助剤)などを用いて、積極的に葉酸を摂取していたのは全体の13・5%に過ぎず、葉酸の知識が実際の行動につながっていないことが明らかになった。

 つまり、葉酸について知っていたけど、それによって先天障害を防御する役にはそれほど立っていなかった、ということになり、まあ、そこが社会問題だということなのだが……。
 この記事が読みやすいような読みづらいような印象を受けるのだが、じゃあ、では、いったい誰がいつどのくらい葉酸をどのように摂取したらいいか、というのがぼわーんとしている。のでまとめておこう。

いったい誰が葉酸を摂取する
 先天障害を防ぐのあれば、妊娠可能な女性。

いつ(期間)葉酸を摂取する
 これが重要で、「葉酸が母体内で効果を発揮する妊娠1か月前から妊娠に気づくまで」ということで、妊娠に気がついてからでは、遅いということなのだ。これが、葉酸と先天性障害防御の一番の問題。
 別の言い方をすれば、妊娠が可能で胎児の先天障害を防ぎたいなら、日常的に葉酸を摂取しておきなさい、ということなのだ。

どのくらい葉酸を摂取すべきか
 これも記事に書かれてはいるが、「厚生労働省は2000年、妊娠を計画している女性に対し、1日当たり0・4ミリ・グラム以上の摂取を推奨した」ということで、0・4ミリ・グラム。
 実はここに、けっこう巨大な問題が眠っていて、それを起こさないから、今回の記事のような問題になってしまっている。なので、この話を以下に展開していこう。


 葉酸というのはビタミンの一種(正確にはビタミンBの一種)で、医学でも栄養学でもビタミンなど微量栄養素は食事から摂取しないさいという建前になっていて、つまり、健康的な食生活が維持されているなら、サプリメントは不要だ、ということが前もって結論になっている。誰の結論か? 国家の結論なのだ。仮に逆に考えてみてるとわかると思う、もし、健康な食生活とやらを普通に実践してビタミン不足になっているとしたら、いったい国家は国民にどういうふうに対応すべきなのか?
 実は、葉酸問題がやっかいなのは、この国家の義務の問題を引き起こした点にある。
 しかし、こんな反論がありうるだろう。

人類というのは長いことサプリメントなんか取ってこなかったし、取らなくたって健康にやってこれた。だから、どう考えたって、サプリメントなんて不要に決まっているから、旧来の国家の視点、つまり、旧来の医学・栄養学が正しいのは自明なのではないか。

 まさにそのとおりでそこでめでたく思考停止になれるのだが、この問題の構図はそうではないのだ。ちょっと踏み込んで言うことなるが、そうした伝統的な食生活の実践に自然に含まれる子供の先天障害リスクをどの程度是認するべきか? ということだ。もし、ある種の国家介入によってリスクが低減されるとしたら、どのレベルなのか。そういう問題であり、どうやら、これは国家の介入が問われるところまでリスクの問題が来てしまったというのが、葉酸問題のキモなのだ。
 このことは、日本人の日常の食生活で葉酸がどのように摂取されるかという、現実的な標準にも関係しているので、後で詳しく述べたい。
cover
よくわかる最新版
ビタミンブック
吉川敏一
 で、この国家の介入の問題は先行して米国で議論されており、すでに結論を見ているので、実際的には日本も踏襲すべきかというレベルにあるにはあるのだが、米国も日本同様、サプリメントなんてものを是認するわけにはいかないというか、およそ国家がそれを是認するわけにもいかないので、結局、小麦加工品については葉酸を人為的に強化せよという法律の規制を行った。つまり、実際には、小麦加工品には葉酸について実質サプリメントを強制に混入せよとした。理屈としては加工によって失われたものを補うのだという建前はあるが、量的に見るとちょっと無理目な理屈ではある。が、これが効果をもたらし、統計的に先天障害が減少した。
 どうする他の先進国? というわけで、カナダが追従し、英国でもその方向にある。日本では、どうも、その方向に進みそうにない。それに日本人は米国人のように朝食にシリアルを食うといった風習はそれほど強く根付いていないので、小麦加工品への葉酸添加強制の効果がどの程度期待できるか今一つわからない。
 いったい葉酸0・4ミリ・グラムの摂取は通常の食生活で足りるのだろうか?
 それはどうも実際的には無理なようだ、と専門家が言っているのだ。吉川敏一京都府立医科大学大学院教授著「よくわかる最新版ビタミンブック―この症状に、このビタミン」(参照)より。米国などの諸外国の研究を受けて。

 こうした事実から、妊娠の可能性があるすべての女性に、ハンガリーでは1日1mg以下、米国では1日0・4mg(400μg)の葉酸の摂取を推奨しています。
 葉酸は牛、豚、鶏のレバーや大豆などに豊富ですが、レバーはビタミンAも多く含むので、過剰症を避けるため、レバーが好きな人でも1日に50gまでにとどめるべきです。
 米国の推奨する葉酸1日400μgを満たすには、牛、豚、鶏などのレバーを30g強、ほかに納豆、グリーンアスパラガス、キャベツ、ほうれんそう、レタス、白米、食パンをどれも100gずつ食べてようやく400μgですから、なかなかたいへんです。米国の推奨量は事実上、サプリメントの利用をすすめたものといえます。

 けっこう踏み込んで書かれているが、この400μgはすでに米国ではなく日本の妊娠可能な女性への推奨量となっている点を考慮していただきたい。
 葉酸に着目すれば、400μgの摂取は不可能ではないが、他の栄養やカロリー摂取のバランスが難しい。
cover
ファンケル
ビタミンB群
 困惑させるのがエントリの目的ではないので、現実的な対処でいうなら、葉酸200μg分はサプリメントでゲタを履くのが簡単だろう。で、サプリメントだが、葉酸の専用サプリメントを取る必要はない。ビタミンB群のサプリメントに葉酸は含まれている。私も使っているファンケルのビタミンB群にすると推奨は1日2粒で葉酸400μgが取れるようになっている。なので、これを1日1粒とっておけば、男性でも推奨されている200μgが取れる。200μg分がゲタだと。
 サプリメントを取れとは、私などには言えないが、葉酸については、以上のような微妙な問題があったりする。

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2007.08.15

バタ平泳ぎと背面平泳ぎ

 暑いので与太話でも。水泳の話。その後も水泳を続けている。その後というと、「極東ブログ: バタフライが自然にできた」(参照)からか。最初が「極東ブログ: [書評]水泳初心者本三冊」(参照)、次が「極東ブログ: ゆっくり長く泳ぎたい、でも、それってクロールなのか?」(参照)。これで水泳シリーズその4かな。まあ、どうでもいいんだけど、振り返ってみると、たぶんけっこう上達した。

cover
ゆっくり長く泳ぎたい!
誰もが編
 クロールは、快適スイミング研究会式の、土左衛門ストリームライン車輪掻き2ビートというのは定着。呼吸も「めくるように」というのがだいたいできる。それなりに速度も出る。まあ、初心者としてはこんなものか。で、飽きた。昔風のローリング式もやったり、左右交互の呼吸とかも。それからいつのまにかキックも効果的になっているので、6ビートに戻したら、マブチモータ付きです私、みたいに進むようになった。へぇ。しかし、そうなると速度と呼吸のタイミングが難しく、さて、これから先競泳的なクロールにするのか、たしかに速度が出るというのは面白いのだが、歳もあるしなとか逡巡しているところ。ついでに体力が付いてきたのか呼吸が変わったのか、息の上がり方が変わって回復が早い。
 平泳ぎは特に変化なし。というか、昔からこれはそれなりにできたし、あとは競泳用にスタイルを変えるかなのだけど、遠泳風にというのがいいかなと。ところが、これも水に慣れてくると、ストロークの手の抵抗がうざいのだね。まあ、最初ウォーミングアップとかシンクロ風に遊び泳ぎしているときは平泳ぎはするけど、これも飽きてきた。
 背泳は2ストロークができるようになった。これはけっこう楽。と思ったが、キックのビートを増やすとそれなりに進む。ただ、思ったほど速度は出ない。ちょっと壁。
 バタフライはその後、上達と言っていいだろう。一時期面白くてバタフライばっかりやっていた。身体全体をぐわんぐわんと水生動物のように動かすのが面白い。けっこうエレガントに動くので、水もばしゃんとか飛沫を上げることは少ない。というわけで、この点では、「ゆっくり長く泳ぎたい! 背泳ぎ&バタフライ編 ゼロからの快適スイミング」(参照)は採用しなかった。で、これもちょっと飽きてきた。
 というあたりで、平泳ぎの水の抵抗が気になりだして、そういえば、「ゆっくり長く泳ぎたい! 背泳ぎ&バタフライ編 ゼロからの快適スイミング」(参照)にある話だが、昔の水泳では手を水面上で回したというのを思いだし、冗談半分にやっていた。ちなみに同書より。時代は今世紀の初頭。

 その頃、平泳ぎの大きな欠点は腕を前に戻すリカバリー動作で発生する水の抵抗と考えられていた。これをなくそうと発案されたのが、リカバリー時に腕を水上に持ち上げた平泳ぎである。

 そうなのだ。どうも平泳ぎ(ブレスト)はリカバーで無駄な抵抗力を作り出す。

 その腕の動きがまるで蝶の羽ばたきのように見えたことからバタフライと名付けられた。このバタフライの発案により、平泳ぎには2つの泳法が存在することになった。従来のリカバリー動作を水中で行う泳ぎはオーソドックス式平泳ぎ、そして新しい泳法はバタフライ式平泳ぎと呼ばれることになる。

 というわけで、20世紀前半ではまだ今日のバタフライはなくて、水上でリカバリーする平泳ぎがバタフライだった。

 そして、1928年のアムステルダム五輪で、ドイツのラーデマッヘルがバタフライ式平泳ぎを行ったといわれている。
 この新しい泳法は従来のものより速かったことは想像がつくだろう。その後、紆余曲折の末、1956年のメルボルン五輪からバタフライは正式種目に採用されている。

 ということなのだが、最後のところがちょっと誤解されやすい。というのは、ラーデマッヘルのバタフライは平泳ぎだから足はカエル足だ。が、1956年のメルボルン五輪からバタフライはもう現在のバタフライになっている。
 この間の変化も同書が触れているのだが。

 現代のバタフライ泳法は日本の長沢二郎が創始者といわれている。バタフライ式平泳ぎはカエル足キックであったが、膝を痛めた長沢は、その痛みをしのぐため、カエル足に代わり上下に水を蹴るビートを時々挟んだ。これが思いのほか進み、1ストローク2ビットの”長沢式バタフライ”が1945年頃に誕生した。長沢のキックはドルフィンキックと名付けられ、後に彼は16の世界新記録を打ち立てることになる。

 ということだ。
 ここで、快適スイミング研究会は、だからバタフライは平泳ぎが原型だし、平泳ぎができる人ならできる、動作のタイミングは同じだ、としてできるだけフラットなバタフライを提唱するのだが、が、というのはこれが私はうまくいかない。
 はっきりと言えるわけではなし、水の中の体感的にわかることにすぎないのだが、競泳ではないバタフライの推進力はストロークからではなく、胴体(コア)の浮力をウェーブで前後に移動することで身体を前に押し出す力を使っているのようだ。つまり、ある程度の上下ウェーブをつけたほうが初心者には泳ぎやすい。
 だが、当然、快適スイミング研究会が言うように、フラットにしたほうがストロークとの関係では抵抗が少ない。
 というあたりで、冗談気分で、ラーデマッヘルのバタフライとはどんなものだろうかといろいろ試行錯誤した。どうもこれはこれで完成した泳法がありそうだとなんとなく、わかってしまい、で、それなりに”バタ平泳ぎ”のフォームを完成させちゃいましたよ。これが楽で、かつそれなりに速い。
 ただ、問題はあって、呼吸で上体が上がるときフラットが崩れる。これは通常の平泳ぎ(ブレスト)でもそうだけど、この状態から水上に腕を回すときにかなり無駄な抵抗が発生する。なので、呼吸のときは1回ストロークをお休みにして「気をつけ」ストリームラインで進み、足のキック後に水上ストロークに戻すと、驚くほど水の抵抗がない。ちなみに手のストロークは、「八」の字を掻く感じがよさそうだ。
 なぜこの泳法が定着しないのだろう? 合理的で楽でそれなりの速度が出て? と考えたのだが、この泳法だと競泳の速度は出ないということかな。「気をつけ」ストリームラインで水の抵抗はなくてするーっと進むけど、この時速度が稼げない。
 それとは別にこれも冗談で、背面平泳ぎをやっていたのだが、これ、普通に泳げる人なら誰でも冗談でできる馬鹿泳ぎなわけですよ。でも、ストロークに無駄が多い。というか、頭上前方にうまく手が伸びない。ということろで、あれ?と思った。顔の上で腕をX字にしてそれを開くように頭上にもっていけばいいのではないか。と、やってみると、ナイスです。広く深く水が掻けるし、これも、おやまぁというくらい楽に進む。
 というわけで、面白がって、バタ平泳ぎとか背面平泳ぎとかやっていると、傍からは馬鹿みたいに見えるのでしょうが、でも、それなりに速度が出ているのはわかるはず。
 まあ、とりあえず四泳法に飽きてきたので、変態泳法を加えて六泳法でもいいか、と。さて、これから競泳的にスタイルを変えるか、それとも、シンクロナイズドスイミングでも……いやさすがにそこまでは。

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2007.08.13

また失われる10年かな

 これを書くかどうか悩んだが軽く少しだけ書いておこう。日本の政局とアジア情勢の見取り図みたいなことだ。今週のニューズウィーク(8・15/22)の記事”蘇る「失われた10年」の悪夢”が面白かったのでそれを引くことになる。オリジナルの"A Symbolic Whipping"の含みがわかりづらいが。
 要点は二つある。一つは、中国経済バブルの崩壊に日本がどう備えるかということに関連してだ。参院選で大敗し安倍首相が退任するかという文脈で。


 この局面で日本の首相が交代すれば、アジア諸国に及ぶ影響は大きい。日本の景気回復は、アジアとくに東南アジアの成長と投資の原動力になっている。中国経済のバブルが崩壊するときには(時間の問題だろう)、日本経済が堅調かどうかで、アジア経済のこうむる打撃の大きさが変わってくるだろう。

 筆者ジョージ・ウェアフリッツは随分踏み込んで書いていると私は思う。つまり、中国経済バブルの崩壊は時間の問題だという点だ。そうなのだろう。この含みは大きい。彼は中国はバブルの本人だからということか、とりあず東南アジアのほうに視点を置いているが、言うまでもなく中国の打撃のほうが大きい。そして、端的な話、その打撃を緩和するのは日本の堅調な経済力なのだ。
 でだ、そのことを中国がどのくらい理解しているかというのが問題なのだ。もっとベタにいうと上海と北京の権力闘争がどのくらい中国未来の経済破局を取り込んでいるか。概ねの見方としては、権力闘争は北京の勝ちで決まりだろうが、「極東ブログ: 胡錦涛政権の最大の支援者は小泉元総理だったかもね」(参照)でふれたこの秋の第17回党大会へ向けた追い込みがどうなるのか。ちょっとブレがありそうに思える。なぜか。
 ここでぐっと日本の復興にむけて対日情報操作のグリップをもう変えないといけないはずなのだが、どうもしこたま打たれている操作っぽい感じの情報はそうではない。せいぜいコシヒカリが中国で売れまくってよるなやっぱりというくらいのものだ。というあたりを見ると、意外に胡錦濤が苦戦している部分は多いのだろうし、たぶん、すでに権力闘争の実働部隊はポスト胡錦濤時代に向かっているのだろう。というあたりで、上海閥とかそのあたりで衰えてもいないのだろう。中国はもうちょっと中国国民全体の福利を考えて、べたでもいいから日本協調をすればいいのではないかと思うが、そうもいかないのだろう。
 もう一つはこれもウェアフリッツが随分踏み込んで書いたなと関心するが、中国の脅威にアジアがさらされていること。

 日本は外交面でも、北朝鮮問題などで、中国とインドと並ぶアジアの大国として振る舞いはじめている。軍事面では、安倍政権のもと、いわゆる「普通の国」への移行を進めてきた。中国と韓国は警戒心をつのらせているが、中国が覇権志向に走ることに恐れる他のアジア諸国は、この動きをひそかに歓迎している。つまり、安倍政権の行方は、近隣諸国にとっても大きな意味をもつのだ。

 このあたり、普通に世界を見渡せば当たり前なのだが、どうもブログですら言いづらい空気になってきた。
 軍事面ではいろいろうざったいので話を割愛するが、問題は日本の経済成長であり、いずれ中国経済が崩壊したときさまざまな形で日本が応答しないといけないはめになるのだが、どうもそういうふうな構えはできていないようだ。
 結論は、ウェアフリッツに同意するしかなさそうだ。どたばたしてもボロボロのまま安倍続投となるということ。

 これこそが最悪のシナリオだ。内閣と首相官邸の権威が弱まり。小泉政権が進めた「脱派閥」化に事実上終止符が打たれかねない。そうなれば、派閥の力学で政権がころころ変わり、首相が強力なリーダーシップを発揮できなかった90年代に逆戻りしかねない。


 近隣諸国は、日本の緩やかな再軍備化や「普通の国」への移行を恐れるより、このことを心配すべきだ。日本経済が瀕死の状態に陥るほど、アジアの平和と安定、繁栄にとって深刻なリスクはない。

 たぶん、中国にとっても。

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2007.08.12

ちょっと気になる英語の言い回し

 ブログを書く気がしない。そんなときは無理しないで書くのを休もうと思うようになった。1000エントリを越えたあたりか。それまでは何か苦行のように毎日書いていた。
 ブログを書く気がしないのは単純な話、暑いから。それと私事が忙しいのもある、が、気分転換にブログを書く時間がないわけでもない。ただ、サブプライムローンとか日本の政局周りの話は書くのが難儀だな、暑いなとか循環する。あと、8月ネタはもう4年もブログを書いてきたのでさすがにうんざりしてきた。
 でも何か書くかな。ネタがないわけでもない。このところ、自分の関心分野の本を読みいろいろ思うこともあるし、8月ネタはうんざりといいつつ、つかこうへい「娘に語る祖国―『満州駅伝』従軍慰安婦編」(参照)について少し書こうかとこのところ思ったりもした。でも、また別の機会に。
 ということで、雑ネタ。しかも、ブログで拾ってきたネタ。ちょっと気になる英語の言い回しという感じ。ネタ元は「らばQ : 男として生まれてきてよかった100の理由」(参照)と、さらにその元”The top 100 reasons it's great to be a guy”(参照)だ。早い話、英語のネタを翻訳したというものだが、最初日本語のリストを見ていて、日本語の意味がよくわからないというところを、原文を見ていると、なかなか口語というか現代世相も反映されていて難しい。ちょっとメモをとってみた。というわけで、誤訳の指摘とかいう趣味ではないのでそこのところはよろしく。
 じゃ、行ってみよう。英語はネタ元の。翻訳文は先のサイトからの引用。テーマは「男であってよかったこと」というしょーもない話だ。性差別的な内容もあるが、この程度は英語圏では洒落の内なのだろう。というわけで、以下、「男なら~」というのに続ける、笑点の小話みたいなもの。


1. Phone conversations are over in 30 seconds flat.
1.電話の会話は30秒以内で済む

 これは一瞬、誤訳?と思ったが、30秒フラットを越えるというのは、ほぼその域内に収まるということなのだろう。「~ are over in 30 seconds flat.」というのは使えそうな言い回しだ。追記 コメントでご指摘を受けた。これは私の間違い。The game is over.のoverでした。

8. You can open all your own jars.
8.ほとんどのビンのフタは自分で開けられる

 これは笑った。瓶の蓋でいいのだけど、実際には瓶詰めの蓋とかようすに保存食品とかバス用品の蓋というので、どういうわけか米人の女性はこれでパニックを起こすというのを私も見てきた。私の率直な印象を言えば、男が試されるときだ。というわけで、試されないように、蓋開け専用のツールが各種ある。

10. Dry cleaners and haircutter's don't rob you blind.
10.クリーニングや散髪でぼったくられない

 誤訳?と思ったが、私が「rob you blind」という言い回しを知らなかった。グーグルを見るとよく使う言い回しだった。「これに目が眩んで糸目を付けない」という含みがあるようだ。haircutter'sの所有形はショップを指すのだろうから、散髪屋ということだが、ヘアカットは散髪屋というわけではないだろう。ついでに、とすると、「Dry cleaners」はアポストロフィーが落ちているのだろう。

12. Your ass is never a factor in a job interview.
12.会社面接のときにヒップラインがキーポイントになるなんてことはない

 これは深読みができるかなとしばし考えたが、この訳でいいようにも思う。assについてはちょっと解説したいような気もするが、やめとこ。

14. A beer gut does not make you invisible to the opposite sex.
14.ビール腹とて世間に堂々とさらせる

 意訳ということだろう。含みとしては、お腹の出た女性は男性からは不可視の存在となるということで、男性ならそれはないというのだが、そうだろうか。

17. You understand why Stripes is funny.
17.しましま模様にユーモアを感じられる

 これはきつい。きついというのはこういうところが翻訳は難しい。英語的には、Stripesが大文字になっているのがミソで、つまり、これはコンストラクタだ(違う)。結論からいうと、大文字のStripesは星条旗で、だから「パラダイス・アーミー(原題Stripes)
 」(参照)ということ。女には軍隊の世界はわからんだろという含みなのだが、この米人、イスラエル軍とかわかってないようだ。

24. You get extra credit for the slightest act of thoughtfulness.
24.たまにちょっと思いやりを見せると信頼が上がってくれる

 thoughtfulnessは、「思慮深い」より、このように「思いやり」と訳すべきなんだろうな。そして男女間のニュアンスがある。日本人だと、kindnessとか思いがち、ってことはないですかね。これだと男女間のニュアンスはないのでは。

25. You see the humor in Terms of Endearment.
25.愛情表現にヒネリがある

 これもあれでしょ、「愛と追憶の日々(原題Terms of Endearment)」(参照)。この訳はそのあたりを汲んだのかもしれない。

46. You get to think about sex 90% of your waking hours.
46.散歩中の90%をエロ妄想で過ごせる

 ああ、これは私なんかもよくやるトチリですね。

52. Michael Bolton doesn't live in your universe.
52.世界の中心に愛をさけぶ人がいなくてもよい

 意訳なのでしょう。ちなみに、ウィキペディアにマイケル・ボルトン(参照)の項目があり。愛を叫ぶというよりはバラード系で、日本でいうと布施明かな。

56. You never feel compelled to stop a pal from getting laid.
56.SEXしようとする友人を止めなくていい

 これはちょっと考えた。誤訳ではない。getting laidはそういう意味。compelledのニュアンスを訳文に出すにはどうしたらいいのだろうか。まあ、確かにこのあたりの感覚は米国女性っぽいものをうまく表現している感じはするし、日本人女性もそうかな。

57. Car mechanics tell you the truth.
57.車の修理屋が真実を語ってくれる

 気になったのは、Car mechanicsは「車の修理屋」でいいかなというあたり。つまり、Car mechanicsというとき米人は何を思うのだろう。まあ、修理屋かな。で、この文でCar mechanicsという場合、感情抜きで理系的に物を考えて真実をとらえるのが男だという含みがあるのだろう。

59. You can watch a game in silence with you buddy for hours without even thinking (He must be mad at me)
59.友だちが怒ってるかどうか気にせずに、何時間でも静かにゲームをしていられる

 watch a gameというのは野球観戦でしょう。米人女性はこれがきらいな人がけっこういる。

63. Hot wax never comes near your pubic area.
63.陰毛の所に変なクリームを近づける危険がない

 これは脱毛ワックス。このあたりの翻訳っていうのは、男性なら女性との付き合いとか窺い知れるというあたりか。

71. You don't have to leave the room to make an emergency crotch adjustment.
71.股の間の調整に部屋を出なくていい

 ちょっとお下品なので翻訳したくないが、気になったのは、adjustmentという表現。adjustmentには固定のニュアンスがある。

79. ESPN's sports center.
79.メモリといえばパソコンに入れるものだ

 超訳。ESPN(参照)はウィキペディアにもあるように、スポーツ専門チャンネル。男ならこれが楽しめるということ。

81. Bachelor parties whomp ass over bridal showers.
81.男だけのおふざけ集まりに勝てる女の集まりはない

 Bachelor partiesは結婚前の男を男たちが祝うパーティ、bridal showers(参照)はウィキペディアにあるとおり。Bachelorette party(参照)もあり。おや、日本語も、「バチェロレッテ・パーティー」(参照)。日本でもやっているのでしょうかね。

81. You needn't pretend you're "freshening up" to go to the bathroom.
84.トイレに行くのに理由はいらない

 これはあれです、"If you’ll excuse me, I'm going to go freshen up." 女性言葉です。「理由」というよりは慣用句なのでしょう。

87. You can rationalize any behavior with the handy phrase "F*#k it!"
87.行動の大半を「まぁいいや」で合理化できる

 この語感を「まぁいいや」とするのかとちょっと思った。まあ、いいや。

95. Porn movies are designed with your mind in mind.
95.エロ動画は心の奥深くに刻み込まれている

 言葉遊びなのだろうが、直訳すると「ポルノ映画はあなたの思いを念頭において作成されている」か。男ならポルノ映画が楽しめるという含みか。

98. Your pals can be trusted never to trap you with: "So...notice anything different?"
98.友だちが「何だかわかる?」という罠のある質問をしてくることがない

 "notice anything different?" 「違いがわかる?」ということで、よく使われるフレーズのようだが、語感がよくわからない。女性が些細に髪型を変えたときとか体重が1キロ減ったとかだろうか。

100. There is always a game on somewhere.
100.必ずどこかにはゲームがある

 これも野球観戦とかかな。

 以上。

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2007.08.08

核兵器使用を巡る米国大統領選の一コマ

 6月末日の久間元防衛相の「しょうがない」発言は国内で話題になった。しょうがないならディアボロ・ジンジャーでも飲めというお勧めも間に合わぬ内に彼は消えた。が、あの時の発言をちょっと振り返ってみる。同日の朝日新聞記事”久間防衛相、講演で「原爆投下、しょうがない」”(参照)より。


 久間氏は「我が国の防衛について」と題した講演で、東西冷戦下で米国と安全保障条約締結を選択した日本の防衛政策の正当性を説明する際、原爆投下に言及した。
 久間氏は「米国を恨むつもりはないが、勝ち戦と分かっていながら、原爆まで使う必要があったのかという思いが今でもしている」としつつ、「国際情勢とか戦後の占領状態からいくと、そういうこと(原爆投下)も選択肢としてはありうる」と語った。

 ここで振り返ってみたいのは、久間の認識として「あの時、原爆使用という選択肢はあり得た」ということがあるとして、では、「これからも国際情勢によって、原爆使用という選択肢はあり得るだろうか?」
 この問いに久間は、もうのんびりと「あり得る」と答えるのではないだろうか。では、日本人の世論はどう答えるのだろうか? 少なくとも、久間をバッシングしてきたマスコミはなんと答えるのだろう。
 なんとなくだが、「いかなる国際情勢であっても原爆の使用は許せない」と語るのではないだろうか。しかし、それってもし語ったとしても、日本国内向けのポーズなんだなとがっくりしたのが、先日のクリントン発言だった。
 記事はAPの孫引きで共同でも流したが、まず3日付毎日新聞記事”米国:オバマ上院議員…対テロ戦争で核兵器使わぬ”(参照)を引いてみる。

 来年の米大統領選で民主党指名の獲得を目指すバラク・オバマ上院議員(45)は2日、対テロ戦争で核兵器を使用しない意向を明らかにした。AP通信に語った。ブッシュ政権は先制核攻撃を含め戦域・戦術核兵器の使用を排除しない核戦略を取っており、対抗する狙いがあるとみられる。
 オバマ氏は、アフガニスタンやパキスタンでの国際テロ組織アルカイダ撲滅を目的とした核兵器使用について「いかなる状況であれ、核兵器を使用することは深刻な誤りだ」と述べ、核兵器使用は「選択肢にはない」と明言した。戦術核の使用についても同様だ、と答えた。

 外信の基本として「AP通信に語った」というのはどうだろうか。間違っているというのではないが、少し疑問がある。が、先に進むとして、記事では概要として、「ブッシュ政権は先制核攻撃を含め戦域・戦術核兵器の使用を排除しない核戦略を取っており、対抗する狙いがあるとみられる」とした。一見合っているかのようだが、このまとめでいいのだろうか。
 具体的にはオバマは核兵器を使用しないと宣言したに等しいというのはとりあえず事実としてもよい。
 この発言に対して、クリントンが対抗の発言をした。

 オバマ氏の「核不使用」発言について、ライバルのヒラリー・クリントン上院議員(59)は「大統領は核兵器の使用や不使用についての議論には慎重であるべきだし、発言も慎重であるべきだ」とけん制した。

 クリントンも民主党なので、この発言は、この時点で、ブッシュ政権と民主党が核戦略において必ずしも対立してないことを意味していることになるはずなので、先の概要は少し外しているだろう。
 記事は「両氏の論戦は次第に緊張感が高まっている」と結び、当のクリントン発言については言及していない。クリントンが言ったことは、米国は民主党でも核兵器を使う可能性はあるということなのに。つまり、久間発言の含みと同じとも言える。
 共同ではブッシュ政権との対立といった概要はなく、ある意味でベタな事実を伝えているのだが、多少印象が違うかもしれない。3日付”今度は核兵器論争 オバマ、クリントン氏 ”(参照)より。

これにかみついたのがクリントン氏。同日の記者会見で「大統領は核兵器使用の是非を論じることに常に慎重でなければならない」と指摘。「冷戦以降、歴代大統領は核抑止によって平和を維持してきた」などと述べ、オバマ氏との見解の差をアピールした。

 クリントンは、核は有効であるという信念を持っていることがここから伺える。
 さてその後、このニュースは国内から消えた。核兵器に敏感な日本人なら、この論争を米国民がどう受け止めたかが気になるところだが。
 どうだったのだろうか。
 推測できるのは、今日付のCNN”ヒラリー氏、オバマ氏との差を広げる 米世論調査”(参照)だ。

調査は3-5日、民主党寄りの有権者490人を対象に実施された。その結果、ヒラリー氏の支持率は48%と、3週間前の前回調査から2%上昇。オバマ氏は26%で前回から2%下落し、ヒラリー氏の差が22ポイントに開いた。3番手のジョン・エドワーズ元上院議員は12%。


民主党支持者や民主党寄りの無党派層は、テロ対策やイラク政策などでヒラリー議員の方を好感している。

 クリントンによる核兵器支持とも取れる発言の影響について直接的な言及はないものの、概ね米国民に支持されていると見てよいのではないか。
 ところで当のニュースはどういうものだったのだろうか。3日付けロサンゼルス・タイムズ”Nuclear reaction to Obama's remarks”(参照)からはメディアを介した対話だったように受け止められる。

New York Sen. Clinton smiled Thursday when she was read Obama's comments during a Capitol Hill news conference.
(ニューヨーク・クリントン上院議員は木曜日、キャピトル・ヒルズでのニュース会議でのコメントを読み、微笑んだ。)

"I think that presidents should be very careful at all times in discussing the use or non-use of nuclear weapons," she said.
(「大統領たる者は核兵器使用の是非を論じることに常に慎重でなければならないと私は考える」と彼女は言った。

"And I don't believe that any president should make any blanket statements with respect to the use or non-use of nuclear weapons. But I think we'll leave it at that, because I don't know the circumstances in which he was responding."
(「いかなる大統領であれ核兵器使用是非について十把一絡げの発言をなすべきではないと私は確信している。とはいえこの問題に深入りするのは避けたい、というのも私は彼の回答がどのような状況でなされたか知らないからだ。)


 どちらかというと米国のジャーナリズムが釣りをして、オバマが釣れてクリントンが余裕で交わしたということのようだ。
 その意味で、大した話題でもないと言えるかもしれないし、およそ核兵器使用の是非など門前払いになるくらい米国の世論は強いということかもしれない。これはもう、しょうが……(沈黙)。

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2007.08.07

井上「かなお」(Inouye Kanao)って知った?

 私は知らなかった。ある意味でありふれた名前なので同姓同名のかたも多数いらっしゃると思うが、この井上「かなお」(Inouye Kanao)は戦争犯罪者である。犯罪者だから悪いに決まっているという非論理的な冗談はさておき、私は彼を知らなかったし、「Inouye」は「井上」以外はないだろうと思うのでこの姓を当てるが、私としては今でもなおその正しい日本名を知らない。
 ネットをざっと調べた範囲では日本語の情報もないようだ。が、おそらく研究に値する人間だろうと思うし、私は興味を引かれた。そんな有名人、歴史に関心を持つ人なら当たり前に知っていることだということもかもしれない。そうであれば、コメント欄などで情報をいただけたらと思う。
 私が、井上「かなお」(Inouye Kanao)を知ったのは最近のニュースからである。現在の英語版のグーグル・ニュースで検索しても典型的なニュースが3点ヒットする(参照)が、ようは、最悪のカナダ人は誰か?という投票で上位ノミネートされたらしい。
 もちろん最悪のカナダ人といったら言うまでもなくピエール・トルドー(参照)に決まっているじゃないかという冗談のような結果から、さてはこのリスト作成祭も冗談かというとそうではない。ニュースとしては”Trudeau tops a worst Canadians list”(参照)があり、ここに井上「かなお」(Inouye Kanao)が現れる。


The history panel's list included prime ministers John Diefenbaker and Sir John A. Macdonald; military leaders John Reiffenstein and Sam Hughes; notorious Japanese army torturer Inouye Kanao, a.k.a. "The Kamloops Kid";
(悪名高き日本人軍拷問者井上かなお、カムループス・キッドとして知られているあいつだ)

 「カムループス・キッド」という名前なら、「ははぁ、あいつだな」とわかるものだろうか。私にはわからない。どうも私だけが無知ということでもないような印象も受けるのは、”Vancouver Forum - The Kamloops Kid”(参照)にgというハンドルでこういうコメントがあるからだ。

g Posted - 9/16/2006 4:08:42 AM
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I grew up in Kamloops and had never heard this story, I wonder why
it's a sad story
(私はカムループスで育ったけどそんな話聞いたことない。なぜだろう。がっくりくる話なのに。)

 このフォーラム、つまり掲示板にはカムループス・キッドの概略が掲載されてはいる。

Remember the Kamloops Kid? For those that dont he was a Canadian of Japanese origin who grew up in kamloops in the 30s. He suffered alot of racist taunts and beatings from the locals so when WW2 broke out he fled to Japan and became a POW camp officer. When the Japs took Hong Kong and captured alot of allied prisoners, he singled out the Canadians for special treatment. Because of his hatred towards the they gave him the name Kamloops kid. The moral of this episode is bigotry breeds hatred so dont let history repeat itself.
(カムループス・キッドのことは忘れてないよね。日系のカナダ人で30年代にカムループスで育った。彼は人種差別の愚弄に苦しみ、その地域で迫害され、その後、第二次世界大戦勃発で日本に逃げ、戦争捕虜担当の将校になった。ジャップ(日本人)が香港を取り、連合軍犯罪者を捕獲したとき、彼はカナダ人を特別に扱った。彼が向けた憎しみゆえに、彼らは彼のことをカムループス・キッドと呼んだ。この話の倫理性は、敵対感情が憎しみを育てるということ。こういう歴史を繰り返すべきじゃない。)

 口語なのでよくわからない部分があるし、この情報が正確ではないのかもしれない。他の情報を見ると、井上かなおは、カナダ人を選び出して拷問を科してしていたようだ。死者は最低でも8人にのぼり、戦後彼は戦犯として処刑されたらしい。
 歴史考察の上で気になるのは、彼は何人だったのだろうか(つまり国籍はどこ?)、ということだ。そのあたりのきちんとした情報がわからない。日本兵なのだから日本人に違いないという議論は粗雑かもしれないのは、彼がカナダ国籍を保持していただろうからだ。また処刑に際して、カナダ政府はどう関与していのだろうか。そのあたりはどういう扱いになっているのだろうか。
 今回の最悪のカナダ人というネタからは、おそらくカナダ人としての認識されている側面もあるのかもしれないし、いくつかネットを探ると、この件について日本政府はどう考えているのかという提起もある。私としては、歴史家は彼をどう扱っているのか気になる。
 ”The Fighting 44s”というサイトに、2006年4月17日付けで、井上かなおについて興味深いコラム”Responsibility”(参照)が掲載されているのだが、そこに次の言及がある。

I read a story in the Globe and Mail about a Canadian veteran who was captured when Hong Kong fell to the Japanese in 1942.
(私は、グローブ・アンド・メール紙で、1942年日本人による香港陥落で捕獲されたカナダ老兵について読んだ。)

 これと先のフォーラムなどから察するに、昨年あたりグローブ・アンド・メール紙で井上かなおが「発掘」されたのかもしれない。
 同コラムは非常に興味深いが、あえてこのエントリでは触れないでおこうと思う。日本の戦争は、現在の日本のメディアでは、日本がアジアを侵略したという枠組みで語られることが多いが、あの戦争は日本と連合国の戦争であり、それゆえに、カナダやオーストラリアなのの視点も存在する。そうした全体像のなかであの戦争がどう見えるのか、そういう全体象の構築のなかに井上かなおというピースが収まるのかもしれない。

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2007.08.03

米国の葛の話

 先日VOAを聞いてたら「カッズー(Kudzu)」の話があり、聞いていると「葛」のことらしい。日本でよく見かける、つる性の多年草のクズだ。その根は葛粉や葛根湯のもとになる。葛は花が美しい。これから葛の花の季節だ。

photo
葛花
by Wikipedia
 VOAに書き下したスクリプトがあるか調べてみたらあった。”VOA News - Goats Employed in Fight Against Kudzu in US South”(参照)である。初心者向け英語なので、一部歌詞以外は読みやすい。話のポイントは表題にあるように、葛を食う山羊だ。米国南部で葛がはびこって困っているので、山羊に食わせて退治しようというのだ。
 私は小学生ころから自然観察小僧だったので葛が米国を困らしている帰化植物だとは知っていたし、以前「極東ブログ: セイタカアワダチソウ」(参照)にも書いたことがあるのだが、貿易の過程で自然に繁茂したのだろとなんとなく思っていた。そうではなかった。

The Japanese brought it to the United States in eighteen seventy-six. It grew well in the warm, wet climate of the southeastern states. People planted kudzu around their homes to hide things like fences.
(葛を日本人が米国に持ち込んだのは1876年である。葛は米国南部の温暖で湿潤した気候で繁茂した。米国民は、家を隠すフェンスのように葛を植えたものだった。)

In the nineteen thirties, during the Great Depression, the government put people to work planting kudzu for soil protection. Between nineteen thirty-five and the nineteen fifties, the government even paid farmers to plant it. The kudzu also provided cattle feed.
(大恐慌の1930年代には、米政府は土壌保護のために国民に葛を植えさせもした。1935年から1950年代の間、米政府は農家に葛植え付けの助成金も出した。葛は家畜の飼料にもなった。)


 米国が葛を積極的に植えていた時期があったことはうかつにも知らなかったので、ウィキペディアの同項目参照したところ、きちんと言及があった(参照)。

北アメリカにも1876年にフィラデルフィアの独立百年祭博覧会の際に日本から運ばれて飼料作物および庭園装飾用として展示されたのがきっかけとして、東屋やポーチの飾り、さらには緑化・土壌流失防止用として推奨され一時は持てはやされたが、原産地の中国や日本以上に北アメリカの南部は生育に適していたため、あるいは天敵の欠如から想像以上の繁茂・拡散をとげ、有害植物及びに侵略的外来種として指定されたが、駆除ははかどっていない。なお、葛の英語名は日本語から「クズ[kudzu]」である。近年ではアメリカ南部の象徴的存在にまでなっている。

 なるほど「フィラデルフィアの独立百年祭博覧会」に意図的に持ち込まれたものか。ちなみに1876年は明治9年で萩の乱(参照)のあった年だ。野口英世が生まれた年でもある。
 「フィラデルフィアの独立百年祭」が少し気になるのでついで調べてみるのだが、まずフィラデルフィア(参照)。

1682年、クエーカー教徒のウイリアム・ペンが同志とアメリカに渡来、この地に居住区を建設したのが市の起源。ペンはこの地を古代ギリシア語で「兄弟愛の市」を意味する(Φιλαδ?λφεια、フィロス=愛、アデルフォス=兄弟、ア=都市名につく語尾形)「フィラデルフィア」と命名した。

18世紀を通じてフィラデルフィアは北米最大の都市で、アメリカの独立前にはイギリス第二位の都市だった。独立戦争時、州議事堂(現独立記念館)で大陸会議や独立宣言の起草が行われた。また1790年に合衆国の首都がニューヨーク市からフィラデルフィアに移ってくると、新都ワシントン特別区の建設が一段落する1800年までの10年間合衆国連邦政府の首都だった。


 1876で百年祭だから起源は1776年だろうと推測するだが、フィラデルフィアでは照合しない。まあ、当然といえば当然で、これは「フィラデルフィアの独立」ではなく、米国の独立なので1776年なのだ。ついでに、英語版ウィキペディア”Centennial Exposition”(参照)に独立百年祭博覧会の解説がある。

The Centennial International Exhibition of 1876, the first official world's fair in the United States, was held in Philadelphia, Pennsylvania, to celebrate the 100th anniversary of the signing of the Declaration of Independence in Philadelphia. It was officially the International Exhibition of Arts, Manufactures and Products of the Soil and Mine.
(1876年の国際百年祭は、米国初の世界祭であり、フィラデルフィアとペンシルバニアで開催され、フィラデルフィアでの独立宣言署名の百年記念であった。公式には、大地と鉱山の技術・生産の万国博である。)

 話をVOAの葛に戻すと、米国50年代以降、葛は困った雑草ということになり、駆除の対象となるのだが、葛にしてみると米国南部は住み心地がよいようだ。なのでなかなか駆除できない。そこで山羊の登場となる、ということで、VOAでは葛駆除山羊のカントリーソングが流れる。関連で調べていくと、”4/3/2007 - Kudzu Goats And Friends Getting To Work On Missionary Ridge - Breaking News - Chattanoogan.com”(参照)というニュースもあり、山羊以外にラマ(参照)も使われているらしい。
 VOAでの葛の話の結びでは、葛には今でも愛好家もいるとなっている。少し調べると、”The Amazing Story of Kudzu”(参照)に葛工芸の話などもあった。日本では葛工芸って聞かないなと思ったが、これも調べてみるとあるようだ。

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2007.08.01

サウジアラビア周りで気になること

 ちょっと陰謀論臭い感じがしてしまうかもしれないが、このところのサウジアラビア周りで気になることを簡単にメモしておきたい。まずこれ、昨日付CNN「米国務長官、中東歴訪前に大型軍事援助を発表」(参照)。話の要点は、ライス米国務長官が中東の親米国に対する大規模軍事援助を行うということだが、メインはサウジアラビア。ポイントはそのカネの動き。


米高官は28日、イランがペルシャ湾岸地域を攻撃する可能性を念頭に、米国がサウジアラビアに対する10年間、総額200億ドル(約2兆4000億円)の大型武器援助を計画していることを認めた。米国はサウジのほか、アラブ首長国連邦やクウェート、カタール、バーレーン、オマーンと、軍事援助に向けて協議中。

 昨年末の「極東ブログ: ポーランドのミサイル防衛メモ」(参照)でも触れたが、イランを使って米国がいい出汁取りまくっているという感じがする。ちなみに、こちらのほうについてはプーチンが、ほいじゃアゼルバイジャンとかに仲良くミサイル基地作ろうとかいうバッチグーな提案をして、米国が沈黙しているらしい。このあたりのニュースが国内報道からはうまくフォローされていないように思えるがどうだろうか。代わりに、米露、英露の関係が悪化みたいな一般論だけが流れている。
 話を端折るが、今回のライス提案は、ようするにシーア派の脅威からスンニ派を守るということであり、穏健な産油国の維持とも言えないこともない。が、もっとベタにサウジアラビアと米国の関係があるのだろう。このところ、サウジアラビア側が米国に対する焦りでスタンドプレー的な動きを出してきており、妙なコーチが付きかねない。
 ついでに日経の同種の記事”米国、中東に大型軍事支援・エジプトとイスラエルに”(参照)より。

米政府はエジプト、サウジアラビアなど親米アラブ諸国とイスラエルへの大規模な軍事援助を実施する。イスラエルとエジプトに10年間で合計430億ドル(約5兆1000億円)の軍備供与を発表。サウジなど湾岸諸国への軍事支援も計画中で今年秋に決定する。イラン周辺国の軍事力を強化し、同国の核開発をけん制する狙い。

 こちらのニュースではサウジアラビアのほうは付け足しふうだ。
 もう一つ気になるのは、25日付のフィナンシャルタイムズ”Perils of petroeuros”(参照)だ。上の米国による軍事支援の文脈で読んでしまうのは陰謀論めくので、とりあえず、こちらはこちらとして読む。

The good news: oil cost $43.60 this June rather than around $70 per barrel as traded in the markets. The bad news: this is not a price for buyers, it is the real price felt by members of the Organisation of the Petroleum Exporting Countries, after adjustment for currency fluctuations and inflation. The dollar is down, which puts downward pressure on Opec’s purchasing power. There is an argument for a switch from denominating oil in dollars to euros or a basket of currencies. However, Opec should be careful about taking that step.
(良いニュースは、市場取引で1バレル70ドル近辺とされている原油だが、むしろこの6月には43.6ドルの価値になること。悪いニュースは、通貨の変動とインフレ後の調整としては、これは買い手側の価格ではなく、石油輸出国機構(OPEC)側の実売価格だということだ。米国ドルが低下し、OPECの購買力をさらに低下に向かわせている。そこで、米ドル建てで原油を握っているのではなく、ユーロにするか通貨バスケット制にするかの議論がある。そうはいっても、OPECはそうした方針転換により警戒的であるべきだ。)

 ちょっとわかりづらいのだが、現状の原油価格高騰は先年の高騰とは異なり、ドル安の影響があり、実際のところ産油国側にしてみると40ドル半ばといったところらしい。
 フィナンシャルタイムズのこの記事はさらに、OPECの輸入の四分の一はユーロによるものでドルは十分の一と続く。ドル安で購買力が低下している。このあたり、もっと有無を言わせず米国から買わせるもはといえば……という連想が働き先の話を想起したのだがどうなのだろうか。陰謀論めいた稚拙な発想だろうか。
 話をフィナンシャルタイムズの趣旨に戻すと、ここでの”Opec should be careful”というのは、ようするにドル建てをユーロに切り替えるようなマネはしないでくれということだ。なぜか。

If more actual oil transactions were switched from dollars to euros it could put further downward pressure on the greenback. That, in turn, would affect the existing dollar assets held by oil-producing states.
(現状以上に交易が米ドルからユーロに転換すれば、さらなるドル下げの圧力になるだろう。それは逆の立場からすると、産油国の既存ドル資産が影響を受けることになるだろう。)

 無理に日本の話にこじつけるつもりはないけど、もしOPEC側がよりユーロへという流れになれば、日本のドル資産も低下するのだろう。

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