なんとなく最近iPodで聞いている曲というだけで、特にテーマもなければテイストもないし、そんな好きな曲ということでもないのだけど。
Kiss & Cry 宇多田ヒカル
歌詞のなかにべたに「日清カップヌードル」が出てくるCMソングみたいだし、実際そうなんだろうけど、その言葉の使い方がとてもうまい。彼女が生まれたのは80年代なんでそうした世代にしてみると「日清カップヌードル」は最初からあったのだろう。私はリアルタイムで「ヤングOH!OH!」を見ていたのでそこからの時代の詩情感はある。ほか、音の作りも面白いけどそれにもまして詩がとても美しい。恋について「少し怪我したって、まあいいんじゃない、Kiss & Cry」というのは、困ったことにオジサン受けしてしまうのでしょうね。
人魚姫の夢 松任谷由実
ユーミンの最新だろうか。サウンドの作りはまいどまいどなんでさらっと流してしまうのだけど、詩がぞっとするほど美しい。そしてこれは死の美しさというもので、人魚姫というより夜のガスパールとか折口信夫「死者の書」の中将姫的なものとかそういう浄土教的な美でもありと駄言を弄してしまうのだが、聞き方によってはかなり気持ち悪い。ユーミンの声についてはいろいろ言われるがこの曲では老女化した彼女のいい部分が出てきて、これもぞっとする。
汚れた下着 中村中
私は中村中についてなーんも知らないで最初「友達の歌」というのを聞いていたのだが、このいわゆる女性的とは違う奇妙な心の動きとそして悲痛な叫びはなんだろうと彼女に引き込まれた。「愚痴」という歌では彼女の腹の底からの叫びというか、これこそ演歌というコブシに魅了された。そして「汚れた下着」。美しい曲だと思う。なぜそこまで愛に真実を求めてしまうのか、普通は妥協するよなとか思いつつ彼女の抱えたものの強さに感動した。
Time after time花舞う街で 倉木麻衣
2003年の曲らしい。知らないでいた。私は倉木麻衣を聞いていると桜田淳子を思い出しそしてアコージングリー引くという脳内トラップがあるのでなんとなく避けていたのだが、この曲は中国人女性の水泳をユーチューブで見ていてBGMで知った。一発で心を捉えてしまったので、他に倉木麻衣の曲をあさったがどうもこの曲だけが私に特殊のようだ。美しくなぞめいた曲だが、歌唱はすごく歌謡曲っぽい。
ありがとう・・・ KOKIA
メロディと、率直に言って、ちょっとエロい声に引かれた。そしてなんとなくというかたぶん彼女のような女性私の世代にはクラクラしちゃうものがある。歌唱は元ちとせみたいな裏声の転がしがあってあって、なんだろうと思った。詩はメロディーにマッチしているかのようだが、そこで歌われている恋の風景は、これも私たちの世代に近い、どろっとした部分があるように思えた。
会いたい 藤田麻衣子
これは聞いていると詩もメロディも歌唱もすべてが私のティーネージのことを思い出させて、なんか目の奥が痛くなる。ああ、そういう感情のなかで生きていたなというか、新宿、渋谷、吉祥寺の昔の風景がフラッシュバックする。歌を学んだ人の歌ではないように思うのと、この声はまだ成長してないんじゃないかとかいろいろ不思議な感じがする。アミンとかああいう感じに近いんだろうか、違うか。
僕たちのTomorrow 池田綾子
これも古い曲っぽい。この人は曲の作りや歌唱からかなり音楽を学んだ人という感じがして、そのあたりになんだろ?とか思った。詩はぴんとこない。
コメント
>倉木麻衣を聞いていると桜田淳子を思い出しそして...
おお!、なんか無性にコメントしたくなりました。
『なんとなく最近iPodで聞いている曲』と『なんとなく最近聞いている曲』って違ってくるんでしょうかね。
初代CDウォークマンを買ったとき、それまでドアーズとフリーばかり聴いていたのに、いきなりポリスを買ったのを思い出しました。
で、桜田淳子を聴きたいなと、そういうふうになっていくことは考えられるんでしょうか?ってのが、名無しからの質問なんですけど、もし気分がのったら、よろしくお願いします。
投稿: 名無し | 2007.07.30 08:21
名無しさん、こんにちは。環境で聞くときはピアノ曲とかクラシックですね。iPodだと耳元で聞けるので女性の息がわかる感じのがいい(おいおい)。昔の桜田淳子はもういいや(ちなみに私は世代的に当然だけど山口百恵のファン)だけど、今の彼女の歌というか声は聞いてみたい。中年女性の声って好きなんですよ。
極東ブログ: ラジオ、深沢道子、70年代
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/01/70.html
投稿: finalvent | 2007.07.30 09:06
もういいや、でも、中年女性の声は好きだ、と。
うん。
少しだけ気分のっていただけたみたいで、すげえ感謝してます。
投稿: 名無し | 2007.07.30 09:29
個人的には、歌謡曲は何か「背水の陣」の観があるような気がします。
単に私が好きな曲の傾向なのかもしれませんけど。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.07.30 13:40
「リットーミュージック」さんの社名には「・」は不要でした。
ギターの弦のブランドは、正確には「Boomers」でした。
不正確な記載をしてすみませんでした。訂正します。
投稿: Boomers | 2008.04.05 12:38
最近知ることができたんですけど、"Babooshka"というのは、ロシア語で、「祖母、老婆」のこと、また、高齢の女性に、「おばあさん」と呼びかけるときも、「Babooshka」という言葉を使うのだそうです。
ケイト・ブッシュは、セカンドアルバムからはグルジェフィアン・カラーを消したけれど、ロシア語の単語を作品のタイトルに使った、というのは、その後もどうやらグルジェフィアンをやめてはいなかったということなのだと思われます。できれば、"Babooshka"をキリル文字でも併記してほしかったと思います。わたしは、この言葉は、トルコ語かな?と思っていました。
私見ですが、ウスペンスキーの「奇蹟をもとめて」を読んだ限りでは、グルジェフは中論も唯識も知っていたと思うし、フロイトに言及したことはまったくなかったけれど、グルジェフはフロイトの精神分析にも関心を持っていて、ずいぶん調べていたと思われます。
日本には、グルジェフのほぼ同時代に、園田真次郎先生が現れて、九星気学として中国由来の方位学の改良と刷新に努められていました。園田先生も大きな成果を上げた方です。
園田先生は基本的には易に立脚されていたのだけれど、園田先生が中論や唯識の知識も持っていらしたら、九星気学も単なる開運術、方位学にはとどまらなかったのだろうと思います。また、中論や唯識まで取り込んだら、気学は、一方では、悪質なカルトの出現の温床も提供してしまったかもしれません。今だって霊感商法の弊害が後を絶たないそうだから。
話が脱線してしまったけれど、まあ、22世紀、23世紀のケイト・ブッシュには、グルジェフの苦し紛れの神秘思想ではなく、チベットの中観派のツォン・カパの主著とか、インドや中国のきちっとした唯識論が出発点になっていてほしいものです。また、そういう世の中にしていきたいですね。
これは、ローリー・アンダーソンも同じ。22世紀、23世紀のローリー・アンダーソンの霊感の源泉は、ルドルフ・シュタイナーの人智学よりは、むしろ、エチエンヌ・ジルソンやジャック・マリタンのネオ・トミズムであってほしいものです。こちらは比較的容易だと思われます。
22世紀、23世紀のケイト・ブッシュやローリー・アンダーソンの内面性は、もっと、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの内面性に近づいていてほしいなあ。そうであれば、先駆けとしてのケイト・ブッシュやローリー・アンダーソンの歴史的使命は果たせたことになる。もちろん、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンの歴史的使命も。
ひどく個性的であろうとすると、女性ヴォーカリストも敷居がどんどん高くなっていって非常に大変です。ケイト・ブッシュやローリー・アンダーソンは、20世紀にそういう敷居を作ってしまったようなのです。
投稿: Babooshka | 2008.12.16 08:13
ハンドルネームが"enneagram"だから、本当はケイト・ブッシュの話がふさわしいのだろうけれど、マドンナの「トゥルー・ブルー」の話。
はっきり言って、この作品がそれ以後のポピュラー音楽の世界に与えた巨大な影響は、とても測定できるものではないはずです。
自分の知るところでは、プロデューサーのパトリック・レナードがこの作品のリリースの後、たくさんのアーティストのプロデューサーに招かれています。村岡裕司氏によれば、目立ったところだけで、ジュリアン・レノン、ピーター・セテラ、ジョディ・ワトリー、フリートウッド・マック、ボズ・スキャッグス、ケニー・ロギンスのプロデューサーを任されたそうです。ブライアン・フェリーの「ベイト・ノワール」もパトリック・レナードがプロデューサーの作品のはず。
そのパトリック・レナードにすぐに目をつけたのがボブ・エズリンとデヴィッド・ギルモアで、再結成ピンク・フロイド第1弾オリジナルアルバムにパトリック・レナードを参加させました。前出のブライアン・フェリーの「ベイト・ノワール」では、デヴィッド・ギルモアがゲストミュージシャンとして参加しているはずです。そして、ロジャー・ウォーターズもパトリック・レナードをプロデューサーに起用して"Amused To Death"を完成させています。自身の"Radio KAOS"とマドンナの「トゥルー・ブルー」がシークエンサーを極限まで使いこなした作品だったので、この作品は、極力シークエンサーを使用しないで完成させたそうです。このあたりの事情は、マドンナの「アイム・ブレスレス」も意識していたのかもしれません。
とにかく、マドンナの「トゥルー・ブルー」はピンク・フロイドの両巨頭を別々に動かしたわけで、これだけでもすごい。
わが国でも、中島みゆきのロサンゼルス録音第1弾オリジナルアルバムの「歌でしか言えない」には、パウリーニョ・ダ・コスタ、ポール・ジャクソンJr、ジョン・ロビンソンを迎えていて、かなり「トゥルー・ブルー」を意識しているのがわかります。「ライク・ア・プレイヤー」のクレジットに"THANKS TO YAMAHA MUSICAL INSTRUMENTS"とあるから、中島みゆきのスタッフは、マドンナのレコーディングの具体的な詳細を熟知していたのかもしれません。
その「歌でしか言えない」の収録曲の「南三条」は、シークエンサーが使われていません。もしかしたら、みゆきさんもマドンナの「トゥルー・ブルー」に対抗意識を持っていたのかもしれませんね。そのくらいでなかったら、「地上の星」や「宙船」みたいなヒット曲は出せないのかもしれません。
正直言って、マドンナもケイト・ブッシュも1980年代には一番良質の部分を出し切ってしまった人たちみたいなものなんで、みゆきさんが今後も、他人のカバーでも、過去の自分のヒット曲のリメイクでも、自分で歌うにしろ、他人に歌わせるにしろ、「宙船」以後のNo.1ヒットを出せたら、それはすごくたいしたものだと思うんです。
昨日、ヤマハ音楽振興会が2002年にリリースした「中島みゆき的アジアン・カバーズ」という、中島みゆき作品の中国語のカバー曲の作品集のCDを手に入れたのだけれど、みゆきさんに今後も発展の可能性があるとしたらやっぱりこの方向かなあ。国内市場はどんどん縮小していく一方なはずだから。
まあ、それでも、60歳近くなったデヴィッド・ギルモアがオーストリアでシド・バレットの作品をリメイクして披露したり、ポーランドのグダニスクでニューアルバムを披露する大掛かりなコンサートをやれていたりするのを考えると、東南アジア諸国が順調に経済発展し続けられれば、3年後のみゆきさんがマレーシアのペナン島で美空ひばりさんや越路吹雪さんの作品をリメイクして歌ったり、ラオスの首都のビエンチャンで「Maybe」や「竹の歌」みたいな夜会のために創作した作品をコンサートライブ用にアレンジを変えて歌っていたりするような可能性を考えることは、それほど想像力を働かせなくても想定できることだと思っているんです。
投稿: enneagram | 2009.04.05 08:21