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2007.06.03

吉本隆明「心的現象論」、雑感

 明け方夢のなかで鶴見俊輔のような老人と長々戦後民主主義についての対話をしていた。対談者は三人いてもう一人は私より十歳くらい若い気鋭っぽい学者さんで、私の話に関心をもったり皮肉ったり、それでいて鶴見をあの時代のインフォーマントとして分析しているようなツッコミも入れていた。「結局、吉本さんってどうなんでしょうね」みたいな話に流れ込んで三人は沈黙した。私が言いたかったのは、吉本隆明の真価は、鶴見がある程度念頭においている吉本のイメージとしての戦後から六十年代、そして七十年代に至る新左翼的な言論人よりも、七十年代の大衆的な資本主義論から超資本主義論、そしてセプテンバー・イレヴンまでの時事的な考察に現代的な意味があるのではないかという点だった。若い学者さんもそのスパンでの後期の吉本思想を半分せせら笑うようでいながら、多少は考え込んでいるみたいだった。
 と以上は夢で、おそらくもうしばらくすると夢の感触も消えていくだろう。妙に生々しく疲れる夢だったが、ぼんやりを明るくなる空を見ながら、そういえば南無さんの日記のエントリ”「心的現象論」がついに世に出たか、目次を見るとワナワナと ”(参照)で、吉本隆明の畢生の大著「心的現象論」が刊行されたことを知った。南無さんは以前も吉本の思想で顧みるべきは「心的現象論」だと述べられていたのでその点についての異和感はなく、また彼はメルロ・ポンティに至るハイデガーの存在論から身体論、そしてその傍流的なサルトルの実存論への関心を学者さんのように冷静に以前説いていたことがあるので(サルトルは視線論を越えて身体論的な問題があると私も思う)、そうした関心の線上にこの大著が受け止められていたのではないだろうか。
 私はといえば「畢生の大著」とかふかしておきながら、吉本翁支持の若造さえも耄碌爺の時代となり果て、こんな血迷った粗大ゴミみたいな本出しやがってしょーもねーな、という思いがある。が、この罵倒の心の動きこそ、実に私もまた吉本隆明の駄目なエピゴーネンでしかないことを如実に示すものだ。が、こんな「畢生の大著」は世界に残るトンデモ本か夢想庵物語や出口王仁三郎の霊界物語みたいな、なんでしょこの言語的な構築物は的なジャンルに封印しておくがよいのではないか。と、どうも南無さんに喧嘩を売っているようだがまったくの逆でこの大著を読み解きうる可能性というのがどうにも信じられない。「心的現象論序説」(参照)も「言語にとって美とは何か」(参照)と同じように人文学的な基礎訓練のない知的な人が無手勝流で書いた珍本を越えないように思う。あるいは三浦つとむの「日本語はどういう言語か」(参照)のように時枝文法の鬼子のようなもののさらに鬼子か、と、私はここでぼんやりとあの時代を思い出す。デンスケのように優しげな晩年の川本茂雄が吉本の言語論をもっと素直に理解してあげていいんじゃないかと提言したのが私の、今の心を少し痛める。また吉本が三浦の追悼文のなかで実は三浦の言語論より三浦という一庶民の存在自体を愛していたことを思い出した。その追悼は、試行で読んだ。
 そう、私は「『反核』異論」から吉本隆明を遡及するように読み出した遅い読者だった。私は、というも恥ずかしいが十代から二十代にかけて心酔して読んだのは小林秀雄や山本七平、森有正といった人のもので、今の歳になってみると私は基本的に欧風な和風的思想あるいはキリスト教的な倫理性を好む青年だった。それが吉本隆明を遡及的に読むための基礎になった部分もあるし、田川建三「イエスという男」(参照)なども「マチウ書試論」(参照)を読む橋渡しのようにはなった。そういえば私は椎名麟三や赤岩栄なを読みながら日本とキリスト教は何かという問題を、山本七平とは違った側面からあのころ考えていた。二十代の前半である。吉本隆明を読み始めたのは二十代の後半からだ。
 話を戻すと、三十代前半の私はあたう限りの試行のバックナンバーを読みあさった。パソコン通信の興隆から十歳ほど年上の全共闘崩れの知己を得て六十年代からのバックナンバーもアクセスできるようになった。ただ、私はそこに連載されている心的現象論にはあまり関心を持たなかった。背景は上の悪態のようなものである。
 おそらく私は心的現象論の後部三分の一は試行の読者として読んでいる。目次を見ると(参照)、身体論からは読んだように思える。ある時期、ふと手持ちの部分だけでもと心的現象論を読み返したのは、私が別のパスから三木成夫に関心をもったことだった。このあたりの話は過去エントリ「[書評]胎児の世界(三木成夫)」(参照)や「[書評]心とは何か(吉本隆明)」(参照)でも触れたが、このパスからのアクセスで吉本隆明のこの分野の思想の自分なりの概要はつかめたように思ったし、その成果は「母型論」(参照)だと理解している。この本は復刻されたはずだとアマゾンを覗くと微笑ましい素人評がある。


究極の吉本隆明, 2004/11/6
レビュアー: お留守居役様 (東京都品川区) - レビューをすべて見る
吉本隆明、渾身の根拠論です。
三木成夫理論を吸収して、幻想論・言語論を人間存在の根底から再構築する試みです。
ヘーゲル以後、最大の思想書と言えますが、
それも私たちの読み方如何に課せられた課題でもあります。
しかし、読者の理解よりも著者の探求を優先させている著述の仕方なので、
かく言う私も3割程度しか理解できていないと告白せざるをえません。

 お留守居役様の言わんとすることろはわかるが、この本が理解しづらいのは身体論・発生論・現象論的な領域に経済問題や言語論などごった煮にしている吉本隆明の混沌とした部分にもよるので、そうしたぐちゃぐちゃした部分は切り捨ててもいいのではないか。ただ、問題は心的現象論の成果として母型論を見た場合、心的現象論の理解が必要になるかということだろう。私の印象としては宮下和夫の配慮ともいえる「心とは何か(吉本隆明)」(参照)をもって、むしろ心的現象論の序説としていいだろうと思う。そしてそれに母型論があれば十分ではないのか。率直に言って、心的現象論は過去の書籍としたい。
 冒頭の夢の名残に戻るが、吉本隆明が私にとってどこからか変わってしまった地点があるな、という思いがした。伊豆で彼が溺死しかけたころだったか、あるいは私自身が彼の著作の大半を捨てて東京を出奔したころか。思想的にたどると、「マスイメージ論」(参照)までは読めたが、当時のニューアカ的な「ハイ・イメージ論」(参照)は微妙なところだ。時事を歴史として現在読み返す部分はあるが、それ以上に現在読み解くべき著作なのかわからない。
 そしてセプテンバー・イレヴンが来る。明け方、私が吉本隆明とある意味で異和となっていったのはそのあたりかと思った。ひどい言い方だが、あのころから吉本隆明はもう惚け出していたのではないか。糸井重里などのプロデュースもあるだろうし、ばななちゃんのパパ的な像として出版界の甘えもあるのだろうが、ひどく分かり易い対談本が乱造された。あれ以降の吉本の対談本のなんとわかりやすいことか。護憲そして平和、爆笑問題の太田でも読めるレベルの駄作。その陰で、吉本はごく普通にオウム問題を介して実は市民社会に強固に否定を投げ続けていた。
 だが私はこの惚けた吉本を恐れもしたし、読み続けもした。私は自分の生涯の限界では吉本の理路とは少し違うが吉本的な平和論を支持し、そして護憲的な態度も変えないだろう。この爺さんにバカと言われるのは恐いなと思うし、その怒りが好好爺の慈しみのようにも思えるあたりで、私も惚け出した。
 だが私は今朝方思ったのは少しそれと違う。吉本隆明はセプテンバー・イレヴンを否定してはいなかったという奇妙な異和感だった。超戦争論(参照)にもあったと思うが、吉本はあの突撃と特攻隊を重ねて見ていた。彼は、しかし、特攻隊なら乗客を降ろして決行しただろうと語った。それは支持しやすい思想シュガーのようでもある。だが、ビルの人々を非難させてと吉本隆明は言わなかった。
 彼の思想のどこかにオウムの思想性の可能性を否定しないように、彼は特攻も否定していない。私はそのことを糾弾したいのではない。吉本は平和主義者ではない(あるいは平和主義者の欺瞞に耐えられない)。もっと奇っ怪な、超時代な思想家なのだというのを不思議に思う。

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コメント

川上茂男? 春雄ではないでしょうか
こまかいことですいません

投稿: ソラゴト | 2007.06.03 11:47

ソラゴトさん、ご指摘ありがとうございます。「川本茂雄」でした。訂正しました。川上春雄ではありませんが、混乱してました。

投稿: finalvent | 2007.06.03 13:25

吉本思想を批評できる力はありませんが、どうも九十年前後バブル絶頂あたりでの南島論にアフリカ的思考と都市のビル群に進化を絡ませたあたり、その後には予想せぬ不況で沈黙、日和見・・・では

投稿: アカギ | 2007.06.03 23:28

自分を大きく見せるために既成の「大人物」を屁のように叩くことは
よくあることだが....正直、みっともない。
読めなかったのなら読めなかったといえばよろしい。

投稿: 門前の小僧 | 2007.07.22 08:23

「心的現象論」が刊行されます。ehescbook.comをご覧ください。

投稿: | 2008.05.05 15:20

日本で、超常現象とか超能力とかの話をしたかったら、出口王仁三郎聖師の名前は必ず出さないといけないと思うのだけれど、最近は、出口聖師のことをよく知らない人が増えているみたいで残念です。オカルトのデフレですかね。

投稿: enneagram | 2009.02.26 09:26

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