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2007.06.09

[書評]日本語の語源(田井信之)

 書籍というのはある意味で売れれば勝ちなので売らんかなのトンデモ本も出版される。トンデモ本というのはある程度常識があれば笑って読み飛ばせるエンタテインメントでもあるし、昨今では偽科学・似非科学と揶揄され、少し学問を学べば判別がつくようにも思われている。確かに、科学の世界はグローバルな学会が存在するのでその中核的な学術集団のアートに真偽の信頼をしてもいいのかもしれない。が、これが人文学になると難しい。「極東ブログ: [書評]嘘だらけのヨーロッパ製世界史(岸田秀)」(参照)あたりなどでも簡単には判断できない。
 そして一見すると主要な学術派閥からは無視され、あるいはトンデモ本扱いされているが、これは正しいのではないかと思われる変な本も存在する。昭和五十三年に角川書店から出された「日本語の語源」(田井信之)(参照)もそのような本だ。
 私はこの本をほぼ三十年読み続けた。隅から隅まで読むといった感じでもなくあるいは聖書のように折に触れて読み返したという本でもない。いわく言い難いのだが、この本に書かれていることが真実なのではないか、となんども疑念と戦いつつ三十年が経った。現在では、これが概ね正しいのではないかと思うようになった。私もこの分野についてはトンデモの仲間入りになったことになる。
 語源学についてはもともとトンデモ学説が多い。岩波書店からの書籍もあるせいか大野晋など国語学の大家のようだが、白川静のように、私から見ると、同じくトンデモ学者のように思える。ただ、それを今となっては強く主張したいわけでもない。また、そうブログなどに書く私のほうこそトンデモ扱いされても一向に苦ではない。もともとブロガーなどは無のようなものであろう。気が楽だ。というわりに、実は長いこと、この本についてエントリを書くのをためらってきた。私がブログを続けるならいつか、誰の関心を惹くこともないとしても、書かなくてはならないだろうと思っていた。
 昨日のエントリはいいきっかけだったかもしれない。「極東ブログ: [書評]語源で楽しむ英単語 その意外な関係を探る(遠藤幸子)」(参照)では、現代英語ではかなりかけ離れた語について、印欧祖語からの関連を説いたものだ。英語であればかなり語源が辿れる。英語と限らない。欧州の言葉については現時点からするとかなり変化していても、それなりに変遷の過程が辿れるものだ。
 日本語はそうはいかない。琉球国を除けば、隣接した国家の言語との類似性がほとんどいってよいほどない。いくつか朝鮮語との関連はありそうだが、その音韻体系からしてかけ離れている。中国語とは表層的には外来語の関係しかない。ごく単純に考えても日本語の祖語というものは構築できない。あるいは、琉球語との関連から祖語を想定したくなる。服部四郎などもそう想定したが、私はこの分野の彼の業績についても、やはりトンデモの部類ではないかと思う。私は、服部説とは反対に、琉球語は日本語から派生したのだろうと、沖縄で暮らしながら考えるようになった。そう思う理由は、鳥越憲三郎のおもろ研究に関連してその言葉を本土室町時代からの派生と考察したことあたりに依拠している。難しいのは、いろいろわけあって鳥越憲三郎のおもろ研究は学問的には抹殺された。
 話が蛇行するが鳥越憲三郎は学問の世界ではすでに抹殺されているのだろうか。無視はされているだろうと思う。ただ、あまりに巨大すぎてトンデモ扱いも難しいといったところか。彼は古事記を偽書とした。その論考について、彼は自身が死んだら公開すればいいかと思っていたようだ。騒ぎが面倒臭く思えたのだろう。
 古事記偽書説は私が傾倒した史学者岡田英弘も支持していた。岡田はさらに日本語は人造語だとも言ってのけた。このあたりから、岡田もトンデモ学者の部類にされているのではないか。私はといえば、日本語は、岡田の影響からだが、やはり人造語だと考えている。ベースにあったのは朝鮮語というかその時代に朝鮮語は存在しないのだから、ある種の中国語があり、その文法に日本列島の住民のオセアニア的な語彙を嵌め込んでできた言語だろう。おそらく奈良時代ですら、この人造言語をまともに使う人はなかったのではないか。
 日本語という言語が人造語だとしても、語彙についてはおそらくその音韻の形態からみてオセアニア系の言語であることは間違いないだろう(多くの民衆は今からでは再構築しづらい別の日本語のようなものを話していたのだろう)。そして、この子音と母音で一つのモーラを形成する語だが、その構造ゆえに印欧祖語とは異なった言語変化を遂げやすい。そして、その変化の過程の研究、つまり語源学は、各種の歴史的なコーパスと方言を繋ぎあわせ、印欧祖語が研究されたように一義には音変化から考察されなくてはならないはずだ。だがそういう研究はほとんどないのではないか。大野晋が編纂した古語辞典を見てもそういう視点は見られないし、そもそも古語と現代語を結ぶOEDのような辞書が日本語には存在していない(と言っていいのではないか)。
 だが、この音変化を原理とした語源学探求という難事を、田井信之という人はたったひとり、そしてその人生でクローズするように完成してした。そして、ここにその結論の本、「日本語の語源」がポンと残されている。
 この本は辞書的な完成度はそう高くはないが、それでもここに日本言語学の比較言語学部分の方法論についてはこれで過不足なく終了しているように思える。そんなことがありうるのだろうかとも思うが、文法学でいえば、三上章(参照)がそのような人だった。彼を発見したのはチャールズ・フィルモアだったし、久野暲は三上にチョムスキーを超えるインサイトを感じ取っていたようだ。米国の言語学会が見いださなければ、三上はただのトンデモな人に過ぎなかっただろう。
 田井信之という、およそ執念のような人、学者を越えるような恐るべき知性の人は、どういう人だったのだろうか。私はなんどか田井信之という人をもっと知りたいと思った。本書には昔の本のせいか、著者の住所が掲載されている。香川県だ。少年カフカのようにそのために四国を旅をしたいと思ったこともある(果たさなかった)。ネットで書くと何か、識者からの反応が得られるものだろうか。
 七面倒臭いことを書いたが、本書は愉快な本でもある。普通の辞書には書かれていない日本語の語源が明確に指摘されていることだ。なぜ「猫も杓子も」なのか、なぜ「独活の大木なのか」。そうした例をいくつか引用すれば、若い人でも本書に関心を持つかもしてない。ただ、なんとなくこのエントリでは控えておく。古書は幸いなことにプレミアムはついていない。角川書店なのでかなり刷られたのかもしれない。現状なら古書店で比較的安価に購入できる。ちょっと気になる人は騙されたと思って入手しておいてもいい価格帯だ。
 本書は語源学に関連して、日本語の古代音韻についてと日本に稲作をもたらした人々と地名についての奇妙な説が掲載されている。古代音韻については概ねそれでいいのではないかと私などは考えるが、稲作関連の地名についてはなんとも判断しようがない。だが、田井信之という人はこの分野についても精力的な研究をしていたようだ。私はそれを読んだことがない。
 田井信之の「日本語の語源」と地名学が、一万円程度の書籍で復刻されるなら私はためらうことなく購入するだろう。知りたい。ただ、知りたいという思いだけで。

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コメント

>いわく言い難いのだが、この本に書かれていることが真実なのではないか、
>となんども疑念と戦いつつ三十年が経った。
>現在では、これが概ね正しいのではないかと思うようになった。
>私もこの分野についてはトンデモの仲間入りになったことになる。

ってことは、二十歳頃からということで、
自分も、その頃かその前から30年以上とか、感じ考えているトンデモもあります。

自分のことはともかく、そのトンデモをここで出すと言うことは、昨日の印欧語の語源の話からたまたまた励起されたのかもしれませんが、なんとなくそのタイミングみたいなものもあるのかと勝手に推察しております。

投稿: SeaMount[pepetio] | 2007.06.10 22:36

このような実践に別な角度から、手をつけることにいたしました。
信じる信じないではなく、ここにはおそらく多面体の結晶のような
可能性があると思います。

投稿: yamafba | 2007.06.13 04:50

相互依存・裏打ち・排列は最高機能=費用構造、
日本諸語以外で四大母音の第一は当てないかも。
犬猿=戌申=乾湿=数量=MANYとMUCH=
多少と大小=兼任・AND分割と包含・OR合併
の違いは普通で、前者を距離・方向・傾向性等、
後者を測量等に応用するのも珍しくはないはず。
焦点型は集合操作しか構文を適用できず、普通は
最終端点にしか使わない、さすが日の元の端の国
(歯でも刃でもいいけど地形はこれか刃)わ=は
…参照型端点と間の直線経路だけを大量に運用の
主格言語も逆方向に極端で変わっている気も…。

数詞と同じ母音交代を行って関連語になるかは、
それが古来の語と同様に本来語扱いかの試金石…
飯菜関連は危ない?本来語だと鈴木すすき等か?
まあ、まっさきに三貴子が落第しそうだけどね!
勾玉=勾陳=中天はスサノオ(力量違反)では?
(兼任は対象が狭く…=包含の逆。~方位・形)
必然=月並み=明暗・白黒・力量・上下順序性の
ひとつ善=同等性の違反の異(なる)性(質)の
間関係=色相がアマテラスなら平面=鏡でOK。
(一般順序性=動詞類「変化」風=剣はデフォ、
 善・力量等を含む徳やVIRTUEがそれ。)

投稿: チラシの裏 | 2009.02.19 19:46

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