« ザビエルが見た四五〇年前の日本人 | トップページ | エキスポランド・ジェットコースター脱線事故メモ »

2007.05.05

[書評]森有正先生のこと(栃折久美子)

 大人にしかわからない上質な苦みのある、美しく同時に醜悪な恋愛小説のように読んだ。五十五歳の知的な男に三十九歳の才能のある女が十年ほど恋をする物語。さりげないフレーズに本当の恋愛にはこの感触があると何度も煩悶のような声が自然に喉を突く。恋愛といっても、肉体的な交わり……少なくとも肉体の哀しみと歓びは表向き描かれていない。その契機が存在してなかったようにも読める。が、この物語の本質はキリスト教のいう肉、サルクスというものの、胸引き裂かれるような絶望感にある、と思う。

cover
森有正先生のこと
栃折久美子
 小説ではない。森有正という男と栃折久美子という女の現実の物語だ。私もこの物語のある重要人物を知っていたので、この物語のごく一部だが魔法のように織り込まれたような感覚を味わった。しかし森有正という男を知らない今の日本人でも、大人ならこの物語の味わいがわかるのではないか。と、自分がさも大人であるかのように書くのだが、そういう大人とは大人になれない心を持ち続け中年期以降を迎えた人であって、普通はこういう世界に出会うことはないし、出会うことがよいわけでもない。
 森有正に傾倒していた私にとってはこの本が出たと知った数年前、ああ、こういう日も来るのかと思ったし、その思いには吉行淳之介の暗室の女が出てきたような滑稽な恐怖感もあった。自分の、森有正への傾倒には未だうまく整理がつかない。今でもこのブログに森有正のことは十分に書いていない。この物語も読めないままでいた。だが、自分も五十歳という歳に向き合い、いろいろ思うこともあって、というか何かが熟したような気がして読んでみた。
 森有正、一九一一年、明治四四年生まれ。森有礼の孫でもある。一九七六年、昭和五一年に死んだ。十九歳だった私はその死を伝える新聞をくっきりとした映像として思い出せる。お会いすることができなかったなとその後痛烈に思うようになったのは、その後彼を知る人の出会いからいろいろ森有正のことを伺ったせいでもある。本書を読むと、あの時代の空気を思い出す。森有正がどれほどのあの時代の寵児であったかも鮮烈に思い出す。
 あえてひどいことを言えば森有正は一種の女狂いにも見られたし、壮年期には目をつけた女なら誰でもものにできるという男性の充溢感を極めていた(当時の文化人はみなそのようなものでもあったが)。三十代の女の身体を持った栃折久美子もその力とその力の影響をよく知っていたことがこの物語を子細に読めばわかるし、その力に対して覚めた了解もあった。だから描けた映画のような光景もある。
 長くパリに暮らす森有正だからということもあるだろうが、当時の日本にはありえない新鮮な牛乳を大量に飲む。「五本の牛乳」という章には日本でまともな牛乳十分に飲めないと嘆く森有正に、栃折が五本の牛乳を届ける逸話がある。眼前に五本の牛乳が置かれると即座に彼は二本を飲み干す。熟れた恋の精神性に捕らわれた女の視線の残光の中で、ごくごくと牛乳を瓶底を天に傾けて飲む小太りで眼光の深い精力的な五十五歳の男。構図はまったく違うがバタイユの眼球譚に出てくる生卵のようなおぞましい印象もある。栃折はその男に「ハンドバッグと寝間着だけ持ってパリ行きの飛行機に乗ってしまいたい」と手紙を書く。そして森有正もプロポーズを切り出す。もちろん、互いに退路をさりげなく取りながら。
 栃折久美子、一九二八年、昭和三年生まれ。本書に逸話があるが室生犀星がからかい半分で短編を書きたくなるような若い知的な女でもあった。この恋の物語が始まるのは、本書の帯に「1967-1976 ひとつの季節、ひとつの恋」と書かれているように一九六七年。そして一九七六年は森有正が死んだ年だが、恋の物語としては七二年には終わっていると見てもいいだろう。恋は四年で終わると言われるがセオリー通りにその情念は両者に四、五年で終わっているかのようだし、通常の恋愛小説にありがちな恋の終わりの事件はなかった。現実の大人の恋は狡猾に隠蔽された幻滅感と気まぐれな傲慢さのなかでいつか静かに終わるものだ。だがそうして終わった恋には残照があり、森有正という存在は六十歳を越えて精神の老醜を巻き込む、と書いて私は森有正を貶めているのではない。ドラゴンのような精神の怪物が絶命する声をヴァーグナーの歌劇を聴くように味わっているだけだ。私には与えられない強い人生に対して隔絶されたような羨望感もある。

それでも、私は森有正という人を見続けたいと思っていた。書かれたものだけ読んでいたのでは、私には想像もできなかったような非常識、自分勝手、言動の矛盾、金銭感覚、何もかもひっくるめて見て行きたい。老いていくなら、どのように老いてくのかを見て行きたい。正直なところ、この人のために自分が壊れたくはない。壊れずにいられるなら何とか引き換えにしても、見続けて行くだけの価値のある人、私はそう思っていた。

 栃折久美子がこの物語を書いたのは二〇〇三年、七十四歳。かつて十七歳年上の男に恋した三十路の女に半世紀近い年月が流れた。森有正が死んだのは六十五歳だから、今となっては女の脳裏に十歳も年下の男になってしまった。いくら歳を取っても越えられない精神性というものはあるが肉体に付随した思想・情感というものは、それなりに年齢に従って越えていく。老いた彼女の目には森有正が若い人間にも見えるのだろう、そのような両義的な視線が、実は本書のそこここに忍び込んでいる。

 私は先生といっしょに、歩き、食事し、話していた。だから時には、自分が女の身体をもっていることに気付くこともあった。同時に、あの時私が自分からタイミングをはずしたのも、タイミングを計り損なって時を失ったのも、自然のなりゆきだったと思う私がいた。森有正という人を、本気で見はじめた時から、心も身体も合わせて自分を意識していたわけだし、ずっと見続けていたかったのだから、それはどうでもいいことだった。
 ただ「自分が壊れるはいやですから」と言ったことについては、若さが言わせた生意気、と今は思う。先生の健康状態が良く、「フロ台所つき三室のアパート」の計画が実現していたら、私は壊れていたかもしれない。

 森有正の晩年は、皮肉で言うのではないが彼自身が時折自省したように、罪に烙印されたあまりに人間らしい怪物だった。私はこの怪物に屈しているのであって非難しているのではない。怪物は若い女たちを食いたかったし、母として支えて欲しくもあった。だが、その願望がきちんと女に届くことはなかったし、その不可能性こそは怪物の宿命でもあった。女は、だが結局、さらに上回る怪物である。栃折久美子の現在は十歳も年若い森有正に、突き詰めれば死の曳航がもたらすような身体を得ている。そうした果ての女の肉体の中で壮年の性を持った男もまた可愛い人として、身体の感触として僅かに映し出されるのだろう。

|

« ザビエルが見た四五〇年前の日本人 | トップページ | エキスポランド・ジェットコースター脱線事故メモ »

「書評」カテゴリの記事

コメント

>五十五歳の知的な男に二十九歳の才能のある女が

>かつて十七歳年上の男に恋した

生年は1911年と1928年で間違いないようなので、上の記述が間違っているようです。

投稿: 校正係 | 2007.05.06 00:06

校正係さん、ご指摘ありがとうございました。修正しました。

投稿: finalvent | 2007.05.06 08:11

あの頃、フランS、知識人、受肉、こういう目惚ろしを看ながら、LAST TANGO IN PARIS とかで...。 ある日本人達の風景として、凄く滑稽で辛いものですが、酷刑な末路を辿るのでそこでやっと、日本人らしい文脈に救われる紆余曲折な風です。 ここでは屈折を綴ってられる様ですが、 現地、お腑乱西の中高年のエグサは以下略で失礼します。

投稿: て | 2007.05.06 23:32

明日NHKのクローズアップ現代でアルファブロガー特集やるらしいけど、
オッサンもでるの?

投稿: いけ | 2007.05.07 22:30

あえて外したような世界ですが、そうですか。
栃折久美子への憧憬というのは、ある世代ある種の女性に強くあったかもしれません。.....辻さんですか。

投稿: と | 2007.05.07 23:22

そういえば、「君はバロックの美のようだ」と告白を受けた怪物もいましたね。
男は『刺青』の真実を感じたことでしょう。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.05.08 16:34

 NHKクローズアップ見て知りました。お初です。森有正ですか。「デカルトとパスカル」本買ったものの積読でした。バタイユ、懐かしいです。天井桟敷、赤テントの唐、もうあの時はメチャクチャでしたね。

投稿: うっへー | 2007.05.08 20:29

痛ましい事件のエントリには好ましくないと感じましたので、
数日前の此方のエントリにて、失礼します。

この度は「クローズアップ現代」出演(?)、おめでとうございます。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.05.09 17:59

クローズアップ現在をみました。素晴らしいブログですね。今後、毎日訪問させていただきます。

投稿: 貴島信一 | 2007.05.09 19:40

調べ物をしておりまして、この記事にたどり着きました。関連した記事へのトラックバックをさせていただきたくご了承いただければと存じます。

投稿: 木陰 | 2014.05.29 07:04

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: [書評]森有正先生のこと(栃折久美子):

« ザビエルが見た四五〇年前の日本人 | トップページ | エキスポランド・ジェットコースター脱線事故メモ »