ウィキノミクス=ピアプロダクションについてのメモ
前エントリ「極東ブログ: [書評]Wikinomics:ウィキノミクス(Don Tapscott:ドン・タプスコット)」(参照)で取り上げたウィキノミクスだが、読後の感想と、関連する問題、背景について、メモ書きしておきたい。
書籍「ウィキノミクス(Wikinomics)」(原書・訳書)の読後、正確に言うと読書中にも疑問のように思えたことが二点あった。著者たちもその二点は想定していたのか微妙な配慮を持っているように思えた。
- ウィキノミクス=ピアプロダクションの収益モデルはどうなっているのか?
- ウィキノミクス=ピアプロダクションにおけるピアグループ形成の原理およびリーダー論はどうなのか?
一点目の収益モデルだが、いくつかのケースでは提示できないわけではない。たとえば、オープンソースと収益については議論しやすい。また雑駁に言うなら、グーグルがそうであるように、ニッチのように見えたところに新しいプレザンスを置き、圧倒的な力(事実上ウェブ2・0やウィキノミクスなど)によって、他社の既存の安定収益圏を席巻するということだろう。あるいは新しい技術世界のインフラストラクチャーのようなものを提示することによって、既存技術領域におけるプレザンスをシフトさせるような幻想を投げかけ、投資面で優位に立つというのもある。私はこの間の世界経済動向に詳しくはないが、グーグルやウェブ2・0企業というのは所詮カネ余りの状況と無縁ではないだろう。
だがウィキノミクスによって、世界全体、あるいは産業界が、収益の側面でどうシフトするかはまったく見えてこないと言っていいように思える。
さらにこの問題は、ある種の議論上の詐術とも言える背景もあるのではないか。簡単に言うと、「ウィキノミクスとはピアプロダクションである」というとき、そのピアプロダクションという概念は、「極東ブログ: [書評]Wikinomics:ウィキノミクス(Don Tapscott:ドン・タプスコット)」(参照)でも強調したように、ウィキノミクスで提示されているそれと、元になったとされるイェール大学ヨハイ・ベンクラー博士によるそれとの間に微妙な齟齬がある。
ヨハイ・ベンクラー博士によるピアプロダクションにはウィキノミクスのように拡張される含みはなく、むしろ、Commons-based peer production(参照)、つまり「コモンズに基づいたピアプロダクション」である。コモンズという公共性から共有性という概念が自然に結合して導出されている。これに対して、ウィキノミクスの場合はその現象的側面の記述からあたかもその概念を実体的に疎外させ、そこからモデルの特性として共有性とさらにピア性を組み込んでいる。この議論手順は、私にはやや詐術に見える。
ここでピアプロダクションを、ウィキノミクスではなく、コモンズ・ベースト・ピアプロダクション(コモンズに基づいたピアプロダクション)に引き寄せて再考するなら、同概念を解説した英語ウィキペディアの解説にもあるように、collective invention(集合的発明)やopen innovation(開かれた革新)とも言えるし、いずれにせよ、根幹にあるのは、ピア性よりも共有性を可能にする財産権の問題である。なお、ヨハイ・ベンクラー博士はこの概念をクリエティブ・コモンズのよる書籍「The Wealth of Networks(ネットワークの富)」(参照)で公開している。おそらく、ウィキノミクスをきちんと議論するなら、「The Wealth of Networks(ネットワークの富)」の関連性および差異の考察が重要になるだろう。
ここで余談。コモンズについて法学的な発想からの議論は多いようだが、私は歴史的に見た場合の、「ローマ帝国」の概念が気になっている。「ローマ帝国」は、ウィキペディアを見ると(参照)次のように書かれている。間違っているわけではないが、その本質的な説明になっていないように思える。
「ローマ帝国」はラテン語の「Imperium Romanum 」の訳語である。「Imperium」は元々ローマの「支配権(統治権)」という意味であり、転じてその支配権の及ぶ範囲のことをも指す。ラテン語の「Imperium」はドイツ語では「Reich 」という言葉が当てられ、英語やフランス語では一般に「帝国」を意味する「Empire 」という訳が当てられるが、ラテン語の「Imperium」とドイツ語の「Reich」という言葉は、本来「帝国」という言葉の意味する皇帝の存在を前提とはしておらず、共和政時代には既に成立していたとされるが、しばしば帝政以降のみを示す言葉として用いられている。
英語版も参照したが同様に「ローマ帝国」という字面に引きずられている。だが、実際のローマ帝国が「Imperium Romanum 」というように「ローマ人の支配権」などと自称するわけもないことは、単純に常識で考えればわかることだ(ついでにImperium の原義も関連するのだが)。もっとも後代の歴史学・歴史観からの議論が混入しやすいテーマでもあるのだろう。
実際に「ローマ帝国」とはなんであったかというと、言葉だけ取り上げるならごく常識的なことでもあるのだが、「Res publica」である。ただしその常識の一環としてそれが「ローマ帝国」にアソシエイトされるよりも、「国家」に結びつきやすい("republic"の語源でもある)。
「Res publica」についてのウィキペディアの項目はやや詳しい(参照)。
"The state" - "The Commonwealth"
Taking everything together that is of public interest leads to the connotation that the res publica in general equals the state. For Romans this equalled of course also the Imperium Romanum, and all its interests, so Res Publica could as well refer to the Roman Empire as a whole (regardless of whether it was governed as a republic or under imperial reign). In this context scholars suggest "commonwealth" as a more accurate and neutral translation of the term, while neither implying republican nor imperial connotations, just a reference to the state as a whole. But even translating res publica as "republic" when it clearly refers to the Roman Empire under Imperial reign occurs (see quotes below).
また原義はこうである。
Res publica usually refers to a thing that is not considered to be private property, but which is rather held in common by many people. For instance a park or garden in the city of Rome could either be "private property", or managed by the state, in which case it would be (part of the) res publica.
長い余談でいったい何を議論してたいのだと怒られそうだが、ここに私の関心の文脈がつながる。つまり、「ローマ帝国」とは、「Res publica is held in common by many people.」である。人々よってコモンズとして所有される、ということだ。
と同時に、これが英語のCommonwealthの原義であり、そこから大英帝国、そしてコモンウェルスが出てくる。
これらが、帝国=国家として、人々(西洋人)に意識されている、あるいは西洋人にとっては国家の原義が共有性の財産として理解されているということであり、国家を生み出す情熱もまた、この共有志向の流れから考察が可能だ。共有性とは国家の領域なのである。
ウィキノミクスという概念にすると曖昧になるが、これを「コモンズ・ベースト・ピアプロダクション(コモンズに基づいたピアプロダクション)」として考えると、この運動は、近代におけるネーション・ステーツとしての国家が、資本主義=私有制と富を作り出す動向に、その対立する内在性として包含されていたものかもしれない。
その意味では、ウィキノミクスないしコモンズ・ベースト・ピアプロダクションというものは、資本主義の内側の収益性といった議論に本源的馴染まないのではないだろうか。
二点目のピアグループ形成の原理およびリーダー論については、以上のような、コモンズの観点が不可欠になり、ウィキノミクスの枠組みからはいったん離れたほうがよいようにも思える。が、それでもウィキノミクスの枠組みのなかでリーダー論がどうなるのかについては、同書のなかである程度議論はされている。その大半は企業=利益集団、側であり、得られた結論も、せいぜい「ピアグループのローカル・ルールを尊重せよ」というだけに留まる。どのようにピアグループ内にルールと秩序・権力が発生するのかは議論されていない。しかし、ウィキノミクスのメタファであるウィキペディアの編集戦争を見てもわかるように、まさにそこに現在的な問題がある。
ピアグループ形成の原理およびリーダー論はどのようになるのか。
この問題も先の「コモンズ・ベースト・ピアプロダクション」のように共有財産=私有財産の抑制から発する面があるが、より深く思索するにはそもそもの「ピア」が何かと問わなくてはならない。あるいはピアリングという言葉の曖昧性を払拭しておく必要もあるだろう。
ところが、ピアリングはウィキペディア(参照)を見てもわかるように、ネットワーク技術的な側面しか描かれていないことが多い。
ピアリング(Peering)とは、インターネットサービスプロバイダ(ISP)同士が相互にネットワークを接続し、互いにトラフィックを交換し合うこと。
一般的にはインターネットエクスチェンジ(IX)を介して行うものを指すが、IXを介さずにISP同士が直接専用線などを用いて接続を行う場合(プライベートピアリング)もある。
ここからウィキノミクス的なピアリングを考えると、よほど無理のあるメタファとされてしまう可能性がある。英語版ではもう少しメタファーの内実に入っている。
Peering is voluntary interconnection of administratively separate Internet networks for the purpose of exchanging traffic between the customers of each network. The pure definition of peering is settlement-free or "sender keeps all," meaning that neither party pays the other for the exchanged traffic, instead, each derives revenue from its own customers.
このネットワークがなぜピア(peer)と名付けられたかといえば、"neither party pays the other for the exchanged traffic"に比喩されるように一種の対等性にある。つまり、peer=同等の仲間ということだ。
ウィキノミクスにおけるピアはすでにこのエントリでも無定義に導入したが「ピアグループ」の含みがあるだろう。「ピアグループ」はすでにピアリングがそうであるように、Open Systems Interconnectionで定義されている概念もあるが、原義としては、一般的な「仲間」を指すとしてよい(参照)。
A peer group is a group of people of approximately the same age, social status, and interests. To work out the relationship with peers, there can be confusion for people to find out how they fit in. Some groups are socialized by peers rather than by their families or conventional institutions. They define themselves as a gang or sometimes as a circle of friends.
一読してわかるように、「same age, social status, and interests」というあたりから暗に青少年期の集団を指していることがわかる。また、ピアにおける個人の適合に困難が伴う点の指摘も、この概念において重要である。
議論を端折るが、ウィキノミクス=ピアプロダクションにおけるピアグループ形成の原理およびリーダー論の問題には、二面あり、一面は一般的なピアグループの特性、二面は技術の関与だ。
技術関与の部分については、「極東ブログ: [書評]ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎)」(参照)で、梅田望夫が「恐るべき子供」として語ったグーグル社員のエートスが関係する。簡単に言えば、「数学とITとプログラミング、そして『スター・ウォーズ』」という側面におけるピアグループ内での評価性が、その内在のリーダシップや権力を規定している。
当然ながら、ここに潜む大きな問題は、この「スター・ウォーズ」が、その映画のオタク的な知識を指しているのではなく、この映画が示す超越的な正義のエートスを指していることなのだ。
補足
「Res publica」と共和制ついて補足。現在世界では君主制に対立する概念として共和制が想定され、共有財としての「Res publica」の原義は薄いようにも思われるのだが、「極東ブログ: 領有権=財産権、施政権=信託」(参照)で指摘したように、むしろこの原義が根底にあるのではないだろうか。
つまり、元来、領民と領土は王のものであったが、市民革命によって、領民と領土は国民の主権に収奪された。しかし、国民=主権というのは、概念的なものなので、実際に国家の経営は、信託としてつまり施政権として、政府に貸与されているのだ。authorityというのは財産権なのだな。
「領民と領土は王のもの」という王の所有権が、市民の共有財となることが共和制であり、その根底には「Res publica」という共有財の発想があるように思われる。
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コメント
座は解体してもギルドは一部、残ってる。Webは中世を記述しても体験できない。
投稿: つ | 2007.05.27 14:04