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2007.04.30

シュニッツェル(schnitzel)っていうか牛カツっていうか

 たまにシュニッツェル(schnitzel)っていうか牛カツが食べたくなる。安くて固そうなステーキ肉を見ると、こりゃいいとか思う。子牛の肉ではない、私の場合、たいてい。
 脂身のところを切り落とし、肉叩きでたんたんと叩いて平べったくする。小麦粉をつけ溶き卵を潜らせてパン粉をつける。普通のカツと同じ要領。これをフライパンのオリーブ油で揚げる。カツの色になったら取り出して、黒こしょうと塩をぱらぱらとかける。これでお終い。食べるときにレモンを搾ってかけてもいい。
 簡単料理とも言えないこともないが、揚げ物っていうかフライは慣れないと難しいかも。もちろん、トンカツを揚げることができるなら簡単な料理の部類になる。

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 添え物は……そりゃ、ポテト? ライス? ノンノン、そりゃもうヌードルに決まっているでしょ。


Cream coloured ponies and crisp apple strudel,
Door bells and sleigh bells and schnitzel with noodles
Wild geese that fly with the moon on their wings,
These are a few of my favorite things.

 というわけで、ヌードルは手打ち。パスタマシンがあれば簡単にできる。バターで味付け。

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 ところで私って関西人? いや、シュニッツェルっていうか牛カツを食べるようになったのは、もう二十年以上も前になるのかと歎息するけど、村上春樹のエッセイで知ってから。実際に関西風の牛カツというか肉厚の牛カツは、率直に言うとあんまり好きでもない。好きなのは、ウィンナー・シュニッツェル的なやつ。
 たまに行くスイス料理屋のメニューにあるので、作るのがめんどくさいときは行って食べる。さっきの歌ではないが、オーストリアの料理なんだろうか。
 逸話としては、ラデツキー元帥(Johann Joseph Wenzel Graf Radetzky von Radetz)がオーストリアにもたらしたものという話がある(参照)。


According to another theory, it was introduced by Field Marshal Radetzky in 1857. The term "Wiener schnitzel" itself dates to at least 1862.

cover
サウンド・オブ・
ミュージック
DVD
ジュリー・アンドリュース
 その説だと日本でいうと明治維新の少し前の頃になるが、そんな時代を映すほどの料理でもないような気もする。

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コメント

麺はまるで沖縄そば麺だ。沖縄麺は亜熱帯ゆえに油を塗し鮮度を保つ麺。先生は沖縄でもよくこの麺を灼熱の中吸ったことでしょう。牛かつもおいしそうだぁ?

投稿: アカギ | 2007.05.01 02:39

シュニッツェルとは”カットレット”のことで、”ヴィエンナ・シュニッツェル”で初めて、衣をつけて揚げるFinalVentさんの料理となります。ちなみにドイツ語ではころも付けてあるのを”パニエルト”と称していたような。スペル忘れました。失礼。

投稿: 老眼 | 2007.05.01 10:06

ヒント:チーズをはさむ。

投稿: cyberbob:-) | 2007.05.02 10:00

こんにちは。
シュニッツェル、とてもなつかしいです。
ウィーンには二度旅行してるのですが(一度は新婚旅行)
そのときにレストランで食べました。
読んでいて、またウィーンに行きたくなりました。

数年前にロイヤルホストが期間限定で提供していましたが
全く別物でした(^^;)

投稿: 江草乗 | 2007.05.05 15:11

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» 旨そうだけど食べられないよ>< [マ儿コの日記]
極東ブログ: シュニッツェル(schnitzel)っていうか牛カツっていうか ウィーンは町の定食屋みたいな店が軒並み旨かったです。でも昔からヨーロッパのあのへんの料理人はチェコ人が多いとの [続きを読む]

受信: 2007.04.30 23:57

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