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2007.04.15

おつりのあったころ

 尾籠な話なので、場合によっては読まないほうがよいかも、と警告。
 話は昨日の「極東ブログ: 手水といえばバケツのようにぶら下がっていたアレ、ぶら下げ手水」(参照)の続きのようなこと。
 ところでアレの呼称は「吊り手洗器(つりてあらいき)」としてもよさそうだ。他にもいろいろ呼称があり、私の記憶だった「手水」でもよさそうだが、呼称の一つに「衛生洗浄器」がある。ふと考え込んでしまったのだが、あれで衛生なのか。というのはあれは基本的に掌を洗うのだが、衛生という観点では流水で甲も洗うべきだし、もっと衛生というのならアルコールを使うべきではないか……また、手拭いやハンカチも菌の滞留にならないのか……まあ、どうでもいいといえばどうでもいいのだが、吊り手洗器というのはそれほど効果的なものでもないかもしれない。
 効果的ではないとしても、水の節約にはなるだろう、と思いが移っていくなかで、そういえば水洗便所というのは私が子供の頃に切り替わったという印象がある。学校の帰りにバキュームカーをよく見かけたのは小学生くらいまでか。汲み取りとバキュームカーの風景は昭和四〇年くらいまでだろうか。もちろん、地域によっては違うのだが。
 そんなわけで私は自宅を含め、世間の便所が汲み取りから水洗に変わっていくのを子供ながらに見ていたのだが、あのころですら子供心でも、これって水の無駄だな、と思っていた。どうやらその思いは今も抜けない。エコロジーとかよく言われているが、水洗便所というのはかなりの水の無駄ではないのか。あれはなんとかならないのだろうか。あるいは日本は水が豊富な国だから、あれでもいいのか。日本はよくてもなあ……いろいろ思う。なにか安全なジェルとか使うほうがよいのではないか。
 ついでに思うのだが、誰か指摘しているか知らないが、日本人は抗生物質を大量に消費するのだがあれって、人糞として排出されるのではないか。とすると、日本は抗生物質を自然界にかなり膨大に廃棄していることにならないのだろうか。そのあたり、よくわからない。自然に分解されるのだろうか?
 汲み取り便所のことを思い出し、そしてそれが、本当に恐かったことを思い出した。今でもトイレにまつわる怪奇話は子供たちに流布されているだろうが、あの臭いアビスの怖さの比ではない。すべてを飲み込み消していく……いや、おつりが来た。
 あの、おつりというのがほんといやだった。怪談の怖さとは違った怖さだった。というあたりで、「おつり」の意味が辞書に載っているかいろいろ調べてみたが、ない。「釣り」を丁寧に言うとかある。文明が逆転でもしないかぎり、こういう言葉というのは忘れていくというか消えていくのだろう。まあ、ここで詳しく解説するのも尾籠なんで省略だけど、あれを知らない日本人が多いんだろうな。
 そういえば自分の記憶だけなんだけど、ゲバゲバ90分(参照)でも、おつりの話は多かった。シモネタはギャグの定番だしね。と、ウィキペディアを見ると、69年から71年の作品だった。あまり詳しく書いてないが、最後のほうはもうダメになっていた。ざっくりと70年の作品だし、あの70年かあと思う。もう四〇年も昔のことになるのか。「おつり」のギャグとか今見るとどうなんだろ。
 いろいろ思い出す。あの時代の国鉄のトイレというのもものすごいものだった。いや、これはものすごいとしかちょっと言えない。ビジュアルで思い出してPTSDになりそうだ。よくあんな時代に生きていたなと思う。

cover
陰翳礼讃: 谷崎 潤一郎
 そういえば池上季実子の爺さん八代目坂東三津五郎がフグ食って死んだのが75年。あの時代、けっこうな人がフグ食って死んでいた。統計がわからないが年間二〇人以上死んでたんじゃないか。すごい時代だったなぁ。なぜそこまでしてフグ食いたい?
 八代目坂東三津五郎は谷崎潤一郎と懇意だったが、彼の「陰翳礼讃」(参照)で美とされている便所も当然汲み取り式だ。原理的にはおつりがありそうだが。

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コメント

おつり防止のために「うってげえし(討手返し)」という仕組みを持つタイプがあったと聞いたことがあります(どんな仕組みかは不明)。

投稿: 六尺 | 2007.04.15 11:45

70年代の少年ジャンプ連載「トイレット博士」は、くみ取り時代の漫画という気がする。
80年代の「キン肉マン」で水洗の時代になったような印象。 第2回超人オリンピックにはベンキマンという水洗和式便所の超人がいた。

とはいえキン肉マンにも、くみ取り便所の煙突の先端に付いてた風で廻るアレ(名前が分からんw)の格好をした超人もいたような記憶が…

そういえば山小屋や自身被災地の簡易トイレが、えらく進歩しているらしい。

投稿: 倫敦橋 | 2007.04.15 13:38

平成までウチでもそうでしたが、思い出すだけで腰廻りが粟立ちます。

山間地の農家では、未だに倫敦橋さんのおっしゃるようなタイプが生き残っていますね。

妖魅を信じずにはおれない空間でした。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.04.15 16:46

つられついでに。地震でひとところに大勢が避難すると大変。まず、掘っておく。簡易がくるとは限らないので。
さすがに「川や」はできません。
雪が降ると隠れるので、なるほど「雪隠」。
江戸の頃、資源として売ってたらしく値上がりすれば、おつりすら勿体なかったかどうかは存じません。
いまどきの日本では薬やら抗生物質やら、いろ色まじっておりますが、これはつかえるかどうか、考え方によるでしょうか。

投稿: 都市に棲む山姥 | 2007.04.15 20:09

水洗便所でも、おつりって、返ってきますでしょ?
大きな物を落すと、水面が、跳ね返る・・・
水洗便所って、人類の発明中、偉大だと思うんですけど、保健衛生上の。マリー・アントワネットの時代の、トイレの問題って、すごく大きかったらしいですよ。宮廷も、パリ市内も、すごく不衛生で、赤痢とかの原因になったって。

投稿: うみおくれクラブ・ゆみ | 2007.04.15 20:18

便器を素手で洗おう運動なんて、水洗全盛の現在だからこそ言える世迷言。

投稿: synonymous | 2007.04.16 00:05

今の中国は(ry

投稿: cyberbob:-) | 2007.04.16 09:10

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