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2007.04.17

五十歳かあ

 ブログでは生年は公開しているが生年月日までは公開していないので、四月二日になったら五十歳ということにしている。なので現実の誕生日まではまだ日があるし、その当日はそれなりに愕然とするだろうなと思っている。

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J・S・バッハ
礒山雅
 昔、と言って十一年前だが、西洋音楽史家礒山雅が学生たちの交流のベースで気さくなホームページを持っていて、そこに彼が五十歳になったときヒューモラスな嘆きを書いて印象深かった。が、四十歳手前の沖縄のプーには五十歳はまだまだ遠い気がしていて、ただあははと笑うくらいだった。今になると、あの嘆きをもう一度読んでみたいとネットを探したのだが、無かった。無い理由もなんとなくわかった。一部残っていた部分を引用してもそれほど失礼にはなるまいと思う。

 これが悪夢なら覚めてほしいのですが、今年50歳になってしまいました。痛恨のきわみで、口にするのもはばかられます。誕生日の午後、失意を胸にあたりを散歩すると、気候はことのほかうららかで、半世紀前の今日私が生まれたなんて、まるで夢のようでした。人生、これからどうなるんでしょうか。

 ああ、まったくそんな感じです、五十歳になるなんて。
 希望となるのは、「人生、これからどうなるんでしょうか」と嘆かれた先生は昨年還暦を祝われていたことだ。私も、運よく、六十歳なんてものになるんでしょうかね。
 私は日本がネットを解禁した84年からのネットユーザーでアスキー以前にJADAというに参加していた。あれはアマチュア無線愛好家ベースだったようだが、よく覚えていない。同年くらいの京王線の運転手のかたとなんどか対話したが、その後彼は今でも運転手をされているだろうか。彼も五十歳か。あのころ、まだ二十代だったんだな、というあたりで、人生の半分近くがネット漬けか。いやはや。
 さすがに五十歳というのは若い人からは老人に近く見える。というかべたに老人に見えるかもしれない。まあ、そのノリで儂も爺さんじゃでみたいな話もするが、これが内面となると実際のところ二十五歳以上に成熟してきたわけでもないし(たぶん現在三十半ばの人でもあと二十年くらい気性というのは変わらないよ)、身体的にもあちこちがたついてもそれほど老人というわけでもない。この先はちょっとお下品になりそうなんだが、まあそっちもな。
 昨日だったか、NHKスペシャルで「“鉄人”にきけ あなたの老化を防ぐ」 (参照)というのをやっていた。途中見逃したところもあるが、ところどころへぇと思いつつ見た。

43歳で時速140㎞の速球を投げる横浜・工藤投手。39歳で連続イニング出場の世界記録を更新し続ける阪神・金本選手。女子マラソンの弘山選手は38歳。60歳になるレーシングドライバー・寺田陽次郎さんはル・マン24時間レースに連続出場中…。スポーツ界で、中高年になっても活躍を続ける鉄人アスリートが増えている。こうした中、彼らの肉体の秘密を科学的に解析し、一般人の老化防止に生かそうという試みが始まった。

 へぇとは思うこともあったが、基本的にスポーツ選手で四十歳ベースの話というのは、五十歳の肉体の感覚とは違う。そのあたりは、もうちょっとなんとかならないかな、番組制作側で思うことはなかったものかな、とは思った。言葉を足すと、五十歳というのは六十歳とは違って、まだちょっと肉体的に現役っぽいところがあるので、そのあたりの、じれったいような感じがうまく出てこないものか。
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ヘルシーエイジング
アンドルー・ワイル
 それから老化と健康を扱った「ヘルシーエイジング」(参照)という本を書架から取り出して、気になるところをぱらぱらと再読してみた。歳を取ることも自然の成り行きだみたいな慰めに富んでいるともいえるし、あらためてワイルの遺書(歳を取ったら書いておけということで書かれている)を読むと、こういう考えそのものが歳というものだなとは思う。老化というのがそれ自体が抗癌的な機構かもというあたりも示唆には富む。
 それでも率直に言えば、私は老化というものをうまく受け入れられない。ワイルは「肉体を衰弱させる力を利用して、精神的・感情的・霊的な側面を強化する」とか言うけど、身体が活動するときの精神的・感情的・霊的な側面というものがあり、その魅惑のようなものからうまく抜けられない。なんとなくだが、こりゃもう身体はダメだわというまで奇妙なあがきが続くのだろう。

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コメント

なんかシーズン中の山はやたらと年寄り多いですよ(笑)歩け!弁当さん。
それとも散歩以上の距離や負荷は禁忌かい?

投稿: トリル | 2007.04.17 18:39

>これが内面となると実際のところ二十五歳以上に成熟してきたわけでもないし 
全く賛同です。十年ほど前三十歳の頃、ある女性に男は二十五歳で成長が止まると言って薄笑いされたのを思い出します。言うのが早すぎた。口説いてたのに。

投稿: アカギ | 2007.04.17 19:57

少年易老學難成
20代の後半ぐらいであーあと思うから
いろんな事をそれまでにやっとけといわれたけれど
いろいろ萌えることもいまだあって
だけど体が枯れてゆくのももうわかる

そんな「あーあ」をひきづって青年は年をかさねてゆくものですか。風の翁どころか、80歳の翁でも同じ事を言われております。
女子の「あーあ」もおなじかもしれないし、もっと早くに老いてるかもしれないし、しかししばらく「あーあ」を忘れて更年期ぐらいで思い出す人、あるいは「あーあ」とは思わずに生きられる人もいる哉。
「あーあ」のきびもあじわひ。

投稿: 今宵は名なし | 2007.04.18 05:14

いつも拝読させていただいております。

私も、もうすぐ54歳になりますが、50歳突破のときは
大台を突破したという感慨がありましたね。精神的には
25年前と何も変わっていず、若干の経験値が増えたとの
実感のみでした。

SI業界に関わっていますが、やっていることも25年前と
変わっていなくて、この歳まで体力勝負をやるとは思って
いませんでしたが、身体のほうは目や集中力の衰えを実感する
このごろです。

投稿: kincyan | 2007.04.19 09:27

二十代にしても、不摂生からなのか何なのか、疲労を感じることはしきりです。
期待値の魔もあるんでしょうけど、どうも純粋に心臓が弱ってくる感覚が……

雪も解けたし、そろそろ歩こうか。


投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.04.20 15:37

偶然こちらを見つけました。初めまして。
私、あと2年もすれば50。連れ合いは50代の半ば。
実年齢と精神年齢のギャップには私も感じるところがあります。
また、男性側からと女性側からではの違いもあるでしょう。
女は化粧や身なりで実年齢を外見的にごまかしのできるようになった良い時代である(笑)と感じています。
対して、(男である)わが連れ合いをtuma である私が最近あまり構ってあげないせいか(苦笑)ますますオヤジくさくなり、見た目は完全なる親父(いわゆる3要素すべてそろっている^^;)になり・・・。
連れ合いは、内面的には磨かれ、社会人としてもある地位にいる。
そうであっても、人様から見る外的魅力という点では、男女差や個人差が出てくるのもこの頃でしょうか・・。
人が魅力を感じる要素は人それぞれであるかもしれないですが・・。
(蓼食う虫も好き好き)

初めての投稿で勝手気ままに書いてしまいました。(^^;すみません。

貴方のブログ、面白く、これから徐々に過去ログも読んでみたいと思っています。

投稿: tuma | 2007.04.26 09:27

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