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2007.04.19

銃に関わる二つの事件に思う

 伊藤一長長崎市市長の暗殺事件と米バージニア工科大学の銃乱射事件について、あまりに心に重い事件でもありブログで触れる気もしなかったのだが、ブログは時代のログ(記録)だなと思い直し、半世紀を生きた一人の民衆の思いをメモしておこう。
 伊藤一長長崎市市長の暗殺だが、十七日の十一時過ぎだったか私はいつものようにハードディスク・レコーダーに貯まっている番組を見ようとし、その操作の途中にこの事件を知った。ざっと概要を聞くに助からないのではないかと思い、そして九〇年一月一八日の本島等元長崎市長の狙撃事件を連想し、また右翼がらみのテロリズムかもしれないと懸念した。その後の事件の推移を見ていると、以前の事件とは質が異なり、暴力団による計画的な暗殺のようだ。そこで、私は暴力団がそこまで(つまり政治的なテロリズムまで)するのだろうかという疑問を持った。彼らは、ある意味で社会の利害の上で合理的に行動する。今回のような事態はたいていは威嚇で終わるものではないか。世の中はそのあたりで何か変わったのか、私のこうした感覚が時代遅れとなったのか。もやっとした気持ちでいる。
 一つ気になったのは、城尾哲弥容疑の年齢だ。五九歳とのこと。ざっくり六〇歳と見ていいだろう。現状のニュースからは彼は殺人を企図していたらしいので、当然それに対応するムショ暮らしも想定しただろう。私はそのあたりの相場の感性はないが、一〇年はオツトメということではないか。だとすれば、娑婆に出てくるのは七〇歳。それで元の仕事に戻れるわけもないだろう。こうした場合、人生最後の賭けだったか、人生自体への一種の自暴自棄か、あるいは自暴自棄的な自我の肥大だったか(暴力団も社会が結果的に必要とする仕事に過ぎないのに)。私は、なにかしら、奇っ怪な老いの形を思った。
 加藤紘一・元自民党幹事長の実家が右翼団体幹部によって放火された事件でも堀米正広被告は六六歳で、一花咲かすには遅過ぎる。ここにも老いの奇妙な形があるように思えた。
 米バージニア工科大学の銃乱射事件についてだが、銃規制との関連ではここでは触れない。なお、銃規制については、このブログでは過去に「極東ブログ: 米国の銃規制法が失効したことの意味」(参照)や「極東ブログ: ブラジル銃規制国民投票失敗の雑感」(参照)で触れた。また微妙な関連としては、「極東ブログ: [書評]ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎)」(参照)もある。
 事件のその後の経緯を見ていると、チョ・スンヒ容疑者が韓国人であることにも、日韓では関心が寄せられているようだ。そのあたりの米国はどうだろうかといくつかざっと英文報道に目を通してみた範囲では、チョ・スンヒ容疑者の両親が移民で貧苦に悩んだというものがあり、境遇に対する同情もあった。
 現状のニュースからすると事件は周到に計画されていたようだ。そのあたりの心性はなんだろうかとも思うが、私は、七二年五月三〇日のテルアビブ空港乱射事件も連想した。奥平剛士、安田安之、岡本公三の三人がテルアビブ、ロッド国際空港(現ベン・グリオン国際空港)で民間人二四人をチェコ製自動小銃と手榴弾で殺害し、奥平と安田は自殺した。
 あの事件と今回の事件は、まったく異質な事件であるといえば言えるだろう。今回の事件は私的な怨恨がおそらく元であるのに対して、岡本らの事件には彼らなりの大義を持った戦いであった、と。しかし、私の心の中には、奇っ怪に欧米人には映るだろう東洋人という以外に何か重なるものがあり、そのあたりがもやっとしている。
 この感覚は、民間人死者十二人を出した九五年地下鉄サリン事件と、民間人死者八人を出した七四年の連続企業爆破事件への思いと重なる。質の違う事件だとも言えるが、類似性もある。
 今回の伊藤一長長崎市市長の暗殺事件と、本島等元長崎市長暗殺未遂事件の類似性と差異性。また、今回の米バージニア工科大学の銃乱射事件と、テルアビブ空港乱射事件の類似性と差異性。さらには、地下鉄サリン事件と、連続企業爆破事件の類似性と差異性。
 そのような類似性と差異性において考えられるべき課題ではないのかもしれない。また、それらを通底させるような世界の動的な把握というのは間違った問いかけなのかもしれない。だが、何かを連想したり、忘却している私や、歴史の中に生かされている私たちには、やはり何か深い思索を強いるものがあるように思える。つまり、個々の問題や、個々の正義の主張を越えた何かについて。

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コメント

>彼らは、ある意味で社会の利害の上で合理的に行動する
鋭いね。宗教的大義や信仰が弱い東アジアではマックス・ウェーバー流の俗が価値を規定する。俗世間での表現が顕現したのではないか。とにかく名や威厳を歴史に残したい。それは善悪の区別が弱い東アジア故の論理ではないか。日本は天皇が面倒をみたが。半島は伝統的権威がなく世俗でピラミッド型新興宗教を多く生んだ。

投稿: アカギ | 2007.04.19 21:34

サラリーマンで言えば、定年間際の人間だ。そんな人間が単なる私怨だけで銃弾をこめるとしらたら、その奥底には、人間という存在への復讐しかないだろう。コアラかパンダなら、銃をもつ思考はない。薔薇なら、棘を刺すにとどまる。しかし、体毛のないサルが、自分に与えられた種へ復讐するとしたら、銃しかない。それが100匹を越えたとき、その連鎖は集合的無意識へとつながるのだろうが、それを戦争と呼ぶ形態は、この世紀にふさわしくない。むしろ、101匹目は、ブッシュではなく、麻原でもなく、神戸の少年でもなく、”普通”のサラリーマンだったらとしたら、それはこの世紀の物語の始まりとなる。

投稿: sion | 2007.04.19 21:56

城尾容疑者の元妻という人がテレビで、彼は事件の前、土地や金を自分に贈与しようとしていた、と言ってしましたが、それが本当なら彼は死ぬつもりだったのでしょうか。
それで思い出したのは、犯行直後に取り押さえられた彼は口にハンカチを押し込まれてうんぬん、という報道があったこと。自殺防止ではないかもしれませんが、ずいぶんと手際のよい(訓練された?)人がいるものだなと思いました。

投稿: tphoto | 2007.04.20 00:01

つい反応してしまいますが、地下鉄サリン事件とはかなり異なるのではと、思うのでした。

投稿: yew | 2007.04.20 00:06

今は個に生きて、最後まで個として死ぬということでしょうか。個だけが肥大して、結果どうなるんでしょう。らっきょの皮のように、剥けども剥けども答えなんてないような気がします。堕落ですね。

投稿: ぷるきんえ | 2007.04.20 01:26

組織より個人のほうが人を多く殺す時代、とサクッと。

投稿: cyberbob:-) | 2007.04.20 07:47

物理的に殺せないからより残酷に精神的に殺すのは戦後日本の風物詩だと思っていましたが。

投稿: 無粋な人 | 2007.04.20 09:12

どうも長崎の事件は談合への圧力だの、権力の移行だの、インフレにはいっているにもかかわらず官庁発注の単価切り下げだの、アンダーグラウンドの連中が時代にとりのこされるあせりだの、とかとかとかと関連している気がしてならん。

投稿: とおりすがり | 2007.04.20 14:55

乱射事件の報道の飛び交うのを横目に、その日は何の脈絡も無く三島由紀夫の『文学的人生論』を読んでいたのですが、
前半部に収録されている「死の分量」にあった「ケンタウロスの神話ではなく」という捉え方の、当初は漠然としたイメージが、ふと事件に視線を戻したことがきっかけで、しっくりと感じられるようになりました。

殺意もまた、一己の愛でなければならない。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.04.20 15:22

非常に知的、冷静で、示唆に富む筆致で感銘受けました。
根底には皆共通した関連性があると私も思っていますが
本当に関連性があったとしても永遠に表には出ないんでしょうね。

向こうの世界(俗に言うアンダーグラウンド)の人間は冷徹なまでに合理的だと思います。奇妙な老いとはその典型。長崎の容疑者は取引に応じる人間らしい守るべきものと自己保存の論理があったと思われます。

最後になんですが、一般の人にもっと解るような形で知らしめる必要もあると思います。本格的に国を守るために世論を巻き込む必要があるのであれば…

投稿: とおりすがり | 2007.04.21 03:50

>犯行直後に取り押さえられた彼は口にハンカチを押し込まれてうんぬん

TVニュース見ると、取り押さえられた直後に泡吹いてるから、引きつけを起こしたものと判断し、引き付け時の一般的な対処法としてハンカチを咥えさせたんだろうね。
だから、チミの感想は完全な深読み過ぎというわけ。

投稿: TT | 2007.04.21 22:56

軽く誤解の生じる発言であれば失礼かと存じますので追記いたします。つい反応して誤解を招く発言があったかもしれませんが、こうした一個人の狂気と異なり、例えばカルト組織等による犯罪は、グルと実行犯が別である分狂気と暴力の構造が複雑で悪質であり更に社会不安も煽るだろうと考えておりました。

エントリーは前後致しますが、中沢先生の著書をさほど拝読しているような自分ではありませんが、アースダイバーみたいなものなら現実と時間のずれたものを楽しめる自分くらいはあります。オカルト、宗教(密教)いずれにも寄与しても傾倒してもおりません。学問的に深く極めたいと思う自分もおりません。長々と失礼致しました。

投稿: yew | 2007.04.22 21:59

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