[書評]真贋(吉本隆明)
「真贋(吉本隆明)」(参照)は年初に出たものだろうか。書店で見かけて手に取り、ああまたインタビュー書き起こし本か、とめくり、いつもと同じか、と置いた。先日時間つぶしにと買って読んだ。
![]() 真贋 吉本隆明 |
と思い起こすに、竹田青嗣コレクション〈4〉「現代社会と「超越」」(参照)に収録されている竹田と吉本の対談で、その終わりあたりで「今日はなんか竹田さんのほうが僕よりうまく言ってやがると、そういうところがずいぶんありましたですけどね。うまく言ってくれました(笑)」と吉本が語るのだが、この口調と吉本のズレ感みたいなものが、この「真贋」ですぱっと落ちているように思ったし、各項目がするっと繋がっているように読めるけど、子細に読むと編集的に繋げられているような違和感もある。吉本は主題を流れの中に繋げ織り込む能力はほぼゼロに等しい。吉本隆明を読むということは、彼の直感的なとっかかり意識のようなものを最初に掴みそこを、まるでカフカの「城」のようにぐるぐると回るしかない、そういう読書を強いるところがある。と書いてみて、吉本の作品とされるものの大半は、編集者の作品であったかなとあらためて思った。
若い読者、つまり、現在の二十代や三十代の人がこの本を読むとしたどうか、あるいは薦められるかというと、お薦めしたい。吉本は自身を戦中世代としているが実際には戦地経験はない、がそれでも戦時の実際の大衆の時代感覚をなんとか説明しているあたりは、日本人の若い人は読んでおいたほうがいいと思う。八〇歳の爺さんってこうなんだというか。しいてもう一点加えるとすると、文学や文章を書きたいという思いについては現代のブログなどにも関連するところがあるだろう。
そういえば、特に新しいことはないと言いつつ、実際特に新しいことでもないのだが、村上一郎に触れているあたりは、奇妙な感触があった。編集者がそのあたりのことを知っていてこの言及を残しているのかもしれないが、あの事件を知る人間からすると(私の知人はこの事件の関係者だった)、これだけの言及のはずはない。そのあたりと三島由起夫の言及の奇妙な呼応みたいなものについて、吉本翁にもっと語らせることはできないものかという思いも沸く。
ああ、一つだけ、へぇと思ったことがあった。ここだ。
男女問題での好き嫌いというのは、外観から受ける印象や声といったものにもよるのでしょう。その判断は直感に近いものがあり、理屈では何とも説明できません。僕も若いときは、そうした直感に襲われて、人並みに浮気をしたくなったり、いっそ女房と別れようかと物騒なことまで考えたことがありましたが、実現はしませんでした。
あれだけド派手な恋愛沙汰して、こう言いのける吉本翁に、さすがに、へぇと思った。
モラルというほどのものがあったわけではありませんが、そもそも大体は片想いで終わりになってしまいました。もしかすると、無意識のうちに、片想いということにしておこう、という気持ちが働いたのかもしれません。
モラルがあったとすれば、僕のほうが有利な立場にあることを、男女問題でつかうのは卑怯だと感じていたことが挙げられます。そのために、片想いでやめておいたことも、たしかにありました。世間から見て、あの野郎、自分の地位を利用しやがってと言われるのはたまりません。人から見て、そう思われたくないというのは、人の道を外さないための抑制力として大切かもしれません。
ここは笑うところかもしれないが、読めば、どういう背景かはわかる。誰が対象だったかまでわからない。でも、この手の設定はわかるわかる。で、吉本翁は鈍感なのでそれが多分に女性から無意識的にであれ仕掛けられたとは思わず、この偏屈オヤジってば誘惑されねーや的に終わったことになったのだろう。彼も、「僕ちんは片想い」ということになっているのだろう。しゃんしゃん。
この手のことはちょっと有利な立場にある中年男性にはありがちで、そのあたりで、人の道を外さないというのは、吉本隆明の隠された思想かもしれない。いや、冗談じゃなくて、さ。
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コメント
「モラルがあったとすれば、僕のほうが有利な立場にあることを、男女問題でつかうのは卑怯だと感じていたことが挙げられます。」ここいらへんにせめて線をひかないとどうにもかっこつかないと思うのです。そこの線引きなしに手当たり次第でいってかつ滑ってばかりいると「なんだか哀れだな~」と思ってしまいます。
「知らぬは本人ばかりなり」まわりはちゃんとわかっていて、ちょっと年齢の割に悲しいなあと思ったりします。
恋愛に年齢は関係ありませんが、その振る舞いに求められるものがあるのではないか と生意気を言います。
投稿: りん! | 2007.03.19 16:27
湧き上がる何某かを動機化するに当って、こう言っては何ですが、文章や文学は熱効率が非常にいいと思います。必然として他人を魔界に引き摺り込む実際の縁故は、始まってしまうと並行して省察をまとめる余裕がないですから。
煩悶がより文章を豊かにはしますが、そうすると、何か帰着させてしまうことに「後ろめたさ」が生まれる。
最近、人道は結構本能的な触知なんだろうと妙に納得をします。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.03.19 18:10
共同幻想論、言語にとって美とは何か、南島論、日本隋一の思想家は吉本隆明?。が、恐らく彼は負い目で生きてるのでは。死にたかったけどエリート故に生きてしまった。経済とか金儲けして生きてはいけないという倫理観で戦後を強く生きてきた思想家。渋沢敬三の父君みたいだ。日本人か他国人にもあるか解らないが立派な生き方ではないか。金のあるものは遠慮せず蕩尽することだよ。
投稿: アカギ | 2007.03.20 08:57
すいません。前コメントを三読してみたところが、肝腎の部分が抜けいていることに、遅ればせながら気付きました。
ご迷惑かと存じますが、補足を許されたい。
>湧き上がる何某かを動機化するに当って、若輩がこう言っては何ですが、文章や文学は熱効率が非常にいいと思います。必然として他人を魔界に引き摺り込む実際の縁故は、始まってしまうと並行して省察をまとめる余裕がないですから、
再帰的な地点として、何か簡単なものでも「初心」が刻んでおければ、後々で内小路に落ち込むにも浅く済むかと。
直してみると、随分と足りない……
本当に申し訳ございませんでした。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.03.20 17:32