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2007.03.16

団塊パーンチ、ナツメロパーンチ

 「団塊パンチ4」(参照)を買ってもうた。表紙のアグネス・ラムに惹かれて衝動買いしたわけではない。まして、その巨乳とかに惹かれたのでは断じてない。その証拠にアグネス・ラムってこんなに巨乳だったかとあらためて思ったくらいだ。本当だ。そこに関心があったわけじゃないんだ、と昭和三十二年生まれ団塊後世代のオッサンは熱く熱く弁解する。

cover
団塊パンチ4
 「団塊パンチ4」は4というからにはこれまで三巻あったのだろう、知らんかったとは言わない。あったことは知っていたけど一回こっ切りのネタだと思っていた。隔月刊だとは思ってなかったので、あれ?こんなのあるんだと表紙で意外に思った。ちなみにちょっと調べてみたらこれまでの号の表紙はなんかださいというかなんというかカルチャーっぽいというか。
 ありがちなムック形式で紙質がよいのがちょっと泣ける。ホール・アース・カタログみたいな、"Stay Hungry. Stay Foolish."のノリのほうがいいのにと思いつつ、捲る。グラビア。ラムちゃん、ドーンである。
 どれも一度は見たことのある写真ばかりなのだが、記憶にゆがみがある。こんな巨乳だったかはどうでもいい(本当にどうでもいいんだ)。表情が、私の記憶ではもっと外人外人していた。フローニングの険しい表情が印象的だった。その距離感がなんとなく少年だった私はカフカだった、違う、好きだった。「団塊パンチ4」に掲載されているアグネス・ラムの写真は間違いではないのだけど、なんか甘い印象があるし、その甘さの距離感は、率直に言うのだけど、私が団塊世代に感じる嫌悪感と繋がるので、引く。
 めくっていくと吉永小百合と浅丘ルリ子の特集がある。うまくできた特集だとは思うし、吉永小百合の清純さというのは確かに時を越えたものだし、JRの駅にあちこち貼ってある老年期の彼女との差異はサブリミナルというか奇妙に無意識をかき立てられる。〇七年、禄でもないことが始まるなの悪寒。
 浅丘ルリ子については、ああ、あれが見たいな、横尾忠則のあれ。で、そう言っているならあれもこれも見たくなる。そういえば、先日実家を整理したら、自由国民社のガッツとか、集英社だったかヤングセンス(ヤンセン)とか数冊出てきましたよ、わーお。カルチャー的には俺はあっちにも足を突っ込んでいたよな。
 以上は前振り。このムックを買ったのは、花っちの再婚話が載っているからだ。花田紀凱、六十四歳が、二十六歳年下の嫁をもろたという話。

テレビやラジオのコメンテーターとしての活躍中で、出版業界では名物編集長として知られる花田紀凱氏(64)。論壇誌『WiLL』の編集長でもある。前妻を四年前に亡くした後は「快適な独身生活」を送っていたはずなのに、電撃再婚していた。お相手は学生時代は文学座の研究生に身を置いていた女優志望で、現在は民主党・光谷三男代議士の公設秘書神田一恵さん。二人の年齢差はナント! 二十六歳ということだ。

 「ナント!」のあたりの口調が団塊世代らしくて某ブログの文体を自然に連想させるところがぐふぇひでぶなのだが、それにしても民主党GJ。違うか。
 二十六歳、年下かぁ。宮台先生もそのくらいだったか。ぅへへへみたいな思いが団塊世代から私の世代の男の脳裏を掠めないといったら嘘だろてかそれって全然嘘だろうぉーらすていんっていうくらいなものなのだろう。しょうもない。
 花田のインタビューはどうってことないといえばどうってことない。うひゃと読めるところもないわけではない。でも、ようするにこれが団塊パーンチ、ナツメロパーンチ、ワン・ツー・パンチ、あなたはいつも新しい希望の虹を抱いている♪の希望の星がここにあるし、そういう希望の虹を求めてしまうのだ。死が裏にあるからだ。
 虚栄の予感に鈴木ヒロミツが死んだ。今日が告別式らしい。六十歳だった。私は中学生のとき、彼ヴァージョンの月光仮面を歌ったクチである。人生だなと思った。と言いつつ、彼の人生は知らない。新聞の過去ログを見ると、子供が生まれたのは四十歳だったらしい。そして「できるだけ一緒にいてやりたい」と三年間芸能活動を休んで子育てに専念したという。
 よい選択だったのだろう。団塊世代とか団塊チルドレンとか言われるし、私も放言してしまう。しかし、中にあるのは一人ひとりの人生ではある。

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コメント

>でも、ようするにこれが団塊パーンチ、ナツメロパーンチ、ワン・ツー・パンチ、あなたはいつも新しい希望の虹を抱いている♪の希望の星がここにあるし、そういう希望の虹を求めてしまうのだ。死が裏にあるからだ。

例えばWikiのアイドルの項で「Idle」と「Idol」が補完関係に見えるような時に刺さってくる、一抹の「卑しさ」が感じられないということですか?

投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.03.16 16:28

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