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2007.03.31

[書評]その夜の終りに(三枝和子)

 「その夜の終りに(三枝和子)」(参照)は、平成元年「群像」九月号に発表された後、単行本となった。私の手元にある翌年刊行された初版奥付を見ると一九九〇年二月二三日とある。版を重ねたかどうかは知らない。

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その夜の終りに
三枝和子
 三枝和子(さえぐさ かずこ)は、一九二九年(昭和四年)三月三一日の生まれ。今日が誕生日であり、存命なら七八歳であったことだろう。が、二〇〇三年、亜急性小脳変性症により七四歳で亡くなった。その前年に癌の手術も受けていた。喪主となったのは夫の文芸評論家森川達也。彼は昨年五月五日肺気腫で亡くなった。八三歳。生年は一九二二年(大正十一年)。三枝とは七つ違いということになる。子供は無かったのか喪主は兵庫県加東市花蔵院梅谷快洋住職とのこと。
 彼らの結婚がいつだったか手元の資料ではわからない。三枝和子は、兵庫師範学校本科を経て、関西学院大学文学部哲学科を卒業し、同大学院文学研究科修士課程を中退。神戸と京都で十三年間中学教師をしたの後、作家生活に入る。一九六九年(昭和四四年)「処刑が行われている」で第一〇回田村俊子賞を受賞。四〇歳で作家となったと見てよいだろう。森川達也と知り合ったのは兵庫県西脇市で発行していた同人誌によるらしい。森川は京都大学文学部哲学科卒業後、一九六五年(昭和四〇年)に「島尾敏雄論」を刊行し文芸評論家となる。論壇・文壇へのデビューとして見れば森川が四年ほど早い。推測にすぎないのでご存じのかたがあれば教えていただきたいのだが、彼らが知り知り合ったのが同人誌であれば、すでに名を成した森川に対して三枝からのアプローチではなかったか。それと彼女の京都転居は関係があるのではないか。結婚時、三枝は三五歳を越えていたのでなったか。
 「その夜の終りに」が書かれたのは三枝が六十歳のときで、すでに文壇では大御所の扱いになっていた。この作品は、他の「その日の夏」(参照)、「その冬の死」(参照)に続く、戦争と女性を扱った三部作の最終部にあたる。本書後書きで彼女は述懐している。

 『その日の夏』、『その冬の死』、『その夜の終りに』と書きついで、女と敗戦をテーマにした一連の物語が終った。
 書きつぐ、と言い、一連の物語、と述べることに、ある異和の感じを持たれる方があるかもしれない。これは主人公を同じくする長編小説ではないからである。また、『その日の夏』は敗戦直後十日ばかりの出来ごと、『その冬の死』は敗戦四ヵ月後、『その夜の終りに』は敗戦二十年後、というふうに時の流れとして捉えるにも甚だしく不統一である。
 しかし、同一の主人公、あるいは登場人物にたちによって、編年体ふうに書くことを、私はこの小説を構想した最初から避けた。理由を、ここで短く説明する力は私にはないが、たとえば一人の女性に背負わすにはあまりに過大な問題を抱えていたので、人物を変え、時の流れをずらすことによってリアリティを確保したいと思った。

 「その夜の終りに」は敗戦二十年後と筆者三枝自らが語っているので、この物語は昭和四〇年あたりの設定だととりあえず受け止めてよいだろう。彼女が作家として立つ四年ほど前のことであり、この物語にもし三枝を登場させるとすれば、三五歳としてもよいだろう。登場人物でいえば、まさ子に相当する。
 主人公、染代は昭和十八年に十八歳というから大正十四年(一九二五年)の生まれということになる。私の父と同年だ。物語では四二歳ということだろう。そして、もう一人の主人公、銀座「花散里」のママ、縁子は四十歳である。
 物語の今、昭和四〇年(一九六五年)は、米国がベトナム北爆を開始した年で小田実たちがべ平連を創設した年でもある。私は八歳だった。記憶に残っているのは吉展ちゃん事件(参照)と朝永振一郎がノーベル賞を取ったことだ。
 前年は東京オリンピックがあった。が、本書にはオリンピックで激変した東京のことについては触れられていないようだ。翌年はビートルズが来日した年である。彼らに群がる若い女性たちを想起すれば、その年代として描かれる、本書の令子やカオルがイメージしやすいだろう。令子は大学生で七〇年代安保の学生のイメージで先駆的に捉えられている。カオルは、エリザベス・サンダースホーム(参照)という名前は出てこないもののあきらかにその孤児として描かれている。本書を読み返すとエリザベス・サンダースホームの陰影がより深く感じられる。若いホステスのもう一人、有以子は特攻隊の落種として登場するので二人より五歳ほど歳上の設定だろう。
 物語は、戦時中シンガポールで慰安婦をし、戦後パンパンからオンリーとなり、三十代は銀座「花散里」のホステスとなるもそこを離れ、当時の千住に暮らし、新宿二丁目の街娼となった染代が、ふと「花散里」を再訪するところから始まる。
 染代を銀座のホステスに紹介したのは、六十歳にもなる幇間(ほうかん)の捨だった。彼はこう彼女を説得した。

 それから、「姐さんほどの美人なら、芸者として落籍(ひか)された。切れた旦那のことはいえない。それで立派に通るよ」
 と付け加えた。

 そして染代の過去が物語りの導入でこのように語られる。

 しかし染代は恐かった。芸者をしていたのは本当だが、いい旦那に落籍されたのではない。昭和十八年、十八歳のときに、軍の「特殊看護婦募集」に応募して南方へ行ったのである。特殊看護婦、つまり慰安婦である。軍が借金を肩代わりしてくれる、とすすめられた。
 「お前さんは美人だから、高級将校用になる。高級将校用というのは、何だ彼だと言っては客をとらされる芸者の生活とあまり変りはないよ」
 派遣されたところは昭南島、シンガポールで、海軍省に直属していた。応募させた人が言ったように「士官用」になった。
 敗戦で帰国すると、今度はまっていたように「R・A・A」だった。「リクリィエーション・アンド・アミューズメント・アソシエーション」
 「舌を噛みそうだね」
 染代は笑った。「何なのさ、それ」
 話を持って来た捨さんによれば、アメリカ軍用の慰安施設で、進駐してきた兵隊の暴行から一般婦女子を護るために、売春婦たちを募集してこしらえる「防波堤」だそうだ。
 「防波堤?」
 「ああ、みんなそう言っている。今度も、お上が大変な肝入りなんだって」
 「どうしてお上が肝入りで、敵さん用の売春所をつくるんだよ」
 「だって、そうしなきゃ……」
 「素人さんがやられちゃうと言うのだろう。いいじゃないか、やられたって。日本軍だって勝ってるときは、中国や南方で向こうの素人さんを暴行、したい放題やって来たんだから、あいこじゃないか」
 染代はむかむかして来た。
 「戦争で、お国のために兵隊さんを慰さめて帰って来たと思ったら、今度は、その兵隊さんの奥さんや娘さんを護るために、何だって、防波堤? 自分たちが戦争でせきとめられなかったものを、あたしたちの身体でせきとめろ、って言うのかい」

 昭和二十年代にそうしたことがあったのか、私はわからない。この物語が語られた「今」という時点は昭和の終わりだ。つまり、その二十年後である。そして、私の今はさらにそこから二十年後にいる。
 事実と物語と人の思いが時代に錯綜していくなかで、私はこの小説に鏤められ滲んでいく歴史の言葉が、こう言っては何んだが、愛おしい。これらの言葉の歴史の感触を知ることで、かろうじて四十年前や六十年前の時間とつながり、日本人として生きているのだと思う。
 だが、昭南島をこの小説のようにシンガポールと四十年後に言い換えて済むうちはまだよい。その言葉と人の感覚とのつながりも消えたとき、歴史の感触も失われる。あるいは変質し別の意味を持ち始める。

 染代がシンガポールに派遣されたのは、昭和十八年三月のことだった。到着するとすぐ士官用を言い渡された。染代が属していた海軍省直轄の慰安所の他に、現地では業者の経営する売春宿もあった。業者の経営するところは兵隊用が多く、安くあげるために朝鮮人の女性を徴集したりしていた。
 慰安婦は大変だ。一日に、三十人、いや、五十人はこなさなければならない、とか、粗末なむしろで壁掛の仕切りをこしたらえた部屋の前に、兵隊たちがずらりと並んで順番を待っている、とか。予備知識でかなり覚悟をきめて来たのだが、士官用は様子が違っていた。おまけに染代はそのとき十八だったので、年配者に廻された。若い者を若い者にあてがうと身体に無茶をされるということで、二十歳代前半の若い士官にはベテランの慰安婦が当たった。年配者というのは、佐官から将官クラスになるので、染代は内地にいたときの芸者暮しの延長のような生活を送った。身体を売る、というよりも、お座敷の延長にそれがある、といったふうな感じだった。


 染代にとって、あの戦争の一時期は輝いていた。後方の病院に行って従軍看護婦にでも会わないかぎり、女は慰安婦だけだ。誰にも蔑まれなかった。染代のように将官、佐官相手で得意満面でなくても、水兵を一日に三十人、四十人とこなしている女たちでも、生き生きしていた。一週間に一枚とか、十日に一枚とかの割当切符を握りしめて列をつくって待っている男たちから見れば、慰安婦は天女だったに違いない。
 もちろん、なかには嫌な男もいた。
 「並んでやって来たくせに、内地で女郎買いでもしているような気分になって威張り返る奴、これが一番下等ね」
 「そっくり返りたきゃ、軍票なしで買いにおいでよ、と喚いておやりよ」
 「金を積まれたって、嫌だけどさ」
 「こっちは忙しいんだから」
 「そうよ、配給の飴玉なんか溜めて持って来て、お願いします、と頭を下げられると可愛いくて、ついサービスするけどねえ」

 あの時代に「サービス」という言葉があっただろうか。語感が私にはわからない。だが、先日漱石の「明暗」を読みながら「プログラム」という言葉が二度ほど出てくるのに驚いたので、和風英語の時代的語感には自信がない。
 染代は進駐軍時代については豆太郎という女性で懐古する。

 足下の薄暗い道を国電の駅へ向かって歩きながら、染代は、ふと豆太郎のことを思い出した。――蒲田の産業戦士慰安所と言っていたなあ。先っきのような男の子を相手にしていたのかなあ。
 豆太郎と一緒にいた期間は、実際には合計しても一年半くらいだのに、ひどく懐かしい。「進駐部隊専用慰安施設」の慰安婦たちをお上では「特別挺身隊員」と呼んだんだって。
 そして二人でげらげら笑った。笑いながら、ふと真面目な顔になった。
 「染ちゃんはいつも高級将校用で楽していたからいいけど、私は工員用で数をこなしてたときがあるからなあ。五、六年経つとと梅毒が頭にのぼって、気が変になるんじゃないかなあ」

 「蒲田の産業戦士慰安所」という呼称が歴史的にあったのかも私はわからない。ただ、三枝は戦後復興の産業振興に駆り出された若い男の子の工員たちを産業戦士と見て、そこに慰安所を語り、その慰安婦として豆太郎という女性を描き出している。
 物語は、染代から年僅かしか違いないものの戦後の世界から女であることを自覚させられた縁子に移る。縁子は特攻隊で死ぬ定めの従兄から、出征前に「コイトスしたい」という言葉を聞いてその場では意味もわからず反応したことが二十年経っても強い心のひっかかりとなっている。その思いが、作者三枝の思いの中で慰安婦の視線と不思議な反響をもたらしていく。

 男は、その生命が間もなく終ると思うと、自分の生命を維持するために、女の身体のなかにその生命の種を是が非でも植えつけたい気持ちになるものだろうか。相手の女が結婚もできないで子供も生むことの苦しみや、自分の子供の正当な父親を持たずに生まれて来ることの不幸を考えないのだろうか。しかし、だからと言って、自制した従兄に対して、一種の割り切れなさを覚える縁子でもある。
 「そのとき、男は矛盾しているのよ」
 いつだったか、令子が断罪するように言った。「男は結婚制度をつくって女を縛っておきながら、戦争というアナーキーな状況をしばしばこしらえて、男自身がつくった結婚制度を、自分で潰して、その矛盾に気がついていないのよ」
 縁子は頷くことができなかった。令子の意見はあくまで令子の意見だ。縁子の心に滲み入て来るのは、あのときの従兄の接吻を受けた若い自分の意識と特攻隊の兵隊に身体を開いた有以子の死んだ母親の気持ちとのあいだに共通して流れているにちがいない、奇妙な心の昂まりだ。男が死んで行く運命にあるからこそ受け入れる、受け入れたいと、気持ちが次第にほとびて来る、あの、よくわからないが不思議な力に支配されていた一刻一刻……。
 「ねえ、有以子、あなたのお母さんは、特攻隊の兵隊さんが、明日死ぬから一緒に寝たのよ。ひょっとしたら、女は、明日死ぬ人でなければ欲情しないのかもしれないわよ」
 有以子は黙っている。縁子の言葉が届いたのか、届かないのか。

 有以子の世代は団塊の世代の少し上になるが、まだ老女と言える歳でもない。戦争の時代を生きた縁子の言葉が昭和四十年代に届いたか、そしてそれが今なお届いているのか、私にはわからない。だが、私は悲観的になりたいわけではないのだが、三枝がかろうじて歴史に寄り添おうとして語ったぎりぎりの部分は、たぶん、もう届かない歴史の彼方に消えたのだろう。

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2007.03.30

健全なる精神は健全なる肉体に宿る、ってか

 今週号の日本語版ニューズウィークの記事「運動に励んで脳力アップ」、副題「スポーツで脳も鍛えられる? 運動と知力の意外な関係を解明」を読んでいて、あれ?と思ったことがあった。記事の内容は標題どおり、運動すると脳機能が活性化するという最近の健康情報ではある。まあ、それはそれほど驚くほどの知見ではない。
 あれ?と思ったのは、次の箇所だ。強調部分は私のタグ付けによるもの。


 精力的に運動することで、神経細胞の結びつきが強化され、脳の働きが活発になるという研究結果もある。運動は、アルツハイマー病やADHD(注意欠陥・多動性障害)といった、認知障害を伴う病気の予防などに役立つ可能性もあるという。
 健全なる知力は健全なる体に宿るという考え方は、年齢を問わずあてはまる真実のようだ。

 この強調部分だが、たしか私の英米文化の理解では、彼らは「健全なる知力は健全なる体に宿る」といった発想はしない。キリスト教的に理解してもいいが、肉体というは罪の連想が伴うものだ。
 とはいうものの、最近は欧米でも健康志向だし、そもそも私が何か勘違いしていたかなと原文を読み直すと、こうだった(参照)。

Other scientists have found that vigorous exercise can cause older nerve cells to form dense, interconnected webs that make the brain run faster and more efficiently. And there are clues that physical activity can stave off the beginnings of Alzheimer's disease, ADHD and other cognitive disorders. No matter your age, it seems, a strong, active body is crucial for building a strong, active mind.

 該当部分はこうだ。

  • 健全なる知力は健全なる体に宿る
  • a strong, active body is crucial for building a strong, active mind.

 直訳すると「強く活発な肉体が強く活発な知的能力の形成にとって決定的である」となる。であれば、「健全なる知力は健全なる体に宿る」というのは誤訳とは言いかねるだろうか。
 もっとも、訳文では「健全なる知力は健全なる体に宿るという考え方」としているので、あたかもそういう考え方が既存であるかのような前提で書かれている。
 そういう考え方が英米圏にあるんだろうか。
 当然ながらこの句はれいの「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という諺を連想させるし、この諺は英語の諺「A sound mind in a sound body」の訳だとされている。
 私にとっては常識だと思っていたのだが、この諺は誤訳で、どちらかというと、「健全な精神が健全な肉体に宿ればいいのに、明日晴れればいいな♪」みたいな願望であって、現実はそうじゃないよね、という意味だと理解していた。
 ネットを見渡すと”「健全な精神は健全な肉体に宿る」とは言わなかったユウェナリス”(参照)というページがあり、詳しく解説されていた。

 先日、といっても大分前(1988年2月2日)になるが、産経新聞に連載されている『戲論』 (全文) で「健全な精神は健全な肉体に宿る」という格言の間違いを指摘した玉木正之氏が「ユウェナリス( Juvenalis 60-136 )は若者が体を鍛えるだけで勉強しないことを嘆き、『健全な肉体には健全な精神も!』(肉体だけ鍛えてもダメ!)といった」のだと書いているのを見て、なるほどそうだったのかと、久しぶりに手もとにある原文をひもといてみたが、どうもそうでもなさそうなのでここで報告したい。

 ただ、この解説も読んでいて、あれ?と思った。確かに元々はユウェナリスの詩でいいのだが、英米圏でのこの成句は、ジョン・ロックに由来する。ネットで確かめてみると(というかその程度で確かめてみる)。

"A sound mind in a sound body is a short but full description of a happy state in this world."
-- John Locke

 ロックの場合は、「健全なる精神が健全な肉体に宿るというのが、手短だが、この世にあって幸福な状態を十分に説明している」というで、つまり、幸せっていうのは、その両方を手に入れることだ、という意味になる。だいたい英米圏でもそうした理解が成り立っているはずだ。なので、先のユウェナリスを考察したページでスタートレックのエピソードが次のように解釈されているのだが、それも若干だが違うように思う。

 ところで、日本の知識人に槍玉に挙げられている健全な精神は健全な肉体に宿るということわざは、どうも日本だけのものではないようだ。最近、スタートレックを見ていたら、バーベルを握って筋肉トレーニングに励んでいる若者(ノーグ!)が、友達のジェイクに筋肉トレーニングの良さを勧めながら「『健全な肉体に健全な心』(多分、Health in body,health in mind)と言うじゃないかと言うシーンに出くわした。
 このことから、格言というものは一人歩きするものであること、欧米においても、もうずっと昔からユウェナリスの詩は読まれなくなっているということが分かる。

 話が重箱の隅を突くようになってしまったが、それにしても日本語版ニューズウィークの翻訳者はこうした英米圏文化の背景を知らなかったか、知っていても日本人の理解に合わせて意訳(超訳)したのだろうか。そう考えづらいのは、訳者も当然この記事の全体を読んでいるはずだということ。この記事は、英米圏ではスポーツマンは知的に見られていないという偏見をベースにしている。つまり、肉体が健全だと知力はたいしたことないと見られがち、というのがこの記事の前提になっている。
 話が逸れていくのだが、「健全なる精神が健全な肉体に宿る」という日本近代の諺だが、「健全なる精神が健全な身体に宿る」というバージョンがけっこうあり、「肉体」と「身体」というのはどういう関係、あるいは理解になっているのか気になった。なんとなくだが、肉体というのは生理活動でありぶっちゃけ日本近代の青年の悩みというかいまでも増田の悩みというのは性欲なので、たぶん、「肉体」バージョンは性欲との関連にあるのだろうと推測する。余談だが、新渡戸稲造の人生論とか読むと性欲の問題は青年男性だけではなかったようだが、この話は今日は突っ込まない。ただ、このあたり研究されないもんだなとは思う。猫猫先生もご存じないかもしれない。(いやいや私のただの勘違いかもしれない。)
 これに対して、「身体」のほうは、運動やスポーツの含みがあるのではないか。つまり、スポ根である。甲子園球児みたいなあれである。スポーツすると精神もよくなるぞぉみたいな。このあたりの「肉体」と「身体」の転換、あるいは棲み分けは、けっこうマジに大衆文化として研究してもいいような気がするというのは、これがけっこうマジで「権力」の問題であることはフーコーとかに関心がある人なら理解するだろう。
 そして、もう一点。「精神」が気になるのだ。単純に言って、spiritではない。mindが英米圏の句のキーワードなのだが、日本バージョンでは巧妙にspirit的な「精神」になっている。
 たぶん、この「精神」という訳語は明治時代のもので、あのころは「精神」がmindの語感を持っていただろう。もともとmindというのは、ニューズウィーク日本語版の訳語のように「知力」に近く、いわば論理能力・計算能力のことだ。ロゴスの能力といってもいい。このあたりのmindという考えはあまり日本人の文化には馴染まないようだ。

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2007.03.28

[書評]海辺の生と死(島尾ミホ)

 島尾ミホさんが亡くなった。八十七歳。とぅしびーは祝ったであろうし、満年齢なら、とーかちも祝ったか、と思い、いや彼女はカトリック教徒だったなと思いおこして自分を少し苦笑した。
 書棚を見ると彼女の「海辺の生と死」(参照)がそこにある。この書物はこの十年以上の年月、私の存在をいつもじっと見つめている。干刈あがたの本と一緒に、私が沖縄に出奔する前からいつも身近にあり、今もある。

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海辺の生と死
島尾ミホ
 「海辺の生と死」と島尾ミホさんについて、私の胸にこみ上げるような思いがいろいろとある。だが言葉にならない。死は悼むべきだが、彼女は天寿に近い。その死を強く悲しむものではないが、なにか泣きたいような思いだけはこみあげてくる。
 本を手に取りなんども読んだページをめくりながら、その感情のコアがどこにあるのかと問い直すまでもなく、それが何であるはわかる。だが、それをどう書いたらいいのだろうかとなるとまるでわからない。そこに記されている言葉を引用するのさえ畏怖感がある。
 アマゾンを見ると復刻されていないせいか古書にプレミアムの価格がついている。そこまでして読むべき本かといえば、そうではないだろうし、ある種の人々には読んで欲しくない聖なる本なのだというふうにも思える。いや、そう言ってしまえばまったく別の意味になってしまう。
 紹介にはこうある。間違いではない。

幼い日、夜ごと、子守歌のように、母がきかせてくれた奄美の昔話。南の離れ島の暮しや風物。慕わしい父と母のこと。―記憶の奥に刻まれた幼時の思い出と特攻隊長として島に駐屯した夫島尾敏雄との出会いなどを、ひたむきな眼差しで、心のままに綴る。第15回田村俊子賞受賞作。

 間違いではない、が、真実でもないと言ってしまいたい思いもある。何がどうなんだということは、この本の内容にも関係するが、田村俊子賞については武田泰淳のこともある。そういえば彼が亡くなったのはいつだったかと調べると七六年であった。本書の初刊は七四年であった。
 文庫版の末には吉本隆明が「海」に掲載した「聖と俗 焼くや藻塩の」が解説の代わりに付いているが、これがまた重たい内容になっている。奄美での出来事に触れてこう彼は語る。

 これが、到来した守護神と村落の人々、わけてもゆかりある少女との<聖>なる劇のクライマックスである。それを演じた島尾敏雄と島尾ミホ夫人の、戦後の<俗>なる日常性に、なにが必然的におこらざるをえなかったか、ここでは触れるべきことに属さない。この本の世界は、そこにはないからだ。

 たしかに本書の世界は、<俗>と峻別される<聖>の世界でもあるのだろうが、吉本がここで「必然」と喝破しているように、切り離されるものではなかった。言うまでもなく、その裏面の世界は「死の棘」(参照)であり、なお続く、「魚は泳ぐ 愛は悪」(参照)の島尾伸三の物語でもあり、「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」(参照)のしまおまほの物語でもある。いや、しまおまほまで続いていると見なくてもいいではないかというなら、それはそうなのだろう。
 ネットを見回すと、読売新聞のサイトに本書の関連で”幽明の間に咲いた恋…加計呂麻島(鹿児島県)”(参照)で興味深いコラムが掲載されていた。

 だが「島尾隊長」と、死の淵(ふち)から奇跡の生還を遂げ、「インテリ作家」となった島尾敏雄は別人だと言う。「隊長さまはあの日を最後に姿を消しました。夢の中で隊長に会ったと話すと、敏雄は『ミホは昔の恋人に会ってきたんだね』と苦笑したものです」。夫の遺影の前で喪服を着て居住まいを正したミホさんは、そう言ってはにかんだ。

 その言葉と、その喪服をどう受け止めていいのか、私にはわからない。言葉はその通りの意味でもあるしその通りの意味でもないかもしれない。喪服は引き裂き得なかった預言者の衣のようでもある。
 言葉によって切り取られることがありえないはずの聖なるもの一端がこの書物にはあるが、すべての読者に開かれているわけでもないし、ある意味で選ばれたような読者の祝福でもない。教訓めいたものも、善なるものないと言っていいのかもしれない。
 たぶん救いのようなものだけはない。

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2007.03.26

昨今ブログ事情など

 ブログを始めてこの夏で四年になるのか。さすがにそろそろ終わり感も漂うし、あるいはすでに終わっている終わっていると言われているように今は終わった後の光景なのかもしれない。この間ブログの世界もいろいろ変わった。内側にいて思うことを少し。
 先日、ブログ界で知る人ぞ知る知らない人は知るわけねーじゃんのうんこさんことハナ毛さんことことことから、ブログ始めるとしたらどこがいいでしょ(参照)と聞かれた。うぉらぁエントリに関係ない糞コメントすんじゃねーとか言うのもなんだしスルーっていうのもと思って、エントリ書いたら、これがさ、長くなってしまって掲載をためらっているうちに紛失してしまった。どうでもいいけど。
 で、どのブログホストサービスが良いか? 一言でいうと、あ、このブログっていいなというブログをサポートしているところがいいですよ。
 「池田信夫 blog」(参照)が良いなと思えたらグー、「ブログ時評」(参照)がよいなと思えたらエキサイト・ブログ、「404 Blog Not Found」(参照)が良いと思えたらライブドア・ブログ、「分裂勘違い君劇場」(参照)が良いなと思えたらはてなダイアリー、「英玲奈日記」(参照)のファンだったらヤプログとか。ただ、「泥酔論説委員の日経の読み方
」が良いと思っても「さるさる日記」(参照)はお勧めできない。理由はなんか言われそうだけど、単純に読みづらいのと変なツールを仕込まれるからだ。
 ブログというのはスタイル指定でいろいろ見栄えが変わるのだけど、そのあたりはレディメードのデザインが多いところを選ぶのでなければ、ある程度勉強して自分でデザインすることになる。この極東ブログは地味の極みだけど例えば上部にマージン空間があるとかちょこっとデザインしたりしている。ただ、デザインはけっこう難しい。
 閲覧者から見えない部分の機能というのもいろいろあって、私がココログを選んでいるのは、ブログシステムはムーバブルタイプを特化させたタイプパッドが最高機能かなと思っている面があるから。ま、そうだと断言はできないけど。ついでなんでココログの使い心地だけど、一時期ホント止めようと思ったけど、最近は安定している。極東ブログのタイプだと月千円くらいかかるので、ロリポップにムーバブルタイプを入れて独自ドメイン入れるより高く付く。それだけのメリットがあるかというと、微妙かな。
 アフィリエイトについても微妙だけど、無料サービスの場合は、サービス側で勝手に広告を付けるのでそのあたりをどう考えるか。エキサイトのようにまるでダメというのもあるけど、現状だとだいたい月額三百円くらいで押し付け広告が除去できる。ということは月額三百円くらいアフィリエイトで稼げるならということになる。週刊誌一冊分くらい。ただ、実感としては、バランス感がでるのは五百円から千円くらいでしょうか。それってやってみるとけっこう難しいだろうと思うというか、チャレンジしがいがある。言うまでもなく最初からアフィリエイト志向のブログは誰も見ないでしょ。アフィリエイトはオタ系でなければある程度そのブロガーへの好意のようなものから成り立っているようだ。というところで、付け足しみたいですがこの機に、みなさまに感謝。
 この関連の基礎知識というか経験知識は、ブロガー献本による壮大なクチコミ実験となっている「クチコミの技術 広告に頼らない共感型マーケティング」(参照)がためになる、つまり、マーケティングの本というより、普通のブログ入門・心得として良書。


 個人でブログを長く運営している人たちには、ある共通する感覚があります。それは、長く続けることで「ブログが育つ」という感覚です。そして、ブログが育ったと感じることがメディア化への第一歩と言えるでしょう。

 メディア化はさてこき、ブログを始めるときも、ある程度育った状態を想定するといいと思う。
 で、その第一歩だが。

  • 半年以上にわたって毎日更新する
  • 蓄積したエントリー数が300を越える
  • 一日のPVが500以上になる


 この数値は、筆者がブロガーとして活動しているうえで得た肌感覚から割り出したものですが、ほかのブロガーに聞いてみても大体納得してくれます。

 私も納得する。というか、よい指標だと思う。
 補足すると、毎日更新というのは、よほどのことがないと無理なので、少なくとも週4日くらいだろうか。大体150日で300エントリというと、一日2エントリ。毎日は無理だから書くときは3エントリくらいまとめ書き。ただ、3つあればいいわけではなく、一つのエントリで200PVを取るくらいの引きが欲しい。(PVというのはとりあえず閲覧回数。)
 これはけっこう大変ですよ、やってみるとわかるけど。
 ただ、大変だからやめときなさいというのではなく、そのくらいの水準を意識してやってみるといいと思う。
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クチコミの技術
広告に頼らない
共感型マーケティング
コグレ マサト
いしたに まさき
 この引用部分の筆者はいしたにまさきさんで、「みたいもん」(参照)を運営。同書によると、月10万PVとのこと。日割りにすると、3000PVあたり。このくらいだと、外側から見てブログの世界にいるという感じだろうか。偉そうな言い方に聞こえてはなんだが。そして、以前、「池田信夫 blog」の池田さんが1万PVに多少驚いていたエントリを書かれていたと記憶しているが、一日1万PVを越えるあたりで、いわゆるアルファーブロガー的な世界になるのではないかと思う。これは多いといえば多いのだけど、それでもマスメディアに比べると大したことはないし、他に有名まとめサイトなどは大体一日10万PVはありそうだ。
 ブログを使っていないまとめサイトのPVが高いというのは、現状ではブログはまだまだメディアになっていないに等しく、大体1万PV代のブログというもRSSよりブックマークで読まれているようだ。
 とま、散漫な話がなんか長くなりそうのでこのあたりで。

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2007.03.25

Chxxch ? Have you guessed what's missing?

 中年のオッサンだからというわけでもないと思うが私は昔から受けない洒落というかあたりがひんやりするような洒落が好き。特にアメリカンなジョークとか、英単語の勉強にもなりそうな英語の駄洒落とかも好きだ。井戸を落下しつつとりあえず状況を是認するようなというか、というわけで、Chxxch ? Have you guessed what's missing?
 答えは、UR 。
 寒い。
 寒いぞ。狗子仏性そもさん、ってな感じ。
 愉快な世界びっくりニュースで筆箱を象が踏みつぶすみたいに”英国の教会、賞金獲得のためにユニークなスローガン”(参照)が翻訳されたとき、いち早くブックマークしたのは私です。で、他にいないでやんの。そりゃな。
 話は、最も優れた宗教的スローガンコンテストが英国で開催されているとのことで。


一部は読んだ瞬間に笑ってしまうものもあるでしょう。これまでにも素晴らしいスローガンがありました」とコメント。

その例としてスレイターさんが話したのは以下のスローガンだ。


 おお、ワクテカ。
 で、なんだったか。

「Chxxch……さて、xxには何が入るか分かりましたか? そうURをいれてchurch(教会)です。ああ神よ、あなたは素晴らしい」

 お、おもしろい。HAHAHAHAHA!!!
 わけねーよな。
 訳している人は笑ったんだろうか。チェックした上司も、オッケー、面白いねぇ、ひひひ、とかだったのだろうか。寒いな。
 このニュースのネタ元は”Congregational's Church Poster of the Year Competition”(参照)だ。他にも凍てつくシベリア級の洒落が……。

Recent examples of UK Church Slogans:

“God, you're great”
“Chxxch ? Have you guessed what’s missing? U R!”
“No God, no peace. Know God, know peace”
“Seven days without prayer makes one weak”
“Fight truth decay”
‘Rooney shoots but Jesus saves’


 もう救いようがないというか。
 ロイターの原文は”Humor in church: the rite stuff?”(参照)だ。標題のthe rite stuff?とか見ていると、これはもうもうもう、地球温暖化を阻止するためにどこが面白いかを解説したほうが正しいのではないかと思えてくる。
 
 “Chxxch ? Have you guessed what's missing? U R!”
 Ch□□ch? □に隠されている二文字はなあに? 答えは、UR。つまり、Church(教会)の中にいるのは、YOU ARE(あなたです)、って教会に通えよ。

 とか言いつつ、"God, you're great"はよくわからない。"God Tussi Great Ho"か?
 ま、いいや。
 ところで英国でChurchというと聖公会なんだが、これがけっこう理解しづらい。先日、実によくわからないなと思ったのがチャーリーの再婚。なんか説明を聞いたのだけどさっぱりわからなかった。
 聖公会ってウィキペディアにはなんて書いてあるんだろうと覗いたら、ごにょごにょの中にこんな話が(参照)。


聖公会系の教会は、大英帝国の植民地の拡張に伴い、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ等で信者を増やしていった。現在ではイギリス国外における信者の人数が、国内の信者の人数を上回っており、その大部分はアフリカとアメリカの黒人で占められる。

 へぇという感じだ。
cover
アメリカン・ジョークに習え
 カトリックもけっこう黒人に広がっている。というか、今後は中国かアフリカに伸びるしかないのだろう、というあたりで、エマヌエル・ミリンゴ大司教のことを連想した。うーん、このネタは笑ってすませるわけにはいかないなぁ。そういえば、聖公会では修士の妻帯はありだったっけ。違ったっけ。なんかすごい複雑だったような。

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2007.03.24

タミフルについて世界保健機関の現状の見解

 私は医学・薬学の専門的な立場ではないので自分の意見は控えるが、いくつか最新の欧米の報道をメモしておきたい。基本的には、タミフルについて世界保健機関の現状の見解が重要となるが、その前に、少し古いが少年期の子供とインフルエンザ後の精神障害についての研究を簡単に紹介しておきたい。”Post-influenzal psychiatric disorder in adolescents.”(参照)より。


Acta Psychiatr Scand. 1988 Aug;78(2):176-81.

Post-influenzal psychiatric disorder in adolescents.
青少年におけるインフルエンザ後の精神障害

Meijer A, Zakay-Rones Z, Morag A.
Department of Psychiatry, Hadassah University Hospital, Hebrew University Medical School, Jerusalem, Israel.

The association between influenza and psychiatric disorder in adolescents was studied at a time when both were highly prevalent concurrently. First 505 secondary school pupils aged 15-18 completed questionnaires, including a symptom inventory derived from the SCL-90-R. Subsequently, 113 blood samples were examined for influenza antibody titers of five virus strains. Statistical analysis showed that adolescents who had been ill with influenza in the previous six months had significantly more psychiatric disorder than those who had not been ill with influenza in that period.

青少年期における、インフルエンザと精神疾患の関連について研究した。対象期間はその両者が同時に現れる時とした。最初の質問対象はセカンダリースクール(日本の中学・高校に相当)の学生で年齢は15~18歳である。これはSCL-90-R(精神的ストレスの指標)に由来する兆候項目を含む。続いて、ウイルス下にあるインフルエンザ抗体濃度用に113の血液検体を調査した。統計的に示されたことは、過去6か月以内にインフルエンザに罹患した青少年期の子供は、同期間にインフルエンザに罹患しなかった子供に比べてより精神疾患を発症しやすいということである。


 話を世界保健機関とタミフルについてに移す。ニュースは二三日付け”WHO says Tamiflu concerns not affecting stockpiling”(参照)である。

WHO says Tamiflu concerns not affecting stockpiling
世界保健機関はタミフルに関する懸念は備蓄に影響しないと述べた

Concerns about the safety of Tamiflu are not affecting stockpiles of an influenza drug which would be used in a potential pandemic, a World Health Organisation (WHO) spokesman said.

タミフルの安全性に対する懸念は、潜在的なパンデミックに使用されるはずのインフルエンザ薬備蓄に影響を与えないと、世界保健機関代表者は言明した。

Health officials widely see Tamiflu as effective in treating the H5N1 bird flu strain if given early enough. The WHO and some national governments have been stockpiling the drug in case the strain, now mainly affecting poultry, mutates and begins to spread quickly among humans.

保険関連の公職者は、タミフルについて罹患初期に投与すればH5N1型鳥インフルエンザ対処として効果的であると概ね捉えている。



"Japan itself has reiterated that it's not going to change its policy on stockpiling oseltamivir as a pandemic preparedness measure," Thompson said, using the generic name for Tamiflu.

「日本は、パンデミック予備基準で備蓄しているオセルタミビルについての方針を変更することはないと繰り返し述べてきている」と、世界保健機関トンプソン代表はタミフルのジェネリック名を使いながら述べた。

"As we understand it there needs to be some more work to understand the link, if there is one. Right now the reports seem to be anecdotal, but in terms of pandemic preparedness we don't envisage any change at this moment," he said.

「もしそのような関連あるのであれば、我々はその関連をより理解する作業を行う必要があることを理解している。現状では各報告は逸話といった類に思える。しかし、事がパンデミック予備ということであれば、現時点おいていかなる政策変更も想定しない」と彼は述べた。

There is no commercially available vaccine for the H5N1 influenza strain, which has killed at least 169 people around the world since the disease re-emerged in Asia in 2003.

H5N1インフルエンザ影響時に対して商用利用可能なワクチンは存在していない。このインフルエンザはすでに、2003年にアジアで再発してからすでに世界中で169人の死に至らしめている。


 EUの動向については、二三日付け”EU Drugs Panel Says Tamiflu Benefits Outweigh Risks”(参照)がわかりやすい。

EU Drugs Panel Says Tamiflu Benefits Outweigh Risks
EU薬剤パネルはタミフルのメリットはリスクに上回ると述べた

A panel of European experts said the benefits of Swiss drugmaker Roche's (ROG.VX: Quote, Profile , Research) influenza drug Tamiflu outweighed the risks, but that it would closely monitor reports of safety concerns in Japan.

欧州専門パネルは、日本で安全懸念の新しい報告が挙げられているにもかかわらず、スイス薬剤メーカー、ロシェのインフルエンザ薬タミフルのメリットはそのリスクを上回ると述べた、

The European Medicines Agency said on Friday that "if any concerns emerge, further action will be taken."

欧州医薬品庁は金曜日に「懸念が現れるようなら、進んだ対処を取る予定がある」と述べた。

But its Committee for Medicinal Products for Human Use "maintains its opinion that the benefits of Tamiflu outweigh its risks when the product is used according to the adopted recommendations."

しかし、ヒト用医薬品委員会は、適用基準に従った利用時において、タミフルはそのリスクよりメリットがあるという見解を維持する、とした。


 英国での反応はBBC”Patient warning on flu drug risks”(参照)がわかりやすい。

A spokeswoman from the UK's medicines regulator, the Medicines and Healthcare Products Regulatory Agency, said they had not received any adverse reports similar to those seen in Japan, but had heard about two instances where an elderly patient had become agitated and confused after taking Tamiflu.

英国の薬剤監査機関である医薬品・医療製品規制庁(MHRA)の代表は、日本で見られたとされる副作用に等しい副作用の報告を受け取っていないが、高齢患者がタミフル服用後動揺と混乱を来した二例があると聞いている、と述べた。

She said the MHRA supported the EMEA's decision.

代表者は、医薬品・医療製品規制庁(MHRA)は、欧州連合欧州委員会企業・産業総局及び欧州医療製品評価庁(ENEA)の決定を支持すると述べた。


 併せて、現状の鳥インフルエンザの世界的な状況だが、バングラデシュについては”Bird flu reaches India’s doorstep, Bangladesh poultry affected ”(参照)、ミャンマーについては”Health alert over Tamiflu, bird flu spreads in Myanmar”(参照)、またこれらを受けてインドが警戒しているようすは”India sounds bird flu alert in border states”(参照)からうかがえる。さらに、サウジアラビアも”Saudi Arabia reports bird flu outbreak”(参照)によるとアウトブレイクの報告がある。

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2007.03.22

人類進化の謎とか

 話の枕なんだが、先日、若いころ勉強して今でも役立ったのってなんだろと思った。自分なりの結果論は、古典(文献学・聖書学を含む)と語学だろうか。私の場合、どっちもいいかげんなんだが。
 他の分野はどうだろうか。数学の基礎的な部分というのは時代とともに変わるということはない。昔勉強した基礎論とかは今ではきちんと思い出せないけど、クルト・ゲーデルの不完全性定理の内容が変わるわけではない。
 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの「論考」も変わらないが、「哲学探究」や最晩年の思想とかは最新研究で変わる。ハイデガーとかもそう。カール・ポパーの反証可能性議論なんかも最終的な思想とは言い難い云々。哲学系はけっこう時代とともにその受容方法が変わる。
 やっかいなのが科学知識だ。科学というのは確かな知識を伝えているかというと、これが基本的にどれも仮説であって、それなりに時代とともに知識をリニューしてないと変わってくる。例えば、私が高校生くらいの頃の天体の知識として、いずれ太陽は膨張して地球を飲み込むみたいなふうに教わったし、そんなアニメーション映像も見たように思うが、最近はそうは考えられていないようだ。軌道が変わるらしい。もっともその時点で地球上に生命が存在しえるのかは依然疑問なんで、人類に対しては地球消滅とさして変わりがないが。
 進化論とか人類進化というのも時代ともに定説が変わる。ちなみに私は今年五十歳になるのだがさて御同輩、質問。ネアンデルタール人は人類の先祖か?
 答えは、No。最近何かと風当たりの強いウィキペディアだが同項より(参照)。


過去、ネアンデルタール人を旧人と呼称する時代もあったが、ネアンデルタール人がホモサピエンスの先祖ではないことが明らかとなった現在ではこの語は使われることが少ない。


一方で、1970年代から80年代にかけ、分子生物学が長足の進歩を遂げ、それで人類の系統を探索した結果、現生人類はアフリカに起源を持ってそこから世界に拡散したものであり、ネアンデルタール人類は55万年から69万年前にホモ・サピエンスの祖先から分岐した別種で、現生人類とのつながりは無いという結果がもたらされた。

 ネアンデルタール人は人類とは別種の生物だった。では、その子孫はどうなったかというと。

ネアンデルタール人は約3万年前に突然滅亡してしまった。滅亡の原因はよくわかっていない。より好戦的で知性の高いホモ・サピエンスに駆逐され絶滅したとする説、ホモ・サピエンスと混血し急速にホモ・サピエンスに吸収されてしまったとする説など諸説ある。

 基本的に絶滅したと言っていいのだろう。
 ついでに北京原人だが、これも人類とは関係ない。

北京原人はアフリカ大陸に起源を持つ原人の一種であるが、現生人類の祖先ではなく、何らかの理由で絶滅したと考えられている。

 ちなみに北京原人にはいろいろミステリーがあったり、笑い話もあるが割愛。
 ホモ・エレクトスについては日本語のウィキペディアの解説は薄い(参照)。いずれにせよこれも人類には繋がらない。
 このあたりの一連の最新学説をさらっと図にまとめたものはないかと思っていたら、今週のニューズウィーク日本語版(3・28)「DNAで解く新・ヒト進化論」でよくまとまっていた。記事の英語版は”Beyond Stones & Bones”(参照)で読むことができる。記事も面白いがもっと面白い系統図はウェブには掲載されていない。
cover
人類進化の700万年
書き換えられる
「ヒトの起源」
 ニューズウィークの記事の元ネタの大半はAmerican Museum of Natural History”Hall of Human Origins”(参照)なので興味のある人は参照するといいだろう。
 このサイトを見ていかにも教育的だなという感じがするし、進化論を学ぶというのはこういうことでもあるかなと思う。もっと単純にこういうのを日本の学生はどう学んでいるのだろうと思い、これを英語でさらさらと読めるといいのになと思うあたりで、ま、若いときに語学はやっとけという元の教訓に戻る。
 話にオチが付いてしまった。
 いやいや。こうした人類進化について私はぼーっと、なんというか、滅んだ人類というのを考えることがある。彼らが現在の人類より劣っていたかどうかはわからない。現代文明のような科学文明を持っていたらそれなりの遺跡として残るだろうから、もし高度な文明があっても我々とは異なっていただろう、というあたりで、ちょっとアレな世界に入りつつある。
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生命潮流
来たるべきものの予感
ライアル・ワトソン
 そんなことを思うのは、昔、ライアル・ワトソンをよく読んだからだ。その手のエピソードもあった。特に「生命潮流―来たるべきものの予感」(参照)は何度も読んだ。しかし、ま、今読めばトンデモ本だろうな。
 ウィキペディアでライアル・ワトソンをなんと言っているか見たが、日本語版にはない。英語版にはあるが薄い(参照)。たまたまはてなキーワードを見たら笑えた(参照)。

科学が非科学だとして統計の外に放置してしまうガラクタ情報やガセネタを科学の正道の立場からコレデモカと云わんばかりに徹底的に文献~ニュース資料~科学文献を当たりまくって帰結する、その著作は現代が発揮できる最高の知性/知性の限界ではないだろうか? “一押し”は初めての人には『アースワークス』。科学には詳しいと自信のある人には『風の博物誌』(または『匂いの記憶」』)。そして小説・読み物の好きな手合いには『未知の贈り物』。初めて手にする人にはPTSDが訪れる;暫く他の物が一切読めない。

 あはは。まあ、そうかな。

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2007.03.21

パキスタン情勢、微妙なムシャラフ大統領の位置

 全体構図が今一つ読めないのだが、このあたりでパキスタン情勢についてメモがてらエントリを書いておいたほうがよさそうな感じがする。そう思ったきっかけはワジリスタン情勢だ。国内ニュースでは共同”武装勢力と戦闘、30人死亡 パキスタン部族地域”(参照)がある。


 パキスタン軍報道官は20日、アフガニスタン国境に近い北西部部族地域の南ワジリスタン地区で、地元部族とウズベク人中心の武装勢力による戦闘があり、約30人が死亡したことを明らかにした。国際テロ組織アルカーイダに関係する武装勢力とみられる。

 日本だと一部の奇妙な情報発信のせいなのか、アルカイダを米国が創作したフィクションのように捉えるむきもあり、ましてブログで扱ってもそういうヘンテコな意見に混ざってしまいがちなので、書くのがおっくうになる。が、気を取り直す。
 同ニュースにもあるが、今回の戦闘はその前日に始まっており、襲撃されたのは学校バス。死者に子供二人が含まれている。この手の学校を狙うテロはイラクなどでも多い。六日も戦闘があり一五人が死亡。テロの規模としてはそれほど大きくないとも言えるのかもしれないが、アルカイダやタリバンの活動と見てよいので、問題の根は深い。
 ワジリスタンについてはウィキペディアに「ワジリスタン戦争」(参照)の項目があるが情報は薄い。英語の”2004-2006 Waziristan conflict”(参照)は充実している。国内のネットを見回すと、「船橋洋一の世界ブリーフィング」の一六日付け”イラクに加え対テロでも負け戦の米国。次の焦点はパキスタン・ワジリスタン”(参照)があった。毎度ええ塩梅の船橋洋一らしい筆致だがウィキペディアよりはわかりやすいだろう。重要点の一つはこれだ。

 パキスタンのムシャラフ政権は2004年以後、この地域一帯で、タリバーンとアルカイダの残党の掃討作戦を進めてきたが、結局のところ失敗した。
 その間、パキスタン政府軍の掃討作戦で、多くの住民が命を失い、家を壊された。何千という住民が移住させられた。彼らの中央政府に対する恨みつらみは深く、それがタリバーンとアルカイダへの共感を生む土壌となっている。
 このため、2006年9月にはムシャラフ政権と北ワジリスタンの部族との間で協定が結ばれた。イスラム宗教政党などの親タリバーン勢力が裏で仲介した。
 これによって、拘束されていたタリバーン兵士の釈放、取り上げた武器の返却、治安検問所の撤去、外国のテロ勢力の滞在許可(ただし、武装行動をしないという条件をつける)などが決まった。
 親タリバーン勢力は民兵を新規に募集し、訓練し、武装させることが自由にできるようになった。

 まず、ムシャラフ大統領の失策がある。失策と取り敢えず言っていいだろう。これでタリバンが勢力を盛り返す兆しを見せるが昨年の秋。これが直接的にはアフガン問題にも波及しているし、米国ブッシュ政権も危機認識を持っているらしく、先月末のチェイニー米副大統領のパキスタン訪問になる。ニュースとしてはCNN”チェイニー米副大統領、パキスタンを電撃訪問”(参照)がある。電撃だったのかはよくわからない。CNNでは米国がムシャラフ大統領にタリバン掃討作戦の強化を求めたとしている。表向きはそうだろう。関連はCNN(ロイター)”米大統領、パキスタンに警告へ 支援カットの可能性示唆”(参照)。

ブッシュ米大統領は近く、ムシャラフ・パキスタン大統領に、国際テロ組織アルカイダなどに対する掃討作戦が今後も滞れば、米国からの支援が削減される可能性があるとの警告を発する構えだ。25日付の米紙ニューヨークタイムズが伝えた。

 ただ米国の内情もあり、このあたりの全体構図が読みづらい。

民主党主導の米下院は最近、対パキスタン支援の継続には同国が掃討作戦に全力を尽くすことを条件とするよう求める法案を可決。上院でも、パキスタン政府に圧力をかける手段が検討されている。パキスタンは経済、軍事、麻薬取り締まりなどの分野で、米国から年間約8億5000万ドルの支援を受けている。米議会関係者によれば、下院の法案によって影響を受ける額は、このうち約3億5000万ドルに上る。

 パキスタンではここでもう一つ大きな情勢の変化がある。ムシャラフ政権が揺れている。ニュースは”大統領、都合の悪い?最高裁長官を処分 司法界は猛反発 パキスタン ”(参照)。

パキスタンのムシャラフ大統領が今月上旬、政権に厳しい判断を示してきたチョードリー最高裁長官の職務を差し止めた。これに反発して数人の判事が「司法の独立が侵害された」と辞表を提出。司法界を中心とした大規模な抗議行動が連日繰り広げられており、ムシャラフ政権を大きく揺さぶっている。

 単純に言えば、クーデターで政権を取ったムシャラフ大統領の正当性というのは危うい。議会からも司法からもノーが出そうな可能性もある。民主化の暴動も発生している。

 しかし、長官に対する職務差し止めは司法界から予想外の反発を招いた。各地で抗議デモを行っていた司法関係者が警官隊と衝突し、16日にはイスラマバードで衝突の様子を取材していた民間テレビ局に警官隊が突入して局の施設に被害を与え、一部の番組が差し止められた。

 民主化というのが唯一の正義なら民主化を支援すればよいということになるが、このあたりの米国の動きもはっきりとしない。どちらかといえば、ムシャラフ大統領支持のようにも見える。
 よくわからないのがフィナンシャルタイムズの社説”Saving Pakistan before it is too late ”(参照)だ。民主化を推進せよというのだ。

The decision by Pervez Musharraf, Pakistan’s president, to sack unceremoniously Iftikhar Chaudhary, the chief justice of the Supreme Court, has tipped the country into a dangerously unpredictable crisis. But the subsequent, violent street clashes between baton-wielding police and besuited barristers are fast expanding into a broad-based, democratic movement against his regime. That this movement succeeds is now more important than what happens to the Generalissimo.

 その思想の背景はパキスタン内の右派勢力の危険性の認識がある。

The spread of the religious right in Pakistan is a greater strategic threat than the revival of the Taliban in Afghanistan. Stopping that spread is in any case part of the key to dealing with the Taliban and al-Qaeda, which has regrouped just inside Pakistan’s lawless western frontier.

 だが、どう考えてもパキスタンに民主主義が早期に実現できるわけない。とすれば、今使えるのはムシャラフ大統領ということになる。それでいいとは思わないのだが。

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2007.03.20

フセイン時代より良くなったという最新イラク世論調査

 最初にお断りしておいたほうがいいだろう。私は今のイラクがフセイン時代より良くなったとこのエントリで主張したいわけではない。イラク戦争の是非についてもこのエントリでは触れない。では何のエントリかというと、イラクの状況認識というのは難しいものだという感慨くらいなものである。
 話のきっかけは、フセイン時代より良くなったという最新イラク世論調査についてだ。日本ではもしかすると報道されないかと思っていたのだがそうでもなかった。時事”半数が「生活良くなった」=フセイン時代より「今」選ぶ-イラク世論調査”(参照)に出てきた。


 英世論調査機関オピニオン・リサーチ・ビジネスが2月にイラク全土の国民を対象に行った調査によると、フセイン政権時代の生活の方が良かったとの回答は26%にとどまり、現マリキ政権下の方が良いとの回答が49%に達した。

 この結果についての私の率直な印象は……いやなかなか率直になれないものがあったというのが率直なところだ。楽観論も強いのか、統計が操作的なんじゃないのか、日本にメディアで伝えられているテロは意外にローカルか、もともとイラクはシーア派が多いのでマリキ政権支持に決まっているか、などなど。
 英米圏ではこのニュースは、そういう見方もあるのかくらいであったり、解説があったりする。
 イラク情勢の理解は難しい。単純なところで言えば、クルド地域の治安は回復に向かっている。もっともこのあたりの情報にも微妙なものがあるのだが。例えば、先月の話だがクルド三州(エルビル県・スレイマニア県・ドホーク県)に限って日本外務省は「退避勧告」から「渡航延期」に変更した。朝日新聞”イラク・クルド地域の危険度を「渡航延期」に緩和 イラク情勢特集”(参照)などでも報道された。最新の情報は「イラク:治安情勢」(参照)であろうか。先日NHKで見たクルド地域の映像では安定した市民生活が伺えた。
 報道ではあまり指摘されていないようだが、クルド地域には現在世界各国から原油ビジネスの関係者が来訪しているという現実もある。こういう言い方をしてはいけないのかもしれないのだが、経済的に見るならイラクのメリットは原油であり、その大半は北部と南部に集結している。北部が安定すれば問題の大半は終わったというか未来に向かう。南部についてもシーア派が安定すればそれなりに終わる。中部のバグダッドは経済的なメリットは乏しい、とも言えるかもしれない、と曖昧にしか言えない。
 話を戻して、オピニオン・リサーチ・ビジネスのこの結果だが、まったく逆の最新情報にもある。BBC”Pessimism 'growing among Iraqis'”(参照)だ。

Less than 40% of those polled said things were good in their lives, compared to 71% two years ago.

生活面において事態が好調であると投票した人は、二年前の七一パーセントに比較すると、四〇パーセント以下だった。


 オピニオン・リサーチ・ビジネスの結果とは逆に見える。二年前というのは戦争前とも言えないが、いずれ標題どおり悲観的な結果ではある。
 これに続いてこうもあるのも興味深い。

However, a majority of those questioned said that, despite daily violence, they did not believe Iraq was in a state of civil war.

とはいえ、回答者の大半は、日々の暴力にかかわらず、イラクは内戦状態であると確信を持っているわけではない。


 外部から見ると内戦かと見えるが大半のイラク人はそう考えていないというのは、示唆的である。
 統計について、オピニオン・リサーチ・ビジネスのBBCとの差異をどう考えるか。EURSOCというサイトに関連して”Polls Apart”(参照)という考察があった。ふーんといった感じではある。関心がある人は読んでみるといいかもしれない。私としては、CNSNEWS.COMの”Better or Worse in Iraq? Depends on the Poll”(参照)に注目した。

The poll involving USA Today, the BBC, etc., was conducted between Feb. 25 and March 5.

The London Sunday Times poll, conducted by Opinion Research Business, was conducted a bit earlier, from Feb. 10-22.

USAトデーやBBCの調査は二月二五日から三月五日になされた。オピニオン・リサーチ・ビジネスが実施したロンドン・サンデー・タイムズの調査はそれより少し早く、二月一〇日から二二日である。


 調査の時期が微妙に違う。オピニオン・リサーチ・ビジネスの調査時期は、米国による増派の話題の期待があったかもしれないとも示唆されている。もっともそうであれば、米国の撤退とも関連しているはずだが、そのあたりは両調査からは読みにくい。最終的な撤退に異存のあるイラク国民はないだろうし、早期撤退といってもその時期の見定めは難しい。ただ、概ね、治安回復後に撤退してほしいという傾向はありそうだ。先のBBCでも。

However, only 35% said foreign troops should leave Iraq now. A further 63% said they should go only after security has improved.

しかしながら、現在外国軍の撤退支持は三五パーセントであり、六三パーセントは治安回復後以外はないとしている。


 余談だが、米国民主党による、米軍イラク撤退議論は、言い方は悪いが、大半はフカシっぽい。なぜなら、本当に撤退させるなら、議会が派兵の予算を切ればいいからだ。このことは戦時の日本についても同じことで、こうした問題の最終的な責任は国会にある。

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2007.03.19

[書評]真贋(吉本隆明)

 「真贋(吉本隆明)」(参照)は年初に出たものだろうか。書店で見かけて手に取り、ああまたインタビュー書き起こし本か、とめくり、いつもと同じか、と置いた。先日時間つぶしにと買って読んだ。

cover
真贋
吉本隆明
 で、読んでどうかというと、吉本隆明の本をこれまで読んできた者にしてみると特にどうってことない一冊だった。が、よくまとまっているといえばよくまとまっているし、主題の展開はさっと読むに違和感はない。が、さすがに後半まで読んでくると、これは吉本翁の考えをうまく整理しているし、その口調も感じられるが、なんとも奇妙な偽物だなという感じが迫り、書名「真贋」をアイロニカルに思った。どのあたりが偽物な感じがするのかうまく言葉にならないが、たとえば「生き方は顔に出る」という章題があるが、そういうテーマは書かれていない。この奇妙な違和感は吉本隆明も最晩年になってそういう口調になったのだといえばそうかもしれないが、自分には違和感だった。
 と思い起こすに、竹田青嗣コレクション〈4〉「現代社会と「超越」」(参照)に収録されている竹田と吉本の対談で、その終わりあたりで「今日はなんか竹田さんのほうが僕よりうまく言ってやがると、そういうところがずいぶんありましたですけどね。うまく言ってくれました(笑)」と吉本が語るのだが、この口調と吉本のズレ感みたいなものが、この「真贋」ですぱっと落ちているように思ったし、各項目がするっと繋がっているように読めるけど、子細に読むと編集的に繋げられているような違和感もある。吉本は主題を流れの中に繋げ織り込む能力はほぼゼロに等しい。吉本隆明を読むということは、彼の直感的なとっかかり意識のようなものを最初に掴みそこを、まるでカフカの「城」のようにぐるぐると回るしかない、そういう読書を強いるところがある。と書いてみて、吉本の作品とされるものの大半は、編集者の作品であったかなとあらためて思った。
 若い読者、つまり、現在の二十代や三十代の人がこの本を読むとしたどうか、あるいは薦められるかというと、お薦めしたい。吉本は自身を戦中世代としているが実際には戦地経験はない、がそれでも戦時の実際の大衆の時代感覚をなんとか説明しているあたりは、日本人の若い人は読んでおいたほうがいいと思う。八〇歳の爺さんってこうなんだというか。しいてもう一点加えるとすると、文学や文章を書きたいという思いについては現代のブログなどにも関連するところがあるだろう。
 そういえば、特に新しいことはないと言いつつ、実際特に新しいことでもないのだが、村上一郎に触れているあたりは、奇妙な感触があった。編集者がそのあたりのことを知っていてこの言及を残しているのかもしれないが、あの事件を知る人間からすると(私の知人はこの事件の関係者だった)、これだけの言及のはずはない。そのあたりと三島由起夫の言及の奇妙な呼応みたいなものについて、吉本翁にもっと語らせることはできないものかという思いも沸く。
 ああ、一つだけ、へぇと思ったことがあった。ここだ。

 男女問題での好き嫌いというのは、外観から受ける印象や声といったものにもよるのでしょう。その判断は直感に近いものがあり、理屈では何とも説明できません。僕も若いときは、そうした直感に襲われて、人並みに浮気をしたくなったり、いっそ女房と別れようかと物騒なことまで考えたことがありましたが、実現はしませんでした。

 あれだけド派手な恋愛沙汰して、こう言いのける吉本翁に、さすがに、へぇと思った。

 モラルというほどのものがあったわけではありませんが、そもそも大体は片想いで終わりになってしまいました。もしかすると、無意識のうちに、片想いということにしておこう、という気持ちが働いたのかもしれません。
 モラルがあったとすれば、僕のほうが有利な立場にあることを、男女問題でつかうのは卑怯だと感じていたことが挙げられます。そのために、片想いでやめておいたことも、たしかにありました。世間から見て、あの野郎、自分の地位を利用しやがってと言われるのはたまりません。人から見て、そう思われたくないというのは、人の道を外さないための抑制力として大切かもしれません。

 ここは笑うところかもしれないが、読めば、どういう背景かはわかる。誰が対象だったかまでわからない。でも、この手の設定はわかるわかる。で、吉本翁は鈍感なのでそれが多分に女性から無意識的にであれ仕掛けられたとは思わず、この偏屈オヤジってば誘惑されねーや的に終わったことになったのだろう。彼も、「僕ちんは片想い」ということになっているのだろう。しゃんしゃん。
 この手のことはちょっと有利な立場にある中年男性にはありがちで、そのあたりで、人の道を外さないというのは、吉本隆明の隠された思想かもしれない。いや、冗談じゃなくて、さ。

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2007.03.18

[書評]日本の選択(ビル・エモット、ピーター・タスカ)

 「日本の選択(ビル・エモット、ピーター・タスカ)」(参照)は、まんまビル・エモットとピーター・タスカの対談。テーマは標題どおり「日本の選択」ということで、この手の標題はナンセンスになるのが常だが、この対談については、字義通りの意味を持っている。日本は、これから強く選択が求められるし、選択の余地があるというのだ。このあたり、べたに日本人をやっている私などからすると、ふーん、選択の余地があるのかというのはちょっと意外な印象もあった。

cover
日本の選択
ビル・エモット
ピーター・タスカ
 ではどのように選択すべきか? 彼らはどう考えているか? これは私の読解力がないせいか、彼らが外人だからという留保があるのか、いま一つはっきりしないところもあるが、前提として言えば、なんといっても経済力でしょ、つうこと。で、経済力っていうことは、つまり、生産力でしょ、というのと、グローバル化でしょ、と。
 後者のグローバル化については、二人ともそれ以外には日本の選択はないけどねだけどねごにょごにょという部分がある。とはいえ、グローバル化が何を意味するかは、英国人である二人には明確で、つまり、英国化ということ。ロンドン化というか。そしてその点で、ほぉと思ったのは、東京はグローバル化し、他の地域はよき時代の昔の日本でええんでないの、みたいな意見だった。実際そうするしかないな。
 東京のグローバル化というのがロンドン的なものになるか、そういう選択をすべきかというと、彼らはごにょっとしているけど、無理無理。ただロンドンとは違ったグローバル化は可能かもしれないし、そのために、ええい、東京オリンピックやっちゃえ、どーん、というのもありかなとはちと私は思った。
 ビル・エモットとピーター・タスカの考えは同じではない。微妙にエモットが引いているのが面白いと言えば面白い。むしろ、タスカは日本が好きなんだろうなという感じがする。そのせいか、意見の違いをごりごりと摺り合わせることもないし、逆に二人の違いを際だたせるわけでもないので、あれま日本的な対談となった。ので、全体の印象はボケる。にもかかわらず、二人がそれって常識でしょ、前提でしょ、というふうに意識もされていない部分が、べたな日本人にとっては、え?え?え?みたいなところがあって面白い。いや、そこがこの対談を読んで面白いところだ。と、例でも挙げればいいのだが、ま、この対談はちょっと物を考える人には読む価値があるので、買って読んでみたらいいと思う。彼らが暗黙のうちに前提としている部分に、え?とか思うはず。
 話が散漫になるが、個人的に特にあれれ?と思ったことは、少子化と労働力の問題。彼らはこれにきちんと着目している。少子化の問題というのは、なかなか簡単には言いがたいというか、ネットやその他でも日本の少子化は問題ではない論が目立つというかフカされるが、私は問題だと思う。具体的に町の様子を見ていたらそうとしか思えない、が、それに突っ込まず、これを労働力不足という点で見る、とどうなるか。フツーなら外国人労働者を入れろとなるだろうが、彼ら二人は、そのニーズに日本では非熟練労働者、女性、高齢者が投入されていると言っている。あ、そうだな、と思ったのだ、私は。
 というのもかねがね、日本の労働力は、戦時下のあれじゃないけど日本女性をフルに使うとかなりすごいことになりそうだと思っていた。でだ、こうした労働力が今日本に投入される影響で、労働者の賃金が上がらない構造となるという指摘は、ほぉ、と思った。実際には違うのかもしれないが。現状の仕組みのままでは日本の労働者の賃金というのは、たぶん、ずっと、上がらないのだろう。
 日本国家を憂うというのは未来のない老人の特権かもしれないが、私もせいぜい生きてもあと20年くらい。そのくらいなら日本も米国の長期金利で保つなとか思っている。逃げ切って人生お終いとかね。でも、そんなんでいいわけないよなと少し考えた。
 対談では世界情勢において、ほほぉ、そんなことブログで言おうものなら一部の工作員に燃料投下みたいな視点もある。ので、そのあたりはパスっておこうか。

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2007.03.17

中年男性のメタボリック・シンドロームと自殺を再考する新しい視点

 先日ロイターニュースを漫然と見ていたら、ちょっと面白い話があった。これは考えようによっては、中年男性のメタボリック・シンドロームと自殺を再考する新しい視点となるのではないかというブログ向きのネタになるぞ。
 日本語訳のニュースがあったか知らないが、ニュースは”Heavy men may be less apt to commit suicide ”(参照)である。標題でもわかるように、「デブ男性は自殺しにくい」というのだ。ニューヨーク・タイムズ”On the Scales: Suicide Found to Be Less Likely in Heavier People”(参照)にもあった。
 ということは、昨今日本でも話題になっている中年男性の自殺を防止するにはデブを増やせばいいのではないか。しかし、デブそのものが問題かということになるかも。なぜデブ問題かというと健康に良くないからだ。となれば、自殺リスクと健康の選択ということになる。そうなれば、健康のためには死んでもいいという一部の人を除けば、これは、つまり、デブがよいぞ、というのはけっこう説得力ある視点ではないか。


As body weight increases in men, the risk of death from suicide falls markedly, new research hints.

男性の体重が増加するにつれ、自殺による死亡率は目に見えて減少するということが新研究によって示唆される。


 ネタ元は、ちゃんとした医学誌”Archives of Internal Medicine”でその概要もネットで読むことができる。”Body Mass Index and Risk of Suicide Among Men”(参照)がそれだ。

Background Body mass index (BMI; calculated as weight in kilograms divided by height in meters squared) has been linked to depression and the risk of suicide attempts and deaths in conflicting directions.

背景 ボディマス指数(BMI;体重を身長の二乗で割って求める)は、憂鬱と自殺試行リスクと相反しつつ関連している。


 単純に言うと、太ると、自殺しない、となる傾向がありそうだ。
 しかし、こんな結果出してちゃっていいのか?

Conclusions Among men, risk of death from suicide is strongly inversely related to BMI, but not to height or to physical activity. Although obesity cannot be recommended on the basis of its detrimental effects, further research into the mechanisms of lower risk among overweight and obese men may provide insights into effective methods of suicide prevention.

結論 男性では、自殺リスクはBMIと強く反比例し、身長や身体活動とは関連していない。肥満の有害な影響を元にすれば肥満が推奨されるものではないが、体重超過で肥満男性において自殺リスクが軽減される仕組みは、自殺予防の効果的な手法に新しい視点を与えるだろう。


 ようするに、太ると自殺が減るというメカニズムについてはもう少し研究したほうがええんでないの、ということだ。
 なぜ太めの男性が自殺しにくいのか、ということについての今回の研究ではあまり触れていないが、インシュリンの循環量が気分に影響しているからと示唆されている。
 私の印象だが、コレステロールも関係しているかもしれない。コレステロールは各種ホルモンの材料になる。たしか、高齢女性については、コレステロール量の低さは死亡率に相関していたはずだ。
 ネタはそのくらい。
 太ったかたには失礼なエントリになってしまったかもしれない。申し訳ない。多少太っていても気にしなくていいんじゃないかと個人的には思う。
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弥勒信仰のアジア
 太っているほうが幸せというのは、日本の伝統でも布袋様とかで理解できるものがある。あのデブ腹の布袋様だが、中国ではあれが弥勒菩薩とされている。日本人の弥勒菩薩のイメージとというと広隆寺や中宮寺にあるちょっとバイ?っぽい半跏思惟像を想像する人が多いだろうし、オウム真理教でも弥勒菩薩の聖名マイトレーヤを持つ人もそう太ってないので日本的なのかこれから太るのかよくわからないが、東洋では弥勒菩薩はデブである。沖縄でも弥勒菩薩は「みるくゆがふ」のみるくである。やわらか戦車の世界なのであろう。

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2007.03.16

団塊パーンチ、ナツメロパーンチ

 「団塊パンチ4」(参照)を買ってもうた。表紙のアグネス・ラムに惹かれて衝動買いしたわけではない。まして、その巨乳とかに惹かれたのでは断じてない。その証拠にアグネス・ラムってこんなに巨乳だったかとあらためて思ったくらいだ。本当だ。そこに関心があったわけじゃないんだ、と昭和三十二年生まれ団塊後世代のオッサンは熱く熱く弁解する。

cover
団塊パンチ4
 「団塊パンチ4」は4というからにはこれまで三巻あったのだろう、知らんかったとは言わない。あったことは知っていたけど一回こっ切りのネタだと思っていた。隔月刊だとは思ってなかったので、あれ?こんなのあるんだと表紙で意外に思った。ちなみにちょっと調べてみたらこれまでの号の表紙はなんかださいというかなんというかカルチャーっぽいというか。
 ありがちなムック形式で紙質がよいのがちょっと泣ける。ホール・アース・カタログみたいな、"Stay Hungry. Stay Foolish."のノリのほうがいいのにと思いつつ、捲る。グラビア。ラムちゃん、ドーンである。
 どれも一度は見たことのある写真ばかりなのだが、記憶にゆがみがある。こんな巨乳だったかはどうでもいい(本当にどうでもいいんだ)。表情が、私の記憶ではもっと外人外人していた。フローニングの険しい表情が印象的だった。その距離感がなんとなく少年だった私はカフカだった、違う、好きだった。「団塊パンチ4」に掲載されているアグネス・ラムの写真は間違いではないのだけど、なんか甘い印象があるし、その甘さの距離感は、率直に言うのだけど、私が団塊世代に感じる嫌悪感と繋がるので、引く。
 めくっていくと吉永小百合と浅丘ルリ子の特集がある。うまくできた特集だとは思うし、吉永小百合の清純さというのは確かに時を越えたものだし、JRの駅にあちこち貼ってある老年期の彼女との差異はサブリミナルというか奇妙に無意識をかき立てられる。〇七年、禄でもないことが始まるなの悪寒。
 浅丘ルリ子については、ああ、あれが見たいな、横尾忠則のあれ。で、そう言っているならあれもこれも見たくなる。そういえば、先日実家を整理したら、自由国民社のガッツとか、集英社だったかヤングセンス(ヤンセン)とか数冊出てきましたよ、わーお。カルチャー的には俺はあっちにも足を突っ込んでいたよな。
 以上は前振り。このムックを買ったのは、花っちの再婚話が載っているからだ。花田紀凱、六十四歳が、二十六歳年下の嫁をもろたという話。

テレビやラジオのコメンテーターとしての活躍中で、出版業界では名物編集長として知られる花田紀凱氏(64)。論壇誌『WiLL』の編集長でもある。前妻を四年前に亡くした後は「快適な独身生活」を送っていたはずなのに、電撃再婚していた。お相手は学生時代は文学座の研究生に身を置いていた女優志望で、現在は民主党・光谷三男代議士の公設秘書神田一恵さん。二人の年齢差はナント! 二十六歳ということだ。

 「ナント!」のあたりの口調が団塊世代らしくて某ブログの文体を自然に連想させるところがぐふぇひでぶなのだが、それにしても民主党GJ。違うか。
 二十六歳、年下かぁ。宮台先生もそのくらいだったか。ぅへへへみたいな思いが団塊世代から私の世代の男の脳裏を掠めないといったら嘘だろてかそれって全然嘘だろうぉーらすていんっていうくらいなものなのだろう。しょうもない。
 花田のインタビューはどうってことないといえばどうってことない。うひゃと読めるところもないわけではない。でも、ようするにこれが団塊パーンチ、ナツメロパーンチ、ワン・ツー・パンチ、あなたはいつも新しい希望の虹を抱いている♪の希望の星がここにあるし、そういう希望の虹を求めてしまうのだ。死が裏にあるからだ。
 虚栄の予感に鈴木ヒロミツが死んだ。今日が告別式らしい。六十歳だった。私は中学生のとき、彼ヴァージョンの月光仮面を歌ったクチである。人生だなと思った。と言いつつ、彼の人生は知らない。新聞の過去ログを見ると、子供が生まれたのは四十歳だったらしい。そして「できるだけ一緒にいてやりたい」と三年間芸能活動を休んで子育てに専念したという。
 よい選択だったのだろう。団塊世代とか団塊チルドレンとか言われるし、私も放言してしまう。しかし、中にあるのは一人ひとりの人生ではある。

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2007.03.15

[書評]アフターダーク(村上春樹)

 もう少し間をおいてから読むつもりだったのだが、なんとなく夜というものにつられて「アフターダーク(村上春樹)」(参照)読んでしまった。日本では長編という扱いになっているのだろうか。しかし長編というほどの重さはなく、さらっと数時間で読める。私は朝を迎える前に読み終えてしまったのだが、できたら、そのまま渋谷の深夜でぶらぶらと彷徨して読みたかったようにも思う。街の深夜が、いとおしいというのでもないが、とてもキーンに感じられた。

cover
アフターダーク
 この作品も従来の春樹らしい作品だと言える。あるいは言えると思う。冒頭の「私たち」の映画的な、あるいは無人称的で超越的な(吉本隆明のいう世界視線のような)視線を維持する文体が少しばかり従来の村上春樹とは違った印象も与えるが、展開されているエピソードと会話はむしろ初期の村上春樹の短編を特定の主人公に寄りあわせたようになっており、その意味では短編集という趣も感じられる。
 作品の統一性を与えているのは、眠りのなかの、そして眠りのなかで目覚めたように隔離された空間に置かれた浅井エリという女性の存在だ。この女性がこの作品にとって、なんと言うべきか、ラカンの言うファルスをマイナスにしたような象徴として、物語の、暴虐とFlavor of Lifeとでもいうような人の香りの二極を統合している。あるいは、みみずくんとかえるくんを統合したように深く存在している。「私たち」という視線は都市と闇を作り出すことで、このマイナスのファルスに魅了されている……そのことが仮面の男として導出されているのだろう。私たちは都市の闇のなかにあって仮面を剥ぐときに、白川でもあり高橋でもある。あるいはその関係性において郭冬莉であり浅井マリでありうる。
 この両義的な奇妙な構造のなかで、かろうじて世界を分節しているのが、おそらくエリを閉じこめるテレビ映像に象徴される「情報」と、無名の視線としての「私たち」による「逃げろ」と叫ぶ「ルール違反」だ。おそらく後者の「ルール違反」のなかにこの時期の村上春樹のぎりぎりのコミットメントがあるのかもしれないが、おそらくそのコミットメントは、中国人売春組織の「わたしたち」とひらがなで書かれる存在の、携帯電話という情報装置を介した脅迫のコミットメントとバランスしている。あるいは、そうさせているところが、村上春樹が凡百の文学者と異なるところだろう。別の言い方をすれば、彼は文学の中に逃げてはいないし、薄っぺらな倫理のなかにも逃げていない。
 作品のディテールも非常に面白いものだった。村上春樹は国際的な作家であり、高橋の、まるで翻訳を想定したようなぎこちない会話の不自然さは際だつ。しかし反面、現代日本人でしか理解しえない、日本都市の屈曲した、あるいは倒錯した細部が多彩に描かれている。例えば、なぜ「タカナシのローファット牛乳」なのか。私は高橋のようにコンビニで牛乳を選ぶ人なのでそこに込められた細部を読み取ることができる。また、私はイヴォ・ポゴレリチのファンなので白川のようすの細部を読み取る。
 こうした細部は作品を単純に豊かなものしているかというとそうではない。逆説がある。その一番顕著な例がライアン・オニール主演の「ある愛の詩」についての断片だ。

「貧乏もさ、ライアン・オニールがやっているとそれなりに優雅なんだ。白い厚編みのセーターを着て、アリ・マッグロウと雪投げなんかして、バックにフランシス・レイの感傷的な音楽が流れる。


「で、そのあとはどうなるの?」とマリが尋ねる。
高橋は少し見上げて筋を思い出す。「ハッピーエンド。二人で末永く幸福に健康に暮らすんだ。愛の勝利。昔は大変だったけど、今はサイコー、みたいな感じで。ぴかぴかのジャガーに乗って、スカッシュして、冬にはときどき雪投げして。一方、勘当した父親の方は糖尿病と肝硬変とメニエール病に苦しみながら、孤独のうちに死んでしまうんだ」
「よくわかんないけど、その話のいったいどこが面白いの?」

 村上春樹は高橋に話をよく覚えてないと一応言わせるのだが、作為である。ここで語られる「ある愛の詩」はまったくでたらめであり、「アフターダーク」という作品の「いったいどこが面白いの?」という批評性を逆手に取っているのだ。言うまでもなくこの冗談のようなゆがみが村上春樹にとって意図されていたことはライアン・オニールが強調されていることでもわかるだろうし、おそらく、英米圏の批評家の視線を読み込んでいる。余談だが、最近ライアン・オニールはロサンゼルス近郊の自宅で息子のグリフィン・オニールに拳銃で発砲したとして地元警察に逮捕された。彼ならやりそうなことであり、それゆえに「アフターダーク」に選ばれている。

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2007.03.14

[書評]アルジャーノンに花束を(ダニエル・キイス)

 え、読んでなかったのとか言われそうだが、この本との関わりもいろいろ因縁のようなものがあった。先日「極東ブログ: [書評]海辺のカフカ(村上春樹)」(参照)を読み返し、その登場人物のナカタになにか心がひっかかるなと思って書架を見ると、「アルジャーノンに花束を(ダニエル・キイス)」(参照)がおあつらえ向きにあった。今なら読めるかと読んだ。読めた。

cover
アルジャーノンに
花束を
 この本は考えようによっては随分昔から私の元にある。七〇年代からあったかもしれない。この間何度も引っ越ししても蘇生してくる、といって同じ本ではない。今回読んだのは九九年版の文庫だ。購入した記憶がない。貰い物かもしれないが誰に貰ったかの記憶もない。以前の本も、お前これ読めみたいなことだったと思う、というか、なんかよくわからないが私の回りの人が私にこれを読ませようとしてきた。長年書架にあるので、たまたま書架を見た人が、これいいんですよねとか私に共感を求めるのだが、その都度困惑する。読めてないのだ、私。チャーリーが知能アップするあたりで、くだらねとかいつも放り出してしまう。
 今回読んでみて、いろいろとわかった。その理解にちょっと泣けるものがいろいろあるし、あまりディテールには書きたくないので、アバウトに言える点だけ言うと、私という人間は知能アップしたチャーリーのように人を傷つけまくっていたのだろうなというのはある。ごめんな。
 そういえばキイスと宇多田ヒカルが文藝春秋で対談をしていたのはいつだっただろうか。なぜ対談してたんだっけと、調べてみてなんとなくわかったのだが、この物語の本案か何かがテレビドラマだったのだな。へぇである。ちなみにあの対談はと調べると、00年一月か。とすると宇多田ヒカルが一六歳くらいか。「アルジャーノンに花束を」読後に先日NHKの対談番組に出た彼女とその歳の彼女のことを考えるといろいろ思うことはある。Blueという曲からもその思いが察せられるが、さておき。
 「アルジャーノンに花束を」の基本的な解説は不要だろう。あるいは、ウィキペディアの項目にあらすじがあるにはある(参照)ので、未読の人は参考にするといいかもしれない。私としてはちょっと違和感があるが。
 というのも、この物語、ようやく読めて、面白かったのだが、これまで読めなかった理由、頓挫していた理由、もなんとなくわかった。今回読めたのは、頓挫地点を越えて、私なりにこの物語の主題がわかったからだ。「私なりに」という大きな限定を謙遜の意味でつけておくのだが、この物語は母子の物語なのである。ウィキペディアとかのあらすじにある仕掛けとか、知性によって思いやりが云々とかそういうのは、たぶん、それほどどうという話でもない。
 普通の若い夫婦がいた。普通に生きられるはずだった。ところが知的障害児の男の子が生まれた。その悲劇に翻弄されるようすがこの本でよく描かれている。若い妻は自分に問題があるのではないかと思いつつ次の子供を産む。健常児の娘である。そしてその娘と知的障害の兄と母との関係は複雑になる。この複雑さが刃傷沙汰に及ぶのだが、こうした悲惨な展開は実はそう不思議でもない。偽悪的に言いたいわけではないが、同じような境遇にある人にとってこんな悲劇はよくあることなのだ。そして一生その悲劇を負って生きていく。こうしたことはあまり世間では語られない。語れない領域だ。世の中にはこんな悲惨があっていいのかと思いながら世間では語れないことがいろいろあるものだが。
 「アルジャーノンに花束を」はそうしたとてつもない世間の悲劇というのを暴露するのにチャーリーという仮構を使った、と私は読んだ。その意味で、チャーリーが知的障害児であるという設定は装置としては面白いし、おなじ装置がキイスお得意の多重人格的なフレームに流れ込むのはそうした点から当然のことでもあったのだろう。
 この物語が基本的に母子の物語であるというのは、チャーリーに付きそうアリス・キニアンとフェイという二人の女性との性関係にも強く陰影を落としている。恋愛というものの中に病理として現れる母子関係についてもかなり洞察が込められている、が、そこには救いはない。いや、知能を失ったチャーリーがキニアンに最後の思いを残しているがそれは、彼という母子関係の中の不幸の、いや、ある救済であるかもしれない。
 チャーリーが、老いて他人のような父母と再会するシーンは、なんというのか、人間五十年も生きていると、いろいろじんわりくる。ぶっ殺したいほど憎んでいた肉親もこんなに弱い人間にすぎなかったのかと知ることは、つらい。
 アマゾンの素人評にはこの書籍の感想が百を越えて掲載されていた。私は私のような読み方をする人がいるのか全部読んでみた。作品というのは、多様に読まれうる。正しい読みがあるわけではない。ただ、私のような読みの人はいなかったようだ。でも、それはそれでいいのだろうと思う。

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2007.03.13

ゴルゴンゾラチーズのはちみつがけ

 「やあ、元気かいマルコ少年」
 「やだな、少年じゃないですよ、三十過ぎてますよ」
 「嫁は見つかったかね、バレンタインデーはどうだった?」
 「そうだ、そろそろホワイトデーじゃないですか。手作りのホワイトデーのなんかレシピやってくださいよ。簡単なやつを。お願いします。」
 「じゃあ、ゴルゴンゾラチーズのはちみつがけ」


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 作り方は簡単。ゴルゴンゾーラチーズをスライスして、くるみのチップとレーズンをぱらぱらと載せて、そこにはちみつをかけるだけ。スプーンで食べる。
 デザート、というか、ドルチェ。でも、赤ワインにも合う。
 適当に作ってもそれなりに美味しいと思うが、人によってはゴルゴンゾーラを受け付けないので、そのあたりはちょっと好みの探りを入れておくといいだろう。でも、「青カビチーズって好き?」とかべたに聞くのはどうかな。というか、この手のものを受け付けるかどうかは食の傾向を見ているとわかるものだけど。
 経験的に言えば、このあたりの味覚を好む女性はなにかとモアベター(激しく死語)。
 食べてみるとわかるけど、青カビチーズから想像したのとは違った、えっ?という味わいがある。チーズとクルミとレーズンの食感のハーモニーも楽しい。
 いくつか補足。
 ゴルゴンゾーラはピカンテ(辛い)とドルチェ(甘い)がある。普通に作るなら、ドルチェがいい。乳質が決め手なのであまり安くないのがよい。ゴルゴンゾーラ・ドルチェ自体がとても美味しい場合は、はちみつとトッピングスは控えめに。
 ピカンテでもできるが薄くしてはちみつをやや多めに。この場合はトッピングスは多くてもいい。
 最大のポイントははちみつ。これだけはできるだけ上質なものを選ぶこと(当然ちと高い)。ちなみに私はオレンジはちみつが定番。
 クリーム系のチーズとはちみつはけっこう合う。
 くるみはスーパーのお菓子コーナーにある。レーズンも同様なんだけど、これも実は凝るといろいろある、けど、そのあたりはバランス。
 くるみもはちみつと合う。というか、ナッツは意外とはちみつに合う。はちみつ漬けにしてもよい。

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シェフとマンマで
イタリア料理
 このレシピは私のオリジナルではなくて、「シェフとマンマでイタリア料理―レストランの味わい、家庭料理の温かさ」(参照)より。
 応用編。
 バゲットにゴルゴンゾーラを塗るようにつけて、それにはちみつをたらすというか軽く塗る。これはちょっと変わった前菜に。
 ゴルゴンゾーラでピザにしてサーブするときにはちみつをたらす。
 このチーズケーキバリエーションもあり。

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2007.03.11

[書評]海辺のカフカ(村上春樹)

 ようやく読めたということに個人的な感慨がある。長いこと読めなかった。私事めくが私は村上春樹の熱心な読者で十年前までは初期の作品のほぼコンプリートなライブラリーを持っていた。後に「回転木馬のデッド・ヒート」(参照)にほぼ収録された『IN・POCKET』も全巻持っていた。が、ごく僅かを残して捨てた。彼が国分寺で経営していた喫茶店ピーターキャットにも行ったことがある(もっともそのときの店主の記憶はない)し、その他、彼が住んでいた地域や「遠い太鼓」(参照)の異国の町まで見聞したこともある。それほど好きだった村上春樹の文学がぱったりと読めなくなった。

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海辺のカフカ (上)
 私に二つの事件が起きた。一つは期待していたというかあまりに期待していた「ねじまき鳥クロニクル」(参照)の第三部「鳥刺し男編」(参照)にぶっち切れしてしまったことだ。私はこの作品は二部までの力量で最低でも五部まで続くと信じていた。ひどく裏切られた。その後、読み返してこの三部完結もありかなとは思ったが、先日読んだジェイ・ルービンの「ハルキ・ムラカミと言葉の音楽」(参照)でこの「ねじまき鳥クロニクル」第三部の英訳のいきさつを知り、当然だろうなとは思った。あのころちょうど私が沖縄に出奔した時期でとにかく荷物を減らそうとしていたのに当時出ばかりの大部二冊をこれだけは別だと宝物のように扱っていた。思い入れが強くて裏切られたというかありがちな馬鹿な恋愛みたいな感情だった。
 その後東京(地下鉄)サリン事件が発生し、ある意味で「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」(参照)の予言のようなものが的中した。神戸の震災といいサリン事件といいそれが春樹の文学に決定的な意味を持つことはわかった。だが、「アンダーグラウンド」(参照)と 「約束された場所で」(参照)に奇妙な違和感は残った。他方震災の影響作である「神の子どもたちはみな踊る」(参照)は春樹への期待を復活させるすばらしい作品だった。
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海辺のカフカ (下)
 もう一つの事件はまさに「海辺のカフカ」に関係する。これが出たとき体調を崩してというか主観的には死にかけていたこともあり、特定のジャンルの読書ができなくなった。特に、「海辺のカフカ」がまったく読めないことに愕然とした。もちろん、文字面はなんとか読むことができる。だがまったくと言っていいほど意味をなさない。くだらないファンタジー小説を無理矢理読まされているような感じだった。当時を思うと、自分にとって春樹文学はこれで終わった、少なくとも自分にとっては消えたと思った。その後はなんとなくエッセイなどは他の作家のように読むことがあっても、彼の読者であることはないだろうと思った。ライブラリーを破壊した。それは今もそれほど後悔してない。
 ところが先日、自分が今年は五十歳になるということで漱石の「明暗」を読み返したのと同じ理由で、春樹さんはどうやって五十歳に成りえたのだろうかということが奇妙に気になりだした。私が追っていた彼の文学はだいたい四十代までである。そんなことから今なら「海辺のカフカ」が読めるかもしれないと思い直した。
 呪いが解けるように読めた。
 もともとこの作品は「ハードボイルド・ワンダーランド」の後続的な位置づけの作品だからなのだろうからある程度読書のノリができれば、以前愛読者だった心が蘇る部分がある。ただ、読後、率直にいって、この文体と、あまりに悪ふざけ的な超自然的な展開のご都合主義、メタ批評的な知性主義、その三点はいただけないなと思った。
 ディテール的には、佐伯さんの描き方が薄すぎるのが残念だった。しかし、春樹の長い読者からすれば佐伯さんの消された過去が、おそらく春樹自身の結婚生活の関連もあっていつかテーマになるのだろうという予感はもった。ナカタさんは単的に羊男であろう。そしてクロニクルの間宮中尉の陰影も多少持っている。そうしたスジでいうのなら「僕」は初期三部作の「鼠」であろうし、佐伯さんは「鼠」を空しく待っていたその恋人だろう(描写のディテールが呼応している)。しかし、こうした解読はそれほどどうというものでもない。
 作品系列的には「ハードボイルド・ワンダーランド」の後続としてどう読むかで、具体的には「影」と失われた「私」としてのナカタさんの関連がある。佐伯さんが同じく影が薄いことも「ハードボイルド・ワンダーランド」との関連があるのだろう。が、たぶんその後続的な主題は失敗したと見てよいのではないか。「ねじまき鳥クロニクル」で象徴をとっちらかしておきながらそれを批評というか出版界というか特に海外の批評が甘くしすぎていることの悪いツケが「海辺のカフカ」に集約されたようにも思える。
 作品中出色なのが星野青年で、「海辺のカフカ」のビルドゥングスロマンは「僕」よりも星野青年にある。このあたりからまた次の文学が生まれるのだろう。大島さんについてはちょっと間違ったキャラクターだろう。彼または彼女の闇のような部分はうまく表現されていないし、使いこなせていない(例えば大島さんにとって佐伯さんの死・喪失の意味)。
 全体としてオイデプス神話のパロディのフレームを持っているのだが、父を殺し母を犯すという点までは、ある意味でありがちなべたな展開なのだが、文学的にはむしろ「姉と交わる」という点であり、「さくら」との関係が重要になると思う。単純に言えば、「海辺のカフカ」という作品は謎解きをしたくなるようなだまし絵でありながら、その表象の構造的な部分というのは、ただのがらくたなのだ。なんの意味もない。およそ文学者に良心というものがあれば、このがらくたは廃棄されるべきものであり、その廃棄の倫理性のなかで「姉と交わる」という予言と「さくら」への近親相姦幻想が置かれている。この点はかろうじて春樹が倫理的な作家だということになる。誤解されやすいのだが、近親相姦を幻想に返したことが倫理性なのではなく、その幻想性が作品の幻想性より強く描かれている点が倫理的なのだ。
 そして各種象徴が象徴の戯れを越える臨界にあることを示す指標が「血」であり、この小説のテーマは「血」であると言ってもいいだろうし、もし各象徴を解くなら「血」から解かれるだろ。
 シンプルな読者として個人的な思い入れには、「世界の縁」がある。

 比重のある時間が、多義的な古い夢のように君にのしかかってくる。君はその時間をくぐり抜けるように移動を続ける。たとえ世界の縁までいっても、君はそんな時間から逃れることはできないだろう。でも、もしそうだとしても、君はやり世界の縁まで行かないわけにはいかない。世界の縁まで行かないことにはできないことだってあるのだから。

 この予言のような言葉は単純な真理だと私は思う。私は思春期ではないが「僕」のように出奔する前に「世界の縁」のような異国の断崖の海岸に立ってみたことがある。それから沖縄では糸満の断崖をよく見に行った。もちろん、ごく小さな私のとってということだが、世界の縁のようなものがそこにあった。「海辺のカフカ」という作品は、ようやくパーソナルに受容できる。

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2007.03.10

バタールでござる

 このところバタールをよく焼く。バタールというかフランスパン系は難しいといえば難しい。味的には自分が食う分にはまあいいかというか、旨ぇという感じなのだが、職人には遙かに及ばない。写真を上げておく。見ればわかるが、あはは、素人だね、である。特にクープの数についてはツッコミ禁止な。

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 バタールはフランスパンの一種。フランスパンについてはウィキペディアの説明が簡素(参照)。


本国フランスではパン・トラディシオネル(pain traditionelle)、または単にパン(pain)と言う。卵、乳製品、油類などの副材料を使わない事が特徴で、それゆえ作り手の技術が味を左右するため、パン職人になる上での難関であると言われる。

 そのとおり。そして、「同じくパン・トラディシオネルを使ったパンでも形や大きさにより名前が違う」ということで、バタールは「バタール(batard 中間の)350g 40cm」ということ。写真の手作りパンはだいたいそのくらい。市販のバタールはもっと軽いのが多いようだ。「中間の」というのは、普通「バゲット(baguette 杖、棒)350g 68cm 」と「パリジャン(Parisien パリっ子)650g 68cm 」の中間というか、いまひとつよくわからない。クープ(切れ目)の入れ方にも決まりがあるらしいが、私は適当。クープのカッターも持ってない。
 我流の作り方だが、そんなに難しいものではないが、簡単とも言えない。まず参考までにウィキペディアに製造例を引用。

小麦粉(フランスパン用粉):100% ドライイースト:1.2% 食塩:2%  モルトエキス:0.4%  ビタミンC:0.1%  水:68%
 
 ⇒ミキシング(スパイラルミキサー L4"-M3" 捏ね上げ温度24℃)  ⇒一次発酵(120分)  ⇒パンチ(ガス抜き)  ⇒二次発酵(60分)  ⇒分割  ⇒ベンチタイム  ⇒成型  ⇒ホイロ発酵  ⇒蒸気焼成(220度30分)

 ちなみに私はたいていはこうする。ビタミンCの量がやや多い。ビタミンCは原末が薬局で買える。

小麦粉(ハルユタカブレンド300g + ファリーヌ100g) ドライイースト:小さじ 1 塩:小さじ 1 グラニュー糖:大さじ 1/2 ビタミンC:耳かき 1 杯程度 水:250CC(+α)
 
 ⇒ミキシング(機械のドゥコースで)  ⇒一次発酵(60分)  ⇒パンチ(ガス抜き)+分割 ⇒二次発酵(30分)  ⇒成型  ⇒ホイロ発酵(度30℃・湿度75%)  ⇒蒸気焼成(220度30分)

 ウィキペディアに製造例とあるように、他にも製造方法はあり、「プロのためのわかりやすい製パン技術」(参照)に簡単な説明がある。パンの原理については「パン「こつ」の科学―パン作りの疑問に答える」(参照)が面白い。パン作りは理屈がわかるとわかる部分がけっこうある。
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プロのためのわかりやすい
製パン技術
 というわけで、こんな本を日頃読んでいる私はパン作りが趣味みたいな人だ。子供のころからパンを作っている。大人になって実家を出てからは食う分の大半のパンは自分で作っている。パンなんて原始的な食べ物だからということでけっこう自分で工夫してパン作りを始めた。パンというのは鍋で焼けるのだ。この鍋パンについて解説したい気もするが機会があれば。
 沖縄暮らしの初期に、三〇代も終わりになってさすがに手コネが難儀になってきたのでベーカリーマシンを買った(参照)。買ってみると便利(現在二機目)。ついでにオーブンも買った。東京に戻ってからは粉も選ぶようになった。昔の野蛮なお手製パンに比べると随分変わったものだなと思う。ちなみに、私の現在の独自パンでお気に入りはライ麦を混ぜるもので、これも機会があったらご紹介するかも。
 さて、バタールの製法だが、ホイロ発酵とか蒸気焼成というのが、普通はできない点。できないわけでもないのだが、そのあたりはかなり難しいと言ってもいいのだろう。蒸気焼成はオーブンを熱したあと庫内に霧を吹くとかする。めんどくさい。ので、パン・トラディシオネルはあまり作らなかった。チャーハンと同じでプロにはかなわないよと思っていたのだ。
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パン「こつ」の科学
パン作りの疑問に答える
 ところが野望がもたげてしまった。きっかけはオーブンが壊れたことだ。十年も使ったから壊れてもしかたないかと。買い換えようかと電器屋に行って見た。そこで、私は現代のオーブンがどのようなものになっているか知って、ちょっとショックを受けたのだ。
 ヘルシオ……塩が減るのか? そんなことはどうでもいい。問題は、これって蒸気焼成のマシンじゃないのか、ってことは、パン・トラディシオネルができるってことじゃないか。まいった。鳩摩羅什の前に現れたあられもないリア・ディゾンみたいに、すべて捨てたはずの欲望が、ずんと思春期のアレみたくもたげてしまったじゃないか。
 負けた。買った。悦楽。私は嘘つき野郎なので遺灰に舌が残ることはないが、このタイプのオーブンはアフィリエイト・リンクで買うもんじゃないよというくらいの良心がちと残っているのでアフィリなし。
 かくしてなんとかバタールも焼けてしまうのだった。子供の頃イーストで蒸しパンを作り、青春時代に鍋パンを作っていたこの俺がバタールかぁ。でも、旨ぇよ。

追記
 ちなみに、パンの全長を短くして一筋にクーペを入れるとクーペ(coupé)になる。これもパン・トラディシオネルの一つだ(パンの種類としてはバタールと同じ)。日本のコッペパンのコッペはこのこのクーペが語源であるらしい。

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2007.03.09

[書評]オーランドー(ヴァージニア・ウルフ)

 人生いつか読む気でいてなんとなく読みそびれた本がいくつかあるが、ヴァージニア・ウルフの「オーランドー」(参照)もその一つだった。
 私がウルフに関心を持ったのは神谷美恵子への関心からの派生だ。神谷美恵子についてはいろいろ複雑な思いがある。私が青春時代、みすずから神谷美恵子著作集が刊行されたことも影響を強くした。私はそれを全部読んだ。次々と刊行される著作集には月報のような冊子があり、そのなかで夫の神谷宣郎が美恵子には著作からはわりえないものがありますという奇妙な告白のようなコラムを書いていたのだが、それは今も痛みのように心に残る。
 この「神谷美恵子著作集4」(参照)が「ヴァジニア・ウルフ研究」である。彼女はヴァージニア・ウルフの研究者でもあり、精神医学者として、そしてある意味で彼女も特殊な女性としてウルフの精神のある何かを見つめていた。そしてその視座のなかに、フーコーの「臨床医学の誕生」(参照)や「精神疾患と心理学」(参照)もあった。フーコーとウルフを繋ぐことで見えてくるぞっとする何か、また、神谷がさらに繋ぎうる現在の悲劇の二人の女性のことは時折考える。それらを「めぐりあう時間たち」(参照)のように繋いでみたいようにも思う。そしてそれらを繋ぐ私はブログ空間のなかに永遠に綴じ込まれて「自省録」(参照)を書くのである。と、どうやら「オーランドー」にあてられたようだ。

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オーランドー
杉山洋子訳
 世界の奇書の十を集めるなら「オーランドー」はその一つに入りうるだろう。五指に入るかどうかはわからないが、まず奇っ怪な物語である。
 物語「オーランドー」の主人公、オーランドーは、一六世紀、テューダー朝末期のイングランドに生まれる。貴族でありエリザベス一世お気に入りの美少年でもある。そして、ロシア皇女とスラップスティックな恋の破綻と、詩人としての挫折を経てトルコ駐在大使となるも、三十歳のある日、七日間の昏睡の後、女性に生まれ変わる。相貌は変わらずだが、肉体は女体となった。特に違和感もなく。もちろん、読者としては違和感ありまくりというのが普通の感想であろうし、この変身譚は、そ・そ・ら・れる。
 そして彼女オーランドーはジプシー(訳語ママ)と共に暮らし、イングランドに戻り、十八世紀のロンドン社交界の話題のレディとなる……ちょっと待ったぁ、オーランドは何歳だ?
 三十を少し越えたばかりである。世間的に奇妙なのはその間、彼というか彼女、オーランドーは数百年を生きているということだ。それでは数が合わないではないかというのなら、オーランドーは人の世の十年に一つ歳を取るのだと考えるとよいだろう。って言われてもねなので、映画「オルランド」(参照)では、エリザベス女王による王は「決して老いてはならぬ」と永遠の若さと命を保つ仕命を与えられたといったストーリーを加え、よりファンタジー風味にしてある。
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オーランドー
ある伝記
川本静子訳
 まとめると、オーランドーは三六〇年間を三六歳(一九二八年現在)で生きて途中三十歳で男から女に変身した。この「オーランドー」という作品は、ヴァージニア・ウルフと同時代まで生きているオーランドーの伝記であり、ウルフはここで伝記作家ということになっている。
 支離滅裂でしょ?
 この物語はしかし、少なからず文学的な嗜好を持つ女性を、敢えて言うのだが、病的に魅了するところがある。その魅了のポイントは男性から女性への変身であり、その両性具有性にある種のフェミニズム的な依拠の感覚を求めてしまうからだ(あるいはもっと純粋に、ヤ・オ・イと言っていいかもしれない)。この訳書の解説をしている小谷真理もそうしたありがちな視点を起点においたせいか、映画「オルランド」との対比においてこう述べている。

(前略)映画版の打ち出す新解釈を鑑賞し、あらためて原作を再読してみて気づいたのは、ウルフの両性具有が最初から雌雄の完全性を備え時に応じてどちらかを使い分けるといった古典的なものではなく、時代の状況に応じて性が変化せざるを得ない点に着目していることであった。

 ウルフ研究者の多くが、オーランドーまたはウルフの視点に無前提に立ち、そしてフェミニズムの文脈に流し込む傾向があるようだが、小谷がここで指摘しているように、時代がオーランドーの性を変化させたと考えたほうがよく、この変化はたった一度のものであり、オーランドーとよばれる個人の性の意識ではなく、時代がそのように個人の性に反映してスキャンダラスに描ける……まさにそのような物語装置としてオーランドーが設定されているのだ。
 これはオーランドーが三百六十歳ということからも必然的に導かれるものだ。オーランドーとは、本書の挿絵写真からもわかるように、ウルフの同性愛対象であるヴィタ・サックヴィル家の家系の人々の総体であり、その家系の最後の悲劇的でもある残照としてのヴィタなのだ。
 オーランドーは、凡庸に描けば、サックヴィル家の人々であり、そしてその現代の女性ヴィタにその祖先を収斂させる仕掛けとして性転換がある。
 オーランドーは、そしてサックヴィル家を越えて、集合的な意識でもある。

(前略)オーランドーはほっと安堵の溜息を洩らし、煙草に火をつけて一、二分黙々とふかした。そして、呼んでもいいかもしれないな、とでもいうようにおそるおそる「オーランドー」と、呼んでみたのである。なぜといって、心の中で(仮に)七十六種類もの時間が同時に時を刻んでいるとすれば、人間精神にはあれやこれや――やれやれ――いったいどれほどさまざまな人間が宿っていることになるのだろう? 二千と五十二人だという説もある。だからひとりきりになったとたんに、オーランドー?(という名の人なら)と呼んでみるのはごくあたり前のこと、つまり、さあ、来てちょうだい! 私は今のこの自分に飽きてしまっったの。別の自分になりたい、というわけだ。われわれの友人がまるで別人になることがあるのも、このためである。とはいっても、そうやすやすと変身ができるわけでもなくて、オーランドーのように(都会から田園にやって来たのだがからきっと別の自分を必要したのだろうが)オーランドー?と呼んでみても、求めるオーランドーは来ないかもしれない。

 人がその人を包む逃れられない、選択不可能な時代というものを意識するとき、その時代の歴史根底は無数の人(死者)となって私を構成しはじめる。私はそのそれぞれにおいて、死者をよみがえらせ、変身する。肉体を得る。
 現代という時代においてその歴史を抱え込んだ意識存在が、肉体的、つまり性的な変身の臨界において女性になっている、という点にオーランドーの主題がある。
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オルランド
特別版DVD
 ではこの滑稽な「オーランドー」という仕掛け(つまりネタ)は文学のためであっただろうか? それともヴィタを面白がらせるための悪い冗談やめれ的な趣向だったのか。どちらかといえば後者であるだろうが、ウルフはここで英国史というものを文体、詩文のなかに流し込んでしまいたかったため(それは時代というものを言葉の象に写し取ろうしたため)、文学の趣向が濃くなってしまった。
 さらに文学というオタ的なものにならざるを得なかったのは、現代的にいえば、「オーランドー」はコミケな作品だったこともある。同人誌である。この作品の序文にずらずらと名前が挙げられている当時のパンクなイカレた知識人が愉しむための文学的な冗談として閉じられて作成された作品であり、現代の携帯電話のチェーンメール的な趣向でもあった。そしてこのチェーンメールのなかにこっそりケインズが潜んでいることも注意してよいだろう。
 ここでヴィタに触れざるを得ないのだが、この部分についてはいわゆる地道な文学研究が進められているので割愛したい。三十六歳はヴィタの年齢である。ウルフは十歳年上だった。

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2007.03.07

[書評]明暗(夏目漱石)

 昨年末”極東ブログ: 漱石のこと”(参照)で漱石が、今の私の年齢である四九歳で死んだことを思い出し、うかつだった、しまった、「明暗」(参照)をまだ読み終えてないぞ、と焦り、手前が五十になる前に読まなくてはと決意していた。そんなふうに本を読むもんじゃないのかもしれないが、先のエントリでも書いたように漱石の文学は自分の人生に決定的な意味をもっていたし、人生の航路に合わせて読んでいこうと決意していた。なにより今「明暗」を読まなくては。そして、読み終えた。

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明暗
夏目漱石
 無性に面白かった。なぜ今まで読まなかったかと悔やまれるかというと、それほどでもない。自分と同い年の漱石と一緒に思索しつつ、対話しつつ読む実感があり、これはかけがえのない喜びでもあった。漱石先生、そうです、五十歳を前に死を覚悟して、この人間世界を見つめたとき、これだけが問題ですね、と。実際の読者の幅としては、三十代前半で読むと、夫婦関係や親族関係などのどろどろがリアルになってよいかもしれない。女性なら二十代で読むと共感するところが多いだろう。
 無性の面白さという点だが、ユーモアがベースになっていることだ。前作「道草」には救いがない。人生何も変わりゃしない、生まれついた運命てふものはある、女なんてものはそんなものだ、といった途絶の感覚があった。「明暗」もその延長にあるのかとなんとなく思っていたのだが、そうではない。「道草」のような独自の中年男的な暗い内省もあるにはあるが、全体としてはトマス・ハーディ的な運命と不幸の仕掛けが、しかしその劇的な光景においてスラップスティック的などたばたとなることで、人間存在そのものの喜劇性がふんだんに開示されている。読みつつ、何度も何度も爆笑した。すげーです、漱石先生、GJ!
 この悪い冗談やめれ的な爆笑の面白さは、ひどく矮小化すれば「鬼バカ(渡鬼)」だと言っていいくらいだ。新聞小説だから大衆を意識して書かれたというのではない。人間関係の悲劇というものにあまりに冷徹に直面してそれを描き上げると、運命と化した筆致が滑稽に極まるものだ。その意味で「明暗」は「我が輩は猫である」と近い作品という要素もあるなと思った。
 特に、主人公津田を見舞いに来る人々の運命の采配に模された部分の小説の企みが巧緻極まっている。これだけ仕組まれた作品なら、未完とはいえ残された断片から最終ピースが完成できると思いたくもなる。最終シーンを決定づけるのはお延の勇気であることは間違いない。また、そのクライマックスは小林の勝利を逆説的に喜劇、つまり喜ばしきものと転じ、津田が蘇生するところにあるのも、ほぼ間違いないように思える。まあ、そのあたりはいろいろな読みがあるのだろうし、未完の唐突が残したプレゼントでもあろうが。
 かつて漱石の作品を読んだように、この小説が私の心にジンと訴えかけてくるものは、漱石の意図そのものでもあるように、世間の人間の醜さとそれに順応すべく本心を隠蔽して生きる大人の権力闘争である。その意味で、この小説は極めて人間関係の醜悪さに満ちているのだが、そこに五十年生きた人間経験の裏打ちがある。漱石は人間関係の虚偽を暴き出すために、真実と運命の鉈をあちこち振り回すのが滅法面白い。そうした小説的な人間の真実というものの、世間ずれした凶暴性は、なんのことはない日常性のなかに隠れているのだし、この小説では津田の思い人清子の転心は、むしろ実験小説的な仕掛けでもあっただろう。が、小説上の仕掛けとして見れば、書かれなかった結末に関係するだろうが、対津田というより、吉川夫人への反意かな。
 現実の一人の中年男としてこの小説を読むと、私自身が津田に近いメンタリティがあるせいか、いつまで経っても青春へのケリの付けられなさや女との関係性みたいものが、胸にちくちくくる。いやぁ、これは痛い、と。
 それにしても、これはすごい小説だ。こんなものを近代日本人は読み続けながら、大正・昭和初期があったのだろうなという歴史の感覚も再考させられた。特に女たちはこの小説をどう読んできたのか気になった。「明暗」に描かれる女は現代の女とほとんど変わらないように思える。あるいは西洋人の心性にも近い。余談だが、お延の相貌は寺島しのぶに思えてしかたなかった。
 あと数点。
 この小説は非常に色彩に満ちている。なぜこんなに絢爛なのだろうかと不思議にすら思った。漱石の美観というのを考え直したくなるほど。
 「明暗」はインターネット上では現在青空文庫に収録されている(参照)ので無料で読むことができる。難しい言葉や言い回しは字引に当たれば粗方わかるだろう。が、新潮文庫版は註の良さとしてお勧めできそうだ。あと、小説慣れしてない人なら、登場人物のリストをウィキペディアから取り寄せて栞にしておくと読みやすいかも。ちょっと手を入れておく。

津田由雄
 主人公。三十歳の会社勤め。美男子だが痔主。会社の上司が吉川。
お延
 津田の妻。二十三歳。新婚半年。夫に愛されているか疑念を持つ。お嬢様育ち。
お秀
 津田の妹。美人。津田と兄弟らしい愛憎の心理を持つ。
吉川夫人
 津田の会社の上司の妻。四十代。デブ。津田に清子を紹介、後にお延を紹介する。
岡本家
 お延の親代わり(つまり事実上実家)。伯母はお住。夫は吉川と友人関係にある。
藤井
 津田の叔父。文筆家。津田の親代わり。子に真弓、真事らがいる。
小林
 津田の悪友。津田のようなプチブルからするとうさんくさい人間の象徴。
清子
 かつて津田と愛し合ったが、一年ほど前に別れ、関という男と結婚した。

 私は新潮文庫を購入した。巻末解説が柄谷行人なんで、うげと思い岩波文庫を手にしたらそっちの解説のほうがドンビキだったので、結局新潮文庫にした。新潮文庫のは注解が煩くない程度に入っているのだが、要所でさりげなくきちんと読者を指導するメモが含まれて驚いた。柄谷が入れたのだろうか。
 清子の流産について津田の子供という可能性はないかちと考えた。

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2007.03.06

バイラルアドってマジっすか

 昨日の日経新聞のニュースにバイラルアドの参入とニフティが運営するブログの関連の話があり、え?それってマジっすか、ニフティが運営するブログってここの、ココログだよね、とちょっと引いた。詳細がわからないまま、ぼけっと一日が過ぎてもなんとなく気になるのでメモ書き程度だけど書いておこう。
 まず、バイラルアドって何よ?だが、この手の用語ならたいていはある、はてなキーワードにもなさげ。ぐぐっても「インターネットが持つ伝達スピードを利用して企業の商品やサービスに関する広告を消費者による口コミで広がることを目的としたマーケティング手法」と、なんですかぁ?みたいなものしか出てこない。
 これって、まずもって、viral advertising の略でしょと推測するのだがなぜか解説がなさげに見えるのは、直訳して「ウイルス広告」とされるのがまじーと思われているからだろうか。でも、これはウイルス広告である。ウイルスのようにインターネットを使って人々に感染していくように広まる広告ということだ。というあたりで、そうだウィキペディアにはあるかもと引いてみると、あった(参照)。


Viral marketing and viral advertising refer to marketing techniques that use pre-existing social networks to produce increases in brand awareness, through self-replicating viral processes, analogous to the spread of pathological and computer viruses. It can often be word-of-mouth delivered and enhanced online; it can harness the network effect of the Internet and can be very useful in reaching a large number of people rapidly.

 つまり、ミクシみたいな既存SNSで感染するというのが一義的なイメージのようだ(そのわりにはミクシがそのように活用されているふうでもないな)。word-of-mouthともあるが、そういえば、日本語的には「クチコミ」っていうのに近いのだろう。

Viral marketing sometimes refers to Internet-based stealth marketing campaigns, including the use of blogs, seemingly amateur web sites, and other forms of astroturfing, designed to create word of mouth for a new product or service.

 ステルス・マーケティングとも言われるとあるが、敵からは見えないように広める広告でもあり、ここではブログも使われるよとある。ということころで、バイラルアドはブログにも関連している。
 話を戻して、昨日の日経新聞の記事だが、ネットを探すと”クチコミで広げるネット広告「バイラルアド」参入相次ぐ”(参照)がそれだ。が、これだと、動画CM配信っぽいのがバイラルアドのようでもある。

ユニークな動画広告をネットに掲載、個人のブログ(日記風の簡易型ホームページ)へ簡単に転載できるようにする。

 別に動画と限らないと思うのだが。で、問題の核心だが。

 ニフティが500万以上のブログサイトの書き込み内容を分析して、広告主のファンや影響力が強い人を抽出。ロカリサーチがその人たちに広告掲載を依頼し、紹介記事を自由に書いてもらう。視聴回数などを測定し、広告掲載前後で広告主への評判がどう変化したかも報告する。料金は1カ月間に10万回視聴で500万円程度が目安。2―3年後には20億円以上の事業に育てる。

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口コミ2.0
正直マーケティング
のすすめ
 というわけで、このココログの運営をやっているニフティがブログを広告媒体として、つまりファームのように見なして、ビジネスをしようということなのか。気になったのは、「広告主のファンや影響力が強い人を抽出」ということであり、それに選ばれてウイルス広告を掲載すると広告料がゲットできる、ということだ、ウッシッシ(死語)。広告の影響力だが、一か月間で一〇万回というなら、ちょっと有名ブログサイトでクリアできそうでもある。ほいで五〇〇万円、いや、その何割かが入るとする。仮に一〇パーセントだと月五〇万円、ちょっとブログに転職しようかなくらいになる。そーいくもんかいなたこかいな。
 二つ気になったのだ。一つは、これっていわゆる無料ブログが対象なのだろうか。ちなみに、このブログは私がココログにお金を払って運営しているのであって無料ではないです。もう一つは、その広告媒体に例えばこのブログが選ばれるか? 前者については、よく考えると別に無料ブログだろうが有料だろうがあまり関係ないか。後者については、どうなんだろ。べたに言って、どのくらいの金銭インセンティブで資本主義に魂を売り渡すのか……オレ。いや、冗談。
 けっこうマジで考えたのは、仮にこのブログにバイラルアドが付くとして、その場合、私はエントリをどのように書いたらいいのだろう、ということ。私の率直な印象だが、「これは広告貰って書いたエントリです。松山猛が偉そうに文春に書いているあれみたいなもんす」とか前書きというかコーションを入れるしかないだろうなと思う。
 で、そんなもの読みますか? つまり、広告が意図で書かれたエントリ。
 それ以前に、そう言明(これは広告エントリだよーん言明)したらステルス・マーケティングにはならないわけだ。つうことは、もし効果的にやるなら、finalventさんブランドみたいので閲覧者を騙すしかないということになる。いや、それはちょっと、や・だ・な。(っていうか、無理だろ。)
 現実問題として、そんなオファーは来てないし、来るとも思えないので、悩むほどの問題でもないかもしれないが、が、というのは、そういうステルス・マーケティングのブログというのは増えるだろうし、そういうブログの場合は、ブロガー自体の人気がブランドにならざるを得ないのだろう。
 そんなブログが興隆するだろうか? 
 特定の分野にならないわけもないか。
 ところで、このロカリサーチってどんな会社かと思って調べてみて、ちとびっくり。というのは、”ロカリサーチ | 会社概要”(参照)を見たら、「代表取締役 伊藤直也」ですてばさ。えええぇっ!
 いや世の中そーゆーことになっていたのかとさらに調べたら、ロカリサーチの代表取締役さんは”DIGITAL HOLLYWOOD PARTNERS / フォーラムの詳細”(参照)にお写真があり。

インターネットコンテンツ企画会社にて勤務後、2003年より、慶応義塾大学SFC研究所訪問所員として、メディア報道・インターネット掲示板における企業・商品へのジャーナリスト・消費者の評価を定量的・定性的側面から研究。

 だそうで、あれ?
 私が当初思ったこのかたは、切込隊長BLOG(ブログ)エントリ” - 本当に技術が必要とされる現場にgeekがいない”(参照)の。

伊藤直也氏というと、顔はゴツいけど著名で実力のあるネット技術者であり、彼をDISりに来た人がDISる前に「あー、どうせ俺もうだつの上がらないIT技術者ですよ」とか萎えてしまうほどの力量の持ち主である。

 はてなキーワード”伊藤直也とは ”(参照)を見ても別人っぽい。

ニフティ株式会社を経て平成16年9月株式会社はてな入社。青山学院大学物理学修士。

 別人のようだ。んなことは業界では当たり前でしょうし、ご本人の名刺交換などもお済みかと、「はじめまして、伊藤直也です、はじめまして、こちらこそ、伊藤直也です」てな。

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2007.03.04

配偶者や恋人に癒して貰いたいのは中年男

 天気がよいので少し遅いのだが梅を見に行った。お目当ての梅はいいのだが広い公園に辿り着くと犬が多いのにあきれた。野犬ではない。ペットである。ペットとお散歩族というのはこんなにも多いものなのか。家族連れというよりペット連れという世界にいつからなっていたのだろうか。

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家族ペット
やすらぐ相手は
あなただけ
山田昌弘
 私は犬が嫌いというわけでもないが、公園を歩くのに犬に気をつけるというのは妙なものだなと思いつつ、一休みということで暖かい缶コーヒーをベンダーで買ってベンチで座り、少しむこうにある子供の遊具を見ていたのだが、いや、正確に言うとそうではない。大人の人集りがあり、なんだろう蝦蟇の油でも売っているのかという雰囲気なので覗いてみたら、子供の遊具であった。子供より周りで見守る大人の数のほうが多いのである。
 そして子連れの雰囲気を見ていると、どうもペットの延長のようにも思えてきた。まあ、それがいけないわけでもないのだけど、なんだか変なもの見ちゃったなという感じがして、早々に散歩を切り上げることにした。
 そういえばと心に何かひっかかるものがあり、しばし考えてからNHKの番組案内誌ステラの記事を思い出した。日本のマジョリティとかいう番組らしい。私はその番組は見たこともないのだが、二月二七日のテーマ「ストレス」のアンケートがまとめられていた。項目は五つある。①ストレスのいちばんの原因は? ②いちばんストレスを感じる「待ち時間」は? ③最も癒してくれる相手は? ④ストレスを感じているときあなたは? ⑤最も働きやすそうなオフィスの形態は? 
 ストレスの原因は人間関係、そして仕事や勉強、というのはわかる。言うまでもない。待ち時間のストレスはレストランとATMだそうだ。そういえば、ATMに並ぶ人を見掛けることが多くなった。銀行統合のせいだろうか。レストランで待たされるのほうはあまり実感はない。ストレスを感じてどうするかというと、やけ食いより食欲減退だそうだ。という感じでふーんそうだろみたいな回答が多いのだが、え?というのは③だった。
 誰が癒してくれる? 単位はパーセント。対象は四千七百三十六人。

配偶者や恋人     31
子供         17
親や兄弟       8
友人         13
ペット        26
観葉植物       5

 癒してくれるのは、一番は、配偶者や恋人かぁ。まあ、そうかなと思う。そりゃよかったねである。で、次がペットなのか。しかも、配偶者や恋人にやや劣るくらいか。子供や友人はあまり大した効能はなさげ。
 ここまでは、え?なんて驚きはないじゃないかみたいだが、真理の残酷な響きはこの先なのである。補足がある。

配偶者や恋人と答えた男性は30代25、40代28、50代31、60代以上34、女性は30代27、40代28、50代19、60代以上18。

 つまり、男にとって女は歳を取るにつれていっそう癒してくれる対象となるだが、女にとっては40代までは似たようなものだけど、50代からがくんと男癒し度がペット以下に下がるようだ。そ、そうだったのか?
 繰り返すけど、男はいつまで経っても妻に癒してほしいのだけど、妻のほうが50歳を過ぎると、ちょっと少し引くわ、みたいなものなのだろう。
 で、疑問が沸く。これっていうのは、いつの時代でもそんなものなのだろうか。つまり、一通り子育てが終わると夫婦関係は変わるみたいな。それとも、これっていわゆる団塊世代の特徴なのだろうか。
 どうなんだろう。あるいは、団塊世代と限らず、団塊世代以降もこんなものというか。
 加えて、団塊世代まではというか団塊後世代の私の世代まではまだまだ普通は二十代で結婚しているから五十代にもなれば子離れする。が、現在は晩婚化していて、子離れも十歳は上にシフトする。
 すると、どうなんだろ。いや、なにがどうなんだろっていう問題でもあるのだが、どうも、奇妙な光景という感じはする。というか、ざっくばらに言えば、女性は中年以降、心の癒しはペットという世界になっているのではないか。

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2007.03.02

民法七七二条を巡る愚考

 先日、民法七七二条の離婚後三百日以内に生まれた子の扱いを理由に、新しい夫の子として戸籍登録ができない乳児に対し、足立区が特例で住民票を作成したというニュースがあった。例えば、”「300日規定」で戸籍ない乳児に住民票 足立区が特例”(参照)など。


 「離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子」とする民法の規定により、戸籍に登録されていない東京都足立区の乳児に対し、同区が住民票を作成していたことが27日、分かった。住民票がない状態では、児童手当を受けられないなどの不利益が生じることを考慮し、区が住民基本台帳法を根拠に、特例として認めた。

 私が気になったのはニュースの発生経路だった。朝日新聞によると二七日わかったとしているが、出生届を出そうとしてトラブルが発生したのは一三日である。その二週間にどのような経緯があったのだろうか。時事によると(参照)「28日までに分かった」と一日朝日新聞に遅れた。足立区が二七日に公式発表でもしたのだろうか。
 気になるのは、二五日に関連の電話相談のイベントがあったことだ。朝日新聞”民法の「離婚後300日」規定、電話相談に切実な声”(参照)より。

 家族法に詳しい弁護士らが25日、離婚後300日以内に生まれた子は「前夫の子」と推定する民法772条の規定をめぐって電話相談を実施した。


 相談は18件で、うち13件が女性。報道や国会で取り上げられるまで規定を知らなかったという人が、ほとんどだった。

 全国相談なのだろうか、全件数が一八というのも少ないような気がする。そしてこの相談は足立区のケースと関係していたのだろうか。関係したとする報道はないのだが。
 テレビユー福島”離婚後300日問題弁護士無料相談 ”(参照)ではこう。

この無料相談は、民法の問題に取り組む東京の市民団体が主催したもので、25日は6人の女性弁護士がおよそ3時間にわたって数十件の相談を受けました。

 実施は三時間だったらしい。どのように相談者に知らせれていたのだろうか。どうも経緯がよくわからない。
 さらに関連として二七日の読売新聞”離婚「300日」規定の苦悩”(参照)にはこうある。

 この「300日問題」に悩む女性を支援するNPO団体「親子法改正研究会」(大阪市)は先月、法務省に法改正などを求める要望書を提出した。別のNGOが今月25日、無料の電話相談を実施したところ、これから出産予定の女性だけでなく、前妻の子供の名前が自分の戸籍に記載されてしまったことに悩む男性からの相談もあったという。
 事態を重く見た法務省も実態調査と救済策の検討を始めた。

 「事態を重く見た法務省」という流れもよくわからない。大手紙の社説としては二七日毎日新聞”嫡出推定 時代変化に応じた見直しを”(参照)がある。

 「結婚から200日後、離婚から300日以内に生まれた子は夫婦の嫡出子と推定する」との趣旨の民法772条をめぐり、実情にそぐわず弊害が生じているとの指摘が相次いでいる。国会での議論も始まり、安倍晋三首相も検討する方針を表明した。

 「相次いでいる」の背景がやはりはっきりしない。なお、「安倍晋三首相も検討する方針を表明した」は、二三日の衆院予算委員会集中審議での、自民党野田聖子氏への答弁によるもの。
 ところで話はずれるのだが、今回問題になったのは、「離婚から300日以内に生まれた子」の問題なのだが、毎日新聞社説にあるようにこの法律は「結婚から200日後」にも規定している。つまり、「夫婦の嫡出子と推定する」には、結婚から二百日経っていないといけない。当然、できちゃった婚の子はそう推定されないことになる。同社説は「それにしても、結婚、出産という重要な規定なのに、周知徹底されていない現実に驚く」とびっくらしているのだが、できちゃった婚のほうはご存じでしたか?
 と、実はこれは問題にならない。できちゃった婚は事実上まったく問題ない。結論だけいうと民法のこの規定は空文になっている。ならなんで「離婚から300日」がそうならないかという問題があるなのだが、その問題には突っ込まず「結婚から200日後」の話に移る。
 民法七七二条の「結婚から200日後」が空文になっている由来は難しいといえば難しい。私も勘違いしているかもしれないと思うので、無知をデバッグする意味でもちょっと書いておきたい。
 ネットを見渡すとこの話題はあまり見当たらない。探し方が悪いのかもしれない。重要なのは「鳥取県米子市の行政書士今田重治の日記」のエントリ”死後懐胎子は他人(その5)”(参照)の脱線部分の話である。できちゃった婚について。

(同棲中のカップルや いわゆる「できちゃった婚」で、概ね妊娠5か月位以降に婚姻届を提出した場合には、婚姻の成立の日から200日以内に出産を迎える事になります。)

この場合に生まれた子については、本来は「非嫡出子」として出生届をしてその旨の戸籍の記載をした上で(母と既に婚姻中である)父が認知をすることによって嫡出子の身分を得て(民法789条2項・認知準正)戸籍の記載を変更するか、父が胎児認知(民法783条1項)をしておいて嫡出子として出生届をするということになる筈です。


 これが現状認められている。法改正もなくそうなっている。余談だが、現状ではできちゃった婚は全体の四分の一も占めるのではなかったか。
 ところで、このできちゃった婚はオッケーの経緯なのだがこうだ。昭和一五年の話になる。

 大審院は、「内縁の妻が、内縁関係の継続中その夫により懐胎し、適法に婚姻をした後に出生した子は、たとえ婚姻の届出とその出生との間に200日の期間を存しない場合でも、出生と同時に嫡出子の身分を有する。」(昭和15年1月23日 大審院民事連合部 民集19巻1号54頁)とし、
 又、婚姻届出後149日後に分娩した子につき「母の夫との父子関係を否定するには、嫡出否認の訴えではなく親子関係不存在確認の訴えによる。」(昭和15年9月20日 大審院 民集19巻18号1596頁)としました。
 これを受けて司法省は、戸籍取り扱い実務において、婚姻届出の後に妻の産んだ子は、「非嫡出子出生届」を選択して届出た場合を除き、「嫡出子出生届」によって戸籍に直接「嫡出子」として記載する取り扱いをする様にしました。
 これは、非嫡出子出生届と認知届(準正の手続き)を併せて簡略化した手続きと言えます。

 わかるようなわかんないような話だが、いずれにせよ、できちゃった婚が問題にならないのは、これが背景になっているようだ。
 なんでこんなことが戦前に問題になったのかなのだが、現代から考えると、そりゃ昔だってできちゃった婚だったからでしょ、のようにも思われるが、そうでもない。同日記ではこう説明されている。

 戦前の日本では、「子無きは、去る」などとされ、祝言の後、懐胎して母体が安定期に入って流産の虞が小さくなってから(極端な場合、子の出生届の直前に)婚姻届を出す事も多かったので、出生当初から(胎児認知などという七面倒くさい事はせず、当然に)嫡出子として届出をしたいと言う国民の意思に合致しませんでした。

 この説明だと、家の跡継ぎがほぼ確定というか確定してから婚姻届が出るため、二百日規定に合わなくなるので法律を変えずに運用で変えてしまったということになる。
 ここでちょっと気になるのだが、というか今回この話をおさらいして気が付いたのだが、大審院の扱いではこれは「内縁の妻」についての規定なのだ。ということはお妾さんか?とかふと思うが、ようするに婚姻前でもおセックスの関係があると内縁ということになるという意味なのだろう。お妾さんにも影響しそうだが。
 でだ、先の説明では「戦前の日本では」ということで一挙に「戦前」でまとめられているのだが、これはどう考えても昭和一五年との関係があるでしょう、というのは、こうした日本の跡継ぎ制度はそれ以前から問題になっていたはずだからだ。
 とすると、昭和一五年とこの二百日規定なのだが、先日の朝のラジオでは出征との関係で説明していた。その説明では昭和一五年七月三〇日としていたので、子細は異なるのかもしれない。で、私が誤解しているかもしれないが、出征した夫に夫が知らないうちに子供が生まれてもその夫の子にできるという配慮ということなのだろうか。
 そういう話であればいやちょっと面白い歴史の裏話というか苦笑もできないし面白いですむ話でもない。
 さらに話がずれていくのだが、いずれにせよ戦時の法の運用の影響とかでできちゃった婚の問題は完全にクリアかというとまだちょっと変な話がある。こうした子供の場合、出生後何年後でも「親子関係不存在の訴え」によって父子関係を否定出来るらしい。そういうケースがあるのかわからないが。

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2007.03.01

死刑確定囚が常時百人の時代

 極めて難しい問題なのでスルーしてしまうか少しためらったのだが、気になることは気になるので取り敢えず時代のログとして書いておこう。話題は、死刑確定囚が常時百人の時代となったようだ、ということ。
 大手紙などジャーナリズムでこの問題がどう取り上げられたのかいまひとつわからないのだが、ネットのリソースとしては二月二十日付けアムネスティのアジアニュース”日本:死刑確定囚が100人となる ”(参照)が新時代の到来日について明確にしている。


本日、日本で死刑確定者数が100人となった。アムネスティ・インターナショナル日本は昨今、特に2000年以降、死刑判決が増えている現状を憂慮する。

 ただしアムネスティのニュースは実際にはニュースというより死刑廃止の主張に近いので事実認識の上ではもう少し距離を置いたほうがいいのかもしれない。なので、ネットを探すと、アムネスティを受けた形で二月二六日付けクリスチャントウデイ”国内の死刑確定囚が100人に、人権団体は厳罰化を憂慮”(参照)の記事がある。

 最高裁判所によると、記録が残る昭和55年以降、全国の地裁・高裁で言い渡された死刑判決は、平成11年までは年間2~15人で推移してきたという。しかし12年以降は、刑罰一般が厳罰化している流れをくんで、年間20~30人に急増。最近3年間で死刑確定囚の数は、平成16年=66人、17年=77人、18年=94人と推移した。
 死刑判決の急増に対し、執行される死刑囚は年数人程度。判決までは順調だが刑の執行だけ滞っている状況だ。このため、最高裁は今後も死刑確定囚の数は常時100人台で推移すると見ている。

 気になるのは、実際の死刑執行数なのだが記事では数人程度としか触れていない。大雑把に考えても、執行数が少ないのに死刑判決が多いので、未執行の死刑確定者数が増えるということになっているのは確かだろう。
 新聞では二月二六日付け読売新聞(大阪)”[今日のノート]極刑”にて「昨年末、死刑囚4人に対する刑が執行された」と書かれていたので、昨年は四人の執行だったのだろうか。
 ネットを見渡すと、”死刑囚リスト(事件史探求)”(参照)というページに近年の推移が掲載されている。ただし、十八年は三名とあり最新の情報は反映していないようだ。この数値の信憑性はよくわからないが、おおよその参考にはなるだろう。
 ざっと見て驚いたのだが、平成に入ってからは多くて七人。それも前年がゼロだったので多くなったという印象なので、だいたい四人程度で推移しており、こうしてみると、死刑執行数は五人程度を上限とするといった国家意思のようなものが感じられる。もちろん、そういう定量的なものではないのだろうが。それでも、現実のところ、日本の極刑には、実際に執行する死刑と執行しない死刑という二つが分かれてきたのではないかという印象もある。つまり、これは実際的には釈放のない終身刑ができつつあるということなのではないか。死刑存廃の議論とは独立したかのように、実態のほうが無規定で先行しているようにも思える。
 ウィキペディアの関連項目”日本における死刑”(参照)ではこう言及されている。

刑事訴訟法の第475条では、死刑は判決確定後、法務大臣の命令により6ヶ月以内に執行することが定められているが、再審の請求や恩赦の出願等の期間はこれに含めないことも定められており、死刑確定から執行まで、多くが数年から十数年もの間、平均では7年6ヶ月を要するのが実際である。異例の早さで死刑が執行されたといわれる池田小児童殺傷事件の死刑囚でさえ、確定してから約1年の時間を要している。そのため、刑を執行されないまま拘置所の中で一生を終える死刑囚もいる。

 このあたりも先の印象と整合している。
 話題が少し逸れるのだが、死刑確定になると身柄は拘置所に移される。とすれば、拘置所には未執行者にあふれているのではないかと思ってネットを見渡すと、〇五年の記事らしいが”まわりが死刑確定の人だらけになってます”(参照)という興味深い話があった。真偽はわからないがこうした実態はどうなっているのだろうか。

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