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2007.02.27

恋という映像

 たまたまNHKで、三回シリーズで終わりなのだろうと思うのだが、「ドキュメント”恋”」というのを見た(参照)。世界の街の市井の人の恋愛を描いたドキュメントということなのだが、映像には奇妙な感触があり、心に不思議な印象を残す。ネットには何か情報があるかと思って探してみたのだが、当のNHKですらあまり情報がない。なぜだろ。


ドキュメント“恋” ~男と女 一週間の真実の物語~<全3回>
登場するのは男と女。世界各地の街角で出会った、今恋のさなかの市井の2人です。取材期間は一週間、2人それぞれにカメラは密着。現在進行で繰り広げられる男と女の物語を綴り、恋の本質に迫っていきます。

第1回 パリ 2月12日(月)午後10時~
第2回 上海 2月19日(月)午後10時~
第3回 ブエノスアイレス 2月26日(月)午後10時~


 三回分を連続するとちょっとした映画になるかと思う。パリ、上海、ブエノスアイレスの三つの街である程度普通な人の普通っぽい恋の一週間を描いているのだが、特にストーリーというものはない。その映像の感触がなんとも興味深く、恋の関係の中をうまく覗かせてくれるという意味では、ちょっとスケベな趣味でもあるのだが、奇妙な陰影がある。うまく表現できるといいのだが難しい。恋というのは語るに難しい。
 第一回目には「アニーとヤンの場合」という副題がついていた。二回目、三回目の副題は忘れた。副題はなかったかもしれない。
 パリ編では、男がヤン。最初もしかしてと思ったがチャイニーズではない。二二歳。美容師で六年のキャリアを持つというから日本で言えば中卒たたき上げだろう。番組では彼が支店長を任されるにあたり、その評判を得るためのヘアカットのショーをするというイベントがある。そのイベントが多少映像に物語的な要素を与えていた。
 アニーはリヨン出身の二二歳。映像編集者ということで自室でプレミアみたいので何か編集しているようだが、それだけでは食っていけず、街頭のビラ配りなどもしているとのこと。冬の寒さは身に応えるとも言っていたあたりに若さへの親近感がある。ヤンとの出会いはヘアーカット・ショーのモデルとして知り合ったということで、モデルもバイト仕事のようだ。確かにモデルという風貌ではあったが、映像中、パリ街頭の物売りの中年男が彼女に外国人かと聞き彼女はパリジャンと答えていたのだが、あのシーンはなんだったのだろう。パリの人からはリヨンの人が異人のように感じられるのだろうか。
 二人は同棲していない。どちらも一人暮らし。アニーのほうは一年前に一年間ほど同棲していた男がいたらしく、そんな話を彼女の友人としているシーンがあった。いずれにせよ彼女も高卒くらいなのだろう。以前の男と別れた理由は亭主関白面していやだったということのようだった。そういえば、今の男ヤンもアニーは家事をしないので、それだと夫婦生活は難しいかもといったふうなことをぼそっと言っていた。
 二人の関係はどうか。印象というのはいろいろあるだろうが私の見た印象では、これはダメだろうな。男がたたき上げで、また職の関係から若い女に事欠かないふうでもあるのでそのあたりから無理が出そうだ。
 女は、男が親族に紹介をしてくれないとぼやいていたが、結婚対象として見られてないという不満の表明ではなかったか。
 スケベ心としては一週間の生活で、どのタイミングでどんなふうにおセックスをするのかワクテカだったのだが、この回では最終日、ショーの後の晩という感じだった。その翌朝ベッドの二人をカメラが捉えるのだが、ベッドのなかの二人はTシャツを着ていた。まあ、それはそれでいいでしょ。
 二人の一週間は街で数時間くらい会ったり離れたりという感じで、そう恋人同士で過ごす時間があるわけでもない。そういえば冒頭アンが携帯メールを受け取っていたのが印象的だった。というのも私は携帯電話というの恋愛がどう結びつくのかわからない世代の一人だ。
 二人はパリという街の風景にもよく溶け込んでいたし、よくキスばっかやってんなとか私なんぞも自身の若いころを忘れて見ていた。二人は会食後その場で別れるのだが、その背の姿がいかにも西洋人らしく未練という情感はなかった。
 現代人には別れ際の未練のような情感はないのかと思ったが、第二回上海編の女にはそうした情感があった。未練というのはアジア的な恋愛の情感なのだろうか。
 上海編は、四川省出身の、コズメティック・アーティストというのだろうか、化粧直し専門の女性が出てくる。名前は忘れた。二七歳だったと思う。彼女が上海で一人暮らしていると、そこに天津から男がやってきて一週間滞在するという。男は三七歳。けっこう歳だがなかなかの若作りでそう老けた感じはない。二人は上海で知り合ったらしいが、男の仕事の都合で天津にいるという設定だった。上海での一週間は男がそこで新しい仕事を得られないか探すという展開だった。
 この二人の関係がよくわからない。女の二七というのもけっこうな歳のようでもあるが、中国の、晩婚を進める政策とも関係があるのだろうか。どうして四川から上海に出られたのだろうか。言葉の違和感はなかったのだろうか。こうしたことが一切わからない。男のほうはさらにわからない。大学は出ていて、いい職にも就いていたらしい。いい車も乗り回しているのだが、これは女のものなのだろうか。話の展開で、どこかの支店長になれるかという面接があるのだが、ヘッドハンティングによるビッグビジネスの機会を狙っているようでもある。
 上海編では女はよくすねていた。男に辛辣な言葉もかけた。上海というこもあってか、なにかと食べるシーンが出てくるのだが、煮詰まった若夫婦みたいな雰囲気だ。この二人の関係はどうなんだろう。一番気になったのは、女がすねてカードを全部を遣ってやるとか言うシーンだ。あれは男が女にカードを持たせていたということなのだろうか。というあたりで、華僑にありがちな現地妻ということなのだろうかとも思ったが、よくわからない。ワクテカのおセックスシーンを連想させるものは露骨にはないのだが、こりゃ今週は四回くらいやりましたね感はあった。
 まったくどうでもいいことなのだが、私は若いころある種の中国人女性にもてるかもしれないとなんとなく思ったことがあった。まあ、もてたというほどではないのだが、どうも若い頃は彼女らのある好みのタイプの相貌だったのかもしれない。いずれにせよ、私は中国人女性と結婚したらどうだっただろうと想像してみたのだが、まるでわからなかったし、想像することすら怖かった。中国人といってもいろいろあるので一概には言えないのだが、どうも日本人から中国人を見ていると何かもっとも基本的なことが理解できない。そのなかで国際結婚している人はどうしているのだろうか。余談に逸れすぎ。
 上海編の二人はうまく行くだろうか。私の印象ではダメだと思う。では別れていくだろうかと考えて、それもよくわからない。
 ブエノスアイレス編は、冒頭いきなりプール。しかも水着で乳繰り合うシーンが出てきた。シティホテルというのかホテルでゆったりと恋の時間を過ごすという一週間の始まりである。おおっ最終回はそうきたかとワクテカだったが、そうではない。というのも、男は二十歳。サルサダンサー。女は三十歳カメラマン。スタイルはかなりものだが、夏場で肌を露出するシーンが多く、肌のシミは中年女らしさを露骨に出している。
 いずれにせよ、その歳差でうまく行くのかよと、誰だって思うし、女の家で女とその母親と二人きりで食事するシーンがあるのだが、母親からの、あんたたちがうまく行くわけじゃないのという感じの会話がじとーっと暗く進展していた。前の十五歳上の男のほうがわたしゃよかったね、とも。暗すぎる。母親は金髪に近いが、娘の毛は黒っぽい。父親はいないのかと疑問に思ったが、そのあとのシーンで、女が男にスペインの父親に合いに一緒に行こうみたいな誘いをしていたので、女の両親は別れているのだろう。
 この回の恋愛は、女必死だな、ふうのシーンが多く、痛ましい。男のほうはサルサダンサーということもあり、レッスンで十八歳の娘とべったりという感じ。こりゃどうみても、二十歳男と三十歳女の関係は続かないだろうと思うし、それが女の意識に反映してもいる。最後のシーンで、女は彼の子供が産みたいのと言った。これは引く。ずん、と。
 いささかこじれた喧嘩があったあと、男のほうがいらいらと女に電話をかけるシーンが後半にあるのだが、あのあたりの男の心の動きも、同じ男として痛いくらいわかるものがある。男も、俺は彼女を本当に好きなんだろうかと自問しているようでもある。しかし、女の強い関係の求めに引きながらも、女から離れてもいられない。そういえば、この回にはおセックスらしいシーンは冒頭の事後のシーンくらいなものだった。
 三回見終えて、奇妙な違和感があり、なんだろとしばらく考えていて、先ほど小便をしながらふと思いついた。どの回もどっちかというと女が痛ましいのだ。これって演歌の世界じゃねーのというくらいだ。もちろん見方にはよるだろうが、この三人の女は男と別れる恐怖みたいなものをじわっと滲ませている。
 女はこんなに弱いか? そーじゃないだろ、女というのは男を棄てるときに、ぽいっと切りよく棄てるぜ、と呟いてみて、しかし女というものがよくわからないとも思う。本質は弱いのかもしれない、沙翁の語るごとく。
 一般論は成り立たないのだろうが、恋というものには本質的に強者と弱者の関係のようなものが滲むなぁ。恋かぁ。恋とはどんなものかしら♪

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コメント

お互いの弱さをお互いに見たときに結婚したりするのかな、と思いました。それは恋の終わりでもあり。

投稿: po | 2007.02.27 18:46

昔、女に捨てられた回想録をブログに書いていた人間とは、思えない文章ですな。

投稿: F.Nakajima | 2007.02.27 20:02

本編とは全然関係のない部分ですが
ワクテカと書いてあるのを見て
(え、vipper?)と思ってしまいました。

投稿: breeze | 2007.02.27 22:48

女は弱いんですよ。そして、男の幻想に付き合って、ぽいと棄てる女を演じているんですよ。

投稿: | 2007.02.28 12:16

> 男と別れる恐怖みたいなものをじわっと滲ませている。

 女はタイムリミットを常に意識しているからでは?(自分の若さが日に日に失われていく恐怖。歳をとったら今より良い相手に出会えるチャンスがますます減るのは事実だし。)
 別れたらそれでその人とは終わりになる。そうしたら折角出会えたチャンスと付き合ってきた時間とが無駄になるわけで、それは数年分の自己否定に他ならない。
 ギャンブルを止められないのは止めたら負けが確定するからだって言いますが、それと同じ感じなのではないでしょか。
 たとえ別れても共に過ごせた時間は無駄ではなかったと思える相手か、この人とは生涯別れないだろうなと思える相手かでない限りは、付き合い続けるのも別れるのも恐怖なのだと思います。そんな恋愛をした時点でその人は負け組みなんです、きっと。
 恐怖と幸福、どちらを見せるのも男次第なんだと思います。だから女は男をよく選ばないといけない。

投稿: | 2007.02.28 12:58

おじさまの恋愛ネタおもしろい・・・

手にたいした職もない三十前後の女は必死ですよ 
シミや皺や、10代とは明らかに違う体型なんかに、
自分も老いて死んでいくだけの存在だという現実を感じ始めるから。
その先の自分を肯定し続けてくれる男を、若さが消える前に見つけようとしてるんでしょう。

投稿: | 2007.02.28 15:41

本編とは全然関係ないのですが、はてなの日記のほうが制限かかってたものでこちらに。

「Flavor of Love」プロモーション、/8までだそうです。
http://www.toshiba-emi.co.jp/hikki/flavoroflife/

この機会にfinalventさんの宇多田ヒカル評を見たいです。

投稿: m_um_u | 2007.03.01 07:07

おそらく『静かなる男』は、男性だけの楽園ではないんでしょうね。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.03.02 17:02

人が自分の人生を生きるのは次がないからです。
次があったらいつまでも人生が始まらないですね。
ウィザードリィのキャラクターメイキングみたいに。
でもこの1回しかないから我慢するし、努力する。
この人生しかないなら少しでもマシにしなきゃ。
男女、もしこの相手しか許されないとすれば、必死で我慢と努力をするでしょうね。
戦後の先進国は男女が別れることに何のリスクもなくなってしまったので、
次狙いでいつまでも結婚できませんね。我慢も努力もしなくていい相手が
いるに違いないと。

投稿: 天魔 | 2007.03.02 22:39

単なるカテゴライズとはいえ、三十女を中年と言い切る人は結婚出来まへん。

投稿: ファン | 2007.03.03 22:03

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