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2007.02.06

アジアにおけるイスラム教化・キリスト教化

 先日はてなの人気ブックマークのリストから、日本がなぜイスラム化しないのかということのレポート「アラブイスラム学院での講演」(参照)を読んで興味深く思った。以下、関連の雑文である。
 問題提起はこう。


調査の結果わかったことは、日本においてイスラム普及の障害になっているものは二つのタイプに分けることができるということです。―環境的な理由によるものと、ダアワ活動自体によるものです。ダアワ活動が個々の講演において扱われているため、環境的な理由を説明するためにこの講演会を開きました。

 環境にはいわゆる日本文化や日本人の民族性、歴史などが含まれているようだ。「ダアワ」は簡単には「布教」と言っていいのだろうが、イスラム教には布教がなく英訳的には「招待」とされているようだ。
 なぜ日本にイスラム教が普及しないのか。このレポートでは触れてないようだが、キリスト教が普及しないのと類似の理由だろう。あるいは、日本においてキリスト教が普及せずにイスラム教が普及するような可能性というのがあるとすればなんだろうか。まったくないわけでもないようには思えるが、想像しづらい。
 台湾でも韓国でも沖縄でもそうだがキリスト教徒の比率は日本本土より高い。あまり知られていないのだが中国本土のキリスト教人口は少なくない。もちろん正確な数値はわからないのだが、とウィキペディアを見ると興味深い指摘がある(参照)。

Estimates of Christians in China are difficult to obtain because of the numbers of Christians unwilling to reveal their beliefs, the hostility of the national government towards some Christian sects, and difficulties in obtaining accurate statistics on house churches. However, some analysts have estimated the number of adherents to be about 16% of the Chinese population, 10% of which are Roman Catholic.

 総人口の一六パーセントというのはあり得ないようにも思う。仮に一〇パーセントとすれば日本の総人口に近くなる。BBC”China's Christians suffer for their faith ”(参照)ではこう。

Getting reliable numbers about the number of Christians in China is notoriously difficult. Estimates vary between 40m to 70m Protestants, only 10 million of whom are registered members of government churches.

 最大で七千万人。ただ、これも抑制していてこの数値と見ることができるので、例えば布教に熱心な米国キリスト教派にしてみると中国はとても魅力のある布教予定地にはなるだろうし、その推察は実際の政治的な局面に今後さらに強く反映されるのではないだろうか。
 話をイスラム教に戻すと、世界最大のイスラム教国は言うまでもなくインドネシアである。総人口が二億人で、その多数がイスラム教徒である。また、バングラディシュやパキスタンなども強固なイスラム教国なので、イスラム教はアジア的な浸透力を持っているともいえる。
 ただ、実際には各ナショナリティがこれらをイスラム教のバリエーションを基底的に拘束しているのではないか。先のイスラム布教のレポートでは特に明言されていないがスンニ派であろう。これに対して同じイスラム教といってもシーア派はイラン文化というかペルシャ文化の歴史風土を強く反映しているように見える。その分、シーア的なイスラム教のアジアへの伝搬は弱いのではないだろうか。
cover
イスラーム文化
その根底にあるもの
井筒俊彦
 話が散漫になるが欧州はこのまま移民が流入していけば将来的にはイスラム圏になるという話をソースを忘れたがテレグラフか何かで読んだ。スンニ派的な穏健なイスラムが西洋近代化の枠組みと調和していけばいいように思うが、教義における柔軟性の鍵とも言えるイジュティハード(参照)においてスンニ派が一番保守的でもあるので、そうした穏和な未来世界を想定するのは難しいのかもしれない。
 この機に八一年刊行の井筒俊彦「イスラーム文化 ― その根底にあるもの」(参照)を読み直したが、ポパー説を援用しながら、この時点で文化の衝突とイスラムの重要性に触れていたことに驚いた。同書は現在のイスラム圏理解の基本的な書籍となるだろうし、講義録らしく井筒の書籍のわりには読みやすくわかりやすい。

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「歴史」カテゴリの記事

コメント

 多神教国家(無神論国家?)に一神教は根付かないんじゃないですかね?
 ああしろこうしろああすべきこうすべきって拘束が、あるでしょ。
 それそのものが嫌がられるっつうか。
 嫌なら嫌でいいよお前ら未来永劫愚民だよ? って言われても、いーじゃん別に、とか切り返されそうですし。

投稿: モッサアアア | 2007.02.06 20:14

 うちは超ごった煮ですから。
 基本的にご先祖信仰・神道・仏教(浄土真宗)の3本立てですけど、姉がキリスト教やっても「家に被害(金銭面?)が無ければ」で、あっさり認めましたし。数年…2,3年かな? 日本全国布教の旅とか出て、教会のお友だち連れ帰ってお泊り会とかしてましたよ。懐かしい。

投稿: モッサアアア | 2007.02.06 20:19

日本には「おてんとう様」という超越神があるので、他の神様はヤオヨロズ扱いを超えられない。と言ってみるテスト。

投稿: worldNote | 2007.02.06 21:07

モッサアアアさんって鼻毛さんですか?

投稿: mezasi | 2007.02.06 22:26

ところで今回の記事はかなり中途半端ですね。まだまだ続くのですか?

投稿: mezasi | 2007.02.06 22:27

こんばんは。
現代日本で「不合理故に我信ず」を信条にする人が少ないからじゃないでしょうか?大東亜・太平洋戦争が終わって、非・不合理性の無力さを痛感したとか?
別件で、現在の日本の政党って問題解決のアイディアの源泉・思考回路って、「資本の論理」か「無茶苦茶」の二者択一で、イデオロギーは無くなってしまっているように考えているのですが、宗教の論理も政党は前面に押し出したりはしません。
モノを考える道筋が淘汰されてしまっているのでしょうか?

投稿: てんてけ | 2007.02.06 23:05

たしかイスラム教に入るにはコーランを読めないと入れないとか
そんな面倒な事せずとも世界には宗教がイッパイ

投稿: topo | 2007.02.06 23:54

山本七平は
日本は「諸宗教選択自由」で功利主義的に使えるものだけ使い、逆に宗教を絶対化する者を排除する。 
というようなことを言ってますが、やはり日本には一神教的なものを受け入れない強力な力が働いているんでしょうね。

投稿: oyosi | 2007.02.07 00:01

創価学会の浸透と対比すれば、面白い見方ができそうですね。

投稿: q | 2007.02.07 00:55

信者を増やすには単純に居心地のいいコミュニティーを提供できるかどうか?ってことなんじゃないですかね?私は無神論者ですが子供の時にキリスト教の教会によく遊びに行ってました。お菓子もくれるし悩み事も聞いてくれる。楽しい話もしてくれるから親に「僕もクリスチャンになりたい!」って言ったら「おまえ、クリスチャンなんかになったら神社のお祭りに参加できなくなるぞ」って言われて。子供心にそれはいやだなと思ってやめました。統一教会でも創価学会でも心休まるコミュニティーがあるってのは入信のきっかけになりますよ。日本国内におけるイスラム教にはそれがないような気がするなー。

投稿: ryu-ten | 2007.02.07 01:33

>宗教を絶対化する者を排除する。

 宗教に限らんけど、例えば妄想でも趣味でも雰囲気でも何でも、行き着くとこまで行ったヤツ見ると、瞬間的に「げっ」と思うのでは? そう思った瞬間、即排除。そんな感じじゃないかなぁ?

投稿: モッサアアア | 2007.02.07 06:47

 各種宗教が日本で生き残る秘訣は「勿体無い」精神を刺激するか否かだと思いますね。このまま潰すのは勿体無い。滅び去るのは勿体無い。折角繋がった誰某との関係が切れるのが勿体無い。こんなに綺麗なのに勿体無い。
 そう思わせることが出来れば、その範疇において生き残るんじゃないかと。勿体無い。

投稿: モッサアアア | 2007.02.07 07:06

そうそう、「歴史知とフェティシズム」という本をバイトの子から勧められました。
日本人は無宗教と言われるけど、歴史を見ると
「信じたくて信じたくて、自分で神様を作ることがあり、
御利益がないと自分の作った神様をあっさり棄てることがある」
という指摘がありました。
恋愛に当て嵌めてみると現代人でも解りやすいです。
一般的には素敵な人が現れて告白して受け入れられたら恋愛が始まると思われてますが
学生時代なんか特に「恋愛に憧れて、異性と交際をしたいから恋心が起こる」場合があります。
日本以外ではそういった心理はあるのでしょうか。

投稿: てんてけ | 2007.02.07 07:32

井筒さんの『イスラーム文化』は良いですね。
他の本『イスラーム思想史』とか『神秘哲学』も良いです。

さて、一神教と多神教という区別は、偶像崇
拝の可否ともに宗教を区分する場合の基準に使われることが多いですね。
そして、「日本には一神教はなじまない」とか「日本は偶像崇拝」とか「アニミズム」云々という結論が引き出されるわけです。
そういう議論は、一応もっともで分かりやすいですが、現実の信仰を見ると、“習合”とか“混交”という側面を無視できないと思います。
キリスト教やイスラム教も、土着の信仰と融合していることは、よく指摘されることです。
※ イスラームのバリエーションについては、例えば、大塚和夫『 異文化としてのイスラーム―社会人類学的視点から』にはいろいろ面白いことが書いてありました。マフディ(聖者)崇拝とか。
http://www.amazon.co.jp/%E7%95%B0%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E2%80%95%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E5%AD%A6%E7%9A%84%E8%A6%96%E7%82%B9%E3%81%8B%E3%82%89-%E5%A4%A7%E5%A1%9A-%E5%92%8C%E5%A4%AB/dp/4495854321/sr=1-18/qid=1170811688/ref=sr_1_18/503-3603220-8235159?ie=UTF8&s=books

習合とか混交という要素を重視するなら、純化=原理主義的傾向と、拡散=混交的傾向(世俗化?)を両極に据えた軸が設定できます。
日本は無宗教・無信仰だという人が多いですが、それは原理主義的傾向が弱いということであって、混交的傾向という視点からすると、独特の宗教・信仰が行き渡っているということになるかもしれません。

投稿: Ascyltos | 2007.02.07 10:30

教会の人らの言うようなキリスト教は無理でした。「~でなければ正しくない」みたいな言い回しも、私には合わないなって思います。
何度聞いても三位一体がどうしても理解できませんでした。イエスさまが神さまとかいう意見を通すため、無理やり編み出した屁理屈にしか聴こえなくって。
「こういう伝説があります」という意見なら良いんですけどね。聖書のことを事実として信じてなきゃ駄目っていう意見を聞くのは苦痛でした。

イエスさまの愛の教えは素晴らしいと思ってるけど、律法やらの堅苦しさ、不寛容さが苦手でクリスチャンになれなかった人の意見です。
結局、今は神道+仏教の日本教に戻ってしまってますが、やっぱり一番しっくりくるなーと思います。骨の髄まで日本人…

投稿: | 2007.02.07 11:29

>創価学会の浸透と対比すれば、面白い見方ができそうですね。

自分より他人を救える(と思わせる)宗教が日本では流行するんかねぇ

投稿: 無粋な人 | 2007.02.07 11:36

ある特定の宗教に傾倒していくきっかけは、どういう機会で与えられるのか、

ごく個人的な経験を思い返してみました。

小学生の時、図書館の聖書を読み「理解できない」ことに焦燥感を覚えたとき。

中学の時、NHKラジオの「心の時間」でバッハのカンタータを聞いて感動したとき、そして曲を探し出して歌の訳を調べたとき。

高校時代に、不特定の信仰宗教の集会に頻繁に出入りしていたとき。

何年か前にユーラシア大陸を旅していて熱が出て、汚いゲストハウスの中で寝ていたら、隣の家からコーランを唱える人の声が聞こえてきたとき(それは何故か私の心を打ちました)

思い起こせば宗教と交わるきっかけは自発的に行動したこともあって、多かったにもかかわらず一つの宗教に心を奪われることは有りませんでした。

どうしてでしょうか、そのことを自分の信仰に対する意識の低さだと思ってそれを恥じていたことさえありました。

現在も私は「宗教とは何か?」と問い続けていますが、答えは見つかっていないようです。

ただ、もし、私がオウム真理教に出会っていたら、それに入信しなかった、断言することはできません。

実際、9.11 テロの時、私は崩れていく貿易センタービルをテレビの画面で見ながらただただ感動していました。何故か?自分でも解りません。しかし事実は必ず理由の前にあるものです。


今は、私の試みとしては、宗教と政治を切り離して考えて見たいと思います。

人が何を求めているのかを、突き詰めて考えれば、何か見えてくるものがあるのかもしれないですし。

投稿: ほ | 2007.02.07 12:05

 宗教云々は別にしても、自分を大事にしないってのが、ひとつの生き様として定着してますから。そこへ「(究極言えば)自分大好き一神教」が入ってくると。二律背反に悩むんじゃなかろうかと。

投稿: モッサアアア | 2007.02.07 12:07

主教についてなら、みんな書くなあ。
それも誰もイスラムについては語っていない。
イスラムって、孤独だ。

投稿: mm | 2007.02.07 13:06

字が読めればだいぶ違うんでしょうけどね

投稿: | 2007.02.07 13:10

私としては、神って(一面では)生活に当たって自己を合理化する為の客体だと考えているんですが、
おそらく、日本人は「生活」に重く意識を置く傾向があるのではないでしょうか(つまり、神こそが合理化の対象になる)。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.02.07 14:26

一つ上の人の言っていることが全く理解できません。

賛成か反対かと言う意味ではなくて、何を言いたいのかわからなかったのです。
原因として考えられることは、

・日本語がわからない(私は日本人なのでそれはなさそうです)
・言葉の意味が解らない(それは有り得る話です”合理化”、 ”客  体”?)
・書いている本人があえてわからないようにしている(どうしてだろ  う。有名人のブログでもたくさんそういう文章はありますが。)

投稿: ぬ | 2007.02.07 17:13

>「ぬ」さん(便宜上括弧をつけました、悪しからず)

他所様の庭で弁解とは、なんとも無礼をはたらいたものだと反省しております(終風先生にも御迷惑をお掛けします、申し訳ない)。
件の「客体」「合理化」に関してはWikiにも項目がありますので、宜しければ以下に参照いたします。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E4%BD%93

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E7%90%86%E5%8C%96

私の考える「神と人の相関性」に関しては、概ね「ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で説かれている清教徒の基本構造に近い」とご理解いただきたい。

投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.02.07 18:41


 ジョン・レノンの「神」という歌には、次のような詩がある。
「God is the concept by which we measure our pain.」
うなづける。

投稿: しみづ | 2007.02.07 19:00

一神教というのは孤独だというのが、受け入れられない理由として大きい気がしますよね。日本人は各々孤立してるが、孤独ではない。
神道の神様も、仏教の仏様も、そこにいると感じているが何も言わない存在だし、生まれたら神様に見せにいくし、死んだら仏さんになってくださいと願う。日本人は無神教ではないですよね。そこここに神様がいることを感じてますよね?それも沢山ではなく一人でもなく一つに存在してると感じてます。

投稿: 日本人 | 2007.02.07 19:27

え?一神教って孤独っだったの???
新しい意見だ。

外から眺めている方には、色々違うことを感じてもらえるようで、面白いっす。「日本人は芸者ガール」みたいな。

投稿: あんとに庵 | 2007.02.07 21:16

単純に、イスラム教の持っているポジティブな部分を、北東アジア諸国は特に必要としていないだけでは?儒教もありますしね。

投稿: カワセミ | 2007.02.10 03:11

宗教と政治は切り離して考える。現実はそうなっていませんが、そうあって欲しいと願います。子供たちにもそう教えています。
日本では亡くなったら皆例外なく仏様。個々の感情はともかく戦争で亡くなった方々は例外なく靖国神社に祀られる神様です。それはそれで結構です。お国のために亡くなられたのですから。でも一旦祀ってしまったのですから、もうすべて神であり仏なのですから。それならば、名前を消して欲しいという人の名前(韓国人の)は消して差し上げていいのではないでしょうか。ご本人の遺族が、そこに名前があるのが苦痛だと言っておられるのですから。
神と仏の御名において名前は消して差し上げる。それがあの時代の不幸を背負った方々への、我々日本人にできる未来志向の愛だといえるのではないでしょうか。

投稿: 前原美樹 | 2007.02.15 21:03

イスラムに改宗したら、日本に山のようにある哲学宗教(仏教)や商売宗教と関係を絶つことになるから。
日本人は先祖崇拝と哲学宗教、現世利益にこだわる人、自己中心主義人間が大半。
 

投稿: abcd | 2007.06.12 21:25

お天道様が暖かくていいな。
悪いことをしても三度まで許してくれるお釈迦様も好きです。
日本には八百万の神様が居るから、日本のお天道様の傘に入っておいでよ。

投稿: | 2007.11.02 23:39

宗教は時代と共に変化すべきもの。聖書を頑固に信じたり、現代と合わないイスラムの規則が強制なら、避けた方が良いのかも。
でも、人間を飲み食いの生物でなく、「魂」のある至高の存在と認識できたら・・宗教の必要性を実感します。多くの日本人(かつての私も)は、それが理解できてないと思えます。
わかってる人も、「古着を着替えたいけど、合う服がない」状態では?

投稿: 296 | 2009.03.27 10:34

 イスラム教が日本人には合わない理由はイスラム教が原理主義だからです。またイスラム教がテロと関係しているのも原理主義だからです。以下のサイトをご参考にしてください。
http://www.kjps.net/user/khiroshi/baka/baka-index.html

投稿: ブルテリア | 2009.05.25 22:52

古の歴史の中で
和の原理を獲得した日本の民に
宗教などさほど重要じゃない
それだけのことと思います。

投稿: やおろず | 2009.10.21 20:20

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