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2007.02.28

[書評]ぶってよ、マゼット 47歳の音大生日記(池田理代子)

 先日なにげなく見たテレビで池田理代子の対談をやっていた。見るつもりもなかったのだが、あまりの面白さに見てしまった。話は四十歳を過ぎての更年期のことと四七で結婚した旦那とののろけみたいなことなのだが、そういえば彼女、結婚生活一二年かと思った。たしか、私よりちょうど一〇歳年上だったはずだと確認するとそうだ(参照)。

cover
ぶってよ、マゼット
47歳の音大生日記
 そのあたりが気になって、彼女が四七歳で音大生になった時代のエッセイ「ぶってよ、マゼット 47歳の音大生日記」(参照)を読んだのだが、これがもうめっちゃくちゃ面白かった。面白い上に、ちょうど私は今四九歳なのだが、この年代の人間が思い感じるであろう心のありかたが痛いほどわかる。読書というのはこういう面白さもあるものだなと思う。私も学生を長いことしたしちょっとやり直しもしたりしたが、さすがにこの歳になるとやり直せない感はあるし、やるとして青年期の学問ではないだろう……といった夢想がわくが、気力はない。でも……夢はあるか。池田のこのエッセイを読むと夢に呼びかけられるような気持ちになる。
 エッセイはまさに彼女の音大入学から卒業までの期間を描いているのだが、その間に彼女の結婚が入る。結婚のいきさつについてはこの本にはあまり書かれていないが、新婚が同時進行しているようすも面白い。というか、四七歳の恋というものもよく描かれていて、ある意味で、これもまた恋の物語でもある。旦那もすてきな人だ。はてな日記などでよくオタクの非モテが議論されるがこれはよい参考書になると思うよ。

 この人を失ったら、もうこれ以上の相手は現れることがないのではないか、その相手なしには、自分はとうていその先生きていけないのではないか、という怖れに、人はしばしば正常な判断力を見失う。
 事実失ってみれば、それでも結構人は生きていくものだし、運がよければ前以上の相手に巡り合う可能性も十分にあるというのが人生だ。
 だいたい恋や愛のために死ぬのは、性欲が旺盛で思慮の足りない若いうちか、人生の残りの時間や可能性の少なくなった老年が圧倒的である(統計を取ったわけではないから、そのような印象がある、と言ったほうがいいかもしれない)。

 括弧内は編集メモに応答かな。さらっと書いてあるし、生きていればいいこともあるわよ的にも読まれるが、なかなか。これはいっぺん死にかけてみないと言えない部分もあるしそうしてみて初めて彼女のような中年の恋もあるのかもしれない……と思うが、そういう思いは読み手が勝手に思うだけ。
cover
47歳の音大生日記
(文庫版)
 本書の面白さのもう一つの確実な側面は、まさに音大生の日記という点だ。音楽家、声楽家がどのように勉強していくのかというプロセスがわかることで、いま以上にクラッシックが楽しくなる。あるいはまわりにクラッシックやオペラ好きの人がいるなら、そういう人たちの思いがよく理解できるようになる。
 こういう変化も歳と少し関係あるのかもしれない。私は若いころロマン派が嫌いだったが、今では好きだ。ブラームスなんてなにがいいのだろうと思ったけど、いいのかもしれないと思うようになった。オペラなんてアホかとも思ったが、なにげなく聞いている。
 池田はまさに団塊世代のクイーンだし、その生き方はそのまま団塊世代に受け入れられたりもするのだろう。そのあたりの浮かれた感じは一巡下の世代の私などには相当に抵抗感がある。あるにはあるというべきか。でも、ここまで突き抜けた人生というか、中年以降の生き方というのは、明らかに戦後日本というものの正しさというか豊かな成果なのだろうなと思う。ま、理屈はどうでもよくて、五〇過ぎても楽しく生きられる、そう生きている人を見るというのはよいものだ。

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コメント

何気に、テレビを見ていたら、将棋をやってお金を稼ぐ、有名な勝負師が、最近92歳で亡くなって、その人の人生を紹介していました。
それ見て、何故か、人生この先も頑張らにゃ、と元気が出ました。
女は47歳からよっと思うゆみちゃんです。
VENTさんも、男は50代からよ!ふぁいと!

投稿: ゆみ | 2007.02.28 14:55

翁が以前はブラームスを評価しておられなかったというのは、なんだか不思議な感じがいたします。「ぶいぶいいわせて」おられた頃を存じ上げないからなのでしょうけれど。

投稿: synonymous | 2007.02.28 20:01

ロマン派は尚古主義の側面もあるんで、年がいってからの方が好きになるのかもしれませんね。
…というと暴論でしょうか。

投稿: アルタイル | 2007.03.01 02:11

若い頃に聞いたベームのブラームス、悪くはないけど杓子定規で作為的に感じたものですが、今になってみるとこれが一周して端正にしてもの哀しく聞こえるみたいなもんでしょうか。逆なのがチャイコフスキーかな。

単に感性が老いてきたということなのかも。

投稿: Sundaland | 2007.03.01 15:54

二十代後半にして、何故かしら江差追分(特に鎌田英一や初代浜田喜一の名調子)に滂沱の如く涙を流す私

一体何なんでしょうか?

投稿: 夢応の鯉魚 | 2007.03.02 17:26

一時期、同じ先生にレッスンを受けていました。ちょうど彼女が結婚するちょっと前だったと思います。子供の頃に『ベルばら』を読みあさっていた身としては、なんとしても単行本にサインをもらおうと思っていたのですが。言い出す前に、私が音楽をやめてしまいました…。

投稿: tomo | 2007.03.02 20:05

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