週休三日の時代は来ないのだろうか
ホワイトカラー・エグゼンプション(white collar exemption、ホワイトカラー労働時間規制適用免除制度)の問題は、すでに導入されている裁量労働制の延長かと思ったくらいで、私にはよくわからなかった。いずれにせよ、当面の問題ではなくなると今朝のニュースで聞いた。
ウィキペディアの同項目(参照)には詳しい解説があるが、それでも私にはよくわからなかった。雇用者側でも意見不統一というのが事実なら、よくわからない問題だというのが正しい現状認識かもしれない。
ネットなどを見ると、ホワイトカラー・エグゼンプション導入で残業代が支払われなくなるから問題なのだ、または、残業代なしで過剰労働になるというふうでもあった。
残業代が支払われないならそこで仕事を止める。労働環境が劣悪ならその職場を辞める。それでいいのではないかと私などは思うのだが、現実にそれらを可能にするためには自由な労働市場が前提になるということかもしれない。原理的には労働者全体で正規雇用と非正規雇用と同じように扱えればいいのではないか。
記憶によるのだがドイツだったか北欧だったか、同一内容の労働をしているなら正規雇用・非正規雇用に関わらず同一の賃金を払えということが立法化されているらしい。私などはそれをさっさと日本社会にも導入してしまえば、ホワイトカラー・エグゼンプションの問題も従属的に解決するのではないかと思うのだが。
現代の日本では非正規雇用が労働者の三分の一を占めるようになった。ということは、ホワイトカラー・エグゼンプションが問題になるのは多くても残りの三分の二。そして現状では非正規雇用のほうが社会問題だろう。ホワイトカラー・エグゼンプションが問題になるだけ恵まれた人が多いなとも思う。
もっとも、それとこれとは問題が違うということか。
話が少しずれるのだが、この問題が社会で騒がれているとき、私はちょっと別のことをぼんやり考えていた。日本の労働者はいつになったら週休三日になるのだろうか、と。
そう書いてみて、ありえない滑稽な話のようにも感じられるのだが、昔、思想家吉本隆明が小説家埴谷雄高と論争したおり、吉本は未来において労働者は週休三日になるだろうと予言していた。日本の大衆はもっと中流意識を持つようになる、とも。彼はそれに国民の可処分所得の規模が国民経済の半数を超えたことを加えていた。
さてその未来にいる私はどう日本の社会を見るか。どうも週休三日にはなりそうにもない。国民は中流意識を失いつつある。家計の可処分所得もそれほどないようにも思える。どうしたことか。
話が散漫になるのだが、案外問題は、現代日本では経済的な貧しさをそのまま経済的な貧しさとして受け止めることはできなくなったということかもしれないとも思った。ちょうど、正月NHKで昭和四十二年の特集をやっているのを見て、十歳のころを思いつつ懐かしかったのだが、あのころの日本の貧しさのようなことも思い出していた。
貧しくても生きていた時代があった。今はあの時代に比べればはるかに豊かになった。だったら労働を減らし、所得を減らして、もっと自分の時間を持つような選択というのもよいのではないか。
吉本が週休三日の世界を想定したとき、そこにはどのような前提があったのだろうか。大衆が所得向上のために休日を減らすということはないという前提だったのか。あるいは、強制的に労働者の週休を三日とすることか。前者であれば、どこかで収入と労働時間のバランス点が想定されることになる。が、今の日本を見回して、そうした想定ができそうなふうにはなっていない。
それでも私は週休三日の社会というのをいろいろと想像してはみた。想像していくうちにそれほど不可能ではないようにも、少し思えた。
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コメント
週休三日がどうこうは別にしても、「余暇」や「遊ぶ時間」が無いと何事も長続きしません。私とか昔原稿書きの仕事やってた経験上思うんですけど「写真1枚ペラ(紙資料)1枚」みたいなどーしょーもない環境で「400字詰め原稿用紙4枚書いてね」とかサラッと言われて必死こいて書いてましたけど。そういうの、保って2,3年ですよ。絶対ネタが無くなるし、思考力も落ちる。物凄い惰性になる。そういう状況で働くことの愚かさなんか、私どころか今現役バリバリの人のほうが、よっぽど骨身に染みて分かってるんじゃないですかね?
体力あるから誤魔化し利いてるだけでしょう。ぶっちゃけ。
投稿: ハナ毛 | 2007.01.10 21:11
同一賃金、ですか。。。
この件に関して収拾つかなくなるかも知れませんけど、オランダモデルが何で普及しないかというと、何で反対しているのかというと、「日本企業の復活」の実体は派遣労働者や偽装請負と言った低賃金労働で労働分配率を下げることによってもたらされたものだから。これを「同一賃金」といったとたん利益のほとんどは吹っ飛ぶ。別に給料を上げるわけではない。年金・労働・健康保険といったこれまで違法すれすれで逃れてきた経費がモロにかかってくる。
投稿: F.Nakajima | 2007.01.10 23:12
>正月NHKで昭和四十二年の特集をやっているのを見て、十歳のころを思いつつ懐かしかったのだが、あのころの日本の貧しさのようなことも思い出していた
私が思うに、あの時代と今の差というのは、「選択肢があるか否か」という違いに過ぎない。
選択肢とは何か?あの頃の労働力は今と違って逼迫しており、たとえ辞めても同程度の賃金を得られる職を探すことはそんなに難しいことではない。今は辞めた場合に待っているのは、期間労働か、詐欺セールスか、あるいは釜ヶ崎しかない、という究極の選択になってしまう。
投稿: F.Nakajima | 2007.01.10 23:26
まあ、高品質低価格路線の成れの果てですよ。はっはっは。
良いものをより安く~なんて寝言は、そうそう通用しませんねってこった。どっかでガタが来るんでしょ。
投稿: ハナ毛 | 2007.01.11 03:21
理想と現実の差異。というものが存在していて、週休3日を可能にするワーキング・シェアの考え方はどこかに吹っ飛んでしまい、実際には仕事のできる人材への「仕事の一極集中」が発生しています。
一方に一日15~16時間働いている人間がいて、もう片方に週休7日給料なしの人間がいて、その間に実質的には低賃金労働者として働いている非正規雇用労働者の層がある。
こういう事態を招いたのは、「失われた10年」の間にも日本の労働者数がずっと増加を続けたということが大きいのか、と思います。
労働者の需要と供給のバランスがここまでひどくなければ「週休3日」というのも、ありえた未来だったのもかもしれません。
しかしこのような状況が激変する部分に「2007年問題」の本質があって、派遣会社が人間を確保するのに四苦八苦する時期というのも、まもなくやってくるでしょう。
その時に、日本人の労働環境を何とかするために立ち上がる人がいればいろいろ状況が変わってくるかもしれません。
でも、それでも正社員が「週休3日」というのは現実的にはちょっと難しそうです。独自に職場と「週休3日」の契約をして働く人。みたいなのは少しずつ増えていくのかもしれませんが。
投稿: キングフラダンス | 2007.01.11 08:11
でも、正規雇用者数そのものはバブル期とほぼ同数なんですよね。なんかの統計で見ました。何だったかなーと思ってググって見たのですが、見つかりませんでした。統計局のデータは1990年からでした。確かに正規雇用、減ってはいるんですが、90年代を異常と考えれば正常とも言える程度の数に戻ったとも考えられますね。
その上で、確かに非正規雇用は増えていますので、当然ながら正規雇用の割合は下がったように見えます。割合だけを考えれば当然ですね。数が激減したわけじゃないのに。
さらに、正規雇用が対して減らず、非正規雇用が増えた分、全体の雇用は増えています。ある意味、ワークシェアリングですね。
労働時間も減っているようなんですが(http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3100.html)、これはどうやって統計取ったんでしょうね?減ったという実感がない人も多そうですし。でも、70年代くらいまでは土曜も当たり前に働いていたことを考えると妥当という感じもしますね。地方公務員とかは一日7時間しか働きませんし。
投稿: 天魔 | 2007.01.11 17:14