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2007.01.02

経済談義、五年前を振り返る

 恭賀新年。
 ”年号年齢早見表 極東ブログ・リソース”を 2007年版(参照)に差し替えた。今年百歳のかたは明治四〇年生まれになるのかと感慨深い。
 年末のエントリで”極東ブログ: [書評]エコノミストは信用できるか(東谷暁)”(参照)を書いたが、その後同書のエコノミスト採点をぼんやり見ていて、おやっと思ったことがあった。同書は〇三年一〇月刊行なのでずばり五年前、〇二年時点のエコノミストの採点というわけでもないが、こうした話題が沸騰したのが五年前だったかなということもあり、切りよく五年前としてもそう間違いはないだろう。
 おやっと思ったきっかけは、同書で最高得点のエコノミストって誰だったっけという疑問で得点を並べてみたことだった。

   一位 七七点 野口悠紀夫、池尾和人
   三位 七六点 岩田規矩男、小宮隆太郎
   五位 七五点 クルーグマン

 おやっというのは、一位が野口悠紀夫と池尾和人だったのか。いや、無防備に言うとだな、そりゃないよ、だが、次点が岩田規矩男、小宮隆太郎、そしてクルーグマンとなるのだが、どうも正月ほろ酔いの馬鹿話につきあわされているような珍妙な気分になった。五年も前の話だしな。しらふで考えてみれば「エコノミストは信用できるか」はそうしたエンタテイメント本ではある。
 とはいえどうしてこんな結論が出たのか、しばし考え込んだ。野口悠紀夫と岩田規矩男が上位に並んでいるのはいかなる判定基準からか。どのような立場であれ論旨の一貫性ということか。しかし、となると池尾和人はそうだったのか。そうかもしれないが。
 からくりはすぐにわかった。


この章では、本書で言及したエコノミストを登場順にならべ、評価を「前後の一貫性」「議論の整合性」「説得力」「市場供給力」「市場需要力」の五つについて、それぞれ二〇点満点に採点し、それをレーダーチャートといわれる蜘蛛の巣グラフに表してみた。

 前後の一貫性についてはそれほど主観は入らないだろう。普通に読んでも意見ころころ変えているなこの人というのはわかるものだ。議論の整合性もその類。説得力はべたに主観が入るがそれはそれで、東谷をどこまで信頼するかで、反論があれば別の評点をすればよい。問題は残る二つだ。

念のために申し上げておくが、点数がそこそこだからといって、論者として評価したとは限らない。「市場供給力」とは論文・著作数などから判断した「エコノミストの市場」への能動性、「市場需要力」はマスコミ登場回数などから判断した「エコノミストの市場」からの引き具合を示すに過ぎないからだ。

 つまり「市場供給力」はオレオレ度、「市場需要力」はセンセー度ということか。
 これらをエコノミストの力量評価に含めるのも面白い観点ではあるけど、日本経済の状況というのを客体としたとき、これらの変数を含めると客体としての対象性をより曖昧にしてしまう。別の言い方をすれば、ランキングには論戦に外的な指標が求められるのに、論戦の内部要因が含まれることになる。
 ほいじゃということで、この二要素を外して先の上位をみるとだいたいこんな感じ(チャートから見ての概算)。

   小宮隆太郎 五〇点
   池尾和人 四九点
   岩田規矩男 四六点
   クルーグマン 四四点
   野口悠紀夫 四三点

 他にも高得点になるエコノミストが出てくるが、それでも、小宮隆太郎と池尾和人が頭一つ抜いている感じはするし、このほうが私としてはエコノミストの実力に近い感じがする。

cover
金融政策論議の争点
 というところで、小宮隆太郎かぁと、〇二年小宮隆太郎+日本経済研究センターとして出された「金融政策論議の争点 ― 日銀批判とその反論」(参照)を読み返してみた。といって、まえがきにあるご忠告、お急ぎの読者はまず「第Ⅱ部」から読みはじめ、よ、とのことで、七面倒臭い経済プロパーの論文は抜いて談義のほうを読んでみた。
 はたと思い出した。というか、そのまえがきで、そうかと思い出したのだが、この本、小宮隆太郎+日本経済研究センターということだが、後者の日本経済研究センターの会長は香西泰なのである。つまり、香西泰の企画といってもいいし、そのバックアップが小宮隆太郎ということか。
 そのエッセンスたる「第Ⅱ部」は討論から成り立っていて、香西泰の発言もある。香西の発言に関心を持ちながら読み直してみると、あれから五年が経ったこともあるのだろうが、いろいろ面白い。推理小説というのはやはり犯人がわかってから読むものである。と言えるほど犯人が分かっているわけではないのだ。

香西 素晴らしい論文がたくさん出て、たいへんありがたい。お礼を申し上げる。
 せっかくだから感想的なことをいえば、いま日本経済で何がいちばん問題かというと、実物セクターの問題がいちばん重要ではないかと思う。マネタリーの問題は短期的には貨幣は非中立的であろうが、これだけ長い不況ということを考えると、実物セクターに大きな問題があったのではないか。

 この物言いに性格が出ているように思えた。総じて、香西は経済学の基本がわかっていて政治調整タイプという感じの御仁なのだな。この調整力がこの間、国民側からは有益だったようにも私には感じられるし、ざっくり言えば今後の税制議論でも同じようにベースとのころで信頼はできそうだ。
 ついでにもう少し引用。

 その意味で、いちばん基本にあるのは実物セクターの問題で、その実物セクターの問題が現実のデフレに結びつくかどうかは、為替レートがどう決まるかによる面が大きい。ただ、円とドルの関係はGDPベースのPPPでみても一四〇円~一五〇円で、それほど問題がない。やはり中国やアジア諸国との為替関係である。
 アジアや中国は、構造的に過剰労働である。つまり、労働力無制限供給をまだ脱していない。それはちょうど日本の高度経済成長と同じで、為替調整をしろといわれても、簡単にはしない。つまり、自分たちの雇用が近代化するまでは、成長したいと考えていると思う。

 へぇとか思ってしまった。もう一点、重要な税制面では。

香西 (略)
 財政が破綻する問題については、増税しか手はない。今のままほうっておけば必ず破綻するわけで、どういうかたちで増税するか。結局、金利を上げて増税するというのが、終局の脱出路になるだろう。
深尾 その場合、デフレが加速するのではないか。
香西 一時的にはそれは仕方がないのではないか。

 このあたりの五年前の香西の考えが、今後の税調になんらかの整合性を持つのか、よくわからない。ちょっと皮肉な言い方になるが、東谷暁が「エコノミストは信用できるか」で「香西氏が多くの仕事をしてきたことは間違いない。しかし、あまりにも辻褄合わせの発言が多くはなかったかだろうか」と聞きようによっては酷評しているのだが、これは逆に、香西の辻褄合わせ力を肯定的にとらえていいのかもしれない。一貫性のなさは政治に関わるエコノミストのメリットなのだ。ああ、そんなネタでいいのか。
 対談を読み返しながら、なんか脳内に悪魔の声でこの対談への反論対談のようなものが聞こえるような気がした。しばらく雑煮(参照)を食っていたら思い出した。「エコノミスト・ミシュラン」(参照)である。
cover
エコノミスト
ミシュラン
 当時はエコミスト百家争鳴の陣地取りとかその手の類にしか思ってなかったし、正直マクロ経済というのはわからんのでふーんと読み過ごしていたのだが、こちらの対談は、小宮・香西ら対談の対抗だったのではないか。
 その対抗路線の文脈で読み返すといろいろ思うことがあった。あまり馬鹿野郎コメントをもらうふうでもなければ別エントリで書くかもしれない。

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コメント

 新年早々信用成らない馬鹿が来ましたよ。

>東谷暁が「エコノミストは信用できるか」で「香西氏が多くの仕事をしてきたことは間違いない。しかし、あまりにも辻褄合わせの発言が多くはなかったかだろうか」と聞きようによっては酷評しているのだが、これは逆に、香西の辻褄合わせ力を肯定的にとらえていいのかもしれない。一貫性のなさは政治に関わるエコノミストのメリットなのだ。

↑人間万事塞翁が馬ってことでしょ青島幸男。

投稿: ハナ毛 | 2007.01.02 21:28

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