[書評]「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか(リチャード・クー)
リチャード・クーの最新刊『「陰」と「陽」の経済学―我々はどのような不況と戦ってきたのか』(参照)の奥付を見ると〇七年一月四日。今日である。すると謹呈本? そんなことはない。年末書店で平積みだった。
一言で言うと、面白い本だった。
正確に言うと私レベルにとって面白い本だった。
「陰」と「陽」の 経済学 我々はどのような 不況と戦ってきたのか リチャード クー |
話のスジは前著「デフレとバランスシート不況の経済学」(参照)と同じ。その前の「日本経済 生か死かの選択―良い改革悪い改革」(参照)とも同じ。という意味で食指が動かんという向きもあるかもしれないが、なんというかいざなぎ超えを背景にリチャード・クーの勝利宣言と取れなくないこともないこともないかもしれないと思う人がいるかもしれない。俺とか。
バランスシート不況説は、日本の失われた十年(十五年?)の長期の不況は、バブル崩壊がもたらした企業と銀行のバランスシート毀損が原因であるとする考え方である。そしてこれに対処するには財政政策のみが有効とする。
バランスシートは言うまでもなく企業の資産状況を示した財務諸表のことだ。バブル崩壊以降、日本の大多数の企業の財務内容が悪化した。それが社会にばれて企業が立ち行かなくなるのを企業が恐れ、一斉に利益を借金返済にまわす行動に出た。この一斉行動が経済学でいう合成の誤謬を産んでデフレが生じたとクーは主張する。
さらに、通常の経済学(マクロ経済学)では企業の基本行動は利潤追求であってそれを借金返済が勝るとは想定していないのだが、そういう事態が数十年に一度起きる。そういう時代は「陰」の時代であり、通常の経済学の「陽」の時代の理論が当てはまらない。かなりの企業が財務諸表改善を最優先課題として行動するため、投資が控えられる(クーは大きく触れてないが雇用調整も大きいだろう)。こうしたダークサイドの時代になると、日本銀行がいくら金融政策をしてもデス・スターの債務返済バリアの前に無効になってしまうとのこと。
と、スター・ウォーズの世界観みたいな感じだ。信じる?
経済政策論議的には、米国を中心として流行の、あるいは日本の一部で盛り上がるリフレ派的な金融政策優先論の批判という枠組みになっているのだが、そのために結果がすごい違いになるのだが、理論サイドではクーの立場はリフレ派とそれほど違いはない。単純に言えば、リフレ派は諸悪の根源はデフレだからデフレの解消に有効な金融政策をせよという論法を取るのに対して、クーはデフレの原因はバランスシート毀損だからその根源の問題が時間を回復するまで待つのが基本であり、政府はその補助として財政政策をせよということ。あれです、失恋の対処と同じ。新しい恋人をめっけるのがリフレ派的、痛手が癒えるのを待つのがクー的……いやそれは違うか。
今回の本では、クーの従来からのというか九七年以降のバランスシート不況の最新状況を解説しているもので、率直に言って私のような経済学あんぽんたんにはとてもわかりやすい。ただし、ワタシ的にはさらに根幹のバブルがなぜ生じたのかについての解説になると、リフレ派のたとえばクルークマンのようにそんなことどうでもいいでしょ論も、クーのように歴史を忘れた人々の愚かさの循環だよ論も、それって全然違うんでねとか思う。っていうか、陰陽の経済学って、長期の景気循環論としてはハメハメ波(Kamehame wave)みたいなコンドラチェフ波(Kondratieff wave)と同じでねーのかと訝しく思う。
もう一点今回の本の特徴は、実はこれで読んでめっかと思ったのだが、一九三〇年代の世界大恐慌もバランスシート不況であり、それで説明するという点だった。というのは、昨今のマクロ経済学(日本のコンテクストではリフレ派)の考えでは、当時の大恐慌も金融政策で対処可能という考え方が主流になっていて、いわば経済学の定説であるかのように見える。そこに赤手空拳、リチャード・クーの独創的経済学で挑むのである。野次馬が寄ってこないわけがない。野次馬の一人はどう思ったか? 微妙。ただ、経済学的な定説では否定されているんだろうが、戦争っていうのはやっぱ財政政策かなとはちと思った。
関連で釣りと目次をご紹介。
1930年代の世界大恐慌も今回の日本と同じバランスシート不況だった。
「大恐慌の教訓」を拠り所にする主流派経済学の分析・理論を日本の経験をもとに論破。
戦後最長の景気拡大に潜むリスクを考察する。第1章 我々はどのような不況と戦ってきたのか
第2章 景気回復期に留意すべきバランスシート不況の特性
第3章 七〇年前の大恐慌もバランスシート不況だった
第4章 バランスシート不況下の金融・為替・財政政策の論点整理
第5章 「陰」と「陽」の景気循環とマクロ経済学の統合
第6章 日本国内における論調
第7章 世界経済を待ち受けるチャレンジ
補論 新古典派経済学が軽視してきた貨幣の存在理由
1章は概論。ここだけ読めばクーの考えかたはわかる。2章はそのサポート。3章は先にふれたように経済学のメインストリートへの異論。歴史学的に面白いといえば面白い。4章と5章は経済学的な展望。5章は単的に言えばリフレ派への応答。けっこうきちんと応答しているのはさすが。
7章は現在の世界経済への見通し。ここだけ読んでも面白い。石油の価格がドルである米国の有利性という問題は、いわゆる陰謀論的な枠組みにも見えてどうなんだろとも思っていたが、それは重要なんだとするクーの説明には説得力があった。また、エントリ”極東ブログ: [書評]もう一つの鎖国―日本は世界で孤立する (カレル・ヴァン ウォルフレン)”(参照)で触れた中国が米債を売るかも問題にも示唆を受けた。
補論の貨幣論は個人的にはとても面白かった。私はマルクスやケインズ経済学が教養だった時代の人でそれからポランニ的な考えに移っていった。そうした視点から国家と貨幣について考えてなおしてみたいと思っていた矢先なので示唆を受ける。関連して、以前のエントリ”極東ブログ: グリーンスパンの難問(Greenspan's conundrum)”(参照)についてもクーの議論が説得力を持つかなとは思った。セントラルバンカー論としては小宮隆太郎が言うように技芸としてアートの妙味みたいものも感じた。
本書とリフレ派の衝突点だが、私なんぞに手に負えるものではない。が、大筋ではクーの見解に説得力を覚える。論戦的な展開があるなら、日本のデフレが九七年から発生したものかという点ではないかということか。個別には、昨年の量的緩和解除の評価についてクーの言うようにあれで良かった論の反論とか読んでみたい気がする。
本書は現在の日本の好景気とこれまでの金融政策があまり効果を出していないと見えることなどから、クーのバランスシート不況のほうが一般受けするだろうと思うが、私としては三点異論というか疑問点がある。一つは、この間の為替操作による非不胎化介入はリフレ効果をもっており、それはかなり重要だったのではないかということ。もう一つは、リフレ政策が重要になるのは、現在の消費の停滞のスパイラルに対して、家計の保持金の叩き出しに今後使われるのではないかという点だ。三点目の疑問は、デフレの原因はさらに別なんじゃないかなのだが、これは自分の考えがうまくまとまってない。
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コメント
finalventさん、
あけましておめでとうございます。
読みます!
投稿: ひでき | 2007.01.04 10:16
去年テレビで榊原英資がポランにーについてふれていましたね。ポランニーなら栗本慎一郎だろう。FRBの屈折したあり方を凝視するなら経済学では経済は解らないのでは。
投稿: アカギ | 2007.01.04 14:02
だれかさんが言ったヒトバシラ、ですか。本屋によったついでにざっと読んでみました。
読んだ感想としては。。。そんなに大恐慌って論争になってましたっけ?帰ってきた後一応検索かけてひっかかった論文読んでみましたが、クー氏が力むほど新古典派が勝利した、と結論付けた文章はみつからないんですが。
後、経済学は何と言っても質・量ともに米国の学会が最先端であって日本では足元にも及びません。今回の件を論文をクーは向うで発表したそうですから、向うの学会がどういう反応を示すのかは興味があります。
投稿: F.Nakajima | 2007.01.04 17:10
金融政策が景気回復の必要条件であることは確かだと思いますね。
ただ、金融政策が景気回復の十分条件であるか、言い換えれば金融緩和を続ければそれだけで景気が回復するのかは、まだ議論の余地があるように思います。
後者の意見の場合、緩和で増えたマネーサプライの使い道を政府がコントロールする必要があるということになり、財政政策や為替介入との合わせ技でないと効果がないという意見になるでしょうね。
投稿: Baatarism | 2007.01.06 10:45
企業の機能不全は供給側の問題ですから,それによってデフレ不況になるという理屈はどうしても理解できません。もちろん供給側に問題があっても経済水準の低下は生じると思いますが,それは極端に言えば,北朝鮮のような状態,つまり所得に比べて物価が高くて物が買えない状態です。
デフレ不況はやはり広い意味で需要側に問題があると思います。私は米議会が言うようにイカサマ人民元レートによる中国発デフレ不況だと思います(05年7月に中国が人民元を5%切り上げた以後,途端に日本の景気が少し上向いたのはこの事実をよく示しています)。ちなみに純輸出=輸出-輸入を需要側と考えています。
投稿: 金子吉晴 | 2007.01.06 22:19
経済の本を3パターンに分けてみると、1リフレ派、2アンチリフレ派、3行動経済学とかゲーム理論とか。1が主流、2は「陰と陽-」とか、3はまぁ面白いし、為になる。まぁ1が一番良い、2も3も取り込んでるしね。もちろん1の中には2を執拗に攻撃してるだけの粗悪なのも多い。何にせよ1が主導権を握ってる事は間違いないし、経済についての素晴らしい文章に出会うとすれば、それはほぼ間違いなく1だろう。経済の問題を解決するには市場の自律しか方法はないが、もし権力に出来る事があるとするならば、それは何か。権力と結びつく知識、経験を洗練させて継承していくしか方法はないし、今までもこれからも人はそうして来たし、そうするだろう。
投稿: itf | 2007.11.04 08:09